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2009/05/15

感想 松岡心平編『看聞日記と中世文化』(1)

 森話社2009年3月刊の論文集。編者の松岡心平氏はこのブログの「『椿葉記』の由緒は重んじられるべきである-旧宮家復帰待望論(2)」
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_4569.htmlで「椿葉のフェティシズム-朗詠「徳是」から-」『文学』季刊10巻2号1999という論攷を引用していることもあって興味があり、買いました。
 ふつう伏見宮の初代は栄仁親王とされるが、世襲親王家としては貞常親王からである。小川剛生「伏見宮家の成立」-貞成親王と貞常親王」によれば、『椿葉記』の「若宮をば始終君の猶子なし奉るべければ、相構へて水魚の如くにおぼしめして御はごくみもあるべきなり」が、若宮を猶子とするつまり親王宣下を望んでいるものと説明されている。貞常は文安二年(1445年)三月十六日、関白二条持基を加冠役として21歳で元服したのち、同年六月二十七日に親王宣下、翌三年三月二十八日に二品式部卿、八月二十七日に家領が譲られた。翌四年に貞成親王に太上天皇尊号という経過をとる。
 しかし、よく考えると、貞常親王は崇光曾孫四世王といっても、後花園院の弟であることから、令制に忠実なら継嗣令皇兄弟子条の「凡皇兄弟皇子。皆為親王。〔女帝子亦同。〕以外並為諸王。自親王五世。雖得王名。不在皇親之限。」により自動的に親王であるはずである。
 先例としては、淳仁即位により兄弟の船王・池田王の親王格上げがそうである。
 もちろん皇親概念は嵯峨天皇の弘仁期に大きく変化し、親王・内親王は宣下をうけてのち称しうることとなったのであって、奈良時代の例は参考にもならなかったのだろう。
 親王は、天皇の意思により授受される性格の身位に変質した。皇子・皇女でも親王でないケースは少なくない。なお、後堀河、後嵯峨、後光厳、後小松は親王宣下なく即位している 。
  平安後期になると諸王でも宣下をうければ親王・内親王になりうることとなった。三条皇孫で敦明親王(小一条院)の御子である二王、二女王の親王宣下がそうした例である。 鎌倉時代には後鳥羽の皇子・皇孫が相次いで親王宣下をうけて六条宮を称し、後嵯峨の皇子・皇孫、後深草の皇子・皇孫が親王宣下をうけ鎌倉将軍宮となったケースがあるが、三世王の伏見宮貞成王の親王宣下の先例として重要なのは亀山曾孫四世王の常磐宮満仁王の親王宣下であるということを小川剛生氏は述べている。
 『後愚昧記』にある足利義満に小少将という愛妾を譲って、首尾良く宿願(親王宣下)を達したというエピソードが面白いので強調されるきらいがあるが、そもそも満仁親王の祖父、常磐井宮恒明親王は亀山法皇の遺詔で皇位継承者に指定されたことから、大覚寺統嫡流としての認識がある。にもかかわらず政治的事情で即位できなかったが、安楽寿院領という所領を有し嫡流としての意識を捨てず自ら恃むところ頗る厚かった。このへんの事情を小川剛生は適切に説明している。

 つづく

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