公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2009年8月の29件の記事

2009/08/31

別に謝るほどのことではないだろ 押尾学保釈ニュース

  定番になっている、深々と頭を下げるのもうみたくない。全然迷惑でもなんでもない。押尾被告が保釈「申し訳ありませんでした」http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090831-OYT1T01150.htm?from=ranking http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090831-00000044-maip-sociという記事がありますが、芸能人が麻薬を使用しようが私には実害は何もないし、一般市民に迷惑なんてかかってないから、謝る必要ない。被害者なき犯罪の非犯罪化といリベラルな刑事政策に転換すべきだし、芸能人に特権を認めてもいいと思う。労働組合みたいに他者の労働力取引の自由を制限し、不能率な働き方を強要し、脅迫し恫喝する、もっとも実害がありますが、麻薬吸ったって、他者の財産権や自由を侵害することはないわけですよ。のりピーは2007年の日中国交正常化35周年を記念した「日中スポーツ・文化交流年」には親善大使として温家宝首相に花束を渡し、安倍総理にも面談していたという、親善大使の実績もあるのに起訴はやりすぎだ。

2009/08/30

女子法定婚姻適齢引上げ絶対反対シリーズ「 明治11年の東京評判美人番付」

 江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。
 寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは両国米沢町の煎餅屋の内儀であるがおきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは16~17歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。(佐藤要人『江戸水茶屋風俗考』三樹書房 平成5年)
 従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。
 
 江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している(『東京庶民生活史』日本放送協会1979の287~330頁参照)
 
 明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

東京現住結婚年齢者対象表
『東京府統計書』
明治17年
       男    女
14年以下   11  128
15年以上  604 2740
20年以上 1880 2691
25年以上 2679 1496
30年以上 1607  811
35年以上  871  442
40年以上  略    略

 小木前掲書309頁

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はぼ実態に即したものといえる。
 また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 小木新造は東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。
これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

13歳  5人
14歳 11人
15歳 24人
16歳 19人
17歳 31人
18歳  2人
19歳  5人
20歳  0人
21歳  1人

 小木前掲書310頁以下

 98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。
 15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。 

三后皇太夫人等の婚姻成立年齢等の検討

①御配偶②御父③母④親族関係⑤所生の皇子皇女⑥生年⑦身位の変遷等)⑧婚姻成立時期と当該年齢(数え年)若干のコメント
  
 (これは女子法定婚姻適齢引上げ絶対反対シリーズの一つの資料としてかなり前に書いたもので法制審議会が改正を迫る危険な情勢で抵抗していかなければならないので未完成だが出していくことにします。)

令義解巻二、戸令に「凡男年十五、女年十三以上、聴婚嫁」とあり養老令に定める婚姻適齢が 男15歳、女13歳であった事は疑いなく、大宝令も同一、飛鳥浄御原令も一応同一だったというのが通説である。
 養老の戸婚律は散逸して伝わらないが、唐の戸婚律には早婚者を罰する条文なく、わが養老戸婚律も同様であったことは間違いない。仁井田陞博士は「唐令拾遺」において、司馬氏書儀及び文公家家令の文を引いて、「諸男年十五。女年十三以上、並聴婚嫁、」なる条文が、唐開元二十五年令にあったものと推定し、同条文はわが律令の藍本となった唐永徽令にもあったと推定されている。。
 

 要するに律令国家の婚姻適齢は唐令の模倣である。しかしそれだけの意味ではない。ローマ法の法定婚姻適齢が男子14歳女子12歳で、これは教会法に継受された、英国のコモンローマリッジも教会法を継承しているので同じである。現在教会法は男子16歳女子14歳で、英国は男女とも16歳であるがこれは20世紀になってからであって、従って西洋の婚姻適齢法制スタンダードはローマ法-教会法-コモンローの男子14歳、女12歳なのである。しかしそれは西洋だけのものではなかった。日本・中国・朝鮮半島・ベトナムでは伝統的に年齢は数え年のため、唐永徽令、日本養老令の男子15歳、女子13歳もだいたい同じことである。ローマ法-教会法-コモンローと唐永徽令-日本養老令の婚姻適齢が洋の東西を問わずグローバルスタンダードでほぼ同一だったということである。
   奇しくも持統女帝(ウノノ皇女)の婚姻年齢が13歳だった。光明皇后(藤原安宿媛)が16歳であるが、共同統治型の最強皇后というと、呂后に比擬される持統と、則天武后に比擬される光明皇后だ。16歳以下のケースは多い。それが基本であると認識すれば、法定婚姻適齢を18歳に引き上げてしまおうというのは歴史的脈絡を無視したものである
。なお歴代皇后で最年少のの婚姻年齢は崇徳后藤原聖子(
皇嘉門院-関白忠通女)の八歳で、最高齢は三十九歳の藤原泰子(高陽院-関白忠実女)だと思う。
 

 律令成立期(天武朝)より、摂関期(後冷泉朝)までの正号皇后、皇太后、太皇太后、皇太妃、皇太夫人は全てリストアップ。后位に上ってない妃、女御の一部もリストアップしている。但し、光仁生母紀橡姫、醍醐生母藤原胤子、花山生母藤原懐子、三条生母藤原超子など追尊皇太后等の一部をリストに加えなかった。下記の多くは孫引きで推定も含む。筆者が直接史料に当たったのは一部分にすぎない。
 身位の変遷等についての主な引用は橋本 義彦「中宮の意義と沿革」『書陵部紀要』22号1970、角田文衛『日本の後宮余録』学灯社1973、一応記述は誤記のないように気をつけているが、身位の変遷等はウィキペディアも詳しいので参照してください。

持統天皇(鸕野讚良皇女 、兎野皇女) ①天武后②天智③蘇我越智娘④天武の姪⑤草壁皇子(皇太子)⑥大化元年⑦天武天皇二年立后、朱鳥元年臨朝称制、持統天皇四年即位46歳、持統天皇十一年譲位、大宝二年崩御58歳 ⑧斉明天皇三年 13歳

元明天皇(阿閇皇女) ①草壁皇子妃②天智③蘇我姪娘④草壁からみて父方従姉妹、母方おば⑤文武天皇、元正天皇、吉備内親王⑥斉明天皇七年⑦文武即位後皇太妃(皇太妃宮職附置)、慶雲四年即位、和銅八年譲位、養老五年崩御61歳⑧初生子の元正天皇(氷高皇女)は天武天皇九年生である。よって草壁と阿閇皇女の結婚は天武八年以前である。天武八年に阿閇皇女は19歳であるが、阿閇皇女の同母姉である御名部皇女と高市皇子の結婚は、御名部皇女所生の長屋王が天武五年生であるから天武四年以前である。これを参考にして神田千紗は天武五年~八年頃。つまり16~19歳とみなしている。*1

藤原宮子①文武夫人②右大臣藤原朝臣不比等③加茂朝臣比売⑤聖武天皇⑥生年不詳⑦文武天皇元年八月夫人、養老七年従二位、神亀元年二月勅、生母正一位藤原夫人を尊んで大夫人と称する。同三月詔、先勅を改め、皇太夫人、口語は大御祖(おほみおや)と称する。この後中宮職附置、孝謙即位後大皇太后(中宮省附置)⑧文武天皇元年八月 

光明皇后(藤原安宿媛)①聖武后②右大臣藤原朝臣不比等③県犬養橘三千代④聖武と同年齢だが母方おば⑤孝謙天皇、基王(皇太子-夭折)⑥大宝元年⑦霊亀二年六月入内16歳、聖武即位後夫人24歳、天平元年立后29歳(皇后宮職附置)、孝謙即位後に皇太后49歳(紫微中台-附属職司、天平宝字二年坤宮官に改称)、天平宝字四年崩御60歳⑧霊亀二年六月16歳。これは首皇子立太子の二年後である。霊亀元年、長親王・穂積親王が薨じ、この時点で天武皇子で健在なのは舎人親王と鎌足女を母とする新田部親王だけとなり、元明が精力の減退を理由に元正に譲位した。霊亀二年には吉野盟約の最後の生存者志紀親王が八月に薨じ、左大臣石上麻呂は老齢で翌年三月薨じている。ほぼ右大臣不比等が太政官の決裁権を握ったとみられるから*2、霊亀二年六月の入内は政治的タイミングだろう。天平元年の立后宣命に「我が王祖母天皇(元明か元正かで議論のある問題だがたぶん元明をさす)の、此の皇后を朕に賜へる日に勅りたまひつらく、其の父と侍る大臣の皇が朝をあななひ奉り輔け奉りて、其の父は夜半暁時休息ふこと無く,浄き明き心を持ちて……我が児、我が主、過ち无く罪なくあらば、捨てますなと負せ賜ひ宣り賜ひし大命によりて」とあるが、元明上皇が「捨てますな」と皇太子に命じたことは、元明と県犬養橘三千代が親しかったことから事実だろう。共同統治型の強力な皇后。東大寺・国分寺創建の発意者であり、膨大な写経・勘経事業など国家的仏教事業を推進。貧窮民救済のための施薬院や悲田院といった福祉的事業にも深くかかわった。聖武天皇が陸奥産金の知らせに喜び衝動的に出家され国政を投げ出したため、皇太后朝=紫微中台政権では天皇大権を掌握したとされる。

当麻山背①舎人親王②当麻老⑤淳仁(淡路廃帝)⑥生年不詳⑦天平宝字三年大夫人(中宮職附置)、天平宝字八年淡路配流

井上内親王①光仁后②聖武③夫人県犬養宿禰広刀自⑤他戸親王(皇太子-廃位)、酒人内親王⑥養老元年説あり⑦養老五年斎宮に卜定、神亀四年群行、天平十六年退下(離任)、天平十九年二品直叙、宝亀元年立后、宝亀三年廃后、宝亀六年歿(変死)、延暦十九年詔して皇后の称を追復し墓を山陵と称する。⑧伊勢斎宮二十年以上の在任から帰京されたのは天平十六年。同十九年正月内親王が無品から二品に特叙されたのは、斎宮の任務をとげたことによる。この前後に天智の孫の白壁王との婚姻が成立したとみられている*3。内親王の生年が不確定だが30歳前後か。

高野新笠(和史新笠-宝亀年中高野朝臣賜姓)①光仁夫人②和朝臣乙継③土師宿禰真妹-延暦九年追尊して大枝朝臣賜姓⑤桓武、早良親王(皇太弟-廃位)⑥生年不詳⑦天応元年皇太夫人(中宮職附置)、延暦八年崩御、同九年追贈皇太后、大同元年追贈太皇太后

酒人内親王①桓武妃②光仁③皇后井上内親王④桓武の異母妹⑤朝原内親王⑥天平勝宝六年⑦宝亀元年三品直叙、宝亀三年斎宮に卜定、宝亀五年群行、宝亀六年退下、後に二品、天長六年薨76歳⑧伊勢斎宮から帰京してまもなく宝亀七~八年頃、桓武の東宮時代。22~24歳。容貌艶麗。

藤原乙牟漏①桓武后(天皇より20年以上年少の皇后)②内大臣藤原朝臣良継[式]③阿倍朝臣古美奈⑤平城、嵯峨、高志内親王⑥天平宝字四年⑦延暦二年正三位に叙せられ夫人、同年四月立后(皇后宮職附置)。延暦九年閏三月崩御31歳、大同元年追贈皇太后、弘仁十四年追贈太皇太后⑧林陸朗によると安殿親王(平城)が宝亀五年生であるから、宝亀四年正月の山部親王(桓武)立太子前後に婚姻が成立と推定。結婚年齢は13-14歳。滝浪貞子は、他戸廃太子-山部立太子-乙牟漏入内が良継のバックアップにより百川の策動により進められたとみる。*4

藤原旅子①桓武夫人②参議式部卿中衛大将藤原朝臣百川[式]③藤原朝臣諸姉⑤淳和(延暦五年生)⑥天平宝字三年⑦延暦五年夫人、延暦七年薨30歳、贈妃、正一位。後贈皇太后⑧後宮に入ったのは延暦の初期、20歳代。帝より22歳年下。

*1神田千紗「白鳳の皇女たち」『女性史学』6 1996
*2井上亘「元正政権論」『日本古代の天皇と祭儀』吉川弘文館 1997
*3林陸朗「県犬養家の姉妹をめぐって」『國學院雑誌』62-9 1961-9
*4 滝浪貞子日本古代宮廷社会の研究』 思文閣1991史学叢書

藤原帯子①平城②参議式部卿中衛大将藤原朝臣百川[式]⑥生年不詳⑦延暦十三年五月薨。大同元年六月追贈皇后。⑧平城の東宮時代。子をもうけていないのに贈皇后とは不可解で、兄の藤原朝臣緒嗣は再三辞退するが天皇は許さず。

朝原内親王①平城妃②桓武③妃酒人内親王④平城の異母妹⑥宝亀十年生⑦延暦元年斎宮に卜定、延暦四年群行、延暦十五年退下、三品直叙18歳、寵愛薄く弘仁三年妃を辞職。弘仁八年薨39歳⑧帰京された延暦十五年以後であることは間違いないが不詳。

大宅内親王①平城妃②桓武③女御橘朝臣常子③平城の異母妹⑦延暦二十年加笄。弘仁三年妃を辞職。四品直叙。嘉祥二年薨

高津内親王①嵯峨妃②桓武③女御坂上大宿禰又子④嵯峨の異母姉とする説あり⑤業良親王、業子内親王⑥生年不詳⑦延暦二十年加笄、大同四年三品を授けられ、妃とされるが、ほどなく妃を廃される。理由不明。藤原冬嗣の陰謀説*1、姦淫説等諸説あり不確定。外戚の坂上氏は武官の枢要を歴任し有力な軍事官僚で、有力公卿の藤原内麿や嵯峨側近の藤原三守とも姻戚関係があるので不可解な事件だが、冬嗣の異母弟三人の母が坂上氏である。冬嗣にとって高津内親王が後宮で権勢を有する事は具合が悪い。もしこれが陰謀なら冬嗣か坂上氏とライバル関係とみられる巨勢野足あたりが怪しい。⑧不詳

橘嘉智子  ①嵯峨后②内舎人橘朝臣清友⑤仁明天皇、正子内親王、秀良親王、秀子内親王、俊子内親王、繁子内親王、芳子内親王⑥延暦五年生⑦大同四年為夫人従四位下、翌年従三位、弘仁六年立后(皇后宮職附置)、弘仁十四年 皇太后、天長十年 太皇太后、嘉祥三年五月崩御65歳⑧結婚時期不詳。そもそも橘嘉智子は敏達裔九世孫とはいえ、謀反を起こした奈良麿の孫娘で、后位にのぼされうる女性だったとは思えない。嵯峨側近の南家巨勢麿流藤原三守が橘嘉智子の姉を妻としており、三守は蕃邸の旧臣であるから、婚姻は嵯峨の在藩時代とみられている。橘嘉智子立后は冬嗣の策動とみられており、その狙いは有力な皇位継承候補者だった恒世王の立太子阻止にあったのだろう。 

高志内親王①淳和②桓武③皇后藤原乙牟漏④淳和の異母妹、平城・嵯峨の同母妹⑤恒世親王(皇太子に指名されるが辞退)、氏子内親王、有子内親王、⑥延暦八年または宝亀十年生⑦延暦二十年加笄、同二十三年三品、大同四年五月薨(贈一品)弘仁十四年贈皇后⑧『紀略』では大同四年享年二十一歳とあるので、延暦二十年加笄が13歳、恒世王が誕生した延暦二十四年は17歳であり、結婚年齢を14-16歳と推定できる。但し『紀略』の記事は三十一歳の誤写である可能性もあり、断定できない。

正子内親王①淳和后②嵯峨③橘嘉智子④淳和の姪、⑤恒貞親王(皇太子-廃位)恒統親王、基貞親王⑥弘仁二年生(仁明天皇と二卵性異性双生児とみられる)⑦天長四年立后(皇后宮職附置)17歳、天長十年皇太后(固辞)、仁寿四年太皇太后(固辞)、元慶三年三月崩御70歳、御陵なし。⑧17歳以下 立后が17歳であるため。
淳和太后は承和の変の敗者だが、慈仁の心甚だ深く、行き場を失った僧尼を保護するため淳和院を尼の道場となし、嵯峨院は、宮を捨てて精舎となし、大覚寺を創建、僧尼の病の治療をなすため、済治院を設けた。また、封戸の五分の二をさいて、京中の棄児を収拾し、乳母をつけて養育した。*2太皇太后尊号を頑強に固辞されているが、朝廷が容れるはずがなく、『管家文章』に淳和院太皇太后令旨が数件見られ、終身后位にいらされたとみるべきである。

藤原貞子①仁明女御②右大臣藤原朝臣三守〈南〉③不詳④三守の妻が仁明生母の橘嘉智子の姉妹の安万子であるが、もし母が橘氏なら仁明とは母方従姉妹⑤成康親王、親子内親王、平子内親王⑥生年不詳⑦天長十年十一月従四位下、承和六年正月、従三位、嘉祥三年七月、正三位、貞観六年八月薨。贈従一位、仁明天皇の深草山稜兆域内に葬られる。⑧薨伝に「風容甚だ美しく、婉順なりき。仁明天皇、儲弐と為りたまふや、選を以て震宮に入り、寵愛日に隆し」と見え、仁明の東宮時代。年齢は不明。
文徳実録仁寿元年二月丁卯条に「正三位藤原朝臣貞子、出家して尼となる。貞子は先皇の女御なり、風姿魁麗にして、言必ず典礼なり。宮掖の内、その徳行を仰ぎ、先皇これを重んず。寵数は殊に絶える。内に愛あるといえとせも、必ず外に敬を加う。先皇崩じて後,哀慕追恋し、飲食肯わず。形容毀削し、臥頭の下、毎旦、涕泣の処あり。左右これを見、悲感に堪えず、ついに先皇のために、誓いて大乗道に入る。戒行薫修し、遺類あることなし。道俗これを称す」とあり*3、天皇のキサキで崩後出家し尼となった先例として桓武女御橘朝臣常子の例があるが、貞子は筆頭女御なので(女御としては東宮生母の藤原順子より上位)女性史的にも重要な意義がある。

藤原順子(五条后)①仁明女御 ②左大臣藤原朝臣冬嗣[北]③藤原朝臣美都子[南]⑤文徳天皇⑥大同四年生⑦天長十年、従四位下、承和十一年従三位、嘉祥三年、皇太夫人(中宮職附置)、仁寿四年皇太后(中宮職継続、天安二年十一月二十五日より皇太后宮職)、貞観六年太皇太后(太皇太后宮職附置)、貞観十三年九月崩御63歳。⑧崩伝、三代実録貞観十三年九月十四日辛丑条「仁明天皇儲貳たりし日、聘して宮に入り給ひき」と見え、正良親王立太子とほぼ同時期、弘仁十四年15歳頃

藤原沢子①仁明女御 ②紀伊守藤原朝臣総継〈北家傍系魚名流〉贈太政大臣③藤原朝臣数子⑤宗康親王、光孝天皇、人康親王、新子内親王⑥生年不詳⑦承和六年六月卒後従三位、最も寵愛される。光孝即位により贈皇太后。⑧仁明の東宮時代

*1芦田耕一「高津内親王の歌をめぐって」『平安文学研究』61 1979                                    
*2大江篤「淳和太后正子内親王と淳和院」大隅和雄・西口順子編『シリーズ女性と仏教1尼と尼寺』平凡社1989
*3同上

藤原明子(染殿后)①文徳女御②太政大臣藤原朝臣良房③源朝臣潔姫[嵯峨一世源氏]④文徳からみて父方またいとこ、母方従姉妹⑤清和天皇、儀子内親王⑥天長六年⑦天安二年十一月七日皇太夫人(中宮職は天安二年十一月二十五日まで藤原順子と明子の御二方に奉事。幼帝清和擁護のため祖母と母が東宮雅院に同殿されていたため。順子が藤原良相邸に移御され皇太后宮職附置により、中宮職が独立。但し『中台の印』は順子が終身所持した後、皇太夫人藤原高子が所持、貞観六年皇太后(皇太后宮職附置)、元慶元年太皇太后(太皇太后宮職附置)、昌泰三年五月崩御73歳⑧文徳の東宮時代。『今昔物語』で知られるように物の怪気味で気鬱症に悩まれていたようだ。

藤原古子①文徳女御 ②左大臣藤原朝臣冬嗣④文徳の母方おば⑥生年不詳⑦嘉祥三年七月女御、仁寿三年従三位、天安二年十一月従一位

藤原多賀幾子①文徳女御②右大臣藤原朝臣良相④文徳の母方従姉妹⑥生年不詳⑦嘉祥三年七月女御、斉衡元年従四位下、天安二年卒

藤原多美子①清和女御②右大臣藤原朝臣良相④清和生母藤原明子と従姉妹⑥生年不詳⑦薨伝は概ね次のとおり「性安祥にして、容色妍華、婦徳を以て称さらる。貞観五年十月従四位下、貞観六年正月清和天皇元服の夕選を以て後宮に入り、専房の寵有り、少頃して女御、同年八月従三位、同九年三月正三位、元慶元年十一月従二位、同七年正月正二位、仁和二年十月薨。徳行甚だ高くして中表の依懐する所と為る。天皇重んじ給ひ、増寵他姫に異なり。天皇入道の日(清和上皇の出家に従う-元慶三年五月)、出家して尼と為り、持斎勤修す。晏駕の後、平生賜りし御筆の手書を収拾して紙を作り、以て法華経を書写し、大斎会を設けて恭敬供養しき。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉りしなり。即日大乗会を受く。聞きて聴者感嘆せざる莫し。熱発して奄ち薨じき」帝最愛の寵姫であるのに子をもうけることができなかったのは結果論だと思う。清和天皇は九歳で即位して十六歳まで生母明子と東宮雅院で同居状態だったが貞観七年に内裏に遷御され、明子は東宮に止まり母と離れたののだが、応天門の変の後、皇太后藤原明子が後宮正殿常寧殿に移御されている。これは良房が内裏をミウチで固めて帝を取り込み(当時後宮を差配していたのが尚侍源全姫で、良房の義妹、皇太后のおば)筆頭女御の多美子を牽制する意図があったとみてよい。尚侍源全姫がやたらと多くの女御更衣を後宮に送り込んだのも多美子に里第へ退下を余儀なくするいやがらせとみてよいだろう。*1
         
藤原高子(二条后)①清和女御②中納言藤原朝臣長良③藤原朝臣乙春④清和生母藤原明子と従姉妹、良房の養嗣子基経の同母妹⑤陽成天皇、貞保親王、敦子内親王⑥承和九年生⑦貞観八年十一月頃に入内、十二月女御、貞観十三年従三位、貞観十九年皇太夫人(中宮職附置)、元慶六年皇太后(皇太后宮職附置)、寛平八年廃后(前皇太后職附置)、延喜十年薨、⑧貞観八年十一月入内26歳(帝より八歳年長)兄藤原基経が七人抜きで中納言に昇進し右大臣左近衛大将藤原良相が辞表を上ったほぼ同時期。応天門の変の背景に太政大臣良房の養女格であった高子の入内問題があった。『伊勢物語』等の二条后と在原業平の恋愛事件について、多くの学者は消極的な姿勢で史実性を認めているが、角田文衛*1は物語文学を精査したうえ、貞観元年十二月~二年正月皇太后宮東五条第西の対に業平が忍び通いをしたと断定しているが納得できる見解で、大略次のとおりである。高子は清和天皇の大嘗祭で五節舞姫に選ばれ、清和祖母皇太后藤原順子の里第東五条第に預けられていたのだが、当時皇太后は弟の良相邸(西三条第)に長期逗留、仮御所とされていた。皇太后宮は警備が手薄になっていた。しかも貞観元年八月九月の猛烈な台風で『伊勢物語』第五段のように築垣が崩れていたらしい。事件発覚後高子は良房の指示により異母兄国経と兄基経によって別の邸宅に移された。業平が『月やあらぬ‥‥』という有名な歌を詠んだのは貞観三年正月十五日頃である。いかに隠したって業平は人気者だから、極限された貴族社会では忽ち電波のように知れわたったに違いないとする。当時の太政官符の類を見れば明白なように、左大臣源朝臣信は名のみで、実際の政治は主として右大臣良相が施行していた。政権の主軸である良相が難色を示せば、いかに良房と雖も持駒の高子入内を強行できなかった。あるいは皇太后藤原順子が帝より八年も年長で派手な性格の高子を嫌って、行儀正しい多美子を推薦したとみられている。
 さて、貞観八年応天門の変直前の状況について武野ゆかり*2は太皇太后藤原順子-右大臣藤原朝臣良相-大納言伴宿禰善男(国家財政担当の要職である民部卿と太皇太后大夫を兼官)の三者がむすびついていたとしているが、良相と伴善男は仁明の寵臣で同時期に参議に列し、民政重視で相通じる仲だった。しかも良相の嫡子常行は有能で、応天門焼失の直前に基経より上席で参議に列していた。むろん大納言平朝臣高棟や権大納言藤原朝臣氏宗は良房派で、両派閥は拮抗していたとみてもよいが、なんといっても良相女多美子は帝の寵姫で皇子誕生となれば、北家嫡流は良房-基経ではなく良相-常行に移行する可能性があった。しかし策謀において長じていた良房は貞観八年閏三月の応天門炎上〈真相は不確定〉を奇貨として巧妙な陰謀を企て一気に巻き返しを図った。伴善男を斃すとみせかけて、弟良相の失勢を図り、常行を挫折させ、無能だが嵯峨源氏長者たる源信を庇ってみせて賜姓源氏の信頼感を繋ぎ留め、人臣初の摂政となった。しかしこの事件は北家嫡流の権力抗争に還元できない。伴善男は嘉祥三年の任中宮大夫から貞観八年伊豆配流まで十六年間(母の服喪期間を除く)一貫して藤原順子の附属職司の長官であり御願寺安祥寺の造営などで信任されていたのである。上皇不在の状況では太后の啓令を吐納し命令を下達する職掌は重大であり、かれの貞観期における昇進と権勢は太后の政治力をバックにしていたことが大きい。従って太皇太后の発言権を封じる狙いもあったとみられている。太皇太后は仏教に帰依され(貞観三年二月出家)温厚な女性であった。しかしたんに憶測にすぎないが順子は文徳朝における良房の政治手法(文徳は内裏に常住できず、天皇親臨の政治体制ではなかった、良房は近衛府と弁官を掌握して権力を牛耳った)に疑念を持ち、行政手腕のある良相-伴善男-常行を台閣の主軸として天皇親政の構想であったのかもしれない。その気にさえなれば兄良房追放もありえたのであって、伴善男は武官を兼ねてないが良相と結託して軍事力を動員し源信邸を包囲しており、良房にとっても脅威となっていた。

班子女王(洞院后、院ノ太后)①光孝女御②二品太宰師仲野親王(桓武皇子)③当宗氏⑤是忠親王、是貞親王、宇多天皇、忠子内親王、簡子内親王、綏子内親王(陽成上皇妃)、為子内親王(醍醐妃)⑥天長十年説が有力であるが異説あり⑦元慶三年二月、従三位、同年四月、女御、仁和三年皇太夫人(中宮職附置)寛平九年七月廿五日皇太后(皇太后宮職附置)昌泰三年四月崩御⑧時康親王(光孝)との結婚年齢は不明。昌泰三年崩御の年齢について日本紀略、扶桑略記、大鏡裏書等は48歳と伝えており、宇多(定省王)は貞観九年生で当時15歳になる。しかし宇多には二人の同母兄がいて、さらに忠子内親王という姉がいた可能性がある。しかも宇多の兄、是忠親王は元慶元年に次男をもうけており、班子女王は25歳で二人の孫を有していたことになり、不自然である。萩谷朴*3は68歳崩御説で、その論拠として西宮記皇后御賀事、伏見宮御記録母后賀例で寛平四年三月内裏后町(常寧殿)において中宮班子女王の六十の賀が行われたという記事を挙げているが、48歳崩御説を採る歴史家はこれを四十の賀とみなしている。父仲野親王(桓武皇子)は、頗る典礼旧儀礼に通じた博識の才幹で、親王は奏寿宣命の道を致仕の左大臣藤原緒嗣に学び、勅により藤原基経、大江音人に授けたほどだった(式部卿在職14年、貞観九年薨じた時点で二品太宰帥、贈一品太政大臣)。后は反摂関強硬路線の主導者とみられ、後述するように藤原穏子の入内を執拗に阻止しようとした。后は外祖母こそ京家流藤原氏(桓武女御藤原朝臣河子)だが北家藤原氏とは血縁関係がない。

藤原温子(東七条后)①宇多②関白藤原基経③操子女王⑥貞観一四年⑦仁和四年十月入内、ついで従四位下、女御。寛平五年、正三位。寛平九年七月廿五日皇太夫人(中宮職附置)、延喜七年六月崩御⑧仁和四年十月六日に入内が決まり、九日に女御となった。17歳。阿衡の紛議が急転直下落着する直前。この時点で藤原基経は宇多が「朕の博士」として重用した参議左大弁橘広相を厳罰に処す方針だったが*4、尚侍藤原淑子の裏面工作により事態の収拾が図られた。たぶん温子に皇子誕生となれば皇位継承者とし、橘所生の親王は皇位継承候補から明確に外すという取引により基経を妥協させたのだろう。亭子院は温子の里第である。

為子内親王①醍醐②光孝③班子女王④醍醐の伯母、宇多の同母妹]⑥生年不詳⑦寛平九年七月三日醍醐践祚及び元服当日に入内、七月廿五日三品を授けられ、妃とされた。昌泰二年女子を出産するがまもなく薨(贈一品)。

藤原穏子(「天暦太后」)①醍醐②関白藤原基経③人康親王王女④醍醐のまたいとこ、つまり醍醐の父帝宇多と穏子の母はともに仁明天皇と贈皇太后藤原沢子の孫である⑤保明親王(皇太子)、朱雀天皇、村上天皇、康子内親王⑥仁和元年⑦延喜元年三月、女御。延喜九年、従二位。延喜二十三年四月立后(中宮職附置)、承平元年皇太后(中宮職)、天慶九年太皇太后(中宮職)、天暦八年崩御 
⑧正式に女御になったのは延暦三年三月で穏子は17歳であるが、それ以前に次のような経過があった。
 宇多天皇の『寛平御遺誡』によると敦仁親王(醍醐)立坊も譲位のことも菅原道真一人と相談して決めたいう内幕を開かしている(但し敦仁立坊については尚侍藤原淑子も加わっていた可能性がある)。寛平九年七月三日の宇多譲位醍醐受禅は異例なことに、皇太子の元服加冠の儀と同日にセットされた。清和、陽成の元服は正月であり、七月というのも異例であるが、『儀式』では内裏の外で譲位式が行われるものだが、敦仁親王は当日東宮より内裏清涼殿に入り元服を加えたのち、譲位式が紫宸殿で行われ、譲位の詔で新帝の奏請宣行は時平と道真の輔導によれと命令を下すというきわめて特徴的な儀式になった*5。新帝醍醐は清涼殿に入御され(但し新帝の遷本宮は十月廿二日であるから、この後いったん東宮に還御されたようだ)、譲位後宇多は後宮の弘徽殿に入御された。奈良時代には元正上皇が中宮西院を居所とされた例があるけれども、平安時代は上皇が内裏に入御されるのは異例である。しかし長くとどまることはできないので、八月九日に母后班子女王とともに東院(もしくは洞院)に遷御されている。この特徴的な皇位継承はたんに摂政不設置の口実づくりだけが目的だったということではない。為子内親王入内のタイミングはこのやり方が最善だったということである。なぜならば、もし藤原温子の皇太夫人に上った「七月廿五日」後だと、後宮の第一人者は后位に准じた温子ということになり、皇太夫人藤原高子や班子女王が帝の後楯となって常寧殿を居所とした慣例からみて温子を移御させる口実が難しくなるが、醍醐養母温子が宇多筆頭女御にすぎない時点で新帝伯母の為子が後宮に入ったので、温子に移御せざるをえないようにし向けたとと考えられる。そして最大の目的は藤原穏子入内強行の阻止にあった。宇多と班子女王はたぶん東宮大夫を兼ねる藤原時平が新帝としめしあわせている疑いをもっていた。宇多天皇はそのために譲位式後にわざわざ清涼殿に隣接する殿舎(弘徽殿は温子の直廬であるから、温子は当日別の殿舎に移っていたか、里第に退下していた)に入御されたと思われる。
 『九暦逸文』(藤原師輔)によると皇位継承当日七月三日の夜、皇太夫人班子女王は娘の為子内親王とともに参内した際、穏子(13歳醍醐と同年齢)がともに参入してきたので、班子女王の命により宇多上皇が穏子の参入を停めたという。どうやら穏子は寝所近くまで入ってきたので、班子女王が待機状態にあった上皇を呼びだし、上皇御自ら実力阻止行動に出るというドタバタ劇があったようだ。また昌泰二年妃為子内親王が薨じた際、皇太后班子女王は「為子の産褥死は穏子の母にあたる人康親王女の怨霊が祟りをなした」という浮説を理由に執念深く穏子入内を禁じたという。その後穏子の兄、左大臣藤原時平が謀をめぐらして穏子を参入させてしまった。宇多法皇は怒気をあらわしたという。記者の藤原師輔は皇太后藤原穏子の中宮大夫を歴任しており、太后に取り入って娘の安子を成明親王(村上)に納れることに成功していることからみて、これは伝承というよりも后本人か近侍する女官から直接きいた可能性もあり疑う余地のない事実である。
 結果論でいえば、妃為子内親王が昌泰二年に薨じたことが、穏子にとって幸いだった。この年の二月、時平・道真左右大臣二頭体制がしかれたが、道真の奏請宣行は他の公卿が公事をボイコットする事態を招いた。焦った宇多法皇は昌泰三年正月の朱雀院朝覲行幸の折、天皇と談合のうえ道真に関白の任を授けんとしたが、道真が固辞して実現しなかった。同年四月睨みをきかしていた班子皇太后も崩御になられ、同年十一月三好善行が道真に辞職勧告の書状を送っている。そこで問題となる翌延喜元年正月の菅原道真と右近衛中将源善の追放事件だが、戦前は道真は忠臣であるから冤罪とされてきたが、近年では法皇の側近源善が醍醐退位斉世親王擁立の企てに道真を誘ったというのは事実とみるのが普通になっているようだ。法皇の影響力は決定的に低下し、同年三月穏子は晴れて女御となったのである。
 この一連の事件をどう解釈するか。敦仁親王(醍醐)立坊、宇多譲位の目的についても議論の分かれる問題で単純ではない。醍醐の生母は藤原高藤女胤子で寛平八年に薨じているが、外祖父の高藤は北家冬嗣流の傍系(良門流-勧修寺流)で権勢家でなく無難な人物である。基経薨後の藤氏長者は良房の異母弟の良世で、長く藤原明子の皇太后大夫の職にあり、良房に追従し警戒されることもなく長命でもあったので、傍系でありながら廟堂首座左大臣にまで昇進したという人物である。北家嫡流の時平は有能だがまだ若年で「摂関権力」の中だるみ状況がみられる。そうしたことから、多数説は反摂関路線とみなす見解であり、女御藤原温子に皇子が誕生しないうちにさっさと譲位したいとという宇多天皇の思惑があったのかもしれないが、そうではなく摂関家との協調体制とみる角田文衛説の方が無難な見解だと思う。藤氏としても敦仁立坊は温子に皇子が生まれない以上次善の選択であり、およそ摂関家の協力なくして安定政権は望めないし、そのために東宮大夫に時平を任じたものとみてよい。たぶん角田文衛の推測するように敦仁立坊の時点でパイプ役の尚侍藤原淑子を通じて元服後の穏子入内が了解されていたと思う。ところが、班子女王がこれを反故にして娘の為子内親王を強く推した。たぶん中宮班子女王が反摂関復古維新強硬路線の主導者で宇多や道真は中宮の意向に引きづられていったのだろう。寛平八年、唐突にも皇太后藤原高子が八年も前の御願寺東光寺僧善祐との密通の疑いを口実にして后位を廃され、くすぶっていた陽成上皇の復僻運動あるいは貞数親王の擁立運動を封じたことにより、中宮は俄然強気になった。(もっともこの事件は空位をつくるための便宜的なもので、皇室と藤氏の思惑が一致した-宇多上皇は温子の皇太夫人号に当初反対したようだが、藤原氏としては醍醐養母温子の皇太夫人号中宮職附置は譲れない一線で、高子の側近、皇太后宮大夫国経は「お人好し」でもあったため后位を退いてもらった-のかもしれない)藤原氏側はまさか年長の伯母を妃となすとは思いもよらなかったが、穏子は13歳といっても聡明な女性であり摂関家の命運にかかわる事の重大さを承知していて、それゆえ果敢にも副臥をめぐって為子内親王と張り合おうとしたのだろう。

*1角田文衛「藤原高子の生涯」「良房と伴善男」『王朝の映像』東京堂出版 1970
*2武野ゆかり「中宮職補任-藤原順子・明子・高子の場合」『神道史研究』29-3 1981
*3萩谷朴『平中全講』
*4目崎徳衛「関白基経」『王朝のみやび』吉川弘文館 昭和53年所収
*5 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理』吉川弘文館 1986 

藤原穏子については角田文衛「敦仁親王の立太子」『王朝の明暗』東京堂出版1977、「太皇太后藤原穏子」『角田文衛著作集第6巻』法蔵館 昭和60等からも引用している。

藤原安子①村上后②右大臣藤原師輔③藤原盛子⑤冷泉天皇、円融天皇、為平親王、承子内親王、輔子内親王、資子内親王、選子内親王⑥延長五年⑦天慶三年四月婚儀(成明親王立太子より前)、同年八月、従五位下。同九年五月、女御、従四位下。天暦十年、従二位。天徳二年立后(中宮職附置)、康保元年四月崩御38歳⑧天慶三年14歳

昌子内親王(三条太皇太后・観音院太后)①冷泉后②朱雀③女御凞子女王④冷泉の従姉妹⑥天暦四年八月十日『類聚符宣抄』  ⑦袴着-天暦六年十一月廿八日『吏部王記』  裳着-応和元年十二月十七日『日本紀略』 三品に叙せられる。入内-応和三年二月廿八日東宮憲平親王の元服加冠の儀当日*1、康保四年立后(中宮職附置)、但し、天皇と殆ど同殿せず里第に御す。天禄四年皇太后(皇太后宮職附置)、寛和二年太皇太后(太皇太后宮職附置)、長保元年十二月崩御50歳⑧応和三年二月皇太子が元服を加えた当日13歳(満11歳)
 
藤原媓子(堀河中宮)①円融后 ②関白藤原兼通③昭子女王⑥天暦元年⑦天延元年二月、入内。天禄四年立后(中宮職附置)、天元二年六月崩御33歳⑧天延元年27歳

藤原遵子(四条宮、「素腹后」)①円融后②関白藤原頼忠③厳子女王⑥天徳元年⑦天元元年、入内、女御。天元五年立后(中宮職附置)、永祚二年中宮より皇后宮(この時点で円融上皇は在世。太上天皇妻后でも皇后。実資は「往古聞かざる例」としているが、帝母でない前代以往の天皇の妻后は皇后と称するのが令意に叶ったあり方なのである。これは嫡妻権限の明確な中国、近代日本の制度と異なる。)、長保二年皇太后、寛弘九年太皇太后、寛仁元年六月崩御61歳⑧天元元年17歳

藤原詮子①円融女御②摂政藤原兼家③藤原時姫⑤一条天皇⑥応和二年⑦天元元年、入内、女御。寛和二年三月正三位、同年七月立皇太后〈女御から直接皇太后に上った初例、中宮藤原遵子と地位逆転、遵子は詮子の口さがない女房から「素腹后」とあざけられた『大鏡』〉、正暦二年后位を退き院号宣下・東三条院〈女院制度の初例。初期の女院は帝母に限られ太上天皇に准じ后位に勝るとも劣らぬ顕位で宮廷で求心力を有した〉。長保三年閏十二月崩御40歳。⑧天元元年17歳

藤原定子①一条后②関白藤原道隆③高階貴子⑤脩子内親王、敦康親王、もう一方内親王⑥貞元二年⑦永祚二年正月入内、同年二月女御、従四位下、同年十月立后(中宮)〈四后宮並立の初例〉、長保二年二月皇后宮〈転上と記すのが通例だが、中宮より非帝母の班位でもある皇后宮へ異動させられた〉長保二年十二月崩御24歳⑧永祚二年14歳、琵琶、歌をよくし、『枕草子』著者清少納言の景仰せし女性。

藤原彰子①一条后②摂政藤原道長③源倫子④一条の母方いとこ⑤後一条、後朱雀⑥永延二年⑦長保元年二月従三位、十二月入内して女御、長保二年二月立后(中宮)〈一帝二妻后の初例〉、寛弘九年皇太后、寛仁二年太皇太后、万寿三年院号宣下・上東門院、承保元年十月崩御87歳⑧長保元年十二月女御12歳

藤原妍子(枇杷太后)①三条后②摂政藤原道長③源倫子④三条の母方いとこ⑤禎子内親王⑥正暦五年⑦長保五年二月著裳、寛弘元年十一月尚侍、寛弘七年正月、従二位、同年二月東宮に入侍、同八年八月女御、同九年二月十四日立后(中宮)、寛仁二年皇太后、万寿四年九月崩御34歳⑧寛弘七年17歳

藤原娍子(宣耀殿女御)①三条后②大納言藤原済時③源延光女⑤小一条院敦明親王、敦儀親王、敦平親王、師明親王、当子内親王、⑥天禄三年⑦正暦二年十二月一日東宮に入侍、寛弘八年八月女御、従四位下寛弘九年四月廿七日立后(皇后宮)、万寿二年三月崩御54歳 ⑧正暦二年19歳。三条天皇居貞親王の最初のキサキは外祖父兼家の三女尚侍藤原綏子で永延元年東宮に入侍し(時に太子12歳、綏子15歳)寵幸渥かったが、後に源頼定との密通事件により、東宮を去った。第二のキサキが藤原娍子である。正暦二年、太子は宮中に出入していた夜居の僧から世間の話を聞かれていたが、談たまたま箏のことに及んで、村上天皇がかつて箏を藤原済時に伝えられ、済時の女娍子が父よりこれを伝授して、秘曲を究めているとのことを聞かれた太子の意は動き、志を通じせしめた。栄達の道が閉ざされていた如くのようだった済時は東宮の旨を受けて大いに喜び、命を奉じて娍子を東宮に納れた。これは太子の発意による成婚で、時に太子16歳、娍子19歳であった。娍子は宣耀殿に住し寵を得てときめいたが、長徳元年、関白道隆は二女原子中姫君を太子の宮に入れた。時に太子20歳、原子15歳。娍子は関白娘の威光に押され気味であったが、原子は後に頓死する*2。
 寛弘七年、伊周が薨じて道長が権勢を独占したため、二女妍子が東宮に入った。太子36歳、妍子17歳。寛弘八年三条天皇が即位して、天皇は既に六人皇子女をもうけていた娍子立后を左大臣道長に打診したが、露骨に妨害されたうえ、妍子を中宮に冊立した。それでは収拾がつかなくなったので、一条朝の例に倣い一帝二妻后として娍子も皇后宮に立つることとなった。

*1 河村政久史「昌子内親王の入内と立后をめぐって」『史叢』17 1973
*2  竜粛 『平安時代』春秋社1962

藤原威子(大中宮)①後一条后②摂政藤原道長③源倫子④後一条の母方おば⑤章子内親王(後冷泉后)、馨子内親王(後三条后)⑥長保元年⑦寛仁二年立后(中宮)、長元九年九月崩御⑧寛仁二年19歳 帝より九歳年長

藤原嬉子①後朱雀(東宮妃)②摂政藤原道長③源倫子③後朱雀の母方おば⑤後冷泉天皇⑥寛弘四年⑦寛仁二年尚侍、同三年従三位、治安元年東宮に入侍、万寿二年八月に19歳の若さで薨、贈正一位、のち贈皇太后 ⑧治安元年15歳

禎子内親王①後朱雀后②三条③中宮藤原妍子④母方いとこ⑤後三条天皇、良子内親王、娟子内親王⑥長和二年⑦長和四年准三宮、治安三年裳着、一品に叙される11歳、万寿四年東宮妃、長元十年二月十三日立后(中宮)、長元十年三月一日中宮より皇后宮へ、永承六年二月十三日皇太后、治暦四年四月十七日太皇太后、治暦五年二月十七日院号宣下・陽明門院、寛治八年正月崩御82歳⑧万寿四年16歳

藤原嫄子(もと嫄子女王、弘徽殿中宮)①後朱雀后②関白藤原頼通養女、実父敦康親王③具平親王王女⑦長暦元年入内、女御、従四位下、長元十年三月一日立后(中宮)、長暦三年八月崩御24歳、殊寵あり。⑧17歳

章子内親王①後冷泉后②後一条③中宮藤原威子④父方も母方もいとこ⑥万寿三年⑦長元三年十一月、一品、准三宮、長暦元年十二月東宮妃、永承元年立后(中宮)、治暦四年四月十七日皇太后、延久元年太皇太后、延久六年院号宣下・二条院〈非帝母女院の初例〉、長治二年九月崩御80歳⑧長暦元年11歳

藤原寛子(四条后)①後冷泉后②関白藤原頼通③藤原祇子⑥長元九年⑦永承五年十二月入内、女御、従四位下、永承六年二月立后(皇后宮)〈頼通は中宮を望んでいたが、聡明な章子内親王が中宮を譲らなかった『栄花物語』〉、治暦四年四月十七日庚午海やより中宮へ、延久元年皇太后、延久六年太皇太后、大治二年八月崩御92歳⑦15歳

藤原歓子(小野皇太后)①後冷泉后②関白藤原教通③藤原公任女⑥治安元年⑦永承二年十月入内、同三年七月女御、同六年頃から参内せず、小野山荘に籠居、治暦四年四月十七日立后(皇后宮)『扶桑略記』に宣命によらず宣旨によったとされ変例。承保元年皇太后、康和四年八月崩御82歳、容姿艶麗にして琵琶、画に巧み。白河上皇の雪見行幸は歓子の心尽くしの饗応で世に著聞す⑧27歳

2009/08/27

東京都水道局における労働組合の「頭上報告」

   国労札幌地本ビラ貼り事件判決(最高裁第三小法廷昭和54・10・30『労働判例』329)の意義は、プロレーバー学説の、受忍義務説と違法性阻却説を明確に否定したことにある。つまり使用者の企業秩序定立権を前提として企業内組合は、企業の物的施設を組合活動の主要な場とせざるをえないなどという理由で、無許可の施設利用を受忍する必要はないということである。
東京都では平成15年のながら条例改正で、勤務時間内組合活動の無給化が拡大され、大勢の組合員がおしかけて、所長をどなりつけたり吊し上げ大会をやるようなことは以後みていないし、頭上報告の賃金カットもやるようになったとされているが、国労札幌地本ビラ貼り事件判決の趣旨からすれば職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため全水道東水労の書記長会議報告を容認しておく必要はないわけです。賃金カットしたって、高額の組合費を収奪しているからこたえるものではないし、就業・解散命令を発出して演説を中止させるべきである。というのは、これは単なる雑談ではなく、勤務時間内職場離脱の集会への指令、単に報告でなくオルグ演説があり、ストライキをあおり、あるいは、支部の中で組合の職務統制(組合の指示する非能率的な業務遂行のやり方)に従わない職場があったから断乎糾弾するとか職員を威嚇したり、オルグ活動では非組合員は利敵行為だから許さないとか、敵意をもって攻撃的言動もあるわけです。私のような組合の職務統制に反対の人間にとっては囚われの聴衆になって攻撃的言辞を聞かされるわけですから敵対的職場環境になるわけです。
 職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢にふさわしくない言動がチェックされることはない、職場離脱の指令を出したり、闘争をあおったら中止させるとかそういうことならまだいいんですがか、ノーチェックだし、掲示板だってノーチェックです。「闘争宣言」とか「ストライキで闘うぞ」というようなビラなども堂々と日常貼られるわけである。
 組合掲示板だから何でも勝手に貼ってよいというのはおかしい。というのは郵便局の組合活動の判例をみていくと、管理職が「闘争宣言」の掲示を問題視している。東京都の管理職にそういう発想はない。これは全労連系の少数組合の掲示板の例だが赤旗に激と大きな字が書かれたものを貼っている例があるが、日常歩く廊下に赤旗があるのは刺激的で適切なものとは思えない。しかし、ノーチェックが慣行になっている。
 本日も9時から20分書記長会議報告というのがあって、「頭上報告」といわれるもの。今月2度目ですが、地方も人事院勧告の期末手当削減にならっていく方針には大衆運動で闘うと述べ、大衆運動(職場離脱種集会)への参加を呼びかけてました。闘争に巻き込むための演説ですから。又、定番の悉皆研修(汚職と情報セキュリティ)については参加しなくても不利益がないことを確認した云々とか演説し、あたかも研修も組合が仕切っているかの印象を与えた。また防災訓練の自衛隊参加反対、また30日の衆院選挙は××党か××党への投票を呼びかけていましたが、これだって××党でない政党の支持者もいるかもしれないから不愉快に思う人はいるはず。

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2009/08/26

カード ピケッティング問題2 合衆国その1 ヒッチマン判決とアメリカ鉄鋼会社判決

これはカードですからまとまった作文の前のネタ集めです。引用・もしくは言い換え、要約とと自分の意見を記している。

 ピースフルピケッティングをも認めない見解

Atchison.T.and S.F.Ry.Co,V.Gee,139 Fecl;582,584(Cir.CT.Iowa,1905.)
 「平和的ピケットなるものは存在しないし、又存在し得ない。丁度高雅な卑俗とか、平和的暴動とか、合法的私刑とかがあり得ないのと同様である。談合したり、説得したり、説得したりする場合はピケット・ラインなどは設けるべきではない。」

Vegelahn v. Guntner 167 Mass. 92, 44 NE 1077 (1896)
「ピケ・ラインをはることは必然的に身体に対する侵害を含み、それが適法な争議の目的のため行われても違法である」(マサチューセッツ州最高裁)
ホームズが反対意見を記した著名な判例。
古西 信夫「英米のピケッティング」『立正法学』 7(1~4) [1974.03.00] 

ピケット・ラインを張る行為を違法とする判例

 組合不在企業へのオルグ活動を経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとものとしてレイバーインジャンクションを支持した名判決として1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229  http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlがあります。
 ウェストヴァージニア州にあるヒッチマン炭坑会社Hitchman Coal & Coke Coは1903年に労働組合が組織されたが3回にわたるストライキで組合は敗北し、1907年に鉱夫たちは「会社に雇われている間は労働組合に加入しません。それに違反した場合は労働契約は終了したものとみなされて異議ありません」といういわゆる黄犬契約に署名させられたが、アメリカ炭坑労働組合は非組合化が他の州の鉱夫の労働条件に影響するため、組織化にのり出した。ストライキ手当を用意し、密かに組合加入をさせながら、会社に組合承認の要求を突きつけた。
 対してヒッチマン炭坑会社は、「組合化のために会社に強制して会社と被用者の関係に干渉する差止める」ことを裁判所に求め、1907年に仮差止命令、1908年に中間的差止命令、1912年に永久的差止命令が出されたが、これに対する抗告があり1914年こに原審がくつがえされたが、1917年連邦最高裁は第一審の差止命令を是認した(有泉亨「物語労働法13第11話レイバー・インジャクション2」  『法学セミナー』188号1971年9月)

 ピットニー判事による法廷意見は労働組合が黄犬契約の存在を知りながら会社に対してクローズドショップ協定を結ぶよう強要するため、労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断を下した。(水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年
 この判決では組合員が黄犬契約を破棄して組合に加入するよう説得するためピケ・ラインを張ったその行為に対し、「ピケ・ラインをはること自体脅迫であり違法である」としている。司法が正常だった時代のひとつの判例であります。契約の自由の観点でもこの時代に戻るのが最善です。

出入口に2人以上のピケを違法とし、1人だけでも悪口・脅迫・つきまといは違法とした著名な判例
 
 ピケに対してかなり厳しい判決だが、全面的否認ではないものとして1921年のアメリカン・スチール・ファンダリーズ対三都市労働評議会判決AMERICAN STEEL FOUNDRIES v. TRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCIL, 257 U.S. 184 (1921http://altlaw.org/v1/cases/395490
を取りあげる。
 これは1914年職能別組合が賃上げのためストライキを宣言したが呼応した従業員はごく少数のため、組合役員がピケに立ったところ、原告会社はTRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCILと14人の個人を相手に、「会社がその業務を行うために熟練工を保持しまたは獲得することを妨げてはならない」いうインジャンクションを求め、第一審は1914年6月永久差止命令を出した。差止の内容は脅迫的言動をすること、原告の被用者または被用者たろうとする者を妨げること、原告の工場の前もしくは近くで、または原告の工場の通路で一人または多数の見張りをおいてピケットをつづけることであった。組合側が上訴したが、結局1921年末に最高裁によってレイバーインジャンクションが支持された。(有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971
 法廷意見は新任のタフト主席判事(元大統領)が執筆したが、AFL終身会長のサミュエル・ゴンパースが「労働者のマグナカルタ」と絶賛した1914制定クレイトン法の第20条を実質死滅させた反労働組合判決として著名である。 クレイトン法、第20条は次のように規定する「裁判所は雇用者の財産あるいは財産権に弁償不可能な損害が及ぶことを防止する以外は、雇用者と被傭者の間の争議について、この条文に列挙された平和的・合法的な行動に対してインジャンクションを発することはできない」
 一読して組合活動を広範に容認し、差止命令を禁止しているようにも読めるが、しかし何が財産権なのか、いかなる行動が「平和的」「合法的」かは裁判所が判断するのである。
 タフト主席判事はクレイトン法第20条がいうインジャンクション禁止規定は、レイバーインジャンクションを扱う際の「裁判所の衡平法判断に対しいかなる新しい原理を付け加えるものではない」と言ってのけた。
 (紀平英作『ニューディール政治秩序の形成運営の研究』京都大学学術出版会1993 83~85頁参照)
 しかし判決をよく読むとピケッティング自体が違法ではなく、工場の出入り口付近に人を配置することを否定していない意味で、全くクレイトン法を無視したものではないと解釈できるので不満が残るところであるが、相当に反労働組合の判決であって、レイバーインジャンクションを支持し組合活動に厳しい姿勢を堅持し、実質クレイトン法20条を叩き潰したと評価されている意味で高く評価して良いと思う。
 ピケッティングについて判決は次のように述べている。

引用は(有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971)

 「工場の行き来に、他人の同様の権利と衝突しない限り労働者は妨害されることなく自由に道路を歩く権利がある。一方社会人が他人の行為に影響を与える目的で平穏に話しかけ、意見を交換するよう申し出ることは、その他人の権利に対する攻撃ないし侵害とはならない。しかし、その申し出が正当に拒否された場合には、しつっこくねばり、追随し、跡をつけることは、不当な妨害であって、ともすると脅迫になりがちな行為である。人はこのような行為から自由である権利を有し、その人の雇い主は彼を自由ならしめる権利を有する」
In going to and from work, men have a right to as free a passage without obstruction as the streets afford, consistent with the right of others to enjoy the same privilege.
We are a social people and the accosting by one of another in an inoffensive way and an offer by one to communicate and discuss information with a view to influencing the other's action are not regarded as aggression or a violation of that other's rights.
If, however, the offer is declined, as it may rightfully be, then persistence, importunity, following and dogging become unjustifiable annoyance and obstruction which is likely soon to savor of intimidation.
From all of this the person sought to be influenced has a right to be free and his employer has a right to have him free.

「従業員または従業員になろうとするものに対するしつっこい妨害が、営業の場所に近ければ近いだけ、使用者の営業に対する権利、特に労働市場への接触という財産の権利に対する妨害は大きくなる。このような近くでこの種の議論が行われるとなれば、物見高い、あるいは利害関係を持つだろう通行人の注意を引き、人がむらがる。かくして妨害の程度は増大し、脅迫の様相を呈するであろう。本件においては、四人ないし一二人で構成されるピケットのグルーブが三つもしくは四つでピケット・ラインを形成した。電気工、クレー掛、機械工、鍛冶などの関係組合から数人のピケッターを出し、暴力の行使が起こった。これが三週間つづいた。このような状態の下でなされた情報の提供、議論の申し入れ、説得などはすべて威圧以外の何ものでもない。このような場所と状況の下で平穏な意見の交換を云々することは馬鹿げている。グループでやるピケットの人数が脅迫を構成する。ピケットという言葉そのものが戦争的目的を含んでいて平穏の説得とは両立しがたいみのである。一、二の暴行が行われたということが全運動を性格づけ、指導者がいかに真剣に平穏の説得を指令してみても、暴行が脅迫的効果をもたらすのである。‥‥‥この種のピケットを差し止めることができるというのがわれわれの結論である。」
The nearer this importunate intercepting of employees or would-be employees is to the place of business, the greater the obstruction and interference with the business and especially with the property right of access of the employer.
Attempted discussion and argument of this kind in such proximity is certain to attract attention and congregation of the curious, or, it may be, interested bystanders, and thus to increase the obstruction as well as the aspect of intimidation which the situation quickly assumes.
In the present case the 3 or 4 groups of picketers, were made up of from 4 to 12 in a group.
They constituted the picket line.
Each union interested, electricians, cranemen, machinists and blacksmiths, had several representatives on the picket line, and assaults and violence ensued.
They began early and continued from time to time during the 3 weeks of the strike after the picketing began.
All information tendered, all arguments advanced and all persuasion used under such circumstances were intimidation. 
They could not be otherwise.
It is idle to talk of peaceful communication in such a place and under such conditions.
The numbers of the pickets in the groups constituted intimidation. 
The name 'picket' indicated a militant purpose, inconsistent with peaceable persuasion.
The crowds they drew made the passage of the employees to and from the place of work, one of running the gauntlet.
Persuasion or communication attempted in such a presence and under such conditions was anything but peaceable and lawful.
When one or more assaults or disturbances ensued, they characterized the whole campaign, which became effective because of its intimidating character, in spite of the admonitions given by the leaders to their followers as to lawful methods to be pursued, however sincere.
Our conclusion is that picketing thus instituted is unlawful and can not be peaceable and may be properly enjoined by the specific term because its meaning is clearly understood in the sphere of the controversy by those who are parties to it.

 この判例によってピケットは工場、事業場の出入口ごと一人に限定されるべく、その一人も悪口、脅迫にわたってはならず、嫌がる者に追随してはならない。また工場などの近くにぶらぶら歩きをしてはならないという判例法が成りたち、それに違反すればインジャンクションで差し止められることになった。

 

2009/08/23

カード ピケッティング問題1

 ピケッティングについては少なくともイギリス並みの規制立法(6人以下の平和的なものに限る)を提案する。これは就労の権利、団体行動に加わらない消極的権利の確立が第一の理由ですが、ニューサンス、脅迫、業務妨害の規制というだけでなく、今後、公務員の労働基本権付与が現実となっていくと、市場からの抑制要因が欠如している公益事業において、規制がない限り官公労は悪質なストをやる可能性が高いです。争議行為の態様についての規制立法が絶対必要になってくるという見込みからであります。
 そもそもサッチャー政権が誕生したのは1978~79年の「不満の冬」と呼ばれるストライキで国民が多大な被害を被ったことによる労働組合への反発だった。1979年に労働組合員はピークに達し、約1300万人が組合員となるとともに、公務員の労働組合NURUが戦闘的になった。1978~79年の「不満の冬」とは主として公共部門労働組合の横暴を指すものである。基軸産業の組合が大きな賃上げ合意をしたため、公務員もそれに続こうとし、78年12月,地方自治体現業労働者は40%の賃上げを要求した。1979年1月貨物自動車とタンクローリーの運転手が25-30%の賃上げを求めてストライキにはいった。1月22日,150万人の公共サービス労働者が24時間ストライキにはいった。
 水道労働者,救急車の運転手,下水労働者,ゴミ収集人たちは皆仕事をやめた。リバプールでは,墓掘り人が死体埋葬を拒否したので死体が積み重ねられたままにおかれ,大きな非難を巻き起こした。公共サービス労働組合の3つが穏当な9%プラス週当たり1ポンドで妥結したが,賃上げ要求が統制を失い5%という政府の基準は完全に無視されていた。給食婦のストで50万人が学校にいけなくなった。ゴミは山のようになって積まれたままで収集されずに散乱、それは市民が忘れることのできないひどさだった。しかも労組は要求が通るまでストを続けると宣言、厳しい冬で生活を痛撃された市民に深刻な社会不安を惹起させ、ピケによる暴力沙汰は市民を憤激させたのである。労働組合が強かった一つの理由として、大量動員ピケット、二次的争議行為を規制していなかったことがある。当時労働党キャラハン政権であるが、保守党より5ポイントリードしていた支持が逆に20%リードを許した。
 このように国民が労働党政権を見限った状態でサッチャーが登場した。
 
 そこで保守党サッチャー政権の1980年雇用法では、ピケッティングについて「組合員自身の労働場所あるいは解雇前の労働場所の外で、六人以下の平和的なものに限る」とし、フライングピケット(ピケット隊)、マスピケッティング(大量動員ピケ)二次的ピケッティング(直接雇用関係のない例えば炭坑ストを支援するために、発電所への石炭の搬入を阻止するなどのピケ〕を禁止した。更に免責の対象となる争議は紛争当事者とその使用者のものに限られるとし、直接雇用関係のない同情ストは保護対象から外した。
 組合のとっていた戦術のほとんどが、民事免責の対象から外され、使用者による差止請求と損害賠償請求から逃れられなくなった(註1)。

引用註1 家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(2)完 : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」『名古屋大學法政論集』 v.169, 1997, p.153-195

 更に1988年雇用法において労働組合員の個別的権利が拡大され、スト投票が正当に行われない場合はもちろん、多数の組合員が賛成した場合でも、ストライキに参加することを不当に強制されない権利と組合運営に訴訟を起こす権利、スト実施中に就労したり、ピケット・ラインを越えた場合でも労働組合によって制裁されない権利、組合会計記録の閲覧権、チェックオフの停止権が規定され、労働組合の組織としての統制を制限した。
 1990年雇用法では労働組合が労働市場を独占する要因になっていた事前加入クローズドショップと二次的争議行為が禁止され、非公認ストライキの組合の責任を拡大した(註2)。
 
引用註2 田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房2007年 95頁以下

 1997年に政権が交代し労働党ブレア政権では、保守党政権時代のいくつかの労働政策を変更している。
 例えば、組合承認の法的手続きは1980年に保守党政権によって無効とされ、経営者は組合弱体化の戦略として組合否認・団体交渉拒否の流れとなった。組合の承認は労使関係の当事者の任意となったわけだか、この政策により団体交渉より個別主義へのパラダイム転換が明確になったのである。しかし労働党は労働組合の要望に応え、1999年雇用関係法でに新しい組合承認手続きを制定している。
 またメジャー政権は1993年に産業別の最低賃金を設定していた賃金審議会が廃止されたが、労働党政権で1998年に最低賃金法、1が制定され、1999年全国一律最低賃金が導入された。
 またメジャー政権はEU労働時間指令を受け容れなかったが、ブレア政権は1998年に週48時間規制などを規定したEU労働時間指令を受け入れ法制化した(但し同時に、本人が署名すれば長時間労働ができる形態「オプト・アウトも導入された)。
 しかしながら、ピケッティングの規制、二次的争議行為禁止やクローズドショップ禁止、争議行為の投票制度(郵便による秘密投票・第三者の監査を要するといった、保守党政権の労働政策は大部分継承された。
 それはなぜかというと、70年代のストライキのひどさを国民はよく知っているために、いかに労働党といえどもフライングピケットや二次的争議行為を容認していたかつての時代に戻ることは現実的でなく、労働組合活動規制に国民的合意ができているとみてよいだろう。労働政策で大きな揺り戻しを行わなかったことが労働党の政権担当能力を示すこととなったのである。

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入手資料整理10

9123   阿久沢 亀夫「地方公営企業職員のピケッティングの正当性」『法学研究』 44(5) [1971.05.00]
9124佐藤 昭夫「公労法違反の争議行為とピケッティング--横浜郵便局事件」『ジュリスト』  (通号 482) [1971.06.25]
9125浅井 清信「市電の出庫を阻止したピケッティングが正当な行為とされた事例 」『 龍谷法学』 4(1) [1971.10.00] 
9126外尾 健一「 ピケッティング(特集・判例展望)」『ジュリスト』(通号 500) [1972.03.01] 
9127原田 綱夫 今雪 定次郎「ピケッティング等に関する若干の問題(東京高判昭和45.2.9) 」『三重大学教育学部研究紀要』     23(3) [1972.06.00] 
9128 国武 輝久 「ピケッティング--小野田セメント事件(福岡高判昭和45.10.8) (労働法の判例) -- (争議行為)」『ジュリスト』 (通号 増刊) [1972.12.10] 
9129大竹 秀達「ピケッティングの権利 (職場闘争の法律知識(特集)『月刊労働問題』 (通号 182) [1973.04] 
9130水野 勝「政治スト,ピケッティングの正当性--国労宮原操作場事件(大阪地判昭和47.4.11) (労働法(昭和47年度重要判例解説)」『ジュリスト』 (通号 535) [1973.06.05]
9131 香川 孝三「ピケッティング(文献研究・日本の労働法学-8-) 」『 季刊労働法 』 (通号 89) [1973.09.00] 
9132佐々木 俊雄「ピケッティングによる威力業務妨害行為の排除の法的根拠について 」『 警察学論集 』 27(2) [1974.02.00]9133古西 信夫「英米のピケッティング」『立正法学』 7(1~4) [1974.03.00] 
9134総評弁護団 山川 豊 著 田中 敏夫「争議戦術と法律-4-ピケッティングとロックアウトの正当性」 『労働経済旬報 』30(991) [1976.03.11] 
9135春田 吉備彦「ストに伴うピケッティングの正当性と損害賠償請求--自治労・公共サービス清掃組合ほか(白井運輸)事件[東京地裁平成18.12.26判決] (平成18年版 実務に活かす重要労働判例) -- (平成18年重要判例)」『労働法学研究会報』(特別資料号) [2007.12.25]   
9136春田 吉備彦「施設内での組合旗設置行為の正当性と上部団体の責任--全国一般労働組合長崎地本・支部(光仁会病院・組合旗)事件[長崎地裁平成18.11.16判決] (平成18年版 実務に活かす重要労働判例) -- (平成18年重要判例) 」 『労働法学研究会報』(特別資料号) [2007.12.25]   
9137片岡昇等著『ピケッティングの研究』有斐閣 1955 
9718経営史学会編湯沢威編集代表『外国経営史の基礎知識』有斐閣2005
9718仲正昌樹 『学問の取扱説明書』作品社2009
9719日本経済新聞社『イギリス経済再生の真実』2007    9720リチャード・ローティ 小澤照彦訳『アメリカ未完のプロジェクト-20世紀アメリカにおける左翼思想』(仲正昌樹推奨コーナーで買った本)    
9721ドゥルシラ・コーネル 仲正昌樹監訳『イマジナリーな領域』御茶の水書房2006(仲正昌樹推薦コーナーで買った本、セクシャルハラスメント判例の論評もあり資料的価値ある)
9722ハワード・ジン「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史〈上〉1492~1901年」あすなろ書房2009
(著者は左翼の社会評論家だが、資料的価値はあると思って買った)
9723ハワード・ジン「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史〈下〉1901~2006年」あすなろ書房2009

         

2009/08/20

カード ミツミ電機事件 東京高裁 昭和63年・3・31判決その4

 事件5
 ‥‥二二日被控訴人鈴木は、調布工場での組合員の全体集会の際、二四日から坐り込んでも入構を阻止せよと指示、演説した。組合調布支部は、二四日のピケッティングにつき予め、正門の門扉は車による突入を防ぐため一人通れるだけの隙間を残して閉め、スクラムをジグザグに組んでピケッティングを行い、裏門は門扉の開閉をさせないように隊列を組み、他の各門には数名ずつの見張りを要員を置くこととし、表面処理工場屋上に指令塔を置き‥‥また‥‥十数名の組合員が翌朝のピケッティング態勢の確保及び会社のロックアウト警戒のため、二三日午後一一時頃から調布工場食堂に泊まり込み、二四日午前四時三〇分頃構内を巡視に発見され退去を求められたがこれに応じず、更に、被控訴人吉田は、同日午前五時頃、施錠されていた同工場裏門の門扉の脚部を針金で緊縛して開閉を困難にし、次いで、会社が前日裏門内側に設置した「組合事務所及び白線をもって表示した通路以外の立入を禁ずる」旨の立看板をロッカー室室裏側の外壁に裏返しにして立てかけ、目に触れないようにした。
‥‥被控訴人鈴木、同吉田は、同日午前六時頃から集合して来た組合員を正門に約五〇〇名、裏門に約五〇名、その他のコイル各門に各十数名に分けて配置し、その内正面においては‥‥門扉を約〇・五メートルの間隔を残して閉め、その外側に執行委員、中央委員を前面にして約五〇名の組合員ら約四列の同様のスクラムを組んだ。‥‥‥‥列と列の間隔も人がせ身体を触れないでは通れない程度の幅を残すのみであって、門の外側から見て、抵抗なく通過できるようには到底見えないものであった。会社側は午前八時頃から出勤してきた職制、新組合員、非組合員約五〇名を正門斜め向かいの野川対岸空地に集め、午前九時頃、その一部が職制を先頭に縦隊になって正門に至り、入構させめよう要求したが、組合側は全くスクラムを解かず、最前面の組合員らが職制の前に立ちはだかり、更に横から縦隊の間に割って入るなどしながら、口々に「このようになったのは会社が悪いすらだ」「会社が我々の要求を認めるまでは断固闘う」‥‥などと叫び、スクラムを緩める意思のないことを明らかにし、職制らも「ピケは違法だ」「ピケを解け」「就労する権利があるのだから入構させよ」などと言って押し合いをしていたところ‥‥‥‥入構しようしとした職制は、組合員ともみ合いこれを押しのけながらでなければ進めない状態となり、膝で蹴られる等のこともあって、結局職制四、五名が約三〇分かけて入構したが、その余の職制は入構をあきらめ門外に引き返した。
‥‥正門前で、河本工場管理部次長が、以前ミツミ会の所有で当時カメラ同好会が保管していた八ミリカメラを使用してピケッティングの状況を撮影していたところ‥‥カメラは小原〔執行委員〕の手に奪いとられてしまい‥‥会社側は非組合員を入構させることは不測の事態を生じる危険があると判断して、午前一〇時頃に引き揚げ帰宅させた。
‥‥‥‥組合は午前十一時頃からピケッティングの人員を減らし、バリコン工場の三階で集会を行った。午後五時頃から見張りの手薄となった正門から約一〇名の職制及び組合員が入構し、製品を営業者六台に乗せて搬出しようとしたが、知らせを受けて駆けつけた被控訴人鈴木、同吉田ら十数名の組合員が車の前面に立ちはだかるなどして、その進行を阻止し、激論を交わした後、職制は搬出をあきらめ罪にを降ろした。‥‥‥同日は同工場では全く生産のための操業ができなかった。

  
 

カード ミツミ電機事件 東京高裁 昭和63年・3・31判決その3

 まず個別事件を列挙し、裁判所の判断とその問題点は後段で述べることとする。少なくとも事件4において会社側がピケの態様について抗議し、構内のジグザグデモにつては制止、警告を行っている。私は東京都水道局東部第一支所でストライキ時に正面玄関より組合員数百名が隊列を組んでデモするのを見ているがもちろん争議行為に協力的な管理職はいっさい警告も制止もしません。中央支所でも争議期間中の庁舎内に入ってのシュプレヒコールもみているが、もちろん何の警告もない。
 
 労働判例516号より
 事件3
 五月十九日‥‥同日午前一〇時三〇分頃、会社側団交委員長の篠原副社長が所用で退席したため、急きょ、被控訴人鈴木、同吉田、原審申請人小美濃はらは、同日午後からの予定だった全面ストライキを、調布支部においては午前一〇時四五分に繰り上げて行うことに決定し、調布工場・本社所属の組合員数百人を招集したが‥‥爾余の団交委員の退去を阻止して団交の継続に圧力をかけるためも組合員約五〇名を会社の制止を無視して社員通用口から社屋内に導き入れ団交会場である講堂の前の廊下に坐り込ませ、残余の組合員らは、本社中庭で集会を開いて、マイクを用いてシュプレヒコールを続けたうえ、次第に多数の組合員が社屋内に入り込み、これらと退去を求める職制との間に激しい非難の応酬があって喧噪を極め、本社内の執務が困難な状況になった‥‥

 事件4
‥‥五月二〇日午前七時三〇分頃から調布工場正門等でピケッティングを行い、本社前庭で集会を開いてシュプレヒコール等を行い、その後同工場で集会とジグザグデモを行った‥‥同工場のコイル工場屋上時計台に赤旗一本を設置した‥‥同日午前七時三〇分頃から非控訴人鈴木、同吉田、原告申請人小美濃の指揮のもとに約一〇〇名の組合員が、先に入構していた職制、警備員の抗議を無視して、同工場正門の内外にスクラムを組み、出勤してきた職制、新組合員、非組合員らの内十数名を通過入構させたほかは、スクラムを堅くして通路を塞ぎ正常な入構を妨害したこと。また、通常出勤時及び退社時に各三〇分間開門される裏門において、警備員が会社の指示により解錠し開門するや、小美濃が別の南京錠を持ってきて封鎖し、会社側がこれを大型カッターで切断すると、正面にいた組合員の一部が駆けつけて裏門にもスクラムを組んで入構阻止の態勢をとったこと、そのため、通常は出勤する自家用車約五〇台が裏門から入構するはずのところ車二、三台と徒歩の従業員数名が入構したにすぎなかったこと、しかし、組合は午前八時にはピケッティングを打切り、その後は入出構の妨害はなかったこと、右のため、同工場内における非組合員による操業は、通常の始業時刻より二、三〇分遅れて始まったこと、ピケッティング打ち切り後、組合員約一○○名は、被控訴人鈴木及び吉田の指揮のもとに、本社前庭に赴き、同所で約三〇分間集会を行って労働歌を高唱するなどし、その後調布工場に戻って、会社側の制止、警告を顧みず、ワッショイ、ワッショイと喚声をあげつつ、約三〇分間ジグザグデモを行ったこと‥‥赤旗については職制が右被控訴人両名に撤去を求めたが応じなかった。
  
 

2009/08/18

カード ミツミ電機事件 東京高裁 昭和63年・3・31判決その2

組合活動規制について比較衡量論なので労働組合寄りでありワースト判決である。しかし、労働組合寄りの判決でも、これよりも労働組合寄りの「受忍義務論」に立っているのが、東京都の管理職である。従って細かく分析する意味がある。

 もっとも、本件のようないわゆる企業内組合は、企業の物的施設を組合活動の主要な場とせざるをえないことから、争議中においても、もし組合活動に物的施設を利用する必要があるのに(もっとも、単に利用の必要性が大きいということから、たやすく組合側に利用権限が生じたり、企業の側に利用受忍義務が生じたりするものでもない)、使用者の許諾がない限りこれを利用し得ないとするときは、組合活動を困難にし、ひいては労働者の団結権、争議権を実質的に制限することとなる恐れがあるから、争議中の組合の物的施設利用に対する懲戒権の行使の当否を判断するに当たっては、争議の経過、組合・使用者双方のこれに対する対応、物的施設の利必要性の程度、現実の利用の態様、それによって使用者の被る損失等を総合して、当該物的施設の無断利用がなお正当な労働組合活動として是認され得る余地がないか否かを具体的に判断することを要するというべきである。
 本件において、会社が組合又は従業員に会社・施設の無許可使用を禁じあるいは使用の範囲、態様を予めす一般的に定めた就業規則又は労働協約が存する証拠はないが、組合の集会、構内のデモ、泊まり込み、掲示板所定の場所以外のビラ貼付、門、柵、屋上等の赤旗の設置等は明文の禁止規定がなくとも、条理上、会社の所有し管理する権限を侵害するものとして、異なる定めのない限り禁じられると解されるばかりでなく‥‥‥‥
組合は昭和四五年中から、集会、デモ等を会社施設(庭を含む)内で行うときにその都度会社の使用許可を得ており、、四六年春闘においても争議行為が激化するまではそうしていたのであり、例えば調布工場食堂については五月六日から二二日まで昼休みを除く就業時間中組合が使用することが許可され、また本件争議中組合がが社屋に懸垂
幕を垂らすことについては特別に許可を与えられていたことが認められるので、一般的には、会社の建物、庭等を集会、デモ等の目的に使用することについては会社の許可を要し、前記懸垂幕以外の赤旗を設置するごとき行為も禁止に触れるものであることは、組合も知悉していたことが明らかである‥‥ストライキ中、組合事務所以外の会社施設内への立入り、社屋内での泊まり込み等についてはしばしば会社の文書による抗議もなされ、ビラ貼り、赤旗掲揚、泊まり込み等についてはその場で職制、守衛が制止するのを振り切ってなされたことが認められるので、これらの行為は、会社の意思に反してなされたことが明らかである。

2009/08/16

ミツミ電機事件 東京高裁 昭和63年・3・31判決その1

 判例時報516号
 民主党政権で公務員に争議権まで付与される懸念が強い。十分研究する必要がある。本判決は施設管理権の判断(争議中の集会・構内デモ、ビラ貼付、ビラ貼付、赤旗掲揚の各行為)につき国労札幌事件の論理に依拠しつつも、  従来の「受忍義務説」と同じ比較衡量論をとっていることで問題のある判例である。
 またピケッティングの正当性の判断について比較的広くとらえ「少なくとも説得の場を確保するために暴力の行使に至らないかぎりある程度の実力行使で出ることは必要やむをえない措置として容認される。」としたうえで、そのピケの態様対象、それがなされるまでの争議の経過、現実の影響等の諸般の事情を考慮され判断されるべきものとし状況によっては組合に実力行使を容認する問題の多い判例である。

 企業は、その構成員に対し、企業秩序定立、維持のため、企業の所有し管理する物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的な規則をもって定め又は具体的にみ指示命令することができ、これに違反する行為をする者
に対しては、その中止を求め又は規程の定めるところに従って制裁として懲戒権を行使することができるものと解されているところ、企業に雇用されている労働者は、企業の所有し管理する物的施設の利用を予め許容されているとしても、この許容は、特段の合意が内限り、雇用契約の趣旨に従って労務を提供するために必要な範囲において、かつ、定められた企業秩序に服する態様において、利用する限度にとどまるものであり、また、労働組合又はその組合員であるからといって、使用者の許可なしに物的施設を利用する権限を有するものとはいえないのであって、ただ、労働組合又は組合員に対し当該物的施設を利用して組合活動を行うことを許容しないことが当該物的施設につき使用者の有する権利の濫用であると認められるような特段の事由のある場合に限り、許諾なしに物的施設を利用したことを理由に懲戒権を行使することができないものとすると解するのが相当である(最高裁昭和四九年(オ)第一一一八号同五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁参照)

 
 ここまでは決まり文句で問題ないが次から比較衡量論になる。

高金素梅は「靖国襲撃事件」の前日に社民党福島みず穂と会談していた

 ブログなどで知ったことだが、悪名高い、靖国襲撃の反日活動家高金素梅は、その前日に福島みず穂と会っていた。写真もあります。西村幸祐ブログによると偶然、福島と居合わせたことになっているが、甚だ疑わしい、としている。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/125554606.html
http://dogma.at.webry.info/200908/article_2.html

高金素梅一味による靖国神社拝殿突入の英霊冒涜は容認できない

 よーめんのブログで知ったのですが、http://youmenipip.exblog.jp/11726713/
 8月11日中華民国立法委員で靖国神社合祀に反対する高金素梅とその一味約60人が靖国神社拝殿前で示威行為を行い、拡声器で靖国ノーなどと絶叫、集団が奇声を発し大声をあげ、放歌高吟する騒動ばかりでなく賽銭箱を超えて拝殿に突入しそれを阻止する神社関係者をけがさせたとの報道があります。http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090811/crm0908111648013-n1.htm
 その映像がユーチューブにアップされてますがひどいものでこのような冒涜を容認できません。、高金素梅は今月7日から11日までの予定で来日し、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」シンポジウムを開催。8日には中国人強制連行殉難者合同慰霊祭http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090808-00000011-maip-sociに出席し、9日にも東京・上野でデモ行進をしていた。
 行動する保守の西村修平氏、せと弘幸氏、桜井誠氏らがこの動きに抗議活動を行っていた。

 日本・沖縄・韓国・台湾の各靖国反対共同行動委員会が主催する「2009平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」http://www.youtube.com/watch?v=loW2j8OfZTk
 (警官に取り囲まれながらも抗議活動を行う桜井誠氏)
 
 芝公園23号地(東京タワー真下)での追悼集会に対する抗議活動の愛宕署警備に抗議する西村修平氏--(但し私は署長との面会を2名に制限したのは当然で、署長出てこいと怒鳴る西村氏に対するコノヤローと言う警察署員の態度が悪いとは思わない)
 http://www.youtube.com/watch?v=IMqUrHMsI7w&feature=related

   このあと国会での社民党の請願受付にも抗議活動が行われた。
 

   台湾代表処前の抗議活動
 http://www.youtube.com/watch?v=4M8FOaGa3TI
 (親台湾サークルの保守文化人も批判する西村修平氏)

カード 組合活動-施設管理権関係判例

ケース
国労札幌地本事件・最三小判昭54・10・30(ビラ貼り×)-指導判例
三菱重工業事件・東京地判昭58・8・24(無許可職場集会・ビラ貼り×)
全逓新宿郵便局事件・最三小判昭58・12・20(無届職場集会×)
明治乳業事件・最三小判昭58・11・1(昼休み時間中の無許可ビラ配布○)
全逓長崎中央郵便局事件・長崎地判昭59・2・29(無許可職場集会×)
和進会事件・京都地判昭59・7・5(ビラ貼り×)
全逓城東郵便局事件・東京地判昭59・9・6(無届職場集会×)
全運輸近畿支部事件・最高二小判昭60・11・8(出勤簿整理時間にくい込む職場集会×)
北九州交通局労働組合事件・最一小判昭63・12・8(超過勤務拒否闘争×)
全逓城東郵便局事件・東京地判昭59・9・6(無届職場集会×)
済生会中央病院事件・最二小判平元・12・11(職場集会×)
オリエンタルモーター事件・最二小判平7・9・8(職場集会×)
倉田学園事件・最三小判平6・12・20(始業時前の無許可ビラ配布○)

1 国労札幌地本事件・最三小判昭54・10・30『労働判例』329号12頁
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/F7BDE13CC92CFC2A49256A850031202A.pdf
(ビラ貼りを理由とする懲戒処分を適法とした指導的判例)
事件の概要(抜粋)
被上告人Aは、上告人の職員で、札幌駅構内作業掛の職務に従事し、国労札幌支部札幌駅分会の組織部長の地位にあつたものであるが、昭和四四年四月一〇日ころからB助役より組合掲示板以外の施設へのビラ貼付を禁止されていたのにもかかわらず、札幌駅分会の決定に従い、同月一四日午前八時四〇分ころ操連詰所において、他の職員が勤務中であるのに、自己が日常使用しているロツカーの扉の表面に、「一六万五千人の人べらし合理化をはね返そう」及び「七〇年安保にむけ春斗を力つよく斗いぬこう」と白地に青、赤色で各印刷された国労作成のビラ二枚を並べて貼付した。そして、ちようど同被上告人の右行動を現認した右B助役をはじめC助役、D、E各運転掛らが同被上告人に対し「ビラを貼つてはいけない。」と注意し、貼付された二枚のビラをはがすよう促したが、同被上告人はこれを無視して応じなかつたため、右D、Eの両名がやむなく一枚ずつビラをはがしたところ、同被上告人は、「何をするんだ。組合の財産に手をかけるな。」といつて両名の手からビラを取り戻し、Bらが目前で再三にわたつて制止したのにも構わず、再度前同様の方法でロツカーにビラを貼付したが、その際、Eの肩を押し、あるいはビラをはがそうとしたBの手を払いのける行為におよんだ。被上告人Fは、上告人の職員で、札幌駅構内作業掛の職務に従事し、国労札幌支部札幌駅分会執行委員の地位にあつたものであるが、被上告人Aと同様、札幌駅分会の決定に従い、同月一四日午前八時四〇分ころ前記操連詰所において同所備付けのロツカーの扉の表面に国労作成のビラを貼付しようとし、これを認めた前記のB、Cらから「ビラを貼つてはいけない。」と再三ビラ貼りを中止するよう指示されたのにこれを全く無視し、被上告人Fはじめ一〇名の国労組合員である上告人の職員が同職場において日常使用することを許されているロツカー合計一〇個の扉の表面に、札幌地本に委託されたと称し、被上告人Aが貼付したと同内容のビラあるいは「新賃金三万三千円要求をストでたたかいとろう」、「ストで大幅賃上げ獲得首切り合理化粉砕」などと印刷されたビラをロツカー一個に二枚ずつ(ただし、一個について一枚のみのものがある。)を並べて、合計一九枚を紙粘着テープで貼付した。
  更に、被上告人Fは、同月一六日の午前八時四〇分ころにも、前記場所において前同様の方法で備付けロツカーにビラを貼付し始め、これを発見したB、Cらが同被上告人に対し「ビラを貼つてはいけない。はがしなさい。」といつて再三にわたつて制止したのに、「貼つて何故悪いのだ。当然の権利だ。」と返答し、Bらが貼付されたビラをはがそうとすると、「組合のものにさわるな。」といいながらBらの手を払いのける行為におよび、結局、札幌地本に委託されたと称し、国労の組合員である三上潔操連掛ら三名の者が職務上使用を許されているロツカー三個の扉の表面に各二枚ずつ並べて合計六枚のビラを前同様の方法で貼付した。(後略)

判断(一部略)-思うに、企業は、その存立を維持し目的たる事業の円滑な運営を図るため、それを構成する人的要素及びその所有し管理する物的施設の両者を総合し合理的・合目的的に配備組織して企業秩序を定立し、この企業秩序のもとにその活動を行うものであつて、企業は、その構成員に対してこれに服することを求めうべく、その一環として、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的に規則をもつて定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する行為をする者がある場合には、企業秩序を乱すものとして、当該行為者に対し、その行為の中止、原状回復等必要な指示、命令を発し、又は規則に定めるところに従い制裁として懲戒処分を行うことができるもの、と解するのが相当である
 ところで、企業に雇用されている労働者は、企業の所有し管理する物的施設の利用をあらかじめ許容されている場合が少なくない。しかしながら、この許容が、特段の合意があるのでない限り、雇用契約の趣旨に従つて労務を提供するために必要な範囲において、かつ、定められた企業秩序に服する態様において利用するという限度にとどまるものであることは、事理に照らして当然であり、したがつて、当該労働者に対し右の範囲をこえ又は右と異なる態様においてそれを利用しうる権限を付与するものということはできない。また、労働組合が当然に当該企業の物的施設を利用する権利を保障されていると解すべき理由はなんら存しないから、労働組合又はその組合員であるからといつて、使用者の許諾なしに右物的施設を利用する権限をもつているということはできない。もつとも、当該企業に雇用される労働者のみをもつて組織される労働組合(いわゆる企業内組合)の場合にあつては、当該企業の物的施設内をその活動の主要な場とせざるを得ないのが実情であるから、その活動につき右物的施設を利用する必要性の大きいことは否定することができないところではあるが、労働組合による企業の物的施設の利用は、本来、使用者との団体交渉等による合意に基づいて行われるべきものであることは既に述べたところから明らかであつて、利用の必要性が大きいことのゆえに、労働組合又はその組合員において企業の物的施設を組合活動のために利用しうる権限を取得し、また、使用者において労働組合又はその組合員の組合活動のためにする企業の物的施設の利用を受忍しなければならない義務を負うとすべき理由はない、というべきである。右のように、労働組合又はその組合員が使用者の所有し管理する物的施設であつて定立された企業秩序のもとに事業の運営の用に供されているものを使用者の許諾を得ることなく組合活動のために利用することは許されないものというべきであるから、労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで叙上のような企業の物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該物的施設につき使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうるように当該物的施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであつて、正当な組合活動として許容されるところであるということはできない。
 二 そこで、以上の見地に立つて、本件について検討する。
  原審が確定した前記の事実によれば、本件ビラの貼付が行われたロツカーは上告人の所有し管理する物的施設の一部を構成するものであり、上告人の職員は、その利用を許されてはいるが、本件のようなビラを貼付することは許されておらず、また、被上告人らの所属する国労も、上告人の施設内にその掲示板を設置することは認められているが、それ以外の場所に組合の文書を掲示することは禁止されている、というのであるから、被上告人らが、たとえ組合活動として行う場合であつても、本件ビラを右ロツカーに貼付する権限を有するものでないことは、明らかである。そして更に、前記の事実によると、被上告人らの本件ビラ貼付行為は、賃金引上げ等の要求を組合員各自がみずから確認し合つてその意思を統一し、もつて組合の団結力の昂揚をはかり、あわせて上告人当局に右要求をアピールする等のために、国労のいわゆる春闘の一環として行われた組合活動であり、上告人の許可を得ないでされたものであるところ、右ロツカーの設置された部屋の大きさ・構造、ビラの貼付されたロツカーの配置、貼付されたビラの大きさ・色彩・枚数等に照らすと、貼付されたビラは当該部屋を使用する職員等の目に直ちに触れる状態にあり、かつ、これらのビラは貼付されている限り視覚を通じ常時右職員等に対しいわゆる春闘に際しての組合活動に関する訴えかけを行う効果を及ぼすものとみられるのであつて、このような点を考慮するときは、上告人が所有・管理しその事業の用に供している物的施設の一部を構成している本件ロツカーに本件ビラの貼付を許さないこととしても、それは、鉄道事業等の事業を経営し能率的な運営によりこれを発展させ、もつて公共の福祉を増進するとの上告人の目的にかなうように、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保する、という上告人の企業秩序維持の観点からみてやむを得ないところであると考えられ、貼付を許さないことを目してその物的施設についての上告人の権利の濫用であるとすることはできない。本件ビラの貼付が被上告人らの所属する国労の団結力の昂揚等を図るのに必要であるとしてされたものであり、ビラの文言も上告人その他の第三者の名誉を毀損しその他不穏当にわたるものがあるとまではいえず、剥離後に痕跡が残らないように紙粘着テープを使用して貼付され、貼付されたロツカーの所在する部屋は旅客その他の一般の公衆が出入りしない場所であり、被上告人らの本件ビラ貼付により上告人の本来の業務自体が直接かつ具象的に阻害されるものでなかつた等の事情のあることは、先に判示したところからうかがい得ないわけではないが、これらの事情は、いまだもつて上記の判断を左右するものとは解されないところである。したがつて、被上告人らの本件ビラ貼付行為は、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうるように当該施設を管理利用する使用者の権限を侵し、上告人の企業秩序を乱すものとして、正当な組合活動であるとすることはできず、これに対し被上告人らの上司が既述のようにその中止等を命じたことを不法不当なものとすることはできない。
 そして、日本国有鉄道法三一条一項一号は、職員が上告人の定める業務上の規程に違反した場合に懲戒処分をすることができる旨を定め、これを受けて、上告人の就業規則六六条は、懲戒事由として「上司の命令に服従しないとき」(三号)、「その他著しく不都合な行いのあつたとき」(一七号)と定めているところ、前記の事実によれば、被上告人らは上司から再三にわたりビラ貼りの中止等を命じられたにもかかわらずこれを公然と無視してビラ貼りに及んだものであつて、被上告人らの各行動は、それぞれ上告人の就業規則六六条三号及び一七号所定の懲戒事由に該当するものというべきである。
 そうすると、被上告人らの各行動は懲戒事由に該当しないとした原審の判断は、ひつきよう、法令の解釈、適用を誤つたものであり、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。(後略)
 

2 三菱重工業事件・東京地判昭58・8・24『労働判例』410号46頁
(無許可集会、ビラ貼り等が正当な組合活動と認められないと判示した例)

事実(抜粋)-集会禁止場所での集会、構内ビラ配布等の強行とこれに伴う暴力行為
 当時の労働協約には、
「第二七条 組合員が次の各号の一に該当する場合はけん責に処する。……
5 事業所の許可なく事業所内又は施設(社宅及び寮の私室を除く)で集会、演説、放送、各種印刷物の掲示・貼付・配布、署名運動、募金その他これに類する行為をしたとき………」
と定められていた。被告会社においては職場秩序維持の必要から、生産の場である事業所内、施設内においては、政治・宗教活動はもちろんのこと、職場の安寧を損うおそれのある前記行為は原則としてこれを禁ずることとしており、現に過去においてこの種の行為を被告会社が事業所内、施設内で行うことを許可したことは一度もない。
 構内における組合活動もこの原則の例外ではなかつたが、組合活動については組合活動の実質的な保障と職場秩序との調和する合理的範囲において、労使間の慣行として一部例外的な取扱いが行われており、これをめぐつて広機(広島精機製作所)において次のような事件が発生した。
(ア) 無許可集会・演説・放送の強行とこれに伴う暴力行為
 被告会社と原告との労働協約では、その第一〇条に「組合は、会社の了解を得て、会社の諸施設その他を利用することができる。……」と、会社施設利用に際しては会社の了解を要する旨を規定し、また各事業所においては、危険防止、職場秩序維持の必要から労使間で集会禁止場所等が慣行として定められ、各分会もこれを遵守してきた。
 広機は、極めて精密な工作機械を製作する事業所で、その作業の性格上作業者は作業中に高度の集中力を要求されるため、昼休みには完全に休養できる場所を確保する必要性が特に強かつた。そこで、広機においては、構内食堂及びその周辺の広場、芝生、植込みを休養の場所に当て、これらの場所における集会・演説・放送その他けんそうにわたるおそれのある行為を禁止することにより、社員に十分な休養を与えるよう配慮してきた。特に被告会社長崎造船所において複数組合が併存するようになつて以来、両組合間で拡声器の音量をあげての放送合戦、集会場所の奪い合いといつたトラブルが発生しており、そうした先例に鑑みても、やはり複数組合の併存する広機においては、食堂及びその周辺における組合集会等を禁ずる強い必要性があつた。
 しかるところ、広機分会は、昭和四四年四月二五日、広機の了解を得ることなく、昼休みに食堂内で春闘総決起集会を開催し、勤労課員の解散命令を無視してこれを強行した。
 広機は、直ちに広機分会幹部に抗議したが、広機分会は、開催場所については分会の自由だとの態度をとつたため、広機は更に同年五月七日付け書面をもつて広機分会に厳重抗議し、反省を求めた。
 同年六月に、広機分会から広機に対して、六月二八日昼休みに食堂前広場で総決起集会を開催したいとの書面による申入れがあつた。広機は同月二七日付け書面をもつて、食堂前広場での集会は許可できないが、組合事務所周辺の空地でなら差し支えない旨回答するとともに、その理由についても十分説明したが、広機分会はこれを無視して六月二八日の集会を食堂前広場で強行した。
 これに対し、広機は、前回同様直ちに広機分会幹部に抗議するとともに、広機分会に対しても同年七月一六日付け書面をもつて厳重に抗議し、広機分会の反省を促した。
 しかるに、広機分会には一向に反省の色はなく、かえつて広機の事前了解を求めることもなく集会を強行するようになり、同年一一月からは集会後にデモ行進を行うようになつた。更に翌昭和四五年四月ころからは大きな立看板を設置し、拡声器を使つて休息中の社員に演説を行うようになつた。同年六月三〇日には、集会の中止を求めに行つた勤労課員に対し広機分会の幹部である者がのどを突き、あるいは突き倒す等の暴行を加え、負傷させるという事件も発生した。
 このような無許可集会は、昭和四四年には五件であつたものが、翌昭和四五年には一九件、昭和四六年五月末までには合計三一件を数えるに至つた。
(イ) 不当なビラ掲示・貼付の強行とこれに伴う暴力行為
 会社構内において、むやみにビラを掲示・貼付することは、美観を損ねることはもちろんのこと、生産能率面、災害防止面からも生産現場においては極めて不具合である。作業場の周辺に「オヤツ」というようなものがあり、それに気をとられたために作業ミスをおかしたり、けがをしたという事例は枚挙にいとまがない。生産会社においては、ハウスキーピングという担当者を特に決めて職場の整理整頓から環境整備まで非常に気を使つており、例えば工場見学者がある場合においては、時間・場所等を十分検討し、作業服に着がえてもらい案内員を置くなどできるだけ作業者の邪魔にならないよう配慮を行つている。
 右の事情からすれば組合は、ビラの掲示・貼付をどこにしてもよいということはできない。被告会社では、原告との労働協約の第九条で「会社は、組合が報道、告知及び教育宣伝のため、会社内所定の場所に掲示することを認める。」と定め、具体的には事業所・分会の協議により、作業場周辺でない例えば通路等に掲示板を設け、それ以外の場所へのビラの掲示・貼付は一切禁止してきた。
 当時、広機分会に対しては、組合分裂によつて二組合が併存するに至つたという経緯もあつて未だ掲示板を貸与しておらず、労使間で設置場所等について協議中であつたが、広機分会は、一方的に掲示物を現に使用中の他組合の掲示板や会社の掲示板に強行掲示し、広機の抗議を無視してこうした行為を繰り返していた。
 また、昭和四五年四月二三日、広機分会は一二時五五分から一五時五五分まで重点指名ストライキを行つたが、この際、正規の作業服を着用していないスト対象者が、広機の退去命令にもかかわらず、他の一般社員が作業している職場内をほうこうし、スト対象者の機械に「スト決行中」と大書した半紙大のビラを貼付した。勤労課員がこれを撤去しようとしたところ、そのスト対象者は大声でわめき、押す、突くなどの腕力をもつて妨害し、約三〇分間にわたり周辺で作業をしている多数の社員の正常な業務の運営を妨げた。
 更に、同月二八日一二時〇五分から翌二九日八時〇五分までの全員ストライキに際しては、広機分会組合員が、会社の禁止命令を無視して「スト決行中」なるビラを広機分会組合員使用の機械、器具、机上等に貼付し、これを制止しようとした勤労課員に対して広機分会執行委員長をはじめとする分会組合員数名が大声でわめきながら組み付き、実力をもつて妨害した。ある勤労課員は三名の分会員によつて組み付かれ、首を絞められ、鉄製部品の上に押し倒されて負傷した。また、はち巻、腕章をつけた多数の広機分会組合員が工場内をほうこうしたため、一時間以上にわたつて職場の秩序が乱された。
 こうした広機分会による掲示板、機械、器具等への不当なビラ貼付事件は、昭和四四年四月から昭和四六年五月末日までの間に四四件発生するに至り、これに伴つて暴力行為も頻発した。
(ウ) 構内における不当なビラ配布の強行とこれに伴う暴力行為
 会社の構内におけるビラ配布は、職場の秩序を乱し、また、ときによつては職場における従業員の集中力を散漫にさせ、更にビラの内容によつては職場内に対立感情を持ち込ませる等の弊害が少なくないため、被告会社においては、構内におけるビラ配布それ自体を禁止することとしており、労働組合にもこの原則を適用している。しかし、組合が自らの組合員に対して組合機関紙及び連絡文書を構内において休憩時間中に配布することはなんら禁止していないし、また組合が不特定多数の者にビラを配布しようと思えば入場時又は退場時に門前で配布することもできるのであるから、構内におけるビラ配布を禁止しても組合活動上大きな支障をきたすことはない。
 こうした状況の中で、広機分会も従来は構内でビラ配布をすることはなかつたが、昭和四四年一〇月二一日に突如、休憩時間中に食堂前でビラ配布を開始した。そこで、広機は直ちに口頭で抗議したが、その後も数回にわたつて同様の行動を繰り返したので、広機は同年一一月一〇日付けの書面をもつて厳重抗議した。
 その後もたびたび同様の事件があり、昭和四五年四月一六日に理由を付した抗議文を広機分会幹部に手交し、話し合つた際には「会社の見解は理解できた。分会としても検討する。」との回答を得たが、その後も構内におけるビラ配布は繰り返され、その回数は昭和四六年五月末日までに二四回に及んだ。
判決(抜粋)-無許可集会、ビラの掲示・貼付、ビラの配付等について検討するに、労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで企業の物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが使用者の権利の濫用と認められるような特段の事情がある場合を除いて正当な組合活動として許容されるものということはできないと解されるところ、当時の原告と被告会社との労働協約は、一〇条において、組合は、会社の了解を得て、会社の諸施設その他を利用することができる旨定め、二七(二八)条において、組合員が事業所の許可なく事業所内又は施設(社宅及び寮の私室を除く)で集会、演説、放送、各種印刷物の掲示・貼付・配付、署名活動、募金その他これに類する行為をしたときはけん責に処する旨定めていると認められること(中略)事実関係に照らすと被告会社が原告に施設の利用を許さないことが権利の濫用にあたるとまで認めることはできず、右の無許可集会等は労働協約に違反し、許されないものであるということができる。

3 全逓新宿郵便局事件・最三小判昭五八・一二・二〇『労働判例』421号20頁
(郵便局長の言動、職場集会の妨害・監視等の行為が不当労働行為にあたらないとされた例-不当労働行為救済命令取消請求上告ー棄却)

事件の概略-全逓新宿支部では、昭和四〇年春闘頃から批判派が「新生会」を形成し、これらは同年六月一日全逓を脱退し、郵政労働組合新宿支部を結成した。一方三九年七月着任した、加藤新宿郵便局長は職場規律の確立等を目ざしていたが、そうした中で、(1)四〇年五月一三日の貯金募集打ち合わせの席上、加藤局長は、全逓の行動につき「新生会の会員の家庭を訪問して、新生会から抜け出さなければ宿舎に入れないようにするとか、脅迫めいたことが行われているらしいが、お互い行き過ぎのないように」と話し、また同局長は「新生会は善良な人がやったことで間違いではない。あなたたちも善良な人たちだから、今やっている組合(全逓を指す)の行動はよく分かるだろう。極力組合の方に行かないように」等の発言があった。(2)大卒新規卒業者鈴木らは、五月一六日(日)品川区旗の台の加藤局長宅に招待され、清水郵便課課長代理と赴いたが、「今日は局長と思わないで飲んでくれ、広島から届いた特級酒もある」と気分をほぐしてもてなし歓談のうち、局長は、「郵政事業は三代かけなければ一つの仕事を達成できないのに、全逓の闘争主義者はこれを破壊する」と述べ、右課長代理は郵政労の加入届用紙を出し、加入勧誘行動を求めたので、右鈴木が趣旨を問い質すと、局長は「これは郵政省の正規の組合だ」と述べた。また、帰りの車中で課長代理は「郵政労のバックがわかっただろう」と話した。(3)加藤局長は、四〇年四月二〇日臨時補充員らへの話の中で、「暗くなるほどビラがはられている。職場の中もゴタゴタしている」と述べた。(4)新宿支部は、五月一〇日の昼休み、集配課休憩室で、六月七日午後五時過ぎ、同月一一日昼休み、年賀区分室で、職場集会を開いたが、右は無許可であったため、管理職らがマイクで解散を求め、あるいは集会の様子をメモする等した。(5)庶務課長は、新宿支部の掲示板の掲示物が無許可であり、同支部が撤去要求に応じないとしてこれを撤去したが、公労委は不当労働行為にあたるが、全逓・郵政省間で掲示板利用について合意が成立し、問題は解決されたので、救済命令を発する必要はないとした。
一審は公労委命令を取消、二審は右各行為は不当労働行為にあたらないとした。
判決(抜粋)-思うに、使用者の言論は、労働者の団結権との関係で一定の制約を免れないが、原則的には使用者にも言論の自由は保障されており、労使双方が自由な言論を展開することは、正常な労使関係の形成発展に資するものということができる。ただ(中略)労使間の対立がみられるような時期に、使用者又は利益代表者が労働者等と個別的に接触し、労使関係上の具体的問題を発言することは、一般的にいって公正さを欠くものとの非難を免れず、場合によっては是正のための救済措置を必要とする事態も十分考えられるところである。新宿郵便局長の所論の発言も、上告人組合に対立する労働組合の結成が準備されている時期において、同局長の自宅又は執務室で特定の職員に対してなされたものでその妥当性が疑われることは否定できない。しかしながら、その内容及び原審認定の事実関係に照らせば、右発言をもっていまだ上告人組合の結成運営に対する支配介入に当たるとまでいうことはできないとした原審の判断は、これを是認することができ、原判決に所論の違法はない。
 労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで使用者の所有し管理する物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該施設につ使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、当該施設を管理利用する使用者の権利を侵し、企業秩序を乱すものであって、正当な組合活動に当たらず、使用者においてその中止、原状回復等、必要な指示、命令を発することができるということは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁)、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ(中略)昭和四〇年五月一〇日新宿郵便局集配課休憩室において、同年六月七日及び一一日同局四回年賀区分室において、それぞれ無許可で開かれた上告人組合新宿支部の職場集会に対し、同局次長らの行った解散命令等が、不当労働行為を構成しないとした原審の判断は正当として是認することができる。(以下略)

4 明治乳業事件・最三小判昭58・11・1『労働判例』417号21頁
(昼休み時間中の政治ビラの無許可配布を理由とする戒告処分を無効)

事実(抜粋)-被上告人は、上告人の福岡工場に勤務する従業員であるが、昭和四九年六月二四日昼の休憩時間に、休憩室を兼ねている同工場食堂において、同日十四日の昼の休憩時間に、同月一四日に公示された参議院議員選挙の候補者の応援演説のため不破哲三日本共産党書記局長が来援するという内容の同党中央委員会発行同月二三日付赤旗号外約二〇枚を同工場
従業員に配布し、次いで同年七月六日の昼の休憩時間に、同食堂において、同党への投票の呼び掛けを内容とする同党参議院議員選挙法定ビラ約四六枚を同工場従業員に配布した。右の赤旗号外及び日本共産党参議院議員選挙法定ビラの配布は食事中の従業員数人に一枚ずつ平穏に手渡し、他は食卓上に静かに置くという方法で行われたものであって、従業員が本件ビラほ受け取るかどうかは全く各人の自由に任されていた。また、右の配布に要した時間も数分であった。
判断(抜粋)-被上告人の本件ビラの配布は、許可を得ないで工場内で行われたものであるからね形式的にいえば前記就業規則一四条及び労働協約五七条に違反する規程であるが、右各規程は工場内の秩序の維持を目的としたものは明かであるから、形式的に右規程に違反する場合でも、ビラの配布が工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情があると認められるときは、右各規定の違反になるとはいえない(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小判決・民集三一巻七号九七九頁参照)。そして、前記のようなビラの配布の態様、経緯及び目的並びに内容に徴して工場内の秩序を乱すことのない特別の事情が認められる場合に当たり、右各規程に違反するものではないと解するのが相当である。
 なお横井大三判事は反対意見を記す。

5 全逓長崎中央郵便局事件・長崎地判昭59・2・29『労働判例』441号カード
(無届職場集会の解散命令は不当でないとされた例)

事件概要(抜粋)-四十四年四月、被告人Y1(全逓長崎中央支部長)は全逓支部が掲示板に掲示したスト宣言文を当局が撤去したことに抗議すべく、局長室に組合員二十数名とともに押し入り、A次長および他の管理職数名が解散、退去を求めたのに対し怒り、N貯金課長をつかまえて廊下側の窓まで押していき、他二名の組合員と共同して同課長を抱き上げ、上半身を廊下側に逆さになるまで傾斜させ、もって数人共同して暴行を加え(中略)法内超勤につき、当局は★三六協定ないし組合の同意なくしてこれを命じうるものとし、全逓はこれを不可とする立場をとっていたところ、四五年一一月二一日、全逓支部とのあいだに三六協定締結の交渉が行われている時間帯に、第二集配課副課長が支部員に法内超勤を命じたことから、紛議が生じ、支部組合員による抗議がなされたが、その際被告人Y1は、解散命令を発したC労務連絡官に対し、喉元を手指で突く暴行を加え(中略)全逓支部は四五年一二月一日より年末闘争に突入し、同支部保険分会は、同日午後五時頃から、男子休憩室において、当局の許可を得ることなく、分会集会を開いた、五時二十五分頃、Y庶務課長が、無許可集会であることを理由に、解散を命じ、分会員がこれをとり囲んで抗議していたところ、被告人Y1があらわれ、同被告人は同課長に対し、腕組みした左肘で顎を一回突き上げる暴行を加え、さらに五時三十五分頃、A労働課長が加わり、再三にわたって解散命令を発したところ、被告人Y1は、腕組した姿勢で同補佐を押して数メートル後退させ、右肘で同人の股間を一回蹴る暴行を加え(後略)。
判決要旨-被告人らの「本件有形力の行使は可罰的違法性に欠けるものはなく(以下略)」「労働組合又はその組合員が使用者との合意ないし許諾がないまま企業の物的施設を利用して組合活動を行うときは、これらの者に対して利用を許さないことが、当該物的施設につき使用者の権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合‥‥を除いては施設管理権に抵触するものであ」るから、「本件全逓支部の地下食堂及び地下男子休憩室の無届利用行為も、長崎中央郵便局長の庁舎管理権限を侵すものとして正当なものとすることはできず、これに対しM課長らが即刻解散等を命じたことは不法不当なものということはできない」、

和進会事件・京都地判昭59・7・5『労働判例』439号1176号
(共同絶交行為、無許可ビラ貼付等を理由とした組合委員長らに対する普通解雇が有効とされた事例)


事件概要-(共同絶交行為-「村八分」類似の嫌がらせ-については略し、ビラ貼り事件を主として抜粋)。
被告の和進会とは、京大病院の医学研究の奨励、病院運営に対する寄与、患者の慰藉、職員・学生に対する便宜の供与等を行い医学振興と社会文化への貢献等を目的として大正一二年に設立された財団法人で、京大病院内における食堂・売店・喫茶・薬局・寝具・給食の六事業を行っていた。従業員約百名、労組はユニオンショップ協定により、総務部の係長二名を除いて、全職制員が組合員である。昭和五二年に組合は争議時においも特別調理食の供給義務について運搬を除いて支障をきたさないという保安協定を破棄し、ストに突入する構えをみせたため、被告は増員要求を呑んだ。昭和五三年京大病院当局は意見を出し、組合のストライキ時の特別調理職の安定化を求め、将来給食の直営化をうたうなど、被告和進会に対し強力な圧力をかけ、全国的な傾向として不採算部門の整理、民間会社への再下請化という経営合理化に組合が支障となったため、和進会は労務対策として五四年八月に柴田理事が担当理事として就任することととなった。同年十月二二日柴田理事は、組合に対し「労使慣行廃絶通告」(内容略)を送付した。また、柴田理事は、同年九月二五日の係長会議をはじめとして、同十月に入ってから盛んに係長会議、職制会議を開催した。(中略)さらに同月二一日から同月二五日にかけて全従業員を対象した就業規則研修会を開催したが、その内容は被告の最大の問題が労働契約、業務命令、職場秩序、職制の権限等の労務管理上の基本問題であって、労働時間、配転、有給休暇の取り方、法内残業、服務規律等、就業規則上の基本事項を説明したもので、この中で柴田理事は「職場離脱は重罪だ。自分は軍人だったが、その持ち場を離れて銃殺される人を見た」「協約が成立して別途協定ということになって、それが未締結なのだからその協約ができるまでには一分たりとも時間内組合活動はできない。」「四〇〇人(従業員の家族を含めむの幸せのためには、一人、二人のことにはかまっていられない。腐ったリンゴは取り除かなければならない」(中略)などと発言した。組合は(中略)同月二六日に労使慣行廃絶通告に対し釈明を求める書面を送り、売店の柿の値札付けの件で、柴田理事長が原告中川をしっ責したこと。特別調理用の手鍋の柄が折れたとして吉田係長(組合員)らをしっ責した件に抗議するビラを配布し、さらに同日全職場集会を開催し、その席上、来賓の川中弁護士が、柴田理事の研修会の内容を批判し、今後の労使紛争に備え、柴田理事の言動をメモすること(メモ闘争)を示唆した。このようにして、十一月早々から全職場に「和進会に労務屋はいらない」「暗黒の職場になった」などと書いたビラを貼付、配布し、組合員に右のような内容のワッペンを着用させ、メモ闘争を実施させた。同月八日の集会の決起集会では、運輸一般の宮川分会員から柴田理事がかつて全自連(現運輸一般)の山幸運輸分会をつぶしたことのある労務屋だとの報告があった。九日、臨時大会を開催し、年末一時金闘争及び職場の民主化と権利を防衛する闘いの遂行等に関するストライキ投票を実施してストライキ権を確立する一方、ビラ、ワッペン、立看板などにより柴田理事排斥のための事実上の争議状態を継続し、これに対し、被告側からは、ビラの配布、貼付、ワッペン着用等の中止を求める警告書が次々に出される状態となった(後略)。
ビラ貼付についての判断-「労務屋に和進会は任せられない」などと記載したビラを、被告が貸与していた専用掲示板以外の食堂、売店、喫茶室等り入り口に無許可で貼付した点についてみるに、労働組合又は組合員が使用者の許諾を得ないで使用者の使用し管理する物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが、当該施設につき使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、当該施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであって前記のように右ビラは被告に対する事実上の争議状態下で貼付されたものであることを考慮しても、正当な組合活動に当たらないといわざるをえない。(又、他に右特段の事情を認めるに足る証拠はない)。そうすると、これらのビラ貼りを組合員に指令し、また被告の再三にわたる撤去命令にも応じなかった組合の組合長原告西村の服務規律(四条一項、六条一四号)に違反し、懲戒事由を定めた就業規則六五条四号(職場内の秩序、風紀を紊す行為があった場合」)、一六号(その他各前号に準ずる不都合の行為があった場合」)に各該当するものといわなければならない。
労使慣行廃絶問題についての判断-原告らは、被告と組合間には従来から許可なしに時間内組合活動を許容する労使慣行が存したところ、昭和五四年春闘時に、右労使慣行の労働協約化を図るために労使間で協議した結果、同年九月二六日、春闘妥結協定化中にの別途協議条項が成立しが、労使間には別途協定が成立するまでの間は、従前の労使慣行に従うとの了解があったのに、被告は同年一〇月二二日、一方的に時間内組合活動に関する右労使慣行は廃絶された旨通告(労使関係廃絶通告)してきたというのである。
しかしながら、右労使慣行の点については、たとえ従来から時間内活動が反覆継続されてきたとしても(ちなみに組合の行っててた時間内組合活動が前記のとおりそれが、西村の職務怠慢の一因となっていたこと、平井の組合活動と称しての就業時間内の離席について組合員の内部からも批判がでていたことによっても窺える。)本来賃金を失うことなく就業時間内に組合活動をすることは労働組合法七条三号との関係もあって許されないところであるから、そのことだけで直ちに確立した労使慣行となるものではなく、他に労使間を法的に拘束するような労使慣行が成立していたとは認めるに足り証拠もない。(なお、労使慣行廃絶通告中の「労使慣行」という言葉も、証人柴田国男の証言でも窺いえるように、確立した労使慣行という意味に使われているのではないと思われる。)そうすると、仮に被告が職場規律の確立等の見地から許可を得ない時間内組合活動を全面的に廃止する旨通告したとしても、そのことをとらえて不当な組合攻撃ということはできない(後略)。

6 東京城東郵便局事件・東京地判昭59・9・6『労働判例』442号、45頁
(不許可集会の強行、欠勤、管理職等への暴行等を理由とする懲戒免職が有効とされた例)

城東局における労使関係(抜粋)-昭和四一年当時、城東局では郵便物の大幅な遅配が続き、一日三千から四千通の滞留が常態であった。吉田局長は同年七月に着任後、職場規律の乱れに対し、同年八月、城東支部三役に対し、勤務時間の厳守、不就労についてはノーワーク・ノーペイの原則で対処する、局内の麻雀は厳禁する旨通告し、右是正策を実行に移すために管理職に職員の勤務状態を点検させる等の体制を採るようになった。また、同局長は、本来当局の責任で行うべき業務運営に対し組合が不当に介入しているとして、組合の介入を排除する対策を採ることとした。まず従来城東局においては、正規の団体交渉の他に各職場において管理者とその職場の組合員の代表者との間で職場交渉といわれるものが慣行的に確立しており(中略)正規の団体交渉の決定事項の具体的運用の協議の場として機能していたが、同局長は職場交渉を認めないとし、各課長が個別に組合と話し合うのを禁止した。更に、同局長は、正規の団体交渉においても、交渉事項はいわゆる三六協定と二四協定の締結に関するものに限られるとして、それ以外の議題を制限し、交渉人員の数にも制限を加えた。(中略)同局長の前記のような措置に対して内部から不満の声が出るようになり、同年九月頃から「既得権奪還」のスローガンを掲げて吉田局長追放運動を展開、同年の年末年始の繁忙期における超勤命令拒否、物だめ闘争を経過した後、翌四二年に入ると、同支部は、春季闘争、集中処理局設置に伴う合理化反対闘争等において、同局長追放運動とからませて、業務規制闘争を行うようになった。
原告久下実の行為(抜粋)-城東支部執行委員会は昭和四二年五月二日、全逓中央本部からの指導により、当時全逓が取り組んでいた合理化反対闘争等にむけての団結を強めるため、各課単位で集会を開催することを決定し、これに基づき、郵便課、保険課等で順次集会が開催され、同月九日、集配課分会清水執行委員名義で吉田局長に対し、いずれも組合業務を目的として城東局会議室を同月十一日及び十二日の両日使用したい旨の庁舎使用許可願いを提出した。同局長は、これに対し、全逓が同月十○日の指令第三二号により、同月一七日に二時間、二四日に半日の各ストライキを決行する体制を確立すること、及び同十六日以降業務規制闘争に突入することとの闘争指令を発したため、東京郵政局の指示に従い、右指令は公共事業体等労働関係法一七条一項に違反するとして、前記許可願につきいずれも許可しないこととし、同局庶務会計課主事を通じて、清水執行委員及び原告久下に対してその旨及び理由を通知した。
このような経緯で会議室の使用が許可されなかったにもかかわらず、同日午後四時七分頃から五時十六分頃まで、同会議室において、集配課員約四〇名による職場集会が開催され、原告久下もこれに参加したが、この中で、同原告は、開会後間もなく無許可集会として解散命令を発した貝藤課長に対して抗議し、更に午後四時三六分頃、集合した集配課員に対し、「中に入ってやろう」と言って、同課長の再三にわた解散命令を無視して集会を続行した。
判断(抜粋)-国の庁舎の管理権者は、公物たる庁舎の存立を維持し公務の円滑な遂行を図るため、その庁舎につき合理的・合目的的な秩序を定立し、公務員その他の者に対してこれに服するこを求めうべく、その一環として、その物的施設に許諾された目的以外には利用してはならない旨を、一般的に規則をもって定め、又は具体的に指示・命令することができ、公務員でこれに違反する者がある場合には、その任命権者は、その者に対して懲戒処分を行うことができるものと解するのが相当であり、また公務員の労働組合又は組合員が(中略)管理権者の許諾を得ることなく組合活動のために利用すること許されないというべきである(中略)管理権者が有する権利の濫用であるという特段の事情がある場合を除いては、職場環境を適正良好に保持し規律のある公務の運営態勢を確保しうるように当該庁舎を管理利用する庁舎管理権の権限を侵し、公務の秩序を乱すものであって、正当な組合活動として許容されるところであるということはできない(最高裁五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四八頁)。
以上の見地に立って本件について検討する。(中略)前記集会が行われた行われた会議室は吉田局長の管理する庁舎の一部であり、郵便局の業務のために使用されるべきものであって、全逓の組合や、その組合員に当然には使用が許されてはいないものであると認められるところ、吉田局長が会議室の使用を許可しなかったのは、全逓が同年五月一〇日、ストライキを決行する体制を確立すること及び業務規制闘争に突入することの指令を城東支部に対して発したため、(中略)このような指令が発せられた場合において、吉田局長が城東支部に対し施設の利用を許諾することは違法行為を助長する結果となるおそれが大きいと判断したことについては相当な理由があるというべきであるから、同局長が会議室の使用を許可しなかったことにつき権利の濫用であると認められる特段の事情はないというべきである。(中略)従って会議室使用の許可を得ないで開催それた同年五月一一日及び一二日の各集会は正当な組合活動として許容されるものということはできない。よって(中略)同原告の行為は、庁舎管理権者の許可なく集会に参加し、管理権者の解散命令に従わず、かつ、その集会において積極的な役割を果たした点において、国家公務員法八二条一号及び三号に該当するということができる。

7 全運輸近畿支部(出勤簿整理時間にくい込む職場大会)事件・最高二小判昭60・11・8『最高裁判所民事判例集』39巻7号1375頁

判決(抜粋)-本件職場大会の開催が国公法九八条二項前段の規定にいう争議行為に該当するとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。
 職員の勤務時間及びその割振は、法律及びその委任に基づく人事院規則等によつて定めることとされ、右法規に基づかないでこれを変更することは認められていないものというべきである。
 ところで、原審の認定するところによると、兵庫県陸運事務所においては、勤務時間の開始時刻である午前八時三〇分からおおむね午前九時ころまでの間出勤簿整理時間と称する取扱いがされているが、これは、出勤簿管理の必要上、官署の長が勤務時間管理員に対して発した職務命令によつて定められているものであり、右時間内に出勤簿の整理を完了することを命ずると共に、右時間内に出勤して出勤簿に押印した職員については勤務時間の開始時刻までに出勤したものとして取り扱うこととされていたというのである。
 上告人らは、右の出勤簿整理時間の設定によつて職員に対し右時間について職務に従事する義務が免除されたものである旨を主張するのであるが、もし右出勤簿整理時間の設定がその時間中の職務に従事する義務を免除するものであるとすれば、それは勤務時間を短縮し、その割振を変更するものにほかならないところ、法規に基づかないで勤務時間を短縮し、その割振を変更することが許されないものであることは前記のとおりであるから、出勤簿整理時間の設定が、勤務時間を短縮し、出勤簿整理時間中の職務に従事する義務を免除したものと解することはできないものというべきである。
 また、上告人らは、右出勤簿整理時間の設定及びその実施により、職員に対し右時間中の職務に従事する義務を免除するという内容の慣行が成立している旨を主張するのであるが、右のような内容は職員の勤務時間及びその割振を定めた前記規定に抵触することが明らかであるから、前記のような取扱いが相当期間継続して行われて来たものであるとしても、出勤簿整理時間中の職務に従事する義務を免除するという内容の慣行が成立する余地はないものといわなければならない。
 本件職場大会における上告人らの行為が国公法九八条二項後段に規定する「そそのかし」又は「あおり」に該当するとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、所論引用の各判例に抵触するところもない。
 上告人Aが年次休暇の承認を受けたことにより本件職場大会当日の職務に従事する義務を免除されていたとしても、そのことによつて同上告人につき国公法九八条二項後段の規定する「そそのかし」又は「あおり」の責任を問い得なくなるわけのものではない‥‥。
 
 本件ストライキの事実は概ね次のとおりである(第一審より抜粋、若干構成を変えて引用-民集39巻7号より)。
 全運輸は運輸省の港湾建設局と港湾・航海関係の附属機関を除き、管理職員を除く職員の大多数をもって組織され、本件ストライキ当時の組合員の総数は約7570名である。全運輸は、昭和四四年八月三一日から九月二日の定期大会で、人事院勧告の内容、実施時期をめぐる諸般の情勢から、秋の賃金確定期に向けて実力行使をもって闘う必要があるとして、国公共闘・公務員共闘連絡会議(以下国公共闘)の配置する統一行動に積極的に参加して闘う方針をとった。全運輸は運輸省当局に対し九月十九日に統一賃金要求事項を内容とする「要求書」を提出し、政府が右要求を入れないときは、二○○万公務員労働者とともに十一月一三日早朝から勤務時間に二九分くい込む実力行使を行う旨の闘争宣言を発した。なお全運輸が当局に対し、勤務時間にくい込む旨通告したうえ、勤務時間内に職場大会を催して争議行為を実施したのは、今回が初めてであった。
  近畿支部及び傘下各分会は、本件ストライキの闘争体制を固めるため、一○月二○日から二五日にかけてストライキに関する参加決意表明のための一票投票を行い、組合員の75・2%が賛成意思を表したとされる。同月七日から三一日にかけて近畿支部及び各分会から被告局長外それぞれの陸運事務所長に統一賃金要求などの要求書を提出する一方、組合員に対し十一・一三の実力行使への参加決意署名(内容は「私は左記の国公統一賃金要求をかちとるため一一・一三統一行動日に全運輸指令に基づいて『早朝から勤務時間にくい込む職場大会』に参加します」と記載)を分会毎に一斉に実施した。
 一○月二三日総理府総務長官は、国公共闘議長に対し警告を発するとともにともに談話を発表して公務員の自覚と反省を促し、違法な行動のないよう自重をもとめた。
 一一月八日から一〇日にかけて被告局長、総務部長及び各陸運事務所長は、近畿支部長及び各分会長に対し、文書による警告を発し、違法な職場集会を行うことのないよう自重を求めた(内容は「伝えるところによれば、貴組合においては来たる11月13日勤務時間内職場大会を計画している模様であるが、いうまでもなく国家公務員は、かかる争議行為は法令によって禁止されているところであります。当局は貴組合がもし伝えられているような違法行為を行った場合には、関係法令に基づいて適切な措置をとらざるを得ないので、貴組合の自重を強く要望します。」と記載)。又、同月八日から一一日にかけて各職員に対し、六日付運輸政務次官名による警告書(「職員のみなさんへ」と題する)を交付し、違法な職場大会に参加することとのないよう自重を求めるとともに警告した。
 一一月一一日政府は「俸給表などは人事院勧告の内容のままとし、実施時期については6月とするが夏期一時金のはね返り抜き」と閣議決定した。国公共闘は政府の不当な態度に抗議するなどの声明を発し、一一・一三統一行動を既定方針どおり実施することを決定した。一二日近畿支部執行部は、常任中央闘争委員会から「ボーナス抜六月実施の閣議決定に断固反対し、一一・一三は早朝くい込み職大の実力行使を実施せよ。ただしくい込み時間については追って電話にて指令する」との電報による指令を受け、同夜半、本局分会はくい込み一五分、その他の分会はくい込み二○分とすね電話指令を受け、傘下分会に伝達した。
(処分理由たる原告らの所為)
 原告祐成宏治
原告祐成は、本件ストライキ当時全運輸近畿支部和歌山分会分会長の地位にあったところ、右分会が昭和四四年一一月一三日和歌山県陸運事務所宿直室前の中庭において、給与に関する人事院勧告の完全実施の要求貫徹を目的として行った勤務時間にくい込む職場大会に就業命令を無視して参加し、このため当日の勤務時間中、午前八時三○分から同四五分までの一五分にわたり職務を放棄し、その際分会長として「あいさつ」を行い主たる役割を果たした。(なお、赤居和歌山陸運事務長は、午前八時四○分頃、分会長である原告祐成を呼び、右大会が勤務時間にくい込んでおり、許可の場所で行われているので、解散するよう命令している。組合の主張でき原告の「あいさつ」は一~二分であったとされる。)
 原告川上豊
 原告川上は、本件ストライキ当時全運輸近畿支部奈良分会分会長の分会長の地位にあったところ、右分会が右同日奈良県陸運事務所宿直室において、右要求貫徹を目的として行った勤務時間にくい込む職場大会に就業命令を無視して参加し、このため当日の勤務時間中午前八時三○分から同五○分までの約二○分間にわたり職務を放棄し、その際分会長として「所長交渉の経過報告」を行い主たる役割を果たした。(なお、裁判所の認定は原告は激励のメッセージと電報を朗読したのみとする。牟礼輸送課長は、午前八時四○分頃、原告川上をはじめとする大会参加者に対し、勤務時間内における無許可集会であるから解散するよう口頭で命じた。組合側の主張では、牟礼輸送課長が入ってきて、ほんの一、二秒の間、「川上君この集会は違法だからやめてください」と述べてにこっと笑って出て行った事実であるとし、牟礼課長の右行為は、前日の分会との交渉において、所長が上局から三、四回位警告せよといわれているものを一回にとどめるという、分会との話し合いのとおり行われたものであり、なんら強い積極的なものではなく、形式的に格好をつけただけだとしている。)
 原告北谷信也
 原告北橋は、本件ストライキ当時全運輸近畿支部兵庫分会分会長の地位にあったところ、右分会が右同日兵庫県陸運事務所庁舎玄関前横において、右要求貫徹を目的として行った勤務時間にくい込む職場大会に参加し、このため、当日の勤務時間中午前八時三○分から同四二分までの一二分間にわたり職務を放棄し、その際分会長として「あいさつ及び職場大会の意義」について演説を行い主たる役割を果たした。(尾仲総務課長は、あいさつをおこなっていた分会長に近づき八時二十五分頃「この大会は無許可であるからすぐ解散せよ」と命令、同三十六分にも「時間内にくい込む集会は違法だからすぐ解散しなさい」と命令、さらに四○分頃自らがプラカードを持って、分会員内を歩きまわった)以下数名の原告については略す。

[参考]第一審大阪地判昭54・8・30判決(抜粋)民集39巻7号1408頁
 本件職場大会は、「賃上げは五月から実施すること」などのの統一賃金要求を貫徹するために、勤務時間において、公務員として負担する職務専念義務に違反し、労働供給巳義務の提供を拒否したものということができ、右のような態様における職務専念義務の違反行為、労働供給巳義務の提供拒否行為(同盟罷業)は、それ自ことは体必然的に業務の正常な運営を阻害する行為ということができるから、現に業務の正常な運営を阻害したかどうかを問うまでもなく、国公法九八条二項所定の争議行為に該当するべきというべきであり、単なる団体活動・組合活動であるという原告らの主張は何ら根拠がないといわなければならない。
  原告らは、国公法九八条二項所定の争議行為は、長時間かつ大規模な職場放棄を行ったため、右業務に大混乱を生ずる場合である旨主張するのであるが、公務員の行う争議行為である限り、同法条項に規定する争議行為に該当し、その規模、状況等によって区別すべき理由はないことは明らかである(最高裁昭和四八年四月二五日判決参照)よって、原告らの右主張は理由がない。又、原告らは、本件職場大会の目的が正当であり、本件職場大会が整然と行われたものであり、以前にも本件職場大会と同様の大会で、勤務時間内くい込み時間が右大会より長い職場集会集会回が行われていたことをもって、本件職場集会が国公法九八条二項所定の争議行為に該当しない旨、主張するかのごとくであるが、右事情は本件職場大会参加者に対する処分を科するかの情状として考慮されこそすれ、右争議行為該当性の判断については右事情の存否によって左右されるものではないこと前記説示により明らかである。
 次に、原告らの行為が国公法九八条二項所定の」「あおり」「そそのかし」行為に該当するかどうかについて考察する。国公法九八条二項所定の「あおり」「そそのかし」とは、国公法九八条に定める違法行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為をなさしめるよう仕向ける行為を総称し、必ずしもこれによって現実に相手方が影響を受けること及び業務の正常な運営を阻害する行為が行われることを要しないものと解すべきである。
 そこで右のような考え方にたって原告らの行為が「あおり」「そそのかし」行為に該当するか判断するに、前記認定、説示のごとく、本件職場集会職場大会は、給与に関する人事院勧告の完全実施などの要求貫徹を目的として行われた国公法九八条二項に違反する違法な大会であるところ、同大会参加者はいずれも右大会の目的右目的貫徹のために勤務時間(出勤簿整理時間)にくい込んで右大会を行うものである旨の意思を確認したうえで右大会に参加しているのであり、又、原告らは近畿支部及び分会において同支部の指導者或いはこれに準ずる地位を有し、右地位にあるものとして右各行為をなしていること、さらには、原告らの各右行為が右大会遂行のうえで積極的な意義を有するものといえることからすると、本件職場大会において、原告祐成が分会長として挨拶した行為、原告川上が分会長としてメッセージと祝電をを朗読した行為、原告北谷があいさつと職場大会の意義について演説した行為、原告中橋が副分会長として所長交渉の経過について演説し、決議文の朗読をした行為、原告供田が分会長として団結がんばろう三唱の音頭をとった行為、原告上原が分会長としてあいさつした行為、原告二瓶が支部長としてあいさつをし、人事院勧告に対する閣議決定の不当性を説明した行為は、いずれも国公法九八条二項後段所定の争議行為の「あおり」「そそのかし」行為に該当するものということができる。
  なお、原告中橋、同供田、同二瓶を除くその余の原告らの本件職場大会におけるあいさつ等の行為は、午前八時三〇分以前に行われたのであるから、右行為には違法性はない主張するかのごとくであるので、附言するに、前記説示のように本件職場大会は違法なものであるから、原告らの右行為が本件職場大会における一行為として行われたものである限り、それが行われた時期如何によって違法性の有無が左右されるものではない。
原告らは、本件職場大会における原告らの行為は、労働組合の団体行動であるから、右行為について個人責任或いは幹部責任を問うことができないと主張する。
しかしながら、集団的労働関係の場である争議行為においても個別的労働関係が解消するものではないから、当該違法争議行為である組合員の行為を個人的行為の側面ととらえたうえで、そのことを理由に組合員に対し、個別的労働関係上の責任である懲戒責任を追及できるというべきである。
  原告らは本件職場大会における原告らの行為はいずれも組合中央からの、方針、指令に従い、組合員としての当然の義務を果たしたにすぎないから、原告らを特に選択して懲戒処分に付する合理的なりゆうがないとも主張するが、既に説示したごとく本件職場大会は国公法に違反する違法な争議行為であるから、仮に組合の指令があったとしても、それは国公法に優先すねべきものではないこと当然というべきであり、右指令に従ったことをもって違法な争議行為に参加したなどの原告らの行為を何ら正当化するものではないし、前記のような役割を果たした原告らが他の組合員と区別して本件各処分わ受けるものであっても、何ら不合理なものということはできない。
  原告らは、本件職場集会の目的が正当であり、態様も業務阻害がなかったから、右大会の違法性が軽微であり、懲戒処分の対象となし得ないものであると主張する。当裁判所も国家公務員が人事院勧告の完全実施を求め要求活動をすることは理解できない訳ではない。
  しかしながら、仮に、原告らの主張のごとく本件職場大会の目的が正当であると評価を受け得るものであっても、その実現のために国公法の禁止する争議行為に訴えて要求を貫徹せしめようとすることは許されるものではなく、又、現に業務阻害を生じることがなかったとしても、広く国民に窓口を開いた陸運局、陸運事務所の有する公共性と保安要員として一人を残した以外は全員が職場から離脱したものであること。さらに本件職場大会に先立ち、又、大会中においても当局が再三にわたり、警告、就業命令及び解散命令を発しているにもかかわらず、これらを無視してあえて強行・続行されたことは、本件職場大会の違法性が決して軽微なものではないといえるのである。

8 北九州市交通局労働組合(超過勤務拒否闘争)事件・最一小判昭63・12・8『最高裁判所民事判例集』42巻10号

 (ほぼ全文の引用)
        主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告参加代理人石井将、同谷川宮太郎、同市川俊司の上告理由第一点について
 論旨は、地方公営企業職員につき争議行為を禁止した地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)一一条一項の規定は憲法二八条に違反しないとした原判決は、憲法二八条の解釈適用を誤つたものである、というのである。
 地公労法は、現業地方公務員たる地方公営企業職員の労働関係について定めたものであるが、同法一一条一項は、「職員及び組合は、地方公営企業に対して同盟罷業、怠業その他の業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。また、職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、又はあおつてはならない。」と規定し、これを受けて同法一二条は、地方公共団体は右規定に違反する行為をした職員を解雇することができる旨規定し、また、同法四条は、争議行為による損害賠償責任の免責について定めた労働組合法八条の規定の適用を除外している。しかし、地公労法一一条一項に違反して争議行為をした者に対する特別の罰則は設けられていない。同法におけるこのような争議行為禁止に関する規定の内容は、現業国家公務員たる国の経営する企業に勤務する職員(以下「国営企業職員」という。)及び公共企業体職員の労働関係について定めた公共企業体等労働関係法(昭和六一年法律第九三号による改正前のもの。以下「公労法」という。)におけるそれと同一である。
 ところで、国営企業職員及び公共企業体職員につき争議行為を禁止した公労法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであるが(昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁、名古屋中郵事件判決)、この名古屋中郵事件判決が右合憲の根拠として、国営企業職員の場合について挙げている事由は、(1) 公務員である右職員の勤務条件は、国民全体の意思を代表する国会において、政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮を経たうえで、法律、予算の形で決定すべきものとされていて、労使間の自由な団体交渉に基づく合意によつて決定すべきものとはされていないこと、(2) 国営企業の事業は、利潤の追求を本来の目的とするものではなくて国の公共的な政策を遂行するものであり、かつ、その労使関係には市場の抑制力が欠如しているため、争議権は適正な勤務条件を決定する機能を十分に果たすことができないこと、(3) 国営企業職員は実質的に国民全体に対してその労務提供の義務を負うものであり、その争議行為による業務の停廃は国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあること、(4) 争議行為を禁止したことの代償措置として、法律による身分保障、公共企業体等労働委員会による仲裁の制度など相応の措置が設けられていること、の四点に要約することができる。
 そこで、名古屋中郵事件判決が右合憲の根拠として挙げた各事由が地方公営企業職員の場合にも妥当するか否かを検討する。
 地方公営企業職員も一般職の地方公務員に属する者であるが、一般職の地方公務員の勤務条件は、国家公務員の場合と同様、政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮により、国民全体の意思を代表する国会が定める法律及び住民の意思を代表する地方議会が定める条例、予算の形で決定されるべきものとされているのであつて、そこには、私企業におけるような団体交渉による決定という方式は当然には妥当しないというべきである(最高裁昭和四四年(あ)第一二七五号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁(岩手県教組事件判決)参照)。そして、このような一般職の地方公務員の勤務条件決定の法理について、地方公営企業職員の場合にのみ別異に解すべき理由はない。現行法規上、地方公営企業職員の勤務条件の決定に関しては、当局と職員との団体交渉を経てその具体的内容の一部が定められることが予定されており(地公労法七条)、しかも、条例あるいは規則その他の規程に抵触する内容の労働協約等の協定にもある程度の法的な効力ないし意義をもたせている(同法八条、九条)などの点において、団体交渉が機能する余地を比較的広く認めているが、これは、憲法二八条の趣旨をできるだけ尊重し、また、地方公営企業の経営に企業的経営原理を取り入れようとする立法政策から出たものであつて、もとより法律及び条例、予算による制約を免れるものではなく、右に述べた一般職の地方公務員全般について妥当する勤務条件決定の法理自体を変容させるものではない。
 次に、地方公営企業の事業についても、その本来の目的は、利潤の追及ではなく公共の福祉の増進にあり(地方公営企業法(以下「地公企法」という。)三条)、かつ、その労使関係には市場の抑制力が働かないため、争議権が適正な勤務条件を決定する機能を十分に果たすことができないことは、国営企業の事業の場合と同様である。
 また、地方公営企業職員が実質的に住民全体に対しその労務提供の義務を負つており、右職員が争議行為に及んだ場合の業務の停廃が住民全体ひいては国民全体の共同利益に少なからぬ影響を及ぼすか、又はそのおそれがあることも、国営企業職員の場合と基本的には同様である。もつとも、地公労法の適用される地方公営企業は、法律上具体的に列挙されているものに限定されず(地公労法三条一項)、その種類、内容、規模等には、種々のものが含まれうるが、その事業は、あくまでもその本来の目的である公共の福祉を増進するものとして、公益的見地から住民ないし国民の生活にとつて必要性の高い業務を遂行するものであるから、その業務が停廃した場合の住民ないし国民の生活への影響には軽視し難いものがあるといわなければならない。
 更に、争議行為を禁止したことの代償措置についてみるに、地方公営企業職員は、一般職の地方公務員として、法律によつて身分の保障を受け、その給与については、生計費、同一又は類似の職種の国及び地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定めなければならないとされている(地公企法三八条三項)。そして、職員と当局との間の紛争については、国営企業職員及び公共企業体職員についての公共企業体等労働委員会(現国営企業労働委員会)のような特別の紛争処理機関は設置されていないものの、労働委員会によるあつ旋、調停、仲裁の途を開いたうえ、一般の私企業の場合にはない強制調停(地公労法一四条三号ないし五号)、強制仲裁(同法一五条三号ないし五号)の制度を設けており、仲裁裁定については、当事者に服従義務を、地方公共団体の長に実施努力義務を負わせ(同法一六条一項本文)、予算上資金上不可能な支出を内容とする仲裁裁定及び条例に抵触する内容の仲裁裁定は、その最終的な取扱いにつき議会の意思を問うこととし(同法一六条一項ただし書、一〇条、一六条二項、八条)、規則その他の規程に抵触する内容の仲裁裁定がなされた場合は、規則その他の規程の必要な改廃のための措置をとることとしているのである(同法一六条二項、九条)。これらは、地方公営企業職員につき争議行為を禁止したことの代償措置として不十分なものとはいえない。
 以上によれば、名古屋中郵事件判決が公労法一七条一項の規定が憲法二八条に違反しないことの根拠として国営企業職員の場合について挙げた各事由は、地方公営企業職員の場合にも基本的にはすべて妥当するというべきであるから、地公労法一一条一項の規定は、右判決の趣旨に徴して憲法二八条に違反しないことに帰着する。論旨は、ひつきよう、名古屋中郵事件判決の立場とは異なる独自の見解を前提として原判決を論難するものであつて、採用することができない。
 同第二点について
 論旨は、上告参加人の労働基準法三六条所定の協定(以下「三六協定」という。)締結、更新の拒否による本件超勤拒否闘争が地公労法一一条一項の禁止する争議行為に当たるとした原判決は、法令の解釈適用を誤り、かつ、判例違反を犯すものである、というのである。
 原審の適法に確定した事実関係は、(1) 上告参加人は、被上告人の提示する本件財政再建計画の実施を阻止するため、昭和四二年六月一〇日ころ、組合員の投票によつてストライキを行うことを決定し、これを受けて、上告参加人の戦術委員会は、同月二一日から二三日まで超勤拒否闘争を、同月二七日から同年七月一日まで超勤拒否闘争及び安全点検闘争を、同年七月三日に超勤拒否闘争及び一斉休暇闘争を行うことを決定した、(2) 被上告人経営のバスの運行ダイヤは、労使の委員によつて構成されるダイヤ編成審議会の議を経て定められていたが、当時の公示ダイヤは、上告参加人の同意のもとに一日九勤務が時間外勤務ダイヤとして編成されており、被上告人の交通局においては、このダイヤを実施するために超過勤務が恒常化していて、超過勤務拒否があれば、平常のダイヤ運行に支障を来す状況にあつた、(3) 右運行ダイヤを実施するため、被上告人と上告参加人との間において従来から三六協定が締結、更新されてきたが、上告参加人は、本件財政再建計画についての労使の交渉が難航することが予想されるようになつた同年四月ころから、同協定を一日ないし数日の期間を定めて締結、更新しつつ事態の推移をみていたところ、同年六月一五日本件財政再建計画案が市議会に上程されるや、前記戦術委員会の決定どおり超勤拒否闘争を行うこととし、バスの正常な運行のための同協定の締結、更新方の当局の要望を拒否して、右決定に係る期間各部門において組合員に時間外勤務を拒否させた、というのである。
 これによれば、被上告人の交通局においては、従来から上告参加人同意のもとに三六協定の締結、更新を前提とした超過勤務が平常勤務として組み入れられてきたところ、上告参加人は、当該超過勤務自体に関する勤務条件については格別の要求を有していた事情は認められないのに、本件財政再建計画の実施阻止という要求を貫徹するための手段として、三六協定の締結、更新を拒否し、組合員に時間外勤務を拒否させて本件超勤拒否闘争を実施したということになるから、右超勤拒否闘争は、地公労法一一条一項の禁止する争議行為に当たるものといわなければならない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。また、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

          

9 済生会中央病院事件・最二小判平元・12・11『労働判例』552号10頁
(職場集会への警告・通知書の交付が不当労働行為にはあたらないとされた例)

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/8A900ABA5FBBE19149256A8500311ED5.pdf
(一) 昭和五〇年四月五日の警告
(1) 病院は、従来から、急患室勤務の看護婦不足を補うため、毎月二五日頃翌月の勤務表を作成し、これに基づく急患室勤務を外来看護婦に割り当てていた。この勤務表は、事前の申し出がない限り、外来看護婦の同意を得ることなく病院が一方的に作成し、外来看護婦はおおむねその勤務に服していた。(2) 昭和五〇年三月頃から病院の看護婦不足が甚だしくなったため、同月二七日になってようやく作成された四月分の勤務表には、従来なかった深夜勤(午後一一時から翌日午前八時まで)が導入され、また夜勤(午後四時から午後一一時まで)の回数も増加されていた。外来看護婦の通常の勤務は午前八時から午後四時までであるから、外来看護婦が深夜勤の後に通常の勤務をすると、午後一一時から翌日午後四時までの過重な勤務となった。(3) そこで、支部組合は、三月二八日午後三時三〇分頃から、右勤務表について協議するため外来看護婦ら二十余名を元空腹時血糖室に集めて職場集会を開いた。(4) 病院は、四月一日支部組合との間で労働協議会を開催し、外来看護婦の急患室勤務は事前に申し出れば勤務しないことができるものであることを確認したが、支部組合は、右勤務表に基づく急患室勤務を拒否した。(5) 次いで、支部組合は、病院が病棟看護婦に急患室勤務をさせる動きを示したこともあって、同月二日及び三日午後三時四〇分から右元空腹時血糖室でこれまでの経過を報告するとともにその後の対策を協議するため、外来看護婦らを集めて職場集会(以下「本件職場集会(一)」という。)を開いた。(6) そして、支部組合は、同月三日病院に対し三交替勤務に必要な急患室勤務の看護婦の増員を要求した。(7) 病院は、同月五日支部組合に対し本件職場集会(一)につき「このような集会を勤務時間中に行うことは、労働協約第九条並びに就業規則第二三条、第二四条に違反する不当な行為であります。……今後かかる行為を絶対に繰返さないようここに厳重に警告しておくとともに責任追求の権限を留保しておく。」という「警告並びに通告書」を交付した。(8) 支部組合が本件職場集会(一)をいずれも労働時間中である午後三時四〇分から開催したのは、外来看護婦は、午前中の診療が正午までに終わらないため、現実には通常の昼休み(正午から午後一時まで)をとることができず、休憩時間をとることができるのは午後の診療が一段落した三時過ぎであったこと及び外来看護婦のなかには終業後保育所に幼児を引き取りに行かなければならない者がいたことを考慮したためである。そして、本件職場集会(一)に参加した者は、いずれもその時間に差し迫った業務のない者であり、集会中業務に就く必要が生じた者は中座して業務に就いている。また、本件職場集会(一)の場所を元空腹時血糖室に選んだのも、ここが急患室の隣りであって、必要が生ずれば直ちにこれに対応することができるという配慮からであった。なお、支部組合が本件職場集会(一)を開くに当たって病院に届け出たり許可を得たことはないが、従来この時間帯に届出も許可もないまま職場集会を開催しても、病院から警告、注意等を受けたことはなかった。
(二) 昭和五〇年五月一〇日の警告
(1) 支部組合は、昭和五〇年三月三日病院に対し四月一日から基本給の二五パーセントに一律一万円を加えた賃上げ等を要求し、同月二〇日までにその回答を求めた。病院は同月二四日支部組合と団体交渉をしたが、その際、支部組合に対し、最初にして最後の回答と表現して、平均一万一二六八円(一〇・四一パーセント)の賃金を引き上げることを提示した。(2) 支部組合は同月三〇日の団体交渉においてこれを拒否したところ、病院は、五月六日の団体交渉において、支部組合が争議行為をしないことを条件として、二〇〇〇円の上積み及び看護婦の夜勤手当の増額を認める案を提示した。支部組合は、これを拒否するとともに、病院に対し同日午後六時から時間外勤務、宿日直拒否闘争に入ることを通知した。そこで、病院は、上積み回答を撤回し、同月七日全従業員に「労務情報」を配布し、「平和的解決の条件拒否さる。」という見出しのもとに右の経過を公表した。(3) 支部組合は同月八日病院と再度団体交渉をしたが、六日の案以上の案は出ず、交渉は進捗しなかった。しかして、支部組合は、翌九日に予定していたストライキを回避して交渉を続け、同月二八日、六日の賃上案を受け容れた。(4) この間、支部組合は、同月六日、七日及び九日の一二時三〇分から病院内のテニス・コートを使用して職場集会(以下「本件職場集会(二)」という。)を開いたが、六日は二九分、七日は一一分、九日は五分、午後一時からの労働時間に食い込んだ。そこで、病院は、同月一〇日、支部組合に対し、「……業務を放棄し、……多数の組合員を対象に……集会を行ったことは、労働協約第九条並びに就業規則第二三条、第二四条に違反する不当な行為である。この件については、四月五日……病院見解を明らかにしたように責任追求の権限を留保する。かかる行為を今後も繰返し行った場合は、病院として重大な決意をもって臨むことをここに正式に通告しておく。」という「警告並びに通告書」を交付した。(5) 本件職場集会(二)には、病棟看護婦のうち業務のある者、外来看護婦等で業務に支障のある者は出席せず、また集会中でも業務上必要のある者は自由に退出していた。そして、支部組合が本件職場集会(二)をすることについて病院に届け出たり許可を得たことはなかったが、従来労働時間に若干食い込む職場集会が昼休みに開かれたことはあっても、病院がこれについて警告、注意をしたことはなかった。
二 右事実関係の下において、原審は、次のとおり判断し、上告人の請求を棄却した第一審判決は相当であるとして、控訴を棄却した。
 1 労働者ないし労働組合は、使用者の許諾なくして職場集会のためその施設を利用することができるものではなく、また、労働時間中当然に職場集会をすることができるものでもない。したがって、使用者は、権利の濫用と認められる特段の事情のない限り、そのような集会の中止を求めることができる。
 2 しかし、本件職場集会(一)、(二)は、いずれもその時期にこれを開催する必要性が認められること、本件職場集会(二)によって病院の業務に直ちに支障が生ずるものではないこと、本件職場集会(一)、(二)は事実上の休憩時間にされたか昼休みに終了しないため若干労働時間に食い込んだにすぎないこと、本件職場集会(一)、(二)の参加者は業務に支障のない者であり、参加した者も途中業務に支障が生ずれば自由に退出するなどしていたこと、病院は、従来このような態様でされた職場集会について何ら注意をしたことがないこと等に照らすと、本件の場合、権利の濫用と認められる特段の事情があるから、本件職場集会(一)、(二)を違法なものということはできない。
 3 そうすると、本件警告をもって支部組合及び全済労に対する支配介入であるとした被上告人の認定判断に違法なところはない。
 三 しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 一般に、労働者は、労働契約の本旨に従って、その労務を提供するためにその労働時間を用い、その労務にのみ従事しなければならない。したがって、労働組合又はその組合員が労働時間中にした組合活動は、原則として、正当なものということはできない。また、労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで使用者の所有し管理する物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該物的施設につき使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、当該物的施設を管理利用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであり、正当な組合活動に当たらない。そして、もとより、労働組合にとって利用の必要性が大きいことのゆえに、労働組合又はその組合員において企業の物的施設を組合活動のために利用し得る権限を取得し、また、使用者において労働組合又はその組合員の組合活動のためにする企業の物的施設の利用を受忍しなければならない義務を負うと解すべき理由はない(最高裁昭和四九年(オ)第一一八八号同五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁)。
 これを本件についてみるに、本件職場集会(一)、(二)は、労働時間中に、病院の管理する物的施設(元空腹時血糖室、テニス・コート)を利用して開かれたものである。しかして、従来、病院が本件のような職場集会について何ら注意をしたことがなかったとしても、それをもって直ちに病院が労働時間中に病院の管理する物的施設を利用して職場集会を開くことにつき黙示の許諾をしていたということはできないし、病院がそのような職場集会を開くことについて反省を求めることの妨げとなるものでもない。また、右の権利の濫用であると認められるような特段の事情があるかどうかの判断に際し、病院の管理する物的施設を利用して職場集会を開く必要性を強調することができないことはさきに説示したところから明らかである。同様に、労働時間中に職場集会を開く必要性を重視して、それが許されるとすることができないことも、前記説示に照らし当然である。なお、支部組合が本件職場集会(一)を開催したのが外来看護婦が通常の昼休みをとることができない傾向にあったためであるとしても、そのことが支部組合として午後三時四〇分から本件職場集会(一)を適法に開くことができる根拠となるものでもない。以上によれば、本件職場集会(一)、(二)の開催につき病院の明示又は黙示の許諾があるとも、また、その開催を許さないことが病院の権利の濫用であると認められるような特段の事情があるとも解されないのであって、結局、病院が本件職場集会(一)、(二)に対して本件警告書を交付したとしても、それは、ひっきょう支部組合又はその組合員の労働契約上の義務に反し、企業秩序を乱す行為の是正を求めるものにすぎないから、病院(上告人)の行為が不当労働行為に該当する余地はないというべきである。したがって、東京都地方労働委員会の昭和五二年三月一日付初審命令(都労委昭和五〇年(不)第六一号事件初審命令)の主文第1項のうち昭和五〇年四月五日付「警告並びに通告書」及び同年五月一〇日付「警告並びに通告書」のうち集会にかかるもの(一通)並びに主文第4項(1)のうち同年四月五日付「警告並びに通告書」及び同年五月一〇日付「警告並びに通告書」のうち集会にかかるもの(一通)について、これを維持した被上告人の昭和五四年一二月五日付再審査申立棄却命令(中労委昭和五二年(不再)第二五号事件再審査命令)の該当部分の取消しを求める上告人の請求は理由があるから、これを認容すべきである。原判決及び第一審判決が本件職場集会(一)、(二)に対する警告が不当労働行為に該当するとしたのは、法七条三号の解釈適用を誤ったものであり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであって、この点をいう論旨は理由がある。よって、右部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消し、上告人の請求を認容することとする。

10 オリエンタルモーター事件・最二小判平7・9・8『労働判例』679号
(会社食堂の使用拒否が不当労働行為にあたらないとされた例)

労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該物的施設につき使用者が有する権利の濫用であると特段の事情のある場合を除いては、当該企業施設を管理運用する使用者の権限を侵し、企業秩序を乱すものであり、正当な組合活動には当たらない(最高裁五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁)。もとより、使用者が労働組合による企業施設利用を拒否する行為を通じて労働組合の弱体化を図ろうとする場合に不当労働行為が成立し得ることはいうまでもないが、右に説示したとおり、使用者が組合集会等のための企業施設を利用を労働組合又はその組合員に許諾するかどうかは、原則として使用者の自由な判断に委ねられており、使用者がその使用を受忍しなければならない義務を負うものではないから、右の権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、使用者が利用を許諾しないからといって、直ちに団結権を侵害し、不当労働行為を構成するということはできない。(中略)これを本件について考えてみると、組合結成通知を受けてからK守衛事件まで約九箇月にわたり、上告人は、許可願いの提出があれば業務に支障のない限り食堂の使用の許可をしていたというのであるが、そのことから直ちに上告人が組合に対し食堂の使用につき包括的に許諾をえていたということはできず、その取り扱いを変更することが許されなくなるものでもない。(中略)また、上告人は組合に対し使用を拒む正当な理由がない限り食堂を利用させることとし、外部者の入場は制限すべきではないなどとする組合側からの提案も、上告人の施設管理権を過少に評価し、あたかも組合に食堂の利用権限があることを前提とするかのような提案であって、組合による無許可使用の繰り返しの事実を併せ考えるならば、上告人の施設管理権を無視した要求と上告人 が受けとめたことは無理からぬところである。(中略)本件で問題となっている施設が食堂であって、組合がそれを使用することによる上告人の業務上の支障が一般的には大きいといえないこと。組合事務所を認められていないことから食堂の使用を認められないと企業内での組合活動が困難となること。上告人が労働委員会の勧告を拒否したことの事情を考慮してもなお、条件が折り合わないまま、上告人が組合又はその組合員に食堂の使用を許諾しない状況が続いていることをもって、上告人の権利の濫用であると認められるべき特段の事情があるとはいえず、上告人の食堂使用拒否が不当労働行為に当たるということはできない。

 ビラ配りにつき組合活動として是認した判例

倉田学園事件・最三小判平6・12・20『労働判例』669号13頁


判断(抜粋)本件ビラ配布は、許可を得ないで被上告人の(学校)内で行われたものであるから形式的には就業規則(略)の禁止事項に該当する。しかしながら、右規定は非上告人の学校内の職場規律の維持及び生徒に対する教育的配慮を目的としたものと解されるから、ビラの配布が形式的にはこれに違反するように見える場合でも、ビラの内容、ビラの配布の態様に照らして、その配布が学校内の職場規律を乱すおそれがなく、また、生徒に対する教育的配慮に欠けることとなるおそれのない特別の事情が認められるときは、実質的には右規程の違反になるとはいえず、したがって、これを理由として就業規則所定の懲戒処分をすることは許されないというべきである(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁参照)。
 右の見地に立って本件ビラ配布について検討すると、本件ビラはいずれも職場ニュースと題する上告参加人の機関紙であるところ、本件各ビラの内容は、香川県下の私立高校における労使間の賃金交渉の妥結額(五月八日配布のもの)、被上告人との間で予定されていた団体交渉の議題(同月九日配布のもの)、右団体交渉の結果(同月一六日配布のもの)など、上告参加人との労働組合としての日ごろの活動状況の報告及びこれに関連する事項であって、違法・不当な行為をあおり又はそそのかすなどの内容を含むものではない。また本件ビラ配布は、丸亀校の職員室内で行われたものであるが、いずれも就業時間前に、ビラを二つ折にして(特に五月八日及び一六日配布の片面印刷のものは、印刷面を内側にして)教員の机の上に置くという方法でなされたものであって、本件ビラ配布によって業務に支障を来したことを窺わせる事情はない。また、生徒に対する教育的配慮という観点からすれば(中略)始業時刻より十五分以上も前の、通常生徒が職員室に入室する頻度の少ない時間帯に行われたものであって、前記の教育的に欠けることのおそれのない特別の事情が認められるものということができ、本件懲戒処分は、懲戒事由を定める就業規則上の根拠を欠く違法な懲戒処分というべきである

カード JR東海(懲戒解雇)事件大阪地裁平成12・3・29判決その2

 下記に引用するようにJR東海ではストライキを予定している組合員の締め出しのため管理職が対策班・警戒班を設け入構のチェック、体を張って入構阻止、拡声器・プラカードによる退去通告を行っている。本件は民間企業のストなのでロックアウトを想定しない公務員の職場と異なるとはいえ、東京都の管理職と比較するとはるかにまともであるといえる。東京都水道局の場合、組合の3割動員の無許可集会などの違法活動についてきわめて形式的な中止の申し入れだけ。事業所レベルの頭上報告などは、そこにストライキをあおったり、違法行為を組合役員が指令する言動があっても、大声や拡声器を用いたりするアジ演説や、職員が自席を離脱するなど業務を阻害する態様のものであれ、管理職が積極的に容認している。庁舎構内の無許可集会でも通常、監視も警告も命令もなにもしないでいるわけです。郵便局であれ、国や、JRなどでやっていることなのに東京都はそうではない。組合の争議行為容認ですが、他社の対応も参考として、私は東京都にこれまでの無茶苦茶な在り方を是正するように提言します。
 下記の例では管理職が組合員に取り囲まれて罵声を浴びせられた場合、退去を命じ救出のため身体を張ってますが、私も東京都水道局の時限ストライキ時に組合員六~七名に取り囲まれて罵声を浴びせられたり突進してくる組合員もいましたが、組合の威嚇・威圧のなすがままで、そういう状況でも管理職が退去通告したり救出するということはいっさいしません。むしろピケラインを尊重しないで仕事に就こうという私のほうがけしからんと叩かれるわけですし、来客はあるのに組合を刺激するから仕事をしないように命令されたり、新入職員でまだ組合に入ってない人は、管理職の命令で庁舎から閉め出されます。逆なんですJRではストライキする組合員を締め出すし、退去命令に従わず、本件のように脅迫・暴言・暴行もあった場合は解雇もやっているわけですが、東京都水道局では非組合員を締め出して、ストライキに強制的に参加させ管理職がストライキに協力する。それが管理職のつとめとされていることが問題である。

 ストライキ時に集団で隊列を組んで庁舎内に入って練り歩くこともいっさい監視せず、警告せず、就業命令もせずやりたい放題にさせるわけですから、職場環境を適正良好に保持し、規律ある業務の運営態勢を確保することよりも組合の既得権尊重という企業風土というものは是正されなければならない。なぜならば管理職が放置することによって組合に職員に対する威圧力をあたえ、職員内部に組合の職務統制や指令に逆らえない雰囲気を醸成し、高額の組合費の収奪を容易にして組合を利しているからである。

労働判例790号より
‥‥次の事実が認められる。
 大三両〔引用者註・大阪第三車両所分会〕においては平成五年三月一八日に始業時(午前八時三五)から就業時(午後六時三五分)までのJR東海労による全一日拠点ストライキ(略)が予定されていた。‥‥被告は‥‥ストライキに参加する組合員を入構させない方針を立て、車両課長Iを班長とし、M所長及びO代理らを副班長としてストライキ対策班(さらにそのもとに警戒班)を設置し、同月一八日もA科長をはじめとする警戒員を鳥飼基地〔略・引用者註・大阪府摂津市鳥飼にあるJR東海関西支社に属する新幹線の車両基地・車両工場〕に待機させていた。‥‥
 A科長は午前六時三〇分ころ、普段は開けている東門の扉を車一台分だけ開け、入構する者の社員証、車両の入門証を提示させ、氏名及び所属を確認し、業務で入構が必要な者のみ入構を許可していた。同日午前7時頃、N分会長を乗せた‥‥(白いバン)を先頭に、組合員らは七、八台の車にを連ねて鳥飼基地の東門からから入構しようとした。
 ‥‥守衛室に待機していたA科長は、右先頭者の前面において「ダメだ、ストップ・ストップ。」と大きな声で停車させ、入構を阻止した。‥‥助手席からN分会長が降り折「どけよ。邪魔じゃないか」。と怒鳴りながら入構させるよう迫ったが、A科長は、組合員が同日ストライキを予定しており
、業務に関係ないことを理由に入構を拒否した。これに対し、N分会長は、「どうして入れてくれない。社員じゃないか。おかしいじゃないか。」等と怒鳴り、他の組合員らもA科長を取り囲んだ。‥‥原告Iを含む組合員は「危ないからどけ。」等と怒鳴って、先頭車を塞いでいた警戒員を排除しようとし‥‥A科長らは守衛室の反対の方向(略)へ押しやられ、先頭車の進路から排除された。‥‥最終的には、東門から入構したかどうか明らかでない者を含め、大三両分会員二九名を含む、三〇名以上の組合員が鳥飼基地に入構した。

 同日午前七時四分頃、当日車で出勤してきたB助役は、東門から入構し‥‥駐車したところ、原告kを含む組合員らに‥‥取り囲まれ‥‥原告Kは‥‥運転席の横に立ち「別府助役、あんたを待っていたんだ。話があるから車を降りたらどうだ。」と声を掛けた。‥‥車から降りたところ、原告京力は、腕を組んだまま身体を別府助役に寄せ、B助役を車に押しつけ、「お前よくも不当労働行為をしやがったな」と怒鳴った。‥‥他の組合員らも別府助役を取り囲み、同人に罵声を浴びせたり、腕組みをして身体を寄せ、腕や肘で身体を小突いたり、足を踏んだり蹴ったりした。
‥‥右現場を見たA科長は、組合員らに対し「B助役を取り囲むのをやめなさい」と通告し、O代理もハンドマイクを持って「何をしている離れなさい。直ちに退去しなさい。」と通告したところ
 組合員らの集団の一部がO代理に向かい‥‥B助役は‥‥引き続き組合員らに取り囲まれ、組合員から罵声を浴びせられた‥‥‥‥T中科長及びK助役が、B助役を救出するために〔東電流線〕ガードレール付近に来たため、別府助役を取り囲んでいた組合員らの集団はT科長及びK助役の方に向かった。
 A科長は、午前七時一五分ころ、組合員らによる一連の暴行によって右大腿・下腿打撲(全治三日)の傷害を負った。
 O代理は、当日の警戒班の責任者であり、鳥飼基地に入構した組合員を退去させるため、午前七時七分ころ、別府助役を取り囲んだ集団に対し、被告所有のハンドマイクで「何をしている離れなさい。直ちに退去しなさい。」と通告したが、原告らを含む組合員ら十数名が大橋代理を取り囲み、原告Kにおいて「不当労働行為を行った張本人と怒鳴るなど暴言を浴びせ、午前七時八分ころ、原告Iにおいて、O代理の前面に立ち、右手で同人の背広の左襟を掴み、押し上げる暴行を加えた。‥‥ハンドマイクを柳楽に奪われ、Yは右ハンドマイクで「みんなOさんがやらせたんでしょう。不当労働行為を。酒臭い。酒気帯び運転してるの。」等と言ったりした。‥‥‥‥金網フェンスを背にして身動きのできなくなった大橋代理のネクタイを鷲掴みにして強く引っ張り、福山、柳楽も暴言を浴びせた。‥‥一連の暴行によって‥‥プラスチック製の氏名札にひびが入った。
 原告京力は、午前七時九分ころ、金網フェンス付近で組合員に取り囲まれていたO代理を救出に行った加藤代理に掴みかかり、右救出を妨害した。‥‥‥‥午前七時一○分ころ
‥‥‥原告Iを含む七ないし八名が大橋代理に詰め寄り、「貴様、よくやってくれたな。覚悟しておけよ。」「どうなってるか分かってるんだろうな。」等と暴言を吐き、原告I、H、Yの三名は、O代理を鉄柵扉のところに追い詰め鉄柵扉の所に追い詰め、原告Iが、「向こうまで顔を貸せ。」と言いながら、O代理の背広の左襟を右手で掴み、引っ張ったため、O代理は、引っ張られまいとして右手で鉄柵扉を掴み、「何を言っているんだ。向こうに行って何をする気か。」というと、原告Iは「上等じゃねえか。川で泳がせてやる。お前は生意気なんだよ。いつも出しゃばりやがって。」と怒鳴った
。‥‥

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2009/08/15

カード JR東海(懲戒解雇)事件大阪地裁平成12・3・29判決その1

労働判例790号
http://www.zenkiren.com/jinji/hannrei/shoshi/07533.html
 争議行為中の会社施設への立入等を禁止した労働協約及び、および、会社施設への組合活動を禁じた就業規則が存在する本件においては、組合員らの会社施設内への入構及び右施設における滞留は、右施設管理権を違法に侵害する行為であるとされ、また、組合員らの入構を拒否した等の被告の措置は右施設施設管理権の濫用にも当たらないとされた例

 一般に、企業は、これを構成する人的要素及びその所有、管理する物的施設の両者を統合し、合理的、合目的的に配備組織するための企業秩序定立・維持権限を有し、その一環として、職場環境を適正良好に保持し、規律ある業務の運営態勢を確保するため、一般的規則又は具体的指示、命令によってその物的施設の使用を禁止又は制限する権限(施設管理権)を有するところ、企業の従業員は、雇用契約の趣旨に従って労務を提供するために必要な範囲で、かつ、企業秩序に服する態様において右物的施設の利用を予め許容されているものの、これを超えて、当然に企業の物的施設を利用する権限を有するものでないと解される。
 そして、これは労働組合又は組合員が組合活動をする場合も同様であり、労働組合又は組合員が企業の許諾を得ることなく右物的施設を利用して組合活動を行うことは、その使用を許さないことが権利の濫用にあたる場合を除いては、企業の施設管理権を侵し、企業秩序を乱すものであり、正当な組合活動とはいえない。
 ‥‥‥そして、被告は、前年度の春闘においてJR東海労〔引用者註・JR東海では3番目の組合で旧動労系〕がストライキに指定されていた日時場所において多数の組合員を入構させたことから、右基本協約及び就業規則に基づき、平成五年三月一八日の午前八時三五分から鳥飼基地〔引用者註・大阪府摂津市鳥飼にあるJR東海関西支社に属する新幹線の車両基地・車両工場〕において予定されていたJR東海労による大三両〔引用者註・JR東海労新幹線地方本部大阪第三車両所分会〕 のストライキに備え、当日の業務に無関係な従業員を鳥飼基地構内に入構させない措置をとり、入構してきたJR東海労の組合に対して再三に亘って鳥飼基地からの退去命令をしたのであるが、これらは、施設管理権の正当な行使ということができる。
 これに対し、JR東海労の組合員らは、警戒員らの制止を実力で排除して鳥飼基地に入構し、統治による右退去通告に従わず、第三〇分間に亘って鳥飼基地に逗留したのであり、これは右施設管理権を違法に侵害する行為というべきである。
 ‥‥‥被告は明示に業務と関係のない原告らの入構を拒否しているし、原告らの入構目的が組合活動を行うことであったとしても、会社施設内における無許可での組合活動は禁じられているのでありるから、入構が正当な組合活動の一環ともいえず、これを拒否した被告の措置が施設管理権を濫用するものとは言い難い。
 原告 Kについて
原告Kは、平成五年三月一八日午前七時ころ、被告が所有、管理する鳥飼基地に、被告の許可なく入構し、被告の再三にわたる退去勧告にも関わらず退去せず、約三〇分にわたって鳥飼基地内に逗留し、暴行、暴言については共謀の事実までは認められないものの、現場において他の組合員らと共同してB助役、K代理、T科長、O代理、M所長ら被告管理者等に対して暴行、暴言を働いたもので大三分会の分会書記長という立場にあり、B助役への暴言等においては、組合員らの中で最初に発言をし、組合員らによる一連の暴行、暴言後に集約集会の集合をかけるなど、当日の行動において指導的立場にあったといえるから、被告の主張する懲戒事由(就業規則 略)が認められる。
 原告 Iについて
原告Iは、平成五年三月一八日午前七時ころ、鳥飼基地に許可なく入構し、午前七時八分ころ、O代理に、その背広の左襟を掴み押し上げ、また、ネクタイを鷲掴みにして引っ張る等の暴行を働き、「てめえ、この野郎。」等の暴言を加え、七時二〇分ころには「向こうまで顔を貸せ。」「川で泳がせてやる。」等の暴言を吐き、七時一五分ころK助役の左胸上部付近を四・五回以上両手で押す等の暴行を行い、七時一八分ころには、他の組合員一名とともに、プラカードを掲げて退去勧告を行っている大橋代理に詰め寄ってプラカードを奪おうとして、O代理の手を爪を立てるなどの暴行を加え、三浦所長に対しても「ガキじゃねえんだからよう。」等の暴言をなしたもので、O代理及びK助役は、原告Iや原告Iと共同して行われた他の組合員らの暴行によって負傷しており、就業規則に規定する懲戒事由(略)に該当すると認めることができる。

就業規則

二二条一項 社員は、会社が許可した場合のほか、会社施設内で、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしてはならない。

二三条 社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で組合活動を行ってはならない。

2009/08/13

ニコ動総選挙調査自民優勢ぬか喜びだと思う

 夕刊フジ エッ?!自民優勢…ニコ動85万人調査で“高支持率”という記事を読みました。http://www.zakzak.co.jp/top/200908/t2009081301_all.html
7-10日のニコニコ動画調査では比例代表では自民党が38.7%でトップ、次いで民主党が31.1%、共産党6.0%、公明党3.0%、社民党1.5%、国民新党1.2%、新党日本1.0%

 ちなみに8-9日の産経・FNNの調査では民主党31.0%、自民党22.0%で民主党優位である。
 ニコニコ動画の調査は自分も答えた。小選挙区は自民党、比例はその他(幸福実現党を想定)をチェックしたが、西村幸祐がかなり前にニコニコ動画では自民支持が高いということを討論番組で言っていたのを覚えている。ニコニコのユーザーの傾向は平均的な国民の世論調査とは違うのであてにならないと思う。
 職場(東京都水道局)では野党協力で政権交代!という大きなポスターが先週から全水道東水労の組合掲示板に貼ってある。保坂展人(社民)、管直人(民主、亀井久興(国民新)の顔と名前が大きく書いてある。町ではみかけない特徴的なポスターだ。

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敷地内で集会・示威行為・旗、幟等の持ち込みを認めていない例

 一ッ橋1-1-1毎日新聞東京本社(パレスサイドビルディング)正面玄関右手に次のような貼り紙があります。

 許可なくして当ビル敷地内及び当ビル館内での集会、デモ、ビラ貼り、ビラ配り、撮影等は一切禁止します。

 他社も同じことでしょうが、したがって敷地内でデモ等は当然認めてないわけで、その実例として在日特権を許さない市民の会の抗議活動の動画があります。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7287041このケースでは警備員が4~5人壁のように立って、抗議団体は公道の歩道で声を出している。5~6年前に大手町のマルハ本社付近で労働団体の集会をみたことがありますが、その場合も歩道にいて敷地の中で集会はやってなかったように記憶する。
 ところが東京都は敷地内で労組、職員団体の集会・示威行為・旗や幟の持ち込み・拡声器の持ち込みを容認ししているわけで、集団で庁舎内になだれこむ行為すら認めてます。

http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-0bb5.html管理職が監視活動すらやらない。こんなのは異常ですよ。

2009/08/12

迫力のある在特会の史上初、京都ウトロ抗議活動2008年12月

動画で在日特権を許さない市民の会桜井誠氏の活動を最近になって知りましたが、この動画なんか、http://www.youtube.com/watch?v=3-yvIiRHAZA&feature=related迫力あるし、演説にユーモアも感じるので面白い。宇治市にこういうところがある初めて知りました。勉強になりました。ノイジーマイノリティー擁護、本格左翼の民主党政権目前の危機ですので、自分も頑張りたいと思います。

2009/08/11

民主党の税制改革は、子どものいない専業主婦と、子どもが中学を卒業とした専業主婦を狙い撃ちと森永卓郎が解説

 森永卓郎の「民主党の子ども手当がもたらすプラスとマイナス 」という記事 http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090810/173658/?P=1を読みましたが、専業主婦に不利益な政策です。専業主婦の比率の高い都道府県は、1奈良県 2大阪府 3神奈川県 4兵庫県 5東京都 6北海道 7沖縄県 8千葉県 9埼玉県となってます。大都市圏の新興住宅地、首都圏では第四山の手地帯が専業主婦が多いとされていますが、こういう地域の有権者は民主党に票を入れると損をしますということですね。

2009/08/09

日本女性の会そよ風街宣 通行人飛び入りにしては演説うますぎる

 そよ風とは行動する保守を応援する団体らしい。渋谷街宣の動画があります。http://www.youtube.com/watch?v=KS81SEI5R0c民主党政権反対を言っている通行人の飛び入り演説。声の調子も演説慣れしてうまいと思います。ほかの動画でみたところ桜井誠氏のようですが、移民1000万人計画反対とか言ってますが基本的に共感できます。というのは九世紀承和年間の大宰大弐藤原衛の4条起請で新羅人の渡航禁止を奏上、朝廷は渡航禁止を却下したが、帰化は認めない方針とした。以来、一千年以上の伝統・文化が続いてきた歴史ですから、そう簡単に移民を1000万も受け容れるというわけにはいかない。民主党政権断乎反対は全く同じ気持ち。

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カード 夫婦別姓旧慣習説を否定する学説-大藤修

 民主党政権になれば憎むべきイデオロギー上の敵・小宮山洋子が文部科学大臣(父加藤一郎が96年選択的夫婦別姓導入を法相に答申した法制審議会の民法部会長だからだ)になり、選択制夫婦別姓導入の民法改正される悪夢が現実になるでしょう。私はもちろん絶対反対であり夫婦同氏(苗)を断乎として守りたいと考えます。
 フェミニスト・夫婦別姓推進者の主張するところの「夫婦別姓旧慣習説」(例えば洞富雄「明治民法施行以前における妻の姓」『日本歴史』137号1957、熊谷開作『歴史のなかの家族』酒井書店1963等)が通説化されていた時期があったが90年代以降は否定されているとみてよい。

旧慣習説とは明治九年三月十七日太政官指令が、内務省の見解「婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚嫁シタル後ハ婿養子同一ニ看做シ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考へ候」という夫婦同氏(苗)案であったものを覆し、「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事、但、夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」とされたため夫婦別姓が士族旧慣習だったはずという考え方ですが、これについては厳しい批判があるのです。
 近世においても明治維新後も銘文、文書として残っている各種資料を精査しても社会生活において、出嫁女の生家姓(または名字)冠称の自称、指称、呼称の事例はきわめて例外的な事例しか見いだすことができないのである。
 太政官指令「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」は社会生活の実態とまったく乖離しており、事実上実効性がなかったと考えられる。それは夫婦の別氏を称することの不便さが各府県の多くの伺文で取り上げられていることでも明らかである。役所が公文書に生家姓を強いることも困難な実態にあり、事実上明治民法に先行して夫婦同氏が普及し慣行となっていた。
 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/1-e7eb.html
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1747.html

 旧慣習説を否定する学説に大藤修の『近世農民と家・村・国家 : 生活史・社会史の視座から』吉川弘文館1996があります。大藤修は東北大学文学部教授 専門分野 近世生活文化史、近世家族史。

 以下青色・引用・言い換え・要約 173頁以下

○明治3年(1870)平民に苗字の公称が許された。しかし近世においても一般庶民は苗字を持っていた。庶民の苗字公称が禁止されていただけ。

 近世において農民や町人は宗門人別帳により把握されていたが、苗字を免許された者以外は名前しか記されていない。しかし私的な文書、寺社の棟札、石碑には苗字を使用している例がある。
 かつては近世の庶民は苗字を持っていなかったという見解が通説化していた時期があったが、通説を批判した1952年の洞富雄「江戸時代の一般庶民を持たなかっったか」『日本歴史』50号を契機として、全国各地で苗字を持っていた事例が報告されるようになった。1577年から1610年に日本に滞在しイエズス会と日本側との交渉にあたったロドリゲスも、名字は高貴な人だけでなく、通常は大衆も持っており、持っていないのは漁師や身分の低い職人など最下層の人々であった、と述べている『『日本語小辞典』下、岩波文庫1993、153頁)。これまでの研究によると近世中・後期には大部分の農民が苗字を用いており、それが明治の戸籍に登録されるのが通例だった(『長野』99号1981「苗字」特集号)。
 農民の苗字の記載のある私的な文書の例を挙げると、常陸国行方郡永山村の安政4年(1857)「正人別書上」では水呑(無高)2戸を含む百姓96戸に苗字が記載され、苗字がないのは1戸だけである。庶民においても、苗字は家名として継承され、分家に本家と同じ苗字が与えられ、同族の標識とされていた。
 都市民については実証的研究はないが、大部分が苗字を持っていたのではないか。同苗=同族内の各家の連帯、相互扶助で著名な例としては三井家が知られている。ただ日雇や棒手振商などのその日暮らしの細民層は、苗字を持たないか、持っていてもそれを名乗ることは少なかったと思われる。

◎妻の姓の問題

 大藤氏は旧慣習説を批判して次のように述べる。

 近世において妻がどちらの姓を称していたかを資料的に確認するのは難しいのが実情である。第一、それについての法的規定は存在しない。そもそも近世においては、女性の役割は家の内部に限定され、社会的役割を果たしていなかったので、女性が姓を冠して対外的に自己を表示する必要はあまりなく、したがって法的に問題にすらならなかったのである。文書のうえでも女性は「某室(女房)○○」「某女○○」「某母○○」というふうな、当主たる夫や父あるいは息子との関係で表示されるのが通例である。
(これは学者らしい慎重な表現だが夫婦別姓は資料的に確認されてないので旧慣習説は否定されると言いきってよいだろう)

○但し、女性叙位の宛名は(天皇の賜与・認定の古代的姓氏源平藤橘等)+実名。

 これは、あくまでも例外的事例として扱うが、女性に関して、明確に姓を冠し文書に登場するのが位階授与(位記)である。これは実父・養父の本姓+実名であるから、令制成立期から一貫して夫婦別姓原則なのである。
 

近世ではいずれも徳川家に妾として入った女性であるが次のような例がある。

元禄15年2月14日 従一位 藤原朝臣光子 

五代将軍徳川綱吉母桂昌院(名は玉)、家光妾、本庄(藤原)宗利養女

文政11年1月10日 従二位 故従三位藤原輝子(追贈)

七代将軍徳川家継母月光院(名は喜世、左京の局とも称する。 将軍生母として絵島生島事件まで権勢を有していたことで知られる) 家宣妾 勝田(藤原)玄哲女

文政11年1月10日 従三位 故無位平朝臣篤子(追贈)

徳川家基母蓮光院(お知保の方)、家治妾、津田(平)日向守信之姉

 以上のように実父または養父の本姓+実名であるから夫婦別姓である。しかしながら女性叙位というのはごく限られた範囲にすぎないのであって、近世であればほとんど大多数の女性は無位で叙位されることはない。しかも貴人の実名忌避の習慣があるから、実名で呼称することはその人の支配することになるから、通常の社会生活で本姓+実名で指称することは憚られることでありえない。宮中の女官についてもいえることであって、通常の社会生活では女房名(歴史的変遷がある)が符牒となっていて、本姓+実名で指称されることはそうないはずだ。
 そもそも綱吉母桂昌院の実名が光子であるなどということは憚られることで、ほとんどの人が知らないはずだ。これはあくまでも朝廷との君臣関係で用いられるだけのことであって、このことをもって旧慣習とするのは拡大解釈である。
 さらに王朝風の古代的姓氏(本姓-源平藤橘等)が明治四年で公文書で用いることを禁じたため、本姓は人名として用いられなくなり、今日、近世以前の姓氏二元システム、朝廷との君臣関係は本姓、将軍との君臣関係や一般的社会生活で名字(苗字)を使い分けるシステムはなくなり、本姓ではなく、名字(苗字)のみに一元化されている。
 例えば細川護熙首相は本姓である源朝臣を公文書で用いることはできないはずである。従って約140年前の明治4年に本姓の署名を公文書から禁じたことから、古代的姓氏を用いた位記の伝統を選択的夫婦別姓導入の論拠とする論理性はない。なお明治以降貴人の女性が社交生活を行うようになったが、○○公爵夫人、○○伯爵夫人というように、近代では夫婦同氏(苗)で呼称されるのが慣例であることはいうまでもないことである。

◎ 女性の自己表示

 大藤氏が近世で女性が自ら姓を名乗っている例として次の三例である。近世史プロパーの学者が精査して、たったの三例しかないのだからきわめて例外的なものとみるほかない。

○ きわめて例外的な姓を付した自己表示

(1) 徳川綱吉母桂昌院が、元禄7年(1694)11月付けで法隆寺に献じた永代常燈篭銘文に「母儀桂昌院本庄氏」とある。
 「本庄」は養父の苗字である。

(2)旗本庄田家から旗本井関家に嫁いだ隆子は、結婚後天保年間(1830~1844)に作った歌に「源ノたか子」と記している。井関氏の本姓は「菅原」、庄田氏の本姓は「源」であるので、実家の父方の本姓を記している。

(3)幕末の女流志士として有名な「多勢子」は、信濃国伊那郡山本村の豪農「竹村」家に生まれ、同郡伴野村の「松尾」家に嫁いだが、彼女が平田国学の門に入った際、むその誓詞帳に「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録した。

○文学作品

 文学作品にしても女性が自らの作品に署名すること自体が稀であり、『女流文学全集』(文芸書院1918)に収められた作品にしても、署名がないのが大部分で、あっても号を署しているのが通例である。

○書状等
 
 男性が書いたものには姓名が記している場合が多いが、女性の場合は身内の者との通信がほとんどなので、名前だけ、あるいは「母」「ばば」というふうに記してあるのが通例である。身内以外に出す場合でも例えば「八田嘉右門内ナカ」というように、夫との関係で表示している。
 信濃国埴科郡下戸倉村に設けられていた心学講舎「共安舎」安永六年(1777)四月より文化二年(1805)の入門者名簿では、男性は姓名を記している例が多いが、女性は「中村庄八妻 きち」「松代駒之介姉 もと」「小林源蔵母 よね」「若林孫右衛門娘 くら」というふうに男性との関係において表示しているのが注目される。
 庶民の家においては女性が中継ぎ的に当主になっている例はかなりみられるが、その場合でも、宗門人別帳には「某後家」「某娘」という肩書きが付される。女性当主がせ差出人となっている金子借用証文でも例えば「専吉女房 おみの」」というように、男性との関係で表示される。

 以上のように、女性が姓を冠して自己表示する例はきわめて例外である。「源ノ隆子」と「竹村多勢子」の例をもって夫婦別姓旧慣習とみなすわけにはいかない。これは特殊な女性の例である。通例では、女性は父、夫、兄弟、息子戸の関係で表示されていたということは、夫婦同姓が旧慣習にもなじむものであったのである。

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2009/08/08

民主党の扶養控除撤廃は家族解体、働けない病人や老人をいじめる弱いものイジメとの見解もある

 税収40兆円しか財源がないなかで、子ども手当に5.6兆円もつぎ込むと言う話です。配偶者控除・配偶者特別控除・扶養控除を全て廃止しても1.6兆円しか充当できず、4兆円は埋蔵金など別の財源から工面することになるということです。これは育児休業のように女性の雇用を抑制して少子化対策にマイナスになることはないとしても、効果があるかは未知数。フェミニストが天下を取って家族解体を促し、傲慢になるだけだと思う。
 私は育児休業をなくしたいので、この回答の意見とは違いますが、少子化対策にならないという厳しい意見と子ども手当についての疑念がヤフーの知恵袋にありましたのでリンクします。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1028585915

民主党の子ども手当と扶養者控除撤廃はフェミニズムの家族解体政策

 チャンネル桜の8/4の番組で江崎道朗日本会議専任研究員のマニフェストの分析をやってます。http://www.youtube.com/watch?v=ivU4SN_OLaI&feature=channel民主党の政策の目玉である子ども手当の財源には配偶者控除と扶養控除撤廃により充当することになってますが、これはフェミニストが10年前から言っていた政策だと言ってます。私も樋口恵子なんかがテレビで主張していたのを知ってますが、実質これはフェミニズムを公定イデオロギー化する政策の一つだと思います。
 江崎道朗氏が言ってましたが、子ども手当は、事実婚でも、離婚しても、未婚の母で育てられても等しく支給されることで、家族解体を促す政策とみてよいでしょう。実際、子ども手当をやっているフランスが事実婚社会で法律婚が無意味になっている。

30年前の懐かしい番組

 NHK教育の「みんなの科学」。http://www.youtube.com/watch?v=cq8yO59Hc7U&feature=relatedアシスタントの梅田由利香は覚えているが可愛かったと思う。オープニングだけなので残念。一応私の出身校は理科系の園芸高校園芸科だからそのころは視聴していた。これでも化学Ⅰ、生物Ⅰ、作物保護、土・肥料、草花園芸、総合実習の成績は5だったから。実は私は放課後も学校農業クラブ花卉班の活動で圃場で作業をしていたので、この番組を見る時間までに家に帰ってなかったことが多かったが、たんほぽの外来種に関する番組を見た記憶がある。花卉班の一年先輩の女生徒もその番組の話をしていた。しかし花より美人のほうに酔ってしまったので花屋には就職しなかったというのは冗談です。
 百合のオリエンタルハイブリッドの品種カサブランカがオランダで作出されたのがそのころで、草花の先生が、この百合はすごいとか興奮していたのを思い出す。

ノリピーの機転の利いた行動に感心する

 私は売春・賭博など被害者なき犯罪の非犯罪化を主張しているし、リバタリアニズムに好意的であることをプログに書いている。ケイト-研究所ほど明確ではないが大麻非犯罪化に好意的な見解である。よって押尾学や酒井法子を非難することはしない。
 むしろ機転の利いた行動に感心する。さすがにタレントとして成功しただけのことはある。産経の酒井法子逮捕状 失踪は覚醒剤抜く時間稼ぎ?http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000625-san-sociという記事がありますが、警察官は、尿検査を求めたが、「絶対に嫌です」と拒否。さらに参考人聴取するため、任意同行を求めたが、「子供を(知人に)預けているので、あとで行きます」と振り切った。さすがだと思う。私は性格的に柔順なので絶対できないことだ。
 失踪事件はネットでは押尾事件やクリントン元大統領訪朝をしのぐ関心を集め「悲劇の妻」となって国際的に同情されることとなった。覚醒剤反応を消そうとしているための失踪という見方は報道ステーションでもやっていたが、だとすれば、不利益を最小限にする計算で行動しており賢い女性である。私は、芸能人が深々と頭を下げるだけの会見に飽きている。最近の行きすぎた警察の風俗取り締まり(乱交パーティやトルコ風呂等の摘発など)に不快感を持っている。この際、大麻などは非犯罪化すべきだと堂々と主張する芸能人がいてもよいと思う

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2009/08/07

マニフェスト選挙デマゴギー説と子ども手当の疑問

  マニフェストデマゴギー説は光文社の芹沢一也・荻上チキ編『日本を変える「知」』2009年の吉田徹「ニッポンの民主主義」に書いてあったことですが、マニフェストはイギリスが本場だと喧伝されているが、数字が載っているマニフェストは数えるくらいしかない、日本でイメージされているマニフェストがイギリスで定着したのは1997年のブレア労働党から、ブレア労働党は保守党政権時代の政策をかなり継承して大きな揺り戻しをしなかった。中道に寄って政権担当能力を示して、保守党の有権者を横取りしようとした、ブレアの戦略の一貫だったにすぎないというようなことが書かれてます。
 民間政治臨調や21世紀臨で官僚主導から政治主導「生活者起点」「分権改革」のためにマニフェスト選挙を喧伝したということです。
 しかし、私は官僚も信用はしてないが、政治家もとりわけ民主党なんか全く信用してない。生活者支援ではプロビジネスの政策にならないし、分権改革が本当に善いものなのか信用してない。だから政策フェチにならずに、政党は価値観を示して個別政策の詳細はテクノクラートにゆだねる在り方の方が無難だったかもしれない。というのは、政権公約の目玉が民主党が子ども手当現金支給という所得再配分政策であり、自民党もこれに影響されて幼児教育無償化を公約としている。選挙のたびに家計支援でばらまいていくと、ツケが回されるだけの心証がある。
 7日産経新聞のオピニオン藤末健三氏によると子ども手当はフランスで第2子月約1.6万円、第3子以降約2万円、ドイツでは第3子まで月約2.1万円相当を支給しているということだが、民主党の政策はこれより大型のものである。フランスやドイツは経済成長の見込みの乏しい国ではないのか。フランスやドイツのまねでは日本の未来は暗い。
 
フランスでは2006年の合計特殊出生率が2.00と欧州では高い方だが、子ども手当が要因であるかは判然としない。ドイツは2006年に1.32で出生率が低く、子ども手当の効果に疑問を持つ。仮に効果があったとしても、本来私事である子育てのために、3人子どもがいれば年間約100万円も支給する所得再配分政策は不愉快である。竹中平蔵元総務大臣が7日の産経正論で書いてますが、民主党の政策では、子ども3人の家庭に0歳から15歳まで約1500万円を支給することになるから、地方では家一軒をプレゼントするのと同じ大盤振る舞いだという。
フランスの付加価値税は19.6%、ドイツも19%(出所林信吾『イギリス型〈豊かさ〉の真実』講談社現代新書2009)である。付加価値税とは消費税のことであるが、民主党のやり方では子ども手当で埋蔵金を使いはたし、地方分権で自治労の影響力が増し、行政は非効率化、しかもスト権も与えるのだという。国家公務員の人件費を減らすといって、その分地方政府に移してしまうというからくりがあるらしい。そうするといずれ幸福実現党がいうように民主党政権では15~20%の欧州並消費税になるのではないか。
 子ども手当をやるなら育児休業は廃止すべきだ。というのは育児休業は女性の雇用を抑制要因になっていて、少子化対策としてもマイナスの効果があるように思えるからである。私は東京都水道局ですが、女性職員は子どもを産むたびに育児休暇をとって共済組合から給与の8割保障されているのだとか、この不労所得も含めると相当なボロ儲けになる。子ども手当をやるなら育児休業は廃止するとかでないとバランスが取れないと思う。

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2009/08/04

国民的美少女コンテストグランプリは宮崎県出身の13歳、工藤綾乃

  タレントとして成功するのかわからないが、なるほど別嬪とは思う。元祖アイドル笠森おせんも評判になったのは12歳くらいだから、このくらいの年齢の娘が最善だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090804-00000031-maiall-ent.view-000
 本日発売の東京スポーツが押尾学が警察で茶巾絞りみたいな異様な格好にさせられていたというが、同情する。悪く言うのはもてない男がもてる男に対するやっかみだろ。児童ポルノ単純所持で捕まっても茶巾絞りにされるのかな。

2009/08/02

「別居」「離婚」「廃太子」以外の選択肢として立后せずに妃位・夫人位にとどめる案はどうか(1)

 国家最重大事とは皇位継承である。「廃太子」にまで踏み込んだ橋本明氏の提言について週刊朝日などのメディアが取りあげていますが、基本的には所功教授の言うように、皇太子本人に決定的な不都合がない以上、妃の病気を理由とする廃太子はありえない(ウィル9月号の橋本明氏の記事)というのが一応無難な見解のようには思える。しかしながらせっかく橋本氏が国民的議論をと呼びかけているので無視はしないし、このブログでも意見を述べることとしたい。
 これまで男帝でも子孫が皇位継承していない一代限りの天皇は多くの例があるし、朱雀・後一条・後冷泉・後光明のように、皇子がなかったために、弟の村上、後朱雀、後三条、霊元に皇統が移ったケースがありますが、皇太子と秋篠宮の関係もこれに類比してよいわけです。近世では後光明天皇の皇子女が孝子内親王御一方だったために、皇弟の高貴宮(霊元)を養嗣子としたケースがあります、このケースに類比しても良いわけです。また後伏見天皇皇弟の富仁親王(花園)が後伏見の猶子として皇位継承者とされた(これは伏見院政ののち後伏見が院政をしく立場であることを明確にするものだが)例もあります。
 
 弟宮に皇統が移った前例(10世紀以後)
第1例 A朱雀-B村上-C冷泉
第2例 A後一条-B後朱雀-C後冷泉
第3例 A後冷泉-B後三条-C白河
第4例 A崇徳-近衛-B後白河-C二条
第5例 A安徳-B後鳥羽-C土御門
第6例 A土御門-B順徳-C仲恭
第7例 A後深草-B亀山-C後宇多
第8例 A後二条-B後醍醐-C後村上
第9例 A崇光-B後光厳-C後円融
第10例 A後光明-後西-B霊元-C東山
(参考)A花山-B三条-C敦明親王(小一条)
*Aが兄、Bが弟、Cが弟の皇子です
 
 恒貞親王(承和の変で廃太子)は嵯峨天皇の甥にあたります。正確にいうと母正子内親王が嵯峨皇女ですから孫にもあたるので、皇太子殿下と悠仁親王殿下の血縁関係よりずっと濃いのですが、嵯峨天皇が恒貞親王を愛されていたことは恒貞親王伝で知られているとおりで、恒貞親王とは従兄弟の関係にある仁明天皇の正嗣として皇太子に立てられた。これは嵯峨上皇の意向によるものと考えられている。仁明皇子道康親王(文徳)は恒貞親王と年齢差はほとんどなかったはずだが、直系の孫ではなく、甥の方が優先順位が高かった例である。240年前の光格天皇から皇太子殿下まで八代直系の嫡嫡継承が続くこととなりますが兄弟継承や叔父-甥継承があってもなんの不可解なことはないから、あえて直系継承の継続にこだわって廃位とする必然性はないのである。
 しかし一般論として妃として不都合な事情があれば、むろん廃妃・妃辞職の前例があるからそれを検討しても良いと思う。
 

廃后・廃妃事件等
 
 和銅6年 嬪石川 刀子娘【とねのいらつめ】紀 竈門娘【かまどのいらつめ】 嬪位剥奪

 文武天皇には聖武生母夫人藤原宮子のほかに、嬪として石川刀根娘と紀竈門娘というキサキが知られており、文武崩後に 嬪位を剥される事件が起きている。角田文衛氏によると、首皇子の立太子の前年であること、石川刀根娘所生の広成皇子・広世皇子も連座して皇族の身分を剥奪されることからら、橘三千代又は藤原不比等の謀略である蓋然性の高い事件とされている。
 
 宝亀3年 井上内親王(光仁后・聖武皇女)廃后
 巫蠱厭魅の容疑で皇后を廃される。次いで所生の他戸親王も皇太子を廃される。大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)没官の邸に幽閉される。藤原百川及びその周辺の謀略である蓋然性の高い事件と言われている。宝亀六年没(変死)、延暦十九年詔して皇后の称を追復し墓を山陵と称する。
 
 弘仁3年 平城妃朝原内親王(異母妹)・大宅内親王妃辞職
 薬子の変で平城上皇敗北のため。
 
 弘仁初期 嵯峨妃高津内親王(異母姉)廃妃

 理由不明。藤原冬嗣の陰謀説、姦淫説等諸説あり不確定。外戚の坂上氏は武官の枢要を歴任し有力な軍事官僚で、有力公卿の藤原内麿や嵯峨側近の藤原三守とも姻戚関係があるので不可解な事件だが、冬嗣の異母弟三人の母が坂上氏である。冬嗣にとって高津内親王が後宮で権勢を有する事は具合が悪かったとはいえる。
 
 参考芦田耕一「高津内親王の歌をめぐって」『平安文学研究』61 1979   

 清和天皇譲位後の女御藤原多美子以下の辞職

 これは、当時財政難で、清和上皇が封戸の半分を返上したことでも明らかであるが、女御藤原多美子は父右大臣藤原良相が応天門の変で失脚したことから政治的敗者である。
薨伝「徳行甚だ高くして中表の依懐する所と為る。天皇重んじ給ひ、増寵他姫に異なり。天皇入道の日(清和上皇の出家に従う-元慶三年五月)、出家して尼と為り、持斎勤修す。晏駕の後、平生賜りし御筆の手書を収拾して紙を作り、以て法華経を書写し、大斎会を設けて恭敬供養しき。太上天皇の不眥の恩徳に酬い奉りしなり。即日大乗会を受く。聞きて聴者感嘆せざる莫し。熱発して奄ち薨じき」。
 
 寛平八年 廃后 皇太后藤原高子(陽成生母)廃位
 
 角田文衛によれば藤原高子の御願寺東光寺座主善佑との八年前の情事がむしかえされ、それを理由に皇太后尊号を奪った事件であり、当時高子は55歳だった。但し、前皇太后職が附置され、上皇生母たる体面を保つ生活は保障された。これは陽成上皇の復辟運動を抑止するための政治的な事件とみて良いだろう。なお名誉回復はかなり後のことである。
 参考 角田文衛『二条后 藤原高子』幻戯書房2003
 
 居貞親王(三条)の東宮に入侍藤原綏子の例
 
 居貞親王の最初のキサキは外祖父藤原兼家の三女尚侍藤原綏子が永延元年東宮に入侍し(太子12歳、綏子15歳)寵幸渥かったが、後に源頼定との密通事件により東宮を去った。
 
 
 (つづく)

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