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2009/08/09

カード 夫婦別姓旧慣習説を否定する学説-大藤修

 民主党政権になれば憎むべきイデオロギー上の敵・小宮山洋子が文部科学大臣(父加藤一郎が96年選択的夫婦別姓導入を法相に答申した法制審議会の民法部会長だからだ)になり、選択制夫婦別姓導入の民法改正される悪夢が現実になるでしょう。私はもちろん絶対反対であり夫婦同氏(苗)を断乎として守りたいと考えます。
 フェミニスト・夫婦別姓推進者の主張するところの「夫婦別姓旧慣習説」(例えば洞富雄「明治民法施行以前における妻の姓」『日本歴史』137号1957、熊谷開作『歴史のなかの家族』酒井書店1963等)が通説化されていた時期があったが90年代以降は否定されているとみてよい。

旧慣習説とは明治九年三月十七日太政官指令が、内務省の見解「婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚嫁シタル後ハ婿養子同一ニ看做シ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考へ候」という夫婦同氏(苗)案であったものを覆し、「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事、但、夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」とされたため夫婦別姓が士族旧慣習だったはずという考え方ですが、これについては厳しい批判があるのです。
 近世においても明治維新後も銘文、文書として残っている各種資料を精査しても社会生活において、出嫁女の生家姓(または名字)冠称の自称、指称、呼称の事例はきわめて例外的な事例しか見いだすことができないのである。
 太政官指令「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」は社会生活の実態とまったく乖離しており、事実上実効性がなかったと考えられる。それは夫婦の別氏を称することの不便さが各府県の多くの伺文で取り上げられていることでも明らかである。役所が公文書に生家姓を強いることも困難な実態にあり、事実上明治民法に先行して夫婦同氏が普及し慣行となっていた。
 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/1-e7eb.html
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1747.html

 旧慣習説を否定する学説に大藤修の『近世農民と家・村・国家 : 生活史・社会史の視座から』吉川弘文館1996があります。大藤修は東北大学文学部教授 専門分野 近世生活文化史、近世家族史。

 以下青色・引用・言い換え・要約 173頁以下

○明治3年(1870)平民に苗字の公称が許された。しかし近世においても一般庶民は苗字を持っていた。庶民の苗字公称が禁止されていただけ。

 近世において農民や町人は宗門人別帳により把握されていたが、苗字を免許された者以外は名前しか記されていない。しかし私的な文書、寺社の棟札、石碑には苗字を使用している例がある。
 かつては近世の庶民は苗字を持っていなかったという見解が通説化していた時期があったが、通説を批判した1952年の洞富雄「江戸時代の一般庶民を持たなかっったか」『日本歴史』50号を契機として、全国各地で苗字を持っていた事例が報告されるようになった。1577年から1610年に日本に滞在しイエズス会と日本側との交渉にあたったロドリゲスも、名字は高貴な人だけでなく、通常は大衆も持っており、持っていないのは漁師や身分の低い職人など最下層の人々であった、と述べている『『日本語小辞典』下、岩波文庫1993、153頁)。これまでの研究によると近世中・後期には大部分の農民が苗字を用いており、それが明治の戸籍に登録されるのが通例だった(『長野』99号1981「苗字」特集号)。
 農民の苗字の記載のある私的な文書の例を挙げると、常陸国行方郡永山村の安政4年(1857)「正人別書上」では水呑(無高)2戸を含む百姓96戸に苗字が記載され、苗字がないのは1戸だけである。庶民においても、苗字は家名として継承され、分家に本家と同じ苗字が与えられ、同族の標識とされていた。
 都市民については実証的研究はないが、大部分が苗字を持っていたのではないか。同苗=同族内の各家の連帯、相互扶助で著名な例としては三井家が知られている。ただ日雇や棒手振商などのその日暮らしの細民層は、苗字を持たないか、持っていてもそれを名乗ることは少なかったと思われる。

◎妻の姓の問題

 大藤氏は旧慣習説を批判して次のように述べる。

 近世において妻がどちらの姓を称していたかを資料的に確認するのは難しいのが実情である。第一、それについての法的規定は存在しない。そもそも近世においては、女性の役割は家の内部に限定され、社会的役割を果たしていなかったので、女性が姓を冠して対外的に自己を表示する必要はあまりなく、したがって法的に問題にすらならなかったのである。文書のうえでも女性は「某室(女房)○○」「某女○○」「某母○○」というふうな、当主たる夫や父あるいは息子との関係で表示されるのが通例である。
(これは学者らしい慎重な表現だが夫婦別姓は資料的に確認されてないので旧慣習説は否定されると言いきってよいだろう)

○但し、女性叙位の宛名は(天皇の賜与・認定の古代的姓氏源平藤橘等)+実名。

 これは、あくまでも例外的事例として扱うが、女性に関して、明確に姓を冠し文書に登場するのが位階授与(位記)である。これは実父・養父の本姓+実名であるから、令制成立期から一貫して夫婦別姓原則なのである。
 

近世ではいずれも徳川家に妾として入った女性であるが次のような例がある。

元禄15年2月14日 従一位 藤原朝臣光子 

五代将軍徳川綱吉母桂昌院(名は玉)、家光妾、本庄(藤原)宗利養女

文政11年1月10日 従二位 故従三位藤原輝子(追贈)

七代将軍徳川家継母月光院(名は喜世、左京の局とも称する。 将軍生母として絵島生島事件まで権勢を有していたことで知られる) 家宣妾 勝田(藤原)玄哲女

文政11年1月10日 従三位 故無位平朝臣篤子(追贈)

徳川家基母蓮光院(お知保の方)、家治妾、津田(平)日向守信之姉

 以上のように実父または養父の本姓+実名であるから夫婦別姓である。しかしながら女性叙位というのはごく限られた範囲にすぎないのであって、近世であればほとんど大多数の女性は無位で叙位されることはない。しかも貴人の実名忌避の習慣があるから、実名で呼称することはその人の支配することになるから、通常の社会生活で本姓+実名で指称することは憚られることでありえない。宮中の女官についてもいえることであって、通常の社会生活では女房名(歴史的変遷がある)が符牒となっていて、本姓+実名で指称されることはそうないはずだ。
 そもそも綱吉母桂昌院の実名が光子であるなどということは憚られることで、ほとんどの人が知らないはずだ。これはあくまでも朝廷との君臣関係で用いられるだけのことであって、このことをもって旧慣習とするのは拡大解釈である。
 さらに王朝風の古代的姓氏(本姓-源平藤橘等)が明治四年で公文書で用いることを禁じたため、本姓は人名として用いられなくなり、今日、近世以前の姓氏二元システム、朝廷との君臣関係は本姓、将軍との君臣関係や一般的社会生活で名字(苗字)を使い分けるシステムはなくなり、本姓ではなく、名字(苗字)のみに一元化されている。
 例えば細川護熙首相は本姓である源朝臣を公文書で用いることはできないはずである。従って約140年前の明治4年に本姓の署名を公文書から禁じたことから、古代的姓氏を用いた位記の伝統を選択的夫婦別姓導入の論拠とする論理性はない。なお明治以降貴人の女性が社交生活を行うようになったが、○○公爵夫人、○○伯爵夫人というように、近代では夫婦同氏(苗)で呼称されるのが慣例であることはいうまでもないことである。

◎ 女性の自己表示

 大藤氏が近世で女性が自ら姓を名乗っている例として次の三例である。近世史プロパーの学者が精査して、たったの三例しかないのだからきわめて例外的なものとみるほかない。

○ きわめて例外的な姓を付した自己表示

(1) 徳川綱吉母桂昌院が、元禄7年(1694)11月付けで法隆寺に献じた永代常燈篭銘文に「母儀桂昌院本庄氏」とある。
 「本庄」は養父の苗字である。

(2)旗本庄田家から旗本井関家に嫁いだ隆子は、結婚後天保年間(1830~1844)に作った歌に「源ノたか子」と記している。井関氏の本姓は「菅原」、庄田氏の本姓は「源」であるので、実家の父方の本姓を記している。

(3)幕末の女流志士として有名な「多勢子」は、信濃国伊那郡山本村の豪農「竹村」家に生まれ、同郡伴野村の「松尾」家に嫁いだが、彼女が平田国学の門に入った際、むその誓詞帳に「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録した。

○文学作品

 文学作品にしても女性が自らの作品に署名すること自体が稀であり、『女流文学全集』(文芸書院1918)に収められた作品にしても、署名がないのが大部分で、あっても号を署しているのが通例である。

○書状等
 
 男性が書いたものには姓名が記している場合が多いが、女性の場合は身内の者との通信がほとんどなので、名前だけ、あるいは「母」「ばば」というふうに記してあるのが通例である。身内以外に出す場合でも例えば「八田嘉右門内ナカ」というように、夫との関係で表示している。
 信濃国埴科郡下戸倉村に設けられていた心学講舎「共安舎」安永六年(1777)四月より文化二年(1805)の入門者名簿では、男性は姓名を記している例が多いが、女性は「中村庄八妻 きち」「松代駒之介姉 もと」「小林源蔵母 よね」「若林孫右衛門娘 くら」というふうに男性との関係において表示しているのが注目される。
 庶民の家においては女性が中継ぎ的に当主になっている例はかなりみられるが、その場合でも、宗門人別帳には「某後家」「某娘」という肩書きが付される。女性当主がせ差出人となっている金子借用証文でも例えば「専吉女房 おみの」」というように、男性との関係で表示される。

 以上のように、女性が姓を冠して自己表示する例はきわめて例外である。「源ノ隆子」と「竹村多勢子」の例をもって夫婦別姓旧慣習とみなすわけにはいかない。これは特殊な女性の例である。通例では、女性は父、夫、兄弟、息子戸の関係で表示されていたということは、夫婦同姓が旧慣習にもなじむものであったのである。

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