公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2009/08/23

カード ピケッティング問題1

 ピケッティングについては少なくともイギリス並みの規制立法(6人以下の平和的なものに限る)を提案する。これは就労の権利、団体行動に加わらない消極的権利の確立が第一の理由ですが、ニューサンス、脅迫、業務妨害の規制というだけでなく、今後、公務員の労働基本権付与が現実となっていくと、市場からの抑制要因が欠如している公益事業において、規制がない限り官公労は悪質なストをやる可能性が高いです。争議行為の態様についての規制立法が絶対必要になってくるという見込みからであります。
 そもそもサッチャー政権が誕生したのは1978~79年の「不満の冬」と呼ばれるストライキで国民が多大な被害を被ったことによる労働組合への反発だった。1979年に労働組合員はピークに達し、約1300万人が組合員となるとともに、公務員の労働組合NURUが戦闘的になった。1978~79年の「不満の冬」とは主として公共部門労働組合の横暴を指すものである。基軸産業の組合が大きな賃上げ合意をしたため、公務員もそれに続こうとし、78年12月,地方自治体現業労働者は40%の賃上げを要求した。1979年1月貨物自動車とタンクローリーの運転手が25-30%の賃上げを求めてストライキにはいった。1月22日,150万人の公共サービス労働者が24時間ストライキにはいった。
 水道労働者,救急車の運転手,下水労働者,ゴミ収集人たちは皆仕事をやめた。リバプールでは,墓掘り人が死体埋葬を拒否したので死体が積み重ねられたままにおかれ,大きな非難を巻き起こした。公共サービス労働組合の3つが穏当な9%プラス週当たり1ポンドで妥結したが,賃上げ要求が統制を失い5%という政府の基準は完全に無視されていた。給食婦のストで50万人が学校にいけなくなった。ゴミは山のようになって積まれたままで収集されずに散乱、それは市民が忘れることのできないひどさだった。しかも労組は要求が通るまでストを続けると宣言、厳しい冬で生活を痛撃された市民に深刻な社会不安を惹起させ、ピケによる暴力沙汰は市民を憤激させたのである。労働組合が強かった一つの理由として、大量動員ピケット、二次的争議行為を規制していなかったことがある。当時労働党キャラハン政権であるが、保守党より5ポイントリードしていた支持が逆に20%リードを許した。
 このように国民が労働党政権を見限った状態でサッチャーが登場した。
 
 そこで保守党サッチャー政権の1980年雇用法では、ピケッティングについて「組合員自身の労働場所あるいは解雇前の労働場所の外で、六人以下の平和的なものに限る」とし、フライングピケット(ピケット隊)、マスピケッティング(大量動員ピケ)二次的ピケッティング(直接雇用関係のない例えば炭坑ストを支援するために、発電所への石炭の搬入を阻止するなどのピケ〕を禁止した。更に免責の対象となる争議は紛争当事者とその使用者のものに限られるとし、直接雇用関係のない同情ストは保護対象から外した。
 組合のとっていた戦術のほとんどが、民事免責の対象から外され、使用者による差止請求と損害賠償請求から逃れられなくなった(註1)。

引用註1 家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(2)完 : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」『名古屋大學法政論集』 v.169, 1997, p.153-195

 更に1988年雇用法において労働組合員の個別的権利が拡大され、スト投票が正当に行われない場合はもちろん、多数の組合員が賛成した場合でも、ストライキに参加することを不当に強制されない権利と組合運営に訴訟を起こす権利、スト実施中に就労したり、ピケット・ラインを越えた場合でも労働組合によって制裁されない権利、組合会計記録の閲覧権、チェックオフの停止権が規定され、労働組合の組織としての統制を制限した。
 1990年雇用法では労働組合が労働市場を独占する要因になっていた事前加入クローズドショップと二次的争議行為が禁止され、非公認ストライキの組合の責任を拡大した(註2)。
 
引用註2 田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房2007年 95頁以下

 1997年に政権が交代し労働党ブレア政権では、保守党政権時代のいくつかの労働政策を変更している。
 例えば、組合承認の法的手続きは1980年に保守党政権によって無効とされ、経営者は組合弱体化の戦略として組合否認・団体交渉拒否の流れとなった。組合の承認は労使関係の当事者の任意となったわけだか、この政策により団体交渉より個別主義へのパラダイム転換が明確になったのである。しかし労働党は労働組合の要望に応え、1999年雇用関係法でに新しい組合承認手続きを制定している。
 またメジャー政権は1993年に産業別の最低賃金を設定していた賃金審議会が廃止されたが、労働党政権で1998年に最低賃金法、1が制定され、1999年全国一律最低賃金が導入された。
 またメジャー政権はEU労働時間指令を受け容れなかったが、ブレア政権は1998年に週48時間規制などを規定したEU労働時間指令を受け入れ法制化した(但し同時に、本人が署名すれば長時間労働ができる形態「オプト・アウトも導入された)。
 しかしながら、ピケッティングの規制、二次的争議行為禁止やクローズドショップ禁止、争議行為の投票制度(郵便による秘密投票・第三者の監査を要するといった、保守党政権の労働政策は大部分継承された。
 それはなぜかというと、70年代のストライキのひどさを国民はよく知っているために、いかに労働党といえどもフライングピケットや二次的争議行為を容認していたかつての時代に戻ることは現実的でなく、労働組合活動規制に国民的合意ができているとみてよいだろう。労働政策で大きな揺り戻しを行わなかったことが労働党の政権担当能力を示すこととなったのである。

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