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2009/10/18

カード 柴桂子「近世の夫婦別姓への疑問」

 〔総合女性史研究会〕大会の記録 夫婦と子の姓をめぐって--東アジアの歴史と現状) のコメント『総合女性史研究』(21) [2004.3] 。夫婦別姓旧慣習説懐疑的な学者として大藤修についてはこのブログでも言及した。山中永之祐についても取りあげるが、同じように夫婦別姓の根拠とされる資料がごくわずかであることなどを理由として1937年生の近世女性史研究者である柴桂子氏も旧慣習説を批判しているがわかった。

 この大会の発言者では浅野美和子が近世においては「女性の苗字は原則的には生家のものを使用したが後に生活の実態から夫の苗字を名乗る場合も起った」と結論しているが、それとは全く異なる見解が述べられている。夫婦別姓推進論者の依拠する旧慣習説は明確に否定してよいと思う。
 
 青-引用 緑-要約した引用

 法制史研究者によって「江戸時代の妻の氏は夫婦別氏だった」と流布されているが、夫婦異姓の根拠とされる史料はごくわずかに過ぎない、女性の立場や実態把握に疑問がある。

 法制史研究者は別姓の根拠を、主として武士階級の系図や妻や妾の出自の氏に置いている。ここに疑問がある。妾や側室は雇人であり妻の範疇には入らない。給金を貰い借り腹の役目を終わると解雇され配下の者に下賜されることもある。
 より身分の高い家の養女として嫁ぐことの多い近世の女性の場合には、系図などには養家の氏が書かれ「出自重視説」も意味をなくしてしまう。
 別姓説の中に「氏の父子継承原理」が語られるが、女の道として教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていた。
 また、宗門人別帳でも夫婦同宗とされ、婚家の墓地に埋葬されるなど婚家への一体性・帰属性が強かった。

 
 実態として近世の既婚女性はどう呼ばれどう名乗っていたのか

◎他称の場合

○出版物 『近世名所歌集』嘉永四年(1851)、『平安人物誌』文政五年(1822)
姓はなく名前のみで○○妻、○○母と婚家の身分が記されている。『江戸現在広益人名録』天保一三年(1842)も同様だが、夫と異なる姓で記載されている場合もわずかある。

○人別書上帳・宗門人別帳
庶民の場合は姓も出自もなく、筆頭者との続柄・年齢が記される。

○著書・歌集・写本などの序文や奥付

武士階級でも姓も出自もなく、院号や名のみの場合が多い。

○犯科帳、離縁状、訴状、女手形

姓はなく名のみが記され○○妻、○○後家とと書かれ、名前さえ記されないものもある

○門人帳 
別姓の例としてよく取りあげられる「平田先生門人姓名録」であるが、幕末の勤王家として名高い松尾多勢子は「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録されている。しかし、この門人帳には29名の女性の名があるが、既婚者で生家姓で登録されているのは多勢子を含め5名で、婚家の名で登録されているのは10名、名だけで登録されているのが3名である。他は○○娘とあり未婚者と考えられる。
他に心学門人帳などあるが、姓はなく名のみが記され、○○妻、○○娘と細字で傍書されている。

○墳墓、一般的には正面に戒名、側面に生家と婚家の姓が刻まれている。

◎自称・自署の場合
 
○著書 多くは姓はなく名のみを自署している。

○書画・短冊 雅号のみの場合が多い

○書簡 これも名前のみサインである。

○『古今墨跡鑑定便覧』本人の署名を集めたもので、姓はなく名前のみサインである。

例外的にフルネームの署名もあるが書画や文人の書簡であって夫婦別姓とはいいがたい。

 柴桂子氏の指摘から江戸時代の既婚女性は生家姓を冠称して、呼称、指称、自称、自署はしているわけではないと断言してさしつかえないだろう。夫婦別姓は旧慣習とはいえない。多勢子のような例外的事例をもって夫婦別姓というのは過当な一般化だろう。
 墓碑名については、明治民法施行前において、例えば明治五年、神道布教の中央機関として設置された大教院が神葬の儀礼を編纂せる近衛忠房・千家尊福『葬祭略式』を刊行し、そのなかで、「妻には姓名妻某氏霊位と記す」となし、妻の生家の氏を刻むよう奨導した例がある(江守五夫『家族の歴史人類学-東アジアと日本-』弘文堂1990 53)があるが、そもそも教派神道を別として、神道式の葬式は今日普及しておらず、墓碑名に生家姓を刻むとしても、それは妻の由緒、姻戚関係を明らかにする趣旨で、生きている人の実態において生家姓を冠称していたとする根拠にはならないと考える。
 夫婦別姓推進論者は舅姑や夫と同じ墓に入りたくないと言うが、しかし我が国においては、婚入配偶者が、生家に帰葬されるという慣習はきわめて例外的なものである。
 もっとも江守五夫は「子持たずの若嫁の帰葬」を論じている。新潟県岩船郡・西頸城郡・青森県三戸郡田子町・秋田県鹿角市、仙北地方に「子持たずの若嫁の帰葬」の習俗があるとしている。これは子どもができないで若死にした場合、特に不正常死した若嫁の遺骸や遺骨を生家が引き取るというならわしであるという。江守氏は、中国の東北地区の満族・ダフール族・エヴァンギ族にも類似した出嫁女の帰葬の習俗があリツングース系の北方民族との一致点を見いだしているが、しかしながら、こうしたローカルな名習俗から、出嫁女の婚家帰属性を否定することに論理性はない。我が国というか東アジアに共通していえることだが、例えば足入れ婚のように、初生子を出産するまでの、嫁の地位が不安定であるということは指摘されている。しかし、今日足入れ婚の悲劇はきかなくなったし法律婚が定着している以上この問題を論ずる必要はないだろう。
 
 柴桂子氏の重要な論点として
 女の道として教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていた。
 という指摘があるが、出嫁女の婚家帰属性については我が国も漢土法も近世朝鮮・韓国も同じことである。この点については東洋法制史の滋賀秀三(『中国家族法原理』創文社1967 459頁以下註16)によると女性は父の宗との帰属関係を有さない。父を祭る資格を有さないのである。女性は婚姻によってはじめて宗への帰属関係を取得する。夫婦一体の原則にもとづき、夫の宗の宗廟に事える義務を有し、死後、夫婦同一の墳墓に合葬され、考妣対照の二牌つまり夫婦で一組の位牌がつくられ、妻は夫と並んで夫の子孫の祭を享けるが、女性は実家において祭られる資格を有さず、未婚の女の屍は家墳に埋葬されず他所に埋める。つまり女性は生まれながらにして他宗に帰すべく、かつそれによってのみ人生の完結を見るべく定められた存在であった。白虎通に「嫁(えんづく)とは家(いえづくり)なり。婦人は外で一人前になる。人は出適(とつぐ)ことによって家をもつ」。「婚礼の挙行によって女性は確定的に夫宗〔夫の宗族〕の秩序に組み込まれる」。漢族は夫婦別姓であっても妻は夫の宗族に帰属する。韓国の門中も同じことである。
 だから、儒教規範で徹底している社会(例えば韓国農村)において、女性にとって最大の幸福とは、死後亡夫と並んで一組の位牌がつくられ夫の子孫によって祭を享けることにあるのだ したがって、妻の異族的性格や自然血統的家族観を強調する論理は誤りである。日本であれ、韓国であれ、満州族であれ、漢族であれ、満洲族であれ出嫁女の婚家帰属性は同じことである。

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