請願書 (下書き1)夫婦別姓反対
請 願 書
鳩山由紀夫内閣総理大臣殿
平成21年10月 日
【請願する法案】
夫婦別姓 (選択的別姓)
【法案に反対する理由】
1) 選択的夫婦別姓の導入は社会主義国の模倣である。
かつて大正時代など内縁婚の多い時代があった。しかし今日法律婚は国民に定着しており、入籍=結婚と認識され、諸外国には世界的にも類例がないほど成功している。国勢調査の統計と法律婚と有意の差はない。昭和30年代頃まで社会問題になっていた足入れ婚の悲劇もきかれなくなっており、これほど安定している法律婚制度を世論が分裂している問題であるのに日弁連や女性団体のメンツを立てるために法律婚制度をいじるのはやめるべきだ。親族構造から夫婦別氏としている韓国を除くと、夫婦の姓を自由としていたのはソビエト、東独、チェコスロバキア、中華人民共和国といった社会主義国であり(滝沢聿代「フランスの判例からみた夫婦の氏--夫婦別氏制への展望」『成城法学』34号1990)、このような社会主義国型立法を容認することはできない。
2)夫婦同氏を採用した明治民法は優れており、女性にも有益な制度であるから断乎堅持されるべきである。
明治民法は国民感情及び社会的慣習を根拠として夫婦同氏を制定されたといわれるが、起草者穂積陳重・富井政章・梅謙次郎の三者のうちもっとも強く夫婦同氏を推進したのが梅謙次郎である。梅謙次郎は「家」制度に批判的で、儒教道徳より愛情に支えられた夫婦・親子関係を親族法の基本とし、士族慣行より、庶民の家族慣行を重視した点で開明的だった。その判断は正しかったし近代法の父ともいえる梅博士の業績を否定するのは誤りである。
梅謙次郎は法典調査会議事速記録第146回で次のように述べた。「支那ノ慣例ニ従テ、妻ハ矢張リ生家ノ苗字ヲ唱フベキモノト云フ考ヘガ日本人ノ中ニ広マッテ居ルヤウデアリマス〔ガ〕‥‥之カ日本ノ慣習少ナクトモ固有ノ慣習テアルトハ信シラレマセヌ、兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ」。(熊谷開作『日本の近代化と「家」制度』法律文化社1987 207頁)
中国や韓国の家族慣行は出嫁女が婚家に帰属することについて我が国と同様であるが、夫婦別姓である。これは宗法制度において同姓不婚・異姓不養という鉄則により姓がファミリーネームでなく、血族標識と認識されているためである。我が国が中国に支配された歴史がなく宗法制度が受容されず、近世朝鮮・韓国のように儒教による祖先祭祀も普及しなかったことから、夫婦別姓を許容する必然性などない。
支那の慣例に従う必要などないとする一方、明治民法は当時ドイツ・オーストリア・スイス・イタリアの法制を参考としており、西欧の夫婦同氏を継受したという側面もある。正確には、スペインは複合姓であり、イギリスやフランスでは婚姻によって妻は夫の氏を取得するとされる。イギリス・ドイツの夫婦同氏の慣習であり少なくとも13~14世紀に遡ることができる。
栗生武生『婚姻の近代化』87頁ははゲルマン法は教会の「二人の者一体となるべし」の教えによって妻に夫の氏を称させたとする説だか、疑問がある。
むしろ姓は家産の相続と関連しているみるべきでろう。鵜川馨 「十八世紀英国における婚姻契約」『イングランド中世社会の研究』聖公会出版 1991によるとウェディングの語源についてゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとしての動産質(E pledge,OE wedd)を与える儀礼と述べ、weddという言葉は将来夫の死後に寡婦産として現実に土地の引き渡しを担保する者として、指輪あるいは銀貨が与えられるのであって、本来は質物、担保を意味したが、やがてこの語は、結婚式に関連して専ら用いられ、wedは結婚するという意味に変わり、本来の保証するという言葉としてはpledgeなる語が用いられるようになった。ウェディングとは花嫁の終身的経済保障の担保・質物を与えるということを原義としていたのである。つまり、中世イギリスにおいては夫家の家産である土地の一部が寡婦産として設定され、花嫁は終身的経済保障を得る。夫家の家産を相続するのであるから、夫姓を唱える権利を取得するのである。つまり夫婦同氏の意味するところは婚家の財産分与で寡婦の終身的経済保障を得る権利に繋がっており、女性にとって有利な制度であるのにこれをみすみす破壊することは女性にとって利益とはならない。
我が国の家族慣行にも合致し、西欧のファミリーネームも継受した夫婦同氏は優れた制度であって、日弁連やフェミニストの利己主義によって破壊されてはたまらない。
3)婚家の氏を唱えず、婚家の財産を分捕るのは道義に反する
夫婦別姓推進論者は、女性は婚嫁して夫とともに婚家を継ぐという家族道徳を全面的に否定し、夫や舅姑に仕えるのはまっぴらごめん、墓も夫や舅姑と一緒になりたくないとして婚家帰属性を否定するのであるが、慣習に反するものであり、民法730条「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」の趣旨にも反するものである。婚家姓も唱えず、夫や舅姑に仕えるのも面倒もみたくないとしているのに、夫(婚家)の財産は法定相続により分捕ってしまうというのはムシが良すぎるし、道義に反する。紀元前のローマに無夫権婚姻という制度があった。これは持参金のない婚姻なので、寡婦となっても亡夫(婚家)からの財産分与・終身的経済保障はない。女性にとってはみじめな在り方だが、夫婦別姓論者が婚家に帰属したくないなら、夫(婚家)の家産を分捕る権利など与えるべきではなく、福島瑞穂国務大臣のように事実婚でよいのではないだろうか。
4)夫と共に婚家を継ぐという我が国の社会構造となっている出嫁女の婚家帰属性を否定する男女の結びつきを法律婚として容認することは、「家」を破壊し、婦人道徳を否定し、社会秩序を破壊するものである。
人類学者でも厳密な定義で定評のある清水昭俊(元一橋大学社会学研究科教授)によると「家」成員を実子、養子、婚入者(婿・嫁)、家成員からの排除を、婚出、養出、分家設立と定義したうえ、婿とは家長(予定者)、嫁とは主婦(予定者)の地位であると明確に定義された。我が国の「家」において特徴的なことは寡婦となった嫁が、あらたに家外から婿を迎えて(血筋が中切れでも)家が継承されるのである。従って嫁が家成員であることはいうまでもない。理論的に明確に出嫁女は婚家に帰属する。(「〈家〉と親族:家成員交替過程(続)-出雲の〈家〉制度・その二」『民族学研究』38巻1号)又、法社会学者で嫁入婚の歴史に詳しい江守五夫(千葉大学名誉教授)によると婚礼の白無垢が死装束であり、緋の衣装の「色直し」が婚家での再生を意味するという考え方は古来説かれていた。伊勢流などの礼道では別の見解のようだが、嫁の生家出立の際に、出棺の方式をまねて、座敷から後ろ向きに出たり里方(生家)において死ぬことを意味とするとする習俗は広く認められているとする。(『家族の歴史民族学-東アジアと日本-』弘文堂1990) いずれにせよ、婚礼が出嫁女の婚家帰属を象徴するものである事に疑いはない。
古くは「戸令」二十八の七出・三不去の制も律令国家の公定イデオロギーである。凡そ妻棄てむことは七出の状有るべしとされるのである。子無き。間夫したる妻。舅姑に事へず。心強き妻。ものねたみする妻。盗みする妻。悪疾。であるけれども子無きはさしたる咎にあらずともされている。舅姑に事へないことは悪事とされている。
近世の女子教訓書の代表作『女大学宝箱』(享保元年)には「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁いりを゛帰る″という。わが家にかえるという事なり」とあり、また「女は、我が親の家をば継がず、舅・姑の跡を継ぐゆえに、わが親より舅・姑穂大切に重い、孝行を為すべし」と説かれ(柴桂子 「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003年])、出嫁女の婚家帰属性を明確に述べている。女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐのが女性の日常道徳の基本である。
『女大学』19ヵ条には女性にとって本来の家は婚家。七去の法。 生家の親より、舅・姑に孝養をつくすべき とされておりそれが婦人道徳の根幹であり、これがなくなれば「家」は解体する。まさしく夫婦別氏出デテ家亡ブのである。
こうした婦人道徳の根幹を否定するのが夫婦別姓であり、容認できない。むしろそれを推進する日弁連・フェミニストとそれに迎合した法制審議会民法部会こそ、道徳的価値を否定し社会秩序を混乱させ社会主義立法を目指すものとして糾弾されるべきである。
以上
住所
氏名 川西 正彦 (印)(*ワープロの場合には印鑑が必要)
年齢 49歳
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