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2009/10/20

明治民法の夫婦同氏の意義その2(夫婦別姓反対下書き)

明治民法施行前の妻の氏その1

明治3年9月19日太政官布告「自今平民苗字被差許候事」により庶民も氏を名乗ることが許されたが、明治8年2月23日太政官布告により氏は必ず唱えるものとした。そこで妻の氏の扱いが問題になってくるが、明治7年8月20日内務省は婦女の姓氏について、養女の場合、婚嫁した場合、夫の家督を相続した場合について伺を太政官に提出した。


幻の明治7年左院議案-夫婦同氏

内務省伺を受けて太政官では左院で審議がなされ、明治7年9月4日に左院議案が提出されたが、結論は夫婦同氏であった。御指令按は

 本邦二於テ中古以来人ノ妻タル者本生ノ姓ヲ称スル習慣有之候得共現今ノ御制度二於テ妻ハ夫ノ身分ニ従ヒ貴賤スヘキ者ニ付夫ノ姓氏ヲ用イル儀ト相心得候事

中古以来妻は本生の姓氏を称する習慣があるが「現今ノ御制度二於テ妻ハ夫ノ身分ニ従ヒ貴賤スヘキ道理ニ拠リ」夫の姓氏を用いるのが相当であるとする。

 ところが左院議案はどういう経過をたどったのか不明であるが採用されずに埋もれてしまうのである。(廣瀬隆司「明治民法施行前における妻の法的地位」『愛知学院大学論叢. 法学研究 』28(1・2) [1985.03])

 明治8年の内務省案も夫婦同氏 
 
 明治8年11月9日妻の氏について未だに成例がないために内務省は、腹案を示しつつ伺出を太政官に提出している。

 華士族平民二諭ナク凡テ婦女他ノ家二婚家シテテ後ハ終身其婦女実家ノ苗字ヲ称ス可
キ儀二候哉、又ハ婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚家シタル後ハ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考ヘ候ヘ共、右ハ未タ成例コレナキ事項ニ付決シ兼候ニ付、仰上裁候‥‥

 この伺文の内務省の見解は、妻が実家の氏を称するより夫の氏を称することを二つの根拠から方向づけている。すなわち、一つは、妻は夫の身分に従うはずのものであるということ。他の一つは妻は婚嫁したる後は婿養子と同一に看倣すべきこと。従って妻は夫の氏を終身称することである。この方針で内務省は取り扱いを処理したいのであるが、これまでに成例のない事項であるとして太政官に伺出をしたものである。
 
 私が内務省案で注目したのは妻は婚嫁したる後は婿養子と同一に看倣すべきこととしている点で、婚入配偶者がせ婿であれ嫁であれ家の成員としていることである。つまり出嫁女の婚家帰属性にもとづいて夫婦同氏案を提示したことだが、嫁の婚家帰属性については理論的な厳密さで定評のある人類学者である清水昭俊氏が日本の出雲地方の家族制度を実地に研究され「家連続者」(家内の夫婦の内、その婚姻に先立ってそ家の成員であった者)という日本的「家」に特徴的な概念を用いて家の成員を論じているが、家の成員とは実子・養子・婚入配偶者の三つであると明確に説明している。(清水 昭俊  「< 家>と親族--家成員交替過程(出雲の<家>制度-2-) 」『民族学研究』 37(3) [1972.12.00] )婚入配偶者たる嫁は、未亡人となって家連続者となりあらたに婿を迎えて家は継承されるのである。この趣旨からすれば同じく成員である実子・養子とともに婚家の氏を唱えることは道理である。

 明治9年太政官指令「妻は所生の氏」

 ところが明治九年三月十七日の太政官指令で、内務省の見解を覆し「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事、但、夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」とされたのである。
 太政官は下部機関の法制局に審議させた結果、次のような理由を付して指令案を作成した。
 
 別紙内務省伺嫁姓氏ノ儀審案候処婦女人ニ嫁シタル者夫家ノ苗字ヲ称スル事不可ナル者三ツアリ
第一 妻ハ夫ノ身分ニ従フヲ以テ夫ノ姓ヲ冒サシムヘシト云ハ是ハ姓氏ト身分ヲ混同スルナリ
第二 皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ皇后ヲ皇族部中ニ入ルゝハ王氏タルヲ以テノ故ニアラスシテ皇后タルヲ以テナリ
第三 今ニシテ俄カニ妻ハ夫ノ姓ニ従フトスレハ歴史ノ沿革実ニ小事ニアラス例ヘハ何々天皇ハ何々天皇ノ第幾子母ハ皇后〔王〕氏ト署セントスル歟 
 帰スル処今別二此制ヲ立テント欲スルヲ以テ一ノ大困難ヲ醸スナリ右等ハ都テ慣法ニ従ヒ別ニ制ヲ設ケサル方可然歟因テ御指令案左ニ仰高裁候也 

(山中永之佑「明治民法施行前における妻の氏」『婚姻法の研究上高梨公之教授還暦祝賀』有斐閣1976 
 廣瀬隆司「明治民法施行前における妻の法的地位」『愛知学院大学論叢法学研究』28巻1・2号 1985.03)

 夫婦同氏を覆した重要な理由が第二と第三の理由であり。皇親・王氏といった単系出自系譜の父子継承の自然血統的 親族概念を混乱させるという理由づけである。

 「皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ皇后ヲ皇族部中ニ入ルゝハ王氏タルヲ以テノ故ニアラスシテ皇后タルヲ以テナリ」とありますがここで王氏というのは令制の皇親概念(父系単系出自概念)の範疇でしょう。
 この見解では明治聖后藤原美子(昭憲皇太后-従一位左大臣一条忠香女)、皇太后藤原夙子(英照皇太后-孝明女御明治養母-関白九条尚忠女)はあくまでも藤原氏ということです。皇后はその身位ゆえに皇族部なのであって、族姓ゆえに皇族なのではないと言ってます。臣下の女子は、皇后に立てられることによって皇親ないし王氏に族姓が変更されることはありえないという趣旨になります。
 山中永之佑によると法制局議案の第一「妻ハ夫ノ身分ニ従フヲ以テ夫ノ姓ヲ冒サシムヘシト云ハ是ハ姓氏ト身分ヲ混同スルナリ」の「身分」とは「族称」だという。明治九年に井上毅が作製した婚姻絛例第三条に「華士族平民互二婚姻ヲ結ブト雖モ、婦ハ夫ノ身分二従フ者トス」あり、平民出身でも士族に嫁すと士族の身分という趣旨のようだ。身分=族称に皇族部を加えると意味がとおります。
 これはある意味で正論でもあり、法制局が夫婦同氏にまったをかけたのは、皇室ではそれは通用しないということです。
 しかし、この理由づけは夫婦同氏とする左院議案・内務省案と妥協的解決が不可能なものではないと考える。というのは令制の立后制度、後宮職員令は、嫡妻権の明確な中国の制度とも違うし、嫡妻権の明確な厳密な意味での婚姻家族とみなせない。皇后という身位はむしろ政治的な班位のように思えるから、民間の婚姻家族と同列に論じないで、庶民の「家」は女系継承があり非血縁継承もある血筋が中切れになっても永続性があり、家職の継承に合理的なのが日本的「家」制度ですから、皇室の単系出自系譜とは明確に性格が異なるので、婚姻家族を別の制度としてとらえることで克服できる課題でもあったとはいえる。
 重要なことは妻は所生の氏とする理由に漢土法に倣うとか、中国の漢族の宗族や、韓国の門中のような宗法原理にもとづく趣旨は全く書かれていないことである。それは当然のことであって、我が国は高麗のように元に支配され、同姓不娶のような宗法原理による親族の再編が行われた歴史はない。儒教による祖先祭祀も普及しなかったことから当然のことである。

 つづく

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