下書き4 夫婦別姓は社会主義政策である(1)
伝統的な中国や近世朝鮮・韓国においては、同姓不婚と異姓不養の原則がある。家族制度の本義として、祖先の祭祀はその血統の子孫が営むべきであって、異姓からの養子を嗣子とすると、その宗族を乱すと考えられたため、同一血族の同族の男子(厳密には昭穆制により同世代の)を養子とする。異姓は養子に迎え入れない。(なお、中華人民共和国では宗法を封建制度として否定したので、韓国のように同姓同本不婚のような法規定はない)
この漢民族の法文化はわが国には受容されていない。なぜならば高麗のように元を宗主国としたわけではないし、満洲族のようにシナを支配するために積極的に宗法制度に同化することもなかった。高麗末期のような儒者による廃仏運動はなかったし、李氏朝鮮のように朱子家礼による祖先祭祀が広まることもなかったからである。
したがって、中国や韓国のように夫婦別姓を導入する余地はないと考えていたが、法務省入国管理局職員(1972年当時)の島村修治の著書(『外国人の姓名』ぎょうせい1971年24頁以下)を読んだところ、清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではないことがわかった。
著名な人物として例えば、孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢、毛沢東-江青、劉少奇-王光美、周恩来-鄧穎超と姓名記載するように昔から夫婦別姓だという固定観念を持っていたがそうではないことがわかった。とすると、宗法制度=夫婦別姓とみなす必要はない。
島村氏によると清朝の姓名記載慣習は、女は結婚すれば夫と一心同体のものとして無姓無名の存在となり、一般の人々は〈何々家の奥さん〉、〈誰某の妻〉、〈誰某の嫁〉、〈誰某の母〉と呼びかたをしていた。(この在り方は近世日本の庶民の在り方と同様である)
しいて名のる必要がある時は、
王竜妻張氏、あるいは 王張氏(王家に嫁入した張氏の娘との意味)というふうに書いたという。
中華民国の婚姻法(民法第1000条)でも夫婦は原則として同じ姓を称することになっていた。しかし実態としては1930年代以降、婚前の姓に字を添え、婚家の姓をかぶせ在り方が増加した。孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢は原則に反するが、夫婦間の特約により婚前の旧姓を保持することも認められていたためだという。
中華人民共和国では1950年5月1日公布の新婚姻法では、男女は平等であり互に独立した人格者であるとして、姓名についても「夫婦それぞれ自分の姓名を使用する権利をもつ」と定め、別姓であれ同姓であれいずれの姓を選ぶかは当事者の任意とした。
この法律のモデルはいうまでもくソ連である。
島村氏によると(前掲書148頁以下)
ア 帝政時代は妻は当然に夫の姓を称した
イ 1919年の法典では、夫婦同一姓の原則により共通の姓を称するが、男の姓か、双方の姓を連結した姓を称するかは、両当事者の自由とした。
ウ 1924年11月の法令で夫婦異姓の可能性が認められ、同一の姓を称する義務がなくなった。
なお、1926年に連結姓と第3の姓の選択は否定されたとも書かれている。
ソ連は1926年に事実婚主義を採用し、1936年の登録婚制度法定まで事実婚の時代といわれている。夫婦別姓はスターリン時代の事実婚社会にふさわしかったのである。
以上のことから夫婦別姓というのはレーニンが死去した1924年のソ連の法令に由来するものであり、それが1950年の共産中国の婚姻法に継受されたとみることができる。そして民主党政権千葉景子法相の手によってついに、我が国にもソ連・共産中国モデルの民法改正がなされようとしているのである。
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