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2009/11/12

椿葉記の趣旨を重んじることが肝要ではないか

 本日は御即位20周年ということですので、あらためて申し上げますと、中川八洋氏の著書『悠仁[天皇]と皇室典範』清流出版2007年4~5頁で述べられているように、男系男子の皇胤が危機的に細くなっているということはない。これは現存されておられる旧皇族が復籍されれば簡単に解決する事柄であるから。問題はそういう常識的な結論に反対する、皇統が不動に安泰する、旧皇族の復籍を阻止する勢力の暗躍が、皇統の未来に暗い影を投げかけていることである。

 後崇光院貞成親王の著書『椿葉記』に「崇光院・後光厳院は御一腹の御兄弟にてましませ共、御位のあらそひゆへに御中悪く成て、御子孫まて不和になり侍れは、前車の覆いかてか慎さるへき。いまは御あらそひあるへきふしもあるまし。若宮をは始終君の御猶子になし奉へけれは、相構て水魚のことくにおほしめして、御はこくみあるへきなり。」(『村田正志著作集第4巻證註椿葉記』261頁)とあります。

 意味は崇光院と後光厳院は同腹の兄弟でありながら、皇子の栄仁親王と緒仁親王(後円融)とで皇位継承を争って、仲が悪くなって、崇光院流と後光厳院流(伏見・柳原両流)の子孫まで不和となった。そういうようなことがないように。前人の過を見て後人の戒とすべきだとされております。そこで貞成親王はひとつの提案を行っています。後花園天皇が皇弟で伏見宮の継承者となる貞常親王をゆくゆくは御猶子になし奉るべきである。それによって崇光院御一統の間が親睦にして、皇室と伏見宮が水と魚のように親密に将来永く疎隔なきように相構えて心懸けてほしいということを言っているわけであります。

 要するに後花園天皇の皇室と、伏見殿を継承する貞常親王は親密にして将来永く疎隔無きよう心構えてほしいとのことですが、現在の皇室と伏見宮系は崇光院流皇統の双璧であるわけで、今日でも菊栄親睦会があるわけだが、本来は社交儀礼にとどまるべきでなく、水と魚のように親密であるべきことが『椿葉記』の趣旨であると理解できる。水と魚のように親密であるべきということは旧皇族の復籍以外にない。『椿葉記』の由緒は決定的なのである。

 実際、康正二年(1456)十月に後花園天皇の仰せにより皇弟貞常親王に、後崇光院の紋を使用すること。「御所」の号を永代にわたり許された(伏見宮系譜「貞常親王御記云、康正二年十月(虫損)日、晴、從内御使(後花園)源黄門來、故院(後崇光院)異紋以下之事、其儘永世當家可用、且永世伏見殿御所ト可稱慮之旨傳申」『皇室制度史料 皇族四』の64頁)。これは『伏見宮系譜』に引用される『貞常親王御記』が原資料で、小川剛生氏は学者らしく、他に裏付けがないのでこの説に慎重だが、これをもって世襲親王家の存在を公式に認めたということになると肯定的に論じている(小川剛生「伏見宮家の成立」松岡心平編『看聞日記と中世文化』森話社2009)。その後の伏見殿の遇され方でも明らかなように、貞常親王の子孫に同等の身位、天皇の猶子として歴代親王宣下を受けて皇族の崇班を継承される世襲親王(定親王)家としての地位を明確にされたとみてよいだろう。要するに貞常親王の子孫である伏見宮系が皇位継承者たりうる由緒は明確なのだ。
 元禄・享保頃に成立した『有職柚中抄』に「定親王トハ伏見殿ノ如キ永代不易ノ親王也、是ハ帝二御子ナキ時ハ位二ソナヘ玉ハン義也」(武部敏夫「世襲親王家の継統について伏見宮貞行・邦頼両親王の場合」『書陵部紀要』12号1960)とあるように伏見宮家の皇位継承候補の控えとしての性格は明確なのである。

 

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今週のサピオで小林よしのりが男系尊重派を罵倒してますから、これは徹底的に叩いた方がいいですよ。

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