労使関係の先進化法案が必要である
私のいう「先進化」とは1980年代以降のイギリス保守党政権、オーストラリア自由党政権、ニュージーランド国民党政権の新自由主義雇用法をモデルとし、集団的労働関係(団体交渉)から個別契約にパラダイム転換する提言であリ、戦後レジームからの脱却を図るというものである。
1992年英国保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のようにパラダイム転換を説明している。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」*1
サッチャー政権は1980年に労働組合承認の法的手続を廃止して、組合を承認し団体交渉を行うか否かは使用者の任意とした。元々イギリスの普通法において労働組合が営業を制限するコンスピラシーとして違法な存在とみなされていたにも関わらず、今日まで存在してきたのは使用者がクラフトユニオンの内部請負制を便利なものとして利用していたことがある。使用者側に生産過程を管理する能力がなければ、労働者は組合の職長をとおした間接管理しかできないからである。しかしクローズドショップの違法化で、労働組合は労働市場を支配できなくなった。現代の産業構造では労働組合による内部請負制は必然的なものではなく、生産過程と仕事の分量など労働者の職務統制、賃金の配分等を組合に丸投げにするコストが大きくなれば競争力は低下し、組合を承認する利点は少なくなったといえる。
職場雇用関係調査によると全体的には公務員職場で組合承認が維持されているために組合承認率は1990年の53%から、1998年の45%と劇的には低下していないが、民間部門の1998年の組合承認は1990年の三分の一の水準に低下した。機械・金属業では組合承認のある職場が1990年には37%であったのが、1998年に19%に低下し団体交渉は崩壊したとも云われる。一方組合員のいない職場が1984年に27%であったものが、1998年に47%に上昇した。*2
もし保守党政権が続行していれば2010年までに労働組合は消滅したとまでいわれ言われたものである。
最も先進的な労働法制がニュージーランド国民党政権1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)であるが、これは労働法から、「労働組合」も「団体交渉」も消し去り、労働関係を個別雇用契約によって処理した。*3
究極の労働市場の規制緩和である。もっとも労働党への政権交代で2000年雇用関係法によって「団体交渉」も「労働組合」も復活したが、しかし2008年再び国民党政権に戻っている。個別主義がトレンドであることは間違いない。
オーストラリア自由党の政策としてはオーストラリア職場協定(Australian Workplace Agreement:AWA)」がある。これは労働協約を排除した使用者と個人が交渉する個別雇用契約制度だが、労働条件で定の水準を上回った場合に認められる制度なので完全な契約自由ではないが、個別契約を求めるニーズに応じた制度として評価できる。*4
我が国もこうした新自由主義の労働政策に倣うべきである。林=プレスコット説によると1990年代の日本経済低迷「失われた10年」の要因とは「時短」により,週当たりの雇用者平均労働時間が,バブル期前後で44時間から40時間に低下したこと,もう一つは,生産の効率性を図るTFP(total factor productivity)の成長率が,90年代の中ごろから低下したことである。硬直した労働法制に経済低迷の要因であることは、はっきりしているわけだから、労働基準法を廃止して、労働時間規制をなくすべきであるが、今の民主党政府は労働組合との深い関係があるので、いつまでたっても低迷から抜け出すことができないだろう。
ニュージーランド1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のような個別雇用契約の自由の確立は最終目標である。勿論それを一挙にやれればそれにこしたことはないが、事実上の労働基本権の否認であり、労働組合の既得権を剥奪するものなのでそう容易なことではない。
そこで、まず私は、第一段階として労働組合の団体行動に加わらない被用者の権利を明文化することを提案する。我が国ではプロレーバーの労働法学が諸悪の元凶だろう。不当に労働組合寄りの解釈を行ってきたため、個人主義的自由が論じられなかった嫌いがある。
仮に労働基本権を認めても非組合員に団体行動に参加しない消極的権利はあると解釈するのが妥当である。つまり表現の自由に表現せざる自由がある。例えば政府が官製デモを組織して、「民主党万歳」と叫ばせることを強要することはできない筈である。宗教の自由には特定の宗教を信仰しない自由の含意もあり、結婚する自由もあるが、結婚せざる自由もあることと同じである。消極的権利を明文化しなくても消極的権利を肯定すべきであるが、現実に私の勤務する東京都水道局では消極的権利を否認するような管理職の指図がある。個人の自由は私生活に限定されるべきではない。最も重要なの労働力処分の自由である。冒頭に述べたような米国や英国ではストライキに参加しない被用者の権利を明文化しなければならないと思う。
仮にピースフルピケッティングを認めるとしても、それは説得活動に過ぎないから、説得に応じるか否かは自由であり、実力行使して通行を妨害することは個人の就労の権利の侵害である。法人や団体に個人の正当な権利を侵害するの権利はないはずである。
プロレーバー学説は最大限の威圧行為や実力行使さえ容認する学説があるが、労働組合が統制下にない者の権利を侵害するほどの権力を付与することには同意できないからである。
つまり私は非組合員であるあなた(管理職)の就労を妨害する権利はない。それと同じように労働組合や管理職にストライキに反対する職員の就労を妨害する権利はない。しかも服務の示達でストライキに参加しないよう命令しているのだから、就労は義務であるのに、いったんストライキが司令されたら、ピケラインを尊重して就労するなというのは命令を発出しながら命令に反する行動を取れということで道理に反するからである。
ストライキである以上、擦れ合いは当然覚悟して就労するわけでである。昔から流血の事態はあった。イギリス1984~85年全国炭坑労働組合(NUM)ストライキでは反ストライキ派の乗ったタクシーに岩が投げつけられて死者を出している。差止命令やピケ隊の排除がない以上リスクはつきものでそれはやむをえないことである。
こちらは職務専念義務と誠実労働義務に基づく就労だから正当な行動であるし、リスクを承知して正しい行動を為すことは、ほめられることはあっても非難される筋合いのものではない。
むしろ管理職は通行妨害が庁舎管理規則に反するのだから労働組合のピケッティングやパトローリングに行きすぎがないか監視すべきなのに、それは一切やらないと言う、規律違反や秩序維持のための監視を抛棄して、スト参加を促す管理職は無責任だと言わなければならない。
合衆国の組合不在企業の文化が優れている
団体協約より個別契約が望しいというのは、単に国家の経済成長のためだけではない。労働組合が個々の労働者の自由に労働力を処分することを否定し、働き方を統制して団結の意思に服して取引を強制していることが個別労働者にとっても不利益となっているのである。
アメリカ合衆国の全国労使関係法では3割以上の署名を得て全国労使関係局の管理する組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得できるシステムであるが、労働組合組織率は2005年で12.5%であり、民間企業では7.5%に過ぎない。ウォルマート、ホームデポ、IBM、マイクロソフト、プロクター&ギャンブル、SCジョンソン、3Mなどアメリカを代表的する企業をはじめ、一流企業の多くが組合不在企業であり、金融・銀行をはじめとして民間のホワイトカラーは組織化されることはまずない。
アメリカが欧州よりも組織率が低くコーポラティズムをとっていないのは、1920年代のアメリカンプラン、20世紀初頭からの全米製造業者協会などのオープンショップ運動という強い反労働組合運動政策によるところが大きいと考える。特にオープンショップ運動の意義を高く評価したい。
むき出しの組合への敵意であったオープンショップ運動とは別の戦略として、1920年代に組合不在企業においてロックフェラー=ヒックス流哲学の流れを汲んだウェルフェアキャピタリズムの系譜もある。それは洗練された労務管理の手法としてそれなり評価されており、ジャコ-ビィ-の名著『会社荘園制』でコダック、シアーズ、トムソンプロダクツという代表的な組合不在企業の労務管理などが紹介されているのでここでは省略するが、利潤分配制度、年金、疾病給付金、ボーナス制度、有給休暇、ストックオプション等の従業員福祉や、教育訓練・能力開発、ノーレイオフ原則、シングルステータス、オープンドアーポリシー(上級経営者への直接のアクセス)、チーム制組織、行動科学を導入した人事管理、人当たりの寛容な企業文化、注意深い監督者訓練、従業員を公正に扱い一体感を確保する組織文化は組合不在企業で開発された企業文化であった。アメリカの最大の財産とはまさに組合不在企業の企業文化なのではあるまいかと考えるものである。
オープンショップ運動の典型的例として1901年採択された全国金属業者協会の基本方針はこうである。
1 被用者に関して---われわれ使用者は、労働者が行う作業に対し責任を負っている。したがって、われわれがだれがその作業を行う能力をもち、その作業を行わせるにふさわしいかを決定する裁量を専権的に有している。かりに労働組織が適切に機能することを妨げる意図がなくても、われわれはわれわれの経営に対するいかなる干渉も容認しない。
2 ストライキとロックアウト---本協会は、労使紛争の解決のためにストライキやロックアウトを行うことを承認しない。本協会は、すべての合理的手段が失敗に終わったとき以外にロックアウトを認めないし、ストライキを行っている被用者たちを一つの集団として扱うことをしない。
3 被用者の関係---工場で働く労働者は、そのすべての同僚被用者と平和にかつ協調的に働き、使用者の利益のために忠誠を尽くして働かなければならない。*5
当然ここには非組合員の権利を侵害しない含意がある。
重要なことは20世紀初頭のオープンショップ運動は、セオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていたことである。
セオドア・ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく。*6
セオドア・ルーズベルトはコーポラティズムを指向した革新主義的政治家ともみなされるが、組織労働者に決定的な権利を付与することはなかったと言う点で、フランクリン・ルーズベルトよりずっとましな政治家だった。
オープンショップ運動の基盤となった非組合員の権利は神聖であるという趣旨は、個人の労働力取引の自由と就業の権利、団体行動をしない権利を尊重するものだろう。
組合不在企業へのオルグ活動を経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとものとしてレイバーインジャンクションを支持した名判決として1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229 http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlがある。
ウェストヴァージニア州にあるヒッチマン炭坑会社Hitchman Coal & Coke Coは1903年に労働組合が組織されたが3回にわたるストライキで組合は敗北し、1907年に鉱夫たちは「会社に雇われている間は労働組合に加入しません。それに違反した場合は労働契約は終了したものとみなされて異議ありません」といういわゆる黄犬契約に署名させられたが、アメリカ炭坑労働組合は非組合化が他の州の鉱夫の労働条件に影響するため、組織化にのり出した。ストライキ手当を用意し、密かに組合加入をさせながら、会社に組合承認の要求を突きつけた。
対してヒッチマン炭坑会社は、「組合化のために会社に強制して会社と被用者の関係に干渉する差止める」ことを裁判所に求め、1907年に仮差止命令、1908年に中間的差止命令、1912年に永久的差止命令が出されたが、これに対する抗告があり1914年こに原審がくつがえされたが、1917年連邦最高裁は第一審の差止命令を是認した*7
ピットニー判事による法廷意見は労働組合が黄犬契約の存在を知りながら会社に対してクローズドショップ協定を結ぶよう強要するため、労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断を下した。*8
この判決では組合員が黄犬契約を破棄して組合に加入するよう説得するためピケ・ラインを張ったその行為に対し、「ピケ・ラインをはること自体脅迫であり違法である」としている。司法が正常だった時代のひとつの判例である。黄犬契約も契約の自由として容認されていたわけある。これはロックナー時代の判例で1937年に判例変更されているが、よき時代のアメリカでは非組合員の地位の保全も財産権として保護していたように、労働力処分の自由に親和的な理論を提供してきた。
組合不在は雇用主だけが望むものではない被用者もそうなのである。2001年にテネシー州のスマーナ日産工場の組合代表選挙を行いましたが、3103対1486の大差で組合設立を否認した。つまり非組合である。日産に限らず、外資企業の自動車組立工場の組織化は成功していない。従業員はUAWよりも北米日産の側についたわけである。
アメリカの産業別労働組合で何が問題かというと 制限的労働規則(restrictive work rules)である。労働組合による仕事の制限、統制である。「工場内における職務を細分化し、個々の職務範囲を極めて狭い範囲に限定するものである。このため、単一の工場内における職種が数十種類に及び、組合は個々の職種ごとに賃金等を設定し、仕事の規制を行うので、職場組織は極めて硬直的となる。」 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyj199401/b0055.html
日本は戦前から大企業が存在し、新技術の導入と人員配置は経営者の強い権限を持つモデルなので、柔軟に対応できるが、アメリカの組合セクターはそうではない 。米国に進出した日系自動車工場がUAWの組織化を嫌うのも主としてこの理由である。「米メーカー並の複雑な就業・作業規則などを締結すると‥‥規則に手足を縛られ‥労働者の配置転換1つを取っても、大きな困難となる。」http://www.jil.go.jp/mm/kaigai/20010829b.html
さらに、組合セクターは従業員の競争を排除するので、個別の査定による業績給が導入できない。同志社大学大学院教授佐藤厚のコラムから引用すると「組合員内部には、階層格差が全くなく、したがって入職してから経験を積むにつれてより上位の地位に昇進するキャリアもない。細かくみると、チームリーダーには多少の上乗せ賃率(時間当たり0.5ドル)があったり、修理などを行う保全労働者とラインのオペレーターとでは時間賃率に差があったりするが‥‥働きぶりの個人差を反映する査定や熟練形成に伴う昇進キャリアのない世界」なのである。日系企業には職長への昇進キャリアがある。http://sosei.doshisha.ac.jp/column/07.html
労働者もUAWのような制限的労働規則では、生産性が向上せず、結局競争力を失うことがわかっている。
要するに組合のある職場では組合就業規則により従業員は横並びで競争が排除され、業務遂行方法が統制されますが、若い人が能力を発揮し熟練するために良い環境とは言えない。
団体協約はより生産的でない従業員に手厚く所得を補償する一方、より生産的な労働者の賃金は抑制される。先任権制度により、若い人の不利益もある。実際、UAWの職場は横並びでレイオフされても手厚い所得保障があり、30年勤務で年金が支給されることが利益と考える人もいるでしょうが、昇進の機会に乏しい。何がその人の利益であるかは違う。
職場環境でいえば、非組合セクターでは大抵、オープンドアーポリシーがあって直属の上司を飛び越えて、会社のトップや上層部、人事部に直接苦情が出せる制度があり風通しが良く、従業員にフレンドリーな環境がある。例えば典型的な組合不在企業ウォルマートでは会社のトップが時給労働者に店長に不満があるならどしどし言ってくださいと語りかける。実際、会社は丁寧に一つ一つの苦情に応えますし、横並びで競争を排除される環境より、会社に献身的に働ければ認められて、昇進でき、経営者と敵対的でない環境で仕事をしたい人は労働協約などない方が良い。ショップスチュワードに統制されるより、働きがいのある仕事ができた方が良いわけです。組合のない職場が作業環境がフレキシブルで、単位労働コストは低い。高い生産性とビジネスの成長を促す。組合のない職場の方がトップダウンでなく従業員参加を促す経営になるので働きがいがあり、雇い主と労働者双方のニーズに敏感な作業環境がつくられる。
タフト・ハートレー法と労働権州Right to Work Statesの意義
次にタフトハートレー法とアメリカ南部を中心とした23州とグァム島の州法、憲法等で定めている労働権法(Right to Work law勤労権法とも訳される、)の立法経緯と意義について述べる。http://www.nrtw.org/rtws.htm
これは我が国のいわゆる労働基本権とは全く反対の意味で、勤労者が雇用条件として労働組合に加入することを求められない、組合費の徴収をされないで勤労する権利である。アメリカで労働組合の組織率の低い州の上位が労働権州Right to Work States である。
1947年タフトハートレー法でセクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めたことにより、州権で労働権の立法化を可能にした。
一例としてアラバマ州の労働権法は次のとおり
第三条 何人も、使用者により、雇入または雇用継続の条件として労働組合または労働団体の構成員となり、もしくは構成員となり、もしくは構成員としてとどまることを要求されない。
第五条 使用者は、何人に対しても、雇入または雇用継続の条件として、組合費、入会金その他いかなる種類の賦課金をも、労働組合もしくは労働団体に支払うよう要求してはならない(Ala.Code Ann.tit.26.375(1959)*9
労働組合組織率の低い州(<2003年)
ノースカロライナ 3.1%
サウスカロライナ 4.2%
アーカンソー 4.8%
ミシシッピ 4.9%
テネシー 5.2%
テキサス 5.2%
アリゾナ 5.2%
ユタ 5.2%
サウスダコタ 5.4%
フロリダ 6.1%
ルイジアナ 6.5%
ジョージア 6.7%
オクラホマ 6.8%
(上記すべて労働権州)*10
今日のアメリカ民間企業の労使関係の基本的制度は1935年ワグナー法の排他的交渉代表制・不当労働行為制度である。アメリカの1930年代の組織率は9.3%にすぎず、デトロイトの自動車産業も組織化を阻止していたし、中西部の鉄鋼業も19世紀末から組合不在であったが、労働組合に有利な制度であったワグナー法制定を契機に産業別組合が台頭した。大恐慌で大量の失業者が労働争議に付和雷同する騒然とした世相において、1937年には座り込みストライキのような悪質な争議行為が流行、GM・クライスラー・USスチールと続々組合が承認されていった。
1942年に設置された全国戦時労働委員会は、戦争協力のため労働組合にストライキを放棄させる一方、労働協約締結期間中の組合離脱を禁止し、それを保障するためのチェックオフを導入した。組合の組織維持と拡大は容易になり、労働組合員は1941年の1020万人から、1945年には1933年の5倍の1432万人に増加、このようにしてアメリカの産業別労働組合は、ニューディール立法で存立基盤を与えられ、戦時中の組合保護政策によりその地位を固めた。*11
戦勝後は大幅な賃上げを求めて各産業はストライキに突入、1年間で490万がストライキに参加する労働攻勢となったが、鉄道・炭坑ストは物価を騰貴させ、中間層の不満の高まりを背景として1946年の中間選挙で共和党が圧勝、反労働組合の国民世論を背景として1947年強くなった労働組合の権力を削ぐためワグナー法を片面性を修正しタフト・ハートレー法が制定された。これは全米製造業者協会、共和党、南部民主党により推進され、トルーマン大統領の拒否権発動を覆して成立したものである。
タフトハートレー法では、排他的交渉代表制・不当労働行為制度というワグナー法の枠組みを維持しつつ、交渉力の平等の確保、労働組合との関係において被用者の権利を保護、労使間の意見の不一致とは完全に無関係の第三者を保護する目的で多くの改正がなされている。*12
クローズドショップは否定された。ユニオンショップは基本的に認めるものの数々の規制を設け、ユニオンショップ協定のもとでも、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。これはユニオンショップにおける組合の統制が強い日本のあり方とは異なる点である。
また冒頭に述べたように被用者の権利(7条)を定めているワグナー法の規定に、労働組合の団体行動等の一部及び全部に参加しない、消極的自由の項目を加えて、労働組合にも不当労働行為として6種類の行動を8条(b)項で定めた。(この点も我が国では労働法制上不備である)
私は同法による法改正の意義を肯定的に評価するものであるし、我が国の法制においても、バランスをとるために最低限、消極的権利の明文化、労働組合への不当労働行為の適用など必要であると考えるが、しかながら最善策はワグナー法の修正ではなく廃棄であった考える。つまり私は1932年ノリス・ラガーディア法(反インジャンクション法)以降の労働法は廃止すべきとするリチャード・エプステインの見解を支持する。ワグナー法の廃棄であったと考える。
そもそもワグナー法は民主党の選挙公約でもなく広範な国民的合意によるものではもちろんなかった。ただ反対派が油断していたのは、違憲判決が下されるという予想だった。しかし連邦最高裁は1937年に契約の自由と通商規制権限の判例変更を行い、ワグナー法も1937年ジョーンズラフリン製鉄会社判決National Labor Relations Board v. Jones & Laughlin Steel Corporation http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=301&invol=1合憲判断としたのである。
20世紀初期からオープンショップ運動とレーバーインジャンクションの多用で反労働組合政策をとってきた全米製造業者協会(NAM)等は1935年ワグナー法による団結権・団体交渉権を廃止すべきとしていたのである。
下院労働教育委員会フレッド・ハートレー議員の法案は全国労使関係局の廃止、反トラスト法への労働組合への適用を含む、1920年代以前もしくは1914年のクレイトン法以前に戻す反労働組合立法であった。私は20年代以前のロックナー時代が正常で、赤い30年代は不正常と考えるので、ハートレー議員の線で、ニューディール型労使関係を否定する法案が最善であったと考える。
一方、上院労働公共福祉委員会のロバート・タフト法案は組織労働者が1932年ノリス・ラガーディア法や1935年ワグナー法によって獲得した既得権を損なわうべきではないとの認識に立ち、労使関係において是正すべき不正や不平等をを手直しする方針で、結果的に穏健なロバート・タフトの線で法改正がなされた。これは大統領の拒否権をも覆すにはニューディール型労使関係を維持する妥協的な改正案でなければ困難だったという政治的妥協とみられている。*13
ロバート・タフト議員は中道穏健な考えであったが、私はあくまでも次善の選択肢としての法改正との評価をとりたい。
そのように政治的妥協の産物であるがゆえに、タフト・ハートレー法はユニオンショップを基本的に是認つつも、反労働組合の南部諸州に配慮して14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。
従って、結果的にアメリカは南部を中心とする労働権州(反労働組合)とそれ以外の非労働権州の二つの地域に分かれることになった。27の非労働権州では労働組合が排他的交渉代表権を有している職場では、強制的に組合費が徴収される。ユニオンショップ協定がとられず、組合に加入していなくても団体交渉の経費としての組合費を徴収できるエイジェンシーショップとなる。
一方23の労働権法(Right to Work law)州では、労働組合が設立され協約適用労働者となっても、組合に加入せず、組合費の徴収からまぬがれることができる。労働権法州ではエイジェンシーショップは認められない。
Right to Work の原義はおそらく、労働組合によって非組合員が労働力処分において干渉されない権利を指すものと考える。しかし、全国労使関係法はすべての州で適用されるから排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において3割以上の署名を得て組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得すれば従業員のすべてを代表して交渉する独占権を労働組合に与る制度なので、組合を支持していなくても個別の従業員の交渉は禁止される。つまりこの制度で、個人の雇用契約の自由、自己自身の労働力という財産の処分権が否定され奪われる。
Right to Work といっても本来の意味でのものでは全くないわけである。労働権州は強制的労働組合加入主義を否定しているだけなのである。
したがって、それ自体は中途半端な権利であるが、しかし非労働権州においても被用者は団体行動をしない消極的権利を明文化していることと併せると、組合にかかわることなく就労する権利としてかなりの意義のある権利といえるのである。
少なくとも私は、我が国に、タフトハートレー法と労働権州並の非組合員の権利の明文化を要求したい。
非労働権州と労働権州のエイジェンシーショップの考え方の違いについて述べる。非労働権州の強制的組合費徴収の論理は「ただ乗り」防止ということです。つまりあなたは組合を支持していなくても排他的交渉代表制度により協約適用労働者であり、団体交渉の成果の受益者であるから、団体交渉にかかった費用の負担を求めるというものです。フリーライダーを認めず団結するという論理であるが、労働権(Right to Work law)はこの論理を否定する。
この点についてミシガン州の自由主義シンクタンク Mackinac Center for Public Policy のウイリアム.T.ウイルソン博士の論文 「The Effect of Right-to-Work Laws on Economic Development」 http://www.mackinac.org/article.aspx?ID=4293を見てください。ウイルソン博士は「囚われた乗客」と言っている。「ただ乗り」するのではなく「囚われた乗客」となる不利益である。
我が国のホワイトカラーエグゼンプション導入案はこれを個人的に望んでも、過半数組合の同意がないと制度を導入できないものとしている。結局、労働組合によってより働き方が規制されるのであり、このような観点からも「囚われの乗客」にならない働き方が望ましく真の意味でのRight to Work が望まれる。
1小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006
2田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換』ミネルヴァ書房2007
3伊藤 祐禎「ニュージーランドの「雇用契約法」と労働運動 (特集 世界の労働運動の動向)」『労働経済旬報』(通号 1581) [1997.04.05]
4長淵 満男「オーストラリア労働関係における個別化と組合排除--90年代における労働関係法の改編」甲南大学法学会40(1・2) [1999.12]
5水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005年
6長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁
7 有泉亨「物語労働法13第11話レイバー・インジャクション2」 『法学セミナー』188号1971年9月
8水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年
9外尾健一著作集第八巻『アメリカのユニオンショップ制』信山社2002
10 篠田徹「岐路に立つ労働運動-共和党の攻勢と労組の戦略論争」久保文明編『米国民主党-2008年政権奪回への課題』日本国際問題研究所2005年所収
11油井大三郎「第四章パクスアメリカーナ」有賀・大下・志邨・平野『世界歴史大系アメリカ史2』山川出版社1993
12 外尾健一著作集第八巻『アメリカユニオンショップ制』信山社2002
13長沼秀世・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 471頁
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