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2009/12/06

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1

 近代資本主義社会成立において最も重要な価値は「営業の自由」であると思う。私は「営業の自由」のコロラリーとして労働力取引の自由を核心的に重要な価値として信奉する立場であるので、特にコモンローの営業制限の法理と共謀法理の文明史的価値を高く評価する。言い換えると「営業の自由」「結合からの自由-第三者を害する意図のある結合の排除」この2つの個人主義的自由を核心的価値とし「法の支配」を憲法原理とする社会は自由であり、そのような古典的自由主義、反独占経済的自由主義タイプが最も望ましく、労働三法を廃止して労働政策を抜本的に改める方向で、我が国が進む以外に国力衰退を打開する道はないとも考えるものである。より現代的な思想でいえばシカゴ大学のリチャード・エプステイン教授の考え方、「人間は自己の身体について排他的な独占権を持つ‥‥このことは、自己の身体を用いて行われる労働についても、同様に自己によって所有されることを意味する‥‥労働の自己所有のシステムにおいては、人々に他人の労働を支配する権利は認められず、労働を所有している個人が、自分がふさわしいと考える方法で、他人に対して自己の労働を支配する独占的な権利を与えるものである」というリバタリアニズムにも共鳴する。労働関係はコモンローの不法行為法、契約法で足りる。労働協約など集団的労働関係拒否権、労働者保護法の拒否権を含む思想と評価できるからである。
 アダム・スミス以前にも経済的自由主義はあった。17世紀コモンローヤーが財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けない経済的自由を強く支持したのである(註1)。エドワード・コーク卿はマグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesをに言及し、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにし「法の支配」という憲法原理を確立したのだが、libertates libertiesの中に営業の自由を認める非解釈主義的法思想が展開された。
 なぜイギリスが逸早く18世紀後半に産業革命に到達したのか。私はウェーバーテーゼを否認しないが、一つの要因として、名誉革命期までに、いわゆる「初期独占」が完全に崩壊し、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門を社会全体に解放していった営業の自由の確立があり、コモンロー裁判所が1563年職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きにして(徒弟制度は1813/14年に廃止)労働の自由が進展した先進性を挙げてよいと思う。
 古典的法律百科事典ホールズべリの『イギリスの法』によれば「ある者が欲するときに欲するところでなんらかの適法的な営業または職業を営む権限を有するというのがコモン・ローの一般原則であって、国家の利益にとって有害である、個人の行動の自由のすべての制限に反対することは公益となるので、コモン・ローは、契約の自由に対する干渉の危険を冒してでさえも、営業に対するなんらかの干渉を猜疑的につねに注視してきたのである。その原則は『営業』ということばの通常の意味における営業の制限に限られない」(註2)としている。

 問題は営業制限の法理と労働組合の関係である。労働組合の定義として適切なのは世界で初めて労働組合を法認した英国の1871年「労働組合法」の定義である。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結であるが、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。「個人の自由」から「集団の自由」への転換であり(註3)、本来の営業の自由の形骸化をもたらした。
  1875年共謀罪及び財産法では、非暴力的ストライキの刑事免責を保障し、平和的ピケッティングを合法化した。1906年労働争議法に至っては民事免責を保障、「ある人によって労働争議の企図ないし促進のためになされる行為は、それが誰かある他の人に雇用契約を破棄するよう誘導するとか、誰か他の人の営業、企業、または雇用の妨害になるとか、または誰か他の人が彼の資本あるいは労働を欲するままに処分する権利の妨害という理由だけでは起訴できない」(註4)としたもので、雇用契約違反の誘導、営業・仕事・雇用の妨害、労働の自由の妨害といったコモンロー上の不法行為であっても制定法上免責するということになっている。これはハイエクも批判しているように制定法のなかでも最も悪質なものであると考える。
 本来法は「営業=取引を制限するコンスピラシー」(conspiracy in restraint of trade)を犯罪とし、個人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する完全な自由を保護するべきものであるが、制定法により営業制限の法理の実効性を否定したもので「法の支配」の崩壊を意味する。
  ただし、今日でもイギリスにおいて労働協約は法的拘束力を有さず、紳士協定にすぎないというのは、そもそも労働協約が営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力取引の自由を侵害するものであって、違法なのである。違法であるが法律的抑圧をおこなわないというにすぎないのであって、我が国の憲法28条のように労働団体に積極的権利を付与するものではない。
 
 もっとも労働組合の何が違法であるかについては時代的変遷がある。
イギリスでは既に1304年の共謀者令において、親方間と団結、労働者間の団結を規制していた。特に労働者間の賃金引き上げの団結を刑事犯として扱っている。1349年製パン業者の使用人が従来の賃金の二倍もしくは三倍でなければ働かないとする共謀が告発された例、製靴業の使用人が自ら定めた曜日でなければ働かないとして共謀した例がある。これらの団結を規制する一連の法令が出されたが、1548年法が統合した。熟練工が一定の価格以下では仕事をしないことを共謀又は約束する場合は、刑事犯とされ、初犯は10ポンドの罰金と20日間の禁錮刑であった。又商人間の価格協定も賃金決定協定と同様に当然違法された。(註5)

 近代において最も偉大な法曹の一人とされるマンスフィールド卿の1783年のエックレス事件の傍論はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である(註6)」1796年モーベイ事件のグロース判事の傍論は「各人はその賃金を増額すべきことを主張しても差し支えない。しかし、数人がその目的により共同すれば、それは不法であって当事者は共謀罪として起訴されるかもしれない(註7)と述べた。
 労・使の個人的取引でない団結や協定は営業を制限するコンスピラシーあり違法とする論理であリ労働組合が法認される余地は全くない。18世紀には特定産業別に凡そ40の制定法で団結が禁止された。小ピット政権の1799-1800年の全般的団結禁止法は、産業別の制定法を統合したものであるが、14世紀の共謀者令より長い歴史において団結が禁止されていたのであり、これを制定法とするのは全く妥当なものであったと考える。
 アメリカでは、英国のように制定法で団結を禁止するやり方でなく、コモン・ローの刑事共謀法理を適用した。1806年のフィラデルフィアなめし靴職人組合事件で、賃金引き上げのための団結が刑事共謀罪にあたるとされた。検事は団結して賃上げをすることによって、需要供給の自然法則による賃金の決定を妨げた。賃上げのために威圧して労働者を組織に加入させ、非組合員には同一使用者の下での労働を拒否して彼らを組織に加入させることは、イギリス慣習法の罪になる。靴工の共謀のごときは、社会に有益な製造工業を妨害し、高賃金高物価を意味し、裁判所は、社会、消費者、産業、個々の労働者を保護しなければならないとしている(註8)。
 ところがイギリスでは1824年に団結禁止法がテイラーのフランシス・プレイスと急進的な国会議員ジョゼフヒュームの個人的努力であっさり廃止されてしまう。

続く

(註1)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註2)堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
(註3)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 
(註4)中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年 143頁

(註5)谷原 修身「コモン・ローにおける反独占思想-4-」『東洋法学』38(2) [1995.03])

(註6)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
(註7)石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上)」『早稲田法学会誌』  (通号 26) [1976.03]  http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
(註8)高橋保・谷口陽一「イギリス・アメリカにおける初期労働運動と共謀法理」『創価法学』35巻1号2006年
名誉革命期に営業の自由が確立

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