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2010年1月の32件の記事

2010/01/31

「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」の海外メディア報道

1月30日(土)14時~日比谷野外音楽堂で開催された「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」(市民団体「フォーラム平和・人権・環境」などでつくる実行委員会の主催)は自治労や日教組などの労組、市民団体などから約6千人(主催者発表)が集まり、銀座をデモ行進した。反米、米軍駐留反対デモとして一部の海外メディアが報道してます。英語のプラカードが用意周到に思えます。


AP通信Thousands in Tokyo protest US military presence
http://www.boston.com/news/world/asia/articles/2010/01/30/thousands_in_tokyo_protest_us_military_presence/

デーリー・メール ドレッジレポートにリンクが貼ってあります。 Thousands protest in Tokyo against U.S. military presence in Japan

http://www.dailymail.co.uk/news/worldnews/article-1247281/Thousands-protest-Tokyo-U-S-military-presence-Japan.html

民主党系のコモンドリームという政治サイトのニュースのトップがこのニュースです。

http://www.commondreams.org/headline/2010/01/30-5

大手メディアでは小さい扱いでもそれなりに注目されていると言えます。

産経がオバマの連邦最高裁批判に苦言と報道

 1月31日の産経新聞を買ったところ29日のウォールストリートジャーナル社説を引用し、一般教書演説における連邦最高裁判決批判に事実誤認があり、判事の目の前で反論ができない状況での一方的批判が紳士的でないとの論評を紹介しており、ネットでも公開されている。http://sankei.jp.msn.com/world/america/100130/amr1001302210017-n1.htm小沢資金洗浄疑惑と違って我が国にとってはどうという事柄ではないが100円で高級紙っぽい記事が読めたので満足できる。
 又オバマ大統領とアリート判事の確執も伝えているが、そもそもオバマは投票行動からみて民主党上院議員のなかでも最もリベラルな議員と評価されていた。http://sankei.jp.msn.com/world/america/080201/amr0802011822014-n1.htm一方、アリート判事は1950年生まれ父はイタリア移民のカトリック、プリンストン大学、エール大学ロースクール卒、レーガン政権で訟務長官次官補、副司法次官補、連邦地裁判事を経て、90年に第3巡回区連邦控訴裁判事、2006年1月にブッシュ任命により最高裁入りしたが、民主党の大多数の上院議員が承認に反対した(58対42)経緯がある。アリート判事が1985年に司法省内部での昇進を申請する際に作成し、当時の司法長官であるエドウィン・ミース(Edwin I. Meese)に提出した文書が暴露されたが、その文書では、ウィリアム・バックリー(William F. Buckley Jr.)氏の著作や同氏のNational Review(ナショナル・レビュー)誌、バリー・ゴールドウォーター(Barry Goldwater)元上院共和党議員などに、強い思想的影響を受けていると記していることから保守色の強い人物とみなされている。宮田智之「連邦最高裁判所判事の人事をめぐって― アリート判事の人事成立までの動きを中心に―」『外国の立法 』227(2006. 2)PDF http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/227/022709.pdf
 そもそも思想傾向が反対なのである。
 

「傍論を重視するのは俗論」と園部逸夫が述べたという

 1月25日憲政記念館講堂にて開催された「永住外国人地方参政権に反対する国民集会」で登壇した百地章日本大学教授の動画がアップされてます。http://www.youtube.com/watch?v=15Mf3K_5BbU演説は憲法問題が中心で同教授『Will』2010年3月号掲載の論文「提唱者まで否定した外国人参政権」の一部のポイントだけ説明した内容だが、重要なことを言っている。
 外国人参政権は全面禁止説が通説であり、平成7年2月28日最高裁判所第三小法廷判決が外国人地方参政権を認めたというのも誤りであるという。同判決 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25633&hanreiKbn=01
の本論は外国人地方参政権を全面禁止説を取っていることは明らかとしている。つまり部分許容説では憲法九三条二項にいう「住民」に外国人も含まれるとするのだが、これは明確は否定している。ところが、傍論で本論と矛盾する部分的許容説が述べられたことから、これが一人歩きしてしまったとする。つまり

本論の要旨(全面禁止)

「そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわちわが国の国籍を有するものを意味する事は明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、権利の保障は、わが国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。(中略) 地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、わが国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものとはいうことはできない」

 傍論(部分的許容)
「憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である」

 
 しかしながら、百地教授は部分的許容説の提唱者である長尾一紘中央大学教授が最近、違憲説に態度変更したことを明らかにしただけでなくhttp://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100125/tky1001251934011-n1.htm最高裁判決の傍論で部分的許容説を主導したと思える園部逸夫元最高裁判事が、最近になってこの「傍論」を重視することは「主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である」(『日本自治体法務研究』第九号2007年夏)と批判していることも付け加えているように(『Will』2010年3月号からの孫引き)、部分許容説も提唱者らによって否定されていることから合憲説は破綻状況にあると説明している。百地氏は地味ではあるが、数少ない保守系憲法学者として実際に意味のある仕事をしているように思った。

 ところで野田佳彦財務副大臣は外国人地方参政権に反対と報道されているが、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100130-00001154-yom-pol帰化を簡略化すればよいとか言っている。しかし前記百地章『Will』記事が成り済まし帰化を問題視しているように簡略化は疑問である。アメリカでは上院議員になるには帰化して9年間なれない。下院議員は7年間である。ところが日本では民主党の白真勲参院議員は日本国籍を取得した平成15年の翌年に参院議員となっている。

日比谷の普天間基地はいらない全国集会に6000人とか

 テレビでも報道されてますが、1月30日(土)14時~日比谷野外音楽堂で開催された「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」(市民団体「フォーラム平和・人権・環境」などでつくる実行委員会の主催)は自治労や日教組などの労組、市民団体などから約6千人(主催者発表)が集まり、銀座をデモ行進した。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100130-00000071-jij-pol http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY201001300271.html沖縄をはじめとする全国の米軍基地の縮小・撤去を求めた集会決議を採択というから、完全な反米・反基地集会である。
 日比谷野外音楽堂は収容人員3114名だがレーバーネットのこの写真をみると、http://www.labornetjp.org/news/2010/0130shasin立錐の余地なく埋まっている。16日の民主党大会抗議行動に集まったのは1500~1800人程度だから、明らかに左翼のほうが動員力は上回っているとみてよい。
 私の職場でもこの集会に積極的に参加するよう勤務時間中・事務室内で組合役員(全水道東水労)の呼びかけがあり、普天間基地は他国を侵略するための海兵隊の基地で専守防衛と関係ないからいらないと演説していましたが、組合掲示板にも告知ビラが貼られてた。管理職はこの反米・反基地集会への動員呼びかけを中止させることはないから、東京水道局当局もこの集会に加担し実質支持していることになる。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e94c.html私の職場からも数人は行っているはず。
 チャンネル桜の番組、http://www.youtube.com/watch?v=XAL0rNCyf1o&feature=channelによると、名護市長選といっても辺野古は市街地からかなり離れていて、実際の予定地周辺の住民の票はどうなのか精査しないとわからない。

 軍事評論家佐藤守ブログの「軍事抜きで戦略を論じる愚」http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20100129/1264733210「沖縄の真実」http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20091123/1258948056を読みましたが、「沖縄の真実」によると今話題になっている「キャンプ・シュワブ」も、実は3年以上も地元が誘致活動をして、やっと認められ、海兵隊が展開したものである。沖縄には米軍基地が集中しているかのごとき発言があるが、70%集中しているというマスコミの主張にはカラクリがあるのであって、純然たる米軍基地に限ればそうなるが、本土全体に展開している日米共同基地は除外されているのであるから、沖縄の占有率は実質24%程度に過ぎない。「沖縄の本音は基地存続」とも言われてる。
 

 ということで、私は沖縄に米軍基地は必要との考えである。

2010/01/30

24日外国人参政権断固反対!国民大行進の新宿南口の警備状況

 1月24日の在特会が呼びかけたデモの動画がアップされてますが、第二梯団が新宿南口附近を行進する様子です。左翼団体はルミネ2の前でバッテンをつけた国旗や、レインボーフラッグ、横断幕で待ちかまえていたが、デモ隊の間に車両で壁を作っているうえ、警官が多数警備していて、直接対面させないようにしている。昨年の秋葉原や大阪御堂筋のデモより警備が厳しくなっていることがわかる。
(2/3)外国人参政権断固反対!国民大行進 in 新宿
http://www.youtube.com/watch?v=tP04dpEZrOk

2010/01/29

お笑い日本の実態 民主党批判の「フランス語」動画

なにげにユーチューブを見ていたら、美人アナに引き込まれてこの動画に遭遇した。昨年の総選挙の告示前にアップされたが、31万3千近いアクセスがある。反民主党を言っているわりにはこの番組は迂闊にも知らなかった。自治労など民主党の支援団体が悪質であること、中韓寄りの政策で民主党政権は日本にとって悪夢とわかりやすく説明している。
お笑い日本の実態 !?『外国人地方参政権で日本終了』http://www.youtube.com/watch?v=R6cP05l5HWw

本日は所長要請行動で団交

  本日は昼休み時間中の12時24分から45分まで、まず全水道東水労の分会長がこれから要請行動をやるので組合員は集まるようにと声をあげ、結果的に組合役員を含めてのべひらの組合員も含め11人が所長席前に詰めかけて大衆団交を行っていた。ただ発言者は3人と少なかった。団交に加わらない役員もいた。
 同様の態様の要請行動は12月7日にも行われており、一人を大勢が取り囲む大衆団交スタイルの職場交渉は認める必要はない。職場交渉は交渉事項を限定し、人数を制限すべきである。結果的に所長要請行動は労働組合の示威行動である。管理職を怒鳴りつけて、集団で圧力をかける所を職員にみせつけて、組合の威圧感、威嚇力を誇示して、職員を支配するためのツールである。職場交渉の人数も制限していないような在り方は労務管理としては甘いので、この点も是正すべきとして意見を出すということはこれまで述べたとおりであるhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-65c9.html。今回は職場に特殊な(固有な)問題では全くなく、人事考課定期評定の制度についての交渉である。所長は要請の内容は必ず責任部署に届けるとの趣旨を述べていたが、当営業所だけ独自のことはできないと述べていたのが聞こえた。出先の管理職がどうこうという問題でない、交渉事項としても適切ではないように思える。

 

外国人地方参政権付与合憲説の学者が違憲説に変更と産経が報道

 1988年外国人参政権部分許容説を我が国で初めて紹介したのが長尾一紘という憲法学者だったが、近頃態度を変更し参政権付与違憲説となったことが、『Will』2010年3月号(発売中)の百地章「提唱者まで否定した外国人参政権」という記事で書かれていたが、28日の産経ニュース電子版でその長尾一紘教授のインタビューが掲載されている。「慚愧に堪えない。私の読みが浅かった」と語ってます。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100128/plc1001282154020-n1.htm
民団の民主党への選挙協力の見返りの政策としてはあまりにも危険な政策ではないかと思う。問題点は村田春樹氏の説明が比較的わかりやすいhttp://www.youtube.com/watch?v=NlsikmAlAE4。例えば荒川区には約4700人の永住外国人が住んでいるが、荒川区議は直近の選挙で1488票で当選しているから、票割りすれば、外国人だけでかなり大きな影響力を行使できるということである。

2010/01/28

アリート判事、オバマの最高裁批判にリアクションを示す

CNNのレポーターのジョン・キングによると1月27日の一般教書演説でオバマが連邦最高裁のCitizens United v. FEC判決を批判すると、議場のサミュエルAlito最高裁判所判事は、頭を横に振って、「いいえ、それは権利ではありません」という言葉を口の動きで伝えたということです。http://reason.com/blog/2010/01/27/alito-to-obamas-supreme-court
http://www.freep.com/article/20100128/BLOG36/100128012/1318/
http://blogs.abcnews.com/politicalpunch/2010/01/reading-justice-alitos-lips.html
このシーンはユーチューブにアップされていて4万2千6百余のアクセスがあります。
これです。http://www.youtube.com/watch?v=4pB5uR3zgsA クローズアップがこれです。http://www.youtube.com/watch?v=W-hb-hQXi9s
出席しているのはロバーツ主席判事、ケネディ判事、ギンズバーグ判事、ブライヤー判事、アリート判事とソトマヨル判事のようで、他の3判事の顔は確認できません。
この動画を見るとスタンディングオベーションしているのは議場の6割ぐらいで、多分共和党の議員は座ったままのようです。http://www.youtube.com/watch?v=NfCDme-Z9Fc
なぜこれが、ニュースになるかというと、最高裁判事は一般教書演説に出席しますが、慣例として拍手喝采することはせず政治的に中立を装うのが普通とABCのレポートにあります。アリート判事がリアクションを示したことが政治的に中立でないということらしい。しかしオバマはろくでもない大統領だからかまわないと思います。
5対4のCitizens United v. FEC判決はちゃぶ台をひっくり返すような劇的な事件ですが、26日アリート判事の前任者である引退したオコーナー元判事がこの判決を批判しました。http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/26/AR2010012603322.html?hpid=topnewsつまり前ブッシュ大統領がアリート判事を任命したおかげでセオドア・ルーズベルト時代以来1世紀に及ぶ、選挙資金規制の流れを覆すことができたと云うことです。

本日も頭上報告

9時43分から52分に全水道東水労の書記長会議報告があった。ひとつは、4月からの労基法改正に伴う超過勤務の割増賃金に関して、ふたつめは時間給導入についてだが、その時間も電話が鳴ったりしていたので、内容は聞き取れなかった。三つめは下水道局の有明水再生センターの問題で2月17日に下水道局はストを構えて闘争するのだという。現地集会や都庁前集会をやり、水道局の労働組合も、17日に36協定拒否闘争をし、職場報告会をやると言っていた。

また、組合掲示板には1月30日(土)14時~日比谷野外音楽堂で開催される「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」の告知ビラが貼ってあった。
今回は黙認するが、8月の総選挙では政権交代を!保坂のぶと(社民)、管直人(民主」、亀井久興(国民新)の顔と名前が大きく載ったポスターをみのがしてしまったの罪悪感でいっぱいだ。参議院選挙のときは民主党や社民党を応援するポスターは貼らせないように頑張る。

2010/01/26

企業献金「上限撤廃」でアメリカは救われるのでは

1月21日のCitizens United v. FECは今開廷期の目玉ともいわれる判決ですがhttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/348940/論評がいくつか出てます。日本では大きく報道されてませんがアメリカでは大ニュースだと金平特派員のブログhttp://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/2010/01/post_50.htmlにあるとおりです。

判決原文http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/08-205.ZS.html

アメリカの選挙資金規正法では、企業の選挙運動は制限されていた。選挙のために資金を提供するのは、金銭が言論なのかという問題があるものの、一般的には、政治的言論の一形態として、合衆国憲法修正1条が保障している表現の自由の問題として保護されるべきだという見方があった。(このブログからの引用)http://eastriver.exblog.jp/11118957/、今回の判決は企業の選挙資金提供の規制が表現権の侵害と判断したものである。
だから企業献金は悪ではなく、法人も個人と同じく表現権を有し自由であるべきだということで、過去百年の選挙資金規制の流れをひっくり返したわけである。


『ニューズウィーク』「企業献金「上限撤廃」がアメリカを壊す」という記事がありますが、http://newsweekjapan.jp/stories/us/2010/01/post-939.php?page=2民主主義より自由主義が重要、民主政体より司法国家のほうがましと私は考えますから反対の意見です。
企業金上限撤廃によりプロビジネスな政策の展開に有利と考えるので望ましい方向だと思います。特にカードチッェク法案はアメリカ社会を著しく左傾化させます。こうした政策を潰すためにも有意義だと思います。
『ニューズウィーク』記事の分析でたぶん正しいのは「アメリカは地球温暖化対策や天然資源保全で世界のリーダー役を務めることが極めて難しくなった」ということです。

田場暁生の論評http://www.news-pj.net/npj/npj/taba-20100123.htmlは「金を出すことは表現の自由として保障される、として放置して良いのであろうか。」と批判的な見解だが、金や財産は決して汚いものではない。広告を出すには金が必要である。広告を出す自由、なかでも政治的言論は表現権のなかでもっとも重要なものである。金は汚いみたいすな馬鹿げた思想で抑圧されるべきものではないし、経済的に恵まれている人の自由が貧乏な人の自由より侵害されてよいという理屈にはならない。

既に述べたようにプレスのみが公衆への情報提供、アクセス機能を独占させるべきではない。選挙広告というよりも現実にはテレビ・新聞報道の与える影響の方が大きいのではないだろうか。報道こそ偏っているかも知れない。企業の政治的言論も、多様な見解を知る公衆の権利と政治的議論の活性化に役立つ。プレスだけに情報を独占させるよりも「思想の市場」において多様な見解のなかから、選挙民がなにが善いのかを判断するほうがより望ましいのであるから私は今回の判決を支持する。

朝日新聞がデーリーメールなどを引用しIPCC批判

朝日新聞がサンデータイムスやデーリーメールを引用しIPCCの第4次評価報告書に、科学的立証がないのに「ヒマラヤの氷河が2035年までに消失する可能性が非常に高い」という誤った記述が含まれていたということを報じてます。
http://www.asahi.com/science/update/0119/TKY201001190203.html?ref=reca
http://www.asahi.com/eco/TKY201001260006.html

デーリーメールの記事とはこれです。http://www.dailymail.co.uk/news/article-1245636/Glacier-scientists-says-knew-data-verified.html

1つの間違いから一般化することはできないかもしれませんが、温暖化の議論はうさんくさいとの心証をぬぐいきれない。
オバマの次の大統領は反環境派であることを望む。

2010/01/25

西宮北口駅前「水曜デモ」と反対する主権回復を目指す会のもみあい映像

  これをどうみるべきか「朝鮮人による歴史捏造の水曜デモを粉砕」という映像です。。http://peevee.tv/v/6a1y76 2010年1月13日阪急西宮北口駅前ということですが、パブリックフォーラムとして諸団体の表現活動を容認すべきか、無許可集会として取り締まるべきか。取り締まらないとしても反対する団体との衝突は避けられない場合どうすべきか。私には結論は出せませんが、しかし私が問題としたいのは東京都庁と東京都水道局が庁舎構内において、宣伝カー、拡声器持ち込み、旗、横断幕、幟、ゼッケン、はちまき等を持ち込み着用する示威行為、集会を黙認していることである。「水曜デモ」よりよっぽど騒がしく、迷惑で通行を妨害している労働組合の取り締まりこそまずやるべきではないかというのが私の考えであるる。
要するに私の敵は外国人ではありません。敵は面識の範囲にいます。職場の労働組合とそれと結託する管理職です。職場が敵対的な職場環境なのであり、まずこれを解決し突破していかなければならない。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(18)

19世紀中葉その2

 中西洋は19世紀中葉以降の展開について、団結を許容し、立法化しようとする議会制定法と、それを抑え込もうとする議会制定法の角逐が19世紀を通じて反復されたとするが、それほど単純ではない。
 1830年に経済学者ナッソー・シニオアは、メルボーン内閣に「コモンロー上の共謀罪と営業制限の禁止とを明白に列挙した法律を可決すべき事」を勧告した。共謀法理により団結を抑え込もうとする立法勧告も少なくなかったのである。この勧告は様々な事情から実現しなかったが21 299頁)
 一方、労働組合に有利な法改正もなされた。1859年の労働者妨害法Molestaion of Workmen Actである。これは(イ)他人と合意して賃金または労働時間を合意したこと、(ロ)平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならず、コンスピラシーを理由とするいかなる訴追も受けないと規定し(*10 196頁)、文面上、平和的説得によるピケッティングとストライキを容認する規定となっていた。。これはアール卿のように労働者が団結してその労務から去らしめる場合は、「他人の取引を侵害するコンスピラシー」として平和的説得であっても、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪とし、1825年法の妨害に当たるとする裁判官の解釈を排除する意図があったと考えられている。
 ピケッティングについて規制の変遷については別途述べることとするが、マルクスは『資本論』で「古い諸法のいくつかのうるわしい残片は、1859年になっやっと消滅した」と書いているが、「うるわして」は皮肉であり、「残片」が「モレスティング」であった。浜林正夫は同法により結社の自由が勝ち取られたと述べているが(*17 71~72頁)しかし裁判所は甘くなかった。次に述べる、ホーンビイ対クローズ事件(1869年)では営業制限の法理によりストライキの目的を持つ組合規約を違法とし、組合の基金の法的保障を否定されたのである。 
 
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]

Citizens United v. FEC-法人の言論の自由について

 連邦最高裁 企業の選挙広告費支出制限は言論の自由の侵害という画期的判決http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-184a.htmlの続き

 
 1月21日の連邦最高裁判決CitizensUnitedv.FederalElectionCommission http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/08-205.ZS.html
http://news.yahoo.com/s/nm/20100121/ts_nm/us_usa_court_politicsについてはフォックスニュースのこの記事が言論の自由の大勝利だと書いてます。http://www.foxnews.com/opinion/2010/01/22/ken-klukowski-supreme-court-amendment-mccain-feingold/

 しかし学説でも法人の言論の自由については議論のある問題で、ニューヨークタイムスなど批判的な社説も少なくない。政治的効果が重大であり上院補選の共和党勝利に続いて民主党にワンツーパンチとなると考えられてます。
 このためオバマが最高裁判決を厳しく批判し議会とともに対策を講じるよう関係当局に指示したと報道されている。http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010012200258。しかし判決は5対4の僅差でしたが、次に引退しそうな裁判官は反対意見を書いたスティーブンスか、それに賛同した左派のギンズバーグであり、裁判官の入れ替えで判例を覆すのは困難なように思える。
 検索してみたところ、弁護士の田場暁生が既に論評を発表してます。http://www.news-pj.net/npj/npj/taba-20100123.html

 そこで、このケースの争点となった法人の言論の自由は個人(自然人)と同じく保障されるという論点ですが、http://news.yahoo.com/s/nm/20100121/ts_nm/us_usa_court_politics私の思った事を簡単に述べます。
 たまたま、木下智史の著書『人権総論の再検討-私人間における人権保障と裁判所』2007日本評論社という本があったので、読んでみたところ、会社の政治的言論の自由に可否が争われた重要な先例として1978年First Nat'l Bank of Boston v. Bellotti, 435 U.S. 765 http://supreme.justia.com/us/435/765/case.htmlがあり、この判決の核心である「憲法修正一条は話し手が法人であるというアイデンティティによって政治演説制限を許さない」が、今回のケネディ法廷意見で引用されている。したがって本判決は Bellotti判決の延長線上にあるもので、決して奇妙な判決であるわけではない。
 同判決はレフェランダムに関連して法人企業が行う政治献金・政治的支出を禁止するマサチューセッツ州法を修正1条に反し違憲と判断したものである。
 パウエル判事による法廷意見は、当該州法を合憲とした州最高裁判決の「法人ははたして修正1条の権利をもつか、もつとすればどの程度もつか」という問題の立て方が誤りであるとして、問題は「当該州法が修正1条の保護しようとする表現を侵害しているかどうか」「話し手が法人であるというアイデンティティにおいてによってその言論への修正一条の保護が失われるか」であるとする。そして、法人は表現の自由を享有することは先例で明らかであるとした。ここで引用されているのがSanta Clara County v. Southern Pacific Railroad Company, 118 U.S. 394 (1886) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=118&invol=394とCOVINGTON & LEXINGTON TPK. ROAD CO. V. SANDFORD, 164 U. S. 578 (1896)   http://supreme.justia.com/us/164/578/w@3.
  Santa Clara County v. Southern Pacific Railroad Company,は修正14条にいう「人」に「法人」も含まれるとした判決で、このフィールド判事の意見を「フィールド理論」というのである。
  つまり「法人の財産は、実際上その構成員の財産である。法人の財産を剥奪することやそれに負担を課すことは実際上その構成員の財産を奪いそれに負担を課すことになる」そして「会社の憲法上の権利をその財産保護との関係ではかる、すなわち法人形態の下で事業を行っている者に法人形態をとらないで事業を行っている者と同程度の憲法上の権利を享有させる」という理由付けを「フィールド理論」と言うのだ。
  この判決からただちに法人の政治的言論の享有を容認するかは議論となる問題だろうが、源流が超保守派のフィールド判事の理論ということで堅実な判断との心証がある。
  またパウエル判事はプレスのみが公衆への情報提供、アクセス機能を独占することはできないとしている。
  つまり会社の政治的言論も、多様な見解を知る公衆の権利と政治的議論の活性化に役立つのである。
  例えばカードチェック法案、企業活動を大きく制約しかねない問題で、とくに中小企業に影響が大きい、当然、全米商工会議所であれ、各企業であれ死活問題になるから選挙広告で訴えたいだろう。一方労働組合にも企業と同じ権利を認めるのが本判決の趣旨だから対等である。
  企業の選挙広告制限をなくすと大企業の影響力が増すといわれるが、しかし、選挙でもっとも影響力があるのはマスメディア・新聞の報道だろう。マスメディア・新聞こそ偏っているかもしれない。プレスだけに情報を独占させるよりも「思想の市場」において多様な見解のなかから、選挙民がなにが善いのかを判断するほうがより望ましいのであるから、今回の判決は基本的に支持してよいのではないかと思う。

                                      

2010/01/24

入手資料整理29

9262 松村高夫「一九世紀第三・四半期のイギリス労働史理解をめぐって(上)」『日本労働協会雑誌』19(11)1977 
「一九世紀第三・四半期のイギリス労働史理解をめぐって(下)」『日本労働協会雑誌』19(12)1977
9263吉瀬征輔「1860・70年代イギリスにおける労働組合論争」『愛知県立大学外国語学部紀要、地域研究・関連諸科学候補』通号11号 1978
9264秋田成就「イギリス労働組合法史に於けるコンスピラシー」『労働法』通号6 1955
9265秋田成就「イギリスの争議権」『季刊労働法』5(1)1955
 (ピケッティングと不法妨害について言及)
9266田中和夫「英米法におけるニューサンス」『法律時報』32(3)1960
9267田中和夫「タフトハートレイ法」『法律タイムズ』4(2)1950
9268田中和夫「アメリカ労働法の基調-ワグナー法」『法律文化』3(10~12)1948」
9269浅見誓一「イギリスの労使関係「制度的硬直性」-戦後の産業衰退をめぐる一視点-」『一橋論叢』116(6)1996
9270木内隆司『労働組合の法律問題』『経済理論』通号2351990
9271小野塚知二『経営権と労働組合-一九世紀前半イギリス機械産業経営者の労働問題認識」『社会科学研究』40(6)1989
9272田中和夫「イギリスの婚姻法」『比較法研究』通号18 1959
9273秋田成就「ロックアウトの概念」『討論』通号67 1957
9274田中和夫「米法に於ける違法な罷業」『法律タイムズ』2(9)1948
9275江家義男「英米法における共謀罪」『早稲田法学』24(3.4)1949
9276田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」一橋論叢23(2)1950
9277松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991
9278蔦川忠久「アメリカ法におけるコンスピラシー法理の変遷過程」『法と政治』21(2)1970
9279石川才顕「コンスピラシー法理の拡張化と社会的要因」『法学紀要』日大 通号7号1965
9280マーチン・チャンセイ熊倉武「刑事共謀罪とアメリカ労働運動」『季刊労働法』7(1)1957
9281田島裕「コンスピラシー法理の研究(一)-その起源」『法学雑誌』大阪市大24(2)1977
9282松村高夫「タフ・ヴェイル判決とイギリス鉄道労働運動」『三田学会雑誌』79(5)1986「タフ・ヴェイル判決とイギリス鉄道労働運動(Ⅱ)」『三田学会雑誌』81(3)1988「タフ・ヴェイル判決とイギリス鉄道労働運動(Ⅳ)」『三田学会雑誌』82(4) 「タフ・ヴェイル判決とイギリス鉄道労働運動(Ⅴ)」『三田学会雑誌』83(1)1990「タフ・ヴェイル判決とイギリス鉄道労働運動(Ⅵ)」『三田学会雑誌』83(2)1990
9293木内隆司「アメリカ労働組合の政治活動(1)」『経済理論』和歌山大 通号2222号1988「アメリカ労働組合の政治活動(2)」『経済理論』通号223号1988
9294木内隆司「アメリカ組合民主主義の研究(1)」『経済理論』通号220号1987「アメリカ組合民主主義の研究(2)」『経済理論』通号221号1988
9295木内隆司「アメリカ組合民主主義の研究-労働組合の役員選挙-」『経済理論』208号1985
9296木内隆司「アメリカにおける労働の反トラスト(1)」『経済理論』211号1986
9297河内信幸「ニュー・ディールと連邦裁判所(上)」『北陸史学』44号 1995「ニュー・ディールと連邦裁判所(下)」『北陸史学』45号1996

2010/01/23

ハイチ募金なんか1円も出したくない

 ハイチ地震被災者支援のための非営利組織(NPO)などへの寄付が、地震発生から10日で3億8000万ドル(約341億円)に達したという。ディカプリオは気前よく100万ドルも寄付したというが。黒人の貧しい国だから寄付を出す事に意味があるのかも知れないが、集まりすぎじゃないのか、こんなに集まるなら1円も出したくない。http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100123-OYT1T00767.htm?from=y10
そもそもハイチは地理的に遠く、フランス語圏でなじみが薄い。夫婦別姓反対や千葉景子の落選運動に寄付を出したいと思っているが、ハイチに出さなくてもいいだろ。

連邦最高裁 企業の選挙広告費支出制限は言論の自由の侵害という画期的判決

 連邦最高裁は1月21日、先例を覆し、企業の選挙広告費制限は憲法修正一条の言論の自由の権利に違反するとして2002年マケイン-ファインゴールド法と呼ばれる選挙資金制度法Bipartisan Campaign Reform Act (BCRA)の主要部分を無効とする画期的な判決を下しました。Citizens United v. Federal Election Commission, 558 U.S. ___ (2010) 判決原文http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/08-205.ZS.html
 ロサンゼルスタイムスは最高裁は1世紀におよぶ米国の選挙資金規制法をひっくりかえしたと報道してます。判決は5対4の僅差でした。ケネディ判事の法廷意見に、ロバーツ主席判事、スカリア、トーマス、アリート各判事が同調、スティーブンス判事(フォード任命の中道派だが、今では左派の重鎮のような存在とみなされている)が先例拘束の原則への空前の襲撃として90頁に及ぶ長文の激しい反対意見を書いています。
 ブッシュ前大統領が保守派の二判事(ロバーツとアリート)を任命したことがきいているように思えます。 
  訴訟は、2008年大統領選でヒラリー・クリントンを批判したドキュメンタリー映画に関し、連邦地裁が「保守系政治団体が製作費を拠出している」との理由で放映を差し止めたのは違憲だとして、同団体が起こした(読売新聞)
  共同通信の報道が具体的でわかりやすいです。企業や労組は現在、政治団体への資金提供を通じ、特定候補の政策を支持・批判するなどの広告を展開することは可能だが、当選や落選を直接呼び掛けることは禁じられていたのに対し、特定候補の当選や落選を呼び掛けるテレビ広告などへの資金支出を企業や労働組合に禁じた法律を違憲にしたものだと具体的に説明。なお、判決後も政党向けの無制限な企業・団体献金「ソフトマネー」の規制は維持される。又、ワシントンタイムスによると最高裁は政治上の広告を出すどんなグルーブも貢献者の名前を明らかにしなければならないと言う法の要件は8対1で是認しました。トーマス判事が匿名の言論の権利があると反対しました。

共和党ではマッコーネル上院議員(ケンタッキー選出)などが判決を歓迎しています。オバマ大統領と民主党員の多くはこの判決を激しく批判的してます。アラン・グレーソン下院議員(民主党・フロリダ選出)はドレッド・スコット判決以来のワースト判決と言いました。
  私は、労働組合に営利団体・会社と同じく選挙広告費支出を認める事が不愉快なのでこの判決には全面的に賛同しにくい面もあるが、この判決の政治的効果を歓迎します。
11月中間選挙で民主党の議席が減り、馬鹿げた法案を通過させようとしているオバマのレイムダック化を望むので、アメリカ社会の左傾化に歯止めをかける効果に期待したいです。
 我が国では選挙広告を表現の自由の観点から捉える発想が少ないように思え、安易に企業・団体献金を規制しようとする発想が強すぎます。企業・団体献金規制みたいなきれいごとを言う政党は特に嫌いです。

共同通信
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000216.html
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100122-OYT1T01457.htm

毎日新聞
http://mainichi.jp/select/world/news/20100122dde007030011000c.html
時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000040-jij-int
ロサンゼルスタイムス
http://www.latimes.com/news/nation-and-world/la-na-campaign-finance22-2010jan22,0,850920.story
ワシントンタイムス
http://www.washingtontimes.com/news/2010/jan/22/high-court-voids-curbs-on-political-ad-spending/
ボストン・グローブ
http://www.boston.com/news/nation/washington/articles/2010/01/22/court_lifts_a_ban_on_political_spending/
クリスチャンサイエンスモニター
http://www.csmonitor.com/USA/Justice/2010/0121/Supreme-Court-Campaign-finance-limits-violate-free-speech
  ニュージャージ-コム
http://www.nj.com/newsflash/index.ssf?/base/national-14/1264129171221670.xml&storylist=washington

ニューヨークタイムズ社説 民主主義に打撃を与えた法廷
http://www.nytimes.com/2010/01/22/opinion/22fri1.html?em

PBS
http://www.pbs.org/newshour/bb/law/jan-june10/supremecourt_01-21.html

タウンヒル
http://townhall.com/news/politics-elections/2010/01/22/businesses,_unions_freed_to_spend_big_on_elections?page=full&comments=true

2010/01/20

マサチューセッツ上院補選、共和党勝利

久しぶりに痛快なニュースではある。故エドワード・ケネディ上院議員死去による、マサチューセッツ州の上院補選で、共和党ブラウン候補が勝利、上院選挙で共和党が勝ったのは新聞にまちまちだが、1972年以来らしい。http://jp.wsj.com/US/Politics/node_24132 ブルーステートで負けただけでなく、共和党に41議席与えた事でオバマに打撃となる。ワシントンポストによると、ブラウン候補には保守的な人から選挙終盤の10日間で500万ドル以上預けられたとあります。ここぞと言う時に金が集まるのは凄いです。http://www.startribune.com/politics/national/senate/82127797.html?page=2&c=y
我が国は左翼政権で救いようがない状況ですが、米国民にはバランス感覚があるとの感想を持った。

2010/01/18

ソニー人事経理業務の一部をIBMに委託とのニュース

 毎日新聞などで報道されてますがhttp://mainichi.jp/select/biz/news/20100116k0000m020052000c.html、既に2003年にIBMはP&G全世界9万8千人の社員の給与計算/福利厚生業務/報奨プランニング/海外赴任・転勤者支援/出張・精算業務/人事データ管理を4億ドルで受託しており、驚くほどのことではない。http://www-06.ibm.com/jp/press/2003/09102.html?cntxt=b1327432
 ソニーはオープンショップ制で電機連合に加盟しない会社組合らしい。だから比較的容易なのだろう。ソニーと電機労連の争いについては電機連合のこの頁http://202.229.28.238/history/1961/にある。

2010/01/17

16日民主党大会抗議行動に1500人

私は行きませんでしたが、16日の民主党大会抗議行動に1500人集まったそうです。http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100116/stt1001162028030-n1.htm
ニコニコ動画で動画がアップされてますが、比較的コンパクトに編集されているのがこれ
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm9407776
党大会が終わったあと、検察庁に流れていって検察頑張れコールが笑える。草莽全国地方議員の会・チャンネル桜ニ千人委員会有志の会系が日比谷公園、在特会・日護会系が有楽町で別々に集会をやっていて、日比谷公会堂前で合流したらしい。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(17)

19世紀中葉の判例と展開(その1 )

  プロレーバーの片岡曻などの著作に依存するが、1825年法以後の判例の展開をみていくこととする。

○1832年 R.v.Bykerdike

 いわゆる二次的争議行為、労働者が宣誓して団結し、雇主に対して、彼等と雇われている7人の労働者を解雇しなければ、彼等は同盟罷業をなす旨を通告したことが共謀罪として起訴された事件で、裁判所に対する説明で1825年法は「労働者が雇傭すべきかを指示する目的で、会合し且つ団結することの権利を、与える意味のものではない。したがって、かかる強制は明らかに違法である。」(*26-377頁)。 

○1842年 R.v.Harris

Tindal判事は労働争議における他人の権利の干渉について、陪審に対して次のように述べた。「争議において労働者は、労働を停止する自己の権利を行使するのに満足せず、他人の権利にも干渉する。つまり彼等の賃金に不満足な多数の労働者は、暴力、脅迫によって、現在の賃金に満足している労働者の自由に干渉して仕事を去らしめるのである。労働者によって許される権利は、自己の有する力量及び技術を同僚の指示命令なしに行使する権利である。多数者が貧しき者の権利を圧迫することは普通法の重大な違反である。」

○1847年 R.v.Selsby

事案は労働者側が使用者に一定年令の徒弟及び組合員たる労働者のみの雇用を強制するためストライキ(二次的争議行為)を行い使用者の店の周囲には堅固なピケが立てられている旨のビラがまかれ、一段の労働者が附近の通りをパトロールしながら労働者就業を監視し妨害した。起訴状は、制定法及び普通法違反のコンスピラシー 、特に労働者が使用者に対する労働の提供を続けるのを妨害するコンスピラシー、及び違法手段によって労働者をして使用者の労働から去らしめ、後に他の仕事につくのを妨げたというコンスピラシーの成立を主張した(*10 194頁)が、このケースはこのような非組合員排除の二次的争議行為を合法とした点でR.v.Bykerdike事件と異なるが、1825年法3条は二次的争議行為を容認していないと解釈するのが妥当ではなかったか。佐藤昭夫によると非組合員排除の争議行為が1825年法第3条違反とする判例としてSkinner v.Kitch(1867)、違反しないとする判例として判例として、Wood v.Bowron,(1867) Neill v.Kruger(1863) R.v.Steiner(1870) を挙げている(。
クローズドショップの起源について浜林正夫は、イギリスではパブが求人求職の仲介所であったことに由来するのだと云う。組合は非組合員を排除する企業を「フェアハウス」、組合員以外も雇う企業を「ファウルハウス」と呼び、「ファウルハウス」にはパブでの求人を一切拒否したり、非組合員に暴行や脅迫を加えることにより、労働市場を独占しようとした。19世紀になると企業側もパブを利用してスト破りを集めたという(*17
125頁)佐藤昭夫によると、19世紀においては非組合員への通常無数の侮辱に迷惑行為がなされたとされている。ことにシェフィールドやマンチェスター、あるいはその周辺では機械や原料が破壊され、馬は腿筋を切って跛にされ、従業員の仕事道具が奪われ、あるいはいじめられるという可能性は、すくなくとも存した。1867年Fearnehoughf は、組合を脱退してストライキされている使用者のところで働いたため眠っている部屋を爆破された。(*26 139頁)
現代イギリスでは、ストライキに参加しない労働者の権利が与えられ、二次的争議行為もクローズドショップも違法であるから、労働組合が法認されていなかった19世紀中葉のほうが、この問題についてはゆるい側面もあったということである。

片岡曻によるとこの事件でRolft判事がピケッティングが1825年法第3条に違反するか否かについて陪審員に対し述べた事が、ピースフルピケッティング擁護論の嚆矢なのだという。Rolft判事はこう言った「行かぬほうがよいとか、行けばスト破り と呼ばれるぞとか、もしそこへ労働しに行けば冬がすまぬ中に後悔せねばならないぞとかいろいろな脅し文句が用いられたが、陪審の考慮すべきこと、は用いられた言葉ではなくてその結果が、相手方に対して彼が使用者の店で労働する意図を捨てない限り或る種の身体的危害が加えられるであろう事を通告し脅迫したことになるか否かの点である」。もっとも、次に述べるReg .v.Rowlands(1851)やR.v.Duffirld(1851)におけるアール卿 (Erle判事) の見解のようにピケッティグに対して厳格な考え方があったように、この見解は当時としては一般的に受け容れられなかった。
 

○1851年 Reg .v.Rowlands

一部の労働者が団結して、他の者を暴行脅迫等により、他の者を同盟罷業に参加せしめ、且つ雇主に対し、経営変更の変更を強制し、さらに他人の就職を妨害したことが、共謀罪として起訴されたものである(*27-378頁)
アール卿 Erle,J.は(イ)1825年法の脅迫及び妨害という文字を広く解して、雇主に対して賃金の増額を要求し、その要求を貫徹するために、被用者に対して仕事を休むべきことを、又被用者以外の者に雇入を拒絶すべきことを勧誘することも、雇主に対する脅迫又は妨害であるとし、その行為は同法による犯罪であり、そうするための団結は当然に刑事共謀であるとし、(ロ)成文法を度外視するも、雇主の営業を害する目的をもって、即ち被用者に仕事を休むべきことを勧誘することによって賃金の増額を強制する目的をもってなす団結は、普通法上の共謀罪が復活した。(*24)

つまり1824年法は団結をコモン・ロー(普通法)の共謀罪で起訴されないとしたのに対し、1825年法は(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結することのみ、コモン・ローの共謀罪で起訴できない(刑事免責)しただけであり、この狭い例外以外の労働組合活動はコモン・ローが適用され、コモン・ロー上の共謀とせられえたのである。

○1867年R.v.Druitt

本件はいわゆるピースフルピケッティングを脅迫に当たるものと解釈したとされるケースである。
事案は仕立工組合の組合員であるドルイット等はストライキを決議し、非組合員をストライキに参加せしめるためピケッティングを行った。ドルイット、アダムソン、ローレンスの三人は闘争委員となり、他のものは彼に従って行動した。ピケ参加者は使用者の店の前に立ち、そこに出入りする他の仕立工に手にふり、足を動かしつつ、「卑怯者」「糞野郎」「畜生」などと連呼した。しかし闘争委員はピケッティングの現場には立ち会わず他の仕事に没頭していたが、検察はピケッティング参加者と指令者双方に処罰を要求した。
プラムウェル判事は次のように述べた。
「イギリス法上もっとも神聖な権利は人身の自由である。所有権にせよ資本の権利にせよ、人身の自由ほど神聖でもなく、またそれほど注意深く防衛されてもいない。普通法や人身保護令及びその他の補充法規によって、すべての人は人身の自由を保障され、正当な理由なしに投獄されず、権限ある裁判官によってのみ裁判を受ける権利を有する。しかし、かかる自由は身体の自由のみに関するものではなく、精神及び意思の自由でもあり、それによって人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定するうえに、身体の自由と同じく法の保護を与えられている。しかしある一団の人間が合意して他人を強制し、精神と意思の自由を奪おうとする時は、被害者の精神及び意思の自由を奪うことを目的とする刑事共謀を構成する。他人を不快ならしめもしくは混乱させる行動により、二人以上の者が右の自由を奪うために協力することを同意したとすれば、彼らが起訴さるべき犯罪を犯したものであることは、明白かつ疑うべからざる法であると予は断言する」「ピケッティングが何らリーズナブルな恐愕を起さず、相手方を強制したりいやがらせしたりしない方法でなされるならば、犯罪とはならない。他人を説得し、強制の要素を伴うことなしに自己と同一の行動をとらせることは何ら法の違反ではない。しかしながら、被告等の行為がかかる範囲をみこえないにせよ、その言語や身ぶりによって通常人の動作に監視をあびせ、被害者が自分は見張られており、殴られるかもしれないと思うような歴然たる効果を心に与えるような場合は犯罪である。」
かような説示に対して陪審は単にドルイット等三人の闘争委員会のみを有罪とし、他の者は無罪との評決を行った。

○ピースフルピケッティングを違法とするアール卿の「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)」理論

 1825年法第3条は個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。(「」内は二四年法にはなく本法で附加された規定)

(1)身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすこと
> (a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
> (b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」

 他人の自由意思に強制を加えて取引を侵害する団結が普通法上犯罪であるという事は判例の大勢であるが、1825年法の暴力、脅迫、妨害という行為類型をどう定義するかによって弾力性の富む解釈が可能だった。
 この点でアール卿は第三条を広く解釈する裁判官として知られ「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)」を刑事共謀とするものである(*10 197頁)。
 アール卿によれば、他人の権利を害するか否かは、その外形的行為ではなく、行為者が
害意をもってなすか否か、相手方の取引行為や労働力処分を妨害するのためにのみ行動しているかによって決せられる。これは、コンスピラシーの先例からして、まっとうな見解のように思える。1825年法第3条の制定法解釈についても、R.v.Hewitt and R.v.Duffirld(1851)においてアール卿は第3条における犯罪の本質は他人の意思に強制を加える意図にあるのであって、かかる意図は暴力・脅迫等を含む行為によって示される。従って、当該行為が本来の暴力・脅迫等の犯罪を構成するためには、当該行為をなす当事者がそれによって相手方の意思を強制し得ると信ずるに足る程度のものであればよいという。(*10 194頁)
 団結して他の労働者をその労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしも、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪であるとする。(*10 198頁)
 私は、この論点に関してアール卿の見解に好意的な見方をとりたい。人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定する個人の自由は決定的に重要な価値であって、他者より害意をもって強要されるべきものではない。第三者の共謀によってはめられることのない社会、それが真の自由社会だからである。
 
 
○1855年 Hilton v.Eckersley(*10 126頁、*21 300頁)
 
  二五年法以降労働組合自体が「営業制限の法理」および共謀罪との関係でどのような地位にあるのかをはじめて示した注目すべき判決である。事案は使用者に団結にかかわるものであるが、1825年法は労働者の団結も、使用者の団結も相関的に処理したために、判決自体労働者の団結にも影響を与えた。(*21)
  この事件は18人の紡績業者が労働者の団結に対抗するために、一年間、賃金、雇入期間、労働時間、操業時間、就業の一般的規律に関して、多数決によって定めるところに従い事業を経営すべきことを合意し、それによって違約金証書(bond)を作成した。
  一人の業者がこの合意に違反したので、これに対し違約金証書に基づいて訴えが提起され、営業(取引)の制限に該当してするか否かが争われた。(*10)
  第一審裁判所(Court of Queen's Bench)ではそれを「公共の政策」に反して営業を制限するものであるがゆえに無効とした。
  クロンプトン判事は「本件の団結は、営業や製造の自由なる過程を直接妨害し、干渉する傾向を持つが故に…コモン・ロ-上起訴されうべきもの」(*21)とし、さらに同一の考察が労働者にも適用され得る「もしこの違約金証書が普通法上強行し得るとすれば、ストライキから脱退しないとか、総会の多数決による許可なしに或いは代表者の指図に従わなければ仕事をする場合には違約金をを支払うとかの個々の労働者の約束も拘束力を有することになる。かくして、労働者は家族の事情がどうであろうと、賃金に関する使用者の申出がいかに合理的であると考え、心の中で、ストライキを長く続けると自己、自己の家族及び同僚労働者を破滅させ、かつ公共に計り知れない損失を与えると確信しながらも、組合指導者の圧政から自己を免れることは不可能になるだろう」(*10)
 さらにクロンプトン判事は1796年モーベイ事件のグロース判事の傍論「それぞれの者は、もし可能であるならば、賃金の引き上げを主張することは許される。しかし、もし数人の者が同じ目的で合意するならば違法である。そして当事者は共謀を理由として起訴されうる‥‥」(*8)を引いて労働条件を変更する団結がコモン・ロー上「営業制限」の共謀罪となる先例が確立している事を前提にして、更に二五年法との関連で次の述べた。
「近来の議会制定法によって刑罰を課せられなくなった合意もしくは団結は、もしすべての当事者が自由意思で団体から脱退し得るならば、それ程有害ではないし、営業の自由なる過程に反するものではない。‥‥しかし、当事者が
このような団結から脱退する権利を放棄する約定に合意するや否や、守る事が法の政策である営業の自由は、直接干渉されたように思われる。」(*21)
 クロンプトン判事によれば、二五年法によって放任された「団結」は、自由意思でそこから脱退する権利を有する事-本件で言えば拘束的合意をしない事-を前提とする。脱退の自由こそ「団結」に対して「営業の自由」を担保する「法の政策」=公共の政策となる(*21)。という見解である。
 しかしこの論点についてキャンベル裁判長は異論を述べ、先例の不存在を主張(グロース判事は傍論である)を理由に、単に公共の政策に違反し無効であるのみで、起訴しうるうるコンピラシーは構成しないべきと主張した。「同様の意味のことをルーズにに表現したものは他に発見しうる〔1721年ジャーニーメン・テイラース事件とみられる〕しかし、私は、より信頼し得る先例のない限り、自己の賃金が不適当であると本当に信じている労働者が二人相会して、賃金が上がらなければ労働しないことを約束したとしても、その目的を達成するために何らの暴力行為や不法行為の行使が企てない限り。軽罪として罰金または禁錮刑に処せられるものとは信じがたい」と述べた。(*10)
 なお、アール判事は違約金証書は1825年法第5条の規定により適法と述べた。
 第二審裁判所(Court of Exchequer Chamber)は違約金証書が無効である点において第一審裁判所を支持したが、それが犯罪であるかどうかは積極的に意見を表明しなかったが、アンダーソン判事が、クロンプトン判事と同様も、営業制限とする見解を示している。「自由国においては、法律による以外に各人の取引の自由を制限してはならないが、本証書はかかる取引の自由を制限するものである。それは賃金、労働時間、操業の一部又は全部の中止、経営等が多数を構成する他人によって律せられるのであるから、これは自己の判断に従って自己の最善の利益のために取引を行う各人の利益を制限するものである。従って不通法では強行しえない。ただ、それが犯罪を構成するという意味において違法というのではなく、その点については、本件は意見を述べることを要求しておらず、従って必要ではない」(*10 128頁)
                      *  *
                     
 1825年法が使用者・労働者いずれも目的・態様を限定しているが団結を放任しているにもかかわらず、使用者どうしが賃金、労働時間等を取り決め横並びとする違約金証書を無効としたのが本判決であり、それがコンスピラシーか否かについて第二審最場所は積極的に意見を表明しなかったというものである。
 使用者の団結にかかわる違約金証書が無効なら、労働者の団結も、強制、拘束の強いものは無効という論理になる。それは労働組合指導者の圧政下に個人が取引の自由を奪われることを意味する。従って現代の我が国の法制が労働組合の統制力から個人の権利を守る手立てが乏しいことは大きな問題なのである。
 
 
*8松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*24田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」『一橋論叢』23巻2号 1950[ネット公開論文]』http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/4593
*26 佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 135頁
*27江家義男「英米法における共謀罪(Conspiracy)」『早稲田法学』24巻3号 1949[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/1600

2010/01/15

本日も頭上報告

 9時23分頃から40分に全水道東水労の書記長会議報告があった。多くの事柄を演説しているも耳に入ってきたのは、

1 人事考課の定期評定開示請求を係でまとめて一斉に出してもらう。管理職の恣意的な評価をさせないためだとしているが、個人が勝手にやらないで、組合でまとめて開示請求をし、悪い評価をさせる圧力をかけるのが狙いのようだ。

2 申し入れ行動を行うため呼びかけたときは立ち会いのため集まるようにと指示。

3 2月の上旬に分会の職場大会を行い、春闘の態勢を整える云々。

4 1月30日(土)14時~日比谷野外音楽堂で開催される「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」へ積極的に参加するよう呼びかけ。普天間基地は他国に侵略するための海兵隊の基地で専守防衛と関係ない。基地を返還すべきだ云々と演説。

5 狹山事件再審請求の集会への参加の呼びかけ

 水道料金は払いにくる顧客によく聞こえる声だった。職員だけでなく顧客も「普天間基地は侵略のための基地云々」の演説を聴かされるのである。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(16)

1825年法の意義(続)


 ベンサム主義者の安易な考えで団結禁止法を廃止したのは過ちだった。ブレースというベンサム主義者さえいなければ、このような事態にはならなかったと考える。決して団結禁止撤廃が歴史の必然であったなどとは考えない。1825年法は その弊害・行き過ぎを是正したものである。労働組合が法認される1871年までの時期について検討するが、1825年法が1824年法と異なるのは目的と態様を限定した団結の放任であり、その意義についてみていくこととする。

 石田眞は次のように要約している。
 「二四年法を廃棄した二五年法は、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」.「協定」を認めた点において二四年法に一致する。しかし、まず目的そのものについて、二四年法がストライキの勧誘や使用者の営業をなす方式または管理に規制を加える事を認めていたのに対し、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事」を許すべきではないとし、目的の遂行に関しても、「他方に損害を与えてはならない」と限定し、賃金・労働時間に関する「集会」・「談合」においても「個人行動の安全な自由から生ずる競争の保護」という事によって、徒弟規制、非組合員に対する強制を排除し、団結内における個々の労働者の自由を保障しようとしたのである」(*21)

 田中和夫(*24)は次のように要約している
 「労働賃金の増額又は労働時間の短縮を得ようとする単純な団結は‥例外規定の適用を受けも共謀罪とされることはない。そして又、その要求を貫徹するためにその団結をなした労働者が「個々に」自発的に休んでも、犯罪とされる筈がなく、更に進んで罷業の形を採ってもそれが普通の平和的罷業であるならば共謀罪として罰すべきではないといういう傾向が強かった。(Crompton,J.in Walsby V.Anley(1861),3E.& E516,523.そして又、Molestaion of Workmen Act,1859(22 Vict.,c.23)は、一八二五年の法律の「妨害」という文字につき。労働賃金又は労働時間に関する要求を貫徹するために、他人に仕事を休むように脅迫を用いずに平和的に説得するのみでは、「妨害」とならないと規定した。もっともこの点は、Reg v.Druit(1869),10Cox C,c.592によって、「脅迫」を広く解するようになってから、実数が少なくなった)

 片岡曻(*10 134頁以下) はより具体的に1825年法のもとでの労働組合の民事上の地位について説明している。労働組合は法人格を有さないから、自己の名ににおいて訴訟はできない。労働組合の規約はそれ自体、取引制限として犯罪とならないとしても、取引を制限することを理由として無効とされたとしている。従って組合の民事上の地位はきわめて不安定であった。
 アール卿は労働組合の民事上の地位について次のように述べた。(Memorandum,p72)
「各人は、労働するかどうかについて、及び労働するとすればその条件について選択する権利を有するが、選択権は、一人の人間が単独で行使し、表示することもできれば、多数人が談合の後共同して(Jointly)行使し、彼等が選択したところを一致して表示することもできる。かつそれに基き、要求すべき条件を獲得する目的で適法に行為することも可能である。しかし、団結によって承認された条件によらなければ労働もしくは雇用しないことを相互に拘束する、法的効果をもった義務を設定することはできない。各当事者は、それが全くなされなかったと同様に、自己の労働に対して与えられることを欲する自身の条件を要求する自由をもつ。人は、自己の意思に従ってその労働もしくは資本を処分する自由を暫時といえども譲渡することは許されないし、かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない。従って、人はかかる自由を組合の執行部に委譲し得ないといわなければならない。」
 つまりこの「自由主義に鼓吹された」(ダイシーの評)言葉の示すとおり、各人が、自己の労働もしくは資本を多数決に従って処分することを交互に合意しても、かかる合意は取引を制限し、公共の政策に反するが故に、無効であり、強行し得ざるものであった。不当に取引を制限する目的をもつ労働組合は、その目的のために組合員の任意の醵金を集めることは適法になしうるが、組合員は、組合費もしくは組合によって科せられる罰金を支払う何らの法律上の義務を負うものではない。また、そのための合意や罰金の支払いを求める訴訟も起しえないし、組合員が組合規約ないし合意をに基づいて有する共済手当その他に対する要求も強行できない(Hedges,p.53cf)。
 従って労働者の団結は、その目的を第四条に掲げる目的---〔(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結する〕---に厳格に制限しない限り、民事上違法とされ、のみならず、他人を害する意図のもとに追究すれば犯罪とされる。二五年法によって許容される以外のもので容認される場合は、純粋に共済的な目的もしくは雇用に関する情報の収集にすぎない。

            * *
 
私が個人の自由を基本とする考えだから団結を許容しうるのは1825年法の範疇までが限度である。片岡曻のいう「個別的集合としての団結」である。一応団結は目的と態様を限定して放任されても労働組合は法認されない在り方である。
我が国では憲法28条によって労働者の団結する権利を保障し、団結権の権利主体は個別労働者であるにもかかわらずも組合が結成されれば、労働組合が団結権の権利主体として登場し、個別労働者の団結権は後退してしまう。個別的団結権と集団的団結権。法規範関係は未解明だと木内隆司(*25)が言っている。それよりも、団結権が基本的人権といいながら、労働組合の統制力が強く、いったん加入しまうと、元来個人が持っていた労働力処分の権利を完全に組合に譲渡するような在り方となっている。アール卿の言葉にある「かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない」という自由主義的な考え方は完全に窒息してしまっている状況にあるといえるだろう。
 労働組合主義者やプロレーバー法学者は、組合には強制力・最大限の他者に対する威圧力の行使がなければ団結権とはいえないという考えだから、自由主義者の考えとは全然違うのである。



*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*24田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」『一橋論叢』23巻2号 1950[ネット公開論文]』http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/4593
*25木内隆司「労働組合の法律問題」『経済理論』和歌山大 通号235 1990

2010/01/13

法務省が夫婦別姓導入等民法改正案を通常国会3月提出に向けて調整との報道

  読売新聞の11日の記事で法務省が1996年の法制審議会答申の線で民法改正案を通常国会提出に向けて調整に入ると報道している。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20100111-OYT8T00255.htm?from=yoltop
  多くの議員に反対のメールを1月末までに出します。16日に民主党大会があって抗
議デモも予定されているようですが、待ったなしの情勢になったので、休みの日はこれに
集中して取り組む予定。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(15)

1825年法の意義(1月17日修正)

 ベンサム主義者による1824法(団結禁止法撤廃)はマカロックやプレイスの予想に反して、労働組合の公然化、賃金を上げるための団結と、ストライキを各地に頻発させた。団結禁止法廃止以後のストライキ発生数の急激な増加とその激化は、団結禁止法撤廃反対を不安と恐怖に陥れたが、船大工の仕事放棄があったため造船業者が1825年3月リバプール選出議員で商相のハスキスンを動かし、「特別調査委員会」の設置に成功した。この委員会は、2か月25回にわたって77人を喚問し、労働者の団結について(目的・期間・規模・状況・結果)、労働組合について(組合結成の事情、組織、基金、加入手続き)、治安当局の対処など詳細な調査を行った(*18)。

 団結禁止法撤廃のおかげで「多数のストライキがおこり、そしてそれらのストライキには暴力と抑圧が伴った」調査によるとダブリンでは2名が殺された。スターリングシャーのある鉱夫は殴られてほとんど殺されかかった。アイルランドで70~80人が負傷し、そのうち30~40人が頭蓋骨を打ち砕かれた。硫酸をあびせることは、スコットランドでは少なくとも1820年頃からはじまり、多くの人が火傷をうけて、生涯の盲となった。またスコットランドのある鉱夫組合では組合に五ポンド払うまでは、鉱夫として働くことを許されないなかった。海員組合の一つも、乗組員がすべて組合員でないと航海しないことを宣言したと言う(*26)。特別委員会は結論として1824年法は労働者が雇用主を支配統制する機会を与え、また、不正、かつ、無礼な強制を行使する力を彼らに与えたとし、団結に対して一層の干渉が必要であると結論づけ、6月30日下院通過、7月4日に上院を通過した。(*18)

 その1825年法は次のようなものであった。



○ 中西洋の要約(*19)

(イ)1824年法及び同法によって廃止される旨規定されたすべての団結禁止法を廃止し
(ロ)1824年法によって規定された禁止行為にあらたに「妨害(molestation or obstruction)という行為類型をつけ加えた〔ただし、個人々の労働者の行為についてのみ規定し、団結による禁止行為の侵犯については、コモン・ロー上のコンスピラシーを構成するものとの観点から、明文規定を設けない〕
(ハ)他方この法によって、刑事上免責を受ける労働者の行為は、以下の如く限定される(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結すること〔使用者の免責行為も同様〕。



○ 浜林正夫の要約(*17)

二四年法に比べて二五年法はどこを修正したのかというと、大きくは次の三点です。
①結社の目的を賃金と労働時間の問題に限定したこと。徒弟修行を終了していない者や非組合員の雇用を禁止する雇用規制の問題が、合法的な結社の目的からはずれていることが労働者側にとっては痛手でした。②スト破りを阻止するために暴力や威嚇をしてはいけないという規定に、妨害という言葉を加えたこと。この妨害にはには物理的な妨害(オブストラクション)のほかに、「しつこく話しかける」(モレスティング)というのが含まれていて、これはあとあとまで問題になります。
③刑罰の強化(以下略)



○片岡曻の要約(*10 117頁)

一八二四法及同法によって廃止する旨規定されたすべての団結法は、廃止される(一、二条)
第三条は、個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。(「」内は二四年法にはなく本法で附加された規定)

(1)身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすこと
(a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
(b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」

(2)
(a)他人を強要しまたは誘引して、クラブ・団体に所属させ、共同の基金に醵金させ、罰金もしくは違約金を支払わせる目的をもって、または、(b)特定のクラブ・団体に所属しないこと。賃上げ、賃下げ、労働時間の減少・変更のため、もしくは営業の方式・事業の管理に規制を加えるためになされた規約・指令・決定・規則に従わず、または従うことを拒否したことの故をもって、その者の身体・財産に暴力を用い、脅迫し、または「妨害する」こと。

(3)他人の身体・財産に対し暴力を用い、脅迫し、または他人を「妨害して」、製造業主もしくは事業を営む者を強要し、もってその業務を規制し、管理し、指揮し、もしくは行う方式に変更を加えしめ、または「その者の徒弟の人数、その職人・労働者の人数・種類を制限する」。
 以上の行為をなした者、及びこれを教唆し、幇助する者は、略式手続き(六条」により、三月以下の禁錮に処す。




○石田眞の要約する立法趣旨(*21)

1825年法は1824年法に関する調査委員会の立法勧告に基づくが、立法勧告をわかりやすく説明しているので引用する。
 

 委員会は‥‥まず「団結禁止法」については、①「団結禁止法」の不平等な効果、②「団結禁止法」が意図した目的が効果的に実現されていない、という二四年法と同様な理由で、廃棄が支持される。しかし、委員会は、その他のすべての点で変更を提案する。そして変更が「団結禁止法」の廃止以外の全ての部分にかかわるので二四年法の廃棄を勧告する(九頁)。
 さて廃棄の効果は、どうなるであろうか? 「この廃棄の効果は、その法律(一八二四年法ー筆者)の第二条・第三条にかかげられている特定の場合において、コモン・ローの機能を復活することになるであろう」 (十頁)として二四年法の廃棄の最大の眼目と、二五年法制定の前提がコモン・ローの「復活」であった事を告白する。しかし、コモン・ローの「復活」も一八二四年法以前の単純な繰返しではない。では、委員会がコモン・ローの「復活」によって団結を法的にいかに処理しようとしたのか。実は、ここに二五年法の特質が浮び上るのである。
 第一に、コモン・ローの「復活」によって、一応団結は違法とされるが、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去される。 「委員会は、コモン・ローが復活さるべきであると勧告するにあたって、一つの例外がコモン・ローの機能に設けられるべきであると考える。即ち、賃金率に関して平和的に相談する、賃金率を引き上げもしくは引き下げるもしくは労働時間を決定するために努力する事でお互に協力する事を合意する使用者もしくは労働者いずれかの間での集会や談合は支持される例外である」(十頁)。
 第二に、目的・態様は、以上に限定される。特に委員会が強調したのは、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事は支持されない」という事であり、 「団体に参加したくない人に対する安全で自由な選択を確保するあらゆる予防措置が取られなければならない」 (十一頁)という事であった。従って、ストライキ、クローズド・ショップ、徒弟規制等の目的を有する団結は、 「有益な目的を越える団結」であって「従来と同様に、コモン・ローの非難にゆだねられる」のである(十一頁)。
 第三に、「賃金」「労働時間」に関する団結であっても、その団結内において個人の自由が貫徹されなければならない。即ち「共に協同し、協力する自由は、賃金や労働時間に関して保障されるべきであると勧告するにあたって、個人的な判断の自由な行使に当然払われる顧慮が不可欠である」と同時に、 「団体を離れたいと思う人は・-完全に安全にそうする事が可能でなければならない」 (十一頁)つまり個人の自由な判断における合意(契約)であっても、その合意の拘束は以上の範囲にとどまる。団結契約は、個人の自由によって様々な側面から制約される。
 

                  * *

 

 1825年法の勘所は何かというと、1800年団結禁止法も廃止したが、1824年法も廃止したということである。1824年法は「労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けない」ものとしていた。コモン・ローによる起訴をさせない制定法だったのである。これを廃止することによって、コモン・ローの機能を一部復活させたところに意味がある。

 コモン・ローの復活により団結は一応違法となるが、、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去され刑事免責としたのである。団結の目的と態様はこれだけに限定された。つまり個人の自由として賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」のみ目的・態様に限定した自発的団結の放任というのが1925年法である。
 委員会が、団結の実態で目を向けたのは、団結が賃金・労働時間に関する目的だけではなく、使用者の製造過程に対する規制や非組合員への強制等の目的を有しているという事実であった(*21)。この点で非組合員への強制は明確に違法とされストライキ・クローズドショップ・徒弟規制の目的を持った団結はコモン・ローの非難に委ねたのである。しかし、1825年法によるコモン・ローの発動の余地を残しているが、その意義を過大評価すべきでないという中西洋の指摘もある。つまり19世紀はベンサム主義の時代であり、中西洋によれば労働運動に抑圧的だったのは、コモンローでも団結禁止法でもなく主従法の体系だったとする(*19)が、この問題についてはここでは深入りしない。

 1825年法は暴力・脅迫に加えて、物理的な妨害(オブストラクション)のほかに、「しつこく話しかける」(モレスティング)による就労妨害を違法としている。1800年団結禁止法では説き伏せることや離職の勧誘が違法とされていたから、それよりは解釈の余地のある文面といえる。この点、裁判官の解釈によっては妨害を広く解釈するとピケッティングは厳格に規制されるが、緩く解釈するとピースフルピケッティングを容認しうる解釈も不可能ではないという点で、問題があったかもしれない。

 私は1799-1800年団結禁止法の在り方が最善と考えるが、1825年法は最善とはとてもいえないとしても、比較的良性の立法例とみなす。それはコモン・ローを機能させるようにしたこと。「個々の労働者が自己の技術と労働を処分するに当たっての安全と人身の自由並びに使用者の財産と身体の安全のため一層進んだ規定をなすことが時宜で適する」(*10 120頁)という立法趣旨にも現れているように、個々の労働者の労働力処分の自由と安全を重視していることである。

*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333

*26 佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 135頁

2010/01/11

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(14)

 ベンサム主義者の団結放任論の過ち

ベンサム主義者は団結を放任としても、団結は経済原則に屈服して消滅するだろうと考えていた。マカロックは彼は、1823年の、『ブリタニカ百科事典』の「団結」に関する項目を執筆し、賃金基金説と団結との関連を次のように述べた。
 「賃金は常に、それぞれ一定の時における労働者の数に対する基金、即ち賃金の支払にあてられた資本の額の割合に依存するのである。労働者はいかなる場合でも除数であって、資本は被除数である」従って、「同盟罷業は賃金基金を増加することはできない」し「賃金を勝貴せしめることはできない。」もし団結によって賃金を増加しうると考えるとすれば、それは「全く無知による。賃金は罷業などの影響しえぬ原則即ち資本と人口の割合にもとづく。」(*21)

 マカロックは労働者は正当な分け前以上のものは獲得できないと考えた。その根拠として先買いや買い占めによる生活必需品の価格つり上げの団結の影響は、立法府の干渉が除去され商人や生産者の行動の自由が許されれば、より廉い価格で供給されるという経験的事実を挙げている。これは1815年にロンドンのパンの公定価格制が制定法によって廃止されたが、業者の団結によるつり上げを防止しなくても、「自由な競争」がある限り問題なく、潤沢に供給されている経験的事実のことである。穀物商人やパン製造業者の団結によるわずかな価格の上昇だけで業者間の競争を激化させ、団結を内部から崩壊させると言うのである。(*20 99頁)穀物商人やパン屋の価格協定は容易に崩れるのと同じように、労働者の団結も無意味なものと云う認識を述べている。要するに穀物やバンの価格協定を放任しても、容易に崩壊し無害であるのと同じように、労働者の団結を放任しても適正水準以上の賃金になると容易に崩壊するから無害であると云うのである。この論点は非常に甘いと思う。
 しかしこのような甘い考え方に同調者がいたのは、マカロックが重商主義の低賃金経済からの解放を訴えし、団結放任による高賃金経済論の期待があったためと考えられる。

 しかし経済理論とは別に、ヘンサム主義者の致命的な過ちは、「団結の権利」を「個人の自由」「取引の自由」の拡大と考えてことである。
 そうではなく、「個人の自由」「取引の自由」と「団結の権利」は逆比例関係にあったのである。(*20 107頁)

 

*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(13)

   1924年の団結禁止法撤廃の批判的検討-その前書き

  19世紀前半はベンサム主義の時代だった。団結禁止法の撤廃もベンサム主義者の仕業であったが、。プレイスが運動を組織し、マカロックがその原則を『エデインバラ評論』誌上で理論化し、ヒュームが議会で立法化に努力した(*21)かれらの団結放任の主張は、今日のプロレーバーが主張するような団結権ではないことはすでに述べたとおりである。 個人の取引の自由として団結=「労働の販売の条件を相互に協定すること」を放任する趣旨であリ、それは自発的な団結である。買占め禁止法や高利禁止法の撤廃と同様に、個人の自由の拡張を契約の自由の名において展開したベンサム主義的自由主義の法改革の一環となったのである。
 しかし、これを自由放任政策として評価することはできない。1924年法は(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少に関する団結のみならず、(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えることは、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者以外はコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けないものとしたことは明らかに行き過ぎであり、実質的に他者の契約の自由を侵害する側面が多分にあった。

  団結放任というベンサム主義に対抗するコモンロー裁判所の対抗論理が「営業制限の法理」である。これは、私人間の自由な合意(契約)にもとづく「営業の制限」をコモン・ロー裁判官の政策判断たる「公共の政策(Public Policy)」により違法とする事によって「営業の自由」の原則を実現しようとするものであるが、団結禁止法が廃止され後、1925年以降本格化する。
  ホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由に対する干渉の危険を冒してでも、営業に対する干渉がおこなわれることがないよう注意してきた。というのは個人の営業の自由の制限はすべて国家の利益にとって有害なものであるがゆえに、それらに反対することが公序であるからである」
 「営業を制限する合意」について『イギリス法』は次のように分類する。(1)営業の売手と買手の合意(2)共同出資者の合意(3)使用者と雇用者の合意(4)競争の排除・縮減、算出量の規制等々を目的とする独立の営業者あるいは営業者群の合意(5)雇用者たちに対する統一行動を目的とする使用者相互の合意(6)使用者たちに対する統一行動を目的とする雇用者相互の合意、である。カルテル協定、使用者団体、労働組合等における加盟者自身の自由の制限などを「営業制限」と云うのである(*20)。
 
 19世紀初期の労働組合は団結禁止法のもとでも、共済互助団体という偽装で存在していたが、労働時間、労働量、賃金に関する自由な契約を制限し統制する協定、つまり加盟者自身が自由を制限してしまう在り方そのものが「営業制限」として違法というポリシーであるから、労働組合の余地を認めないのが「営業制限の法理」であった。

 労働の販売の条件を相互に協定することそれ自体を個人の営業の自由の侵害とみる。個人の契約の自由として、労働の販売の条件を相互に協定することを認める団結放任の思想は、本来180度反対の思想である。

 私は、最善の政策が前者で、自発的団結放任は好ましくないが、団結強制よりましということで次善の政策という考え方である。
 
 
 その理由のひとつを述べる。例えばマンションの管理組合で、地デジ変更のためにスカパーを見られるようにしますか、しませんかとアンケートがあり、受信料はたいした金額じゃないし私は当然スカパー!も見たい。チャンネル桜も見たいし、スカパー!に投票しても、そうならないことがありうるのは、非常に不愉快であるが、マンションの所有者じゃないから、自分の希望と反してもやむをえないと思う。
 しかし、自己自身が所有する財産については政府の正当な干渉(例えば徴兵・税金)以外、原則自由であるべきだと考える。私有財産には自己自身の身体も含まれる。職人にとっては腕、芸人なら芸そのものが資本というのと同じである。経営者が持っている工場や機械と同じで、いかなる貧乏人でも身体能力・労働能力があればそれ自体が資本であるからだ。
 原則というのは、ユニオンショップやエージェンシーショップにおける組合費の強制徴収には反対だが、暴力団のみかじめ料、弁護士会、公証人会,弁理士会司法書士会,土地家屋調査士会,税理士会,行政書士会,水先人会,公認会計士協会といった強制加入団体の是非については検討する余裕がないので態度を保留にするためである。
 実際問題、社会生活で脅迫され、威嚇され、威圧され、統制され、規制され、個人の労働力処分の自由と財産権を侵害しているのは労働組合とそれに結託する東京都管理職なのであるから。私の敵は暴力団はなく労働組合なのでる。それ以外の中間集団については態度を保留したい。少なくとも私は暴力団より労働組合が圧倒的に害悪という認識である。暴力団は必要悪かもしれないが、日弁連と労働組合は巨悪、不必要悪という認識である。

 我が国において、例えば、携帯電話の加入は私人-私企業間の自由な契約で行われている。契約相手をドコモ、au、ソフトバンク、ウィルコム、イーモバイル、どこと契約しようが自由であるし、もっとも2007年に総務省がインセンティブモデルを規制したために格安端末は買えなくなったが、政府の規制以外どのような機種・機能・料金プランを契約しようが自由であり、第三者が干渉することはない。それはあたりまえである。契約代金は私自身が支払うからである。労働組合のような第三者が干渉して、この会社を選びなさい、この機種をこの値段で契約しなさいと強制されることは全くない。
 私がスーパーでウィスキーを買うのに、バーボンを買おうが、スコッチを買おうが、国産を買おうが全く自由である。なぜならば、私が所有する現金で支払うからである。労働組合のような第三者が干渉することはない。

 現代社会の癌とは私人の所有する財産をどう処分するかは所有者の自由という原則を、労働力取引では否定される労働組合主義にある。仮にホワイトカラーエグゼンプションが制度的に導入されても、我が国において集団的労働力取引を基本としている体制であるため、過半数組合が同意しなければ、労働基準法の適用除外にならない。あくまでも労働組合が支持することが前提になっている。
 個別労働者はそちらのほうがずっと働きやすいし、成果や実績によって収入も増加し昇進も望める個別人的資本管理のほうが経済的にも有益であるとしても、組合がノーと言えばそれを選択できない。
 19世紀においては中で一定のまとまった工程を請負人(contractor) と呼ばれる熟練工が管理し、その配下の職工を使って生産を行う「内部請負制」と呼ばれるシステムがとられていた。使用者側の管理職が生産工程を管理できなければクラフトユニオンの内部請負として工場を操業せざるをえない。しかしクラフトユニオンの熟練工の差配に依存しなくても、工場を操業できるようになった以上、労働組合は不用なのである。不用になってもなお労働組合が絶滅せず残っていること自体が問題なのである。

 私人が自己自身の身体や頭脳を使う労働力の取引たる雇用契約は、本来、自己の身体と頭脳の所有者である私人の自由である筈のものだが、現代の我が国においては雇用契約の自由はない。
 第三者である労働組合が労働時間、働き方、労働の場所ですら規制・統制される。粉骨砕身働くことを妨害し、いかに貢献しても評価されないし、労働時間の規制のために、達成感に乏しい働き方を強要される。土日出勤も泊まり込み頑張って働いている人より病気休暇や育児休暇を取って楽にやっている人が圧倒的に尊重され、好い処遇が与えられる悪い企業風土で働くことになる。それでも真面目だから黙示的誠実労働義務という道義心だけで責任を全うすべく働きますが。
  
  土日出勤が労働組合との事前協議事項とされ、規制されることが仕事がはかどらない最大の要因である。日曜日は通勤も楽だし、静かな環境で能率的に仕事ができる。仮にブルーサンデーでも月曜からエンジンがかかるから一週間の仕事をスムーズに進めることができる。周囲に迷惑もかけず、業績も上げることができ当人にとっても有益なのに、いくら望んでも選択できないわけである。
  我が国の1990年代以降の経済低迷の主要な要因が「時短」であることは林=プレスコット理論によりはっきりしている。それは単に週休2日制の普及と 云うことでなく、共産党や労働組合の突き上げで、不払い残業を摘発する風潮などから、むしろ使用者がコンプライアンスを理由に労働時間規制を強めている状況を含んでいると思えるが、そもそも、労働基準法が社会主義的で過重に労働者を保護するもので。本来当事者の随意契約であってしかるべき、雇用契約の自由を侵害するものであって、産業構造が大きく変化しているのにホワイトカラーが工場労働者のように週40時間を原則とするモデルでは、生産性が低下するのは当たりまえである。 
 
 
  労働者保護立法を廃止または規制緩和あるいし反労働組合政策をとったイギリスやオーストラリアでは労働時間は増加している。時短先進国のドイツやフランスでも時短が見直されているにもかかわらず、我が国では政府と連合が協力してワークライフバランス、次世代育成支援政策として有給休暇完全消化とか、 東京都でも定時退庁促進、ノー残業デーの推進などといった救いようのない「時短」政策をやっている。
  ここ10年ぐらい給料が上がらないとかいって文句を言っている人が多いが、労働基準法や団体協約に縛られない個別契約主義(本来の意味での「営業の自由」の実現」にパラダイム転換し本当の意味での自由企業体制としなければ、企業の収益力を増し、経済成長は困難だと、無理だと考える。
 
  すでに現実に個別雇用契約を基本とする、労働法制が90年代にニュージーランドやオーストラリアで実現していることは述べたとおりで、「営業の自由」はまさに現代的課題でもあるわけである。
  私は今求められている政党は、例えばオートラリア自由党のような党是。つまり中小事業者、家族的価値、「勤勉に働く者」を代表する反労働組合を鮮明にした政党である。圧力団体の利害調整型政治ではなく、営業と誠実な勤労を奨励する公共政策にもとづく経済自由主義政党を望む。
  実際問題、日本の中小企業の労働組合組織率は低いとされている。時間外割り増し賃金、安全衛生その他の労働者保護立法を廃止することは歓迎されるだろう。外資も労働基準法が廃止さければ喜ぶ。労働基本権を廃止し規制撤廃し自由起業体制を確立すれば、起業しやすくなるだけでんなく、外資も呼び込めるし、企業活動を活性化できる。元々日本人は勤勉を美徳としていたから再び経済成長の軌道に乗ることが可能である。それ以外に日本経済再生の手段はないだろう。
  なぜ日本企業はサムソンに勝てないか。それはサムソンが組合不在企業であるからである。日本の企業もサムソンのように非組合になれば、勝てるのではないだろうか。
 
  私は、自発的な黙示的誠実労働義務として最長で57日連続出勤したことがある。1920年頃までのアメリカ中西部の鉄鋼労働者は週休なしの毎日12時間労働だったから、それに比べれば全然たいしたことはない。ところが組合との事前協議なく泊まり込みや土日出勤が労働協約違反だとか云って、上司から何回も激しく攻撃非難された。 
  本来なら、献身的に、粉骨砕身働くことは美徳であり、使用者にとっても従業員が時間業務のために集中してかけることは喜ばれることである。私は日経連案の年収400万以上のホワイトカラーはすべて、超勤割増給なしの適用除外で良いと思っている。私は既に600万もらって、このうえ欲張って収入を得たいという考えはないわけで、むしろ収入より労働組合の脅迫と威嚇がなく存分に仕事ができる労働環境を求めているわけですから、ブログでも労働基準法廃止を提言しているように、筋を通して黙示的誠実義務として賃金請求しないわけで、電灯とパソコンの電気代以外コストは全然かかってないわけである。電気代なんていうのは賃金に比べればずっと安いわけで、もちろんユンケルも自腹で飲んで体力を維持して仕事をやっていたわけだから、むしろ喜ばれるべきものであるはずが、全く逆である。ドラッカー流に云うと、部下に達成感を与える仕事をやらせないのはダメな管理職であるし、その上に信用とかその人が築き上げてきたものも台無しにしてしまうからから悪質なのである
  立場上、ご苦労様とはいえないというスタンスなら、それでも良いわけです。しかし二ュアンスとして伝わっていることは、労働組合の統制に服しない職員を攻撃するものなのであった。一日5時間以上の残業や週休日出勤は5日前に組合と協議して許可するという手続きをふまないということはけしからんし、管理職のメンツを潰すので非行以上に悪いことだとと言い方である。献身的に働いて叩かれるから不愉快である。
  運営的業務の多くの仕事を抱えて、それをこなしていかないと業務が立ちゆかないくなると、コンプライアンスも遵守できない状況であるのに、仕事を中断させようとするから、それまで週66~77時間ペースで働いて、何とか業務が回転していったものが、もう少し頑張れば軌道に乗るのに、私もあと1か月頑張ったら、土日は休むつもりだったのに、すべて先送りで、上級部署の信用も失った。実際の実務は上級部署の実務担当者との関係が重要で、仕事を先送りにするそれだけ能率が悪くなるし、これまで困難な仕事でも期限内にこなしてきたよくやってくれたとか感謝されたのに、上司による仕事中断指令で、実務担当者との間の信頼も失うことになり、勿論目標管理制度の目標達成の妨害であり、自分自身のメンツが潰れてますます苦しい状況に追い込まれ踏んだりけったリの状態になった。仕事の人間関係は、縦の関係だけでなく、むしろ、所内の他の係、別課の実務担当者、上級部署の実務担当者むしろそちらの方が重要だし、上司の出勤停止指令を無視してでもやろうかと思ったが、上司が庁内管理規則を持ち出してきて、土日出勤は上司の許可が必要で、規則違反で出勤停止だとか言い出して、もちろん規則の解釈で反論しようかとも思ったが、私は仕事を投げ出すといことはしない主義だけどいくら責任感があっても、一方的に非難されると気持ちが折れてしまった。、
  組合の職務統制遵守がすべてに優先する企業風土、管理職は上役と組合幹部に嫌われることが一番いやだから、仕事を止めさせることが職員の業績達成を妨害することが仕事だと思っている企業風土の要因は、本来、組合のような第三者が干渉して労働条件をすべて縛って統制して、個別労働者の業績達成を認めない、本来の意味での労働力取引の自由を否定している土壌にあるものと考えるものである。
 
  後になって、上司これはどうしたんだ、あれはどうしたんだとか文句云うんけど、こっちは、平日だけでやっているからしかたがない。出勤停止で業績達成を完全に妨害しておいてそれを言うから矛盾しているわけです。
  私の経験では平日のみの勤務では週60時間は無理だし、能率は悪くなる。つまり  平日勤務だけでは時間数足りなくて、業務がうまく回って行かなくなりました。ウォルマート本社ですが、バイヤーは6時半に出社する。トップの経営陣はそれより早い6時に出社するのがしばしばだという。退社は午後5時から7時の間ということです。またすべてのホワイトカラーは土曜は朝7時から午後1時まで働くという。
 仮に月~金に平均11時間、土曜に6時間なら、週61時間になります。
 つまり、優良企業のホワイトカラーは60時間働いて当たり前ということです。土曜日も出てきて働けるという安心感で平日も能率が上がるのだと私は思います。それがないと本当にストレスで過食になり健康にも良くない。
  終電車は遅くまであるので、退庁が午後11時20分回っても家に帰ることはできる。だけど、1日5時間以上の残業は組合協議とされているから、一応組合役員の目もあるので、遅くとも10時15分に帰るように自粛するわけですが、経験では毎日12時間以上働くのは無理である。
  ウォルマートの二代目社長デビッド・グラスは1日16時間、グーグルの女副社長は1日15時間仕事をするというが、私の経験では通勤で片道1時間以上かかるから、夜食もとるので金曜日を除いて1日13時間労働が限度なのである。月11・火12・水11・木12・金13でも59時間だから。
  私の経験では最低6時間睡眠していれば、疲労がたまることはない。そういう意味で金曜日に残業しないで、土日も出てきて仕事をしたほうが圧倒的に能率は良い。
 
  日曜日に休んでいる人がサザエさんを見ている時間に仕事をしているというのは本当に気持ちいいんですよ。やはり能率という点では、週休2日はとろすぎる、聖書の教えにも反してのですごい罪悪感を感じるしこれでは救われない。
  出し抜くのはけしからんと言うかもしれませんが、たとえばシスコシステムズのように社員どうしで競争する会社のほうが生産性は高くなります。
  池田信夫氏が長期雇用は、垂直統合という20世紀に固有の企業統治システムの副産物にすぎない。グローバルな水平分業の拡大によって、「日本的雇用慣行」は競争劣位の最大の原因となりつつあるhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/78d36ac0e6fa382a3cdfa1e4cfd43669。との見解もあるし、40歳以上のホワイトカラー無用論もあるわけで、生産性の低いホワイトカラーが長期雇用を維持するためには、時間外労働割り増し賃金適用除外にする以外にないと考えます。ホワイトカラーエグゼンブションは、リストラされずに長期雇用を維持するため生き残り戦略としてむしろ労働者側が歓迎すべきものだと思います。
  例えばプロクター&ギャンブルが人事管理部門をIBMにアウトソーシングした。http://www-06.ibm.com/jp/press/2003/09102.html?cntxt=a1010206IBMの社員がP&Gの人事部みたいなものですが、実際にはP&GのホワイトカラーがIBMに移籍したかたち のようだ。ハイテク企業は中核となる技術者を別として、事務管理部門は外注化できますから。
  そもそもアメリカではホワイトカラーは労働組合が組織化されない。労働組合のジョブコントロール ・労働基準法の規制のない世界の方のほうが圧倒的仕事は楽しくなり、能率的になると考えます。規制撤廃の本丸はここにあるわけです。
   
  戦後レジーム、労働組合主義が浸透した結果、他人の労働力処分の自由を侵害することが当然だと思っている悪人が多すぎる。粉骨砕身、献身的に働いても喜ばれない社会、それは不幸な社会である。善意より個人の自由を侵害する悪意が尊重される社会それは不幸な社会なのである。エキスパートになるには仕事に熱中しないとだめだ。労働時間規制はその人の昇進の機会も奪ってしまうのである。。
  従って、労働に関しては明確にパラダイム転換すべき。というのは、労働組合というの賃金カルテルであり、個人の労働力処分の自由、財産権に干渉し侵害するものであり、労働基準法は契約の自由、財産権を侵害するものだ視点に転換しなければならないと思います。
 
   
  シスコでもクァルコムでも組合不在の優良企業は、仕事をしやすい環境を従業員に与えることを重視する。だからクァルコムでは夜食やクリーニングもサービスし、存分に働いてくださいというのが良い企業である。
  私は黙示的誠実労働義務が第一なので、勿論どんなに悪くても病気休暇を取らないし、心筋梗塞寸前まで働く主義。大分前から発作が起きていたので、町の医者に大病院の紹介状をもらっていたのだが、重要な仕事があるので先延ばしにしていた。そろそろやばそうだという時になって、病院に検査にいったら、私が手術は来週でもいいかと言ったら、内科医が一週間なんて危なくて待てませんねえと言った。これから外科医と緊急手術を依頼するから即入院しろといわれた。つまり心筋梗塞寸前で、効率よく入院したのである。できるだけ早く退院できる病院を選んで心臓を手術しており、親が死んだときも通夜の日も半日働いたうえ、告別式で一日休んだ分の穴埋めとして日曜出勤しており、忌引はとらなかった。
  過去10年でも夏休みを取ったのは、しつこく強要された年の1日ぐらい。夏休みを取らないと激しく非難される、休みを取るとらないの自己決定すら組合に強制されるのは不愉快なので、昨年は、夏休みは取らないとはじめから宣言したくらいである。
 
  それだけ献身的に働いて、ワークライフバランスというから週休日変更をしたいと申し出ても、絶対認めない。その理由は夏休みを取らせる通達だというのである。組合と結託して夏休みを完全消化させるのが管理職の仕事だというのである。事実上、管理職がショップスチュワード化しているわけです。事実上ワークライフバランス業績達成妨害で、昇進の機会も奪ってしまうわけです。
  平日に家事都合で休みたいので、穴埋めとして土曜に出勤してバランスを取ると言っても絶対認めないから、女性に柔軟な働き方をさせるが、男はダメだと言わんばかりである。ワークライフバランスというが実質的には女性のための制度で生産性を抜きにした時短主義になっているのである。
  アメリカ合衆国では法定有給休暇はないし、家族医療看護休暇も無給で12週のみでる。企業福祉の一貫として有給休暇があるだけにすぎないのに、我が国では生産性の低い分野でも、有給休暇完全消化して、男性も育児に参加させるフェミニズムによって定時退庁促進とかばかげたことをやっているわけである。子ども手当をもらって、育児休暇でも不労所得をもらって、育児休暇のカバーしてもご苦労のひとこともなく、そのうえに男性には働かないことを強制する、非常に悪質な社会になっています。 
  労働組合のみならず、フェミニズムも営業を制限するコンスピラシーと認識しなければならない。
 
  私が本来の意味での「営業の自由」に回帰すべきと主張するのは次のような意味である。
  岡田与好氏(経済史学者)の法律学批判である「営業の自由」論争というものは重要な論点である。 岡田氏の見解を要約すると
  ①「本来の営業の自由」は「国家からの自由」ではなく、私人間における営業独占や営業制限からの自由であって、このような自由が確保されることが「公序」であり、「公共の福祉」である。
  ②「営業制限の法理」よりも「契約自由の法理」が優遇され、株式会社の設立や団結が解禁されるに至って「本来の営業の自由」が「営業の自由一般」・「私的経済活動の自由一般」へと転化し、現代的独占が発生する。
  ③資本の集中・集積による現代的独占を規制して、自由競争の維持・促進を図る独占禁止法は、「本来の営業の自由」の原理に立脚した、独占資本主義段階における自由主義的反独占法である。それは「営業の自由」の原則の現代的具体化であって、「営業の自由」」の対立物ではない。(*14)
  ひとくちでいうと「営業の自由」を人権とみなす過ちである。三菱樹脂事件最高裁判決(昭和48年)によると自由権的基本権とは「国または公共団体の統治行動に対して、個人の基本的自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」との趣旨からすれば、私人(労働組合や暴力団)による営業制限からの自由は、憲法から直接人権として導き出されることはないということになる
  それはそうだろう。ダイシーが言うように、伝統的にイギリスにおいて、国民の諸権利(例えば,人身の自由とか集会の権利等)を含む、憲法の一般的原理は、憲法典ではなく,国の通常法(ordinarylaw)の帰結であるとされ、すなわち、多くの諸外国の憲法では、個人の諸権利に与えられる保障は、憲法の一般的諸原理から引き出されているのに対して、イギリスでは,憲法の一般的諸原理は、裁判所に持ち込まれた特別な事件において私人の権利を決定する諸判決の結果であり、要するに,イギリスでは,私法(privatelaw)の諸原理が,裁判所と国会の活動によって,国法および国の従僕の地位を決定するまでに拡大されてきたのである。(*13)
  そうすると、日本国憲法も含めて、成文憲法体制には大きな欠陥があると言わなければならない。中間団体、私人からの個人の自由の抑圧から自由を保障していないことである。憲法28条の団結権がプロレーバー法学者の言うように、消極的団結権を規定していないと読むならば、憲法は極めて深刻な個人の自由の抑圧体系として機能しているのではないかとの疑いがある。
 
 
 そして岡田与好は経済的自由主義をも二つに類型化する。本来の営業の自由をと前提とした反独占経済的自由主義と、独占・団結放任を前提とした独占放任経済的自由主義である。

  本来の自由主義は英国の近世史をみても明らかなように、反独占・反団結・反結合の精神が基本にある。「独占放任型自由主義」は個人あるいは個別企業の自由の保障の無関心を特徴にしており、極論すると国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるという思想では、独占保護的全体主義になだれ込む危険性を有するという重要な問題点がある。
 その例証として岡田氏は19世紀末以来のドイツでは、わが法律学界と同じく「営業の自由」をもっぱら「国家からの自由」として(本来の営業の自由と異なる誤った)解釈を①することによって、「営業の自由」の名において「カルテルの自由」=「独占の自由」が法的に承認・強制され、その結果個人〈および個別企業〉の自由-本来の営業の自由-の犠牲のうえに、独占資本の組織的=強権的な私的統制〈カルテル網〉が「自由な」発展を遂げ、ナチズムの前提になった。としている。具体的には1869年の北ドイツ営業令は「カルテルの自由」を保障するものと解され、1897年2月4日ライヒ最高裁判所において、カルテルの諸義務は法的拘束力をもつことが認められ、カルテルは権利とされ、企業の団結が確立され、ドイツの異常に組織的な統制力をもたらし〔それは労働組合の組織強制についてもいえるかもしれないが〕、「営業の自由」を「国家からの自由」とすることによって換骨奪胎して、「個人の自由」を失うこととなったとされている(*23)
3)。

 私が思うに殊更政府の規制やパターナリズムから自由を説くリバタリアニズムや小さな政府論はこの問題を克服しなければならないと考える。政府の統治行動からの自由だけを強調したアナルコキャピタリズムには問題がある。労働組合による非組合員の権利侵害は私人間の紛争というこなりますが、政府の経済規制が廃止されれば自由だというのは甘い考えで、国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるということでは、中間団体からの個人の自由の抑圧から守れない。
 レイバーインジャンクションにしても、マスピケッティングを排除するためにしても組織化された警察力が必要なのだ。買い占めやカルテル、本来の営業の自由は反するものであるがゆえに規制しなければならない。したがって独占・団結放任経済的自由主義や無政府主義に偏ったリバタリアニズムには賛同できない。
 
 
  *15猪俣弘貴「ダイシ-と行政法についての覚書」『商学討究』(1989), 40(2): 55-79〔ネット公開論文〕 PDF http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/1625/1/ER_40(2)_55-79.pdf
*16鷹巣信孝「 職業選択の自由・営業の自由・財産権の自由の区別・連関性(四・完)- いわゆる「営業の自由論争」を参考にして」『佐賀大学経済論集』32(5) 〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/naid/110000451612/  
*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
 
  *22チャールズ・フィシュマン著中野雅司監訳『ウォルマートに呑み込まれる世界』ダイヤモンド社2007年
  *23岡田与好編『近代革命の研究』上巻 東京大学出版会1973 岡田与好「Ⅴ市民革命と『経済民主化』」

2010/01/05

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(12)

営業制限の法理、共謀法理に正反対するマカロックのばかげた団結禁止法廃止論

 団結禁止法撤廃に経済理論を提供したのが経済学者マカロックの団結放任論だった。それは暴力的手段による個人の自由を基準とする任意の団結Voiuntary combinationsとの峻別である。
 1824年の『エディンバラ評論』でこのように云う。「暴力的手段による、すなわち、他人に対して、自らの欲する賃金率で働くことを強制的に妨害しようとする一群の人々による団結拡張の一切の試みが、適当な処罰によって直ちに抑圧されるべきであるということは、一瞬たりとも疑義ないし躊躇を許すものではない。しかし、隣人の業務を暴力的に妨害する労働者の行為を防止するための干渉と、彼ら自身の間で形成する任意の合意を抑圧するための干渉との間には著しい差がある。前者は明白かつ直接的な平和の破壊であり、後者は、すべてのひとが生まれながらに与えられている自由の行使にすぎないように思われる。任意の団結の究極の結果がいかなるものであれ、多くの諸個人が一定の価格以下では彼らの労働を売らないし、また一日当り一定時間以上働かないと合意することには、不正もしくは不道徳なものは何もない‥‥」さらに「労働者が、労働の販売の条件を相互に協定することを妨げられているかぎり、彼らは自己の欲する仕方で労働を処分すことを許されていると主張することは、明らかに誤りである‥‥」(*20 96頁)と述べ、任意的団結の抑制は権利の侵害と述べている。
 暴力や強制でない限り任意の団結は害悪ではないという主張だが、労働者の実態をとらえていない非常に甘い考え方であると思える。
 例えば後にハスキスンが1824年法を修正するための、1825年3月29日特別調査委員会設置提案で述べている団結の実態とは、(1)雇用主に対しその事業を指揮する方法を命令する。(2)雇用主が徒弟を雇用すべきか否かを指示する。(3)労働することに対する個人の遺志を妨げる(4)各労働者は同じ賃金支払いを受けるべきという原則を押しつける。(5)自分たちの定めた条件に従わない労働者に重い罰金を支払わせるということである。つまり団結とは事業経営の干渉し、個々の労働者の契約の自由補を犯し、各個人に干渉することを常としているものであるという指摘にあるとおりである。(*18)
 重大なことはマカロックの主張は、コモン・ローの営業制限の法理、共謀法理と敵対する正反対の主張であるということである。すなわちイギリス法における「営業の自由」の原則とは、ホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由に対する干渉の危険を冒してでも、営業に対する干渉がおこなわれることがないよう注意してきた。というのは個人の営業の自由の制限はすべて国家の利益にとって有害なものであるがゆえに、それらに反対することが公序であるからである」
 「営業を制限する合意」について『イギリス法』は次のように分類する。(1)営業の売手と買手の合意(2)共同出資者の合意(3)使用者と雇用者の合意(4)競争の排除・縮減、算出量の規制等々を目的とする独立の営業者あるいは営業者群の合意(5)雇用者たちに対する統一行動を目的とする使用者相互の合意(6)使用者たちに対する統一行動を目的とする雇用者相互の合意、である。カルテル協定、使用者団体、労働組合等における加盟者自身の自由の制限などを「営業制限」と云うのである。(*20 57頁以下)
コモン・ローの「営業制限の法理」は個人の自由と団結に無条件の敵対関係を設定したものであり岡田与好は「18世紀的自由主義」と呼ぶが、マカロックの主張は団結が-任意のものである限り-財産の自由を根幹とする個人の自由と原理的には対立しないという思想で、J.S.ミルも同じ考えを示しているが、団結の諸結果に対して無責任な甘い考えだと私は思う。
 
 マカロックが、団結禁止法撤廃後に楽観的な見通しを持っていた論拠として「賃金基金説」がある。これは賃金とは労働者の数と、賃金支払いに当てられる資本(基金)の量で決まるという単純な学説である。
 労働者の賃金の増大する場合は(1)労働者一定であるとすれば資本(基金)が増大する場か、むもしくは(2)資本が一定であるとすけば労働者が減少する場合、その逆が賃金が減少する場合だと云う。
 そして賃金は市場の自由な競争によって調整されるべきであり立法府による支配をうけるべきでないという自由放任の主張を述べ、労働者の賃金が適正な賃金率より低い場合は適正水準まで団結により引き上げることは可能としつつ、一方でストライキを行えば、賃金の低い関連産業部門の労働者が職に就き、スト参加者は職を失うか、以前より低い仕事に就かざるをえなくなるから、団結は意味を失うと云うのである。(*18)
 以上の見解は、任意の団結なので適正水準以上に賃金を引き上げることによりストは敗北するという前提に立っているが、現実はそのようなものではありえない。ストにより適正水準以上のべらぼうな賃上げも何回もあった。イギリスの組合がクローズドショップで労働市場を支配し、ピケットやスト破りを閉じこめるなどしてスト破りに就業させない妨害をしたり、経営者と労働組合がなれ合いで、スト参加者を解雇せず、継続雇用するような慣行二次的争議行為、二次的ボイコットやゼネストなどによって社会が混乱する事態を想定できなかったのだろうか。団結が生産工程を支配し、労働量を規制することにより生産性を低下させることなども計算に入れていないマカロックなど団結放任論者の考えはあまりにも甘い空想に過ぎなかったのである。

*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987

2010/01/04

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(11)

1824年団結禁止法の廃止とその意味(1)

 意外なことに、全般的団結禁止法は、ロンドンのテーラーでありベンサム主義者のフランシス・プレースと、急進主義庶民院議員ジョセフ・ヒュームの個人的信念と努力で1924年にあっけなく廃止された。(なおこの結果、争議行為が激発したため、早くも1825年に政策が見直されるが、団結禁止法を修正した形の1825年法が制定される。この意義は別途検討する)
 私はベンサム主義(コモン・ローの否定、社会工学的法治主義)に強く反対であり当然批判的な見方をとるが、つまり、この制定法はコモン・ローの共謀法理による刑事訴追をできないものとした点で無茶苦茶なものであると考えるが、その歴史的評価は難解である。なぜならば団結禁止法撤廃の指導者であるフランシス・プレースは今日でいう労働組合主義者ではなく、団結禁止法の廃止によって楽観的な団結(労働運動)の消滅という見通しを持っていたことである。つまりプレースはこう云った「団結はただちになくなるだろう。人々は長い間この法律(団結禁止法)の抑圧によってのみ連携を保っていたのである。これらの法律が撤廃されれば、労働者が集団として固まる根拠を失うであろう。すべてはクェーカー教徒でさえそうありたいと望むような秩序あるものになるだろう」と。(*18)これは賃金基金説という経済学説の影響があるが、この点については次回検討する。

 1824年法について中西洋は次のように要約する(*19)
(イ)1800年法を含むすべての団結禁止法を廃止し〔1800年法の仲裁に関する規定18~22条は廃止されない〕
(ロ)以下の目的のためにする労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追
、処罰をも受けないものとした。
(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えること。〔使用者の団結も同様に免責〕
(ハ)ただし、以上の諸目的を追求する諸行為を、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者は〔個人としてなす場合にも、団結してなす場合にも〕2月以内の禁錮(あるいは重労働)に処せられる。


 
○きっかけとなった1810年タイムズ植字工事件

 キーパーソンとなるフランシス・プレースが団結禁止撤廃を強く考えるきっかけとなったのが、1810年のタイムズ植字工事件である。これは19人のタイムズ紙の植字工が賃上げの要求が認められないために労働を中止し1800年団結禁止法に反し使用者に「悪意をもって損害を与える」ために団結し共謀したことがを理由に起訴されたものでね、判決はなる程各人は自己の労働に値するというと考える賃金を要求する権利を有し、またそれはわが国の法であり、理性の法である。しかし、それを要求する仕方が重要であって、団体をなして行う場合は違法である。と判示した。この事件は団結禁止法のもとで労働者の団結が制定法上の金委行為に該当するにももかかわらず、コモンロー上違法であることを明らかにしたことで重要な事件とされる。(*10 101頁)
 

○ 団結禁止法撤廃までの経緯(1)

 プレースとはいかなる人物か。1777年生、14歳のとき革製造工となり、1793年にストライキを指導8か月解雇され、翌年、職人組合の幹事となれ小ピットの弾圧政策により逮捕、三年間投獄された。投獄中に政治経済を独学したと云われる。1801年にロンドンで仕立屋を開き、年間1000ポンドの収入を得、収益を労働運動を投入した。プレイスの店の裏に図書館をつくり、団結禁止法撤廃の急進主義者の集会場となっていった(*12)。プレースは熱心なベンサム主義者である。団結禁止撤廃はベンサムやマルサスも支持したといわれる(*17)。又プレースはミル、オーエン、ゴッドウィンとの交友関係があった。1818年仕立屋を長男に譲り、自らは団結禁止法撤廃運動に全力を注ぐ態勢をとり、「ゴルゴン」紙という労働者向けの新聞を援助すると、「ゴルゴン」紙を通じてジャーナリスト・経済学者であり「スコッツマン」紙の発行者だったマカロック(J・B・McCulloch)と下院議員で急進主義者のジョセフ・ヒュームという重要な撤廃支持者が現れた(*12)。
 1824年2月ヒュームの団結禁止法撤廃の特別委員会を設置する動議が認めらた。ヒュームは特別委員会の公聴会で、証人には自分の自宅で証言の仕方を特訓させただけでなく各地の請願運動も組織するなど巧みな作戦をとった(*17 69頁)。
 
 5月21日特別委員会の結論として団結禁止法について次の11項目が発表された。要点は以下のとおり(*12)。
1 労働者が賃金をひきあげたりする目的として、ストライキなどを伴った団結が、国内の広範な地域に存在したという証拠がえられた。そして現在の法律はこのような団結を阻止するために効果的ではなかった事が明らかになった。
2 労働者の団結を伴うストライキは、暴力行為を伴い、雇用者と労働者の双方にとって損失が生じ、かつ社会にとっても、かなりの不都合と危害が生じた。
3 雇用者は労働者の賃金をひきさげるため、または、雇用者の定めた労働条件に同意しない労働者を解雇するために団結した。このことは、ストライキや暴動をひきおこした。
4 団結した労働者に対する法律にもとづく告発がしばしば行われ、労働者は長時間投獄された。
5 賃金をひきさげるために団結した雇用者に対する告発のいくつかは存在したが雇用者が罰された例はなかった。
6 この法律は、雇用者あるいは労働者に団結を阻止するために充分でなかったばかりでなく、これに反して、両者の意見では相互の不信感を生み出し、かつ、団結に対して暴力的性格を与える傾向ををもった。
7 特別委員会は、労働者および、雇用者間の賃金と、労働時間について取り決めは完全に彼らの自由に委ねられるべきであると結論した。
8 それ故、雇用者と労働者間のこれらの事項に干渉する制定法は撤廃されるべきである。そして、また雇用者と労働者の平和的会合が共謀罪として告発させる普通法は改正されるべきである。
9 労働者の相互扶助のための賃金がストライキの資金に流用されていたことがしばしばあった。これは不当なことである。
10 雇用者と労働者の紛争の仲裁を指導し、規定する法律は強化され、修正され、かつ、すべての業種に適用可能なものにされるべきである。
11 団結禁止法撤廃後、脅迫、威嚇、暴力行為によって、自己の労働、あるいは自己の資本をもっとも有効であると考える方法で用いることについて完全な自由を妨害する労働者、または雇用者は処罰される法律を制定することは絶対にら必要である。

 要するに団結禁止がかえって、団結の実態を隠してしまい話し合いができなくなり、相互に不信感を増長させ、ラダイトのような過激な運動を引きおこし、団結に暴力的性格を与える傾向をもたらしたから廃止すべきだとし、1820年代の行政ニヒリズム(自由放任政策)の考え方から、団結も自由放任という主張を行ったのである

 この報告の後、1824年6月5日特別委員会の原案どおりあっさり議会を通過した。この最終審議は議会内でも知らない議員が存在したといわれるほど簡単に成立してしまった。

 片岡曻(*10 104頁)はプロレーバーの立場からベンサム主義者ブレースの推進した団結禁止法撤廃の意味はレッセフェール推進の考え方だったとして批判する。
「団結禁止法の廃止は、理性ある労働者にストライキの無益さを自覚させ、その結果労働運動を消滅させ得るものと考えた。彼並びに彼によって代表せられる立法的世論にとって最大の価値を有したものは、団結そのものより個人的自由だったのであり、ただそこでは、国家によって加えられる抑圧は、労働組合によって加えられる抑圧と同様に嫌悪すべきもの、労働者階級を改善するに何らの役割も果たしえないものと考えられたにすぎない‥‥かかる立場に立てば、労働者が自己の自由意思に基づいて労働力売買の条件について討議し、合意することは自由でなければならない。労使が集団的に、労働力の売買につき討議し、合意する事もまた、個々の労働者、使用者の自由に制約を加えない限り、同様に自由である。その意味において、団結禁止法の廃止は、個人的自由、契約自由の拡大を意味する。‥‥そこにいう団結は、個人の自由の単なる延長であり、本来取引の自由である「労働の自由な取引」として承認らられるものにすぎない。それは「個々の労働者の自由の自然的表現」にほかならず、かつそのようなものとしてのみ容認せられる。団結は個人の自由に解体せしめられている。そこでは団結は、個人の自由、労働力取引の自由に制約を及ぼさないという厳格な制限に服し、かつ個人の団結不加入の自由が個人的自由の自然的表現たる団結と同様に尊重される事を前提として認められ得る」
 要するに団結禁止法の団結が個別契約の自由の侵害なので禁止するという立場とは異なり、労働力の売買において集団的売買をとることも個人の自由であるから、団結を禁止しないという趣旨である。
 

*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]

2010/01/03

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(10)

1799-1800年団結禁止法の実効性について


 ところで1799-1800年全般的団結禁止法の下でも多くのストライキが起きている。浜林正夫(*16)によると、1801年王立造船所、1802年民間造船所、ウィトルシャの羊毛刈り込み夫、1808年ランカシャーの綿織物工、1809年石炭不運搬船、1807年ランカシャーの綿織物工、1810年炭坑夫・綿紡績工、1812年スコットランドの炭坑夫、1814年機械編み工、1816年ウェールズの炭坑夫、1817年機械編み工、1818年綿紡績工と、綿織物工、1819年毛織物工‥‥という具合である。特に1810年の綿紡績工のストライキは、ランカシャー一体に広がった大規模なもので4か月間続いた。各地から毎週1500ポンドのカンパが寄せられ、通常の賃金の半分が支給されていたが、カンバが減り始めてストが中止されたと云う。
 大沼邦博によると、同法の定める刑罰が比較的軽微なものであったことや、実際に処罰された事例がさほど多くなかったことから、必ずしも弾圧立法として猛威をふるったわけではないとされ、むしろ労働者の団結活動を抑圧したのは、コモンロー上の共謀罪であり職人規制法や主従法であったと云う。その理由として当時の警察制度の不備と、公訴官の制度を欠いていたことと、雇主が労働者の告訴に必ずしも積極的ではなかったとしている。
 イギリスの場合、組織的で有効な警察力に欠いていたというのは、団結禁止法の実効性の乏しさと関連しているように思える。ロンドン警視庁の創設は1829年であり、地方警察の整備はそれ以降のことであった。日本の徳川時代、江戸・大坂など主要都市に於ける町方の騒擾事件がきわめて少ないことと対照的である(大塩平八郎の乱は幕府の役人が近郊の農民などを煽動したものであって純粋に都市民の事件ではない)。
 雇主者が告訴に積極的でなかった理由として大沼は「熟練職人の階層的地位がなお、相当に高く‥‥熟練職人の「同職クラブ」は組合員の救済や渡職人への援助、職業紹介といった重要な機能を果たしており、無くてはならぬものとして定着していた」ことを挙げている。
 私が思うに 20世紀初期までの欧米ではクラフトユニオンの直接請負が広範に行われていた。間接労務管理である。管理者は技術的知識に優れていても、職務遂行の内容、作業方法を細部まで把握できなかった。従って管理者側に人員配置や賃金決定の能力に乏しい場合は、熟練労働者の仕切る間接労務管理とならざるをえない。それと同じことのように思える。労働組合がいかに法的にコンスピラシーであり、「労働の自由」の原理に反するといっても、絶滅させることがこれまで難しかったのは、使用者側がクラフトユニオンを利用しなければ立ちゆかない状況というものがあったからだと考える。
 全般的団結禁止法から二百年以上を経過したが、本当の意味での団結禁止はクラフトユニオンに依存する必要性が無くなった現代で可能であると云うことだろう。
 しかしながら、大沼邦博は全般的団結禁止法、実際に告訴しないまでも、団結を掣肘する一般的抑止効果を認めている。このことは1924年の団結禁止法廃止で、争議行為が多発したことで明らかである。

*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年 53頁
*18 大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連して 」『関西大学法学論集』 38(1) [1988.04]

2010/01/02

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(9)

  1799年-1800年 団結禁止法 the1799and1800 Combination Actとその意義
 
 18世紀においては請願のあった特定業種、特定地域ごとに「団結禁止法」が制定されていたが、1799年に宰相小ピットの提案により、全般的に適用される団結禁止法が制定された。1794年の製紙業の団結禁止法を基本的モデルとしているが14世紀以来の団結禁止法の集大成ともいえるものである。(The Combination Act of 1800 のフルテキストはマルクス主義者のサイトであまりお勧めできないがこれです)  http://www.marxists.org/history/england/combination-laws/combination-laws-1800.htm

1800年団結禁止法の武内達子の要約(*13)は以下のとおり。

Ⅰ.これまでに、職人、製造業者、あるいは他の人々の間で、賃金の引きあげを獲得し、通常の労働時間を変更し、労働量を減少するために結ばれたあらゆる契約は無効である。

Ⅱ.この法律の通過後は職人・労働者あるいはその他の者は、前項に非合法とされているどんな契約を成文と不文とにかかわらず作成、または締結してはならない。または作成、締結に関与してはならない。上述の違反のいずれかを犯し三ヶ月以内に有罪の宣告を受けた者は、その管轄区域内で、三ヶ月を越えない期間監禁される。あるいは、同じ管轄区域内の感化院に入れられ二ヶ月をこえない期間、重労働を課せられる。

Ⅲ.賃金の引きあげ、労働時間の減少、変更、労働量の軽減、または、法律に反する目的のため団結すること。金銭の供与、説得・強制・その他の手段で故意に、かつ悪意をもって失業者が雇用されることを妨害すること。賃金を引きあげ、またはこの法律の規定に反する目的で、故意に、悪意をもって、雇用されている者に、その労働をやめるか、放棄するように説き伏せること。雇用者が適当と考える労働者を雇用することを妨害すること。これに違反したときは上述Ⅱのこれに違反した場合は、上述のⅡの刑に処される。

Ⅳ.労働者の賃金の減少、労働時間の変更、労働量増大のための雇用者、あるいは、他の者のあらゆる契約は無効でなければならない。これに違反して有罪宣告を受けた者は、20ポンドの罰金を課される。その二分の一は王室の収入となり、残りの二分の一は告発者と当該教区の貧民に与えられる。

 この法律では裁判に関する条項もを修正した。イギリスの裁判は複雑で、雇用者自身この手続を嫌って、実際に団結禁止法が適用されることが少なかった。従って陪審手続による裁判ではなく迅速な治安判事による即決(略式)裁判に変えた。また1800年法では、1799年法では「直接および間接」という曖昧な字句だったが「故意に、悪意をもって」という文言に代えている。Ⅳは使用者の団結も禁止するものである。従って雇用契約は雇主と労働者の一対一の個別契約でなければ不法であるということ、一対一ではない結合は使用者側も労働者も犯罪であることを明文化したのが本法の重要な意義である。

 高橋保(*1)、片岡曻(*10 74頁)もほぼ同じだが次のように要約している。
 (a) 工業労働者もしくはその他の者の間のの自己もしくは他人のためにする賃上げ、または労働量減少を目的とする契約を締結すること。(一条前段)
(b) 他人が適当と考える者を雇用することを阻止し、もしくは如害するための契約を締結すること。(一条後段)
(c) 賃上げまたは労働時間の短縮、変更もしくは本法に違反することを目的として団結すること。(三条)
(d) 金銭の供与、強制、脅迫その他の方法によって雇用を求めている者の雇用を如害すること。
(e)賃上げないし本法に違反する目的のために他の労働者を離職させるよう勧誘すること。(三条)

  (f)使用者が適当と考える者を雇用することを妨害すること。(三条)
(g」正当もしくは合理的な理由がなくして雇用中の他の労働者と労働することを拒否すること(三条)
(h)団結の結成または維持の目的で開かれる会合に出席し、またはその会合に出席するよう他人を説得すること、もしくはその目的のために金銭を集めること。

(i)本法に違反した者が必要とする費用を支払うために醵金すること、もしくは他人を勧誘して労働を拒否せしめるために金銭の供与その他の方法によってその他人を支持し扶助すること。
(j)罰則、(a)から(h)に違反した者は、三ヶ月以下の軽禁錮または二ヶ月以下の重禁錮、(i)の違反者については、醵金者は一〇ボンド以下、集金者および受領者は五ポンド以下の罰金。

(a)~(c)は賃上げ、労働時間の短縮もしくは使用者の営業の自由者のすべての団結を違憲無効として禁止したものである。
(d)(e)(f)(g)(h)は、ストライキ・ピケッティングに関するすべての行為を禁止するものである。(h)は労働組合の財政基盤である組合費の徴収を禁止、(i)は本法に違反して処罰される者のも生活上、訴訟上の援助を禁止するものである。 要するに労働組合の結成、集会、契約違反誘致、二次的争議行為も含めたあらゆる活動、組合費の徴収のすべてを禁止するものである。


○制定の経緯

1799年4月5日ロンドンおよび周辺の機械製造業の雇主たちから、下記のような請願が下院に提出された。
「機械製造職人の間には危険な団結が存在しており‥‥その企図は、賃金の一般的引き上げ、彼らの共謀に加わらない職人の雇用阻止‥‥その他の不法なる行為である‥‥職人たちはこの団結を支持する目的をもって、募金活動を行っており‥‥要求が拒否された場合は、職場は全ての労働者によって放棄される。‥‥このような怠慢者たちを罰する唯一の方法は、現行法の下では、犯罪行為のなされた後に四季裁判、または巡回裁判に告訴することであるが、その時にいたるまで、犯罪者たちはしばしば他の地方に逃げ出してしまい、そのため居所が知れたとしても、彼らを裁判に付するには長い時間がかかり、そのうえ、人身保護令によるならば、彼らを逮捕し、犯罪が行われた場所に連れもどすための費用は、職場放棄によって業務が停止させられている雇主たちに課せられた重荷となり、職人たちは大胆に、しかも無難に団結を保持しているのである。」‥‥」(*13)
 請願は受理されアンダーソン卿委員長に付託され、4月9日に報告がなされ機械組立工の不法な団結を阻止し、賃金の規制を治安判事に与える法案の作成が提案され6月に下院を通過したが、7月11日上院においてはより包括的な法案が上程されるとの理由で否決された。
 つまり6月11日に宰相小ピットWilliam Pitt (the Younger)は労働者の間では不法な団結が一般化しているためこれを阻止しなければ著しい弊害が生じる恐れがあるとして、自ら労働者の不法な団結を阻止する法案の提出を求めて許可された。これは特定産業のものではなく、全般的な団結禁止法であり、法案の準備はピット首相、法務大臣、大蔵次官ローズおよびバラックにより準備された。6月18日に大蔵次官より新法案が下院に提出、ピットの動議により法案は6月26日全院委員会に付託され、ホブハウスとバーデッド卿が反対したが、7月1日には下院の全ての審議を終了して、上院に回付、7月9日に上院を通過、7月11日国王ジョージ3世の裁可により1799年団結禁止法が制定された。
1799年団結禁止法は大前真の要約によるとのようなものだった。(*14)

①賃金の増額、労働時間の短縮、労働量の削減、雇用に対する妨害、経営に干渉することを目的とする労働者相互の契約は破棄しなければならない。
①②項のような契約に参画した労働者は、本人、または1名以上の証人の証言によって有罪となされる。
③①のような目的を有する集会および基金の募集を禁止する。
④被告に対する金銭援助、また、離業(ストライキ)に対する保証のための基金募集を禁止する。
⑤④項の目的ののための基金は、発見された場合、半額は国家が没収し、残りは通告者に与えられる。
⑥基金の存在が認められた場合、告訴された者は、自己に不利になるといえども、証言を拒否することはできない。
⑦基金の金額を裁判所に提出したものは無罪とする。
⑧上記目的のための団結について証言をなした者は無罪とする。
⑨治安判事は告訴がなされた場合、被告を法廷に召喚することができ、被告が応じない場合、逮捕することができる。また、必要と認める場合は、即刻、被告を逮捕して、裁判を行うことができる。
⑩治安判事は証人を強制招喚できる。
⑪上級裁判所への被告の上告は、2名の保証人と20ポンドの保証金を必要とする。
⑫この制定法による即決裁判は、治安判事によってなされる。
⑬罰則は、①②について、懲役2か月、または、禁固3か月、④については、基金の提出者に対して20ポンド以下、基金の募集者について5ポンド以下の罰金とする。


 同法に対してロンドン市長をはじめ各地から同法に対する多数の抗議と請願があり、1800年6月30日に宰相小ピットの政敵であったホイッグ党リチャード・ブリンズリー・シェリダンRichard Brinsley Sheridanの努力によって、請願が下院により検討されることとなった。これに対してピット首相は1799年団結禁止法の原則は正当なものでは若干の字句の修正は必要だとしても効力を弱めるに反対した。
  法案の修正結果は、第一に、治安判事の即決(略式)裁判における判事を「一人ないし一人以上」から「二人ないし二人以上」に代える。第二に治安判事は関係産業の雇主ではならないとし、第三に処罰の対象となる仕事を放棄するよう説得する試み等に対して「直接および間接」の語を「故意ないし悪意」の語に代えて曖昧さをなくす。第四に仲裁事項を設けた。この仲裁事項は、賃金ないし労働時間の紛争に際して当事者は仲裁者を指名でき、その裁定に従えない場合は治安判事に委ねて最終的な裁定を受けるというものであるが、検事総長が強く反対した。これをやると賃金が固定化する傾向を持ち、雇主が労働者の指名した不適当な人物と会うことを余儀なくされてるという意見であり、ピット首相もも検事総長を支持したものの、結局盛り込まれることとなったのである。(*13)
仲裁事項を設けたことは、経済的自由主義の観点では問題があったが、法案の原則は維持されたと考えられる。

○1799年-1800年 団結禁止法の意義と評価

 全般的団結禁止法を提案した小ピットはトーリー党の政治家で1783年24歳で首相に就任し18年間政権にあった。軍事指導力を疑問視されているが清廉潔白な人柄で行政・立法・外交能力は評価され名宰相と称される一人である。
 小ピットが深く関わった団結禁止法をどう評価すればよいだろうか。

神崎和雄説 社会不安の予防、革命の防止を目的としていた*13))

 イギリスの産業革命は18世紀末期に急速に進展した。1788年頃には143のアークライト型水力紡績工場が存在し、80年代のワットによる蒸気機関の改良によって大工場工業の萌芽がみられ、1800年には全イギリスで321台の蒸気機関が稼働していた。
 神崎和雄は、当時40~50の業種別、地域別の団結禁止法が存在し、コモンロー上の共謀罪もあった。加えて「通信協会禁止法」などの政治的結社や集会に対処する制定法もあり、全般的団結禁止法を制定しなければならない必然性はなかったという。従って全般的団結禁止法の立法目的は18世紀末期の急速な産業革命の進展、「囲い込み」、ナポレオン戦争が重なった結果として生じた社会不安の予防策、革命の防止策であるという。なるほど当時、イギリスには組織的で有効な警察力はなく(ロンドン警視庁の創設は1829年である)、労働者が引き起こす騒擾への対処は軍隊に依存していた。小ピットは1792年に軍隊を民家に分宿させる古い習慣を廃止し、兵舎建設計画により港湾や主要な工業地帯に軍隊を駐屯させただけでなく、フランスの侵略に対処するという名目で民兵を廃止し、「義勇兵連隊」や「騎馬警察隊」を創設したが、これはフランスの侵入に備えるというよりも国内の治安維持が目的だったといわれる。(*13)
 社会不安の予防策も立法目的として認めてよいと思うが、それは一側面にすぎないのとのではないだろうか。

 (ダイシー説 Old Torismの保護主義である*10 71頁)

 団結禁止法を成立せしめてた世論の構成要素として(イ)団結に対する恐怖、(ロ)トーリー主義における保護政治の伝統、を指摘する。労働者は慣習的賃金で労働する義務を有し、失業労働者に対して扶助を与えることは国家の義務である、というOld Torismの保護主義が生んだ。当時の慈恵的政策の典形たるスピーチナムランド法を生んだ同一の政策表現とするものであるが、これは第14条(XIV. [Act not to abridge powers now given by law to justices touching combinations of manufacturers, &c.])において産業ないし賃金を規制する法律を廃止しない旨の明文の規定をおいたことより、進歩的な政策ではないとの見解をとっているが、片岡曻はこの点について、すでに無用となった治安判事による賃金規制方式をみ容認しとたにすぎず、それにともなう労働者の団結禁止に重点がおかれたものであり、徒弟条項の徒弟事項にについて同法が大打撃を与えたことと併せて考えるならば、同法の性格は近代的労働関係を支配する自由の原理である(*10 78頁)。とする批判がある。ダイシーも一面的な見解と云うべきだろう。

(片岡曻説 「労働の自由」の原則の貫徹である*10)

 プロレーバー労働法学者片岡曻は勿論敵対視しているが、団結禁止法を「労働の自由」という原理的基礎のうえに把握されるべきものであり、近代的労働関係を支配する自由の原理にもとづくとみなした点は、この制定法が治安判事による賃金裁定という規制を容認いる点を除いて大筋で妥当なものであると私は考える。
 それまでの労働立法がマスターとサーバントの身分関係を律する前資本主義的な性格を有していた対し、1799年-1800年 団結禁止法は労働者の団結のみならず使用者の団結も禁止していることから片岡は「ほかならぬ労働の自由そのものを確立しつつあった産業革命のただなかに姿を現した労働者の団結に対し「労働の自由」の原理を強要し、これを「労働の自由」の原理的埒内に名のもとに労働組合を禁止したとする意義が最も重要であると考える。」(*10 70頁)としている。
 つまり団結は個々の労働者の自由意思を歪めるものとして禁圧し、「労働の自由」(経済的にはそれを通じての絶対的剰余価値の無制限な生産)の原則の貫徹のために新しい制定法を必要としたというのである。
 もっとも、片岡曻は立法経過から経済的自由主義を原理としているとは述べていない。団結禁止法が「労働の自由」原理的基礎としている論拠は徒弟に関する前期的立法廃止目前の1811年の議会の特別委員会の報告書の次の見解なのである。
 「取引の自由ないし、各人が自己の利益に最適であると判断するが如き方法及び条件で自己の時間ならびに労働を処分する完全な自由に対して立法がなす干渉は、いかなるものも必ず、社会の繁栄と幸福にとり第一義的重要性をもつ一般的諸原則を侵犯し、最も有害な先例を作り、或いは極めて短期間の後に一般的苦痛の圧力を増大することになるだろう。」
 これはまさしく完全な経済自由主義的見解である。しかし11年のタイムラグがあり因果関係は明らかでない。しかし各人の取引の自由にとって、使用者の団結も労働者の団結も敵対するものであるから、団結禁止法もそうした18世紀末期から19世紀初期の自由主義的経済思想を背景として立法化されたという理解は大筋で誤ってはいないと判断する。
 実際、現代において最も自由主義的な労働立法はニュージーランド国民党政権1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)であり、「労働組合」も「団体交渉」も消し去り、労働関係を個別雇用契約によって処理した。この場合、労働組合は個人の雇用契約の代理人たる立場に権限が縮小された。
 使用者の団結も労働者の団結も違法として、個別契約による労働の自由を確保した団結禁止法の思想に通じるものがあることは云うまでもない。そのような意味で現代的にはより先進的な労働政策が団結禁止なのであり、そのような意味で団結禁止法も再評価されるべきである。

 従って、この世の敵ともいえるがこの制定法の性格の分析に限って上記の片岡曻の見解に従いたい。
 なぜイギリスが逸早く18世紀後半に産業革命に到達したのか。私はウェーバーテーゼを否認しないが、一つの要因として、名誉革命期までに、いわゆる「初期独占」が完全に崩壊し、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門を社会全体に解放していった営業の自由の確立があり、コモンロー裁判所が1563年職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きにして労働の自由が進展した先進性を挙げてよいと思う。「労働の自由」の原理はコモンロー上の営業制限の法理の進展の成果でもあるが、私が思うに本件は制定法であるが団結禁止は イギリス憲法の基本原理を構成する法の支配の帰結という側面もあると云っても好いのではないかと考える。イギリスでは憲法の一般的諸原理は裁判所に持ち込まれた特別な事件において私人の権利を決定する諸判決の結果なのである。イギリスでは,私法(privatelaw)の諸原理が、裁判所と国会の活動によって、国法および国の従僕の地位を決定するまでに拡大されてきた。(*15)
 岡田与好が云うように本来の営業の自由は、国家からの自由ではなく、私人間に於ける
営業独占や営業制限からの自由であって、このような自由が確保されることが「公序」パプリックポリシーつまり公共の福祉と表明してきたのがコモンローである。(*16)は 既に述べてきたように、1783エックレス事件でマンスフィールド卿は、使用者の団結(カルテル)も、労働者の団結も共謀罪であると断言し、1799年のハモンド事件でケンヨン卿は労働者団体を「一般的共謀」と断言したように、営業制限の法理とコンスピラシーの法理によって、団結がコモンローに敵対する者であることは明白だったと考えるからである。つまり団結禁止法はコモンローのパブリックポリシーとは対立しない制定法といえる。

 もっとも片岡曻の見解はプロレーバー労働法学者なので敵対視しなければならないことを申し添えておく。
 あくまでも私は片岡の見解について「労働の自由と」と「団結」が本質的に共存不可能で相容れないという認識を示している点については留保つきで同意する。留保というのは、「団結」を個人の「労働の自由」の総和という共存可能とみなす1825年法的団結放任論を私は否定しないからである。「団結」が個別的自由の総和ということは、個人主義的私法観を前提としており、他者の労働の自由の侵害は許容されない。
 私は、団結禁止が最善だが、個人主義的私法観を前提としての団結放任は次善の選択として認めるからである。
 しかしプロレーバー労働学者は、団結とは構成員の個別的意思に対する外的規制=強制であり、個人の自己決定を全面的に否定するものとして捉える。個人の権利の一部譲渡という性格でもありえない。労働組合に権力を付与する立場であるから、団結を放任しつつも、ピケッティングを厳格に規制し、他者の権利侵害を違法とし。非組合員の権利の侵害を否定する在り方にとなる団結=個人の労働取引の総和論に反対するのである。
 片岡曻は次のように団結を定義している。(*10 8ページ)
「「労働の自由」の理論構造のうえでみるならば、労働者の団結は、明らかにこれと対立的な性格の存在である。‥‥一見、それは労働の「自由」の当然の帰結であるかのようにに見える。しかしながら、団結構成員の自由な意思を通して現れる結果は、また自由の否定を意味する。労働者の団結は、個々の労働者の自由な取引の部分的譲渡によって成立するものではなく、個々の労働者の意思を超えた、従ってかような個別的自由の単なる総和でもなければ、それに解体することもできないところの、一個の独自な存在である。団結は、各個の労働者がその自由をいわば包括的に団結に対して委ねることによってのみ成立する。それは、団体の構成員である個々の労働者の自由意思に対する外的規制=強制の成立を意味するであろう。構成員の個別的自由意思に即時的に根ざすものではなく、個人の自由意思をモメントとして構成される「労働の自由」のうちには、当然に包摂されえない異質的存在というほかない。‥‥団結が単にその構成員の自由意思を規制=強制して統一的意思に基く組織的活動を打出すということのほかに、かかる規制=統制を、直接間接に団結外の第三者、殊に未組織ないし非組合員たる他の労働者及び使用者に対しても及ぼすことを意味する。‥‥「団結は、その存在そのものによってその構成員の自由を制限し、または局外者の自由をたえず制限する」(Dicey,p153)
 この団結の定義は労働組合寄りのものであるから勿論鵜呑みにしてはならない。団結権とは端に団結によって処罰されない権利程度のものとする見方があるからである。
 つまり団結権のプロレーバー的解釈が、個々の労働者の労働力処分の自由を侵害して強制力をもつという見解なのである。
 プロレーバーつまり敵方は労働者は個別取引が否定され団結において労働力取引を強制することこそ階級的利益でりそれが労働者階級の義務と考えている。しかし私は取引の自由ないし、各人が自己の利益に最適であると判断するが如き方法及び条件で自己の時間ならびに労働を処分する完全な自由こそ社会の繁栄と幸福にとり第一義的重要性を有するという思想に同意するから、この点については天地がひっくり返っても妥協することはありえないのである。

*1高橋保 「イギリス労働法における共謀法理(コンスピラシー)の形成と展開」 『創価法学』7(4)〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0013392X/ISS0000435233_ja.html
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952

*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*13神崎和雄「イギリス団結禁止法(1799-1800)に関する試論」『関東学園大学紀要』10集
  *14大前真「イギリス団結禁止法の研究--1799・1800年法と労働運動 」『人文学報』京都大 (通号 40) [1975.12]9
*15猪俣弘貴「ダイシ-と行政法についての覚書」『商学討究』(1989), 40(2): 55-79〔ネット公開論文〕 PDF http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/1625/1/ER_40(2)_55-79.pdf
*16鷹巣信孝「 職業選択の自由・営業の自由・財産権の自由の区別・連関性(四・完)- いわゆる「営業の自由論争」を参考にして」『佐賀大学経済論集』32(5) 〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/naid/110000451612/ 

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