企業献金「上限撤廃」でアメリカは救われるのでは
1月21日のCitizens United v. FECは今開廷期の目玉ともいわれる判決ですがhttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/348940/論評がいくつか出てます。日本では大きく報道されてませんがアメリカでは大ニュースだと金平特派員のブログhttp://www.the-journal.jp/contents/ny_kanehira/2010/01/post_50.htmlにあるとおりです。
判決原文http://straylight.law.cornell.edu/supct/html/08-205.ZS.html
アメリカの選挙資金規正法では、企業の選挙運動は制限されていた。選挙のために資金を提供するのは、金銭が言論なのかという問題があるものの、一般的には、政治的言論の一形態として、合衆国憲法修正1条が保障している表現の自由の問題として保護されるべきだという見方があった。(このブログからの引用)http://eastriver.exblog.jp/11118957/、今回の判決は企業の選挙資金提供の規制が表現権の侵害と判断したものである。
だから企業献金は悪ではなく、法人も個人と同じく表現権を有し自由であるべきだということで、過去百年の選挙資金規制の流れをひっくり返したわけである。
『ニューズウィーク』「企業献金「上限撤廃」がアメリカを壊す」という記事がありますが、http://newsweekjapan.jp/stories/us/2010/01/post-939.php?page=2民主主義より自由主義が重要、民主政体より司法国家のほうがましと私は考えますから反対の意見です。
企業金上限撤廃によりプロビジネスな政策の展開に有利と考えるので望ましい方向だと思います。特にカードチッェク法案はアメリカ社会を著しく左傾化させます。こうした政策を潰すためにも有意義だと思います。
『ニューズウィーク』記事の分析でたぶん正しいのは「アメリカは地球温暖化対策や天然資源保全で世界のリーダー役を務めることが極めて難しくなった」ということです。
田場暁生の論評http://www.news-pj.net/npj/npj/taba-20100123.htmlは「金を出すことは表現の自由として保障される、として放置して良いのであろうか。」と批判的な見解だが、金や財産は決して汚いものではない。広告を出すには金が必要である。広告を出す自由、なかでも政治的言論は表現権のなかでもっとも重要なものである。金は汚いみたいすな馬鹿げた思想で抑圧されるべきものではないし、経済的に恵まれている人の自由が貧乏な人の自由より侵害されてよいという理屈にはならない。
既に述べたようにプレスのみが公衆への情報提供、アクセス機能を独占させるべきではない。選挙広告というよりも現実にはテレビ・新聞報道の与える影響の方が大きいのではないだろうか。報道こそ偏っているかも知れない。企業の政治的言論も、多様な見解を知る公衆の権利と政治的議論の活性化に役立つ。プレスだけに情報を独占させるよりも「思想の市場」において多様な見解のなかから、選挙民がなにが善いのかを判断するほうがより望ましいのであるから私は今回の判決を支持する。
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