団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(10)
1799-1800年団結禁止法の実効性について
ところで1799-1800年全般的団結禁止法の下でも多くのストライキが起きている。浜林正夫(*16)によると、1801年王立造船所、1802年民間造船所、ウィトルシャの羊毛刈り込み夫、1808年ランカシャーの綿織物工、1809年石炭不運搬船、1807年ランカシャーの綿織物工、1810年炭坑夫・綿紡績工、1812年スコットランドの炭坑夫、1814年機械編み工、1816年ウェールズの炭坑夫、1817年機械編み工、1818年綿紡績工と、綿織物工、1819年毛織物工‥‥という具合である。特に1810年の綿紡績工のストライキは、ランカシャー一体に広がった大規模なもので4か月間続いた。各地から毎週1500ポンドのカンパが寄せられ、通常の賃金の半分が支給されていたが、カンバが減り始めてストが中止されたと云う。
大沼邦博によると、同法の定める刑罰が比較的軽微なものであったことや、実際に処罰された事例がさほど多くなかったことから、必ずしも弾圧立法として猛威をふるったわけではないとされ、むしろ労働者の団結活動を抑圧したのは、コモンロー上の共謀罪であり職人規制法や主従法であったと云う。その理由として当時の警察制度の不備と、公訴官の制度を欠いていたことと、雇主が労働者の告訴に必ずしも積極的ではなかったとしている。
イギリスの場合、組織的で有効な警察力に欠いていたというのは、団結禁止法の実効性の乏しさと関連しているように思える。ロンドン警視庁の創設は1829年であり、地方警察の整備はそれ以降のことであった。日本の徳川時代、江戸・大坂など主要都市に於ける町方の騒擾事件がきわめて少ないことと対照的である(大塩平八郎の乱は幕府の役人が近郊の農民などを煽動したものであって純粋に都市民の事件ではない)。
雇主者が告訴に積極的でなかった理由として大沼は「熟練職人の階層的地位がなお、相当に高く‥‥熟練職人の「同職クラブ」は組合員の救済や渡職人への援助、職業紹介といった重要な機能を果たしており、無くてはならぬものとして定着していた」ことを挙げている。
私が思うに 20世紀初期までの欧米ではクラフトユニオンの直接請負が広範に行われていた。間接労務管理である。管理者は技術的知識に優れていても、職務遂行の内容、作業方法を細部まで把握できなかった。従って管理者側に人員配置や賃金決定の能力に乏しい場合は、熟練労働者の仕切る間接労務管理とならざるをえない。それと同じことのように思える。労働組合がいかに法的にコンスピラシーであり、「労働の自由」の原理に反するといっても、絶滅させることがこれまで難しかったのは、使用者側がクラフトユニオンを利用しなければ立ちゆかない状況というものがあったからだと考える。
全般的団結禁止法から二百年以上を経過したが、本当の意味での団結禁止はクラフトユニオンに依存する必要性が無くなった現代で可能であると云うことだろう。
しかしながら、大沼邦博は全般的団結禁止法、実際に告訴しないまでも、団結を掣肘する一般的抑止効果を認めている。このことは1924年の団結禁止法廃止で、争議行為が多発したことで明らかである。
*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年 53頁
*18 大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連して 」『関西大学法学論集』 38(1) [1988.04]
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