団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(11)
1824年団結禁止法の廃止とその意味(1)
意外なことに、全般的団結禁止法は、ロンドンのテーラーでありベンサム主義者のフランシス・プレースと、急進主義庶民院議員ジョセフ・ヒュームの個人的信念と努力で1924年にあっけなく廃止された。(なおこの結果、争議行為が激発したため、早くも1825年に政策が見直されるが、団結禁止法を修正した形の1825年法が制定される。この意義は別途検討する)
私はベンサム主義(コモン・ローの否定、社会工学的法治主義)に強く反対であり当然批判的な見方をとるが、つまり、この制定法はコモン・ローの共謀法理による刑事訴追をできないものとした点で無茶苦茶なものであると考えるが、その歴史的評価は難解である。なぜならば団結禁止法撤廃の指導者であるフランシス・プレースは今日でいう労働組合主義者ではなく、団結禁止法の廃止によって楽観的な団結(労働運動)の消滅という見通しを持っていたことである。つまりプレースはこう云った「団結はただちになくなるだろう。人々は長い間この法律(団結禁止法)の抑圧によってのみ連携を保っていたのである。これらの法律が撤廃されれば、労働者が集団として固まる根拠を失うであろう。すべてはクェーカー教徒でさえそうありたいと望むような秩序あるものになるだろう」と。(*18)これは賃金基金説という経済学説の影響があるが、この点については次回検討する。
1824年法について中西洋は次のように要約する(*19)
(イ)1800年法を含むすべての団結禁止法を廃止し〔1800年法の仲裁に関する規定18~22条は廃止されない〕
(ロ)以下の目的のためにする労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追
、処罰をも受けないものとした。
(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えること。〔使用者の団結も同様に免責〕
(ハ)ただし、以上の諸目的を追求する諸行為を、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者は〔個人としてなす場合にも、団結してなす場合にも〕2月以内の禁錮(あるいは重労働)に処せられる。
○きっかけとなった1810年タイムズ植字工事件
キーパーソンとなるフランシス・プレースが団結禁止撤廃を強く考えるきっかけとなったのが、1810年のタイムズ植字工事件である。これは19人のタイムズ紙の植字工が賃上げの要求が認められないために労働を中止し1800年団結禁止法に反し使用者に「悪意をもって損害を与える」ために団結し共謀したことがを理由に起訴されたものでね、判決はなる程各人は自己の労働に値するというと考える賃金を要求する権利を有し、またそれはわが国の法であり、理性の法である。しかし、それを要求する仕方が重要であって、団体をなして行う場合は違法である。と判示した。この事件は団結禁止法のもとで労働者の団結が制定法上の金委行為に該当するにももかかわらず、コモンロー上違法であることを明らかにしたことで重要な事件とされる。(*10 101頁)
○ 団結禁止法撤廃までの経緯(1)
プレースとはいかなる人物か。1777年生、14歳のとき革製造工となり、1793年にストライキを指導8か月解雇され、翌年、職人組合の幹事となれ小ピットの弾圧政策により逮捕、三年間投獄された。投獄中に政治経済を独学したと云われる。1801年にロンドンで仕立屋を開き、年間1000ポンドの収入を得、収益を労働運動を投入した。プレイスの店の裏に図書館をつくり、団結禁止法撤廃の急進主義者の集会場となっていった(*12)。プレースは熱心なベンサム主義者である。団結禁止撤廃はベンサムやマルサスも支持したといわれる(*17)。又プレースはミル、オーエン、ゴッドウィンとの交友関係があった。1818年仕立屋を長男に譲り、自らは団結禁止法撤廃運動に全力を注ぐ態勢をとり、「ゴルゴン」紙という労働者向けの新聞を援助すると、「ゴルゴン」紙を通じてジャーナリスト・経済学者であり「スコッツマン」紙の発行者だったマカロック(J・B・McCulloch)と下院議員で急進主義者のジョセフ・ヒュームという重要な撤廃支持者が現れた(*12)。
1824年2月ヒュームの団結禁止法撤廃の特別委員会を設置する動議が認めらた。ヒュームは特別委員会の公聴会で、証人には自分の自宅で証言の仕方を特訓させただけでなく各地の請願運動も組織するなど巧みな作戦をとった(*17 69頁)。
5月21日特別委員会の結論として団結禁止法について次の11項目が発表された。要点は以下のとおり(*12)。
1 労働者が賃金をひきあげたりする目的として、ストライキなどを伴った団結が、国内の広範な地域に存在したという証拠がえられた。そして現在の法律はこのような団結を阻止するために効果的ではなかった事が明らかになった。
2 労働者の団結を伴うストライキは、暴力行為を伴い、雇用者と労働者の双方にとって損失が生じ、かつ社会にとっても、かなりの不都合と危害が生じた。
3 雇用者は労働者の賃金をひきさげるため、または、雇用者の定めた労働条件に同意しない労働者を解雇するために団結した。このことは、ストライキや暴動をひきおこした。
4 団結した労働者に対する法律にもとづく告発がしばしば行われ、労働者は長時間投獄された。
5 賃金をひきさげるために団結した雇用者に対する告発のいくつかは存在したが雇用者が罰された例はなかった。
6 この法律は、雇用者あるいは労働者に団結を阻止するために充分でなかったばかりでなく、これに反して、両者の意見では相互の不信感を生み出し、かつ、団結に対して暴力的性格を与える傾向ををもった。
7 特別委員会は、労働者および、雇用者間の賃金と、労働時間について取り決めは完全に彼らの自由に委ねられるべきであると結論した。
8 それ故、雇用者と労働者間のこれらの事項に干渉する制定法は撤廃されるべきである。そして、また雇用者と労働者の平和的会合が共謀罪として告発させる普通法は改正されるべきである。
9 労働者の相互扶助のための賃金がストライキの資金に流用されていたことがしばしばあった。これは不当なことである。
10 雇用者と労働者の紛争の仲裁を指導し、規定する法律は強化され、修正され、かつ、すべての業種に適用可能なものにされるべきである。
11 団結禁止法撤廃後、脅迫、威嚇、暴力行為によって、自己の労働、あるいは自己の資本をもっとも有効であると考える方法で用いることについて完全な自由を妨害する労働者、または雇用者は処罰される法律を制定することは絶対にら必要である。
要するに団結禁止がかえって、団結の実態を隠してしまい話し合いができなくなり、相互に不信感を増長させ、ラダイトのような過激な運動を引きおこし、団結に暴力的性格を与える傾向をもたらしたから廃止すべきだとし、1820年代の行政ニヒリズム(自由放任政策)の考え方から、団結も自由放任という主張を行ったのである
この報告の後、1824年6月5日特別委員会の原案どおりあっさり議会を通過した。この最終審議は議会内でも知らない議員が存在したといわれるほど簡単に成立してしまった。
片岡曻(*10 104頁)はプロレーバーの立場からベンサム主義者ブレースの推進した団結禁止法撤廃の意味はレッセフェール推進の考え方だったとして批判する。
「団結禁止法の廃止は、理性ある労働者にストライキの無益さを自覚させ、その結果労働運動を消滅させ得るものと考えた。彼並びに彼によって代表せられる立法的世論にとって最大の価値を有したものは、団結そのものより個人的自由だったのであり、ただそこでは、国家によって加えられる抑圧は、労働組合によって加えられる抑圧と同様に嫌悪すべきもの、労働者階級を改善するに何らの役割も果たしえないものと考えられたにすぎない‥‥かかる立場に立てば、労働者が自己の自由意思に基づいて労働力売買の条件について討議し、合意することは自由でなければならない。労使が集団的に、労働力の売買につき討議し、合意する事もまた、個々の労働者、使用者の自由に制約を加えない限り、同様に自由である。その意味において、団結禁止法の廃止は、個人的自由、契約自由の拡大を意味する。‥‥そこにいう団結は、個人の自由の単なる延長であり、本来取引の自由である「労働の自由な取引」として承認らられるものにすぎない。それは「個々の労働者の自由の自然的表現」にほかならず、かつそのようなものとしてのみ容認せられる。団結は個人の自由に解体せしめられている。そこでは団結は、個人の自由、労働力取引の自由に制約を及ぼさないという厳格な制限に服し、かつ個人の団結不加入の自由が個人的自由の自然的表現たる団結と同様に尊重される事を前提として認められ得る」
要するに団結禁止法の団結が個別契約の自由の侵害なので禁止するという立場とは異なり、労働力の売買において集団的売買をとることも個人の自由であるから、団結を禁止しないという趣旨である。
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]
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