公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

無料ブログはココログ

ニュース(豪州・韓国等)

« 法務省が夫婦別姓導入等民法改正案を通常国会3月提出に向けて調整との報道 | トップページ | 本日も頭上報告 »

2010/01/15

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(16)

1825年法の意義(続)


 ベンサム主義者の安易な考えで団結禁止法を廃止したのは過ちだった。ブレースというベンサム主義者さえいなければ、このような事態にはならなかったと考える。決して団結禁止撤廃が歴史の必然であったなどとは考えない。1825年法は その弊害・行き過ぎを是正したものである。労働組合が法認される1871年までの時期について検討するが、1825年法が1824年法と異なるのは目的と態様を限定した団結の放任であり、その意義についてみていくこととする。

 石田眞は次のように要約している。
 「二四年法を廃棄した二五年法は、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」.「協定」を認めた点において二四年法に一致する。しかし、まず目的そのものについて、二四年法がストライキの勧誘や使用者の営業をなす方式または管理に規制を加える事を認めていたのに対し、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事」を許すべきではないとし、目的の遂行に関しても、「他方に損害を与えてはならない」と限定し、賃金・労働時間に関する「集会」・「談合」においても「個人行動の安全な自由から生ずる競争の保護」という事によって、徒弟規制、非組合員に対する強制を排除し、団結内における個々の労働者の自由を保障しようとしたのである」(*21)

 田中和夫(*24)は次のように要約している
 「労働賃金の増額又は労働時間の短縮を得ようとする単純な団結は‥例外規定の適用を受けも共謀罪とされることはない。そして又、その要求を貫徹するためにその団結をなした労働者が「個々に」自発的に休んでも、犯罪とされる筈がなく、更に進んで罷業の形を採ってもそれが普通の平和的罷業であるならば共謀罪として罰すべきではないといういう傾向が強かった。(Crompton,J.in Walsby V.Anley(1861),3E.& E516,523.そして又、Molestaion of Workmen Act,1859(22 Vict.,c.23)は、一八二五年の法律の「妨害」という文字につき。労働賃金又は労働時間に関する要求を貫徹するために、他人に仕事を休むように脅迫を用いずに平和的に説得するのみでは、「妨害」とならないと規定した。もっともこの点は、Reg v.Druit(1869),10Cox C,c.592によって、「脅迫」を広く解するようになってから、実数が少なくなった)

 片岡曻(*10 134頁以下) はより具体的に1825年法のもとでの労働組合の民事上の地位について説明している。労働組合は法人格を有さないから、自己の名ににおいて訴訟はできない。労働組合の規約はそれ自体、取引制限として犯罪とならないとしても、取引を制限することを理由として無効とされたとしている。従って組合の民事上の地位はきわめて不安定であった。
 アール卿は労働組合の民事上の地位について次のように述べた。(Memorandum,p72)
「各人は、労働するかどうかについて、及び労働するとすればその条件について選択する権利を有するが、選択権は、一人の人間が単独で行使し、表示することもできれば、多数人が談合の後共同して(Jointly)行使し、彼等が選択したところを一致して表示することもできる。かつそれに基き、要求すべき条件を獲得する目的で適法に行為することも可能である。しかし、団結によって承認された条件によらなければ労働もしくは雇用しないことを相互に拘束する、法的効果をもった義務を設定することはできない。各当事者は、それが全くなされなかったと同様に、自己の労働に対して与えられることを欲する自身の条件を要求する自由をもつ。人は、自己の意思に従ってその労働もしくは資本を処分する自由を暫時といえども譲渡することは許されないし、かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない。従って、人はかかる自由を組合の執行部に委譲し得ないといわなければならない。」
 つまりこの「自由主義に鼓吹された」(ダイシーの評)言葉の示すとおり、各人が、自己の労働もしくは資本を多数決に従って処分することを交互に合意しても、かかる合意は取引を制限し、公共の政策に反するが故に、無効であり、強行し得ざるものであった。不当に取引を制限する目的をもつ労働組合は、その目的のために組合員の任意の醵金を集めることは適法になしうるが、組合員は、組合費もしくは組合によって科せられる罰金を支払う何らの法律上の義務を負うものではない。また、そのための合意や罰金の支払いを求める訴訟も起しえないし、組合員が組合規約ないし合意をに基づいて有する共済手当その他に対する要求も強行できない(Hedges,p.53cf)。
 従って労働者の団結は、その目的を第四条に掲げる目的---〔(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結する〕---に厳格に制限しない限り、民事上違法とされ、のみならず、他人を害する意図のもとに追究すれば犯罪とされる。二五年法によって許容される以外のもので容認される場合は、純粋に共済的な目的もしくは雇用に関する情報の収集にすぎない。

            * *
 
私が個人の自由を基本とする考えだから団結を許容しうるのは1825年法の範疇までが限度である。片岡曻のいう「個別的集合としての団結」である。一応団結は目的と態様を限定して放任されても労働組合は法認されない在り方である。
我が国では憲法28条によって労働者の団結する権利を保障し、団結権の権利主体は個別労働者であるにもかかわらずも組合が結成されれば、労働組合が団結権の権利主体として登場し、個別労働者の団結権は後退してしまう。個別的団結権と集団的団結権。法規範関係は未解明だと木内隆司(*25)が言っている。それよりも、団結権が基本的人権といいながら、労働組合の統制力が強く、いったん加入しまうと、元来個人が持っていた労働力処分の権利を完全に組合に譲渡するような在り方となっている。アール卿の言葉にある「かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない」という自由主義的な考え方は完全に窒息してしまっている状況にあるといえるだろう。
 労働組合主義者やプロレーバー法学者は、組合には強制力・最大限の他者に対する威圧力の行使がなければ団結権とはいえないという考えだから、自由主義者の考えとは全然違うのである。



*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*24田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」『一橋論叢』23巻2号 1950[ネット公開論文]』http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/4593
*25木内隆司「労働組合の法律問題」『経済理論』和歌山大 通号235 1990

« 法務省が夫婦別姓導入等民法改正案を通常国会3月提出に向けて調整との報道 | トップページ | 本日も頭上報告 »

英米法」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(16):

« 法務省が夫婦別姓導入等民法改正案を通常国会3月提出に向けて調整との報道 | トップページ | 本日も頭上報告 »

最近のトラックバック

2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

世界旅行・建築