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2010/02/11

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1(1)~(20)

やっとこさ1871年まできた。ここから、現代までやって、さらにアメリカもやるのでピッチを上げることとする。

第一回

 近代資本主義社会成立において最も重要な価値は「営業の自由」であると思う。私は「営業の自由」のコロラリーとして労働力取引の自由を核心的に重要な価値として信奉する立場であるので、特にコモンローの営業制限の法理と共謀法理の文明史的価値を高く評価する。言い換えると「営業の自由」「結合からの自由-第三者を害する意図のある結合の排除」この2つの個人主義的自由を核心的価値とし「法の支配」を憲法原理とする社会は自由であり、そのような古典的自由主義、反独占経済的自由主義タイプが最も望ましく、労働三法を廃止して労働政策を抜本的に改める方向で、我が国が進む以外に国力衰退を打開する道はないとも考えるものである。より現代的な思想でいえばシカゴ大学のリチャード・エプステイン教授の考え方、「人間は自己の身体について排他的な独占権を持つ‥‥このことは、自己の身体を用いて行われる労働についても、同様に自己によって所有されることを意味する‥‥労働の自己所有のシステムにおいては、人々に他人の労働を支配する権利は認められず、労働を所有している個人が、自分がふさわしいと考える方法で、他人に対して自己の労働を支配する独占的な権利を与えるものである」というリバタリアニズムにも共鳴する。労働関係はコモンローの不法行為法、契約法で足りる。労働協約など集団的労働関係拒否権、労働者保護法の拒否権を含む思想と評価できるからである。
 アダム・スミス以前にも経済的自由主義はあった。17世紀コモンローヤーが財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けない経済的自由を強く支持したのである(註1)。エドワード・コーク卿はマグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesをに言及し、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにし「法の支配」という憲法原理を確立したのだが、libertates libertiesの中に営業の自由を認める非解釈主義的法思想が展開された。
 なぜイギリスが逸早く18世紀後半に産業革命に到達したのか。私はウェーバーテーゼを否認しないが、一つの要因として、名誉革命期までに、いわゆる「初期独占」が完全に崩壊し、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門を社会全体に解放していった営業の自由の確立があり、コモンロー裁判所が1563年職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きにして(徒弟制度は1813/14年に廃止)労働の自由が進展した先進性を挙げてよいと思う。
 古典的法律百科事典ホールズべリの『イギリスの法』によれば「ある者が欲するときに欲するところでなんらかの適法的な営業または職業を営む権限を有するというのがコモン・ローの一般原則であって、国家の利益にとって有害である、個人の行動の自由のすべての制限に反対することは公益となるので、コモン・ローは、契約の自由に対する干渉の危険を冒してでさえも、営業に対するなんらかの干渉を猜疑的につねに注視してきたのである。その原則は『営業』ということばの通常の意味における営業の制限に限られない」(註2)としている。
 問題は営業制限の法理と労働組合の関係である。労働組合の定義として適切なのは世界で初めて労働組合を法認した英国の1871年「労働組合法」の定義である。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結であるが、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。「個人の自由」から「集団の自由」への転換であり(註3)、本来の営業の自由の形骸化をもたらした。
  1875年共謀罪及び財産法では、非暴力的ストライキの刑事免責を保障し、平和的ピケッティングを合法化した。1906年労働争議法に至っては民事免責を保障、「ある人によって労働争議の企図ないし促進のためになされる行為は、それが誰かある他の人に雇用契約を破棄するよう誘導するとか、誰か他の人の営業、企業、または雇用の妨害になるとか、または誰か他の人が彼の資本あるいは労働を欲するままに処分する権利の妨害という理由だけでは起訴できない」(註4)としたもので、雇用契約違反の誘導、営業・仕事・雇用の妨害、労働の自由の妨害といったコモンロー上の不法行為であっても制定法上免責するということになっている。これはハイエクも批判しているように制定法のなかでも最も悪質なものであると考える。
 本来法は「営業=取引を制限するコンスピラシー」(conspiracy in restraint of trade)を犯罪とし、個人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する完全な自由を保護するべきものであるが、制定法により営業制限の法理の実効性を否定したもので「法の支配」の崩壊を意味する。
  ただし、今日でもイギリスにおいて労働協約は法的拘束力を有さず、紳士協定にすぎないというのは、そもそも労働協約が営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力取引の自由を侵害するものであって、違法なのである。違法であるが法律的抑圧をおこなわないというにすぎないのであって、我が国の憲法28条のように労働団体に積極的権利を付与するものではない。
 
 もっとも労働組合の何が違法であるかについては時代的変遷がある。
イギリスでは既に1304年の共謀者令において、親方間と団結、労働者間の団結を規制していた。特に労働者間の賃金引き上げの団結を刑事犯として扱っている。1349年製パン業者の使用人が従来の賃金の二倍もしくは三倍でなければ働かないとする共謀が告発された例、製靴業の使用人が自ら定めた曜日でなければ働かないとして共謀した例がある。これらの団結を規制する一連の法令が出されたが、1548年法が統合した。熟練工が一定の価格以下では仕事をしないことを共謀又は約束する場合は、刑事犯とされ、初犯は10ポンドの罰金と20日間の禁錮刑であった。又商人間の価格協定も賃金決定協定と同様に当然違法された。(註5)
 近代において最も偉大な法曹の一人とされるマンスフィールド卿の1783年のエックレス事件の傍論はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である(註6)」1796年モーベイ事件のグロース判事の傍論は「各人はその賃金を増額すべきことを主張しても差し支えない。しかし、数人がその目的により共同すれば、それは不法であって当事者は共謀罪として起訴されるかもしれない(註7)と述べた。
 労・使の個人的取引でない団結や協定は営業を制限するコンスピラシーあり違法とする論理であリ労働組合が法認される余地は全くない。18世紀には特定産業別に凡そ40の制定法で団結が禁止された。小ピット政権の1799-1800年の全般的団結禁止法は、産業別の制定法を統合したものであるが、14世紀の共謀者令より長い歴史において団結が禁止されていたのであり、これを制定法とするのは全く妥当なものであったと考える。
 アメリカでは、英国のように制定法で団結を禁止するやり方でなく、コモン・ローの刑事共謀法理を適用した。1806年のフィラデルフィアなめし靴職人組合事件で、賃金引き上げのための団結が刑事共謀罪にあたるとされた。検事は団結して賃上げをすることによって、需要供給の自然法則による賃金の決定を妨げた。賃上げのために威圧して労働者を組織に加入させ、非組合員には同一使用者の下での労働を拒否して彼らを組織に加入させることは、イギリス慣習法の罪になる。靴工の共謀のごときは、社会に有益な製造工業を妨害し、高賃金高物価を意味し、裁判所は、社会、消費者、産業、個々の労働者を保護しなければならないとしている(註8)。
 ところがイギリスでは1824年に団結禁止法がテイラーのフランシス・プレイスと急進的な国会議員ジョゼフヒュームの個人的努力であっさり廃止されてしまう。
続く

(註1)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註2)堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
(註3)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 
(註4)中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年 143頁
(註5)谷原 修身「コモン・ローにおける反独占思想-4-」『東洋法学』38(2) [1995.03])
(註6)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
(註7)石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上)」『早稲田法学会誌』  (通号 26) [1976.03]  http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
(註8)高橋保・谷口陽一「イギリス・アメリカにおける初期労働運動と共謀法理」『創価法学』35巻1号2006年
名誉革命期に営業の自由が確立

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(2)
 
  夫婦別姓等民法改正絶対反対である。公務員への労働基本権付与絶対反対である。きわめて厳しい局面にあり、非常に深刻な事態ではあるが、ここで自己の力不足を嘆いている場合ではない。
  一方きわめて切実な問題として提起したいのが消極的自由、団結否認権、Right to Work lawの明文による法定という重大な課題がある。公序に反し違法行為、団体行動を強要する敵と闘って行かなければならない。特に私が勤務する東京都水道局は、労働組合の庁舎構内における示威行為を放置するのみならず、管理職がまじめに働こうとする非組合員でも組合のスト指令に服すよう命令し、就労を否認し締め出そうとする悪質な所だから、何が起きるかわからないリスクを常に抱えている状態なので切実なのである。
  合衆国では1947年タフトハートレー法7条において被用者の権利を定めているがワグナー法の規定に、労働組合の団体行動等の一部及び全部に参加しない、消極的自由の項目を加えている(赤字の部分)。
  「被用者は、自主的に団結する権利、労働組合を結成し、これに加入し、またはこれを援助する権利、みずから選出した代表者を通じて団体交渉を行う権利および団体交渉または相互扶助のためにその他の団体行動に従事する権利を有するとともに、かかる行動の一部または全部に参加しない権利をも有する‥‥」としている。
  また、労働組合にも不当労働行為として六種類の行動を8条(b)項で定めているが、被用者の7条の権利行使を組合が抑圧あるいは強制することも含まれている(註1)。使用者についても組合と結託して団体行動の強要は不当労働行為である。
  イギリスでは1988年雇用法により組合員の個別的権利を拡大した。スト投票が正当に行われ多数の組合員が賛成した場合でも、ストライキに参加することを不当に強制されない権利と組合運営に訴訟を起こす権利を組合員に与えた。組合員がスト実施中にピケット・ラインを越えた場合でも制裁されない権利、組合会計記録閲覧権、チェックオフ停止権といった個別的権利も拡大している(註2)。
  市場からの抑制力のない公務員の争議権の付与が政治日程となる状況において、組合員、非組合員も含めた個別的権利、消極的権利も明文化しする方向での検討は必要になる。今後、協約改定期に大きなストが予想されるからである。、
   ハイエクが言うように「消極的自由」、他者から強制されない自由が最も重要だからだ。
 
  (註1)千々岩力『アメリカ不当労働行為審査制度の研究』 日本評論社1996 316頁
  (註2)田口典男『イギリス労働関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房2007 95頁
 
 

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(3)

労使関係の先進化法案が必要である

 私のいう「先進化」とは1980年代以降のイギリス保守党政権、オーストラリア自由党政権、ニュージーランド国民党政権の新自由主義雇用法をモデルとし、集団的労働関係(団体交渉)から個別契約にパラダイム転換する提言であリ、戦後レジームからの脱却を図るというものである。
 1992年英国保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のようにパラダイム転換を説明している。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」*1
 サッチャー政権は1980年に労働組合承認の法的手続を廃止して、組合を承認し団体交渉を行うか否かは使用者の任意とした。元々イギリスの普通法において労働組合が営業を制限するコンスピラシーとして違法な存在とみなされていたにも関わらず、今日まで存在してきたのは使用者がクラフトユニオンの内部請負制を便利なものとして利用していたことがある。使用者側に生産過程を管理する能力がなければ、労働者は組合の職長をとおした間接管理しかできないからである。しかしクローズドショップの違法化で、労働組合は労働市場を支配できなくなった。現代の産業構造では労働組合による内部請負制は必然的なものではなく、生産過程と仕事の分量など労働者の職務統制、賃金の配分等を組合に丸投げにするコストが大きくなれば競争力は低下し、組合を承認する利点は少なくなったといえる。
 職場雇用関係調査によると全体的には公務員職場で組合承認が維持されているために組合承認率は1990年の53%から、1998年の45%と劇的には低下していないが、民間部門の1998年の組合承認は1990年の三分の一の水準に低下した。機械・金属業では組合承認のある職場が1990年には37%であったのが、1998年に19%に低下し団体交渉は崩壊したとも云われる。一方組合員のいない職場が1984年に27%であったものが、1998年に47%に上昇した。*2
 もし保守党政権が続行していれば2010年までに労働組合は消滅したとまでいわれ言われたものである。
 最も先進的な労働法制がニュージーランド国民党政権1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)であるが、これは労働法から、「労働組合」も「団体交渉」も消し去り、労働関係を個別雇用契約によって処理した。*3
  究極の労働市場の規制緩和である。もっとも労働党への政権交代で2000年雇用関係法によって「団体交渉」も「労働組合」も復活したが、しかし2008年再び国民党政権に戻っている。個別主義がトレンドであることは間違いない。
  オーストラリア自由党の政策としてはオーストラリア職場協定(Australian Workplace Agreement:AWA)」がある。これは労働協約を排除した使用者と個人が交渉する個別雇用契約制度だが、労働条件で定の水準を上回った場合に認められる制度なので完全な契約自由ではないが、個別契約を求めるニーズに応じた制度として評価できる。*4
 我が国もこうした新自由主義の労働政策に倣うべきである。林=プレスコット説によると1990年代の日本経済低迷「失われた10年」の要因とは「時短」により,週当たりの雇用者平均労働時間が,バブル期前後で44時間から40時間に低下したこと,もう一つは,生産の効率性を図るTFP(total factor productivity)の成長率が,90年代の中ごろから低下したことである。硬直した労働法制に経済低迷の要因であることは、はっきりしているわけだから、労働基準法を廃止して、労働時間規制をなくすべきであるが、今の民主党政府は労働組合との深い関係があるので、いつまでたっても低迷から抜け出すことができないだろう。
 
 ニュージーランド1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のような個別雇用契約の自由の確立は最終目標である。勿論それを一挙にやれればそれにこしたことはないが、事実上の労働基本権の否認であり、労働組合の既得権を剥奪するものなのでそう容易なことではない。
 そこで、まず私は、第一段階として労働組合の団体行動に加わらない被用者の権利を明文化することを提案する。我が国ではプロレーバーの労働法学が諸悪の元凶だろう。不当に労働組合寄りの解釈を行ってきたため、個人主義的自由が論じられなかった嫌いがある。
 仮に労働基本権を認めても非組合員に団体行動に参加しない消極的権利はあると解釈するのが妥当である。つまり表現の自由に表現せざる自由がある。例えば政府が官製デモを組織して、「民主党万歳」と叫ばせることを強要することはできない筈である。宗教の自由には特定の宗教を信仰しない自由の含意もあり、結婚する自由もあるが、結婚せざる自由もあることと同じである。消極的権利を明文化しなくても消極的権利を肯定すべきであるが、現実に私の勤務する東京都水道局では消極的権利を否認するような管理職の指図がある。個人の自由は私生活に限定されるべきではない。最も重要なの労働力処分の自由である。冒頭に述べたような米国や英国ではストライキに参加しない被用者の権利を明文化しなければならないと思う。
 仮にピースフルピケッティングを認めるとしても、それは説得活動に過ぎないから、説得に応じるか否かは自由であり、実力行使して通行を妨害することは個人の就労の権利の侵害である。法人や団体に個人の正当な権利を侵害するの権利はないはずである。
 プロレーバー学説は最大限の威圧行為や実力行使さえ容認する学説があるが、労働組合が統制下にない者の権利を侵害するほどの権力を付与することには同意できないからである。
 つまり私は非組合員であるあなた(管理職)の就労を妨害する権利はない。それと同じように労働組合や管理職にストライキに反対する職員の就労を妨害する権利はない。しかも服務の示達でストライキに参加しないよう命令しているのだから、就労は義務であるのに、いったんストライキが司令されたら、ピケラインを尊重して就労するなというのは命令を発出しながら命令に反する行動を取れということで道理に反するからである。
 ストライキである以上、擦れ合いは当然覚悟して就労するわけでである。昔から流血の事態はあった。イギリス1984~85年全国炭坑労働組合(NUM)ストライキでは反ストライキ派の乗ったタクシーに岩が投げつけられて死者を出している。差止命令やピケ隊の排除がない以上リスクはつきものでそれはやむをえないことである。
 こちらは職務専念義務と誠実労働義務に基づく就労だから正当な行動であるし、リスクを承知して正しい行動を為すことは、ほめられることはあっても非難される筋合いのものではない。
 むしろ管理職は通行妨害が庁舎管理規則に反するのだから労働組合のピケッティングやパトローリングに行きすぎがないか監視すべきなのに、それは一切やらないと言う、規律違反や秩序維持のための監視を抛棄して、スト参加を促す管理職は無責任だと言わなければならない。
 
合衆国の組合不在企業の文化が優れている
 団体協約より個別契約が望しいというのは、単に国家の経済成長のためだけではない。労働組合が個々の労働者の自由に労働力を処分することを否定し、働き方を統制して団結の意思に服して取引を強制していることが個別労働者にとっても不利益となっているのである。
 アメリカ合衆国の全国労使関係法では3割以上の署名を得て全国労使関係局の管理する組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得できるシステムであるが、労働組合組織率は2005年で12.5%であり、民間企業では7.5%に過ぎない。ウォルマート、ホームデポ、IBM、マイクロソフト、プロクター&ギャンブル、SCジョンソン、3Mなどアメリカを代表的する企業をはじめ、一流企業の多くが組合不在企業であり、金融・銀行をはじめとして民間のホワイトカラーは組織化されることはまずない。
 アメリカが欧州よりも組織率が低くコーポラティズムをとっていないのは、1920年代のアメリカンプラン、20世紀初頭からの全米製造業者協会などのオープンショップ運動という強い反労働組合運動政策によるところが大きいと考える。特にオープンショップ運動の意義を高く評価したい。
 むき出しの組合への敵意であったオープンショップ運動とは別の戦略として、1920年代に組合不在企業においてロックフェラー=ヒックス流哲学の流れを汲んだウェルフェアキャピタリズムの系譜もある。それは洗練された労務管理の手法としてそれなり評価されており、ジャコ-ビィ-の名著『会社荘園制』でコダック、シアーズ、トムソンプロダクツという代表的な組合不在企業の労務管理などが紹介されているのでここでは省略するが、利潤分配制度、年金、疾病給付金、ボーナス制度、有給休暇、ストックオプション等の従業員福祉や、教育訓練・能力開発、ノーレイオフ原則、シングルステータス、オープンドアーポリシー(上級経営者への直接のアクセス)、チーム制組織、行動科学を導入した人事管理、人当たりの寛容な企業文化、注意深い監督者訓練、従業員を公正に扱い一体感を確保する組織文化は組合不在企業で開発された企業文化であった。アメリカの最大の財産とはまさに組合不在企業の企業文化なのではあるまいかと考えるものである。
 オープンショップ運動の典型的例として1901年採択された全国金属業者協会の基本方針はこうである。
   
1 被用者に関して---われわれ使用者は、労働者が行う作業に対し責任を負っている。したがって、われわれがだれがその作業を行う能力をもち、その作業を行わせるにふさわしいかを決定する裁量を専権的に有している。かりに労働組織が適切に機能することを妨げる意図がなくても、われわれはわれわれの経営に対するいかなる干渉も容認しない。
   
2  ストライキとロックアウト---本協会は、労使紛争の解決のためにストライキやロックアウトを行うことを承認しない。本協会は、すべての合理的手段が失敗に終わったとき以外にロックアウトを認めないし、ストライキを行っている被用者たちを一つの集団として扱うことをしない。

3 被用者の関係---工場で働く労働者は、そのすべての同僚被用者と平和にかつ協調的に働き、使用者の利益のために忠誠を尽くして働かなければならない。*5
 当然ここには非組合員の権利を侵害しない含意がある。
 重要なことは20世紀初頭のオープンショップ運動は、セオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていたことである。
 セオドア・ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく。*6
 セオドア・ルーズベルトはコーポラティズムを指向した革新主義的政治家ともみなされるが、組織労働者に決定的な権利を付与することはなかったと言う点で、フランクリン・ルーズベルトよりずっとましな政治家だった。 
 オープンショップ運動の基盤となった非組合員の権利は神聖であるという趣旨は、個人の労働力取引の自由と就業の権利、団体行動をしない権利を尊重するものだろう。
 
 組合不在企業へのオルグ活動を経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとものとしてレイバーインジャンクションを支持した名判決として1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229  http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlがある。
 ウェストヴァージニア州にあるヒッチマン炭坑会社Hitchman Coal & Coke Coは1903年に労働組合が組織されたが3回にわたるストライキで組合は敗北し、1907年に鉱夫たちは「会社に雇われている間は労働組合に加入しません。それに違反した場合は労働契約は終了したものとみなされて異議ありません」といういわゆる黄犬契約に署名させられたが、アメリカ炭坑労働組合は非組合化が他の州の鉱夫の労働条件に影響するため、組織化にのり出した。ストライキ手当を用意し、密かに組合加入をさせながら、会社に組合承認の要求を突きつけた。
 対してヒッチマン炭坑会社は、「組合化のために会社に強制して会社と被用者の関係に干渉する差止める」ことを裁判所に求め、1907年に仮差止命令、1908年に中間的差止命令、1912年に永久的差止命令が出されたが、これに対する抗告があり1914年こに原審がくつがえされたが、1917年連邦最高裁は第一審の差止命令を是認した*7
 ピットニー判事による法廷意見は労働組合が黄犬契約の存在を知りながら会社に対してクローズドショップ協定を結ぶよう強要するため、労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断を下した。*8
 この判決では組合員が黄犬契約を破棄して組合に加入するよう説得するためピケ・ラインを張ったその行為に対し、「ピケ・ラインをはること自体脅迫であり違法である」としている。司法が正常だった時代のひとつの判例である。黄犬契約も契約の自由として容認されていたわけある。これはロックナー時代の判例で1937年に判例変更されているが、よき時代のアメリカでは非組合員の地位の保全も財産権として保護していたように、労働力処分の自由に親和的な理論を提供してきた。
 
 組合不在は雇用主だけが望むものではない被用者もそうなのである。2001年にテネシー州のスマーナ日産工場の組合代表選挙を行いましたが、3103対1486の大差で組合設立を否認した。つまり非組合である。日産に限らず、外資企業の自動車組立工場の組織化は成功していない。従業員はUAWよりも北米日産の側についたわけである。
  アメリカの産業別労働組合で何が問題かというと 制限的労働規則(restrictive work rules)である。労働組合による仕事の制限、統制である。「工場内における職務を細分化し、個々の職務範囲を極めて狭い範囲に限定するものである。このため、単一の工場内における職種が数十種類に及び、組合は個々の職種ごとに賃金等を設定し、仕事の規制を行うので、職場組織は極めて硬直的となる。」  http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyj199401/b0055.html
  日本は戦前から大企業が存在し、新技術の導入と人員配置は経営者の強い権限を持つモデルなので、柔軟に対応できるが、アメリカの組合セクターはそうではない 。米国に進出した日系自動車工場がUAWの組織化を嫌うのも主としてこの理由である。「米メーカー並の複雑な就業・作業規則などを締結すると‥‥規則に手足を縛られ‥労働者の配置転換1つを取っても、大きな困難となる。」http://www.jil.go.jp/mm/kaigai/20010829b.html
  さらに、組合セクターは従業員の競争を排除するので、個別の査定による業績給が導入できない。同志社大学大学院教授佐藤厚のコラムから引用すると「組合員内部には、階層格差が全くなく、したがって入職してから経験を積むにつれてより上位の地位に昇進するキャリアもない。細かくみると、チームリーダーには多少の上乗せ賃率(時間当たり0.5ドル)があったり、修理などを行う保全労働者とラインのオペレーターとでは時間賃率に差があったりするが‥‥働きぶりの個人差を反映する査定や熟練形成に伴う昇進キャリアのない世界」なのである。日系企業には職長への昇進キャリアがある。http://sosei.doshisha.ac.jp/column/07.html
労働者もUAWのような制限的労働規則では、生産性が向上せず、結局競争力を失うことがわかっている。
 要するに組合のある職場では組合就業規則により従業員は横並びで競争が排除され、業務遂行方法が統制されますが、若い人が能力を発揮し熟練するために良い環境とは言えない。
 団体協約はより生産的でない従業員に手厚く所得を補償する一方、より生産的な労働者の賃金は抑制される。先任権制度により、若い人の不利益もある。実際、UAWの職場は横並びでレイオフされても手厚い所得保障があり、30年勤務で年金が支給されることが利益と考える人もいるでしょうが、昇進の機会に乏しい。何がその人の利益であるかは違う。
 職場環境でいえば、非組合セクターでは大抵、オープンドアーポリシーがあって直属の上司を飛び越えて、会社のトップや上層部、人事部に直接苦情が出せる制度があり風通しが良く、従業員にフレンドリーな環境がある。例えば典型的な組合不在企業ウォルマートでは会社のトップが時給労働者に店長に不満があるならどしどし言ってくださいと語りかける。実際、会社は丁寧に一つ一つの苦情に応えますし、横並びで競争を排除される環境より、会社に献身的に働ければ認められて、昇進でき、経営者と敵対的でない環境で仕事をしたい人は労働協約などない方が良い。ショップスチュワードに統制されるより、働きがいのある仕事ができた方が良いわけです。組合のない職場が作業環境がフレキシブルで、単位労働コストは低い。高い生産性とビジネスの成長を促す。組合のない職場の方がトップダウンでなく従業員参加を促す経営になるので働きがいがあり、雇い主と労働者双方のニーズに敏感な作業環境がつくられる。
 
タフト・ハートレー法と労働権州Right to Work Statesの意義
 次にタフトハートレー法とアメリカ南部を中心とした23州とグァム島の州法、憲法等で定めている労働権法(Right to Work law勤労権法とも訳される、)の立法経緯と意義について述べる。http://www.nrtw.org/rtws.htm
 これは我が国のいわゆる労働基本権とは全く反対の意味で、勤労者が雇用条件として労働組合に加入することを求められない、組合費の徴収をされないで勤労する権利である。アメリカで労働組合の組織率の低い州の上位が労働権州Right to Work States である。
 1947年タフトハートレー法でセクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めたことにより、州権で労働権の立法化を可能にした。
 
 一例としてアラバマ州の労働権法は次のとおり
第三条 何人も、使用者により、雇入または雇用継続の条件として労働組合または労働団体の構成員となり、もしくは構成員となり、もしくは構成員としてとどまることを要求されない。
第五条 使用者は、何人に対しても、雇入または雇用継続の条件として、組合費、入会金その他いかなる種類の賦課金をも、労働組合もしくは労働団体に支払うよう要求してはならない(Ala.Code Ann.tit.26.375(1959)*9 
 労働組合組織率の低い州(<2003年)
ノースカロライナ  3.1%
サウスカロライナ  4.2%
アーカンソー   4.8%
ミシシッピ    4.9%
テネシー     5.2%
テキサス     5.2%
アリゾナ     5.2%
ユタ       5.2%
サウスダコタ   5.4%
フロリダ     6.1%
ルイジアナ    6.5%
ジョージア    6.7%
オクラホマ    6.8%
(上記すべて労働権州)*10
 今日のアメリカ民間企業の労使関係の基本的制度は1935年ワグナー法の排他的交渉代表制・不当労働行為制度である。アメリカの1930年代の組織率は9.3%にすぎず、デトロイトの自動車産業も組織化を阻止していたし、中西部の鉄鋼業も19世紀末から組合不在であったが、労働組合に有利な制度であったワグナー法制定を契機に産業別組合が台頭した。大恐慌で大量の失業者が労働争議に付和雷同する騒然とした世相において、1937年には座り込みストライキのような悪質な争議行為が流行、GM・クライスラー・USスチールと続々組合が承認されていった。
 1942年に設置された全国戦時労働委員会は、戦争協力のため労働組合にストライキを放棄させる一方、労働協約締結期間中の組合離脱を禁止し、それを保障するためのチェックオフを導入した。組合の組織維持と拡大は容易になり、労働組合員は1941年の1020万人から、1945年には1933年の5倍の1432万人に増加、このようにしてアメリカの産業別労働組合は、ニューディール立法で存立基盤を与えられ、戦時中の組合保護政策によりその地位を固めた。*11
 戦勝後は大幅な賃上げを求めて各産業はストライキに突入、1年間で490万がストライキに参加する労働攻勢となったが、鉄道・炭坑ストは物価を騰貴させ、中間層の不満の高まりを背景として1946年の中間選挙で共和党が圧勝、反労働組合の国民世論を背景として1947年強くなった労働組合の権力を削ぐためワグナー法を片面性を修正しタフト・ハートレー法が制定された。これは全米製造業者協会、共和党、南部民主党により推進され、トルーマン大統領の拒否権発動を覆して成立したものである。
タフトハートレー法では、排他的交渉代表制・不当労働行為制度というワグナー法の枠組みを維持しつつ、交渉力の平等の確保、労働組合との関係において被用者の権利を保護、労使間の意見の不一致とは完全に無関係の第三者を保護する目的で多くの改正がなされている。*12
 クローズドショップは否定された。ユニオンショップは基本的に認めるものの数々の規制を設け、ユニオンショップ協定のもとでも、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。これはユニオンショップにおける組合の統制が強い日本のあり方とは異なる点である。
  また冒頭に述べたように被用者の権利(7条)を定めているワグナー法の規定に、労働組合の団体行動等の一部及び全部に参加しない、消極的自由の項目を加えて、労働組合にも不当労働行為として6種類の行動を8条(b)項で定めた。(この点も我が国では労働法制上不備である)
 私は同法による法改正の意義を肯定的に評価するものであるし、我が国の法制においても、バランスをとるために最低限、消極的権利の明文化、労働組合への不当労働行為の適用など必要であると考えるが、しかながら最善策はワグナー法の修正ではなく廃棄であった考える。つまり私は1932年ノリス・ラガーディア法(反インジャンクション法)以降の労働法は廃止すべきとするリチャード・エプステインの見解を支持する。ワグナー法の廃棄であったと考える。
 そもそもワグナー法は民主党の選挙公約でもなく広範な国民的合意によるものではもちろんなかった。ただ反対派が油断していたのは、違憲判決が下されるという予想だった。しかし連邦最高裁は1937年に契約の自由と通商規制権限の判例変更を行い、ワグナー法も1937年ジョーンズラフリン製鉄会社判決National Labor Relations Board v. Jones & Laughlin Steel Corporation http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=301&invol=1合憲判断としたのである。
 20世紀初期からオープンショップ運動とレーバーインジャンクションの多用で反労働組合政策をとってきた全米製造業者協会(NAM)等は1935年ワグナー法による団結権・団体交渉権を廃止すべきとしていたのである。
 下院労働教育委員会フレッド・ハートレー議員の法案は全国労使関係局の廃止、反トラスト法への労働組合への適用を含む、1920年代以前もしくは1914年のクレイトン法以前に戻す反労働組合立法であった。私は20年代以前のロックナー時代が正常で、赤い30年代は不正常と考えるので、ハートレー議員の線で、ニューディール型労使関係を否定する法案が最善であったと考える。
 一方、上院労働公共福祉委員会のロバート・タフト法案は組織労働者が1932年ノリス・ラガーディア法や1935年ワグナー法によって獲得した既得権を損なわうべきではないとの認識に立ち、労使関係において是正すべき不正や不平等をを手直しする方針で、結果的に穏健なロバート・タフトの線で法改正がなされた。これは大統領の拒否権をも覆すにはニューディール型労使関係を維持する妥協的な改正案でなければ困難だったという政治的妥協とみられている。*13
 ロバート・タフト議員は中道穏健な考えであったが、私はあくまでも次善の選択肢としての法改正との評価をとりたい。
 そのように政治的妥協の産物であるがゆえに、タフト・ハートレー法はユニオンショップを基本的に是認つつも、反労働組合の南部諸州に配慮して14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。
 従って、結果的にアメリカは南部を中心とする労働権州(反労働組合)とそれ以外の非労働権州の二つの地域に分かれることになった。27の非労働権州では労働組合が排他的交渉代表権を有している職場では、強制的に組合費が徴収される。ユニオンショップ協定がとられず、組合に加入していなくても団体交渉の経費としての組合費を徴収できるエイジェンシーショップとなる。
 一方23の労働権法(Right to Work law)州では、労働組合が設立され協約適用労働者となっても、組合に加入せず、組合費の徴収からまぬがれることができる。労働権法州ではエイジェンシーショップは認められない。
 
 Right to Work の原義はおそらく、労働組合によって非組合員が労働力処分において干渉されない権利を指すものと考える。しかし、全国労使関係法はすべての州で適用されるから排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において3割以上の署名を得て組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得すれば従業員のすべてを代表して交渉する独占権を労働組合に与る制度なので、組合を支持していなくても個別の従業員の交渉は禁止される。つまりこの制度で、個人の雇用契約の自由、自己自身の労働力という財産の処分権が否定され奪われる。
 Right to Work といっても本来の意味でのものでは全くないわけである。労働権州は強制的労働組合加入主義を否定しているだけなのである。
 したがって、それ自体は中途半端な権利であるが、しかし非労働権州においても被用者は団体行動をしない消極的権利を明文化していることと併せると、組合にかかわることなく就労する権利としてかなりの意義のある権利といえるのである。
 少なくとも私は、我が国に、タフトハートレー法と労働権州並の非組合員の権利の明文化を要求したい。
 非労働権州と労働権州のエイジェンシーショップの考え方の違いについて述べる。非労働権州の強制的組合費徴収の論理は「ただ乗り」防止ということです。つまりあなたは組合を支持していなくても排他的交渉代表制度により協約適用労働者であり、団体交渉の成果の受益者であるから、団体交渉にかかった費用の負担を求めるというものです。フリーライダーを認めず団結するという論理であるが、労働権(Right to Work law)はこの論理を否定する。
  この点についてミシガン州の自由主義シンクタンク Mackinac Center for Public Policy のウイリアム.T.ウイルソン博士の論文 「The Effect of Right-to-Work Laws on Economic Development」 http://www.mackinac.org/article.aspx?ID=4293を見てください。ウイルソン博士は「囚われた乗客」と言っている。「ただ乗り」するのではなく「囚われた乗客」となる不利益である。
 
  我が国のホワイトカラーエグゼンプション導入案はこれを個人的に望んでも、過半数組合の同意がないと制度を導入できないものとしている。結局、労働組合によってより働き方が規制されるのであり、このような観点からも「囚われの乗客」にならない働き方が望ましく真の意味でのRight to Work が望まれる。
 
  
1小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006 
2田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換』ミネルヴァ書房2007
3伊藤 祐禎「ニュージーランドの「雇用契約法」と労働運動 (特集 世界の労働運動の動向)」『労働経済旬報』(通号 1581) [1997.04.05]
4長淵 満男「オーストラリア労働関係における個別化と組合排除--90年代における労働関係法の改編」甲南大学法学会40(1・2) [1999.12]
5水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005年
6長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁
7 有泉亨「物語労働法13第11話レイバー・インジャクション2」  『法学セミナー』188号1971年9月
8水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年
9外尾健一著作集第八巻『アメリカのユニオンショップ制』信山社2002
10 篠田徹「岐路に立つ労働運動-共和党の攻勢と労組の戦略論争」久保文明編『米国民主党-2008年政権奪回への課題』日本国際問題研究所2005年所収
11油井大三郎「第四章パクスアメリカーナ」有賀・大下・志邨・平野『世界歴史大系アメリカ史2』山川出版社1993
12 外尾健一著作集第八巻『アメリカユニオンショップ制』信山社2002
13長沼秀世・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 471頁

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(4)

 団結否認、個人の結合せざる権利の確立のために、英米の共謀法理と労働について歴史的検討を行う。

1 刑事共謀法理の起源

 コンスピラシーと呼ばれる共謀法理はイギリスで生成し、アメリカに継受され労働組合の弾圧法理となったと説明されることが多いが、私は刑事共謀である団結それ自体を弾圧するのが最も望ましい。団結を営業制限の法理にもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)として把握するべきであると考える。。
 仮に、妥協するとしても、団結は認めてもそれは個人の権利の総和に過ぎないのであって「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)を容認されるべきという立場なので共謀法理は肯定的に評価する。
 なぜならば現実に私は腹黒い共謀によってはめられそうになった。東京都水道局では年に少なくとも3回時限ストを構えた労働組合の闘争が年中行事のようにある。11月の中旬ストを構える都労連のストライキと、12月の中旬にストを構える局内闘争と、3月中旬の春闘、それ以外にも平成16年の業務手当闘争の時は夏場にも随時ストライキ闘争を構え、最近では昨年平成20年3月の春闘で1時間ストライキを決行してる。
 私は本年11月の都労連闘争時にスト決行の場合でもピケットを通過して就労することを直属の上司である所長に申し出ると、所長は組合への敵対行為は許さないという意図からか、それは組合と協議すると言った。第三者である労働組合と協議し、非組合員である私の服務を決定するというわけである。
 所長はスト決行予定日の前日に電話番号が書かれた付箋紙を私に渡し、とくに12月17日の局内闘争ではスト決行の要素が多分にあったので、庁舎に入る前に必ず電話を入れるよう命令した。私は管理職からそのように指示された前例はないとして拒否すると、ダメだ必ず電話しろと強要、押し問答のうえ、結局連絡先として受け取っておくが、必ず電話を入れることはしないと私は言った。
 たぶん、電話をかけろというのは、ピケットを越えるなと指示して、事故扱いにするする算段だと思った。というのはピケット通過は許さないという趣旨で、事故扱いにすると言うことをはっきり言っていたことと、もし「庁舎に入ってきたら報告してもらう」、上司の指示不服従なら懲罰するというニュアンスを述べたからである。
 そもそも、東京都水道局庁内管理規程では次のように正常な通行を妨げることは禁止している。
一 庁内において、拡声器の使用等によりけん騒な状態を作り出すこと。
二 集団により正常な通行を妨げるような状態で練り歩くこと。
三 前号に定めるもののほか、正常な通行を妨げること。
 ピケッティングがピースフルであけば、それは説得であるから、説得に応じなければ、物理的妨害がない限り通過できるわけであるし、組合側が威嚇・脅迫するとしても大量動員ピケか物理的妨害になれば通過は不可能ではない。
 庁内管理規則の通行妨害について基準はあるかと所長に訪ねたところ、基準はないし、来客に危害が加わるような態様でなければあえて取り締まることはないと明言し、事実上スト破りを監視するためのピケはどのような態様でも正常な通行を妨げる行為とはみなされず庁舎管理規則に反することなく許容されるとの組合に有利な解釈を示した。。
 ピケに限らず、赤旗、拡声器、横断幕等の持ち込みにより、庁舎構内を占拠し無許可集会することについても、監視、解散命令などの規制はしない、そういう指示はないからとはっきり言った。
 所長は聴いたことは要するに、本局からストライキ時にピケの態様や無許可集会についてなんの監視指示はないから庁舎管理責任者であっても、責任をとるつもりはないとのニュアンスなのである。過去に私はスト決行時に出勤簿を押した後に6~7人の組合員に取り囲まれ、罵声を浴びせられたり、攻撃を受けてるが、そういう場合も規制しないと所長は言った。
 結局、管理職は、労働組合の秩序違反行為は容認し、ストに反対する非組合員は、組合敵対行動として容認せず、ピケットラインを越えないように命令し、組合のいいなりになっているわけだが、労働組合と管理職が共謀して非組合員の就労の権利を侵害する在り方なのである。「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)そのものだと言ってもよい。
 これは服務の問題だから、私と上司との間だけ話し合うべきものなのに、第三者である組合の統制を受けなければならないとするのは正当なものではない。しかも形式的とはいえ事前に所長は「服務の示達」という文章をマイクロホンの前で読んでいて、私は服務の示達で命令されたとおりストライキに参加しないとしているのに、それはけしからんと前言を翻すのは道義に反するものである。しかも所長ははっきり、ストライキは全員が参加してやることになっているとはっきり述べた。違法行為の強要である。
 Conspiracyとは人を陥れる協定のことであるから、組合と管理職が示し合わせて、ピケット通過を阻むのはコンスピラシーそのものである。
 以上のことから労働組合と共謀により非組合員の就労の権利を侵害する命令を行ったいうことで、職権濫用であり懲罰要望書で対抗する予定である。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(5)

 1 刑事共謀法理の起源

○ 共謀者令

 高橋保(*1)によると共謀法理の起源はエドワード1世の治世の1285年の裁判手続の是正と取り締まりのための制定法だった。1305年の共同謀議者令Ordinancee of Comspiraciesはコンスピレーターを「宣誓・誓約そのその他の約束により、互いに共同もしくは結合して虚偽の申立を行い、それによって他人を起訴ないし起訴の危険に陥れ、あるいは十二歳未満の者に、他人に対して重罪の告訴をのなさしめるもの」と定義し、共謀罪とは裁判訴訟法上の不法行為概念だったとする。
 しかし、谷原修身(*2)によれば共謀者令the Ordinance of Conspirators)では、特に労働者間の賃金引き上げのための共謀を、明示的に禁止していないが刑事犯として扱っている。

○ 労働者勅令と労働者規制法

 イギリス最初の労働立法はエドワード3世の治世の1349年労働者勅令Ordinance of  Labourershttp://www.britannia.com/history/docs/laborer1.html と1351年以降1359年まで逐年公布された労働者規制法(Statutes of Labourers)http://avalon.law.yale.edu/medieval/statlab.aspであるこれは1347年から1349年のペストの流行による極端な労働力不足に対応するため、国家的立場から、労働力不足の解消、賃金の高騰の抑制、過剰賃金を得なければ働こうとしないの農業労働者の悪意を抑止するため制定されたもので、60歳以下の身体壮健な者に対して性別を問わず、従来の慣習による賃金で雇傭されるべき義務を規定した、また日雇いを禁止し、年期雇傭とされ、契約期間満了前の就業放棄を厳禁した。また従来の慣習的賃金で法定最高賃金とし、労働者がそれ以上の超過賃金を要求することを罰金で禁じたものである。(*3)
 谷原修身(*2)によれば1349年製パン業者の使用人が従来の賃金の二倍もしくは三倍でなければ働かないとする共謀が告発された例、製靴業の使用人が自ら定めた曜日でなければ働かないとして共謀した例がある。その後、これらの団結を規制する一連の法令が出されたと述べている。とすると団結に対する共謀罪の適用は大変古く14世紀にまで遡ることができる。

○1548年法 明文による労働者の団結への共謀罪の適用

 Conspiracyは元来、2人あるいはそれ以上の者が-誓約なり信約なりによって-ある人を重罪にあたるように起訴したり、起訴されるよう陥れる協定を意味していたが、1549年法により団結を規制する一連の法令をまとめ、雇職人の不法な団結つまり「ある価格でなければ仕事をしないとか、他の者がはじめた仕事の完成は引き受けないとか、ある時間しか仕事をしないとかいうように共謀する」ことに適用されることとなった。(*4)
 1548年法では、熟練工が一定の価格以下では仕事をしないことを共謀又は約束する場合は、刑事犯とされ、初犯は10ポンドの罰金と20日間の禁錮刑であった。又商人間の価格協定も賃金協定と同様に当然違法とされた(*2)。

○スター・チェンバー裁判所における共謀法理の進展

 田島裕(*5)に依存するが、17世紀の進展をみていくこととする。スター・チェンバー裁判所の創設については1487年説があるが、不明であるというのが通説である。スター・チェンバーの評判が悪くなったのはチャーダー朝後半に国王が議会・コモンロー裁判所と対立し、国王の意に従わせる手段となってからであって、エドワード・コーク卿が「キリスト教世界にある(わが国会を除いて)最も栄誉ある裁判所」と呼んだように一般的には好意的にみられていた。国家の安全との平和に関する事件、名誉棄損、詐欺、文書偽造等の事件のほかに、エドワード・コーク卿が検事総長として訴追を行った名医ロペッツの女王暗殺、ウォーター・ローリー卿の国王暗殺、1600年のエセックス伯、サウザンプトン伯の訴追等の共謀事件をはじめとしておいて多くのコンスピラシーに関する事件を処理したが。
 理論的に重要なのは1611年の家禽商事件Poulterers Caseである。この判決では中世のコンスピラシー法理の核心は害意をもって〔他人に危害を加えることを〕約束または結合することにあると理解された。かようにこの法理を理解すれば、不法な目的をもったあらゆる種類の結合を処罰できることとなり、犯罪行為がおこなわれたかどうかは問題にされず、悪い心を持っているかどうかが問題とされる。共謀法理が未遂の段階で処罰する統制機能を有するのはそういう理由である。
 
1 高橋保 「イギリス労働法における共謀法理(コンスピラシー)の形成と展開」 『創価法学』7(4)〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0013392X/ISS0000435233_ja.html
2谷原修身 「 コモン・ローにおける反独占思想-4- 」『東洋法学』38巻2号1995年
3小宮文人『イギリス労働法』信山社出版1991、高橋保前掲論文
4中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論』ミネルヴァ書房1998 66頁
5田島裕「コンスピラシー法理の研究-2-スター・チェンバーによるその法理の利用 」『 法学雑誌 』 25(1) [1978.09] 

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(6)

○スター・チェンバー裁判所における共謀法理の進展

 スター・チェンバー裁判所の創設については1487年説があるが、不明であるというのが通説である。スター・チェンバーの評判が悪くなったのはチャーダー朝後半に国王が議会・コモンロー裁判所と対立し、国王の意に従わせる手段となってからであって、エドワード・コーク卿が「キリスト教世界にある(わが国会を除いて)最も栄誉ある裁判所」と呼んだように一般的には好意的にみられていた。
 国家の安全との平和に関する事件、名誉棄損、詐欺、文書偽造等の事件のほかに、エドワード・コーク卿が検事総長として訴追を行った名医ロペッツの女王暗殺、ウォーター・ローリー卿の国王暗殺、1600年のエセックス伯、サウザンプトン伯の訴追等の共謀事件をはじめとしておいて多くのコンスピラシーに関する事件を処理したが(*5)、理論的に重要なのは1611年の家禽商事件Poulterers Case(ボールタース事件)である。この判決でコンスピラシー法理の核心は害意をもって約束または結合することにあると次のように述べた。
  「犯罪は訴状が送付する以前に完成される。それゆえ、コンスピラシー罪を犯そうとする単なる結合行為も処罰しうる。その理由は犯罪の重点は犯罪意思にあるからで、ある行為の遂行過程で犯罪意思が示されぬ限り、その行為は処罰されないけれども 、コンスピラシーの場合はそれが表明されているからである。」(*6)
 このように共謀法理を理解すれば、不法な目的をもったあらゆる種類の結合を処罰できることとなり、犯罪行為が行われたかどうかは問題にされず、悪い心を持っているかどうかが問題とされる(*5)。つまりスター・チェンバーの法理では、外顕行為としての合意、または結合は害意の存在を推定する有力な証拠となる。
 
○コモン・ロー裁判所によるコンスピラシー法理の継受

  スター・チェンバー裁判所は内乱期の1640の制定法により翌年廃止されたが、そこで運用されていた法律はコモン・ロー裁判所に継受された。
   コンスピラシーは処罰対象を厳密には犯罪・不法行為ではない非道徳行為に拡大していった。17世紀のコモン・ロー刑法の特徴は公共倫理の保護であるといわれる。1664年にセドリ卿は、「当裁判所は国王の全臣民の倫理法廷(custus morm)である」と述べてスター・チェンバーの解釈を踏襲した。(*5)
1665年のR.v.Starling事件はビール醸造業者らが、消費税の収税請負人を困窮させ、収税を妨害する共謀をなしたという理由で告発されたものだが、キングス・ベンチは消費税が国王の歳入の一部であり、その収税請負人を困窮されることは、国王に収入をもたらすことを不可能にさせることになると認定し、三人の判事は、国王の歳入減少をもたらす行為をを共謀したことは、何らの行為がされずとも有罪として罰金を課した。(*6)
  いわば、収税請負人を共謀していじめたケースであるが公共倫理の危害とみなされている。害意(malice)は中世の法理の場合のように、重罪を目的とするだけに限られない。全ての犯罪、不法行為、大衆にもかなりの影響を受ける契約違反、善良な風俗を紊乱し、または大衆に危害を及ぼすことを目的とすることであると考えられた。
 公共倫理の危害のケースの代表的な判例は 1763年のデラヴァル事件(Delaval Caseは)である。音楽家が女弟子を音楽の修行のために自己の指定した家に住まわせるのであるが、その家主のフランシス卿との間に別の契約があり、そこで売春をさせた収益が音楽家に分配されることになっていた。この判決でマンスフィールド卿は「当裁判所は国民の倫理法廷であり、善良な道徳(bornos morum)に反する犯罪の監督権を持っている」と述べ、不道徳な徒弟契約を結んだことによりコンスピラシーが成立すると判示した。(*5)
   同様の判決として1780年のヤング事件があり、感化院の官吏が死体の埋葬を妨害する共謀がコンスピラシーに該るとされた。
  マンスフィールド卿は1774年のJones v.Randall事件でも傍論でも「善良な風俗および節操に反するものは何であれ、全て我国の法原理が禁止する者であり、国民の善良な風習の一般的検閲官であり、かつ国王の裁判所は、それを規制し、処罰する義務を負う」と  述べている。(*5)
  中西洋は「コンスピラシーの法理はイギリス社会が各人の自主的な善意の連帯をひろく自由〉にゆだねたことの反面でもあった。第3者を害することを意図しない人々の放任はイギリス社会の特性だったのである」。(*7)と述べているが、自由な社会であるからこそ第三者を害する結合を敵視し、善良な道徳の維持のため監督が必要なのである。

5田島裕「コンスピラシー法理の研究-2-スター・チェンバーによるその法理の利用 」『 法学雑誌 』 25(1) [1978.09]
6石井宣和「「営業の自由」とコンスピラシー」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
7中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房1998年 66

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(7)

(営業制限の法理の進展-略)

18世紀の産業別「団結禁止法」と共謀罪判例
 高橋保(*1)によれば18世紀から19世紀のイギリス労働組合運動は第一に制定法により、第二にコモンロー上のコンスピラシー法理において徹底的に弾圧されたとされているが、コモンロー上の共謀法理は制定法とは独立して発展してきたものかどうかは議論のある事柄(*8)であり、松林和夫のように違法行為に対し、二~三ヶ月を越えない程度の懲治監での重労働といった労働者の処罰は厳しいものではなく、徹底的な弾圧がなされたかは疑問とする見方もある(*8)。
 しかし注目したいのは制定法の進化である。18世紀には40にも達する産業別の団結禁止法があったといわれる。例えばロンドン・ウェストミンスターの仕立職人に対する1720年法、毛織物職人に対する1725年法、制帽職人に対する1745年法、製紙職人に対する1795年法、絹織物職人に対する1887年法などであるが、それがどういうものか幾つかを例示する(*8)が、1726年法では団結自体を犯罪としているものの、団結に基づく暴力・破壊活動を禁止するにとどまっていた。
 しかし18世紀後半になると1773年法では雇用から離脱するよう勧誘・脅迫することを禁止し、1777年法では違法集会への招集、出席の禁止、仕事・労務から離脱するために説得・教唆・脅迫を禁止。組合基金の要求、支払いを禁止している。1794年ではどのような手段であれ雇用されもしくは雇用されるべき職人がその労務を放棄することを直接・間接、勧誘・説得し、影響を与えもしくはそう試みること、雇主が適当と考える者の雇用を禁止・妨害し、その者と共に働くことを拒否すること、を禁止する。としている。
 非組合員という言葉はないが、実質的に仕事からの離脱・放棄の勧誘、脅迫、説得まで含めて明文で違法としており、非組合員も含めて労働者の雇用を妨害し、ともに働くことを拒否することを違法としている、二次的争議行為も違法であることを明らかにしているのである。
 1799年-1800年に一般的団結禁止法が制定されるのであるがこれらのすべてが盛り込まれており、18世紀に制定法の進展が完成した形とみることができるだろう。
1726年法第一条後段
 不法なるクラブ、団体における梳毛工、織布工および梳毛業・織布業の技術を仕込まれ使用している他の者たちによる製品の価格の統制、賃上げ、労働時間短縮を目的とするすべての契約、捺印証書契約、協定、そしてクラブ、団体の定款、規則、規約、指令は違法・無効とする。職人その他の被用者はもちろん梳毛業者、織布業者が右の協定・定款等を(に)維持、継続、実施、参加、署名、捺印し、故意に関係し、その実施を試みることを違法・無効とする。処罰は三ヶ月を越えない期間収監する。
 (第六条で、雇主その他の者が違法な内規、規約、指令に従わないとの理由で、彼らに暴行を加え身体的傷害が生じた場合、または傷害を与えるとの、もしくは家屋、離れ屋、樹木を焼き、破壊し、殺すとの脅迫を行う場合には、労働者を正式起訴に基づいて重罪とし七年の流刑に処すとしている。)
1773年法第三条
 スピタルフィールズの織布工が四季治安判事会議によって決定されたよりも多いもしくは少ない賃金もしくは仕事の代価を要求しもしくは受けとること。賃金引上げの目的は団結すること。同じ目的のために織布工に雇主から離脱することを勧誘・脅迫すること。および四季裁判所における治安判事、ロンドン市の市長・記録官・市参事会員に対する場合を除いて賃金に関するに関する請願文もしくは抗議文を伝達するために10人を超える者が集会することを禁止する。処罰は40シリングを超えない金額の没収で、即時に支払えない場合は三ヶ月を超えない期間懲治監で重労働を科す。
1777年法第四条
 帽子マニファクチュアの職人もしくは他の被用者が、1749年法により違法とされた集会、クラブ、団体もしくは団結に出席すること。これらの集会等に出席するよう、もしくは集会等に使用される負担金、分担金、義捐金を支払うように招集し訪問すること。この目的のために金銭を要求し受けとること、職人その他の者に集会・団結等に加入・関係するよう、もしくは雇主の仕事・労務を放棄・離脱するよう説得、教唆、脅迫しまたはそう努めること、違法な集会等を支持・援助するために金銭を支払いもしくは義捐金基金を設立し加入することを禁止する。
 処罰は1726年法と第一条後段と同じ。
1794年法第一、二、四、五条
 この王国における紙製造職人によって賃金の引き上げ、通常の労働時間もしくは労働量の短縮・削減、雇主の欲する者の雇用の妨害のために、またはいかなる方法にしろ、紙製造の産業、事業を経営もしくはその管理を行う者に影響を与えるためにこれまでに締結された契約、捺印証書契約、協定は、文書によると否とは問わず違法・無効とする。(第一条後段)
 不法なる集会・団結を(に)支持・関係すること、契約・協定等を(に)作成、加入、同意、関係することの禁止。処罰は二ヶ月を超えない期間懲治監で重労働(第二条)。
 賃金を引き上げ、労働の時間もしくは期間を変更し、その他この法律に反する目的のため団結を結成すること。金銭の供与その他の手段により雇用されていない職人もしくは雇用されることを欲している他の者が雇用されることを妨げるために、直接・間接、勧誘・脅迫しもしくはそう努めること、どのような手段であれ雇用されもしくは雇用されるべき職人がその労務を放棄することを直接・間接、勧誘・説得し、影響を与えもしくはそう試みること、雇主が適当と考える者の雇用を禁止・妨害し、その者と共に働くことを拒否すること、を禁止する。(第四条。処罰は第二条と同じ)
 本法により違法と宣言された集会・団結に出席し、または出席するよう召集・訪問すること、この目的のために金銭を集め、要求・依頼・受領すること、職人その他の者に団結へ(に)の加入・関与、もしくは労務離脱・仕事放棄を説得、教唆、誘惑、脅迫すること、違法な団結等を支持・援助するために義捐金または基金を設け、加入すること、を禁止する。(第五条。処罰は1721年法と同じ) 〔制定法の引用は*8〕
18世紀のコモンロー上の共謀罪
 既に述べたようにコンスピラシーの犯罪手続きと近代的意味での不法結合の概念を融合させて実体犯罪としてのコンスピラシーを作り上げたのがスターチェンバー裁判所であり1611年の家禽商事件を契機とし「何らかの犯罪を犯すための結合行為そのものを処罰する」というコンスピラシー罪が成立し、コモンロー裁判所に承継され「何等かの犯罪を犯罪を犯すための結合はたとえその目的たる犯罪が実行されないときにもなる」という17世紀原則に発展した。
 では、コンスパイヤすること自体を処罰対象とする近代刑法上の概念を踏み越えた責任が団結にのみに課されるのはなぜか。
 秋田成就はホッブスとバークを引用して次のように解釈する。ホッブスは云う。「‥‥私人の力を結合することはすべて、もし、悪しき意図の結合のためならば不正であり、もし知られざる意図のためならば公共に対して危険である」。バークは之に賛して云う「自由とは人が之を集団で行えば権力となる」。要するに団結は力であり個人の力よりもより「抑圧的で危険なもの」であるというのが古今を通じての単純素朴な解答であった。秋田の見解は「法は近代国家の主権を脅かす可能性を含む団結をその芽の中に刈り取るための技術をコンスピラシーのうちに求めた」とのことであるが(註9)、重要な論点である。
 コモンローが個人の自由を擁護するものであり、個人主義的私法観に敵対する団結はコンスピラシーとして排除されなければなかったのである。
 労働者の団結に不法を見いだすことは容易だった。それは「営業の制限」という契約上の干渉に求められた。「営業」tradeには使用者の取引のみならずせ労働者個人の取引も含まれるとの想定のもとに労働者の団結は「営業の制限」restraint of tradeに該当するとし刑事共謀法理が展開されていった。(*1)
○ 1721年ジャーニーメン・テイラース事件
 本件はケンブリッジ在住のワイズ他数名の仕立職人が団結して賃上げのストライキをしたことが、1720年の主従法に違反するとして起訴された事件で裁判所は「コンスピラシーは不通法上の犯罪であるから、被告等が起訴されたのは制定法に違反して働かないことではなく、賃金値上のためのコンスピラシーによってである。コンスピラシーの目的たる事項がもし結合がなければ適法である場合でもその共謀は違法である」(*9)とし、制定法の有無にかかわらず、労働者の団結はコモンロー上の共謀罪で処罰しうること。個人で行えば合法的である場合でも、共謀すなわち団結することによって不法となることを明らかにした。

1高橋保 「イギリス労働法における共謀法理(コンスピラシー)の形成と展開」 『創価法学』7(4)〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0013392X/ISS0000435233_ja.html
8松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
9秋田成就「イギリス労働組合史に於けるコンスピラシー」『労働法』通号6 1955

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(8)

18世紀の産業別「団結禁止法」と共謀罪判例(続)

○ 1783年エックレス判決 R.v.Eccles
 エックレス他数人の労働者が、リバブールに住む仕立業者であるエイチ・ブースの営業を妨害を妨害することを目的とした労働者の団結に対して刑事共謀罪が問われたもので、労働者のストライキではなくボイコットに関連した事件である(*1)。夏期巡回裁判所で有罪判決を受けたが、事件は王座裁判所へ移送命令によって移され、起訴状によると、被告らは不法・不正な手段で、共謀、団結、協定し、それを実施してブースが営業を営むことを妨げ、彼をを窮迫させて多大な損害を与えた。このことは悪例となり、治安を紊乱するものである。(*8)とされた。
 傍論であるが近代で最も偉大な法曹と称されるマンスフィールド卿Lord Mansfield は次のように断言した。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である(*10)」

 岡田与好は云う。このマンスフィールド卿こそ、1758年ランカシャー地方の織布工層の大ストライキの弾圧者であった。このような峻厳な態度が18世紀の団結禁止=営業の自由の創出を支えていたこと、を忘れてはならない(*11)。
 私は個別雇傭契約による個人主義私法の徹底、団結禁止が望ましいという観点であるからマンスフィールド卿を高く評価する立場である。
○1796年モーベイ事件  R.v.MoWbey
 
 住民が公道の修理を怠ったことで起訴された事件に関し、治安判事らが、裁判所の判決に影響を与えるための証拠として、その公道が修理中であるとの虚偽の証明書を作成することによって、裁判の進行を妨害するために共謀したことで起訴された。
 傍論で、グロース判事は次のように述べた「多くの先例において、同じ行為が、もし彼らの間で、合意されることなしに、それぞれの個人において別々になされるならば、違法でないとしても、或ることを行うための合意は、共謀を理由として起訴の対象になると考えられたきた。‥‥それぞれの者は、もし可能であるならば、賃金の引き上げを主張することは許される。しかし、もし数人の者が同じ目的で合意するならば違法である。そして当事者は共謀を理由として起訴されうる‥‥」(*8)
 グロース判事も団結を共謀として犯罪とするのであるから個別雇傭契約・個人主義私法観である。
 
○1799年ハモンド事件 R.v.Hammond and Wabb
 ハモンドその他の労働者は、1792年に靴製造職人の団結の規約が作られ、そこには彼らの集会、相互援助のための基金、その他彼らの企図を進めるために相互に運営して行く事項が印刷されていた。本件は組合を結成し、賃金の引き上げのために共謀したことを理由に起訴された。この裁判長ケンヨン卿は労働者団体を「一般的共謀」(*8)と断言した。組合の結成そのものも刑事共謀罪に該当すると判示した(*1)。 
 
 
 
1高橋保 「イギリス労働法における共謀法理(コンスピラシー)の形成と展開」 『創価法学』7(4)〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0013392X/ISS0000435233_ja.html
8松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
10 片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
11 岡田与好『独占と営業の自由 : ひとつの論争的研究』木鐸社1975 133頁

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(9)

  1799年-1800年 団結禁止法 the1799and1800 Combination Actとその意義
 
 18世紀においては請願のあった特定業種、特定地域ごとに「団結禁止法」が制定されていたが、1799年に宰相小ピットの提案により、全般的に適用される団結禁止法が制定された。1794年の製紙業の団結禁止法を基本的モデルとしているが14世紀以来の団結禁止法の集大成ともいえるものである。(The Combination Act of 1800 のフルテキストはマルクス主義者のサイトであまりお勧めできないがこれです)  http://www.marxists.org/history/england/combination-laws/combination-laws-1800.htm
1800年団結禁止法の武内達子の要約(*13)は以下のとおり。

Ⅰ.これまでに、職人、製造業者、あるいは他の人々の間で、賃金の引きあげを獲得し、通常の労働時間を変更し、労働量を減少するために結ばれたあらゆる契約は無効である。

Ⅱ.この法律の通過後は職人・労働者あるいはその他の者は、前項に非合法とされているどんな契約を成文と不文とにかかわらず作成、または締結してはならない。または作成、締結に関与してはならない。上述の違反のいずれかを犯し三ヶ月以内に有罪の宣告を受けた者は、その管轄区域内で、三ヶ月を越えない期間監禁される。あるいは、同じ管轄区域内の感化院に入れられ二ヶ月をこえない期間、重労働を課せられる。

Ⅲ.賃金の引きあげ、労働時間の減少、変更、労働量の軽減、または、法律に反する目的のため団結すること。金銭の供与、説得・強制・その他の手段で故意に、かつ悪意をもって失業者が雇用されることを妨害すること。賃金を引きあげ、またはこの法律の規定に反する目的で、故意に、悪意をもって、雇用されている者に、その労働をやめるか、放棄するように説き伏せること。雇用者が適当と考える労働者を雇用することを妨害すること。これに違反したときは上述Ⅱのこれに違反した場合は、上述のⅡの刑に処される。
Ⅳ.労働者の賃金の減少、労働時間の変更、労働量増大のための雇用者、あるいは、他の者のあらゆる契約は無効でなければならない。これに違反して有罪宣告を受けた者は、20ポンドの罰金を課される。その二分の一は王室の収入となり、残りの二分の一は告発者と当該教区の貧民に与えられる。
 この法律では裁判に関する条項もを修正した。イギリスの裁判は複雑で、雇用者自身この手続を嫌って、実際に団結禁止法が適用されることが少なかった。従って陪審手続による裁判ではなく迅速な治安判事による即決(略式)裁判に変えた。また1800年法では、1799年法では「直接および間接」という曖昧な字句だったが「故意に、悪意をもって」という文言に代えている。Ⅳは使用者の団結も禁止するものである。従って雇用契約は雇主と労働者の一対一の個別契約でなければ不法であるということ、一対一ではない結合は使用者側も労働者も犯罪であることを明文化したのが本法の重要な意義である。
 高橋保(*1)、片岡曻(*10 74頁)もほぼ同じだが次のように要約している。
 (a) 工業労働者もしくはその他の者の間のの自己もしくは他人のためにする賃上げ、または労働量減少を目的とする契約を締結すること。(一条前段)
(b) 他人が適当と考える者を雇用することを阻止し、もしくは如害するための契約を締結すること。(一条後段)
(c) 賃上げまたは労働時間の短縮、変更もしくは本法に違反することを目的として団結すること。(三条)
(d) 金銭の供与、強制、脅迫その他の方法によって雇用を求めている者の雇用を如害すること。
(e)賃上げないし本法に違反する目的のために他の労働者を離職させるよう勧誘すること。(三条)

  (f)使用者が適当と考える者を雇用することを妨害すること。(三条)
(g」正当もしくは合理的な理由がなくして雇用中の他の労働者と労働することを拒否すること(三条)
(h)団結の結成または維持の目的で開かれる会合に出席し、またはその会合に出席するよう他人を説得すること、もしくはその目的のために金銭を集めること。

(i)本法に違反した者が必要とする費用を支払うために醵金すること、もしくは他人を勧誘して労働を拒否せしめるために金銭の供与その他の方法によってその他人を支持し扶助すること。
(j)罰則、(a)から(h)に違反した者は、三ヶ月以下の軽禁錮または二ヶ月以下の重禁錮、(i)の違反者については、醵金者は一〇ボンド以下、集金者および受領者は五ポンド以下の罰金。
(a)~(c)は賃上げ、労働時間の短縮もしくは使用者の営業の自由者のすべての団結を違憲無効として禁止したものである。
(d)(e)(f)(g)(h)は、ストライキ・ピケッティングに関するすべての行為を禁止するものである。(h)は労働組合の財政基盤である組合費の徴収を禁止、(i)は本法に違反して処罰される者のも生活上、訴訟上の援助を禁止するものである。 要するに労働組合の結成、集会、契約違反誘致、二次的争議行為も含めたあらゆる活動、組合費の徴収のすべてを禁止するものである。

○制定の経緯

1799年4月5日ロンドンおよび周辺の機械製造業の雇主たちから、下記のような請願が下院に提出された。
「機械製造職人の間には危険な団結が存在しており‥‥その企図は、賃金の一般的引き上げ、彼らの共謀に加わらない職人の雇用阻止‥‥その他の不法なる行為である‥‥職人たちはこの団結を支持する目的をもって、募金活動を行っており‥‥要求が拒否された場合は、職場は全ての労働者によって放棄される。‥‥このような怠慢者たちを罰する唯一の方法は、現行法の下では、犯罪行為のなされた後に四季裁判、または巡回裁判に告訴することであるが、その時にいたるまで、犯罪者たちはしばしば他の地方に逃げ出してしまい、そのため居所が知れたとしても、彼らを裁判に付するには長い時間がかかり、そのうえ、人身保護令によるならば、彼らを逮捕し、犯罪が行われた場所に連れもどすための費用は、職場放棄によって業務が停止させられている雇主たちに課せられた重荷となり、職人たちは大胆に、しかも無難に団結を保持しているのである。」‥‥」(*13)
 請願は受理されアンダーソン卿委員長に付託され、4月9日に報告がなされ機械組立工の不法な団結を阻止し、賃金の規制を治安判事に与える法案の作成が提案され6月に下院を通過したが、7月11日上院においてはより包括的な法案が上程されるとの理由で否決された。
 つまり6月11日に宰相小ピットWilliam Pitt (the Younger)は労働者の間では不法な団結が一般化しているためこれを阻止しなければ著しい弊害が生じる恐れがあるとして、自ら労働者の不法な団結を阻止する法案の提出を求めて許可された。これは特定産業のものではなく、全般的な団結禁止法であり、法案の準備はピット首相、法務大臣、大蔵次官ローズおよびバラックにより準備された。6月18日に大蔵次官より新法案が下院に提出、ピットの動議により法案は6月26日全院委員会に付託され、ホブハウスとバーデッド卿が反対したが、7月1日には下院の全ての審議を終了して、上院に回付、7月9日に上院を通過、7月11日国王ジョージ3世の裁可により1799年団結禁止法が制定された。
1799年団結禁止法は大前真の要約によるとのようなものだった。(*14)

①賃金の増額、労働時間の短縮、労働量の削減、雇用に対する妨害、経営に干渉することを目的とする労働者相互の契約は破棄しなければならない。
①②項のような契約に参画した労働者は、本人、または1名以上の証人の証言によって有罪となされる。
③①のような目的を有する集会および基金の募集を禁止する。
④被告に対する金銭援助、また、離業(ストライキ)に対する保証のための基金募集を禁止する。
⑤④項の目的ののための基金は、発見された場合、半額は国家が没収し、残りは通告者に与えられる。
⑥基金の存在が認められた場合、告訴された者は、自己に不利になるといえども、証言を拒否することはできない。
⑦基金の金額を裁判所に提出したものは無罪とする。
⑧上記目的のための団結について証言をなした者は無罪とする。
⑨治安判事は告訴がなされた場合、被告を法廷に召喚することができ、被告が応じない場合、逮捕することができる。また、必要と認める場合は、即刻、被告を逮捕して、裁判を行うことができる。
⑩治安判事は証人を強制招喚できる。
⑪上級裁判所への被告の上告は、2名の保証人と20ポンドの保証金を必要とする。
⑫この制定法による即決裁判は、治安判事によってなされる。
⑬罰則は、①②について、懲役2か月、または、禁固3か月、④については、基金の提出者に対して20ポンド以下、基金の募集者について5ポンド以下の罰金とする。

 同法に対してロンドン市長をはじめ各地から同法に対する多数の抗議と請願があり、1800年6月30日に宰相小ピットの政敵であったホイッグ党リチャード・ブリンズリー・シェリダンRichard Brinsley Sheridanの努力によって、請願が下院により検討されることとなった。これに対してピット首相は1799年団結禁止法の原則は正当なものでは若干の字句の修正は必要だとしても効力を弱めるに反対した。
  法案の修正結果は、第一に、治安判事の即決(略式)裁判における判事を「一人ないし一人以上」から「二人ないし二人以上」に代える。第二に治安判事は関係産業の雇主ではならないとし、第三に処罰の対象となる仕事を放棄するよう説得する試み等に対して「直接および間接」の語を「故意ないし悪意」の語に代えて曖昧さをなくす。第四に仲裁事項を設けた。この仲裁事項は、賃金ないし労働時間の紛争に際して当事者は仲裁者を指名でき、その裁定に従えない場合は治安判事に委ねて最終的な裁定を受けるというものであるが、検事総長が強く反対した。これをやると賃金が固定化する傾向を持ち、雇主が労働者の指名した不適当な人物と会うことを余儀なくされてるという意見であり、ピット首相もも検事総長を支持したものの、結局盛り込まれることとなったのである。(*13)
仲裁事項を設けたことは、経済的自由主義の観点では問題があったが、法案の原則は維持されたと考えられる。

○1799年-1800年 団結禁止法の意義と評価
 全般的団結禁止法を提案した小ピットはトーリー党の政治家で1783年24歳で首相に就任し18年間政権にあった。軍事指導力を疑問視されているが清廉潔白な人柄で行政・立法・外交能力は評価され名宰相と称される一人である。
 小ピットが深く関わった団結禁止法をどう評価すればよいだろうか。
(神崎和雄説 社会不安の予防、革命の防止を目的としていた(*13))
 イギリスの産業革命は18世紀末期に急速に進展した。1788年頃には143のアークライト型水力紡績工場が存在し、80年代のワットによる蒸気機関の改良によって大工場工業の萌芽がみられ、1800年には全イギリスで321台の蒸気機関が稼働していた。
 神崎和雄は、当時40~50の業種別、地域別の団結禁止法が存在し、コモンロー上の共謀罪もあった。加えて「通信協会禁止法」などの政治的結社や集会に対処する制定法もあり、全般的団結禁止法を制定しなければならない必然性はなかったという。従って全般的団結禁止法の立法目的は18世紀末期の急速な産業革命の進展、「囲い込み」、ナポレオン戦争が重なった結果として生じた社会不安の予防策、革命の防止策であるという。なるほど当時、イギリスには組織的で有効な警察力はなく(ロンドン警視庁の創設は1829年である)、労働者が引き起こす騒擾への対処は軍隊に依存していた。小ピットは1792年に軍隊を民家に分宿させる古い習慣を廃止し、兵舎建設計画により港湾や主要な工業地帯に軍隊を駐屯させただけでなく、フランスの侵略に対処するという名目で民兵を廃止し、「義勇兵連隊」や「騎馬警察隊」を創設したが、これはフランスの侵入に備えるというよりも国内の治安維持が目的だったといわれる。(*13)
 社会不安の予防策も立法目的として認めてよいと思うが、それは一側面にすぎないのとのではないだろうか。
 (ダイシー説 Old Torismの保護主義である*10 71頁)
 団結禁止法を成立せしめてた世論の構成要素として(イ)団結に対する恐怖、(ロ)トーリー主義における保護政治の伝統、を指摘する。労働者は慣習的賃金で労働する義務を有し、失業労働者に対して扶助を与えることは国家の義務である、というOld Torismの保護主義が生んだ。当時の慈恵的政策の典形たるスピーチナムランド法を生んだ同一の政策表現とするものであるが、これは第14条(XIV. [Act not to abridge powers now given by law to justices touching combinations of manufacturers, &c.])において産業ないし賃金を規制する法律を廃止しない旨の明文の規定をおいたことより、進歩的な政策ではないとの見解をとっているが、片岡曻はこの点について、すでに無用となった治安判事による賃金規制方式をみ容認しとたにすぎず、それにともなう労働者の団結禁止に重点がおかれたものであり、徒弟条項の徒弟事項にについて同法が大打撃を与えたことと併せて考えるならば、同法の性格は近代的労働関係を支配する自由の原理である(*10 78頁)。とする批判がある。ダイシーも一面的な見解と云うべきだろう。
(片岡曻説 「労働の自由」の原則の貫徹である*10)
 プロレーバー労働法学者片岡曻は勿論敵対視しているが、団結禁止法を「労働の自由」という原理的基礎のうえに把握されるべきものであり、近代的労働関係を支配する自由の原理にもとづくとみなした点は、この制定法が治安判事による賃金裁定という規制を容認いる点を除いて大筋で妥当なものであると私は考える。
 それまでの労働立法がマスターとサーバントの身分関係を律する前資本主義的な性格を有していた対し、1799年-1800年 団結禁止法は労働者の団結のみならず使用者の団結も禁止していることから片岡は「ほかならぬ労働の自由そのものを確立しつつあった産業革命のただなかに姿を現した労働者の団結に対し「労働の自由」の原理を強要し、これを「労働の自由」の原理的埒内に名のもとに労働組合を禁止したとする意義が最も重要であると考える。」(*10 70頁)としている。
 つまり団結は個々の労働者の自由意思を歪めるものとして禁圧し、「労働の自由」(経済的にはそれを通じての絶対的剰余価値の無制限な生産)の原則の貫徹のために新しい制定法を必要としたというのである。
 もっとも、片岡曻は立法経過から経済的自由主義を原理としているとは述べていない。団結禁止法が「労働の自由」原理的基礎としている論拠は徒弟に関する前期的立法廃止目前の1811年の議会の特別委員会の報告書の次の見解なのである。
 「取引の自由ないし、各人が自己の利益に最適であると判断するが如き方法及び条件で自己の時間ならびに労働を処分する完全な自由に対して立法がなす干渉は、いかなるものも必ず、社会の繁栄と幸福にとり第一義的重要性をもつ一般的諸原則を侵犯し、最も有害な先例を作り、或いは極めて短期間の後に一般的苦痛の圧力を増大することになるだろう。」
 これはまさしく完全な経済自由主義的見解である。しかし11年のタイムラグがあり因果関係は明らかでない。しかし各人の取引の自由にとって、使用者の団結も労働者の団結も敵対するものであるから、団結禁止法もそうした18世紀末期から19世紀初期の自由主義的経済思想を背景として立法化されたという理解は大筋で誤ってはいないと判断する。
 実際、現代において最も自由主義的な労働立法はニュージーランド国民党政権1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)であり、「労働組合」も「団体交渉」も消し去り、労働関係を個別雇用契約によって処理した。この場合、労働組合は個人の雇用契約の代理人たる立場に権限が縮小された。
 使用者の団結も労働者の団結も違法として、個別契約による労働の自由を確保した団結禁止法の思想に通じるものがあることは云うまでもない。そのような意味で現代的にはより先進的な労働政策が団結禁止なのであり、そのような意味で団結禁止法も再評価されるべきである。
 従って、この世の敵ともいえるがこの制定法の性格の分析に限って上記の片岡曻の見解に従いたい。
 なぜイギリスが逸早く18世紀後半に産業革命に到達したのか。私はウェーバーテーゼを否認しないが、一つの要因として、名誉革命期までに、いわゆる「初期独占」が完全に崩壊し、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門を社会全体に解放していった営業の自由の確立があり、コモンロー裁判所が1563年職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きにして労働の自由が進展した先進性を挙げてよいと思う。「労働の自由」の原理はコモンロー上の営業制限の法理の進展の成果でもあるが、私が思うに本件は制定法であるが団結禁止は イギリス憲法の基本原理を構成する法の支配の帰結という側面もあると云っても好いのではないかと考える。イギリスでは憲法の一般的諸原理は裁判所に持ち込まれた特別な事件において私人の権利を決定する諸判決の結果なのである。イギリスでは,私法(privatelaw)の諸原理が、裁判所と国会の活動によって、国法および国の従僕の地位を決定するまでに拡大されてきた。(*15)
 岡田与好が云うように本来の営業の自由は、国家からの自由ではなく、私人間に於ける
営業独占や営業制限からの自由であって、このような自由が確保されることが「公序」パプリックポリシーつまり公共の福祉と表明してきたのがコモンローである。(*16)は 既に述べてきたように、1783エックレス事件でマンスフィールド卿は、使用者の団結(カルテル)も、労働者の団結も共謀罪であると断言し、1799年のハモンド事件でケンヨン卿は労働者団体を「一般的共謀」と断言したように、営業制限の法理とコンスピラシーの法理によって、団結がコモンローに敵対する者であることは明白だったと考えるからである。つまり団結禁止法はコモンローのパブリックポリシーとは対立しない制定法といえる。
 もっとも片岡曻の見解はプロレーバー労働法学者なので敵対視しなければならないことを申し添えておく。
 あくまでも私は片岡の見解について「労働の自由と」と「団結」が本質的に共存不可能で相容れないという認識を示している点については留保つきで同意する。留保というのは、「団結」を個人の「労働の自由」の総和という共存可能とみなす1825年法的団結放任論を私は否定しないからである。「団結」が個別的自由の総和ということは、個人主義的私法観を前提としており、他者の労働の自由の侵害は許容されない。
 私は、団結禁止が最善だが、個人主義的私法観を前提としての団結放任は次善の選択として認めるからである。
 しかしプロレーバー労働学者は、団結とは構成員の個別的意思に対する外的規制=強制であり、個人の自己決定を全面的に否定するものとして捉える。個人の権利の一部譲渡という性格でもありえない。労働組合に権力を付与する立場であるから、団結を放任しつつも、ピケッティングを厳格に規制し、他者の権利侵害を違法とし。非組合員の権利の侵害を否定する在り方にとなる団結=個人の労働取引の総和論に反対するのである。
 片岡曻は次のように団結を定義している。(*10 8ページ)
「「労働の自由」の理論構造のうえでみるならば、労働者の団結は、明らかにこれと対立的な性格の存在である。‥‥一見、それは労働の「自由」の当然の帰結であるかのようにに見える。しかしながら、団結構成員の自由な意思を通して現れる結果は、また自由の否定を意味する。労働者の団結は、個々の労働者の自由な取引の部分的譲渡によって成立するものではなく、個々の労働者の意思を超えた、従ってかような個別的自由の単なる総和でもなければ、それに解体することもできないところの、一個の独自な存在である。団結は、各個の労働者がその自由をいわば包括的に団結に対して委ねることによってのみ成立する。それは、団体の構成員である個々の労働者の自由意思に対する外的規制=強制の成立を意味するであろう。構成員の個別的自由意思に即時的に根ざすものではなく、個人の自由意思をモメントとして構成される「労働の自由」のうちには、当然に包摂されえない異質的存在というほかない。‥‥団結が単にその構成員の自由意思を規制=強制して統一的意思に基く組織的活動を打出すということのほかに、かかる規制=統制を、直接間接に団結外の第三者、殊に未組織ないし非組合員たる他の労働者及び使用者に対しても及ぼすことを意味する。‥‥「団結は、その存在そのものによってその構成員の自由を制限し、または局外者の自由をたえず制限する」(Dicey,p153)
 この団結の定義は労働組合寄りのものであるから勿論鵜呑みにしてはならない。団結権とは端に団結によって処罰されない権利程度のものとする見方があるからである。
 つまり団結権のプロレーバー的解釈が、個々の労働者の労働力処分の自由を侵害して強制力をもつという見解なのである。
 プロレーバーつまり敵方は労働者は個別取引が否定され団結において労働力取引を強制することこそ階級的利益でりそれが労働者階級の義務と考えている。しかし私は取引の自由ないし、各人が自己の利益に最適であると判断するが如き方法及び条件で自己の時間ならびに労働を処分する完全な自由こそ社会の繁栄と幸福にとり第一義的重要性を有するという思想に同意するから、この点については天地がひっくり返っても妥協することはありえないのである。

*1高橋保 「イギリス労働法における共謀法理(コンスピラシー)の形成と展開」 『創価法学』7(4)〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0013392X/ISS0000435233_ja.html
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952

*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*13神崎和雄「イギリス団結禁止法(1799-1800)に関する試論」『関東学園大学紀要』10集
  *14大前真「イギリス団結禁止法の研究--1799・1800年法と労働運動 」『人文学報』京都大 (通号 40) [1975.12]9
*15猪俣弘貴「ダイシ-と行政法についての覚書」『商学討究』(1989), 40(2): 55-79〔ネット公開論文〕 PDF http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/1625/1/ER_40(2)_55-79.pdf
*16鷹巣信孝「 職業選択の自由・営業の自由・財産権の自由の区別・連関性(四・完)- いわゆる「営業の自由論争」を参考にして」『佐賀大学経済論集』32(5) 〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/naid/110000451612/ 

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(10)

1799-1800年団結禁止法の実効性について

 ところで1799-1800年全般的団結禁止法の下でも多くのストライキが起きている。浜林正夫(*16)によると、1801年王立造船所、1802年民間造船所、ウィトルシャの羊毛刈り込み夫、1808年ランカシャーの綿織物工、1809年石炭不運搬船、1807年ランカシャーの綿織物工、1810年炭坑夫・綿紡績工、1812年スコットランドの炭坑夫、1814年機械編み工、1816年ウェールズの炭坑夫、1817年機械編み工、1818年綿紡績工と、綿織物工、1819年毛織物工‥‥という具合である。特に1810年の綿紡績工のストライキは、ランカシャー一体に広がった大規模なもので4か月間続いた。各地から毎週1500ポンドのカンパが寄せられ、通常の賃金の半分が支給されていたが、カンバが減り始めてストが中止されたと云う。
 大沼邦博によると、同法の定める刑罰が比較的軽微なものであったことや、実際に処罰された事例がさほど多くなかったことから、必ずしも弾圧立法として猛威をふるったわけではないとされ、むしろ労働者の団結活動を抑圧したのは、コモンロー上の共謀罪であり職人規制法や主従法であったと云う。その理由として当時の警察制度の不備と、公訴官の制度を欠いていたことと、雇主が労働者の告訴に必ずしも積極的ではなかったとしている。
 イギリスの場合、組織的で有効な警察力に欠いていたというのは、団結禁止法の実効性の乏しさと関連しているように思える。ロンドン警視庁の創設は1829年であり、地方警察の整備はそれ以降のことであった。日本の徳川時代、江戸・大坂など主要都市に於ける町方の騒擾事件がきわめて少ないことと対照的である(大塩平八郎の乱は幕府の役人が近郊の農民などを煽動したものであって純粋に都市民の事件ではない)。
 雇主者が告訴に積極的でなかった理由として大沼は「熟練職人の階層的地位がなお、相当に高く‥‥熟練職人の「同職クラブ」は組合員の救済や渡職人への援助、職業紹介といった重要な機能を果たしており、無くてはならぬものとして定着していた」ことを挙げている。
 私が思うに 20世紀初期までの欧米ではクラフトユニオンの直接請負が広範に行われていた。間接労務管理である。管理者は技術的知識に優れていても、職務遂行の内容、作業方法を細部まで把握できなかった。従って管理者側に人員配置や賃金決定の能力に乏しい場合は、熟練労働者の仕切る間接労務管理とならざるをえない。それと同じことのように思える。労働組合がいかに法的にコンスピラシーであり、「労働の自由」の原理に反するといっても、絶滅させることがこれまで難しかったのは、使用者側がクラフトユニオンを利用しなければ立ちゆかない状況というものがあったからだと考える。
 全般的団結禁止法から二百年以上を経過したが、本当の意味での団結禁止はクラフトユニオンに依存する必要性が無くなった現代で可能であると云うことだろう。
 しかしながら、大沼邦博は全般的団結禁止法、実際に告訴しないまでも、団結を掣肘する一般的抑止効果を認めている。このことは1924年の団結禁止法廃止で、争議行為が多発したことで明らかである。

*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年 53頁
*18 大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連して 」『関西大学法学論集』 38(1) [1988.04]

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(11)

1824年団結禁止法の廃止とその意味(1)

 意外なことに、全般的団結禁止法は、ロンドンのテーラーでありベンサム主義者のフランシス・プレースと、急進主義庶民院議員ジョセフ・ヒュームの個人的信念と努力で1924年にあっけなく廃止された。(なおこの結果、争議行為が激発したため、早くも1825年に政策が見直されるが、団結禁止法を修正した形の1825年法が制定される。この意義は別途検討する)
 私はベンサム主義(コモン・ローの否定、社会工学的法治主義)に強く反対であり当然批判的な見方をとるが、つまり、この制定法はコモン・ローの共謀法理による刑事訴追をできないものとした点で無茶苦茶なものであると考えるが、その歴史的評価は難解である。なぜならば団結禁止法撤廃の指導者であるフランシス・プレースは今日でいう労働組合主義者ではなく、団結禁止法の廃止によって楽観的な団結(労働運動)の消滅という見通しを持っていたことである。つまりプレースはこう云った「団結はただちになくなるだろう。人々は長い間この法律(団結禁止法)の抑圧によってのみ連携を保っていたのである。これらの法律が撤廃されれば、労働者が集団として固まる根拠を失うであろう。すべてはクェーカー教徒でさえそうありたいと望むような秩序あるものになるだろう」と。(*18)これは賃金基金説という経済学説の影響があるが、この点については次回検討する。

 1824年法について中西洋は次のように要約する(*19)
(イ)1800年法を含むすべての団結禁止法を廃止し〔1800年法の仲裁に関する規定18~22条は廃止されない〕
(ロ)以下の目的のためにする労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追
、処罰をも受けないものとした。
(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えること。〔使用者の団結も同様に免責〕
(ハ)ただし、以上の諸目的を追求する諸行為を、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者は〔個人としてなす場合にも、団結してなす場合にも〕2月以内の禁錮(あるいは重労働)に処せられる。

 
○きっかけとなった1810年タイムズ植字工事件
 キーパーソンとなるフランシス・プレースが団結禁止撤廃を強く考えるきっかけとなったのが、1810年のタイムズ植字工事件である。これは19人のタイムズ紙の植字工が賃上げの要求が認められないために労働を中止し1800年団結禁止法に反し使用者に「悪意をもって損害を与える」ために団結し共謀したことがを理由に起訴されたものでね、判決はなる程各人は自己の労働に値するというと考える賃金を要求する権利を有し、またそれはわが国の法であり、理性の法である。しかし、それを要求する仕方が重要であって、団体をなして行う場合は違法である。と判示した。この事件は団結禁止法のもとで労働者の団結が制定法上の金委行為に該当するにももかかわらず、コモンロー上違法であることを明らかにしたことで重要な事件とされる。(*10 101頁)
 
○ 団結禁止法撤廃までの経緯(1)
 プレースとはいかなる人物か。1777年生、14歳のとき革製造工となり、1793年にストライキを指導8か月解雇され、翌年、職人組合の幹事となれ小ピットの弾圧政策により逮捕、三年間投獄された。投獄中に政治経済を独学したと云われる。1801年にロンドンで仕立屋を開き、年間1000ポンドの収入を得、収益を労働運動を投入した。プレイスの店の裏に図書館をつくり、団結禁止法撤廃の急進主義者の集会場となっていった(*12)。プレースは熱心なベンサム主義者である。団結禁止撤廃はベンサムやマルサスも支持したといわれる(*17)。又プレースはミル、オーエン、ゴッドウィンとの交友関係があった。1818年仕立屋を長男に譲り、自らは団結禁止法撤廃運動に全力を注ぐ態勢をとり、「ゴルゴン」紙という労働者向けの新聞を援助すると、「ゴルゴン」紙を通じてジャーナリスト・経済学者であり「スコッツマン」紙の発行者だったマカロック(J・B・McCulloch)と下院議員で急進主義者のジョセフ・ヒュームという重要な撤廃支持者が現れた(*12)。
 1824年2月ヒュームの団結禁止法撤廃の特別委員会を設置する動議が認めらた。ヒュームは特別委員会の公聴会で、証人には自分の自宅で証言の仕方を特訓させただけでなく各地の請願運動も組織するなど巧みな作戦をとった(*17 69頁)。
 
 5月21日特別委員会の結論として団結禁止法について次の11項目が発表された。要点は以下のとおり(*12)。
1 労働者が賃金をひきあげたりする目的として、ストライキなどを伴った団結が、国内の広範な地域に存在したという証拠がえられた。そして現在の法律はこのような団結を阻止するために効果的ではなかった事が明らかになった。
2 労働者の団結を伴うストライキは、暴力行為を伴い、雇用者と労働者の双方にとって損失が生じ、かつ社会にとっても、かなりの不都合と危害が生じた。
3 雇用者は労働者の賃金をひきさげるため、または、雇用者の定めた労働条件に同意しない労働者を解雇するために団結した。このことは、ストライキや暴動をひきおこした。
4 団結した労働者に対する法律にもとづく告発がしばしば行われ、労働者は長時間投獄された。
5 賃金をひきさげるために団結した雇用者に対する告発のいくつかは存在したが雇用者が罰された例はなかった。
6 この法律は、雇用者あるいは労働者に団結を阻止するために充分でなかったばかりでなく、これに反して、両者の意見では相互の不信感を生み出し、かつ、団結に対して暴力的性格を与える傾向ををもった。
7 特別委員会は、労働者および、雇用者間の賃金と、労働時間について取り決めは完全に彼らの自由に委ねられるべきであると結論した。
8 それ故、雇用者と労働者間のこれらの事項に干渉する制定法は撤廃されるべきである。そして、また雇用者と労働者の平和的会合が共謀罪として告発させる普通法は改正されるべきである。
9 労働者の相互扶助のための賃金がストライキの資金に流用されていたことがしばしばあった。これは不当なことである。
10 雇用者と労働者の紛争の仲裁を指導し、規定する法律は強化され、修正され、かつ、すべての業種に適用可能なものにされるべきである。
11 団結禁止法撤廃後、脅迫、威嚇、暴力行為によって、自己の労働、あるいは自己の資本をもっとも有効であると考える方法で用いることについて完全な自由を妨害する労働者、または雇用者は処罰される法律を制定することは絶対にら必要である。
 要するに団結禁止がかえって、団結の実態を隠してしまい話し合いができなくなり、相互に不信感を増長させ、ラダイトのような過激な運動を引きおこし、団結に暴力的性格を与える傾向をもたらしたから廃止すべきだとし、1820年代の行政ニヒリズム(自由放任政策)の考え方から、団結も自由放任という主張を行ったのである
 この報告の後、1824年6月5日特別委員会の原案どおりあっさり議会を通過した。この最終審議は議会内でも知らない議員が存在したといわれるほど簡単に成立してしまった。
 片岡曻(*10 104頁)はプロレーバーの立場からベンサム主義者ブレースの推進した団結禁止法撤廃の意味はレッセフェール推進の考え方だったとして批判する。
「団結禁止法の廃止は、理性ある労働者にストライキの無益さを自覚させ、その結果労働運動を消滅させ得るものと考えた。彼並びに彼によって代表せられる立法的世論にとって最大の価値を有したものは、団結そのものより個人的自由だったのであり、ただそこでは、国家によって加えられる抑圧は、労働組合によって加えられる抑圧と同様に嫌悪すべきもの、労働者階級を改善するに何らの役割も果たしえないものと考えられたにすぎない‥‥かかる立場に立てば、労働者が自己の自由意思に基づいて労働力売買の条件について討議し、合意することは自由でなければならない。労使が集団的に、労働力の売買につき討議し、合意する事もまた、個々の労働者、使用者の自由に制約を加えない限り、同様に自由である。その意味において、団結禁止法の廃止は、個人的自由、契約自由の拡大を意味する。‥‥そこにいう団結は、個人の自由の単なる延長であり、本来取引の自由である「労働の自由な取引」として承認らられるものにすぎない。それは「個々の労働者の自由の自然的表現」にほかならず、かつそのようなものとしてのみ容認せられる。団結は個人の自由に解体せしめられている。そこでは団結は、個人の自由、労働力取引の自由に制約を及ぼさないという厳格な制限に服し、かつ個人の団結不加入の自由が個人的自由の自然的表現たる団結と同様に尊重される事を前提として認められ得る」
 要するに団結禁止法の団結が個別契約の自由の侵害なので禁止するという立場とは異なり、労働力の売買において集団的売買をとることも個人の自由であるから、団結を禁止しないという趣旨である。
 
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(12)

営業制限の法理、共謀法理に正反対するマカロックのばかげた団結禁止法廃止論

 団結禁止法撤廃に経済理論を提供したのが経済学者マカロックの団結放任論だった。それは暴力的手段による個人の自由を基準とする任意の団結Voiuntary combinationsとの峻別である。
 1824年の『エディンバラ評論』でこのように云う。「暴力的手段による、すなわち、他人に対して、自らの欲する賃金率で働くことを強制的に妨害しようとする一群の人々による団結拡張の一切の試みが、適当な処罰によって直ちに抑圧されるべきであるということは、一瞬たりとも疑義ないし躊躇を許すものではない。しかし、隣人の業務を暴力的に妨害する労働者の行為を防止するための干渉と、彼ら自身の間で形成する任意の合意を抑圧するための干渉との間には著しい差がある。前者は明白かつ直接的な平和の破壊であり、後者は、すべてのひとが生まれながらに与えられている自由の行使にすぎないように思われる。任意の団結の究極の結果がいかなるものであれ、多くの諸個人が一定の価格以下では彼らの労働を売らないし、また一日当り一定時間以上働かないと合意することには、不正もしくは不道徳なものは何もない‥‥」さらに「労働者が、労働の販売の条件を相互に協定することを妨げられているかぎり、彼らは自己の欲する仕方で労働を処分すことを許されていると主張することは、明らかに誤りである‥‥」(*20 96頁)と述べ、任意的団結の抑制は権利の侵害と述べている。
 暴力や強制でない限り任意の団結は害悪ではないという主張だが、労働者の実態をとらえていない非常に甘い考え方であると思える。
 例えば後にハスキスンが1824年法を修正するための、1825年3月29日特別調査委員会設置提案で述べている団結の実態とは、(1)雇用主に対しその事業を指揮する方法を命令する。(2)雇用主が徒弟を雇用すべきか否かを指示する。(3)労働することに対する個人の遺志を妨げる(4)各労働者は同じ賃金支払いを受けるべきという原則を押しつける。(5)自分たちの定めた条件に従わない労働者に重い罰金を支払わせるということである。つまり団結とは事業経営の干渉し、個々の労働者の契約の自由補を犯し、各個人に干渉することを常としているものであるという指摘にあるとおりである。(*18)
 重大なことはマカロックの主張は、コモン・ローの営業制限の法理、共謀法理と敵対する正反対の主張であるということである。すなわちイギリス法における「営業の自由」の原則とは、ホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由に対する干渉の危険を冒してでも、営業に対する干渉がおこなわれることがないよう注意してきた。というのは個人の営業の自由の制限はすべて国家の利益にとって有害なものであるがゆえに、それらに反対することが公序であるからである」
 「営業を制限する合意」について『イギリス法』は次のように分類する。(1)営業の売手と買手の合意(2)共同出資者の合意(3)使用者と雇用者の合意(4)競争の排除・縮減、算出量の規制等々を目的とする独立の営業者あるいは営業者群の合意(5)雇用者たちに対する統一行動を目的とする使用者相互の合意(6)使用者たちに対する統一行動を目的とする雇用者相互の合意、である。カルテル協定、使用者団体、労働組合等における加盟者自身の自由の制限などを「営業制限」と云うのである。(*20 57頁以下)
コモン・ローの「営業制限の法理」は個人の自由と団結に無条件の敵対関係を設定したものであり岡田与好は「18世紀的自由主義」と呼ぶが、マカロックの主張は団結が-任意のものである限り-財産の自由を根幹とする個人の自由と原理的には対立しないという思想で、J.S.ミルも同じ考えを示しているが、団結の諸結果に対して無責任な甘い考えだと私は思う。
 
 マカロックが、団結禁止法撤廃後に楽観的な見通しを持っていた論拠として「賃金基金説」がある。これは賃金とは労働者の数と、賃金支払いに当てられる資本(基金)の量で決まるという単純な学説である。
 労働者の賃金の増大する場合は(1)労働者一定であるとすれば資本(基金)が増大する場か、むもしくは(2)資本が一定であるとすけば労働者が減少する場合、その逆が賃金が減少する場合だと云う。
 そして賃金は市場の自由な競争によって調整されるべきであり立法府による支配をうけるべきでないという自由放任の主張を述べ、労働者の賃金が適正な賃金率より低い場合は適正水準まで団結により引き上げることは可能としつつ、一方でストライキを行えば、賃金の低い関連産業部門の労働者が職に就き、スト参加者は職を失うか、以前より低い仕事に就かざるをえなくなるから、団結は意味を失うと云うのである。(*18)
 以上の見解は、任意の団結なので適正水準以上に賃金を引き上げることによりストは敗北するという前提に立っているが、現実はそのようなものではありえない。ストにより適正水準以上のべらぼうな賃上げも何回もあった。イギリスの組合がクローズドショップで労働市場を支配し、ピケットやスト破りを閉じこめるなどしてスト破りに就業させない妨害をしたり、経営者と労働組合がなれ合いで、スト参加者を解雇せず、継続雇用するような慣行二次的争議行為、二次的ボイコットやゼネストなどによって社会が混乱する事態を想定できなかったのだろうか。団結が生産工程を支配し、労働量を規制することにより生産性を低下させることなども計算に入れていないマカロックなど団結放任論者の考えはあまりにも甘い空想に過ぎなかったのである。

*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(13)

   1924年の団結禁止法撤廃の批判的検討-その前書き

  19世紀前半はベンサム主義の時代だった。団結禁止法の撤廃もベンサム主義者の仕業であったが、。プレイスが運動を組織し、マカロックがその原則を『エデインバラ評論』誌上で理論化し、ヒュームが議会で立法化に努力した(*21)かれらの団結放任の主張は、今日のプロレーバーが主張するような団結権ではないことはすでに述べたとおりである。 個人の取引の自由として団結=「労働の販売の条件を相互に協定すること」を放任する趣旨であリ、それは自発的な団結である。買占め禁止法や高利禁止法の撤廃と同様に、個人の自由の拡張を契約の自由の名において展開したベンサム主義的自由主義の法改革の一環となったのである。
 しかし、これを自由放任政策として評価することはできない。1924年法は(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少に関する団結のみならず、(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えることは、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者以外はコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けないものとしたことは明らかに行き過ぎであり、実質的に他者の契約の自由を侵害する側面が多分にあった。

  団結放任というベンサム主義に対抗するコモンロー裁判所の対抗論理が「営業制限の法理」である。これは、私人間の自由な合意(契約)にもとづく「営業の制限」をコモン・ロー裁判官の政策判断たる「公共の政策(Public Policy)」により違法とする事によって「営業の自由」の原則を実現しようとするものであるが、団結禁止法が廃止され後、1925年以降本格化する。
  ホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由に対する干渉の危険を冒してでも、営業に対する干渉がおこなわれることがないよう注意してきた。というのは個人の営業の自由の制限はすべて国家の利益にとって有害なものであるがゆえに、それらに反対することが公序であるからである」
 「営業を制限する合意」について『イギリス法』は次のように分類する。(1)営業の売手と買手の合意(2)共同出資者の合意(3)使用者と雇用者の合意(4)競争の排除・縮減、算出量の規制等々を目的とする独立の営業者あるいは営業者群の合意(5)雇用者たちに対する統一行動を目的とする使用者相互の合意(6)使用者たちに対する統一行動を目的とする雇用者相互の合意、である。カルテル協定、使用者団体、労働組合等における加盟者自身の自由の制限などを「営業制限」と云うのである(*20)。
 
 19世紀初期の労働組合は団結禁止法のもとでも、共済互助団体という偽装で存在していたが、労働時間、労働量、賃金に関する自由な契約を制限し統制する協定、つまり加盟者自身が自由を制限してしまう在り方そのものが「営業制限」として違法というポリシーであるから、労働組合の余地を認めないのが「営業制限の法理」であった。
 労働の販売の条件を相互に協定することそれ自体を個人の営業の自由の侵害とみる。個人の契約の自由として、労働の販売の条件を相互に協定することを認める団結放任の思想は、本来180度反対の思想である。
 私は、最善の政策が前者で、自発的団結放任は好ましくないが、団結強制よりましということで次善の政策という考え方である。
 
 
 その理由のひとつを述べる。例えばマンションの管理組合で、地デジ変更のためにスカパーを見られるようにしますか、しませんかとアンケートがあり、受信料はたいした金額じゃないし私は当然スカパー!も見たい。チャンネル桜も見たいし、スカパー!に投票しても、そうならないことがありうるのは、非常に不愉快であるが、マンションの所有者じゃないから、自分の希望と反してもやむをえないと思う。
 しかし、自己自身が所有する財産については政府の正当な干渉(例えば徴兵・税金)以外、原則自由であるべきだと考える。私有財産には自己自身の身体も含まれる。職人にとっては腕、芸人なら芸そのものが資本というのと同じである。経営者が持っている工場や機械と同じで、いかなる貧乏人でも身体能力・労働能力があればそれ自体が資本であるからだ。
 原則というのは、ユニオンショップやエージェンシーショップにおける組合費の強制徴収には反対だが、暴力団のみかじめ料、弁護士会、公証人会,弁理士会司法書士会,土地家屋調査士会,税理士会,行政書士会,水先人会,公認会計士協会といった強制加入団体の是非については検討する余裕がないので態度を保留にするためである。
 実際問題、社会生活で脅迫され、威嚇され、威圧され、統制され、規制され、個人の労働力処分の自由と財産権を侵害しているのは労働組合とそれに結託する東京都管理職なのであるから。私の敵は暴力団はなく労働組合なのでる。それ以外の中間集団については態度を保留したい。少なくとも私は暴力団より労働組合が圧倒的に害悪という認識である。暴力団は必要悪かもしれないが、日弁連と労働組合は巨悪、不必要悪という認識である。
 我が国において、例えば、携帯電話の加入は私人-私企業間の自由な契約で行われている。契約相手をドコモ、au、ソフトバンク、ウィルコム、イーモバイル、どこと契約しようが自由であるし、もっとも2007年に総務省がインセンティブモデルを規制したために格安端末は買えなくなったが、政府の規制以外どのような機種・機能・料金プランを契約しようが自由であり、第三者が干渉することはない。それはあたりまえである。契約代金は私自身が支払うからである。労働組合のような第三者が干渉して、この会社を選びなさい、この機種をこの値段で契約しなさいと強制されることは全くない。
 私がスーパーでウィスキーを買うのに、バーボンを買おうが、スコッチを買おうが、国産を買おうが全く自由である。なぜならば、私が所有する現金で支払うからである。労働組合のような第三者が干渉することはない。

 現代社会の癌とは私人の所有する財産をどう処分するかは所有者の自由という原則を、労働力取引では否定される労働組合主義にある。仮にホワイトカラーエグゼンプションが制度的に導入されても、我が国において集団的労働力取引を基本としている体制であるため、過半数組合が同意しなければ、労働基準法の適用除外にならない。あくまでも労働組合が支持することが前提になっている。
 個別労働者はそちらのほうがずっと働きやすいし、成果や実績によって収入も増加し昇進も望める個別人的資本管理のほうが経済的にも有益であるとしても、組合がノーと言えばそれを選択できない。
 19世紀においては中で一定のまとまった工程を請負人(contractor) と呼ばれる熟練工が管理し、その配下の職工を使って生産を行う「内部請負制」と呼ばれるシステムがとられていた。使用者側の管理職が生産工程を管理できなければクラフトユニオンの内部請負として工場を操業せざるをえない。しかしクラフトユニオンの熟練工の差配に依存しなくても、工場を操業できるようになった以上、労働組合は不用なのである。不用になってもなお労働組合が絶滅せず残っていること自体が問題なのである。
 私人が自己自身の身体や頭脳を使う労働力の取引たる雇用契約は、本来、自己の身体と頭脳の所有者である私人の自由である筈のものだが、現代の我が国においては雇用契約の自由はない。
 第三者である労働組合が労働時間、働き方、労働の場所ですら規制・統制される。粉骨砕身働くことを妨害し、いかに貢献しても評価されないし、労働時間の規制のために、達成感に乏しい働き方を強要される。土日出勤も泊まり込み頑張って働いている人より病気休暇や育児休暇を取って楽にやっている人が圧倒的に尊重され、好い処遇が与えられる悪い企業風土で働くことになる。それでも真面目だから黙示的誠実労働義務という道義心だけで責任を全うすべく働きますが。
  
  土日出勤が労働組合との事前協議事項とされ、規制されることが仕事がはかどらない最大の要因である。日曜日は通勤も楽だし、静かな環境で能率的に仕事ができる。仮にブルーサンデーでも月曜からエンジンがかかるから一週間の仕事をスムーズに進めることができる。周囲に迷惑もかけず、業績も上げることができ当人にとっても有益なのに、いくら望んでも選択できないわけである。
  我が国の1990年代以降の経済低迷の主要な要因が「時短」であることは林=プレスコット理論によりはっきりしている。それは単に週休2日制の普及と 云うことでなく、共産党や労働組合の突き上げで、不払い残業を摘発する風潮などから、むしろ使用者がコンプライアンスを理由に労働時間規制を強めている状況を含んでいると思えるが、そもそも、労働基準法が社会主義的で過重に労働者を保護するもので。本来当事者の随意契約であってしかるべき、雇用契約の自由を侵害するものであって、産業構造が大きく変化しているのにホワイトカラーが工場労働者のように週40時間を原則とするモデルでは、生産性が低下するのは当たりまえである。 
 
 
  労働者保護立法を廃止または規制緩和あるいし反労働組合政策をとったイギリスやオーストラリアでは労働時間は増加している。時短先進国のドイツやフランスでも時短が見直されているにもかかわらず、我が国では政府と連合が協力してワークライフバランス、次世代育成支援政策として有給休暇完全消化とか、 東京都でも定時退庁促進、ノー残業デーの推進などといった救いようのない「時短」政策をやっている。
  ここ10年ぐらい給料が上がらないとかいって文句を言っている人が多いが、労働基準法や団体協約に縛られない個別契約主義(本来の意味での「営業の自由」の実現」にパラダイム転換し本当の意味での自由企業体制としなければ、企業の収益力を増し、経済成長は困難だと、無理だと考える。
 
  すでに現実に個別雇用契約を基本とする、労働法制が90年代にニュージーランドやオーストラリアで実現していることは述べたとおりで、「営業の自由」はまさに現代的課題でもあるわけである。
  私は今求められている政党は、例えばオートラリア自由党のような党是。つまり中小事業者、家族的価値、「勤勉に働く者」を代表する反労働組合を鮮明にした政党である。圧力団体の利害調整型政治ではなく、営業と誠実な勤労を奨励する公共政策にもとづく経済自由主義政党を望む。
  実際問題、日本の中小企業の労働組合組織率は低いとされている。時間外割り増し賃金、安全衛生その他の労働者保護立法を廃止することは歓迎されるだろう。外資も労働基準法が廃止さければ喜ぶ。労働基本権を廃止し規制撤廃し自由起業体制を確立すれば、起業しやすくなるだけでんなく、外資も呼び込めるし、企業活動を活性化できる。元々日本人は勤勉を美徳としていたから再び経済成長の軌道に乗ることが可能である。それ以外に日本経済再生の手段はないだろう。
  なぜ日本企業はサムソンに勝てないか。それはサムソンが組合不在企業であるからである。日本の企業もサムソンのように非組合になれば、勝てるのではないだろうか。
 
  私は、自発的な黙示的誠実労働義務として最長で57日連続出勤したことがある。1920年頃までのアメリカ中西部の鉄鋼労働者は週休なしの毎日12時間労働だったから、それに比べれば全然たいしたことはない。ところが組合との事前協議なく泊まり込みや土日出勤が労働協約違反だとか云って、上司から何回も激しく攻撃非難された。 
  本来なら、献身的に、粉骨砕身働くことは美徳であり、使用者にとっても従業員が時間業務のために集中してかけることは喜ばれることである。私は日経連案の年収400万以上のホワイトカラーはすべて、超勤割増給なしの適用除外で良いと思っている。私は既に600万もらって、このうえ欲張って収入を得たいという考えはないわけで、むしろ収入より労働組合の脅迫と威嚇がなく存分に仕事ができる労働環境を求めているわけですから、ブログでも労働基準法廃止を提言しているように、筋を通して黙示的誠実義務として賃金請求しないわけで、電灯とパソコンの電気代以外コストは全然かかってないわけである。電気代なんていうのは賃金に比べればずっと安いわけで、もちろんユンケルも自腹で飲んで体力を維持して仕事をやっていたわけだから、むしろ喜ばれるべきものであるはずが、全く逆である。ドラッカー流に云うと、部下に達成感を与える仕事をやらせないのはダメな管理職であるし、その上に信用とかその人が築き上げてきたものも台無しにしてしまうからから悪質なのである
  立場上、ご苦労様とはいえないというスタンスなら、それでも良いわけです。しかし二ュアンスとして伝わっていることは、労働組合の統制に服しない職員を攻撃するものなのであった。一日5時間以上の残業や週休日出勤は5日前に組合と協議して許可するという手続きをふまないということはけしからんし、管理職のメンツを潰すので非行以上に悪いことだとと言い方である。献身的に働いて叩かれるから不愉快である。
  運営的業務の多くの仕事を抱えて、それをこなしていかないと業務が立ちゆかないくなると、コンプライアンスも遵守できない状況であるのに、仕事を中断させようとするから、それまで週66~77時間ペースで働いて、何とか業務が回転していったものが、もう少し頑張れば軌道に乗るのに、私もあと1か月頑張ったら、土日は休むつもりだったのに、すべて先送りで、上級部署の信用も失った。実際の実務は上級部署の実務担当者との関係が重要で、仕事を先送りにするそれだけ能率が悪くなるし、これまで困難な仕事でも期限内にこなしてきたよくやってくれたとか感謝されたのに、上司による仕事中断指令で、実務担当者との間の信頼も失うことになり、勿論目標管理制度の目標達成の妨害であり、自分自身のメンツが潰れてますます苦しい状況に追い込まれ踏んだりけったリの状態になった。仕事の人間関係は、縦の関係だけでなく、むしろ、所内の他の係、別課の実務担当者、上級部署の実務担当者むしろそちらの方が重要だし、上司の出勤停止指令を無視してでもやろうかと思ったが、上司が庁内管理規則を持ち出してきて、土日出勤は上司の許可が必要で、規則違反で出勤停止だとか言い出して、もちろん規則の解釈で反論しようかとも思ったが、私は仕事を投げ出すといことはしない主義だけどいくら責任感があっても、一方的に非難されると気持ちが折れてしまった。、
  組合の職務統制遵守がすべてに優先する企業風土、管理職は上役と組合幹部に嫌われることが一番いやだから、仕事を止めさせることが職員の業績達成を妨害することが仕事だと思っている企業風土の要因は、本来、組合のような第三者が干渉して労働条件をすべて縛って統制して、個別労働者の業績達成を認めない、本来の意味での労働力取引の自由を否定している土壌にあるものと考えるものである。
 
  後になって、上司これはどうしたんだ、あれはどうしたんだとか文句云うんけど、こっちは、平日だけでやっているからしかたがない。出勤停止で業績達成を完全に妨害しておいてそれを言うから矛盾しているわけです。
  私の経験では平日のみの勤務では週60時間は無理だし、能率は悪くなる。つまり  平日勤務だけでは時間数足りなくて、業務がうまく回って行かなくなりました。ウォルマート本社ですが、バイヤーは6時半に出社する。トップの経営陣はそれより早い6時に出社するのがしばしばだという。退社は午後5時から7時の間ということです。またすべてのホワイトカラーは土曜は朝7時から午後1時まで働くという。
 仮に月~金に平均11時間、土曜に6時間なら、週61時間になります。
 つまり、優良企業のホワイトカラーは60時間働いて当たり前ということです。土曜日も出てきて働けるという安心感で平日も能率が上がるのだと私は思います。それがないと本当にストレスで過食になり健康にも良くない。
  終電車は遅くまであるので、退庁が午後11時20分回っても家に帰ることはできる。だけど、1日5時間以上の残業は組合協議とされているから、一応組合役員の目もあるので、遅くとも10時15分に帰るように自粛するわけですが、経験では毎日12時間以上働くのは無理である。
  ウォルマートの二代目社長デビッド・グラスは1日16時間、グーグルの女副社長は1日15時間仕事をするというが、私の経験では通勤で片道1時間以上かかるから、夜食もとるので金曜日を除いて1日13時間労働が限度なのである。月11・火12・水11・木12・金13でも59時間だから。
  私の経験では最低6時間睡眠していれば、疲労がたまることはない。そういう意味で金曜日に残業しないで、土日も出てきて仕事をしたほうが圧倒的に能率は良い。
 
  日曜日に休んでいる人がサザエさんを見ている時間に仕事をしているというのは本当に気持ちいいんですよ。やはり能率という点では、週休2日はとろすぎる、聖書の教えにも反してのですごい罪悪感を感じるしこれでは救われない。
  出し抜くのはけしからんと言うかもしれませんが、たとえばシスコシステムズのように社員どうしで競争する会社のほうが生産性は高くなります。
  池田信夫氏が長期雇用は、垂直統合という20世紀に固有の企業統治システムの副産物にすぎない。グローバルな水平分業の拡大によって、「日本的雇用慣行」は競争劣位の最大の原因となりつつあるhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/78d36ac0e6fa382a3cdfa1e4cfd43669。との見解もあるし、40歳以上のホワイトカラー無用論もあるわけで、生産性の低いホワイトカラーが長期雇用を維持するためには、時間外労働割り増し賃金適用除外にする以外にないと考えます。ホワイトカラーエグゼンブションは、リストラされずに長期雇用を維持するため生き残り戦略としてむしろ労働者側が歓迎すべきものだと思います。
  例えばプロクター&ギャンブルが人事管理部門をIBMにアウトソーシングした。http://www-06.ibm.com/jp/press/2003/09102.html?cntxt=a1010206IBMの社員がP&Gの人事部みたいなものですが、実際にはP&GのホワイトカラーがIBMに移籍したかたち のようだ。ハイテク企業は中核となる技術者を別として、事務管理部門は外注化できますから。
  そもそもアメリカではホワイトカラーは労働組合が組織化されない。労働組合のジョブコントロール ・労働基準法の規制のない世界の方のほうが圧倒的仕事は楽しくなり、能率的になると考えます。規制撤廃の本丸はここにあるわけです。
   
  戦後レジーム、労働組合主義が浸透した結果、他人の労働力処分の自由を侵害することが当然だと思っている悪人が多すぎる。粉骨砕身、献身的に働いても喜ばれない社会、それは不幸な社会である。善意より個人の自由を侵害する悪意が尊重される社会それは不幸な社会なのである。エキスパートになるには仕事に熱中しないとだめだ。労働時間規制はその人の昇進の機会も奪ってしまうのである。。
  従って、労働に関しては明確にパラダイム転換すべき。というのは、労働組合というの賃金カルテルであり、個人の労働力処分の自由、財産権に干渉し侵害するものであり、労働基準法は契約の自由、財産権を侵害するものだ視点に転換しなければならないと思います。
 
   
  シスコでもクァルコムでも組合不在の優良企業は、仕事をしやすい環境を従業員に与えることを重視する。だからクァルコムでは夜食やクリーニングもサービスし、存分に働いてくださいというのが良い企業である。
  私は黙示的誠実労働義務が第一なので、勿論どんなに悪くても病気休暇を取らないし、心筋梗塞寸前まで働く主義。大分前から発作が起きていたので、町の医者に大病院の紹介状をもらっていたのだが、重要な仕事があるので先延ばしにしていた。そろそろやばそうだという時になって、病院に検査にいったら、私が手術は来週でもいいかと言ったら、内科医が一週間なんて危なくて待てませんねえと言った。これから外科医と緊急手術を依頼するから即入院しろといわれた。つまり心筋梗塞寸前で、効率よく入院したのである。できるだけ早く退院できる病院を選んで心臓を手術しており、親が死んだときも通夜の日も半日働いたうえ、告別式で一日休んだ分の穴埋めとして日曜出勤しており、忌引はとらなかった。
  過去10年でも夏休みを取ったのは、しつこく強要された年の1日ぐらい。夏休みを取らないと激しく非難される、休みを取るとらないの自己決定すら組合に強制されるのは不愉快なので、昨年は、夏休みは取らないとはじめから宣言したくらいである。
 
  それだけ献身的に働いて、ワークライフバランスというから週休日変更をしたいと申し出ても、絶対認めない。その理由は夏休みを取らせる通達だというのである。組合と結託して夏休みを完全消化させるのが管理職の仕事だというのである。事実上、管理職がショップスチュワード化しているわけです。事実上ワークライフバランス業績達成妨害で、昇進の機会も奪ってしまうわけです。
  平日に家事都合で休みたいので、穴埋めとして土曜に出勤してバランスを取ると言っても絶対認めないから、女性に柔軟な働き方をさせるが、男はダメだと言わんばかりである。ワークライフバランスというが実質的には女性のための制度で生産性を抜きにした時短主義になっているのである。
  アメリカ合衆国では法定有給休暇はないし、家族医療看護休暇も無給で12週のみでる。企業福祉の一貫として有給休暇があるだけにすぎないのに、我が国では生産性の低い分野でも、有給休暇完全消化して、男性も育児に参加させるフェミニズムによって定時退庁促進とかばかげたことをやっているわけである。子ども手当をもらって、育児休暇でも不労所得をもらって、育児休暇のカバーしてもご苦労のひとこともなく、そのうえに男性には働かないことを強制する、非常に悪質な社会になっています。 
  労働組合のみならず、フェミニズムも営業を制限するコンスピラシーと認識しなければならない。
 
  私が本来の意味での「営業の自由」に回帰すべきと主張するのは次のような意味である。
  岡田与好氏(経済史学者)の法律学批判である「営業の自由」論争というものは重要な論点である。 岡田氏の見解を要約すると
  ①「本来の営業の自由」は「国家からの自由」ではなく、私人間における営業独占や営業制限からの自由であって、このような自由が確保されることが「公序」であり、「公共の福祉」である。
  ②「営業制限の法理」よりも「契約自由の法理」が優遇され、株式会社の設立や団結が解禁されるに至って「本来の営業の自由」が「営業の自由一般」・「私的経済活動の自由一般」へと転化し、現代的独占が発生する。
  ③資本の集中・集積による現代的独占を規制して、自由競争の維持・促進を図る独占禁止法は、「本来の営業の自由」の原理に立脚した、独占資本主義段階における自由主義的反独占法である。それは「営業の自由」の原則の現代的具体化であって、「営業の自由」」の対立物ではない。(*14)
  ひとくちでいうと「営業の自由」を人権とみなす過ちである。三菱樹脂事件最高裁判決(昭和48年)によると自由権的基本権とは「国または公共団体の統治行動に対して、個人の基本的自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」との趣旨からすれば、私人(労働組合や暴力団)による営業制限からの自由は、憲法から直接人権として導き出されることはないということになる
  それはそうだろう。ダイシーが言うように、伝統的にイギリスにおいて、国民の諸権利(例えば,人身の自由とか集会の権利等)を含む、憲法の一般的原理は、憲法典ではなく,国の通常法(ordinarylaw)の帰結であるとされ、すなわち、多くの諸外国の憲法では、個人の諸権利に与えられる保障は、憲法の一般的諸原理から引き出されているのに対して、イギリスでは,憲法の一般的諸原理は、裁判所に持ち込まれた特別な事件において私人の権利を決定する諸判決の結果であり、要するに,イギリスでは,私法(privatelaw)の諸原理が,裁判所と国会の活動によって,国法および国の従僕の地位を決定するまでに拡大されてきたのである。(*13)
  そうすると、日本国憲法も含めて、成文憲法体制には大きな欠陥があると言わなければならない。中間団体、私人からの個人の自由の抑圧から自由を保障していないことである。憲法28条の団結権がプロレーバー法学者の言うように、消極的団結権を規定していないと読むならば、憲法は極めて深刻な個人の自由の抑圧体系として機能しているのではないかとの疑いがある。
 
 
 そして岡田与好は経済的自由主義をも二つに類型化する。本来の営業の自由をと前提とした反独占経済的自由主義と、独占・団結放任を前提とした独占放任経済的自由主義である。
  本来の自由主義は英国の近世史をみても明らかなように、反独占・反団結・反結合の精神が基本にある。「独占放任型自由主義」は個人あるいは個別企業の自由の保障の無関心を特徴にしており、極論すると国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるという思想では、独占保護的全体主義になだれ込む危険性を有するという重要な問題点がある。
 その例証として岡田氏は19世紀末以来のドイツでは、わが法律学界と同じく「営業の自由」をもっぱら「国家からの自由」として(本来の営業の自由と異なる誤った)解釈を①することによって、「営業の自由」の名において「カルテルの自由」=「独占の自由」が法的に承認・強制され、その結果個人〈および個別企業〉の自由-本来の営業の自由-の犠牲のうえに、独占資本の組織的=強権的な私的統制〈カルテル網〉が「自由な」発展を遂げ、ナチズムの前提になった。としている。具体的には1869年の北ドイツ営業令は「カルテルの自由」を保障するものと解され、1897年2月4日ライヒ最高裁判所において、カルテルの諸義務は法的拘束力をもつことが認められ、カルテルは権利とされ、企業の団結が確立され、ドイツの異常に組織的な統制力をもたらし〔それは労働組合の組織強制についてもいえるかもしれないが〕、「営業の自由」を「国家からの自由」とすることによって換骨奪胎して、「個人の自由」を失うこととなったとされている(*23)
3)。
 私が思うに殊更政府の規制やパターナリズムから自由を説くリバタリアニズムや小さな政府論はこの問題を克服しなければならないと考える。政府の統治行動からの自由だけを強調したアナルコキャピタリズムには問題がある。労働組合による非組合員の権利侵害は私人間の紛争というこなりますが、政府の経済規制が廃止されれば自由だというのは甘い考えで、国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるということでは、中間団体からの個人の自由の抑圧から守れない。
 レイバーインジャンクションにしても、マスピケッティングを排除するためにしても組織化された警察力が必要なのだ。買い占めやカルテル、本来の営業の自由は反するものであるがゆえに規制しなければならない。したがって独占・団結放任経済的自由主義や無政府主義に偏ったリバタリアニズムには賛同できない。
 
 
  *15猪俣弘貴「ダイシ-と行政法についての覚書」『商学討究』(1989), 40(2): 55-79〔ネット公開論文〕 PDF http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/1625/1/ER_40(2)_55-79.pdf
*16鷹巣信孝「 職業選択の自由・営業の自由・財産権の自由の区別・連関性(四・完)- いわゆる「営業の自由論争」を参考にして」『佐賀大学経済論集』32(5) 〔ネット公開論文〕http://ci.nii.ac.jp/naid/110000451612/  
*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
 
  *22チャールズ・フィシュマン著中野雅司監訳『ウォルマートに呑み込まれる世界』ダイヤモンド社2007年
  *23岡田与好編『近代革命の研究』上巻 東京大学出版会1973 岡田与好「Ⅴ市民革命と『経済民主化』」

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(14)

 ベンサム主義者の団結放任論の過ち

ベンサム主義者は団結を放任としても、団結は経済原則に屈服して消滅するだろうと考えていた。マカロックは彼は、1823年の、『ブリタニカ百科事典』の「団結」に関する項目を執筆し、賃金基金説と団結との関連を次のように述べた。
 「賃金は常に、それぞれ一定の時における労働者の数に対する基金、即ち賃金の支払にあてられた資本の額の割合に依存するのである。労働者はいかなる場合でも除数であって、資本は被除数である」従って、「同盟罷業は賃金基金を増加することはできない」し「賃金を勝貴せしめることはできない。」もし団結によって賃金を増加しうると考えるとすれば、それは「全く無知による。賃金は罷業などの影響しえぬ原則即ち資本と人口の割合にもとづく。」(*21)
 マカロックは労働者は正当な分け前以上のものは獲得できないと考えた。その根拠として先買いや買い占めによる生活必需品の価格つり上げの団結の影響は、立法府の干渉が除去され商人や生産者の行動の自由が許されれば、より廉い価格で供給されるという経験的事実を挙げている。これは1815年にロンドンのパンの公定価格制が制定法によって廃止されたが、業者の団結によるつり上げを防止しなくても、「自由な競争」がある限り問題なく、潤沢に供給されている経験的事実のことである。穀物商人やパン製造業者の団結によるわずかな価格の上昇だけで業者間の競争を激化させ、団結を内部から崩壊させると言うのである。(*20 99頁)穀物商人やパン屋の価格協定は容易に崩れるのと同じように、労働者の団結も無意味なものと云う認識を述べている。要するに穀物やバンの価格協定を放任しても、容易に崩壊し無害であるのと同じように、労働者の団結を放任しても適正水準以上の賃金になると容易に崩壊するから無害であると云うのである。この論点は非常に甘いと思う。
 しかしこのような甘い考え方に同調者がいたのは、マカロックが重商主義の低賃金経済からの解放を訴えし、団結放任による高賃金経済論の期待があったためと考えられる。
 しかし経済理論とは別に、ベンサム主義者の致命的な過ちは、「団結の権利」を「個人の自由」「取引の自由」の拡大と考えてことである。
 そうではなく、「個人の自由」「取引の自由」と「団結の権利」は逆比例関係にあったのである。(*20 107頁)
 
*20岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由-』東京大学出版会1987
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(15)

1825年法の意義(1月17日修正)

 ベンサム主義者による1824法(団結禁止法撤廃)はマカロックやプレイスの予想に反して、労働組合の公然化、賃金を上げるための団結と、ストライキを各地に頻発させた。団結禁止法廃止以後のストライキ発生数の急激な増加とその激化は、団結禁止法撤廃反対を不安と恐怖に陥れたが、船大工の仕事放棄があったため造船業者が1825年3月リバプール選出議員で商相のハスキスンを動かし、「特別調査委員会」の設置に成功した。この委員会は、2か月25回にわたって77人を喚問し、労働者の団結について(目的・期間・規模・状況・結果)、労働組合について(組合結成の事情、組織、基金、加入手続き)、治安当局の対処など詳細な調査を行った(*18)。
 団結禁止法撤廃のおかげで「多数のストライキがおこり、そしてそれらのストライキには暴力と抑圧が伴った」調査によるとダブリンでは2名が殺された。スターリングシャーのある鉱夫は殴られてほとんど殺されかかった。アイルランドで70~80人が負傷し、そのうち30~40人が頭蓋骨を打ち砕かれた。硫酸をあびせることは、スコットランドでは少なくとも1820年頃からはじまり、多くの人が火傷をうけて、生涯の盲となった。またスコットランドのある鉱夫組合では組合に五ポンド払うまでは、鉱夫として働くことを許されないなかった。海員組合の一つも、乗組員がすべて組合員でないと航海しないことを宣言したと言う(*26)。特別委員会は結論として1824年法は労働者が雇用主を支配統制する機会を与え、また、不正、かつ、無礼な強制を行使する力を彼らに与えたとし、団結に対して一層の干渉が必要であると結論づけ、6月30日下院通過、7月4日に上院を通過した。(*18)

 その1825年法は次のようなものであった。

○ 中西洋の要約(*19)

(イ)1824年法及び同法によって廃止される旨規定されたすべての団結禁止法を廃止し
(ロ)1824年法によって規定された禁止行為にあらたに「妨害(molestation or obstruction)という行為類型をつけ加えた〔ただし、個人々の労働者の行為についてのみ規定し、団結による禁止行為の侵犯については、コモン・ロー上のコンスピラシーを構成するものとの観点から、明文規定を設けない〕
(ハ)他方この法によって、刑事上免責を受ける労働者の行為は、以下の如く限定される(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結すること〔使用者の免責行為も同様〕。

○ 浜林正夫の要約(*17)

二四年法に比べて二五年法はどこを修正したのかというと、大きくは次の三点です。
①結社の目的を賃金と労働時間の問題に限定したこと。徒弟修行を終了していない者や非組合員の雇用を禁止する雇用規制の問題が、合法的な結社の目的からはずれていることが労働者側にとっては痛手でした。②スト破りを阻止するために暴力や威嚇をしてはいけないという規定に、妨害という言葉を加えたこと。この妨害にはには物理的な妨害(オブストラクション)のほかに、「しつこく話しかける」(モレスティング)というのが含まれていて、これはあとあとまで問題になります。
③刑罰の強化(以下略)

○片岡曻の要約(*10 117頁)

一八二四法及同法によって廃止する旨規定されたすべての団結法は、廃止される(一、二条)
第三条は、個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。(「」内は二四年法にはなく本法で附加された規定)
(1)身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすこと
(a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
(b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」

(2)
(a)他人を強要しまたは誘引して、クラブ・団体に所属させ、共同の基金に醵金させ、罰金もしくは違約金を支払わせる目的をもって、または、(b)特定のクラブ・団体に所属しないこと。賃上げ、賃下げ、労働時間の減少・変更のため、もしくは営業の方式・事業の管理に規制を加えるためになされた規約・指令・決定・規則に従わず、または従うことを拒否したことの故をもって、その者の身体・財産に暴力を用い、脅迫し、または「妨害する」こと。

(3)他人の身体・財産に対し暴力を用い、脅迫し、または他人を「妨害して」、製造業主もしくは事業を営む者を強要し、もってその業務を規制し、管理し、指揮し、もしくは行う方式に変更を加えしめ、または「その者の徒弟の人数、その職人・労働者の人数・種類を制限する」。
 以上の行為をなした者、及びこれを教唆し、幇助する者は、略式手続き(六条」により、三月以下の禁錮に処す。

○石田眞の要約する立法趣旨(*21)

1825年法は1824年法に関する調査委員会の立法勧告に基づくが、立法勧告をわかりやすく説明しているので引用する。
 

 委員会は‥‥まず「団結禁止法」については、①「団結禁止法」の不平等な効果、②「団結禁止法」が意図した目的が効果的に実現されていない、という二四年法と同様な理由で、廃棄が支持される。しかし、委員会は、その他のすべての点で変更を提案する。そして変更が「団結禁止法」の廃止以外の全ての部分にかかわるので二四年法の廃棄を勧告する(九頁)。
 さて廃棄の効果は、どうなるであろうか? 「この廃棄の効果は、その法律(一八二四年法ー筆者)の第二条・第三条にかかげられている特定の場合において、コモン・ローの機能を復活することになるであろう」 (十頁)として二四年法の廃棄の最大の眼目と、二五年法制定の前提がコモン・ローの「復活」であった事を告白する。しかし、コモン・ローの「復活」も一八二四年法以前の単純な繰返しではない。では、委員会がコモン・ローの「復活」によって団結を法的にいかに処理しようとしたのか。実は、ここに二五年法の特質が浮び上るのである。
 第一に、コモン・ローの「復活」によって、一応団結は違法とされるが、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去される。 「委員会は、コモン・ローが復活さるべきであると勧告するにあたって、一つの例外がコモン・ローの機能に設けられるべきであると考える。即ち、賃金率に関して平和的に相談する、賃金率を引き上げもしくは引き下げるもしくは労働時間を決定するために努力する事でお互に協力する事を合意する使用者もしくは労働者いずれかの間での集会や談合は支持される例外である」(十頁)。
 第二に、目的・態様は、以上に限定される。特に委員会が強調したのは、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事は支持されない」という事であり、 「団体に参加したくない人に対する安全で自由な選択を確保するあらゆる予防措置が取られなければならない」 (十一頁)という事であった。従って、ストライキ、クローズド・ショップ、徒弟規制等の目的を有する団結は、 「有益な目的を越える団結」であって「従来と同様に、コモン・ローの非難にゆだねられる」のである(十一頁)。
 第三に、「賃金」「労働時間」に関する団結であっても、その団結内において個人の自由が貫徹されなければならない。即ち「共に協同し、協力する自由は、賃金や労働時間に関して保障されるべきであると勧告するにあたって、個人的な判断の自由な行使に当然払われる顧慮が不可欠である」と同時に、 「団体を離れたいと思う人は・-完全に安全にそうする事が可能でなければならない」 (十一頁)つまり個人の自由な判断における合意(契約)であっても、その合意の拘束は以上の範囲にとどまる。団結契約は、個人の自由によって様々な側面から制約される。
 
                  * *
 
 1825年法の勘所は何かというと、1800年団結禁止法も廃止したが、1824年法も廃止したということである。1824年法は「労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けない」ものとしていた。コモン・ローによる起訴をさせない制定法だったのである。これを廃止することによって、コモン・ローの機能を一部復活させたところに意味がある。
 コモン・ローの復活により団結は一応違法となるが、、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去され刑事免責としたのである。団結の目的と態様はこれだけに限定された。つまり個人の自由として賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」のみ目的・態様に限定した自発的団結の放任というのが1925年法である。
 委員会が、団結の実態で目を向けたのは、団結が賃金・労働時間に関する目的だけではなく、使用者の製造過程に対する規制や非組合員への強制等の目的を有しているという事実であった(*21)。この点で非組合員への強制は明確に違法とされストライキ・クローズドショップ・徒弟規制の目的を持った団結はコモン・ローの非難に委ねたのである。しかし、1825年法によるコモン・ローの発動の余地を残しているが、その意義を過大評価すべきでないという中西洋の指摘もある。つまり19世紀はベンサム主義の時代であり、中西洋によれば労働運動に抑圧的だったのは、コモンローでも団結禁止法でもなく主従法の体系だったとする(*19)が、この問題についてはここでは深入りしない。
 1825年法は暴力・脅迫に加えて、物理的な妨害(オブストラクション)のほかに、「しつこく話しかける」(モレスティング)による就労妨害を違法としている。1800年団結禁止法では説き伏せることや離職の勧誘が違法とされていたから、それよりは解釈の余地のある文面といえる。この点、裁判官の解釈によっては妨害を広く解釈するとピケッティングは厳格に規制されるが、緩く解釈するとピースフルピケッティングを容認しうる解釈も不可能ではないという点で、問題があったかもしれない。
 私は1799-1800年団結禁止法の在り方が最善と考えるが、1825年法は最善とはとてもいえないとしても、比較的良性の立法例とみなす。それはコモン・ローを機能させるようにしたこと。「個々の労働者が自己の技術と労働を処分するに当たっての安全と人身の自由並びに使用者の財産と身体の安全のため一層進んだ規定をなすことが時宜で適する」(*10 120頁)という立法趣旨にも現れているように、個々の労働者の労働力処分の自由と安全を重視していることである。

*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*26 佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 135

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(16)

1825年法の意義(続)

 ベンサム主義者の安易な考えで団結禁止法を廃止したのは過ちだった。ブレースというベンサム主義者さえいなければ、このような事態にはならなかったと考える。決して団結禁止撤廃が歴史の必然であったなどとは考えない。1825年法は その弊害・行き過ぎを是正したものである。労働組合が法認される1871年までの時期について検討するが、1825年法が1824年法と異なるのは目的と態様を限定した団結の放任であり、その意義についてみていくこととする。

 石田眞は次のように要約している。
 「二四年法を廃棄した二五年法は、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」.「協定」を認めた点において二四年法に一致する。しかし、まず目的そのものについて、二四年法がストライキの勧誘や使用者の営業をなす方式または管理に規制を加える事を認めていたのに対し、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事」を許すべきではないとし、目的の遂行に関しても、「他方に損害を与えてはならない」と限定し、賃金・労働時間に関する「集会」・「談合」においても「個人行動の安全な自由から生ずる競争の保護」という事によって、徒弟規制、非組合員に対する強制を排除し、団結内における個々の労働者の自由を保障しようとしたのである」(*21)

 田中和夫(*24)は次のように要約している
 「労働賃金の増額又は労働時間の短縮を得ようとする単純な団結は‥例外規定の適用を受けも共謀罪とされることはない。そして又、その要求を貫徹するためにその団結をなした労働者が「個々に」自発的に休んでも、犯罪とされる筈がなく、更に進んで罷業の形を採ってもそれが普通の平和的罷業であるならば共謀罪として罰すべきではないといういう傾向が強かった。(Crompton,J.in Walsby V.Anley(1861),3E.& E516,523.そして又、Molestaion of Workmen Act,1859(22 Vict.,c.23)は、一八二五年の法律の「妨害」という文字につき。労働賃金又は労働時間に関する要求を貫徹するために、他人に仕事を休むように脅迫を用いずに平和的に説得するのみでは、「妨害」とならないと規定した。もっともこの点は、Reg v.Druit(1869),10Cox C,c.592によって、「脅迫」を広く解するようになってから、実数が少なくなった)

 片岡曻(*10 134頁以下) はより具体的に1825年法のもとでの労働組合の民事上の地位について説明している。労働組合は法人格を有さないから、自己の名ににおいて訴訟はできない。労働組合の規約はそれ自体、取引制限として犯罪とならないとしても、取引を制限することを理由として無効とされたとしている。従って組合の民事上の地位はきわめて不安定であった。
 アール卿は労働組合の民事上の地位について次のように述べた。(Memorandum,p72)
「各人は、労働するかどうかについて、及び労働するとすればその条件について選択する権利を有するが、選択権は、一人の人間が単独で行使し、表示することもできれば、多数人が談合の後共同して(Jointly)行使し、彼等が選択したところを一致して表示することもできる。かつそれに基き、要求すべき条件を獲得する目的で適法に行為することも可能である。しかし、団結によって承認された条件によらなければ労働もしくは雇用しないことを相互に拘束する、法的効果をもった義務を設定することはできない。各当事者は、それが全くなされなかったと同様に、自己の労働に対して与えられることを欲する自身の条件を要求する自由をもつ。人は、自己の意思に従ってその労働もしくは資本を処分する自由を暫時といえども譲渡することは許されないし、かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない。従って、人はかかる自由を組合の執行部に委譲し得ないといわなければならない。」
 つまりこの「自由主義に鼓吹された」(ダイシーの評)言葉の示すとおり、各人が、自己の労働もしくは資本を多数決に従って処分することを交互に合意しても、かかる合意は取引を制限し、公共の政策に反するが故に、無効であり、強行し得ざるものであった。不当に取引を制限する目的をもつ労働組合は、その目的のために組合員の任意の醵金を集めることは適法になしうるが、組合員は、組合費もしくは組合によって科せられる罰金を支払う何らの法律上の義務を負うものではない。また、そのための合意や罰金の支払いを求める訴訟も起しえないし、組合員が組合規約ないし合意をに基づいて有する共済手当その他に対する要求も強行できない(Hedges,p.53cf)。
 従って労働者の団結は、その目的を第四条に掲げる目的---〔(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結する〕---に厳格に制限しない限り、民事上違法とされ、のみならず、他人を害する意図のもとに追究すれば犯罪とされる。二五年法によって許容される以外のもので容認される場合は、純粋に共済的な目的もしくは雇用に関する情報の収集にすぎない。

            * *
 
私が個人の自由を基本とする考えだから団結を許容しうるのは1825年法の範疇までが限度である。片岡曻のいう「個別的集合としての団結」である。一応団結は目的と態様を限定して放任されても労働組合は法認されない在り方である。
我が国では憲法28条によって労働者の団結する権利を保障し、団結権の権利主体は個別労働者であるにもかかわらずも組合が結成されれば、労働組合が団結権の権利主体として登場し、個別労働者の団結権は後退してしまう。個別的団結権と集団的団結権。法規範関係は未解明だと木内隆司(*25)が言っている。それよりも、団結権が基本的人権といいながら、労働組合の統制力が強く、いったん加入しまうと、元来個人が持っていた労働力処分の権利を完全に組合に譲渡するような在り方となっている。アール卿の言葉にある「かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない」という自由主義的な考え方は完全に窒息してしまっている状況にあるといえるだろう。
 労働組合主義者やプロレーバー法学者は、組合には強制力・最大限の他者に対する威圧力の行使がなければ団結権とはいえないという考えだから、自由主義者の考えとは全然違うのである。

*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*24田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」『一橋論叢』23巻2号 1950[ネット公開論文]』http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/4593
*25木内隆司「労働組合の法律問題」『経済理論』和歌山大 通号235 1990

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(17)

19世紀中葉の判例と展開(その1 )

  プロレーバーの片岡曻などの著作に依存するが、1825年法以後の判例の展開をみていくこととする。
○1832年 R.v.Bykerdike
 いわゆる二次的争議行為、労働者が宣誓して団結し、雇主に対して、彼等と雇われている7人の労働者を解雇しなければ、彼等は同盟罷業をなす旨を通告したことが共謀罪として起訴された事件で、裁判所に対する説明で1825年法は「労働者が雇傭すべきかを指示する目的で、会合し且つ団結することの権利を、与える意味のものではない。したがって、かかる強制は明らかに違法である。」(*26-377頁)。 
○1842年 R.v.Harris

Tindal判事は労働争議における他人の権利の干渉について、陪審に対して次のように述べた。「争議において労働者は、労働を停止する自己の権利を行使するのに満足せず、他人の権利にも干渉する。つまり彼等の賃金に不満足な多数の労働者は、暴力、脅迫によって、現在の賃金に満足している労働者の自由に干渉して仕事を去らしめるのである。労働者によって許される権利は、自己の有する力量及び技術を同僚の指示命令なしに行使する権利である。多数者が貧しき者の権利を圧迫することは普通法の重大な違反である。」
○1847年 R.v.Selsby
事案は労働者側が使用者に一定年令の徒弟及び組合員たる労働者のみの雇用を強制するためストライキ(二次的争議行為)を行い使用者の店の周囲には堅固なピケが立てられている旨のビラがまかれ、一段の労働者が附近の通りをパトロールしながら労働者就業を監視し妨害した。起訴状は、制定法及び普通法違反のコンスピラシー 、特に労働者が使用者に対する労働の提供を続けるのを妨害するコンスピラシー、及び違法手段によって労働者をして使用者の労働から去らしめ、後に他の仕事につくのを妨げたというコンスピラシーの成立を主張した(*10 194頁)が、このケースはこのような非組合員排除の二次的争議行為を合法とした点でR.v.Bykerdike事件と異なるが、1825年法3条は二次的争議行為を容認していないと解釈するのが妥当ではなかったか。佐藤昭夫によると非組合員排除の争議行為が1825年法第3条違反とする判例としてSkinner v.Kitch(1867)、違反しないとする判例として判例として、Wood v.Bowron,(1867) Neill v.Kruger(1863) R.v.Steiner(1870) を挙げている(。
クローズドショップの起源について浜林正夫は、イギリスではパブが求人求職の仲介所であったことに由来するのだと云う。組合は非組合員を排除する企業を「フェアハウス」、組合員以外も雇う企業を「ファウルハウス」と呼び、「ファウルハウス」にはパブでの求人を一切拒否したり、非組合員に暴行や脅迫を加えることにより、労働市場を独占しようとした。19世紀になると企業側もパブを利用してスト破りを集めたという(*17
125頁)佐藤昭夫によると、19世紀においては非組合員への通常無数の侮辱に迷惑行為がなされたとされている。ことにシェフィールドやマンチェスター、あるいはその周辺では機械や原料が破壊され、馬は腿筋を切って跛にされ、従業員の仕事道具が奪われ、あるいはいじめられるという可能性は、すくなくとも存した。1867年Fearnehoughf は、組合を脱退してストライキされている使用者のところで働いたため眠っている部屋を爆破された。(*26 139頁)
現代イギリスでは、ストライキに参加しない労働者の権利が与えられ、二次的争議行為もクローズドショップも違法であるから、労働組合が法認されていなかった19世紀中葉のほうが、この問題についてはゆるい側面もあったということである。

片岡曻によるとこの事件でRolft判事がピケッティングが1825年法第3条に違反するか否かについて陪審員に対し述べた事が、ピースフルピケッティング擁護論の嚆矢なのだという。Rolft判事はこう言った「行かぬほうがよいとか、行けばスト破り と呼ばれるぞとか、もしそこへ労働しに行けば冬がすまぬ中に後悔せねばならないぞとかいろいろな脅し文句が用いられたが、陪審の考慮すべきこと、は用いられた言葉ではなくてその結果が、相手方に対して彼が使用者の店で労働する意図を捨てない限り或る種の身体的危害が加えられるであろう事を通告し脅迫したことになるか否かの点である」。もっとも、次に述べるReg .v.Rowlands(1851)やR.v.Duffirld(1851)におけるアール卿 (Erle判事) の見解のようにピケッティグに対して厳格な考え方があったように、この見解は当時としては一般的に受け容れられなかった。
 

○1851年 Reg .v.Rowlands

一部の労働者が団結して、他の者を暴行脅迫等により、他の者を同盟罷業に参加せしめ、且つ雇主に対し、経営変更の変更を強制し、さらに他人の就職を妨害したことが、共謀罪として起訴されたものである(*27-378頁)
アール卿 Erle,J.は(イ)1825年法の脅迫及び妨害という文字を広く解して、雇主に対して賃金の増額を要求し、その要求を貫徹するために、被用者に対して仕事を休むべきことを、又被用者以外の者に雇入を拒絶すべきことを勧誘することも、雇主に対する脅迫又は妨害であるとし、その行為は同法による犯罪であり、そうするための団結は当然に刑事共謀であるとし、(ロ)成文法を度外視するも、雇主の営業を害する目的をもって、即ち被用者に仕事を休むべきことを勧誘することによって賃金の増額を強制する目的をもってなす団結は、普通法上の共謀罪が復活した。(*24)

つまり1824年法は団結をコモン・ロー(普通法)の共謀罪で起訴されないとしたのに対し、1825年法は(1)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間につき、談合しかつ決定するためにのみ集会すること(2)賃金率・仕事の価格・労働時間もしくは期間を定めるため、相互に口頭または文書による契約を締結することのみ、コモン・ローの共謀罪で起訴できない(刑事免責)しただけであり、この狭い例外以外の労働組合活動はコモン・ローが適用され、コモン・ロー上の共謀とせられえたのである。

○1851年R.v.Duffirld

本件はいわゆるピースフルピケッティングを合法とするが脅迫の範囲を広く解釈したとされるケースである。
事案は仕立工組合の組合員であるドルイット等はストライキを決議し、非組合員をストライキに参加せしめるためピケッティングを行った。ドルイット、アダムソン、ローレンスの三人は闘争委員となり、他のものは彼に従って行動した。ピケ参加者は使用者の店の前に立ち、そこに出入りする他の仕立工に手にふり、足を動かしつつ、「卑怯者」「糞野郎」「畜生」などと連呼した。しかし闘争委員はピケッティングの現場には立ち会わず他の仕事に没頭していたが、検察はピケッティング参加者と指令者双方に処罰を要求した。
プラムウェル判事は次のように述べた。
「イギリス法上もっとも神聖な権利は人身の自由である。所有権にせよ資本の権利にせよ、人身の自由ほど神聖でもなく、またそれほど注意深く防衛されてもいない。普通法や人身保護令及びその他の補充法規によって、すべての人は人身の自由を保障され、正当な理由なしに投獄されず、権限ある裁判官によってのみ裁判を受ける権利を有する。しかし、かかる自由は身体の自由のみに関するものではなく、精神及び意思の自由でもあり、それによって人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定するうえに、身体の自由と同じく法の保護を与えられている。しかしある一団の人間が合意して他人を強制し、精神と意思の自由を奪おうとする時は、被害者の精神及び意思の自由を奪うことを目的とする刑事共謀を構成する。他人を不快ならしめもしくは混乱させる行動により、二人以上の者が右の自由を奪うために協力することを同意したとすれば、彼らが起訴さるべき犯罪を犯したものであることは、明白かつ疑うべからざる法であると予は断言する」「ピケッティングが何らリーズナブルな恐愕を起さず、相手方を強制したりいやがらせしたりしない方法でなされるならば、犯罪とはならない。他人を説得し、強制の要素を伴うことなしに自己と同一の行動をとらせることは何ら法の違反ではむない。しかしながら、被告等の行為がかかる範囲をみこうないにせよ、その言語や身ぶりによって通常人の動作に監視をあびせ、被害者が自分は見張られており、殴られるかもしれないと思うような歴然たる効果を心に与えるような場合は犯罪である。」
かような説示に対して陪審は単にドルイット等三人の闘争委員会のみを有罪とし、他の者は無罪との評決を行った。

○ピースフルピケッティングを違法とするアール卿の「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)」理論
 1825年法第3条は個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。(「」内は二四年法にはなく本法で附加された規定)

(1)身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすこと
> (a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
> (b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」
 他人の自由意思に強制を加えて取引を侵害する団結が普通法上犯罪であるという事は判例の大勢であるが、1825年法の暴力、脅迫、妨害という行為類型をどう定義するかによって弾力性の富む解釈が可能だった。
 この点でアール卿は第三条を広く解釈する裁判官として知られ「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)」を刑事共謀とするものである(*10 197頁)。
 アール卿によれば、他人の権利を害するか否かは、その外形的行為ではなく、行為者が
害意をもってなすか否か、相手方の取引行為や労働力処分を妨害するのためにのみ行動しているかによって決せられる。これは、コンスピラシーの先例からして、まっとうな見解のように思える。1825年法第3条の制定法解釈についても、R.v.Hewitt and R.v.Duffirld(1851)においてアール卿は第3条における犯罪の本質は他人の意思に強制を加える意図にあるのであって、かかる意図は暴力・脅迫等を含む行為によって示される。従って、当該行為が本来の暴力・脅迫等の犯罪を構成するためには、当該行為をなす当事者がそれによって相手方の意思を強制し得ると信ずるに足る程度のものであればよいという。(*10 194頁)
 団結して他の労働者をその労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしも、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪であるとする。(*10 198頁)
 私は、この論点に関してアール卿の見解に好意的な見方をとりたい。人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定する個人の自由は決定的に重要な価値であって、他者より害意をもって強要されるべきものではない。第三者の共謀によってはめられることのない社会、それが真の自由社会だからである。
 
 
○1855年 Hilton v.Eckersley(*10 126頁、*21 300頁)
 
  二五年法以降労働組合自体が「営業制限の法理」および共謀罪との関係でどのような地位にあるのかをはじめて示した注目すべき判決である。事案は使用者に団結にかかわるものであるが、1825年法は労働者の団結も、使用者の団結も相関的に処理したために、判決自体労働者の団結にも影響を与えた。(*21)
  この事件は18人の紡績業者が労働者の団結に対抗するために、一年間、賃金、雇入期間、労働時間、操業時間、就業の一般的規律に関して、多数決によって定めるところに従い事業を経営すべきことを合意し、それによって違約金証書(bond)を作成した。
  一人の業者がこの合意に違反したので、これに対し違約金証書に基づいて訴えが提起され、営業(取引)の制限に該当してするか否かが争われた。(*10)
  第一審裁判所(Court of Queen's Bench)ではそれを「公共の政策」に反して営業を制限するものであるがゆえに無効とした。
  クロンプトン判事は「本件の団結は、営業や製造の自由なる過程を直接妨害し、干渉する傾向を持つが故に…コモン・ロ-上起訴されうべきもの」(*21)とし、さらに同一の考察が労働者にも適用され得る「もしこの違約金証書が普通法上強行し得るとすれば、ストライキから脱退しないとか、総会の多数決による許可なしに或いは代表者の指図に従わなければ仕事をする場合には違約金をを支払うとかの個々の労働者の約束も拘束力を有することになる。かくして、労働者は家族の事情がどうであろうと、賃金に関する使用者の申出がいかに合理的であると考え、心の中で、ストライキを長く続けると自己、自己の家族及び同僚労働者を破滅させ、かつ公共に計り知れない損失を与えると確信しながらも、組合指導者の圧政から自己を免れることは不可能になるだろう」(*10)
 さらにクロンプトン判事は1796年モーベイ事件のグロース判事の傍論「それぞれの者は、もし可能であるならば、賃金の引き上げを主張することは許される。しかし、もし数人の者が同じ目的で合意するならば違法である。そして当事者は共謀を理由として起訴されうる‥‥」(*8)を引いて労働条件を変更する団結がコモン・ロー上「営業制限」の共謀罪となる先例が確立している事を前提にして、更に二五年法との関連で次の述べた。
「近来の議会制定法によって刑罰を課せられなくなった合意もしくは団結は、もしすべての当事者が自由意思で団体から脱退し得るならば、それ程有害ではないし、営業の自由なる過程に反するものではない。‥‥しかし、当事者が
このような団結から脱退する権利を放棄する約定に合意するや否や、守る事が法の政策である営業の自由は、直接干渉されたように思われる。」(*21)
 クロンプトン判事によれば、二五年法によって放任された「団結」は、自由意思でそこから脱退する権利を有する事-本件で言えば拘束的合意をしない事-を前提とする。脱退の自由こそ「団結」に対して「営業の自由」を担保する「法の政策」=公共の政策となる(*21)。という見解である。
 しかしこの論点についてキャンベル裁判長は異論を述べ、先例の不存在を主張(グロース判事は傍論である)を理由に、単に公共の政策に違反し無効であるのみで、起訴しうるうるコンピラシーは構成しないべきと主張した。「同様の意味のことをルーズにに表現したものは他に発見しうる〔1721年ジャーニーメン・テイラース事件とみられる〕しかし、私は、より信頼し得る先例のない限り、自己の賃金が不適当であると本当に信じている労働者が二人相会して、賃金が上がらなければ労働しないことを約束したとしても、その目的を達成するために何らの暴力行為や不法行為の行使が企てない限り。軽罪として罰金または禁錮刑に処せられるものとは信じがたい」と述べた。(*10)
 なお、アール判事は違約金証書は1825年法第5条の規定により適法と述べた。
 第二審裁判所(Court of Exchequer Chamber)は違約金証書が無効である点において第一審裁判所を支持したが、それが犯罪であるかどうかは積極的に意見を表明しなかったが、アンダーソン判事が、クロンプトン判事と同様も、営業制限とする見解を示している。「自由国においては、法律による以外に各人の取引の自由を制限してはならないが、本証書はかかる取引の自由を制限するものである。それは賃金、労働時間、操業の一部又は全部の中止、経営等が多数を構成する他人によって律せられるのであるから、これは自己の判断に従って自己の最善の利益のために取引を行う各人の利益を制限するものである。従って不通法では強行しえない。ただ、それが犯罪を構成するという意味において違法というのではなく、その点については、本件は意見を述べることを要求しておらず、従って必要ではない」(*10 128頁)
                      *  *
                     
 1825年法が使用者・労働者いずれも目的・態様を限定しているが団結を放任しているにもかかわらず、使用者どうしが賃金、労働時間等を取り決め横並びとする違約金証書を無効としたのが本判決であり、それがコンスピラシーか否かについて第二審最場所は積極的に意見を表明しなかったというものである。
 使用者の団結にかかわる違約金証書が無効なら、労働者の団結も、強制、拘束の強いものは無効という論理になる。それは労働組合指導者の圧政下に個人が取引の自由を奪われることを意味する。従って現代の我が国の法制が労働組合の統制力から個人の権利を守る手立てが乏しいことは大きな問題なのである。
 
 
*8松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*24田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」『一橋論叢』23巻2号 1950[ネット公開論文]』http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/4593
*26 佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 135頁
*27江家義男「英米法における共謀罪(Conspiracy)」『早稲田法学』24巻3号 1949[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/1600

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(18)

19世紀中葉その2

 中西洋は19世紀中葉以降の展開について、団結を許容し、立法化しようとする議会制定法と、それを抑え込もうとする議会制定法の角逐が19世紀を通じて反復されたとするが、それほど単純ではない。
 1830年に経済学者ナッソー・シニオアは、メルボーン内閣に「コモンロー上の共謀罪と営業制限の禁止とを明白に列挙した法律を可決すべき事」を勧告した。共謀法理により団結を抑え込もうとする立法勧告も少なくなかったのである。この勧告は様々な事情から実現しなかったが21 299頁)
 一方、労働組合に有利な法改正もなされた。1859年の労働者妨害法Molestaion of Workmen Actである。これは(イ)他人と合意して賃金または労働時間を合意したこと、(ロ)平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならず、コンスピラシーを理由とするいかなる訴追も受けないと規定し(*10 196頁)、文面上、平和的説得によるピケッティングとストライキを容認する規定となっていた。。これはアール卿のように労働者が団結してその労務から去らしめる場合は、「他人の取引を侵害するコンスピラシー」として平和的説得であっても、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪とし、1825年法の妨害に当たるとする裁判官の解釈を排除する意図があったと考えられている。
 ピケッティングについて規制の変遷については別途述べることとするが、マルクスは『資本論』で「古い諸法のいくつかのうるわしい残片は、1859年になっやっと消滅した」と書いているが、「うるわして」は皮肉であり、「残片」が「モレスティング」であった。浜林正夫は同法により結社の自由が勝ち取られたと述べているが(*17 71~72頁)しかし裁判所は甘くなかった。次に述べる、ホーンビイ対クローズ事件(1869年)では営業制限の法理によりストライキの目的を持つ組合規約を違法とし、組合の基金の法的保障を否定されたのである。 
 
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(19)

19世紀中葉以降の展開 3

 1866年シェフィールド事件は国民に労働組合の犯罪性を印象づけるものとなった。これは、シェフィールドにおける刃物労働者がストライキ破りの労働者に対し、仕事中の機械や家庭に火薬缶を投ずる等の連続的暴行を加えた事件である。同様の事件はマンチェスターの煉瓦工の間でも発生し、労働組合非難の世論が高まったのである。
 そして次に述べる、1867年のホーンビィ対クローズ事件を契機として法律改正運動へと発展した。【*10 153頁】
 1850年代以降職能別組合は巨額の資金を持つようになったが、労働組合には法律上の地位し与えられていなかったので、その基金は不安定な地位におかれたが、1855年の友愛組合法(friendly society Act)44条は「違法でない目的のために」設立した組合は、その規約を友愛組合登録官に登録することによって、同法の保護を受けられることとなったが、1867年のホーンビィ対クローズ事件は友愛組合による労働組合の保護を完全に粉砕した。
 事案は、ある全国組合の支部議長ホーンビィが、組合員クローズを組合基金を横領したとして訴えたが、治安判事はその労働組合は友愛組合法の適用外として訴えを却下したため、女王座裁判所に持ち込まれたが、裁判所は、問題の組合はその規約が「違法な目的」を有しているが故に友愛組合法の範囲内にないとして訴を却下した(結論ば全員一致)。
 コックバーン主席判事は 組合の目的には「人が一定の条件の下以外では働かない、また解雇された場合には互いに援助する事を義務づける」規定が含まれている。こうした目的を持った組合は「その組合員が刑法の範囲内にあるという事は論外である」が「このような組合の規約が営業制限の機能をなす事は確かであり、それ故に、かかる意味で違法である、と述べた。
 これによりストライキの目的を持つ組合規約が「営業制限」にあたるとされたことにより、ほとんどの組合は、基金の法的保障を失った。
 労働組合はその性質上、公共の政策(Public Policy)に相対立するものと断定したのである。
 コモンローにおける営業制限の法理について例えば、石橋洋は次のように説明している。
「イギリスの法において、いかなる人もその欲するところにしたがい、また欲する場所で適法な営業又は職業に従事する権利いわゆる営業の自由freedom of trade を有するものとされており、これを制限する約定は営業制限特約と呼ばれる。営業制限特約の典型的な類型として伝統的には、(1)雇用契約終了後の被用者の競業行為を制限ないし禁止する使用者と被用者との間で締結される特約(2)使用者が雇用していた被用者を他の使用者が雇用しないことを目的とする使用者間の特約(3)使用者に対して被用者が統一的行為を採ることを目的とする被用者の特約、のように被用者の営業の自由を制限するものの他、(4)営業譲渡に関連して譲渡人の競業行為を制限ないし禁止する特約、(5)独立した事業者又は事業者グループの間での価格協定等のようなカルテル、(6)パートナー間でパートナー契約終了後の競業行為を制限ないし禁止する特約、等があげられる。こうした営業制限特約の効力如何は、公序(Public Policy)に関わる問題として全て営業制限法理(doctrine of restraint of trade)を通じて判断されてきた。営業制限とはコモン・ロー上の基本的な法原則とされる営業の自由と契約の自由とが交錯・抵触したときに、双方の自由を調整し、営業の自由を制限するいかなる契約もそれを合理的とする特別の事情がない限り公序に反するものとして一応無効と推定するprima facie void法理論と理解されている」【*28】
 要するに、営業制限の法理は、労働組合の場合、労働協約であれ、組合の職務統制、ストライキであれ被用者の個々の契約、競争を妨げ、統一的行為をとることを目的とする結社であるから、それは営業制限であり、公序に反し無効とする法理論なのである。
 もっとも当時の職能別組合は労使間の協約でなく、労働組合が一方的に賃金率を決定し、それを認めない労働者が自発的に離職し失業者になることによって使用者に認めさせるかたちをとっていた。それができたのは、クローズドショップによる入職規制により、労働市場は支配できたためだろう。
 具体的には、「組合は、①労働市場に入って来る者に対しては、徒弟制度を手段として入職規制を行い(合同機械工組合の場合、熟練労働者一人に対して徒弟数を四人に制限し、非組合員が同職につくことに強く反対した)、②すでに労働市場にある者に対しては、いわゆる標準賃金率を厳格に実施させ、こうした「標準化政策」を動揺させる出来高払制や規則的な超過勤務に反対し、③失業者や標準的労働能力を喪失した者が労働市場を圧迫するのを阻止するために失業手当や求職旅行手当を保障する組合基金を作り上げた。」【*29】
 労働市場の支配による賃金カルテルであり、これは明らかに営業制限として違法なものと認識しなければならない。使用者の労働市場に自由に出入する権利を制約し、非組合員への排除によって成り立つ性質のものである。
*10片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上)  労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]
*28石橋 洋「イギリス法における営業制限法理の法的構造(1) : 雇用契約上の競争避止特約を中心に」『熊本法学』98 2000年[ネット公開論文]http://ci.nii.ac.jp/naid/110000955066/ja
*29石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(中) 「労働組合に関する王立委員会」における団結法認論の対抗」『早稲田法学会誌』27197年[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6339

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(20)

労働組合法認1871年法の内容と問題点

 
  営業制限の法理論上、労働組合は違法である。さらに、非組合員やストライキ破りに対する脅迫・暴力はひどいものだった。スト破りに対する暴力事件である1866年シェフィールド事件を契機として、労働組合を非難する世論も高まった。
 にもかかわらず1871年職業=労働組合法(The Ttrade Union Act)により、労働組合を次のように定義し準法人格を与えることとなった(成立の過程は別途検討する)。
 「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」 【*30】
 この定義で明らかなように、労働組合とは使用者・被用者双方の労働力取引に制限を加えるもので、営業制限として不法であるが、この法律と一体のものとして制定した「刑事修正法」により、そうしたトレードユニオンの活動に対して、営業を阻害する(inrestraint of trede)コンスピラシーという理由づけで刑事罰の対象の対象としてきたコモンローの態度を押さえ込んだ。【*4 142頁】しかしながら、重要なことは世界初の労働組合法認といっても、労働者を強制してストライキに参加させることと、ピケッティングも厳格に規制しているので、ストライキは個別的自発的行為の総和としてのみ容認されただけである。又、労働組合が事業をなす方式や人員について干渉することも禁止している。
 1871年「刑事修正法」の内容については。片岡曻【*6 218頁】から引用する。
「同法は、「暴力・脅迫・妨害に関する刑法を修正する」目的のため制定され、1825年労働組合法、1859年労働者妨害法を廃止するとともに、新たな制定法の犯罪を次のように規定する。
(1)他人の身体または財産に対して身体または財産に暴力を用いること。
(2)訴えに基き治安判事が治安維持を命ずる理由ありとするが如き態様にて脅迫するthreaten or intimidate)こと。
(3)他人を妨害する(molest or obstract)こと、但し本法上「妨害」とは以下の行為を言う。
(a)しつように至る所他人を尾行すること。
(b)他人の所有しもしくは使用する器具・衣類・その他の財産を隠匿し、またはこれを奪取し、もしくはその使用を妨げること。
(c)その人が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはかかる家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)、もしくは二人またはそれ以上の人間と友に街路もしくは道路において不穏な状態で他人を尾行すること。
但し右(1)(2)(3)の各行為は以下の目的をもってなされる場合に限られる。すなわち
(a)使用者が強制して労働者を解雇させもしくは雇用を中止させること、または労働者をして仕事を離れしめもしくは完了前に仕事を中断せしめること。
(b)使用者を強制して雇用もしくは仕事を提供せしめず、または労働者を強制してそれを受けせしめないこと。
(c)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結に加入させ、加入せいめないこと。
(d)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結によって課される罰金・違約金を払わせしめること。
(e)使用者を強制して事業をなす方式またはその雇用する労働者の人数・種類を変更せしめること。
 右(a)ないし(e)の目的をもって(1)ないし(3)の行為をなした者は、三月以下の禁錮に処せられる。但し(1)ないし(3)の行為を(a)ないし(e)にいう強制の目的をもってなさない限り、その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由により処罰を受けない」

 つまり1871年の制定法は、労働組合自体を違法とせず、ストライキの通告それ自体は犯罪とはされなくなった。しかし、ストライキは個別的自発的行為の総和であって、他者を強制できない。ピケッティングについては監視・包囲の定義は与えられておらず、ただその場所が明記されたにとどまるが、片岡曻は殆どすべて禁止されるようになったと述べている。具体的には、1871年刑事修正法が通過すると、その威力は立ちどころに現れ、ピケットが悪口を用いたことを理由として無数の告訴が行われ、労働者を勧誘してストライキ中の工場での就業に応じさせまいとする組合員の行動は、すべて禁錮に処せられる結果となり、七人の婦人が一人のスト破りに軽蔑の意をこめて「バァ」と言っただけで投獄されるようになった。(*6 230頁)。
 つまりピケッティングは廃止された1825年法の枠組みでも平和的説得である限りピケットを容認する判例もあったこと、http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/right-to-work-8.html、廃止された1859年の労働者妨害法Molestaion of Workmen Actが(イ)他人と合意して賃金または労働時間を合意したこと、(ロ)平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならないとして、マルクスもこれを高く評価したように労働組合に有利なものであったことを考慮するとピケッティングの規制はずっと強化されたとみてよい。
 つまり世界初の労働組合法認とされる1871年労働組合法は、準法人格を与え、争議権を付与したといっても、それは個人の自発的罷業としてのストライキを容認しただけである。
 つまり労働組合がクローズドショップで入職を規制し、ピケッティングにより非組合員・代替労働者による就業を妨害することにより労働市場を独占することによって、組合の求める賃金率を維持するシステムと捉えるとするならば、1871年法は必ずしも労働組合にな有利なものではなかったと理解できる。
 にもかかわらず、法認された意味は大きい。それは当時の産業構造では職能別組合の直接請負(熟練労働者が労働過程を管理し賃金率を差配する)に依存しないと工場の経営がなりたたない構造があったことも要因といえるのではないか。
 石田眞は機械制大工業の未成熟ないし未成立によって、職能別組合が労働市場を規制することを可能にしたという事実を述べている。すなわち、「産業革命を経過したこの段階においても機械制大工業が支配的となったのは綿業および炭抗業の一部であって、その他の多くの産業部門はそこまで到達していなかったのであり、そのことが職能別組合に一定の優位性を与えたと考えられる。しかし、以上の要因だけでは熟練の解体傾向にもかかわらず職能別組合の政策が人為的な徒弟制度によって維持されたという事情を説明しつくすことはできない。そこで第二の要因として、一九世紀中葉のイギリス資本主義の独占的地位、とりわけ「世界の工場」としての地位によって熟練労働者が典型的な労働貴族になりえたという事情を重視する必要があろう。職能別組合は熟練労働者の特権的な労働条件に依拠して徒弟制度を維持し共済手当制を拡充・強化することによって、不熟練労働者を組織外に排除し未組織で労働条件の劣悪な階層にとどめることによって階層的に分離する労働市場規制を維持し国家による労働条件規制に反対したのである。」(*29 37頁)
 逆にいうと今日の産業構造は、熟練労働者による職能別組合に直接請負をさせなければ工場が成り立たないというものではない。職制の管理者に労働過程を管理する能力があるからである。又、今日では英米いずれもクローズドショップが違法であり、かつてのようにパブが求人の媒介所とならなくても、人事部なりで求人を行っているのであるから、むしろ現代において労働組合を法認する意味はほとんどなくなってきていると感じている。現代こそ営業制限の法理にもとづき。労働組合を違法とすることが可能な時代になったと認識すべきである。

*4中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年 
*6片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
*29石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(中) 「労働組合に関する王立委員会」における団結法認論の対抗」『早稲田法学会誌』27197年[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6339
*30 岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985

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