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2010/02/13

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(21)

「労働組合に関する王立委員会」報告書の問題点


 1871年法の成立の最初の重要な一里塚は「労働組合に関する王立委員会」(The Royal Commission on Trade Unions 1867-69)であり、この委員会が設置されるきっかけとなったのは1866年の10月シェフィールド事件であった【*31】これは組合を脱退してストライキされている使用者のところで働いたため眠っている部屋を火薬で爆破した事件で、警察は1100ポンドの懸賞金をかけて情報を求めたが、この事件は研磨工組合の書記ウィリアム・ブロードヘッドが計画し、実行犯は、組合の基金から200ポンドを支払ったことが明らかになった。【*17 137頁】。この事件をきっかけとして、労働組合への激しい批判が起こり、労働組合は世論の批判をかわすため、これはシェフィールドの刃物業の組合の特別な性格によるものだと弁解したが、【*29】到底納得のいくものではない。。最初に調査を要求したのは、国会議員ロ-バックによって指導されたシェフィ-ルドの使用者達であって、労働組合に対する厳しい取締りをのぞんでのことであった。 ところが逆説的に「労働組合に関する王立委員会」は条件つきながら団結に対して営業制限の法理から免責させることにより集団的取引を合法化する団結法認の方向性を打ち出す。

  既に1824年と1825年の間に団結禁止法を廃止した影響の議会の調査において、労働組合と暴力・脅迫・妨害について次のように指摘されていた。
「組合加入を拒む労働者やスト破りに対する実力的強制は、むしろ増大した「多数のストライキが起こり、そしてそれらのストライキには暴力と抑圧が伴った。」議会の記録によると、たとえばダブリンではすくなくともこれらの者二名が殺された。スターリングシャーのある鉱夫は、なぐられてほとんど殺されかかった。アイルランドでは七〇名ないし八〇名が傷つけられ、そのうちの三〇名は頭をうちくだかれたのであった。硫酸をあびせることは、スコットランドではすくなくとも一八二〇年ごろからはじまり、多くの者がひどい火傷をうけて、生涯の盲になった。またスコットランドのある鉱夫組合は、その地方にきた者が組合に五ポンドを払うまでは、鉱夫として働くことを許さない旨の規則をさだめ、使用者が非組合員を雇うことを許さなかった。」【*26 135頁】
  また「1870年以前25年法以降においても「かなりの組合は同職労働者の強制加入、非組合員との共同労働の拒否を、規約の明文にさだめていた。しかも「有能な労働者でない組合員も多かったけれども、非組合員であって有能な労働者は比較的少なかった」。そこで多くの労働者を雇う使用者にとっては、彼らの規則に従って組合員だけを雇うことに合意しなければ、ほとんど営業を続けることが不可能であった。その規則は厳格に実行され、組合に加入しなければ、ほとんど営業しつづけることが不可能だった。その規則は非常に厳格に実行され、組合に加入しないかぎり、使用者自身の甥あるいは兄弟でさえ解雇を要求された。少数の労働者しか必要としない小規模の使用者の場合には、選択の自由は大きかった。しかしやはり、彼ら自身および非組合員にたいする重大な危険を覚悟しなくては、かならずしもその自由を行使しえなかった」【*26 136頁】
  非組合員に対する攻撃の例として、シェフィールドやマンチェスターあるいはその周辺では機械や原料が破壊され、馬は腿筋を切って跛にされ、従業員の仕事道具が奪われ、あるいはいじめられるという可能性はすくなくとも存した。【*26 139頁】
  私が思うに労働組合とは暴力・脅迫・妨害で個別的取引の自由を否定する組織である。いうまでもなくこれについては営業取引を制限するコンスピラシー、他人の取引を侵害するコンスピラシーの2つの論点から違法とみなさなければならない。職能別組合の内部請負制というものがクローズドショップによる入職規制と、ストライキで代替非組合員の就労を排除により、労働市場の独占することは、明らかに悪質な営業制限である。しかもそれは暴力や脅迫を伴っていた。ピケッティングは代替要員を就労させずに労働組合で労働市場を独占するためのものである。
  マカロックの団結放任論の過ちが労働者の団結と穀物商人やパン屋の価格協定と同一視であることは既に述べた。買占め禁止法や高利禁止法の規制は撤廃された。先買いや買占めも営業制限であるが、市場経済の発達で買い占め禁止は無意味になった。1815年にロンドンのパンの公定価格制が制定法によって廃止されたが、業者の団結によるつり上げを防止しなくても、「自由な競争」がある限り問題なく、潤沢に供給されていた。穀物やバンの価格協定を放任しても、容易に崩壊し無害であった。
  しかし、使用者と非組合員の雇用契約を妨害し、出来高払いによる雇用契約を妨害し、超過勤務の制限すること、取引を制限し有害であることは明白なことだろう。買い占めや価格協定には付随しない暴力・脅迫・妨害が付随するのである。


  ところが「労働組合王立委員会」多数派報告書の結論は、「契約違反を含む行為をなす団結」「特定の人とともに働くことを拒否する団結」でなければ取引を制限するコンスピラシーを免責する。つまり集団的取引を合法とする方針としたのである。この点について石田真は1825年法が原則的に団結権を否定し、賃金・労働時間に関する団結が例外的に認められていたにすぎないが、団結権を承認したものとして評価する。但し、団結の法理論構成は「資本と労働の処分の自由」を根拠に「現実に会合に出席している、もしくは個人として談合している当事者のみを拘束する」ものとしており、それは「完全に自由意思による」団結とされ非組合員の雇用排除を認めない【*29 45頁】。強制を伴う団結は法認の範疇にない。これによって他人の取引の自由の侵害する在り方を違法とする方針であったと考えられる。
      
      
   
   「労働組合王立委員会」のメンバーは 、アール卿を議長として、その他リッチフィールド、エルコー、ローバック、グーチ、メリヴェイル、マシューズ、ブース、ヒューズ、ハリソンの10名だった。報告書はブースの「草案」が叩き台とされたがプロ労働組合のハリソンとヒューズの激しい批判にあったためまとまらなかった。このほかリッチフィールドが労働組合寄りだった。このため意見は分裂して多数派報告書がブースの草案に基づくものとして作成され、少数派報告書は内務大臣ウォールポールが労働組合側の要求を入れて「労働者階級の見解を代表しうる人」として任命したハリソンが書いた。
 多数派報告書では労働組合について次のように性格を規定している。それは「組合員資格を一定の徒弟年限(五年)・年齢・入会金によって制限し(二一項)②雇用に関する「情報活動」によって統制権限を集中化し(一八項)③相互保険による共済活動を行う(二七項)組合である。また組合の目的の中心は標準的な賃金率の設定であり、その実現手段はストライキおよび入職規制、出来高払制・超過勤務に対する反対等であった(二九項)」【*29*42頁】。

 労働組合の実現手段はストライキと入職規制と明確に述べている。にもかかわらず団結法認論をとるのである。「労働者たちが使用者のために働くのに同意する条件を、その使用者と決定し約定するために、労働者たちが団結する権利の一般的間題に関して、我々は次のように考える。その団結が完全に自由意思によるものであり、団結した連中に拒否された仕事を行う完全な自由が、他のすべての労働者にのこされており、かつ使用者がよそで労働の供給をもとめることを妨害されないのであれば、労働者にそのような権利を与えないことは、正義の面でも、政策の面でも根拠がない」(六〇項)ということを基本原則として、具体的には「いかなる団結も、その機能が営業制限であるという理由のみによって違法となるこはないということを実質的に制定するように現行法を緩和する限りで一つの法案が提出される」が、「契約違反を含む行為をなす団結」および「特定の人とともに働くことを拒否する団結」に関しては「現在存在する法を変更すべきではない」(七三項)というもので、従来どおり営業制限の法理の洗礼を受けるべきものとした。【*2944頁】
 ブース草案では非組合員の雇用排除は「労働の自由、すなわち使用者が自由に労働者を求める権利および労働者が自由に仕事を求める権利の制限」であるとして、また職長に対する反対は「使用者の業務遂行方法の方式に関する干渉」として批判されており、石田真は「国家は、労働の使用や使用者の営に対して規制を加える団結を禁止すべきとした」1825年法の見地となんら変わらないものと分析している。
 重要なことは多数派報告書のもとになっているブース草案は団結権とは労働組合合法化を意味するものではないことを述べている点である。
「一時的な団結」と「恒久的な労働者の団体」を区別し、前者にみ合法性を付与しようとした。すなわち、「一時的な団結」は「その労働を処分するために十分な自由がすべてての労働者に与えられている」が故に承認されるが、労働組合は、労働を独占するという政策をもっており、「労働者が、生起するそれぞれの場合に適切であると考えて判断する権利や、行動する権利を放棄するように将来にわたって彼自身を拘束する」が故に認められないとしていることである。【*49 45頁】
 団結権とは労働組合に労働者を統制したり、強制したりする権限を付与するものではないというのが、 「労働組合に関する王立委員会」の考え方だったのである。

 私が思うに「労働組合に関する王立委員会」が取引を制限するコンスピラシーを免責というかたちで、集団的取引を合法化する方向性を打ち出してたことは過ちであったと思う。営業制限の法理からの免責という市民法の原理から逸脱を認めたことは、その後の労働者による立法闘争とそれに迎合した議会・政権によって、坂道から転げ落ちるような結果、労働組合合法化、スト刑事免責という結果をもたらすことになった。
 しかし、にもかかわらず、「労働組合に関する王立委員会」の団結権法理論が、他人の取引を侵害することを決して容認するものでなかったこと。つまり団結権とは個人が集団的取引を選択する自由を付与することで、労働組合に他者や構成員を統制する権限ではないことを明確にし、この範疇では免責しないとしたことは一つの良識的政策判断として評価できるのである。
 この論点からするならば、我が国の憲法28条の解釈において、団結権の権利主体は個別労働者であるにもかかわらず、組合が結成されれば、労働組合が団結権の権利主体として登場し、個別労働者の権利は後退してしまうというより、労働組合の統制や強要によっ意のままにあやつられるようなあり方を是認していることは大きな問題だといわなければならない。
 
 「労働組合に関する王立委員会」が労働組合合法化を打ち出さなかったにもかかわらず
労働者の立法闘争により、合法化の方向とされたバックグラウンドとして、ウェッブの言う19世紀中葉における新型労働組合の台頭がある。これは機械工、大工指物師、ボイラー工、石工といった熟練職人労働者が労働運動の指揮権を執るようになったことであった。彼ら労働貴族と呼ばれ週27~40シリング(年収70~100ポンド)に及び、
全労働者の10%程度を占めたとされている。新型労働組合は週1シリングと言う高額な組合費を徴収し、財力にものをわせて、強い市場独占力と高い失業給付と共済機能を確保した。彼らのはげしい議会ロビー活動による攻勢があったわけである。【*30 137頁以下】
 第二に1867年の選挙法改正がある。この改正で借家住まいでも年10ポンドの部屋代を払っていれば1年以上の居住を条件として選挙権を認めたため、都市の有権者の増大により一挙に選挙権を有する国民が200万も増えた。このことによって、保守党といえども労働者の要求を無視できなくなったといわれている。【*17 145頁以下】

*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*26 佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 
*29石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(中) 「労働組合に関する王立委員会」における団結法認論の対抗」『早稲田法学会誌』27197年[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6339
*30村岡健司「第4章繁栄の時代」『世界歴史大系 イギリス史3-近現代-』山川出版社1991

*31美馬孝人「イギリス・ヴィクトリア期における労働組合の受容について」『季刊北海学園大学経済論集』54(2)2006年[ネット公開論文]http://ci.nii.ac.jp/naid/110006406088/では次のように説明している。

「シェフィールドの刃物研磨業filetradeでは労使の対立が鋭く,1864年に研磨工の賃金をめぐる紛争が各所で起きていた。1866年に,賃金紛争は新しい機械の導入とそれに伴う事故の可能性,労働災害への保証をめぐる問題も絡んだストライキに発展し,シェフィールド労働組合協議会は事の重大性を認めて,全面的な支援を行ったが,雇用主側の強硬な姿勢の前に敗北した。組合員による非組合員への憎しみと嫌がらせは度々報じられてはいたが,このような時に,以前から嫌がらせを受けていた非組合員の家が火薬によって爆破されるという事件が起こった。たちまち轟々たる非難の声が巻きおこり,全国の新聞はこうした事件がシェフィールドに限った事ではなく全国的に発生しているとして,労働組合活動への刑罰法を要求した。労働組合運動が社会に害を及ぼす共謀罪として糾弾されたのであった。」

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