団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(22)
下書き1-(20)の別バージョン
1871年労働組合法(The Ttrade Union Act)による世界初の労働組合合法化と一体のものとして制定された1871年刑事修正法の意義
王立委員会が開かれている間に,組合はその活動によって有利な法律を獲得した。1868年,ラッセル・ガーネイによる「窃盗罪および公金横領罪法」は,労働組合が不正を行った役員を起訴できるようにし,また1869年の「労働組合(基金保護)法」は,王立委員
会の報告が出るまでの間,不正を行った役員から賠償を求める民事訴訟を起こす事ができるようにした。【*31】これは1867年のホーンビィ対クローズ事件がストライキの目的を持つ組合規約を「営業制限」にあたると判示したことにより、ほとんどの組合は、基金の法的保障を失ったことに対抗した制定法で判例法を覆すためのものであったと考えられる。労働組合のロビー活動は着実に成果を上げていったとみられる。
「労働組合に関する王立委員会」(1867-69)の多数派報告書についてウェッブは次のように要約している。
「それは,職業上の団結は労働者に実質的な経済的利益を与え得ないと述べながら,それにもかかわらず,一定の条件の下で組合の合法化を勧告した。1825年の法は,賃金又は労働時間に関する団結だけを普通の非合法性から除外していたのに対して,委員会は,『契約不履行を含む行為を行うために』,また特定の人と働く事を拒否するために結成されたものを除き,今後はどのような団結も職業〔営業〕を制約するとのかどで起訴されない,と勧告した。しかし,それによって組合の基金に対する法律上の保護を獲得する力となる登記の特権は,その規約に徒弟や機械使用の制限とか,請負や下請けの禁止などの制限的条項restrictiveclausesをもたない組合にだけ与えられるものとされた」(Webbs, op. cit., pp.269-70,邦訳,303~4ページ【*31】
労働組合は「営業を制約するとのかどで起訴されない」,つまり合法化されるが,それは一定の条件の下においてのみであり,組合基金の保護もまた「制限的条項」をもたない組合に限られるものと勧告したということである。【*31】
したがってこの勧告では、争議行為のない、共済機能だけの組合を容認したともいわれている。しかし、いうまでもなく、クローズドショップによる入職規制と徒弟規則ストライキにおけるピケッティングによる非組合員や代替要因の就労妨害により労働市場の独占かなければ、労働組合は要求通りの賃金率は得られないのであるから、多数派報告書を労働組合主義者は評価しないのである。
これに対して、ハリソン、ヒューズ、リッチフィールドの少数派報告書は労働者の団結に対する一切の法律的差別待遇を廃する事を勧告した。スト破りやピケットについては一般の刑法で裁けばよいと云う立場をとった。【*17 143頁】労働組合の立法闘争は少数派報告に沿った立法を追究することとなった。
1868年の選挙は,多数の都市労働者が投票した最初の選挙であった。労働組合の指導者たちは,組合員がその名前を選挙人として登録し,投票権を獲得した上で,候補者たちに組合の要求を支持することを求めるように指令した。かなり多くの候補者は,彼らの求めに応じて,労働組合に有利な行動を取ることを約束して当選した。しかし当時の自由党政府と,ほとんどの下院議員はなおも労働組合の諸原則に密かに敵対しており,労働組合を合法化する法律を作る気はなかった(Webbs, op. cit., p.274,邦訳309ページ)。しかし労働組合の粘り強い働きかけが続けられた結果,1871年になって自由党内務大臣ヘンリー・ブルースによる労働組合法案が提出された。それは労働組合側の要求が法案に取り入れられた。【*31】
すなわち、1871年労働組合法は組合基金に法的保護を与え、その共済手当給付を自由にするとともに、「本法がなければその目的が営業制限の理由により不法の団体と見なされるべき」労働組合を「単にその目的が営業制限という理由のみでは不法とみなさない」(同法2条)。【*32】
世界初の労働組合合法化立法であった。同法では新たにトレードユニオン(労働組合)となづけた団結を次のように規定した。労働組合の定義として最もわかりやすいものである。「労働者と雇主たち(マスターズ)、あるいは労働者たちと労働者たち、あるいはマスターズとマスターズとの間を規律しようとする団結、ないし営業または企業のり行為に制約的諸条件を課そうとする団結」。【*7 141頁以下】これは、ジャンタと呼ばれる職能別組合が自由党政府への激しいロビー活動で実現した政治的なものであって法的正義ではない。秋田成就は同法の意義について後述の刑事修正法に於いて厳格なピケット規定により大きな制約を蒙っているので屡々云われるように決して「労働組合の大憲章」デアルわけではないが、個人主義的市民法によって立つ営業制限の法理がコンスピラシーの構成要素から除去されたということは法理上の点から、かつ又労働事件に対するコモンローの影響力から考えても確かに一時期を劃するものであると述べている。【*32】
私が思うにこれは、制定法によるコモンロー法理の無効化であるから法の支配からの逸脱であり、市民法的原理を適用しないことによって労働組合の利権を擁護した悪しき政治結果であり、刑事修正法と云う歯止めを失えばたちまち坂道を転げ落ち、個人主義的自由を危機に陥れる性格を有する危険な立法であったと評価する。
もっとも労働組合法で労働組合はコンスピラシーから解放されたわけではなかった。当初、労働組合法は第3部で組合の行動を拘束する刑事条項を含む刑事修正法と一体のものとして構想された。雇用主あるいは労働者がその目的を達成するために妨害したりmolest,阻止したりobstruct,威嚇したりthreaten,脅迫したりintimidateすれば,厳重な処罰が下されることになっていた。団結禁止法の用語がよみがえったばかりでなく,1859年労働者妨害法により容認された平和的ピケッティングでさえ処罰され得るものとなっていた。【*31】つまりアメとムチが一体となって用意されていたのである。これをカール・マルクスは「議会的手品」と云って批判した。【*17 143頁】
この点で労働組合は抗議行動を展開したが政府は法案の修正を拒否しつつも、譲歩として法案の分割に応じた。
つまり労働組合法と刑事修正法の分割制定である。1871年刑事修正法によるピケッティングに対する集中的な攻撃がなされた、1871年「刑事修正法」の内容については。片岡曻【*6 218頁】から引用する。
「同法は、「暴力・脅迫・妨害に関する刑法を修正する」目的のため制定され、1825年労働組合法、1859年労働者妨害法を廃止するとともに、新たな制定法の犯罪を次のように規定する。
(1)他人の身体または財産に対して身体または財産に暴力を用いること。
(2)訴えに基き治安判事が治安維持を命ずる理由ありとするが如き態様にて脅迫するthreaten or intimidate)こと。
(3)他人を妨害する(molest or obstract)こと、但し本法上「妨害」とは以下の行為を言う。
(a)しつように至る所他人を尾行すること。
(b)他人の所有しもしくは使用する器具・衣類・その他の財産を隠匿し、またはこれを奪取し、もしくはその使用を妨げること。
(c)その人が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはかかる家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)、もしくは二人またはそれ以上の人間と友に街路もしくは道路において不穏な状態で他人を尾行すること。
但し右(1)(2)(3)の各行為は以下の目的をもってなされる場合に限られる。すなわち
(a)使用者が強制して労働者を解雇させもしくは雇用を中止させること、または労働者をして仕事を離れしめもしくは完了前に仕事を中断せしめること。
(b)使用者を強制して雇用もしくは仕事を提供せしめず、または労働者を強制してそれを受けせしめないこと。
(c)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結に加入させ、加入せしめないこと。
(d)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結によって課される罰金・違約金を払わせしめること。
(e)使用者を強制して事業をなす方式またはその雇用する労働者の人数・種類を変更せしめること。
右(a)ないし(e)の目的をもって(1)ないし(3)の行為をなした者は、三月以下の禁錮に処せられる。但し(1)ないし(3)の行為を(a)ないし(e)にいう強制の目的をもってなさない限り、その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由により処罰を受けない」
つまり1871年の制定法は、労働組合自体を違法とせず、ストライキの通告それ自体は犯罪とはされなくなった。しかし、ストライキは個別的自発的行為の総和であって、他者を強制できない。ピケッティングについては監視・包囲の定義は与えられておらず、ただその場所が明記されたにとどまるが、片岡曻は殆どすべて禁止されるようになったと述べている。具体的には、1871年刑事修正法が通過すると、その威力は立ちどころに現れ、ピケットが悪口を用いたことを理由として無数の告訴が行われ、労働者を勧誘してストライキ中の工場での就業に応じさせまいとする組合員の行動は、すべて禁錮に処せられる結果となり、七人の婦人が一人のスト破りに軽蔑の意をこめて「バァ」と言っただけで投獄されるようになった。(*6 230頁)。
つまりピケッティングは廃止された1825年法の枠組みでも平和的説得である限りピケットを容認する判例もあったこと、http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/right-to-work-8.html、廃止された1859年の労働者妨害法Molestaion of Workmen Actが(イ)他人と合意して賃金または労働時間を合意したこと、(ロ)平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならないとして、マルクスもこれを高く評価したように労働組合に有利なものであったことを考慮するとピケッティングの規制はずっと強化されたとみてよい。
従って、1871年法が想定した合法化する労働組合とは労使協調型で、争議行為に及びない、主たる機能が組合員の自助・共済機能にある組合と理解しても大きな間違いではないと考える。
*6片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*7中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房1998年
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*31美馬孝人「イギリス・ヴィクトリア期における労働組合の受容について」『季刊北海学園大学経済論集』54(2)2006年[ネット公開論文]http://ci.nii.ac.jp/naid/110006406088/
*32秋田成就「イギリスにおける争議権」『季刊労働法』5(1)1955年
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