公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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2010年4月の23件の記事

2010/04/29

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(32)

 アンドリュー・ローゼン川北稔訳『現代イギリス社会史1950-2000』の訳者あとがきにもあるように、巷に氾濫しているイギリスの情報は王室、紅茶、パブといったアングロマニアックなものが多い。私もイギリスの結婚風俗、とくに18世紀のフリートマリッジのようなくだけた文化が好きである。建築や庭園についても関心はある。欧州大陸諸国は嫌いだがイギリスは好きであり、アングロマニアックそれ自体を否定しないが、そういう情報だけでは現代のイギリスを説明することができない。具体的に80年代の炭鉱ストや新聞社印刷工のワッピング争議における労働組合敗北の意義と云ったことに重点を置いて現代史を検討すべきである。私がサッチャー政権でもっとも評価するもの、それはコレクティブレッセフェール体制を立法的介入により漸次終焉させ、1901タフヴェイル判決を全面的にではなくとも復権させたことによる労働政策のパラダイム転換にある。そしてサッチャーが政権を獲った主要な要因も国民の反労働組合感情にあった。
 
不満の冬(1978~79)における労働組合の横暴

前回

http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/right-to-work-2.html

 1979年5月3日総選挙はマニフェストで、ピケの制限、労組の役員選挙における郵便投票に政府が資金提供すること、クローズドショップの禁止を盛り込んだ、サッチャー率いる保守党が339議席が獲得し勝利した。
 保守党勝利の要因には、社会を麻痺状態に陥らせた「不満の冬」(1978~79)と呼ばれるストライキの頻発、とりわけ迷惑をかえりみない公共部門労働組合のピケット対して、国民が怒ったこと。それを制御できないキャラハン労働党政権への不信感によるものと思われる。
 労働争議で失われた日数は1979年に2947万4千日に達したが、これは70年代の平均の倍、60年代の年平均355万4千5百日の約8倍に相当する。【*47第6章労働組合84頁】、ストに参加した労働者数は1979年に461万人に達したのである。【*17 247頁】。
 「不満の冬」のストの始まりは1978年9月フォード自動車工場のストライキであり、続いてロンドンのタクシー運転手のストをはじめ、さまさざまな公益事業に広がった。フォード自動車工場は17%賃上げで妥結したが、78年12月地方自治体現業労働者は40%の賃上げを要求した。1979年11月22日,150万人の公共サービス労働者が。救急車の運転手、ゴミ収集人たちは皆仕事をやめた【*48】 。

 その結果何が起きたか。学校は休校になり、ロンドンのゴミは収集されうず高く積み上げられ腐り始めた。バーミンガムのクイーン・エリザベス病院では、ピケットのために食料や医薬品の搬入が阻止され、そのため65名の癌患者と数名の妊婦が帰宅させられた【*17 249頁】。もっとも評判が悪かったのは、リヴァプールの墓堀人たちが死体の埋葬を拒否したことだった。その報道で悲しんでいる遺族が墓地から追い返されている姿は、全国を震撼させ、深刻に嫌悪感を引きおこしたのである【*47 84頁】。
 これほど、ひどいことになった理由は、1906年の労働争議法でイギリスでは同情ストが禁止されておらず(同情スト1927年に違法とされたが、1976年に合法化)ストが拡がりやすいだけでなく、本質的にはマスピケッティング(大量動員ピケ)を規制していないことに問題があった。19世紀においてアールやブラムウェルといったダイシーが尊敬すべきと云う良識的な裁判官が他者の権利を侵害する者として厳格にピケッティングの違法をとする判断を下していたことを思い起こすべきである。ピケに寛容な労働政策は社会秩序を乱すものであるということを、「不満の冬」の教訓とすべきであろう。
 70年代のイギリスのストライキのひどさというものを直視するならば、ピケットの規制はわが国においても必要である。公務員に労働基本権付与が政治日程に上っている以上、ピケットの態様の規制は重要な政策課題である。
イギリスにおいては1980年雇用法によりピケッティングを組合員自身の「就労の場所の周辺」に限定した上で、行為規範によりピケ人数を6人以下に限定した。【*49 111頁】 これによってフライングピケットと大量動員ピケを違法化した。
 フライングピケットというのは1974年2月の炭坑ストなどで政府を驚愕させ空前の混乱をもたらした戦術であり、全国炭坑労組のスカーギルが指揮した就労妨害のために各地を移動する組織だったピケット機動部隊のことである。ハエのように移動して集まって石炭輸送を妨害した。同情ストも容認されていたため鉄道労働者やトラック労働者も支援し、貯炭準備が乏しい状況で、石炭の発電所への輸送をピケ隊が妨害した。このストは全国炭坑労組30%の賃上げ要求に対し、保守党ヒース政権は16.5%の増額を提示したが組合が拒否したために始まったが、電力不足は深刻化し、国民は暗くて寒い冬を経験し、ロンドンでは馬車が復活、オフィスではローソクをともす事態にまでなった。
  ヒース首相はストを収拾できずに「国を治めるのは労働組合か政府か」を争点にして総選挙に打って出たが4議席差で敗北、結果的にこのストはヒース政権を打倒した。政権交代によりウィルソン労働党政権は29%賃上げというほぼ満額に近い回答でストは解決し、全国炭坑労働組合の大勝利となったのであるが。この1974年2月28日総選挙の結果を解釈すると、国民の怒りは労働組合の横暴はむろんのことだが、有効な対策がなくストを収拾できずに、電力不足から工場の操業を週3日に短縮したり、暖房を1世帯1室に限定するなど国民に耐乏生活を強いた【*50 34頁】、ヒース政権にも怒りが向けられていたとみるべきである。
  よって、ピケットの規制は重要な政策課題だったのであり、それを果たしたのが、ヒースとは違う労働政策をとったサッチャー政権であった。


*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*47アンドリュー・ローゼン 川北稔訳『現代イギリス社会史1950-2000』岩波書店2005
*48美馬孝人,大西節江「1970年代のイギリス国民保健サービス」『北海学園大学経済論集』第55巻第1号(2007年6月
PDF http://www.econ-hgu.jp/books/pdf/551/mima_57159.pdf
*49家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」『名古屋大學法政論集』. v.168, 1997, p.105-150
    http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/dspace/handle/2237/5752

*50小川晃一『サッチャー主義』木鐸社2005年 

2010/04/27

沖縄4.25県民大会9万人は水増しなんだそうだ

ブログ狼魔人日記http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/52192d56e37cf998724e1fe83daa921a?fm=rssによると4月25日の読谷村運動公園における反基地集会の主催者発表9万人はかなりの水増しがあるということだ。なるほど、1坪に14人詰めないとこの会場では9万人にならない。警察発表もないということである。名護市では連日防災無線を使って県民大会への参加を煽っていたとのこと。情報を総合すると実数は1万5千から2万人ぐらいのようだ。

東京都水道局の職場では全水道東水労の青年女性部が10人、5月15日、16日の集会と16日の普天間包囲人間の鎖に参加するため派遣することが組合掲示板にある。分会書記長は沖縄の海兵隊は他国を侵略するためのものだからいらないと演説してました。

2010/04/26

うざいぞ反基地集会代表団、沖縄の反基地女子高生

NHKニュースで、25日の反基地集会の代表団が決議文をもって上京し「団結頑張ろう」とかやっているのを見た。左翼体質丸出しで不愉快。だいたい「キャンプ・シュワブ」も3年以上も地元が誘致活動をして、やっと認められ、海兵隊が展開したものである。沖縄には米軍基地が70%集中しているというマスコミの主張にはカラクリがあって、純然たる米軍基地に限ればそうなるが、本土全体に展開している日米共同基地は除外されているから、沖縄の占有率は実質24%程度に過ぎない。共産中国の海軍が示威行為をやっているんだから、沖縄に基地は必要だ。集会で女子高生が「沖縄に基地はいらないと思うのです」とわめいていたがとんでもないって。だいたい美人の女子高生を司会者にしたりしているが、高校生を政治活動に巻き込んでやっているのは疑問だ。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(31)

前回

http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/right-to-work-1.html

 14世紀における共同謀議者令、労働者勅令からはじまってやっとこさ1906年まできた。といっても主従法系の法制史に全く言及していないが、ここでは法制史が目的ではなくて、非組合員の権利、争議行為、ピケットに関する法制について中心に見てきたわけである。
 1906年労働争議法からヒース政権の1971年まではカーン・フロイントの云う、コレクティブ・レッセフェールの時代である。これはほぼ1906年労働争議法体制と云ってもよいが、この間はもう時間的余裕がないので大幅に省略することする。但し、実質的にコレクティブレッセフェール体制が大きく変化し、1906労働争議法の「免責特権」を縮小し「1901年のタフベール判決を部分的に復活させた」というほどの効果と評価されているのが1982年雇用法であり、こののちは80年代以降を中心に取りあげたい。
 脈絡からいくと、既にブログに書いた「反労働基本権-実質的に団結権を否定し労働組合の免責特権を縮小した1980~90年代イギリス保守党政権の労働政策を賞賛する(1)」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-2ac3.htmlと連結できるが、内容を書き換えてて「団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ」ー下書きを続行する。 

  1901年のタフベール判決は、タフベール鉄道会社が、カーディフ駅でピケッティングにより、スト破りの労働者を雇用できなかった損害賠償として組合に2万5千ポンドを支払うよう命じた判決だが、労働組合は裁判所に対抗するために国会議員を出して、民事免責制定法を勝ち取る政治活動を行った結果、1906年の労働争議法で、労働組合に関する不法行為の訴訟は受理されないとした、いわゆる「民事免責」がなされ、事実上、労働組合活動の「法認」というかたちになった。つまり労働組合は「免責特権」を得たのであった。雇用契約違反の誘導、営業・仕事・雇用の妨害、個人の労働力処分の自由の侵害といったコモンロー上の不法行為であっても議会制定法で免責する在り方となった。組合員、役員をコモンローによって生ずる責任を負わずにすむようにした。これによって労働組合は強大化した。
 ところで1906年の労働争議法から1960年代のイギリスの労使関係を「コレクティブレッセフェール」と呼ばれる。労働組合を法のコントロールから解放(個人の平等の概念に支えられた判例法の介入を阻止)して集団主義による労使関係の自由放任体制という意味ですが、オットー・カーン・フロイントが労使関係の議会制定法による介入抑制的姿勢をイギリス労働法の特徴として定義したことに始まる。
 別の言い方では「免責特権」によりコモンローによる起訴から免れ、議会制定法による労使関係の介入が抑制されているなかで、労働組合が法的にしばられないで、自律性を有する体制であるが、国家は労使関係について中立的不干渉であり、経営者に組合を承認したり団体交渉応諾義務を課すこともないし、任意であるから我が国の「労働三権」のように積極的に政府が法律で労働組合や団体交渉を保護するという体制ではない。しかし実質的に、判例法から解放され、労使関係について制定法の干渉が抑制されることにより、労働組合が職場支配を強め、労働過程と労働供給を支配して、経営権より事実上の力関係で優位にたつことができる体制なのである。労使は敵対的であり事前のコンセンサスによる協調関係がないため、しばしば、利害調整不能な大規模な争議行為を引き起こした。
 またコレクティブレッセフェール体制は、「ボランティアリズム」とも呼ばれる。小宮文人は「労使自治と任意的団体交渉の徹底的信頼と述べ、カーン・フロイントを引用して説明する。
 「イギリスの労使関係は、主に、労使自治の形の形をとって発展してきた。この自治の概念は、基本的なものであり、立法および行政の実践に反映されてきた。それは、労使が自分たちで行為準則を形成し、その範囲内で準則を実施する仕組みを作り、文書による約束も合意も権利も義務も、一般的なにに言えば法的な性格を存しないのである。」(*44)
 
 労働協約は法的性格を存しないというのは、判例法のコントロールを免除された法外的な領域での合意であり、そもそも法は容認しないということだろう。コモンローは(今もそうであるが)団結・団体主義に敵対的なのである。コモンローは本質的に個人の権利を守るのであって、労働者個人と雇用主の労働力取引・雇用契約について第三者の干渉、規制も悪しき「営業の制限」なのである。営業制限の法理や経営権に抵触するためだと考えられる。
 
 私は明確にコレクティブ・レッセフェール=1906年労働争議法体制を悪と断定する。
 既に前回、ダイシーやサー・フレデリック・ポロックという著名な法制史家が1906年労働争議法を激しく非難していることをダイシーの『法律と世論』という名著の第二版序文から引用したが、もう一人重要な人物が、1906年労働争議法を激しく非難している著書をたまたま発見した。法制史の泰斗、オックスフォード大学ヴァイナー講座教授ホウルズワースの西山敏夫訳『英米法の歴史家たち』創文社2009年(原著は1928年刊行)の142頁である
 「民主国家は、かつての法律家や旧体制の政府と同じように、その国において法への尊敬を作り出すような立法をすることに成功するであろうか?.その答えは決して明白ではない.国王や貴族制は多かれ少なかれ、ある程度彼らが世論を懐柔する必要があるという事実を意識していた.民主国家における多数派は.たとえ小差であって.それが多数であるので常に彼が世論を反映していると考え.それ以上の反省なしにその気まぐれを満たすことができる.性急で計画性のない立法の結果は.法自身への軽蔑を招きがちである.イングランドでの目に余る事例は.労働組合を法のコントロールから開放した労働争議法(Trade Disputes Act)である。我々が最近になってその影響を被った経験は、伝統的なイングランドの法への尊敬をぶち壊すまでに至った手段を変更する必要性を強調した‥‥このタイプの立法における実権は、国民の法への尊敬を作り出すより.ぶち壊す方がずせっと簡単であることをみ証明している」
 この著作は、1927年米国コロンビア大ロースクールの講演の記録であるので「最近になってその影響を被った経験」とはたぶん1926年のゼネラル・ストライキをさすものと思われる。1926年の労働損失日数は1億6200万日に及んだのである。ボールドウィン保守党政府は1927年労働争議・労働組合法はゼネストを非合法化し同情ストを違法としたが、同法は1946年のアトリー労働党政府に廃止された。(*45 15頁)
 ホウルズワースは大著『イングランド法の歴史』16巻(1924年)を著した碩学であるが、ホウルズワースを引用している著書で私が知っているのは中川八洋氏の『正統の憲法 バークの哲学』中央公論新社2001年である。中川氏はホウルズワースの大業績たる1924年の大著が日本で翻訳されてないのは不可解だとしているだけでなく、17~18世紀のコーク、ヘイル、ブラックストーンという法の支配派ベスト・スリーを英国の正統憲法学とし20世紀に中継したのが、メイトランドとホウルズワースとしているように高く評価されるべき正統の法制史家である。(51~52頁)
 中川八洋氏は保守主義がなんたるかを一般書で示したことで尊敬している。中川氏の立場は明確でありベンサム主義を激しく非難し、ダイシーの「国民主権」説を謬説として退け、隠れベンサム主義者であると喝破されている。
 私も基本的に同調しダイシーを偽装保守主義者と見ているが、しかしホウルズワースはダイシーの『法律と世論』について天才の著作であると同時に法制史家のモデルとなるものだと云う評価を下しており(*46 83頁)、それはヴァイナー講座の先任教授であるため世辞かも知れないが、いずれにせよ、ダイシー、サー・フレデリック・ポロック、ホウルズワースと云う、イギリス法の何たるかをわかっている超一流の学者が、揃いも揃って1906年労働争議法を激しく非難している事実を重く受け止める必要がある。 
 
 
 
*44 小宮文人 「イギリス ボランティアリズムの変容」『海外労働情報』2002年6月№325 
*45小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 
*46ホウルズワース 西山敏夫訳『英米法の歴史家たち』創文社2009年(原著1928年) 
 
 

2010/04/25

事業仕分けで気になる「労働政策研究・研修機構」の成果普及の廃止

  労働政策研究・研修機構の仕分けは気になった、テレビで滅多斬りにされていたわりには、当初云われていたほど大きく切り込まれなかったようだが、「成果普及等の廃止」は問題だ。具体的に何か廃止されるのか、アウトソーシングを言っているのか判然としないが、私はかつて日本労働研究雑誌、海外労働情報、週刊労働ニュースと三つも購読していた時期があったし、ここのサイトhttp://www.jil.go.jp/publication/を読みこなしているわけではないが、有益なサイトである。特に海外労働情報は一般新聞では伝えないニュースと解説記事でフォローできるので情報源として絶対必要。

『日本労働研究雑誌』はわが国における労働研究のジャーナルの最高峰で若手学者の登竜門といわれているhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100423。フリーターやニートの研究で有名になった小杉礼子もここの研究員です。http://www.jil.go.jp/profile/rkosu.html。この雑誌はそういう社会学的な研究も含めて幅広く、労働行政、労働組合に対しても中立的なスタンスで問題点を提示している記事が多く、有益な記事も少なくない。ジャコービィの名著『会社荘園制』もこの雑誌の書評で知ったし、これがなくなるのはまずい。というのは『労働法律旬報』とか民間で出している雑誌もあるが執筆陣がプロレイバー学者s等であり、スタンスが左翼に偏っているだから、『日本労働研究雑誌』のような中立的なスタンスは必要と考える。

首相が反基地闘争煽ってどうするんだ

 鳩山首相は24日、「辺野古の海が埋め立てられることは自然に対する冒涜だ。現行案が受け入れられるという話はあってはならない」と記者団に述べたと云うニュースがあるがhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100424-00000977-yom-pol、埋め立て工事が冒涜という理屈がわからない。例えば、神戸や堺には大きな埋め立て地がありますね。大阪湾が埋め立てられようが、水島コンビナートのある瀬戸内海が埋め立てられようが、沖縄の海が埋め立てられようが大差ないこととしか考えられない。
 25日反基地集会を10万人規模やるらしいが、結局首相の言動は現地の反戦・反基地・反米の政治運動を煽っている。沖縄でも親米の県民はたくさんいるだろうし、大型土木工事に期待している人も少ないないはずだ。いいかげん辺野古埋め立てで決めるべきだ。先方はキャンプシュワブから120キロまでが限度で、180キロ離れた徳之島は運用上無理だと云ってるんだから。

 徳之島対沖縄の地域対決では私は徳之島を応援します。

2010/04/24

鉄道の車内インテリアサイト

この「座席探訪 -陸海空 のりものキャビンカタログ」http://www62.tok2.com/home/tsubame787/seat.htmlとバナーが貼ってある関連サイトを少しみたが、マニアックでそれなりに面白い。たんに写真だけでなくコメントが詳しい。「記載内容について、鉄道・航空・バス等各社機関へのお問い合わせなどは絶対になさらないよう」とたんに趣味的に見るだけにしてくださいと但し書きがあります。

2010/04/22

本日も頭上報告

 16時34分~44分 書記長会議報告で自己申告書が研修所の参考資料となる云々、八ッ場ダム建設反対で現地視察を募集している云々。なお東京都水道局はダム建設推進の立場にあるので局の方針とは反対のもの。

 全水道東水労の掲示板をみると、狹山事件再審闘争学習会のボスターが貼られていた。本日が学習会で全水道会館で18時30分より、5月12日に日比谷野音で集会が行われる。

 徳之島は、海兵隊が駐留するキャンプシュワブ、キャンプハンセンから200キロも離れており米国からダメ出しをされているから、県外移設は困難と報道されているが、組合の掲示板によると普天間基地問題で4月25日に沖縄で10万人集会をやるということが書かれていた。全水道東水労では青年婦人部で10名を5月12日から沖縄に派遣するということも書かれていた。5月15日午前が平和行進、午後が県民大会、16日は午前が平和の集い、午後が普天間基地を人間の鎖で結ぶ包囲行動、17日に別の視察日程が組まれている。数日前に分会書記長が、入局2年目の若手と長時間話しているの見たが、これの勧誘だったのだろうか。これは反米反基地運動である。労働組合との連携があるので動員力があるのである。また、メーデーは4月29日の、東京地公労メーデーと連合メーデーと、5月1日日比谷メーデーと主催者の異なる3つの集会に参加しようとのビラが貼られていた。

2010/04/21

ほらみろ、AFPは英仏の科学者がアイスランド火山噴火による二酸化炭素一日当たり15万~30万トンと計算と報道

 月曜日、メディアパブのサイトで「ヨーロッパの航空機は毎日34万4000トンのCO2を排出している。ところが、今回の火山噴火で60%の便が欠航したとすると、毎日20万トン以上のCO2を削減できることになる。一方、アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajoekull)氷河の火山噴火で排出しているCO2は、1万トンにも満たない7412トンである」http://news.livedoor.com/article/detail/4725267/から火山噴火効果でCO2の削減などという情報が駆けめぐった。この情報では火山噴火は航空機の二酸化炭素排出に比べたら圧倒的に少ない、ジェット機の排出が半端な量でないとの心証を与えた。明らかに温暖化政策推進論者に有利な記事のように思えた。
 しかし私は既にブログであまり精査せずに「アイスランド火山噴火で炭酸ガス大量放出、エコは無意味じゃないの」と書いてしまったので、焦ってしまったが、インターネットで調べた限りでは火山学者は噴火により二酸化炭素を放出すると書かれていたので、ブログは訂正せずに踏ん張ることとした。
 
 あれだけ火山灰をまき散らしているのに、航空機欠航分の3~4%の二酸化炭素しか排出してないというのは、素人目にも疑問に思ったが、案の定、4月20日にAFPの記事では、「英ダーラム大学(University of Durham)の地質学者、コリン・マクファーソン(Colin Macpherson)氏は日量15万トン、パリ地球物理学研究所(Paris Institute for Global Physics、IPGP)のパトリック・アラール(Patrick Allard)氏は最大で同30万トンと計算した」と報道された。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2719542/5639104
 オーストリア、スウェーデン級の中小国の排出量に匹敵するがそれは世界全体の0.3%にすぎないと書かれている。やっぱりそれなりに大量の二酸化炭素放出はされているとみるのが常識なのではないか。

2010/04/20

カード 古賀昭典「米国州労仂法と団結強制 Right‐to‐Work Lawsをめぐって」

『九州工業大学研究報告. 人文・社会科学』7号1959http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00054120/ISS0000040659_ja.html

 労働権法に関する論文、1959年と古いが、ネットで公開されている。

 著者は端的に次のように説明する。「合衆国でright-to-workという言葉は,通常,労働組合の組合員であると否とにかかわりなく働く権利,あるいはまたストライキもしくは類似の争議行為中に・組合の干渉を受けることなく働く権利という極めて限定された意味で用いられてきたのであった。」
 つまり労働基本権とは逆であって、団結強制に反対する反労働組合主義をright-to-workというのである。
 もっとも反団結という本当の意味でのright-to-workを確立するためには、1932年ノリス・ラガーディア法、1935年全国労使関係法を否定し、1920年代以前の在り方に戻すことである。したがって、全国労使関係法を前提とするともう少し狭い意味でright-to-work
が用いられている。つまり組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を否定する州法のことである。南部を中心とする23州とグァム島であるで適用されている。
 合衆国ではニューディール政策で1935年のワグナー法により民間労働者の団結権と代表者による団体交渉権を保障し、不当解雇、御用組合、差別待遇を禁じた。 また雇用主による不当労働行為の禁止を規定した。1942年に設置された全国戦時労働委員会は、戦争協力のため労働組合にストライキを放棄させる一方、労働協約締結期間中の組合離脱を禁止し、それを保障するためのチェックオフを導入した。組合の組織維持と拡大は容易になり、労働組合員は1941年の1020万人から、1945年の1432万人に増加し、アメリカの産業別組合は、ニューディール立法で存立基盤を与えられ、戦時中の労働組合保護政策によりその地位を確立させたのである。1947年のタフトハートレー法 は強くなりすぎた労働組合の権力を削ぐための ワグナー法の修正であリ、全米製造業者協会、共和党、南部民主党により推進され、トルーマン大統領の拒否権発動を覆して成立した。タフト・ハートレー法はクローズドショップを否定、ユニオンショップ協定の内容に制限を加えつつも、組合を承認された職場で協約適用労働者に組合加入、団体行動の支持いかんにかかわらず、組合費の徴収は認めているのである。しかしながら一方でタフトハートレー法はセクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。
 セクション14(b)に基づく州立法のことである。(つづく)

2010/04/18

アイスランド火山噴火で炭酸ガス大量放出、エコは無意味じゃないの

 また、Mark J. Perry 教授ブログのネタですが、モンティパイソンの俳優ジョン・クリースが、飛行機が欠航のため、やむをえずノルウェーのオスロから、ベルギーのブリュッセルまでタクシーに乗って5100ドルを支払ったと云うくだらない記事が載ってますがhttp://mjperry.blogspot.com/2010/04/markets-in-everything-5000-taxi-ride.html、それよりばかばかしいのが、エイヤフィヤットラヨークトル火山がCO2大量噴出中で噴火が長期化すると温暖化対策をチマチマやっているのは無意味じゃないのということです。「今を知る為の歴史探求」というブログが「チマチマとエコやっていた努力が灰と化した。IPCCは、エイヤフィヤットラヨークトル火山がどのくらいのCO2を噴出しているのかを公表すべきだろう」と皮肉を書いている。http://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/f49d28162e77e9b8995de3430139ce25人間だけがガスを排出してるわけでない。火山がボカスカ噴火すれば、人的努力も意味をなさなくなる。
 

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(30)

 金曜日に医者に行って、心電図では血管は(まだ)大丈夫だが、不整脈が直らず、採血結果も悪くてがっかりした事もあり、元気があれば、17日の「頑張れ日本!全国行動委員会」デモや日本会議系の武道館の集会に行ってもよかったのですが、行きませんでした。第3次男女共同参画基本計画策定に向けて(中間整理)反対意見、夫婦別姓、割当て制反対、も書く予定ですが、平行して、東京都水道局長へ、ユニオンショップ協定は否定されせている公務員で非組合員にストライキ参加を強要する組織強制や、就労の意思のある者をロックアウトによる締め出しを許さない、昨年の衆院選で行われていた水道局施設内で民主党・社民党候補者のポスターを貼らせない、外部からのオルグ活動の事務室内入室を差し止めるなど多数項目の作為命令要望を5月までに出す予定ですので、その準備草稿をまとめていくこととします。作為命令を出さないなら、東京都の管理職はえげつなく労働組合と結託し争議行為支援なので目に余る。就労権の侵害、違法行為・服務規律違反の指示、規律のある適正良好な職場環境を保持する事についての職務怠慢などを理由として懲罰要望を出すなど対決していく予定です。このシリーズはその準備草稿にすぎないのでピッチをあげたいと思います。


 

人類史上最悪の立法1906年労働争議法Trade Disputes Act

前回 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/right-to-work-l.html


1901年タフ・ヴェイル事件貴族院判決は、労働組合は法人ではないと認定されながらも、組合役員の行動によって生じたとされる損害に対して法人能力があるものとして起訴されるとした。また判決は、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。さらに、登録組合だけでなく非登録組合に対しても、損害の有責性について起訴できるとしたものである。労働組合に大きな打撃を与えた称賛されるべき判決であると私は評価する。

  同判決の労働組合弾圧判例としての意義について再度言及しておく。19世紀の後半に1971年労働組合の合法化(世界初)、1975年共謀罪財産保護法による刑事共謀法理の適用除去により、労働組合に有利な立法化が図られたと思われていたが実は必ずしもそうでもなかった面があった。つまり1971の刑事修正法や1975年共謀罪財産保護法の7条において平和的説得によるピケッティングについて裁判所によって違法と判断される余地を残しており、実際1896年のリヨンズ対ウィルキンス訴訟Lyons V.Wilkins Caseは仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで1875年法に反し違法であるとされたのであり、こうした判例に基づいて1893年には全国自由労働協会というスト破りの組織がつくられ、「自由労働者証」というチケットを発行、どこの組合にも入ってないという証明で優先的に雇うことにより労働組合に打撃を与えただけでなく、雇用者側のスト破り代替労働者の確保によりストライキは組合側が敗北するケースが多くなった。これは、1890年代においては世論が労働組合に批判的になった事も背景としてある。つまり、クラフトユニオンが賃金を釣り上げる武器というのはクローズドショップによる入職規制、非組合員の排除、ストライキ時に代替労働者を排除するピケッティングにより労働市場を支配することにあったわけである。つまり1875年に刑事免責が確立したといっても19世紀においてはまだ労働組合に有利な形での争議権は確立していなかったと解釈できる。裁判所は刑事免責に対抗するため民事共謀法理を案出し、組合基金からも損害賠償請求を可能にした。それが1901年タフ・ヴェイル判決であり労働組合にストライキを実行する財政的基盤を危うくさせ、ピケットを実施するストライキにリスクを負わせることになったのである。

1 労働争議法の立法過程

 1901年タフ・ヴェイル判決に労働組合は憤激し、労働争議に関する法律を自分たちの満足できるものとするために1901年より1906年全国でアジテーション、デモンストレーションが漸次展開された。立法闘争の中心は1868年設立の労働組合会議(TUC)であり、ピケットの保護、民事共謀法理適用の排除、組合に対する損害賠償訴訟の除外の三項目の法案を議会に提出した。自由党は労働組合の民事免責に好意的だったが保守党が多数派の議会では法案審議はなかなか進展しなかった。
 この動きとは別に1903年保守党内閣の下で労働争議及び労働組合の法律状態の調査のための王立委員会により立法勧告がなされたが、これは、組合共済基金の保護をうたいながら、反面、タフ・ヴェイル判決の代替責任法理を確認するものであり、平和的ピケッティングをも実質的に否定している。(*37 202頁)

 1904年損害賠償に対し労働組合の金の免責を保障する労働争議法の法制化が試みられた。保守党バルフォア首相は労働争議に関する新立法に反対する立場をとって次のように述べた。「私は平和的説得に反対しない。しかし、真の困難は、もし余りに多くの人が一度に平和的に説得しようとしたら、その説得は平和的ではなくなるかも知れないし、コモン・ローでいう不法妨害になるかもしれない。」法案に反対するのは「法案の条文が極めて危うく、極めて危険だからである。‥‥それはすべての階級とすべての利害関係に適応可能であるという法律の幅広い原則が、この方策により廃棄される危険があるからである。個々の市民のなかで最大のものである自由が干渉され、労働組合の指導者と雇用者の指導者が考えている正当な目的を遂行するのが、すべて不必要な程度になるからである。」
他者の自由への干渉を正当化する制定法の危険性、労働組合だけが不法行為から免責される特権を付与することは、法の下の平等の精神からして好ましくなく、これは階級立法であるという趣旨の反対論であるが、良識的見解に思える。保守党のヒックマンも次のように述べた。「下院の義務は、労働組合の団結とストライキの権利を保護するだけでなく、極めて多数の非組合の、したくない権利を拒否する権利も保護する点にある」(*36
217頁)
 ジャーナリズムにおいても『タイムズ』がタフ・ヴェイル判決を支持したことは既に述べた。このように危険の大きい立法であるにもかかわらず、議員は労働組合の危機を救って労働者票を獲得しようとしたのである。保守党でも、労働争議法に賛成する議員が少なくなかった。
 チャーチルは労働争議法に賛成する演説を行い保守党のなかで反乱を起こした。保守党では30名が賛成した。自由党・アイルランド党が法案に賛成で、法案は通ったかにみえたが、下院法制委員会で否決されたため、法案は成立しなかった(*36 219頁)。私は戦時首相として著名なウィンストン・チャーチルが嫌いだ。なぜならば、労働争議法を支持したから。
 1905年に関税改革の閣内不一致によりバルフォア首相が辞任し、1906年総選挙では自由党が400議席を獲得する大勝、労働党も29名が当選した。
1906年自由党バナマン首相は労働争議及び労働組合に関する王立委員会の報告を発表したが、多数派報告においては労働組合が多額の損害を与えてもなお基金から会社に補償されないならば法と秩序と正義に反すると述べ、タフ・ヴェイル判決を容認するものだった。
 自由党では、アクティス蔵相、ホルディン軍需相などにより、労働組合にかなり妥協的な労働争議法の政府案が作成されたが、いわゆる公認ストライキ、現場が勝手にやる非公認ストでなく、労働組合が指導し承認するストライキにおいてはタフ・ヴェイル判決の代替責任の法理を確認する王立委員会報告書の線で政府案が作成された。
 第四条は次のようになっていた。
「(1)後に定めたところにより構成された委員会が、労働組合のために労働争議を指導することを指定された場合には、労働争議の企図もしくは促進のために行われた不法な行為に関して組合資金に損害賠償を課すために提起される訴訟は、その行為が、該委員会または委員会の権限の下に行為する者によって行われたのでなければ、これを受理せず、但しその行為が該委員会により明らかに禁じられた行為または諸行為の一であるかあるいは該委員会がその行為を知って直ちに明白に否認する場合には、該委員会の権限の下に行われた者とはみなさない。(2)前項の委員会とは、当該組合が関与するすべての労働争議を全般的に指導するか、または特定の種類もしくは特定の地方の労働争議を指導するか、あるいは特殊な労働争議を指導する為に指定された委員会を言う」 (*37 204頁)

 難解な文章だが要するに第四条は公認ストライキの全てについて組合基金を危険な立場におくものであって、この点について労働組合=労働党案と異なっていた。

  一方、労働党が労働組合完全免責の方針で独自の法案を提出し、多数の自由党議員と少なからぬ保守党議員が労働党案に賛成した。このためバナマン首相は穏健な政府案ではなく急進的な労働党案を支持し通過させてしまったのだ。実は、裏面でバナマン首相は政府案ではなく、労働党案を支持する事を労働組合側に確約していたのだ。愚かなことにH・クレッグによれば「その結果がどうなるかについてなんら真の理解なしに」労働争議法が通過してしまったのである。(*36 222~223頁)


 同法は「正式には労働組合及び労働争議を規制するための法律」と云うが、実質的には労働争議における不法行為責任を除去する超悪法なのである。
具体的には、労働争議に関し民事共謀理論の適用を排除し、労働者の雇用契約違反の誘導に対する不法行為責任の除去、組合員・組合役員の不法行為に対する組合基金の免責を定め、平和的ピケッティングを合法化、同情ストの合法化を容認した制定法で(*6 247頁)、1875年共謀罪財産保護法により定められ刑事免責に加えて、労働組合に刑事・民事完全免責という法外の地位をあたえることによりコレクティブ・レッセフェール体制を成立したという意味で労働法の画期をなすものであり、人類史上最悪最凶の立法と断定する。
 (オーストラリアでは強制仲裁制度があリ、ストライキに厳しい禁止立法が先行しているため労働争議法は受容されてない。英国の1871年共謀・財産保護法による刑事免責を受容したものの、1906年の労働争議法による民事免責を導入しなかったため、労働組合の争議戦術態様がコモンローに抵触すれば責任を追及されるので英国の制度と異なることとなった)(*43)
 
2 1906年労働争議法Trade Disputes Actの要旨

○1875年共謀罪財産保護法の修正

第一条 次の項が1875年共謀罪財産保護法第三条第1項に付加さるべし
「二人もしくはそれ以上の者による合意または団結の遂行上行われた行為は、労働争議の企図もしくは促進のために行われた場合には、その行為がかかる合意または団結なくして行われた場合に不法行為として訴ええられなければ、訴えうることをえず」(*37 204頁)

○平和的ピケッティングの合法化

  第二条
(1)ひとりないしそれ以上の人が、自己のため、または労働組合、または個々の雇用者か企業に代わって、労働争議を企画しまたは促進する事を目的とする場合行為をし、人が居住しているか、労働しているか、営業しているか、あるいは偶然いあわせた、家屋ないし場所にいくこと、あるいはその近隣にいくことは、もしそこにいくのが単に情報を平和的に獲得ないし伝達する目的でなされるか、あるいは、ある人に労働するか労働を棄てるかを平和的に説得する目的でなされるのであれば、合法的である(*36 225頁)
(2) 前項により1875年共謀罪財産保護法第七条は、"attending at or near"から同条の最後まで削除する。
(削除したのは七条の次の但書「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさない」 
  片岡曻1952年の著書は第二条について次のように解説する。「平和的ピケッティングが適法とされるが、本条が平和的ピケッティングの民事上の地位に与える効果は比較的少ないとされる。本条により公道の土地に対する不法侵害(Trespass)及び不法妨害(nuisance)が正当化されるにすぎず‥‥しかし、本条の真の意義は‥‥本条の規定なくしてはそれが合法化さり得なかった点にあるといわなければならない。本条が民事上の不法妨害に対し与える効果としては、ピケッティングが平和的に情報を授受し、説得する目的をもってなされる限り、それが不法妨害を構成する場合でも適法とされるのであり、『この程度においてのみ同法は私有財産制度に影響を与えた』こととなる。しかし本条によってはピケッティングによる不法妨害の正当化される範囲を明確に示すことはできない。平和的ピケッティングの遂行によってリーズナブルな行為であるか否かの観点から判断するしかないが、この点ついて判例は大体において、労働争議の場合或程度の秩序を乱る行為の伴うことは、当然であり、一般に具体的事情を考慮して、非難されている個々の行為を或る程度まで寛大に扱うべきとの態度をとっているといわれる。従ってピケット権の濫用によって生ずる不法妨害や公道における一般人の通行の妨害、その他の差の他の公的不法妨害、または脅迫、治安紊乱、地方公共団体の条例違反等に対する責任は本条によっても免責されれない」(*6 254頁)

○他人の業務その他の妨害に対する責任の免除
   
第三条
労働争議を企画しまたは促進するための行為は、当該雇用契約を破棄するよう他人を勧誘する、または、他の人の営業や雇用に抵触する、または、資本や労働を自由に処置する他人の権利に抵触する、ということのみを理由に起訴されることはない(*36 226頁)
 コモンローでは、正当な理由なくして「不法かつ悪意に」他人をして第三者に対し不法行為をなさしめ、それによって第三者に損害を与える場合は不法行為となり、従って悪意に契約を違反せしめた場合も不法行為となるが、本条は契約違反の誘導に対する争議行為の免責を規定したものである。(*6 250頁)。ただし本条の趣旨は、契約違反の誘導が名誉毀損・脅迫・強制等それ自体不法な手段によって行われる場合は免責されない。(*6 252頁)

○労働組合の基金の不法行為に対する免除

第四条第1項 「組合によりまたはそれに代わって行われたと主張される不法行為につき‥‥労働組合たるを問わず雇用組合たるを問わず、組合に対して提起された訴訟は、‥‥どの裁判所も受理してはならない」と規定し、タフヴェイル判決は完全に覆った。極めて異常な状態におけるばあい(第2項)は別として、いかなる不法行為に対しても、労働組合を訴える事を不可能にしているのである。労働組合は労働争議であろうと なかろうと、(第2項のばあいを除き)いかなる不法行為に対しても、責任を免除される。第四条は、賠償に対する訴訟からだけでなく差止命令からも保護している。なお、政治争議は適用されないが、同情ストは「労働争議が『何人か』の雇用条件に対する争議である以上、雇用契約の破棄を勧誘したことに対して責を負うことはない」として、同法が適用される事になった。(*36 225頁)
本条の免責は文書誹毀、誣告等あらゆる不法行為に及ぶものである。ただ本条の目的  は、労働組合の基金を不法行為に対する責任から免除することにあるのであって、組合員・組合役員に対する訴えが受理され得ないとされるのは、組合基金が損害賠償の責任を負うことを免れせしめるためにほかならない。従って、個々の不法行為者が自己の能力において責任を負うことは当然であり、その行為が組合のためになされたとしても不法行為者個人の責任を免れるものではない。(*6 252頁)

 労働争議法は争議権の確立の画期と見なされる。しかし立法過程からみて明らかなように、コレクティブ・レッセフェール体制や争議権の確立は歴史的必然であるわけでは全くない。
 そもそも労働争議及び労働組合の法律状態の調査のための王立委員会は平和的説得によるピケッティングの合法化を実質否定していたのみならず、タフ・ヴェイル判決の代替責任法理を確認しており、自由党政府案においても労働組合により指導されたストライキにおける組合基金の損害賠償の免責を否定していたのである。
 バナマン首相は、自らの政府案でなく、裏面で労働組合と結んでいたため完全免責の労働党案を支持したのであり、もし、自由党の有力な指導者だったアクティス蔵相が首相であったならば、急進的な労働党案が通過することはなかったと言われている(*36 224頁)。クレッグによるとこの法律は「一般の人にはミステリーであり、労働組合主義者とほとんどの法律家にとっても同様であった」と指摘している。(*36 227頁)労働争議法の立法過程をみて大衆を基盤とするる民主政体の問題点が浮き彫りになったといえる。自由党の議員も、保守党の一部も労働者階級の票欲しさで、このような悪法を通過させてしまったのである。国会議員とはまず選挙区での利害を考えるものであって、過度の期待をもつべきでないし、ひとつの教訓といえるだろう。

 労働争議法は影響力は30年代以降が問題である。アメリカでは1920年代にレイバーインジャンクション(労働争議差止命令)が多用されただけだなく、ピケッティングについて裁判所は厳格であった。フランクファーターらの急進主義者の企図によって1932年ノリスラガーディア法により平穏な組合活動を合法化し、労働争議差止命令を排除したのが、フランクファーターらアメリカの急進主義者がモデルとしたのがイギリス1906年の労働争議法だった。アメリカにおいて争議権が確立したのは1935年のワグナー法をへて、最高裁が平穏なピケッティングを表現権として認めた1943年のことであり、赤い30年代のモデルが1906年労働争議法で彼ら左翼はこれを先進的立法とみなしたのである。わが国の労働三法戦後レジームは30年代の赤いアメリカの左翼的政策を継受したものである。わが国のいわゆる労働基本権思想、憲法28条体制の淵源というものを辿れば、1906年の労働争議法なのである。

3 労働争議法に対する批判

  法の支配を理論化しコレクティビズム(集産主義-団体主義)という概念を作って批判したA.V.ダイシー は1906年の労働争議法を激しく非難する。当時のイギリスにおいてもっとも良識的な見解とみることができる。私が人類史上最悪最凶というのはそのためである。
「この法は労働組合に対し、組合または組合の使用人によるもっとも言語道断な不法行為の遂行に対してさえ、民事責任を免れせしめ、一言して云えば、すべての労働組合に、連合王国を通じて他のいかなる人または団体も有しない特権と保護を与えるのである。これは確かに法律の非常に特殊な状態である。(1)それは労働組合をして、通常の国法を免除された特権的団体たらしめる。かかる特権団体は、いまだかつてイギリス議会により意識的に創設されたことはなかった。‥‥(4)平等な法律という法則から労働組合を解放する法規は、労働者は平等の獲得ではなく、かえって特権の獲得を目標とすべきだ、という致命的謬見を、労働者間に助長する。‥‥とくに第4条は、フレデリック・ポロック卿Sir Frederick Pollockの言でもっともよく叙述されている。‥‥「法律科学は、国家におよぼすこの暴力の実権的作用とは、明らかにまったく無関係である。そしてわが国の裁判所が(1906年まで)法律的正義の原則に関して、解決しようと努力していた(それは相当な成功を収めていると考えられる)問題の一そう進んだ司法上の考察を求めるにはしてきた、吾人は海外の司法権に期待しいるのみである」と〔という絶望的見解を述べている〕。これが公平な法律家の結論だ。‥‥わが国の団結法は、労働者と資本家の関係の関係は例外的立法で規定されるべきだという謬見で終始毀損されていた。」(*42 第二版序文 21~23頁)要するに労働事件は、市民法的原理から逸脱すべき事柄ではなかったと考える。

*6片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*36松林高夫『イギリスの鉄道争議と裁判-タフ・ヴェイル判決の労働史』ミネルヴァ書房2005
*37林和彦 「タフ・ヴェイル判決と立法闘争」『早稲田大学大学院法研論集』7号1
*42 A.V.ダイシー 清水金二郎訳『法律と世論』法律文化社1972年」
*43長淵満男『オーストラリア労働法の基軸と展開』信山社1996年

2010/04/17

京王電鉄の女性専用車両の問題音声編

  この動画の説明によると京王は女性専用車両乗車口に男性が並んだり、女性専用車両に男性が乗っていると、電車を遅延させてでも必ず各停車駅で駅員が駆け付け、男性排除を行うと男性差別を糾弾してます。動画の趣旨に賛成します。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10185402

タイガー・ウッズ クウェイルホロー選手権参戦

 タイガー・ウッズの復帰第二戦はクウェイルホローチャンピオンシップ(米ノースカロライナ州シャーロット、29日~5月2日)http://www.quailhollowchampionship.com/Home.aspxと各紙が一斉に報道している。以前はワコビアチャンピオンシップという大会だった。
 ウッズは「ここは素晴らしいコースだ」とコメントした。http://mainichi.jp/select/today/news/m20100416k0000e050005000c.htmlと報道されてますが、ウッズに限らず超一流の選手はこのコースをほめてますね。ウッズがカロライナの大会を選んだ事を喜びます。
 というのはノースカロライナは全米で最も労働組合組織率が低く、労働権州(組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を否定する)また州法により州公務員は団体交渉を明文で禁止している(州従業員協会はあるが議会への陳情が認められているだけ)という反労働組合州なので心情的に応援してます。もっとも州知事は民主党ですが、総じて云うと保守的な州です。
 そんなわけで、2006年に私は「タイガー・ウッズのワコビアチャンピオンシップ不参加は残念だ」 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_0b06.htmlを書いてますがウッズの父親が病気だったためです。
 当時はシャーロットを本拠とするワコビアの業績が好調で、サンフランシスコを本拠とするウェルズファーゴに救済合併されるなんて夢にも思わなかった。つまりこの年にワコビアは米住宅金融大手ゴールデンウェスト・フィナンシャルを242億ドルで買収し西部10州に広がる285の店舗網を手に入れた。この拡大政策は住宅ローン不良債権を引き継ぐこととなり裏目に出たようだ。

2010/04/12

ウォルマート・サムズクラブの成長マップ

軽いネタですが、Mark J. Perry 教授のブログでみつけました。1962年以来ウォルマートとサムズクラブの店舗が増えていく様子のわかる地図です。http://mjperry.blogspot.com/2010/04/watch-growth-of-wal-mart.html
はじめはアーカンソー州・ミズーリ州及びその周辺のルーラル地域、(バイブルベルトと概ね重なる)、中西部・南部から、90年代以降、東海岸と西海岸のブルーステートまで拡大していたった様子がよくわかります。
 反ウォルマート運動は、ハートランド・バイブルベルトの素朴な人々の勤労観である低賃金でも勤勉に働く文化ではない大都市などに拡大したころから、あるいは労働組合のある食品・グローサリーのスーパーと競合するようになってから(アメリカでは非食品リテーラーは反労働組合でまず組合は組織されない。組合が組織されているのは食品スーパー、食品スーパーでもパブリックスのように組合がないところもある)といえます。

2010/04/11

日比谷野音「過去現在未来塾」発足記念講演会に行きました

 思っていた以上に人が少なくがっかりしました。扇型のB・Cブロックにかなりの空席がありました。戸井田とおる氏も講演の中で「少ないんじゃないか」と控え室で声があったとのことですが、実況中継もやっているので全国でかなりの人が見ているし、動画サイトでも多くの人が録画を見るので、集会の効果は見かけでないと述べてました。実際私も一週間前に水間条項などでこの集会を知って、一応私もブロガーなので、ネットの効果を見せつける好機という言葉に乗せられて見にいったのですが。

 予定外の登壇者で与謝野馨元財務大臣が演説しましたが、拍手を送りました。与謝野氏には頑張って貰いたいです。と云うのは、民主党の支持率低下は喜ばしいが、みんなの党の支持率が上昇してます。渡辺喜美は公務員に争議権付与を公言し推進してきた事もあり警戒してます。ウィキペディアではみんなの党を新自由主義と持ち上げてますがとんでもない。マニフェストにある同一労働同一賃金というのは労働組合とのコーポラティズムであり、最低賃金アップ、残業割増率引き上げ、サービス残業の取締り強化は共産党と同じ政策です。契約自由を基本理念とする新自由主義に反する政策ですね。
  第3極と言う点では「たちあがれ日本」や首長新党、あるいは幸福実現党のほうがずっと無難ではないかと思ってます。「たちあがれ日本」は夫婦別姓反対を基本政策とした初めての党なのでその1点だけは少なくとも支持できます。

 講演会で印象に残ったのは西川京子氏が云っていた夫婦別姓推進者が目指すスウェーデン型社会は国民1人当たりの犯罪件数が日本の7倍、「家」の完全解体により〔老親の面倒をみなくなる弊害〕などで収入の7割以上を税金に持って行かれる高負担社会を覚悟しなければならないいった見解や、フロアからも発言があり最後に民主党議員の政策秘書をやっている人がマイクを握って、民主党を潰しましょうと気勢をあげたことでした。

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合衆国最高裁スティーブンス判事引退に思う

 スティーブンス判事は1975年共和党フォード任命、在任35年に及び89歳と高齢であリ、予測されていたことですが、今開廷期が終了する6月下旬か7月上旬をもって引退すると土曜日から一斉に報道されてます。http://hamptonroads.com/2010/04/supreme-court-justice-john-paul-stevens-retiring

蝶ネクタイで知られ、ノースウエスタン大学出身でシカゴカブスのファンでした。http://abcnews.go.com/WN/justice-john-paul-stevens-announces-resignation/story?id=10335098
同判事の司法判断について回顧する記事が書かれてますが私も書きます。
http://www.humanevents.com/article.php?id=36447

バーガーコート時代は、典型的な争点次第で揺れる中道派の裁判官でした。ひねった変化球的見解が持ち味であり、それなりに注目されてました。しかし前世紀末より今日までの評価はリベラル(左)派のリーダーというもので、陪席裁判官の長老格として存在感を示したと言える。オバマはスーター引退に伴うソトマイヨルに続いて最高裁判事の指名の機会を得たが、穏健な保守のケネディ判事が決定票を握る構図に大きな変化はないとみられる。

 スティーブンスの司法判断で一貫しているのは国教樹立禁止条項(政教分離)を争点とする判例でもっとも厳格な分離主義者であるということ。代表的なのが1985年ジャフリー判決です。アラバマ州の公立学校における自発的なの祈りか思索のための一分間の沈黙の時間を違憲とした法廷意見をスティーブンス判事が書きました。Wallace v. Jaffree, 1985 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=472&invol=38教師がお祈りを強制するわけでもないのに「自発的な祈り」のための時間としているのが不適当と云うのです。レーガン大統領とアメリカの保守派はこの判決に怒りました。

 私が特に印象に残っているのが平等保護条項を争点とする事件で同一行為同一処罰と云うような形式的判断で割り切る同判事の姿勢です。例えばMichael M. v. Superior Court判決(1981)は、
http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0450_0464_ZO.html
18歳未満の女子と性交した男子を、同意の有無に関わらず処罰するカリフォルニア州の法定強姦罪の男性のみ処罰が平等保護条項に反する性差別かが争われた事件で、レーンキスト相対多数意見は、未成年者の妊娠を防止するという州の正当な利益に奉仕するものであり、また女子には望まない妊娠という自然の罰があるのに、男子にはそれがないので均衡を取るために男子のみを処罰することは合理的であるとして合憲判断を下したが(コーラ割のウィスキーを飲んだ男子が、初対面の女子と野外にて接吻し性行為に及んだところ、処罰されたというもの)、スティーブンス反対意見は、性行為という同一行為を行ったのだから、男子も女子も罰せられなければ平等保護条項に反すると述べた。この見解は「男性は攻撃的で女性は受動的でありに若い女性は弱いので保護されるべき」とか「性の場において男は加害者で女は被害者」というステレオ・タイプを受容することを否定した点でそれなりに意味のある反対意見と評価できる。
 (参考 宮園久栄「フェミニスト犯罪学の意味するもの」『法学新報』100巻3.4号) 
 類似した見解はBowers v. Hardwick, 478U.S. 186(1986)http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=478&invol=186ジョージア州のソドミー禁止法を合憲した反対意見にも現れる。口腔性交つまりフェラチオやクリニングスですが、スティーブンス判事は、異性愛者のそれはよくて、男子同性愛者のそれは禁止されると言うのは平等でないと云うのである。私はこの見解は形式的すぎると思います。異性愛者の口腔性交は生殖行為の前戯として、相手の性的欲求を満たすという夫婦倫理に基づく行為で、憲法上保護すべき価値があると考えますが、男子同性愛者のそれは何の価値も見いだす事ができないからです。 

 スティーブンス判事が書いた意見で評価されるべきものの一つとしてカリフォルニア州立大学理事会対バッキ事件(逆差訴訟)の一部反対一部結果的同意意見がある。UNIVERSITY OF CALIFORNIA REGENTS v. BAKKE, 438 U.S. 265 (1978) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=438&invol=265の結果的同意意見がある。
 事案は大略して次のとおりでした。白人男性アラン・バッキはカリフォルニア州立大学デイビス医学校の選考制度に出願し、マイノリティグルーブ(黒人・メキシコ系・アジア系・アメリカインディアン)の特別入学者選考制度による入学者の評価点より高かったにもかかわらず入学できなかった。このために、黒人等優先処遇の特別入学選考制度を合衆国憲法修正14条平等保護条項、カリフォルニア州法第1条21項および1964年公民権法タイトル6(連邦政府から資金援助を得る公的・私的事業における人種・肌の色・元の国籍にもとづく差別を禁ずる)に違反するとして(1)医学校は入学者選考に当たって彼および他の出願者の人種を考慮してはならないとの差止命令(2)原告バッキを入学させる作為命令を求めて出訴し、大学側は(3)特別入学者選考制度を適法・合憲とする宣言判決を求めて反訴を提起した。
 州最高裁判所はバッキの勝訴させ、(1)、(2)を認め(3)を認めなかった。そこで大学側が連邦最高裁にサーシオレーライの申し立てをなし受理された。
 本件は人種問題であるため大きな社会的反響が予測された。連邦最高裁は原判決をすべて容認して黒人等優先処遇を公民権法タイトル6に違反した人種差別とするスティーブス判事ら4判事と、黒人等の優先処遇を容認し原判決の破棄を立場をとったブレナン判事ら4判事が真っ二つに割れて対立したが、中間派のパウエル判事が決定票を握って、(2)と(3)について原判決を容認し、本件は白人バッキに対する差別して、割当制についてそれが人種のみを理由に異なる扱いをしており、合衆国憲法修正第14に違反していると述べたが、(1)の「いかなる出願者の人種を考慮してはなにらない」という部分のみ原判決を破棄するという「大岡裁き的玉虫色」判決となった。
 その理由が多様性をもった学生を確保するという目的は憲法上、学問の自由に含まれるというのである。人種やエスニシティといった背景が入学者選考において一つのプラス要素として考慮することを認めた。本件の特別選考制度は人種差別で違憲だが、ハーバード大学のような人種を考慮しつつも人種差別の意図はない方法は認められる。つまり別枠としてマイノリティに当てる割り当て制は違憲だが、下駄を履かせるやりかたはよいという。
 つまり、私の解釈ではそれは多様な背景をもつ学生を確保する教育学的意義というような事柄に、司法部は謙抑的姿勢をとるべきであるという一つの司法自制主義的判断があるものと考える。逆差別も人種差別としたにもかかわらず、世論の反発をかわすという意味でマイノリティにも配慮し含みを残した大岡裁き的判決であった。
 しかし、理屈としてはすっきりしない司法判断であり、この点、スティーブンス判事ら4判事の見解がわかりやすかったと考える。つまりスティーブンスは憲法判断を回避して、公民権法タイトル6の立法趣旨がカラーブラインドを理念としており、つまり人を人種や体色で区別しないというものだから、人種を考慮した選考は人種差別そのものであり単純に公民権法違反であるとした。

 参考 高橋一修 「最近の判例-州立大学医学校入学者選考制度におけるいわゆる逆差別」『アメリカ法』1980-1、宮田智之「ミシガン州立大学訴訟への連邦最高裁判所判決」pdfhttp://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/218/021807.pdf

 スティーブンスが逆差別を違法とした点で好意的な見解をもつ。男性差別事件ととしてはニューポートニュース判決(1983年)
NEWPORT NEWS SHIPBUILDING & DRY DOCK v. EEOC, 462 U.S. 669 (1983) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.dj.pl?court=us&vol=462&invol=669について当プログででも取りあげたとおりである。

 ところが、バッキ事件と類似した逆差別事件でて2003年にグルッター対ボリンジャー事件Grutter v. Bollinger .http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=000&invol=02-241という重要判決があります。ミシガン州立大学ロースクールの逆差別事件ですが、バッキ事件のパウエル判事の意見に依拠した、オコーナー法廷意見にスティーブン素判事は加わっている。カラーブラインドの理念にもとづき厳格な平等主義者かと思っていたのに、態度を変更してしまっているのである。バッキ事件では保守派と組んでいたのにこの事件では左派と組むものであって思想的首尾一貫性と云う点で釈然としないのである。

 しかしながら惜しまれる事があります。かつては最高裁判事はプロテスタントが圧倒的多数でしたが、現在の構成がカトリックに偏ってます。ニューヨークタイムズなどは唯一のプロテスタントと云っています。

参考 高橋一修 「最近の判例-州立大学医学校入学者選考制度におけるいわゆる逆差別」『アメリカ法』1980-1、宮田智之「ミシガン州立大学訴訟への連邦最高裁判所判決」pdf   http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/218/021807.pdf

 

2010/04/08

世界の趨勢に反する民主党の相続税増税政策

 「日本経済をボロボロにする人々」というプログが世界一高い相続税の最高税率を更に引き上げ、そして課税最低限を引き下げようとしている民主党の政策や野田財務副大臣の見解を批判してます。http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65441146.html事業継承などに支障をきたして企業の廃業率を高める、土地所有の細分化・固定化を促進する、土地資産の相続対策として親が借金を背負って不必要なアパートやマンションを立てるケースが多くなる等の弊害のある相続税http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65299814.htmlはただちに廃止すべきというこのブログに賛同します。
 日本では億万長者が減って、子どもたちに夢を与えることのできない国になっている。経済自由主義、自由放任主義に舵をきるべきだが、政治は逆に規制と所得の再配分が強化されて社会主義に向かっている。与党と公明党が国労組合員救済で合意したとNHKや時事通信が報道してますが、一千人に2200万も払うというのが象徴的です。
 鳩山由起夫首相が普天間で躓いてやめるとしても、次の菅直人は、鳩山よりも左寄りだから政権はずっと悪い方向にいくものと考えます。

2010/04/06

中川雅治か橋本大二郎に投票する予定

 比例・地方区とも自民党に投票する予定だが、チャンネル桜の番組で平沼・与謝野新党から東京地方区で橋本大二郎氏を擁立するらしいという情報をきいた。キャスターの水島総は批判的だったが、橋本大二郎の政策は詳しく知らないが、高知県知事時代職員団体の闘争に批判的だったので印象としては悪くないと思う。政策をよくみて夫婦別姓など反対の立場なら民主党の一角をくずせる候補として投票することも検討したい。
 升添要一の言っている企業団体献金禁止や参議院定数削減、民主党の亜流のような政策でばかげている。升添が自民党の顔になるんだったら、離れたい。

入手資料整理31

31-1

81桑原昌宏「公務員スト権をめぐる日本最高裁判決とカリフォルニア最高裁判決の理論的比較」労働法律旬報1314 1993-6
82桑原昌宏「アメリカの公務員ストに関する州最高裁判決 上下 労働法律旬報1313,1314 1993
▲84苑田亜矢「1159年の教皇選挙と教皇庁上訴」『有明工業高専紀要』33号平成9年
85久武綾子「氏と戸籍の女性史」世界思想社1988
85國方敬司「工業化前のイギリスにおける家と屋敷地」山形大学紀要(社会科学)23巻1号1992
86井戸田博史「家」に探る苗字となまえ雄山閣出版1986
87床谷文雄「ドイツにおける夫婦の氏の新展開-SPD91年度改正草案-」民商法雑誌105-3
88松本暉男「明治初年の妻の地位」法制史研究10号1959
89吉川直『外国人の人名』(非売品)昭和53
90岩田健次「ローマ法における夫婦財産制」法制史研究13 1962
91鎌田浩「近世武士相続法の特色」法制史研究13 1962
92辻裕子「愛と結婚-ミルトンから「ジェーンエア」ヘ」『神・男・そして女』英宝社1997
92内藤莞爾「いわゆる西南日本型家族について」『社会学評論』28巻4号
95義江明子「古代の氏と出自」
96鈴木国弘「中世の「氏」と名字族
97島村修治「外国人の姓名」ぎょうせい昭和46
99佐野愛子「ミルトンの愛の詩-神・男そして女」英宝社1973
101フランク・アキラ・笠間「アメリカの家族と法(1)」戸籍時報410 平成4
103佐藤伊久男「中世イングランドの『教会』と王権」『歴史における宗教と国家』1990南窓社
105滝沢聿代「最近フランスにおける氏の諸問題」『日仏法学』14号 1986
106増淵・淵訳『私有教会・教会法史』昭和47創文社
107洞富雄『庶民家族の歴史像』校倉書房1966
108蒲生正男「日本の親族組織」
109井戸田博史『日本近代「家」制度の研究』雄山閣1992
110関口武彦「1130年のシスマ」と枢機卿団『歴史における宗教と国家』1990南窓社
111佐藤伊久男「十三世紀イングランドにおける教会と国家」『ヨーロッパにおける統合諸権力の構造と展開1994創文社
112J・L・フランドラン「農民の愛と性」白水社1989
113太田政男「婚姻と結納 下」
114佐藤洋一「公務員の労働基本権」
115林和彦「韓国労働立法の特色」
116木下明「夫婦と氏」『婚姻法の研究下』所収有斐閣昭和51
117三好洋子「イギリス中世村落における姓の変動」イギリス中世史研究会編『イギリス中世社会の研究」1985
118B・シンクレア朱木・上野訳『アメリカ女性学入門』頸草書房1982
119米倉明『アメリカの家族』有斐閣1982

31-2

311西谷敏「個人主義」の意味について 旬 1995-10-25
312徳住賢治「市民的自由と組合活動」1371 1995/11/10
313吉野悟「コモンローの人と法におけるブラクトンとカウェル」
314外尾健一 著作目録
315奥山明良「アメリカにおける労働環境と性差別 判例タイムズ523号1984-6-1
316岩村正彦「イギリス労働時間法制」
317渡寛基「男女平等におけるクォーター制」旬1383-1996
318籾井常善「労働法学に問われているもの」
321人見康子「婚姻同意権」青山・武田編講座家族3婚姻の成立 昭和48 弘文堂
326井原素三「労働時間の特例」現分15 1985
320角田邦重「団結権と労働者の自由」
322松田保彦「制度的条項」日本労働法学会『現代労働法講座6巻』1981総合労働研究所
323金子征史「管理運営事項」現代労働法講座15 1985総合労働研究所
324高田章「官公労働者と不当労働行為」現法15 1985
325村下博「公務員の身分保障」現労 15 1985
327林和彦「ショップ条項」現労6 1981
328林毅「近代以前の家族・ゲルマン古代」青山・竹田ほか編 講座「家族」1家族の歴史 弘文堂 昭和48
329遅塚忠躬「アンシャンレジーム」青山・竹田ほか編 講座「家族」1家族の歴史 弘文堂 昭和48
330鵜川馨「中世」青山・武田編講座家族3婚姻の成立 昭和48 弘文堂
331有地亨「民事婚」講座家族3婚姻の成立 昭和48 弘文堂
332島村修治『世界の姓名』昭和52講談社
333吉田孝「日本古代のウジとイヘ」日本民俗社会の形成と発展
333青山道夫「儀式婚・宗教婚」青山・武田編講座家族3婚姻の成立 昭和48 弘文堂
333増森信子「米連邦政府におけるフレックスタイム制度の現状(Ⅰ)(Ⅱ)人事院月報354、356 昭和56
334田代空「アメリカ連邦政府の公務員法改正余聞」人事院月報34-3 361 昭和56
335安井光雄『結婚する人のために』中央出版社1970
336林研三「婚姻慣行と家結合」黒木三郎古稀記念現代法社会学の諸問題(上)平成4 民事法研究会
337奥山恭子゜ラテンアメリカの家族 黒木三郎古稀記念現代法社会学の諸問題(上)平成4
343中窪裕也「アメリカの労働時間法制」
346末成道男「韓国の社会組織-そのヴァリエーションをめぐって」
347増森信子「米連邦公務員制度の改革について(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)」『人事院月報』336、337、338 1979
348鈴木明裕 イギリス公務員の労使関係ⅠⅡⅢⅣ
349稲福日出夫「ミルトンの離婚論」同志社法学37。1.2。85-7
350青山道夫「キリスト教の婚姻思想」

2010/04/04

秩父太平洋セメント秩父工場普通セメント生産中止を正式発表

チャンネルの経済討論番組でこのニュースが取りあげられてましたがhttp://mainichi.jp/area/saitama/news/20100331ddlk11020235000c.html http://www.sankeibiz.jp/business/news/100331/bsc1003310505005-n1.htm  太平洋セメントでは秩父だけでなく高知や大分の工場も今年度中に普通セメントの生産を中止する予定で地元に衝撃が広がっているという。民主党の「コンクリートから人へ」はセメント会社敵視政策だから仕方ないね。討論番組では民主党の温暖化ガス削減政策で鉄鋼とセメントは厳しいとか言ってました。

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(29)

Taff Vale Railway Company v.Amalgamated Society of Railway Servants (19 01)
タフ・ヴェイル事件(その4)

前回
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/right-to-work-2.html

○二審 控訴院判決(1900年11月2日)
 
 一審1900年9月5日高等法院ファ-ウェル判決を覆し、次のような理由で労働組合は告訴される責任を負わないとした。

 「本件訴訟が『合同鉄道従業員組合』という名において、被告にたいして主張されうるためには、組合を法人として創設するか、あるいはそれが登録名において訴えうることを制定することによって、このことを可能とする成文法がなければならない。‥‥〔1871年の〕労働組合法にその登録名において提訴・応訴する権限を与える条項はなく、また組合をそれ自体として訴えられるために法人として構成するような規定も存在しないということが、第一に指摘されるべきである。‥‥‥‥われわれの判断では、明示であれ黙示であれ、そのことが可能とされる制定法が見いだされなければならない。かかる存在は、それと反対に明示的な制定法が見出されなければ、訴えうるというのは誤りである」【*37 185頁】タフ・ヴェイル鉄道会社は敗訴したので貴族院の判決を求めて上訴とした。
 松村高夫が当時の新聞論調を解説しているが『タイムズ』は一貫して労働組合有責論を展開し、控訴院判決を批判した。「労働組合は団体としてその行動に対して有責とされるべきであり、また、組合が不当に行動したならば、組合基金は損害を補償すべきでなく、組合自体も必要ならば不当な行動を差止命令によって制止されるべきである、とわれわれは強く確信する‥‥」と論評しており、貴族院判決の伏線となった。【*36 139頁】
 『タイムズ』論評はまっとうなものである。なお差止命令については、アメリカ合衆国では既に1894年のプルマンストライキで、郵便逓送の妨害や、州際通商の妨害を根拠とした禁止命令(インジャンクション)が下されており、そうした時代状況とも関連としてみていく必要がある。

○タフ・ヴェイル事件貴族院判決(1901年7月22日)

 常任上訴貴族【*38】全員の賛成により控訴院判決を覆し、第一審ファーウェル裁判官の判決を復活させたものである。
 労働組合は法人ではないと認定されながらも、組合役員の行動によって生じたとされる非合法なピケッティング等による損害に対して法人能力があるものとして起訴されるとした。また判決は、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」もだせるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。さらに、登録組合だけでなく非登録組合に対しても、損害の有責性について起訴できるとした。【*36 186】
 私が思うに本判決の意味は、刑事免責によりストライキを合法化したとされる1875年共謀罪・財産保護法の下においても説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、「スト破り」代替労働者の全国規模での導入も承認され、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能となり、実質的にストライキはリスクが大きく労働組合が勝利することは困難になったことにある。

貴族院各判事は次のように述べた。

 大法官ホールズベリー卿
「もし立法府が財産を所有し、使用人を雇い、損害を与える能力のあるものを創造したとすれば、それは、そのものが授権と勧誘を通じて故意に他人に与えた損害について起訴される能力ををも黙示的に与えた、と考えるべきである」【*41 192頁】

 マクノートン卿
「‥‥立法府は大きな富を所有し、代理人によって行為する能力をもちながら、この富みを用い代理人を雇用することによって、他人に対し違法行為を行っても絶対に責任を負わないような多数の団体を保その権限により創造したのだだろうか。議会はそのようなことは一切しなかった。私は、1871年及び1876年の法律のいずれにおいても‥‥いかなる規定をも発見できなかった。もし労働組合が法の上にあるのでないとしたら‥‥登録労働組合は登録名によって訴えまたは訴えられることができるであろうか。‥‥私はそのような訴訟方法に格別の困難を見いだすことはできない。なるほど、登録労働組合は法人ではないが、それは登録名と登録事務所補をもっている。‥‥議会は、登録登録労働組合が一定の場合には登録名で訴えられ刑罰を科されることを規定し(組合事務所の登録義務や登録官への報告義務違反)、それが登録名で訴えられる唯一の場合であるとは規定していない。私は労働組合を登録名で訴えることができるとしても、労働組合の原則や規定になんら反しないと思う」【*41 193頁】「労働組合は被告らのように選ばれた者がその立場上団体を公正に代表する考えられる者であるならば、登録の有無を問わず、代表訴訟において訴えられるということに、私は何の疑いももたない」【*37 187頁】

 シェインド卿
「組合の名において告訴する権限と告訴される責任は、明瞭にかつ必然的に法律の条項によって含意されている」【*36 145頁】

 ブランプトン卿
「違法行為が権限ある組合役員によって認可され指示されたストライキの促進上、組合の代理人として行為する者によって行われないかぎりで、組合はその違法行為について責任を負う。それが登録名においてそれが登録名においてそして登録名によって責任を負うかどうかが唯一の残っている問題であるめ。私はこの問題が肯定されない理由がわからない。思うに、1871年労働組合法の下で、定めた法的存在はおそらく厳密な意味では法人ではないとはいえ、それにもかかわらず制定法によって創設された・新たに設立された法人的団体であり、何千人もの個々の個人からなる法人格なき労働組合と区別され、それはもはや他の名において存在しない」」【*37 186頁】

○損害賠償支払判決 高等法院ウィルズ判決(1902年12月19日)

 タフ・ヴェイル鉄道会社は1901年7月貴族院判決に基づき、1901年12月24日に合同鉄道従業員組合に対し、ストライキがもたらした損害賠償として2万4626ポンドを請求する訴訟を起こした。内訳は、利潤の損失が14万5千ポンド、特別支出が6577ポンドあり、その内訳はスト破り代替労働者の供給団体である全国自由労働連合に新規雇用費として959ポンド、スト破り代替労働者のためのベッドの借用量や食費に2141ポンド、超過労働・監視労働に1467ポンド、訴訟費用が348ポンドとなっている。【*36 146頁】
 1902年12月に高等法院ウィルズ裁判官により以下の三点にみ集約し判決が下された。
 (1)組合、ベル〔合同鉄道従業員組合総書記〕、ホームズ〔合同鉄道従業員組合西部イングランド地区オルグ書記〕は共謀して不法な手段により、原告の営業に損害を与えた。
 (2)上記三者は、原告の従業員に対し契約を破棄するよう説得した。
 (3)上記三者は、ストライキを遂行するため原告に対し不法名行動をとった。
 そして1903年2月組合側はもはや争議の合法性を主張することはできないとの判断で控訴をとりやる方針をとり、損害賠償額をてきるだけ少なくすることで、鉄道会社側弁護士と交渉に入り7項目の訴訟終結条件で合意された。
 それによるとタフ・ヴェイル鉄道会社は2万3千ポンドを受け取る。金は1903年3月23日に支払われる、となっていた。
 2月23日高等法院ウィルズ裁判官は、以上の終結条件を法的に
認めた。3月19日に鉄道会社へ金が支払われこの事件は終結した。【*36 193頁以下】
 この裁判の過程はまっとうなものであり、当然私は貴族院判決に好意的な考えであるというか支持する。この判決が維持されていたならば良かったと考える。しかし労働組合側からみると、そもそも組合は訴えることも訴えられることもないものと考えていたのに、組合基金から損害賠償できることによって大きな打撃になったばかりでなく憤激する内容だった。スト破りによる代替労働も同鉄道の特殊事情から困難と思われていたが、会社側は鉄道経験者を雇用しスト破りは十分代替労働の役割を果たしたのである。判決は会社の雇用権としてスト破り団体からの雇用を承認するもので、今後スト破り団体が労働者を供給することによりストを打つことも難しくなる。1975年の共謀罪・財産保護法の刑事免責でストライキ権が与えられたと思われていたのに、実は合法的なストライキは組合が考えていたよりも狭い範囲に解釈されることとなったため、タフ・ヴェイル判決は事実上ストをやらない共済互助団体の範囲でしか実質的に労働組合の存立を許さない内容と思えたと考えられる。

*36松林高夫『イギリスの鉄道争議と裁判-タフ・ヴェイル判決の労働史』ミネルヴァ書房2005
*37林和彦 「タフ・ヴェイル判決と立法闘争」『早稲田大学大学院法研論集』7号1971
*41菅野和夫「違法争議行為における団体責任と個人責任--損害賠償責任の帰属の問題として (一)」『法学協会雑誌』88(2) [1971.02.00]ける団体責任と個人責任」
*42貴族院(上院)は、中世から上訴管轄権を行使してきたが、1876年上訴管轄権法(AppellateJurisdiction Act 1876c.59)により、初めてイギリス全土の最終審の場としての地位が確認されることとなった。1876年法はこの目的のために、一般には法官貴族又は法律貴族(正式呼称は常任上訴貴族:Lord of Appeal in Ordinary)と呼ばれる一代限りの貴族を置き、大法官及び司法部門における上位の職を経験した貴族と共に、その任に当たることを定めていた。なお2004年の憲法改革により最終審は最高裁判所に移行した。岡久慶「憲法改革法案:司法権独立の強化【短信:イギリス】」『外国の立法』222号, 2004.11.25.

2010/04/03

NHK大阪放送局制作「古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」」を見た感想

最後のほうで藤原仲麻呂を藤氏の棟梁とかとか言っていたが、天平12年当時の氏上は藤原豊成であるはず。仲麻呂の任参議は天平15年、政権で重きをなしたのは文官人事を牛耳るようになった任式部卿の天平18年以降なのではないか。ドラマの冒頭で島を見て「にっぽん」と叫んでいたが、日本の音読みは平安時代以降のはず。最初のナレーション、奈良時代の日本は「人口500万の小さな国」というのも疑問、8世紀で500万の規模は大国なんじゃないのか。
重い気鬱症だった皇太夫人藤原宮子と聖武天皇の36年ぶりの対面のシーンだが、平安時代の仁明天皇が母后橘嘉智子に北面して跪いてた例があるとはいえ、それ自体が異例のことであって、いかに生母とはいえ天皇があんなに頭を下げるのは疑問に思った。
また藤原仲麻呂は旧貴族を排斥しようとしていたという筋書きだが、なるほど後に橘諸兄を失脚させるが、紫微中台政権では藤原氏を重用しておらず、バランスのある人事である。例えば蘇我氏系の石川年足を重用したように古い貴族を排斥しようとしたわけではないと思う。
 なお、真備の任東宮大夫兼東宮学士までドラマはすすんでいないが、NHKのサイトであらすじを読むと、 たぶん安積親王は登場しない、横田健一の仲麻呂による暗殺説もあるが、それはやらないようだ。
 
阿倍内親王の立太子は背景説明がいっさいなく、それはそれで無難であったかもしれないが、女性天皇問題があるのでひと言言うと、女性立太子は前例がなく空前絶後で異例である。

通説は光明皇后(右大臣藤原不比等女)が当時38歳で、皇子を生む見込みが乏しくなる状況で、藤原氏所生の唯一の皇族である内親王立太子により藤原氏の権勢を維持するためという見方だが、それほど物事は単純ではなく、私の考えは天然痘流行により政権を主導してきた藤四卿薨去による社会的動揺と台閣首脳部の実力低下への対応、つまり太政官決裁者に橘宿禰諸兄(敏達裔)を起用し、台閣第二席、第三席級も鈴鹿王(天武孫)、多治比朝臣広成(宣化裔)と王氏に偏った政権になっために、一種のバランス感覚で、母が藤原氏である内親王を立てたというような均衡人事と解釈する。なお、この問題について私はかつてブログに書いているので誤解がないように再掲しておく。

阿倍内親王の立太子(天平十年史上唯一の女性立太子の特異性)2005年9月掲載

 内親王立太子の前例は歴史上唯一、天平十年(738年)正月の聖武皇女阿倍内親王立太子(のち孝謙女帝-当時21歳)のみである。このきわめて異例な立太子は、瀧浪貞子(註73)が論じるように阿倍内親王の生母光明皇后(右大臣藤原朝臣不比等女安宿媛)の異母兄弟(右大臣藤原朝臣武智麻呂、参議民部卿房前、参議式部卿兼大宰師宇合、参議兵部卿麻呂)が天平九年の大疫癘、天然痘の猛威により相次いで薨じたことによる社会的動揺と関連する。藤四卿が不測の事態で薨じたことは朝廷にとって大きな痛手になった。政権首脳部が次々に亡くなるということは異常なことであり、それ自体大事件なのである。
 また瀧浪氏は阿倍立太子の時点で光明皇后が38歳であり、后腹皇子誕生が難しくなったこと、夫人県犬養宿禰広刀自所生の安積親王が11歳(但し天平十六年に急逝)となり、成長した安積親王を抑える意味もある(註73)とされているが、以上の見解についてはほぼ賛同できる。
 先行説もあげておくと、岸俊男は、光明皇后あたりの意見が相当強く働いたと推測され、機先を制したという見方である、大納言橘諸兄は複雑な血縁環境で微妙な立場にあり、反藤原氏の旗色を鮮明にする暇もなく押し切られたとの推測である(註74)。
 須田春子の見解は明快で「皇后光明子を立てて自家勢力の伸張と維持を期する藤原氏一族の、強い執念とも云うべき意図のもとに阿倍内親王は東宮に立ち‥‥阿倍皇女は誕生以来決して際だった特別の存在ではなく、当時藤原氏所生の唯一の皇族であるために推されて皇太子となり、やがて皇位に登る廻り合わせとなったまでのことで、端的に云うならば藤原一族の私的事情を除いては、当時必ずしも内親王立坊の決定的理由乃至根拠はなかったと思われる。なぜならば、その頃皇族諸王には天智・天武の皇子・皇孫が幾人も実在した。いやそれよりも聖武第二皇子安積親王は天平十年には已に十一歳に達している」(註75)とされているが、安積親王の天平十六年急逝は藤原仲麻呂の毒殺とみなす見解(横田健一説)があることはこの間の情勢を反映している。
 しかし瀧浪氏は、聖武天皇の皇位継承構想が、阿倍内親王から安積親王であったと推定されている(註76)。瀧浪説の特徴は、阿倍立太子が光明皇后や藤原氏の意向をふまえたというよりも、あくまでも聖武天皇の意思決定とみなしている点、安積親王への皇位継承のためにも阿倍立太子が必要だった。「不改常典」の嫡系相承の論理から、阿倍内親王の立太子は不可欠な手続きであったとし、それなりの意義を認めている点だが、聖武天皇による意思決定については異存はない。参議兵部卿藤原豊成が策略家タイプでないので藤原氏策略説をとる必要はない。それはもっともである。
 しかし瀧浪氏が聖武天皇も光明皇后もたとえ女子でも后腹で年長の阿倍をさしおいて、安積の立太子は考えられなかったという見方をとっているのは問題だ(註77)。この見解は通時代史的にいえば常識的とはいえない。少なくとも同世代では后腹皇子が非后腹皇子より皇位継承候補として勝っていることは当然の理屈だが、皇女にまで拡大するのは他の時代にはみられない理屈である。
 光仁皇女酒人内親王(母は廃后井上内親王)や鳥羽皇女暲子内親王(母は皇后藤原得子-美福門院)が女帝候補に浮上したことはある。しかし結局、非后腹の桓武、后腹という条件は同じで後白河が登極したのである。一般的にいえば后腹の内親王は厚遇されるのは当然のこととして、后妃候補、斉宮候補、平安末期以降では准三宮から、非婚准母皇后、非婚の女院候補になるとしても、皇子をさしおいてまで女帝候補に浮上するということはない。
 例えば、三条皇女禎子内親王は后腹で、藤原道長を外祖父とするゆえ、同じく后腹とはいえ藤原済時を外祖父とする三条皇子小一条院敦明親王より政治力学的に有利な立場にあったということは、ここで当時の藤原道長の権勢の説明する必要はないだろうし、禎子内親王は道長存命のうちは大変厚遇されていた。しかし皇子ではないから敦明親王をさしおいて立太子ということはならない。禎子内親王は後朱雀后となっても女帝候補にはならないのである。後鳥羽后藤原任子所生の昇子内親王(春華門院)は、膨大な八条院領を相続したが、たとえ外祖父九条兼実の関白罷免事件がなくても、非后腹の為仁(土御門)をさしおいて皇位継承者となるということは考えにくい。
 従ってこれは光明立后の史的意義と関連する問題としてとらえたい。光明皇后は、持統以前の皇親皇后を別問題として、人臣女子では共知型(天皇・上皇と並び立つ執政者)といえる史上最強の皇后であり、施薬院や悲田院(貧窮・病者への福祉事業)を設立し、国家的仏教事業(膨大な写経・勘経事業・造仏事業など)を推進した。附属職司の皇后宮職は、天皇の内廷に類比しうる規模を有し実務官人の養成機関としての性格も有していた(註78)。後に附属職司が紫微中台に改組され、太政官機構と並ぶあるいはそれを凌ぐ政治拠点となったことからも明らかなように、元正上皇が在世されているうちはありえないことだが、聖武天皇が政治に飽きてしまえばいつでも太后臨朝称制もしくは皇太后摂政という形式で国政を委任できるような態勢にあったと考える。
 もし、もうこの時点で聖武天皇はいずれは国政を光明皇后に委ねて出家する意向があったとすれば、阿倍内親王が即位したほうが皇太后摂政、皇太后称制はスムーズに移行できるのであり、そのような長期構想から阿倍立太子の意思決定がなされた蓋然性もあると私は考える。
 藤原氏からすれば、もちろん后腹皇子の皇位継承が最善であったが、皇太子基王は夭折した。光明皇后は38歳になった。次善策は藤原氏女腹の皇子誕生だが、入内した武智麻呂女も房前女も皇子女をもうけていない。阿倍内親王立太子は次の次の善処策ということであろう。
 天平六~九年前後に武智麻呂女と房前女が夫人として入内しており、天平十年の時点では藤原氏女腹皇子が誕生する可能性はまだあった。ただ藤原腹皇子の誕生を見込むとしても年齢差からみて中継ぎは必要であり、阿倍内親王が皇太子である限り、安積親王を担ぐ不穏な動きを封じられるので政治的安定にとっても好ましいと判断されたのだと思う。
 もう少し無難な見方を示しておくならば、阿倍立太子と同日に橘宿禰諸兄が右大臣に昇進していることからみて、これは、社会的動揺を抑え政局の安定化を図るためのバランス人事とみることはできるだろう。
 太政官決裁者は藤原不比等-長屋王-藤原武智麻呂と推移してきた。藤原氏は議政官の半数を占め、藤四卿体制といわれるように政権を主導してきた。しかし四卿薨後、藤氏で参議に昇進したのは豊成(兵部卿を兼ねる)だけで、又、文官人事を掌握する式部卿は、武智麻呂、宇合と歴任し20年近く藤氏がおさえていたポストであったが、天平十年正月の中納言多治比真人広成の任用により、政権における藤氏の比重は大きく後退した。しかし政権変動に伴う動揺は最小限に抑えなければならない。
 
 そもそも聖武天皇の母と妻后は藤原不比等を父とする異母姉妹で、光明子とは同年齢で霊亀二年16歳で結婚したが、もともと不比等邸で一緒に育てられていたので非常に絆の強い天皇と皇后である。東宮傅として皇太子時代の養育責任者が叔父の武智麻呂であった。聖武朝が外戚藤原氏を主軸として支えられ、光明皇后が皇権の一翼を担う共同統治者としての性格を有している以上、太政官決裁者に橘宿禰諸兄(敏達裔)を起用し、台閣第二席、第三席級も鈴鹿王(天武孫)、多治比朝臣広成(宣化裔)と王氏に偏った政権になってしまったからには、異例ではあるが藤氏を近親とし后腹でもある阿倍内親王の立太子により政治的なバランスをとる必要があったといえる。要するに聖武天皇がこの時点で安績立太子のような外戚の利害を無視し、政治的に不安定な状況をもたらす人事を強行することはありえない。聖武上皇の遺詔で道祖王が立太子されたが、道祖王の父新田部親王の母が藤原鎌足女でやはり藤氏と縁のある傍系皇親を選んだことでも明らなことである。聖武天皇と藤原氏のむすびつきは強いのである。
   本題に戻ると、阿倍立太子の時点では異母弟の安積親王が健在であること(既に述べたように瀧浪氏はこの時点で阿倍-安積という皇位継承を想定されている)、光明皇后が皇子を儲けるのは38歳(聖武と同年齢)という年齢的に難しくなったが、藤原氏女腹皇子誕生の見込みがまだあったので、阿倍内親王は立太子の時点で中継ぎを想定してよいと思う。
   いずれにせよ、天平十年の立太子例は特異な事例であること。天平九年の大疫癘にともなう社会的動揺と政権変動に対する対応、光明皇后という強力な皇后の存在という政治的背景があり、この特異な先例をもって現代において女性立太子を正当化できるものではない。阿倍内親王立太子の時点では、安積親王のほか、まだ皇子誕生の可能性があったほか、傍系皇親は多数実在しているから、現今のような皇位継承候補者が枯渇し血統的に袋小路の状況とは異なっており、そのような意味でも中継ぎと理解してさしつかえない。

(註73)瀧浪貞子『日本古代宮廷社会の研究』思文閣出版(京都)1991「第一章光明子の立后とその破綻」29頁
(註74)岸俊男『藤原仲麻呂』吉川弘文館人物叢書 新装版 1987(初版1969)72頁
(註75)須田春子『律令制女性史研究』千代田書房1978「高野天皇」492頁
(註76)瀧浪氏の見解「‥(藤氏)四兄弟の急死という不測の事態のなかで、成長する安積を抑えるために取った措置であったとみるべきである。それはいつか安積の皇位継承を期待する聖武にとっても不都合でなかったと思われる」前掲書29頁
(註77)瀧浪氏の見解「‥嫡系相承にこだわる聖武にとって、安積よりも年長の阿倍を差し置いて、安積を皇位継承者とすることは到底考えられなかった。それは光明子とても同様であった」、『帝王聖武 天平の勁き皇帝』講談社選書メチエ199 2000 
(註78)光明皇后の政治活動につき 井上薫「長屋王の変と光明立后」『日本古代の政治と宗教』吉川弘文館1978 中林隆之「律令制下の皇后宮職(上)(下)」『新潟史学』31、32号 1993、1994

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