団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(32)
アンドリュー・ローゼン川北稔訳『現代イギリス社会史1950-2000』の訳者あとがきにもあるように、巷に氾濫しているイギリスの情報は王室、紅茶、パブといったアングロマニアックなものが多い。私もイギリスの結婚風俗、とくに18世紀のフリートマリッジのようなくだけた文化が好きである。建築や庭園についても関心はある。欧州大陸諸国は嫌いだがイギリスは好きであり、アングロマニアックそれ自体を否定しないが、そういう情報だけでは現代のイギリスを説明することができない。具体的に80年代の炭鉱ストや新聞社印刷工のワッピング争議における労働組合敗北の意義と云ったことに重点を置いて現代史を検討すべきである。私がサッチャー政権でもっとも評価するもの、それはコレクティブレッセフェール体制を立法的介入により漸次終焉させ、1901タフヴェイル判決を全面的にではなくとも復権させたことによる労働政策のパラダイム転換にある。そしてサッチャーが政権を獲った主要な要因も国民の反労働組合感情にあった。
不満の冬(1978~79)における労働組合の横暴
前回
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/right-to-work-2.html
1979年5月3日総選挙はマニフェストで、ピケの制限、労組の役員選挙における郵便投票に政府が資金提供すること、クローズドショップの禁止を盛り込んだ、サッチャー率いる保守党が339議席が獲得し勝利した。
保守党勝利の要因には、社会を麻痺状態に陥らせた「不満の冬」(1978~79)と呼ばれるストライキの頻発、とりわけ迷惑をかえりみない公共部門労働組合のピケット対して、国民が怒ったこと。それを制御できないキャラハン労働党政権への不信感によるものと思われる。
労働争議で失われた日数は1979年に2947万4千日に達したが、これは70年代の平均の倍、60年代の年平均355万4千5百日の約8倍に相当する。【*47第6章労働組合84頁】、ストに参加した労働者数は1979年に461万人に達したのである。【*17 247頁】。
「不満の冬」のストの始まりは1978年9月フォード自動車工場のストライキであり、続いてロンドンのタクシー運転手のストをはじめ、さまさざまな公益事業に広がった。フォード自動車工場は17%賃上げで妥結したが、78年12月地方自治体現業労働者は40%の賃上げを要求した。1979年11月22日,150万人の公共サービス労働者が。救急車の運転手、ゴミ収集人たちは皆仕事をやめた【*48】 。
その結果何が起きたか。学校は休校になり、ロンドンのゴミは収集されうず高く積み上げられ腐り始めた。バーミンガムのクイーン・エリザベス病院では、ピケットのために食料や医薬品の搬入が阻止され、そのため65名の癌患者と数名の妊婦が帰宅させられた【*17 249頁】。もっとも評判が悪かったのは、リヴァプールの墓堀人たちが死体の埋葬を拒否したことだった。その報道で悲しんでいる遺族が墓地から追い返されている姿は、全国を震撼させ、深刻に嫌悪感を引きおこしたのである【*47 84頁】。
これほど、ひどいことになった理由は、1906年の労働争議法でイギリスでは同情ストが禁止されておらず(同情スト1927年に違法とされたが、1976年に合法化)ストが拡がりやすいだけでなく、本質的にはマスピケッティング(大量動員ピケ)を規制していないことに問題があった。19世紀においてアールやブラムウェルといったダイシーが尊敬すべきと云う良識的な裁判官が他者の権利を侵害する者として厳格にピケッティングの違法をとする判断を下していたことを思い起こすべきである。ピケに寛容な労働政策は社会秩序を乱すものであるということを、「不満の冬」の教訓とすべきであろう。
70年代のイギリスのストライキのひどさというものを直視するならば、ピケットの規制はわが国においても必要である。公務員に労働基本権付与が政治日程に上っている以上、ピケットの態様の規制は重要な政策課題である。
イギリスにおいては1980年雇用法によりピケッティングを組合員自身の「就労の場所の周辺」に限定した上で、行為規範によりピケ人数を6人以下に限定した。【*49 111頁】 これによってフライングピケットと大量動員ピケを違法化した。
フライングピケットというのは1974年2月の炭坑ストなどで政府を驚愕させ空前の混乱をもたらした戦術であり、全国炭坑労組のスカーギルが指揮した就労妨害のために各地を移動する組織だったピケット機動部隊のことである。ハエのように移動して集まって石炭輸送を妨害した。同情ストも容認されていたため鉄道労働者やトラック労働者も支援し、貯炭準備が乏しい状況で、石炭の発電所への輸送をピケ隊が妨害した。このストは全国炭坑労組30%の賃上げ要求に対し、保守党ヒース政権は16.5%の増額を提示したが組合が拒否したために始まったが、電力不足は深刻化し、国民は暗くて寒い冬を経験し、ロンドンでは馬車が復活、オフィスではローソクをともす事態にまでなった。
ヒース首相はストを収拾できずに「国を治めるのは労働組合か政府か」を争点にして総選挙に打って出たが4議席差で敗北、結果的にこのストはヒース政権を打倒した。政権交代によりウィルソン労働党政権は29%賃上げというほぼ満額に近い回答でストは解決し、全国炭坑労働組合の大勝利となったのであるが。この1974年2月28日総選挙の結果を解釈すると、国民の怒りは労働組合の横暴はむろんのことだが、有効な対策がなくストを収拾できずに、電力不足から工場の操業を週3日に短縮したり、暖房を1世帯1室に限定するなど国民に耐乏生活を強いた【*50 34頁】、ヒース政権にも怒りが向けられていたとみるべきである。
よって、ピケットの規制は重要な政策課題だったのであり、それを果たしたのが、ヒースとは違う労働政策をとったサッチャー政権であった。
*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*47アンドリュー・ローゼン 川北稔訳『現代イギリス社会史1950-2000』岩波書店2005
*48美馬孝人,大西節江「1970年代のイギリス国民保健サービス」『北海学園大学経済論集』第55巻第1号(2007年6月
PDF http://www.econ-hgu.jp/books/pdf/551/mima_57159.pdf
*49家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」『名古屋大學法政論集』. v.168, 1997, p.105-150
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/dspace/handle/2237/5752
*50小川晃一『サッチャー主義』木鐸社2005年
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これまで二大政党制の国だと思われてきたイギリス。そのイギリスで二大政党に続く第三党の自由民主党が注目を集めている。三大政党の支持率が拮抗していることもあり、ブラウン首相が遊説中に犯してしまった失言問題で、ますます混迷を深めるイギリス政界。5月の総選挙を控え、自由民主党のクレッグ党首の動きから目が離せない。
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8万で童☆貞買ってもらったぜ!!
しかも生セックルな!めちゃ気持ちよくて、軽く昇天しかけたっての!!(爆)
てかこんなの知ったら、もうオ ナ ホとか使う気おきねぇwwwww
http://kasira-d.net/jam/ol15kqq/
投稿: こんな初Hってあり?笑 | 2010/05/01 12:26