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2010/05/29

入手資料整理 茂木健一郎『脳とクオリア』その1

  9717茂木健一郎『脳とクオリア-なぜ脳に心が生まれるのか』日経サイエンス社
1997

 パラパラと読んで、271頁の「原理的に、ある人が『死ぬ』すなわち、その意識状態の連続性が非可逆的には決して失われることはない」と人間は死ぬことはないという仮説が提示されているところに目がとまった。これをとっかかりとして死について長期シリーズで考えてみたい。

茂木は睡眠中の意識の不存在を述べる。「意識という文脈においては、意味があるのは、発火しているニューロンのみである。発火していないニューロンは存在していないのと同じである。」268頁。にもかかわらず、不存在を超えて睡眠の前も睡眠後も「私」であるのは、睡眠の前後で似たニューロンの発火パターンが際限されるので人格の自己同一性を認識できるからだと説明する。これはわかる。
そこで次のような思考実験を行う。Aさんは深い睡眠中に強盗に撃たれ、頭部貫通の銃弾なので死につつあることを意識することなく即死した。
「10億年後、死亡直前のAさんと全く同じニュ-ロンの状態が宇宙の別の場所で偶然再現された。肉体的特徴もそっくりであった」270頁。この人をαさんと呼ぶが、周囲の様子が違っていたので、まわりの人が何を話しているのかわからなかったとする。このときAさんとαさんは同一の「私」とみなしてよいか、と問いかけ、結論は同じ「私」というのである。
この思考実験は変である。例えば私は冠動脈のバイパス手術をした。その時事前に数%だがオペで失敗することもあるという説明があり、了解事項とした。たしかサインをしたと思う。といっても医師の腕を信じていたので、「白い巨塔」じゃあるまいし9割9分不手際はないとは思った。夜中だったが手術室に入って3~5分ぐらいは意識があったが、麻酔で意識が消えた。翌朝、突然目をあけることができなかったが医者と付き添いの肉親の話している声が聞こえ、助かったと思った。 仮に心臓手術のオペが失敗して私が死亡すると仮定する。一方10億年後宇宙の別の星でのもう一人の私は、手術に成功したが、人格的には10億年前と繋がっていて、周囲の様子が違うと認識したというのはおかしい。
なぜなら、そもそも人間の心も知識も外界に対応しているのである。記憶と外界の様子が連続して繋がらない場合、人格的自己同一性はないし、10億年後の私は、10億年後の外界の知識しかなく、10億年前の知識を持つことは不可能であるからだ。タイムマシンで未来に行くような話など信じられないのである。
 同一人格は同一個体のものであるのは大前提である。なぜなら、その人の記憶の脈絡が連続してなければ認知症の老人のように人格は破綻状態になる。時空を飛び越えるような同一人格はありえないと考える。人格的同一性を前提とすれば意識は別の個体をトランスできないし、一個体に限定されないなどということはありえないように思う。それは死をもって非可逆的になるという常識的な考え方でよいと思う。従って「意識状態の連続性が非可逆的には決して失われることはない」という茂木の命題は、直感的に理解しにくい。ただ別人格だが、類似のニューロン発火パターンの個体があれば、それは別個の個体だが、別世界のほぼ私という表現が可能であり、自己概念を特定個体に限定させないで、その心的傾向性の類似性、同パターンに着目すれば、自己概念は無限に拡大するといえる。

 例えばこうである。宇宙空間は均一に分布しているからよその宇宙も私たちの宇宙と基本的には似たものであると云われる。地球型の岩石惑星は太陽系以外では多分発見されてないと思うが、観測されている宇宙の範囲でも多くの銀河があるから、地球類似の岩石惑星は相当な数があり、地球人類似の生物が存在する可能性は相当ある。観測されている同じ宇宙でも自分と似た人間はいるかも知れない。しかし宇宙はわれわれが観測している膨張宇宙だけがポコッとあるだけではないようである。日経サイエンス 2003年8月号のデグマーク「並行宇宙は実在する」http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0308/another.htmlに書かれていたことですが、観測によると空間は無限に拡がっているらしい。無限空間では可能性のあるものは現実になるのだという。「地球から10の1028乗メートル離れたあたりに私たちそれぞれの「もう一人の自分」が存在する」という。もっとも宇宙論には自己増殖するインフレーション宇宙論とか膜宇宙とか諸説あるだけでなく、量子力学的な多世界解釈というのもある。そういう細かいことは議論しないが、10×1028乗離れたところにそっくり宇宙があるとすると、そこからまた離れたところにそっくり宇宙があることになる。空間が無限だと、そっくり宇宙も無限となり、そうすると私と類似している人間が無限にいると仮定できる。その場合、同じ別の私での別のパターンがあってよいと思う。つまり、私は父が関西人で母が東北人、東京で生まれ育った。たまたま試験に受かったために高井戸の上水学園というキリスト教系の幼稚園に入園した、しかし別の幼稚園も受かっていたので別の選択肢もあった、高校進学や就職も別の選択肢はあっただろうし、配置転換で別の部署だったら、また違った人生だったろう。何より健康問題では煙草をやらなければ心臓病で苦しむこともなかった。下町の木賃アパートに長く住んでたが、ねずみが天井をはいずりまわり、湿気があり、アンテナがなくテレビも写りが悪い最低のところだった、そんなところに住まなければもっと快活に生きることができたし別の人生があった。翻って自己の人生をみていくと現在、非常に危機的で不愉快な状況にあることを考えると、あらゆるパターンの中でも悪い方の下位20%ぐらいかもしれない。
 そうすると、仮に私とほぼ遺伝子組成が類似、同じバックグラウンドで無数の人がいるとすると、遺伝子が同一の一卵性双生児が別人格になるように、無数のパターンの別の私がいると仮定できる。また一卵双生児でも別人格だから、自分のほとんどクローン人間でも思想が異なるように成長したなら、ニューロンの発火パターンが違っていたら自己同一性はないと考える。
 遺伝子とニューロン発火パターンと云う心そのものとどの程度関連があるのか私は知らないが、自己同一性とは同一遺伝子とか外見にこだわる必要がなければ、基本的に異なる個体でもニューロンの発火パターンの類似ということで、類似した心的傾向性の人格を広い意味で自己同一性と認識することもできるのではないか。
 私がトランスパーソナルというのはそのことである。自己概念を伸縮自在として、満足のいける自己存在が真の自己と考える。なぜならば生物の本質が、自己保存欲求や恒常性維持だけでなく繁殖と環境適応という指向性を有するないしそういう傾向性を発現する構造の物質機械だから、傾向性を発現させて真の存在とすると、満足とは、最大の環境適応をさすからである。
 そういうことで私の世界観は、自分の人生が悪い結果で終わっても悲観せず生きてよいと考える。なぜなら、カンフォータブルな別の自己を想定しうるから。
 傾向性が発現できないでいる私は私と言える程のものでもなかったのである。
 

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コメント


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