入手資料整理 茂木健一郎『クオリア立国論』
9716茂木健一郎『クオリア立国論』2008年 ウェッジ
クオリアとか、ミラーニューロンというのは茂木の著書で初めて知ったわけですが、ミラ-ニューロンが脳のなかで「鏡」に相当する働きをして、「他人という「鏡」に映った自分の姿を通して、私たちは自らの姿を知る」(同所前書き)という。
ここからは私の意見ですが、ミラーニューロンが他者の行動の理解、自己認識、内省の根拠だとすれば、ミラーニューロンから得た自己認識は結局バーチャルリアリティーにすぎない。他者を通して自己と認識しているものを錯覚しているだけ。結局、自己認識の自己は他者のアナロジーにすぎないから他者の範疇に含めてよいと考える。結論は状況的認知の自己とは他者だったと云うことである。
というのは、自己認識の自己それ自体、状況的認知にすぎず、傾向的存在として動態的に把握している訳ではない。ハビトゥス、構造的存在として直感的に認識している訳ではないからである。真実の自己は別の世界にあると考えている。
次にクオリア(感覚質)の集合が心の内容であるとすれば、それはトランスパーソナルと言える。例えば私が1983年頃に経験したことですが、歌舞伎町のノーパン喫茶で初めて指名して、確か指名料が7千円でルイちゃんだと思いますが、結構美人だった訳ですが、あの狭い部屋でその太ももの内側をいやらしくなで回した皮膚感覚それ自体は忘れているが、そのときワクワクした感覚がクオリアとして想起できる。他者もワクワクするに違いないから。しかし赤旗を見て、私は嫌悪する。排除したいと考える。赤旗(組合旗、平家や運動会の赤い旗ではない)を見て不愉快に思う感覚もクオリアとすれば、組合旗を何とも思わない人や好む人とはクオリアを共有していないから別物であり、逆に言うと、別の世界に住んでいる人でもクオリアの集合が殆ど同じなら、「自己」と認識できる。
この本の感想は、脳科学から日本文化論に飛躍するのがとってつけた印象。143頁でドイツのザルツブルグとあるのはオーストリアに訂正すべきでしょう。
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