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2010/05/23

入手資料整理『労働法律旬報』1716 2010年3月下旬号 その1

山本幸治(連合副事務局長)「政権交代と今後の連合運動を考える」

「様々な労働組合を全部足したとしても18.1%(2008年6月現在)にしかならないという現実があります。私たちはILO原則に立ち、労働政策は政労使の三者で決定する。‥‥意地の悪い学者たちは、労働政策は三者構成でやるからスピード感がなくて何も決まらないのだと言います。 ‥‥膨大な非正規労働者の利益をを切り捨てているのではないか、と批判されています。‥‥自民党筋などから「連合は勝ち組クラブではないか」「民間大手と官公労の集まりではないか」と批判がよくなされます。それも一面の実態を突いてます」

以上引用だが、私はコレクティビズム(集産主義・団体主義)はもうやめようという考えだから、つまり労働組合は個人の雇用契約の自由、労働力処分の自由、財産権を侵害するものであって、使用者の団結も営業の自由に反する、よって、公労使三者構成原則のようなコーポラティズム的枠組をなくすべきだととの考えで、戦後レジームと云ってもよいが、これを潰さないと新自由主義政策展開が不可能だからである。
三者構成原則による政策形成はILOの要求と云うことが強調されるが、ILOはそもそもイギリスやフランスの国内事情で第一世界大戦の戦後処理のためにつくった組織である。戦争の遂行には労働組合の協力体制が不可欠だった。戦時協力の見返りとして、また戦後兵員の復員、軍需産業の生産低下に伴う雇用の混乱に対処するために、国際労働・社会主義会議の要求に譲歩する必要があり(註1)、そういう勝手な都合でILOを設立したのである。我が国は戦勝国としてパリ講話会議に出席したため、殆ど国益とは無関係に戦勝国とのつきあいで国際労働機構への参加を余儀なくされただけにすぎない。国際労働基準を金科玉条とすることにより政策判断を狭めることは正しくない。ILO協会も事業仕分けの対象になったし、戦間期とは大きく事情が変化した、この腐れ縁に固執することに殆ど意味はないと考える。仮に反ILO政策をとって、では彼らが実効性のある日本企業商品のボイコットや日本人いじめができるのか。私が首相なら脱退しますが、制裁を恐れる必要はないと考える。20世紀型コレクティビズムからの脱却が望ましいと考えます。

連合の側でもこの論考に見られるように、自分たちは民間大手企業と官公労の組織労働者の利益にもとづいており、全ての労働者を公正に代表する立場にはないことは認めてしまってしまっている訳である。ただ、現在の民主党政権でこの枠組みを変えると逆に、経営側の主張が無視されて、偏った政策にもなりかねないし、現実に新自由主義を推進する政治勢力・シンクタンクに乏しい現状においては、拙速に進めることはない。
 
労政審などの三者構成原則による労働立法・政策形成の批判について、労務屋プログhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/201001252007を引用すると
「2007年5月21日に発表された規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~」という意見書においては「現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない」「主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない」として「使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め」ることが主張されています。こうした考え方はそれほど新しいものではなく、すでに2001年の日経連経営トップセミナーにおいて、講師の一人として参加した八代尚宏氏(現国際基督教大学教授)が、三者構成の審議会による検討は時間がかかる上に労使の主張の間をとった「足して2で割る」ものになりがちだ、と批判していました」
例えば、日経連の主張した、全ホワイトカラー裁量労働制とか、労働基準法の刑事罰撤廃、あるいはホワイトカラーエグゼンブションは早期実現すべきであるが、労働側委員が反対するからまとまらないといったようなことである。ポストモダニカルマネージメントを望む個別労働者は適用除外を望んでいる、組織がフラット化し、権限委譲が進んで、顧客第一主義に徹するためには、管理職や専門職と区別する理由は少なくなっており、ホワイトカラーの適用除外は当然のことであと考えるが、他人の働き方、作業量や時間をコントロールして労働力処分の自由を個人から奪うのが労働組合の本質だから三者構成原則がそれを阻んでいるのである。だからいつまで経っても生産性は向上せず、経済低迷から脱却できないのである。

濱口桂一郎「労働立法と三者構成原則」http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristtripartism.htmlによると日本の政策決定過程への公労使三者構成原則ては、敗戦後占領下で急速に進んだもので、その政策はILOの要求するものとされてい
しかしそれが国際基準で一般的なありかたであるはずがない。上記、濱口桂一郎の論文においてもヨーロッパ大陸諸国の多くは議会制定法で定めているような労働法制はほとんどすべて労使ナショナルセンター間の労働協約によって定めているとしており、政府による一般的拘束力制度すら否定する労使二者構成原則つまり協約自治であって、日本の制度に近いのはオランダ(公労使三者構成の経済社会審議会が社会経済政策に関して必ず諮問を受ける)であるとしている。
しかし日本の場合は労働法制が団体交渉を促進する法制であるが社会基盤は決してそれになじむものではない。現実に中小企業の多くが組合不在であり、使用者団体と産業別組合が仕切って同一地域同一地域、同一職種の賃金を決めてしまう、欧州のコーポラティズムは自由企業を窒息させるものでなじまないと思うし、オランダ・オーストリア・デンマークのようなコーポラティズムの小国の制度とは実情がかなり違う。ノンユニオンの健全な部分もあるにも関わらず、使用者団体と労働組合の利害調整を前提とした労働政策を展開しているのは特殊な在り方だといえるだろう。
他方、労働立法・政策形成に、政労協議をとらない国としてはアメリカ合衆国がそうである。例えば2002年に税関、入国管理、沿岸警備隊など22の組織を統合して、国土安全保障省が設立されたが、ブッシュ大統領の方針により事実上団体交渉権をを剥奪する制度設計がなされた時。事前に労働組合と協議しているわけではない。ブッシュ政権のチョー労働長官はヘリテージ財団出身であり、政策形成に労働組合 とすりあわせることはない。ただ、民主党に分厚い親労働組合議員がいて、議員が組織労働者の主張を代弁することにより、労働立法の調整がなされるということである。
イギリスについては、第一次成果大戦前から1970年代まで、自由党政権であれ、保守党政権でありれ、政労協議がなされたいた。それは戦争協力のために必要であったことからはじまったが、サッチャー政権によって、政労協議はやめた。1980年雇用法により1975年雇用用保護法の組合承認手続を廃止した。つまり組合承認は経営者の任意であって、保守党政権時代においては、団結承認義務はなかった。 労働政策において労働組合と調整することはしない。オーストラリアのハワード自由党政権は使用者と労働者個人が直接交渉し個別契約することを認めた豪職場協定(AWA)を導入した。またニュージーランド国民党政権は1991年雇用関係法Employment Relations Act)においては使用者の団結承認義務に裏付けられた社会権的団結権の概念は明確に排除した、個別契約を主軸にした労働立法であり、これらは、反労働組合・反コレクティビズムの政策展開であるから、三者構成など自明の前提とするものでは全くないのである。



(註1) 大前 真 「 ILOの成立-パリ講和会議国際労働立法委員会 」『人文学報』京都大学 (通号 47) [1979.03]

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