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2010/06/13

団結否認権の確立Right to Work lawが必要だ 下書き1-(34)

今回は前回と前々回の書き直しである。

○サッチャー登場の背景

前回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/right-to-work-l.html

前々回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/cat20258890/index.html

ダイシー【*42】、ポロック卿、ホウルズワース【*46】という名だたる法制史家が激しく非難するところの1906年労働争議法により労働組合は法律で罰せられることのない特典を享受することとなった。この体制をコレクティブ・レッセフェールと言う。
私は、1906年労働争議法を最凶最悪と断定する。保守本流のオックスフォード大学ヴァイナー講座、法制史の泰斗ホウルズワースも目に余る悪法とそういうんだから間違いないですよ。
労働争議の刑事免責も民事免責も誤りだったしと考えるし、レイバーインジャンクションを支持する。共謀罪を適用して弾圧すべきだという立場である。
それは、1799-1800年の小ピット政権における団結禁止法の「古いト-リー主義」に戻ることを必ずしも意味しない。少なくとも1901年タフヴェイル判決の時点に時計の針を戻すだけでも大きな成果であると考える。実際オーストラリアでは労働争議法が受容されなかったし、当時のバナマン首相(自由党)が労働組合に非常に妥協的だったことから成立したものである。労働争議法が歴史的必然であるわけでないのは立法経過からみて明らかなことである。
イギリスの労働組合は戦後の完全雇用政策のもとで組織力と発言力を増し、労働市場に大きな規制力を有することとなったが、その実情を明らかにしたのが1968年のいわゆるドノヴァン報告であった。
それによると労働組合の規制力の根幹は、仕事規制(ジョブ・コントロール)で、伝統的な組合(炭坑・印刷工)ならびにショップ・スチュワードに率いられ作業グルーブは、仕事の縄張りに強く固執し、残業の決定、仕事の配分、要員数の決定さえも強い影響力を持っていた。このような仕事規制を基礎とした労働力の規制力に、会社側の適切な人事政策の欠如が加わって職場は「不文の約束、慣習・慣行」によって支配され、まともな職場「交渉」の概念すらないとしていた。つまりそのような「インフォーマルな労使関係」が、賃金ドリフトの原因となり、全体の95%をしめる非公認ストの要因であるとした。【*48】
つまり、イギリスの労働組合は事実上内部請負制のクラフトユニオンによる間接管理の様相が強かったのである。反面、インフォーマルな慣行が支配し、全国レベルの中央交渉の統制力の弱さと賃金ドリフトは、逆説的にいうと硬直的な意味の同一労働同一賃金が行われていないという点で、労働組合は法的制度的基盤のもろさを浮き彫りにしていたともいえる。
ひとくちでいうならば、山猫ストの多発したコレクティブ・レッセフェール時代はひどかった。しかし大陸欧州型モデル、同一職種なら全国レベルの中央交渉でどの企業に就職しても同じ賃金というような体制的枠組みの硬直性がないため、改革によって生まれ変わる可能性も大きかったのである。

サッチャーのもっとも評価されるべき業績は、全面的にではないが部分的に1901年タフヴェイル判決に回帰した労働政策にある。ひとくちに言えばコレクティビズム(団体主義・集産主義)の時代を終了させたことである。それは完全に労働争議法を否定するものではなかったが、メージャー政権の労働政策と合わせれば、かなり満足度の高いものと評価できる。それは労働組合の民主化を促すという方便で緩慢に労働組合を駆逐していく方向性を明確にしたものであった。実際保守党政権が続いていれば、2010年には労働組合は消滅するとも予測されていたのである。

ということで、80~90年代の保守党政権の労働政策を取りあげる。

                    *



1970年代のイギリスは慢性的なスタグフレーションに悩まされ、1976年にポンド切下げ圧力が強まり、莫大なIMF借款を受け入れることとなり、物価騰貴、失業率の上昇、国際収支の悪化というトリレンマに襲われた。そして社会を麻痺状態に陥らせた「不満の冬」(1978~79)と呼ばれるストライキの頻発があった。これは1926年のゼネスト以来の規模となった。1979年5月3日総選挙により、サッチャー率いる保守党が339議席が獲得し勝利した背景には「不満の冬」ストライキに国民が反発し、それを制御できないキャラハン労働党政権への不信感が強まっていたのがある。
このストの始まりは1978年9月フォード自動車工場のストライキであり、続いてロンドンのタクシー運転手のストをはじめ、さまさざまな公益事業に広がった。フォード自動車工場は17%賃上げで妥結したが、78年12月地方自治体現業労働者は40%の賃上げを要求した。1979年11月22日,150万人の公共サービス労働者が。救急車の運転手、ゴミ収集人たちは皆仕事をやめた【*48】 その結果何が起きたか。学校は休校になり、ロンドンのゴミは収集されうず高く積み上げられ腐り始めた。当時の映像を見てください。http://www.youtube.com/watch?v=Je65Vw7ndro。バーミンガムのクイーン・エリザベス病院では、ピケットのために食料や医薬品の搬入が阻止され、そのため65名の癌患者と数名の妊婦が帰宅させられた【*17 249頁】。もっとも評判が悪かったのは、リヴァプールの墓堀人たちが死体の埋葬を拒否したことだった。その報道で悲しんでいる遺族が墓地から追い返されている姿は、全国を震撼させ、深刻に嫌悪感を引きおこした【*47 84頁】。
 
 
 「イギリス病」と呼ばれる経済停滞のサッチャーの基本認識については田口典男がわかりやすい。『サッチャー回顧録』によると、こういうものだった。経済政策に関しては、国の補助金による投資の方向づけが非効率な産業を増加させ、投資収益の低下を招いた。労働政策に関しては、労働組合に保護的な免責を与えた法律の濫用が生産制限的な行為と過剰人員を守り、ストライキを支え、組合員の判断に反して労働争議に参加するよう強要したとしている。彼女は、このような判断に基づいて、大英帝国ビクトリア朝的な価値を重視し「不平等の価値」、「自助の精神」及び「個人の重要性」を基本とした「強いイギリス」の復活を目指した。
 政治的には-福祉国家ではなく機会の自由を基本とする自由主義国家へ
 経済的には-ケインズ的経済政策から新自由主義経済政策へ
 社会的には-個人主義に基づく自助・自立を基本とする社会へ
 なかでも労使改革は、サッチャー政府の改革の中核であった。イギリス経済の停滞は労働組合に対する政府や経営者の曖昧な態度、労使対立構造、労働組合の経済への過度の介入、労働市場の硬直性などに起因するものとして、労使関係に積極的に介入した。【*49 88頁】1984年の炭坑ストに見られるように労働党左派のアーサー・スカーギル率いる炭坑労働組合との全面的対決となっていった。
 林和彦によると、それはイデオロギー闘争でもあった。反組合的政治的基礎はハイエクのリバタリアニズムである。又、労働市場規制緩和政策という観点で取りあげているが、労働組合の制限的労働慣行の除去、不当解雇規制の削減、最低賃金や団体交渉補助制度の除去等、考えられうるビジネスの負担を除去した結果、外国からの投資を呼び込む労働コストの削減で大きな成果をもたらした。1990年にフォース産業相が来日し「イギリスはECのなかでも労働コストの‥‥低い国の一つである。ドイツの労働コストの半分、フランスやイタリアの三分の一」と述べている。【*48】
 
 
*17 浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*42 A.V.ダイシー 清水金二郎訳『法律と世論』法律文化社1972年」第二版序文「この法は労働組合に対し、組合または組合の使用人によるもっとも言語道断な不法行為の遂行に対してさえ、民事責任を免れせしめ、一言して云えば、すべての労働組合に、連合王国を通じて他のいかなる人または団体も有しない特権と保護を与えるのである。これは確かに法律の非常に特殊な状態である。」
*47アンドリュー・ローゼン 川北稔訳『現代イギリス社会史1950-2000』岩波書店2005
*46ホウルズワース 西山敏夫訳『英米法の歴史家たち』創文社2009年(原著1928年)142頁 「民主国家は、かつての法律家や旧体制の政府と同じように、その国において法への尊敬を作り出すような立法をすることに成功するであろうか?.その答えは決して明白ではない.国王や貴族制は多かれ少なかれ、ある程度彼らが世論を懐柔する必要があるという事実を意識していた.民主国家における多数派は.たとえ小差であって.それが多数であるので常に彼が世論を反映していると考え.それ以上の反省なしにその気まぐれを満たすことができる.性急で計画性のない立法の結果は.法自身への軽蔑を招きがちである.イングランドでの目に余る事例は.労働組合を法のコントロールから開放した労働争議法(Trade Disputes Act)である。我々が最近になってその影響を被った経験は、伝統的なイングランドの法への尊敬をぶち壊すまでに至った手段を変更する必要性を強調した‥‥」
*48林和彦「イギリス保守党政権下の労働市場の規制緩和(一)」」『日本法学』72巻3号 2006

*49田口典夫『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房(京都)現代経済学叢書2007年12月

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