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1980年雇用法において、ピケッティングの規制を行い、平和的説得に限り、その対象を労働者の自己の職場に限り、あちこちの職場に移動して行う、フライング・ピケfrying picketing の禁止したことは前回述べたとおりであるが、
具体的には行為準則によって態様の規制が定められており、小島弘信氏の論文【*55】で1980年8月5日の草案の概要が説明されているので一部を引用する。ポイントは他人の干渉されることなく、合理的日常の事業を行う権利の保護。全ての者にピケットラインを越える権利を有するとしていることである。
1980雇用法-行為準則
ピケッティングに関する行為準則
ピケッティングは通常人が働きに行くことを阻止することによってその雇用契約を破棄せしめるよう労働者を説得すること、及びピケッティングされている使用者の事業を妨害することによって他の者との商取引の遂行を妨げることを含む。
ピケッティングがルールに従って行われる場合には、参加者は民事上の不法行為責任を免れる。このようなピケッティングは自身の職場かその近くで行われる場合に限定される。‥‥‥‥
ピケットラインからの説得
平和的に情報を得または伝播し人をを説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければなせない。他の者を説明を聞くようににおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。
何者かに脅威を与えもしくは威嚇し、または何者かが職場に入ることを妨げるピケッティングは刑事罰の対象になる。規則に従わないピケッティングによって、その利益が損なわれる使用者または労働者は、民事上の法的救済を受けることがぶきる。彼はこの行為に責任を有する者を相手どって損害賠償を求めることができるし、裁判所に違法はピケッティングの差止め命令を求めることもできる。
刑法は全ての者が他人によって干渉することなく、その合法的日常の事業を行うことを権利してとして保護している。何人もピケッティング参加者がとどまるように求めたときはとどまり、就業しないように求めたときはその要請を受け容れる義務をもたない。全ての者が自己の欲するままに自分の職場に入るためにピケットラインを越える権利を有する。
ピケット参加者は車をストップしまたはストップしたままににしておくように要求する権利をもたない。彼の権利は運転手に言葉またはシグナルでストップするように求めることに限定される。彼は運転手がラインを越える意思表示をしたときは、車を物理的に阻止することはできない。‥‥
ピケッティングの参加者数
ピケッティングが暴力化し、無秩序になる主な原因はその数が多くなりすぎた場合である。強い不満を有する者が多数参集する場合には争議行為は常にコントロールを失う危険をもっており、関係者は逮捕と訴追を受ける可能性が強い。
これはとくにピケッティング参加者が他の人の入構を阻止し、または物資の搬入もしくは出荷をストップすることを数の力で要求する場合にはいつでも生じる。このような場合に通常行われるのは平和的説得ではなく、脅迫でないとしても妨害である。
このようなピケッティングはマス・ピケッティングとと呼ばれるものであり、これは平和的説得の試みという合法的なピケッティングではなく集団的示威であり、平和の侵害を惹起することになるだろう。
工場の入口で行われるピケッティングは、耳を傾ける意思を有する構内に入りまたは出ようとする合理的に許される人数に限定すべきである。一般的基準としてはそれは六人以上の数になることは稀であり、普通はこれより少ない数で十分であろう。
ピケッティングと国民生活
ピケッティングは、その争議と直接関係のない国民を困惑させ、不自由をかけることがないように最大限の配慮をすべきである。国民生活に必須の基本的な商品・物資の供給のための移動、工場及び設備の必要な保守を行うこと、その社会に必要なサービスを整備すること等々は、邪魔されたり、阻止されてはならない。‥‥‥①医療及び薬品の生産・梱包・販売または流通②衛生及び福祉施設または病院・老人ホームに必要な物資の供給③学校・居住施設・宿泊施設への燃料の供給④それを欠けると国民の健康と安全に危険が生ずるおそれのあるその他の物資の供給⑤工場及び機械の保安のために必要な財貨・サービスの供給⑥生活物資の供給⑦食料及び動物の飼料の供給⑧警察・消防・救急・航空安全警備隊及び沿岸警備隊並びにこれに関連する自発的機関の行うサービス。
自己と関係のない労働争議を進めるために自己の職場でピケッティングを計画する者は、1980年雇用法第17条の独立した制限規定に従わなければならない。顧客及び原料供給者または争議中の使用者の連合した使用者に対し、無差別にピケッティングすることによって商契約を妨害することは免責とはならない。
労働組合はピケットラインを横切った組合員を制裁しまたはその他懲戒的行為を付してはならない。
以下、私のコメント
1980年雇用法のピケッティング行為準則は「何人もピケッティング参加者がとどまるように求めたときはとどまり、就業しないように求めたときはその要請を受け容れる義務をもたない。全ての者が自己の欲するままに自分の職場に入るためにピケットラインを越える権利を有する。」とピケットラインを越え、就労する権利を明示した点、違法なピケッティングは刑事罰の対象となり、使用者や労働者に民事上の救済の権利と裁判所に差止命令を求めることができるとしたことで優れた立法政策と考える。
人生で遭遇する経験でもっとも不愉快なのは他者に反道徳的、反倫理的行動を強要されることであり、ストライキであリ。就中ピケッティングでなのでのである。就労する権利、営業(取引)の自由、労働力処分、広い意味での財産権の自由、精神的自由も含めて個人の自由の侵害でもあるからだ。
我が国では、労働組合第一条では暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならないとしているが、一般論としていえば、「暴力」とは人格を否定するような屈辱を与える態様の暴行をさし、擦れ合うことは「暴力」とみなされない。脅迫的、妨害的行為を明文で禁止せず、争議行為では「フルボッコ」でなければ暴力の行使とみなさず認めるという在り方自体、問題があると私は考えます。
プロレイバーは最大限威圧的行為を容認する考え方ですから、暴力の行使をできるだけ狭く解釈し労働基本権は労働組合に他者に対する権利の侵害権、脅迫・威圧権、収奪権を付与するものという市民法原理に反する解釈を事実上とっている。これが我が国の中でも最も汚く悪質なものであると考えます。まさに癌であれ切除し駆逐されるべきものであります。
プロレイバーは「平和的説得」についても、言葉以上の「受動的実力行使」を認めようとする。例えば昭和30年代の下級審判例はスクラムも平和的説得の手段であるとして合法論が展開された。分水第二発電所等事件(昭和30年高知地裁30.4.23労旬215)「説得とは文字どおり穏和そのものではなくてはならない或いは懇願的言辞以上に出てはならないとは解せられない。なぜなせば争議は社会的現象としての闘争である」。スクラムによる就業阻止は「あくまで相手方を押し返し力負けしさせるような積極的な行使ではなく全く消極的受動的立場に終始し‥‥組合員全員が非組合員の操業を断念してくれることを如何に強く望んでいるかということを団結の力によって示したとしても」「それは労働法の精神からいえば平和的説得の手段の範囲」であり正当な争議行為であるとした。
物理的妨害にあたるようなこのような非組合員の就労妨害を合法化するような下級審の判断に強い嫌悪感をもつとともに、プロレイバー解釈という癌を駆逐するために文化戦争を仕掛けていかなければならないと考える。
このように労働組合にな有利な解釈から人を捕まえ放題、監禁し放題、拘束、悪罵、脅迫、威嚇、威圧、物理的妨害、スクラム、人にまとわりつくことが行われてきた。この問題を解決することがこの論攷の目的の一つである。女子高生がパンツを手鏡でのぞかれるのは「迷惑行為」かもしれないが通行の自由、日常業務をなす自由、契約違反誘致を断る自由を侵害されることがよほど重大なことであって、消極的権利を明示していない我が国の法制は重大な欠陥があるといわなければならない。
我が国はストライキや労働損失日数が少ないので見過ごされていることだが、制度的には外国法制と比較してもかなり問題があるという認識である。プロレイバー学者は労働者に個別的自己決定など認めない。労働者は労働者階級という集合的人格に吸収されるのであって、階級的利益のために、スト指令に従うのが労働者の倫理である説くのであるが、私はそのような思想に全面的に反対であるから、少なくともイギリスな並みのピケッティングの規制を明文化していくべきであると考える。
しかし、結論を先にの述べるとイギリス1980雇用法の行為準則は最善のものとはいえない。なぜならば平和的説得によるピケッティングそれ自体を基本的に是認しているからである。「説得」は拡大解釈される傾向があるので、本心は反対だ。
歴史的にみてイギリスでは非組合員やスト破りにひどいことがおこなわれていた。殺人、焼き討ち、頭蓋骨を砕き、硫酸を浴びせるなど。クラフトユニオンが賃金を釣り上げる手段がクローズドショップとストライキでスト破りを排除し、労働市場を独占することにあったから。しかし、コモンローは個人の権利を救済する体系であるから、法律家はピケッティングには厳しい目を向けてきた。1871年の労働組合法認後においてもかなり長期間平和的説得に寄るピケットをも犯罪とする時代が続いたのである。
19世紀の良識的な裁判官は労働組合主義は個人の自由に反し、ピケッティング(監視)は恐喝の一形式と認識していた。よって、平和的説得、ピースフルピケッティング自体を脅迫あるいは他者の権利を侵害する共謀(コンスピラシー)として違法と述べた。ブラムウェル判事やアール判事であるが、その趣旨からすればピ-フルピケッティングをも違法とするのが最善である。
つまり私の考えでは、次のアール卿の考え方で共謀法理でピケッティングを規制するのが最善である。アール卿は「労働者が団結し他の労働者その労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしても、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪である」【*6 198頁】
つまりピケッティングの外形的行為いかんにかかわらず相手方の取引行為や労働力処分を妨害するのために害意に基づく共謀でなされている以上、共謀法理により犯罪とすることは望ましいが、我が国には共謀罪を継受しなかったのでこれは最終目標として考えたい。
労働組合が法認された後も1871年刑事修正法のように他人を妨害する(molest or obstract)を違法とし、監視(watch)または包囲(beset)、もしくは二人またはそれ以上の人間とともに街路もしくは道路において不穏な状態で他人を尾行すること。と具体的に記述し規制していた。1927年労働争議労働組合法も「監視」または「包囲」を違法としピケッティングの態様を制限している。
1875年共謀罪財産保護法は非暴力争議行為に刑事免責を与え「妨害(molestation or obstruction))といった抽象的な諸規定をあらためたが「監視」「包囲」は違法とされ「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさないとしたが1896年のリヨンズ対ウィルキンス訴訟Lyons V.Wilkins Caseは「仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とされているように実質平和的説得によるピケットを違法とした。また1901年タフヴェイル判決は、説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、「スト破り」代替労働者の全国規模での導入も承認され、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能とし、ピケッティングの差止命令を下したものであり、コモンローの伝統からすれば、説得によるピケットも非合法化してよいというのが私の考えである。
アメリカでも1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229 が「ピケ・ラインをはること自体脅迫であり違法である」としている。1921年のアメリカン・スチール・ファンダリーズ対三都市労働評議会判決AMERICAN STEEL FOUNDRIES v. TRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCIL, 257 U.S. 184 (1921)「グループでやるピケットの人数が脅迫を構成する。ピケットという言葉そのものが戦争的目的を含んでいて平穏の説得とは両立しがたいのである。」とし、ピケットは工場、事業場の出入口ごと一人に限定されるべく、その一人も悪口、脅迫にわたってはならず、嫌がる者に追随してはならない。また工場などの近くでぶらぶら歩きをしてはならないという判例法が成立した【*57】(但し1932年ノリス・ラガーディア法でピースフルピケッティングを合法化)。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-629f.htmlおよそ良識的司法判断であり、私は、平和的説得に限定するピケット自体も問題があるとの認識であるが、
にもかからず1980年雇用法の行為準則を評価できるのは平和的説得を認めつつも労働者のピケットラインを越える権利を明示したことで、ピケの態様に限界を設定したことにある。物理的妨害を明確に否定し、通過する権利を明示した1980年行為準則は最善ではなくても、次善のものとして評価するし、最低この水準までの規制を求める立法勧告を当ブログで出したいと考える。
参考
イギリスにおけるピケッティング規制の歴史的変遷
◎はピケットを規制することが主目的となっている制定法・判例
▲はピースフルピケット容認とみせかけたが実は裁判所によって平和的説得によるピケ ットを規制可能で実質否認の制定法
×ピケットに好意的、ピースフルピケット容認とされるもの
△ピースフルピケットを容認しつつも通行の権利を明記、違法ピケを容認しないもの
[要旨]-(詳論の要約-引用文献は詳論で表示)
◎1794年紙製造職人団結禁止法
どのような手段であれ雇用されもしくは雇用されるべき職人がその労務を放棄することを直接・間接、勧誘・説得し、影響を与えもしくはそう試みること、雇主が適当と考える者の雇用を禁止・妨害し、その者と共に働くことを拒否することを禁止する。
◎1800年一般的団結禁止法
金銭の供与、説得・強制・その他の手段で故意に、かつ悪意をもって失業者が雇用されることを妨害すること。賃金を引き上げ、またはこの法律の規定に反する目的で、故意に、悪意をもって、雇用されている者に、その労働をやめるか、放棄するように説き伏せること。雇用者が適当と考える労働者を雇用することを妨害することを違法とする。
×1824年法(団結禁止法の廃止)
他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめることはコモンロ-もしくは制定法上他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けない。但し暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、または誘致し、教唆し、幇助する者は違法
◎1825年法(1824年法廃止し限定的に団結容認)
第一条、身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすことを違法とする。
(a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
(b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」
第三条 他人の身体・財産に対し暴力を用い、脅迫し、または他人を「妨害して」、製造業主もしくは事業を営む者を強要し、もってその業務を規制し、管理し、指揮し、もしくは行う方式に変更を加えしめ、または「その者の徒弟の人数、その職人・労働者の人数・種類を制限する」。
以上の行為をなした者、及びこれを教唆し、幇助する者は、略式手続きにより、三月以下の禁錮に処す
(解釈はコモンローに委ねなれたため、アール卿やプラムウェル判事のように、実質平和的説得に寄るピケットを違法とする見解が出現した)
×1859年労働者妨害法
平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならず、コンスピラシーを理由とするいかなる訴追も受けないと規定し、ピースフルピケッティングを容認したとされるプロレイバー立法
▲1871年刑事修正法
犯罪を次のように規定する
(1)他人の身体または財産に対して身体または財産に暴力を用いること。
(2)訴えに基き治安判事が治安維持を命ずる理由ありとするが如き態様にて脅迫するthreaten or intimidate)こと。
(3)他人を妨害する(molest or obstract)こと、但し本法上「妨害」とは以下の行為を言う。
(a)しつように至る所他人を尾行すること。
(b)他人の所有しもしくは使用する器具・衣類・その他の財産を隠匿し、またはこれを奪取し、もしくはその使用を妨げること。
(c)その人が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはかかる家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)、もしくは二人またはそれ以上の人間とともに街路もしくは道路において不穏な状態で他人を尾行すること。
但し右(1)(2)(3)の各行為は以下の目的をもってなされる場合に限られる。すなわち
(a)使用者が強制して労働者を解雇させもしくは雇用を中止させること、または労働者をして仕事を離れしめもしくは完了前に仕事を中断せしめること。
(b)使用者を強制して雇用もしくは仕事を提供せしめず、または労働者を強制してそれを受けせしめないこと。
(c)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結に加入させ、加入せしめないこと。
(d)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結によって課される罰金・違約金を払わせしめること。
(e)使用者を強制して事業をなす方式またはその雇用する労働者の人数・種類を変更せしめること。
右(a)ないし(e)の目的をもって(1)ないし(3)の行為をなした者は、三月以下の禁錮に処せられる。但し(1)ないし(3)の行為を(a)ないし(e)にいう強制の目的をもってなさない限り、その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由により処罰を受けない
刑事修正法は他人を妨害する(molest or obstract)を犯罪として復活させ、妨害の意味にについて 家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)の具体的定義が与えられいないので裁判所の判断となるが結果的にピースフルピケッティングを規制した。
▲1875年共謀罪財産保護法
第7条 何人も他人を強制して、その者が行為をなす権利を有することにつきこれを行わしめないこと。またはその者がある行為をなさない権利を有するにつきこれを行わしめることにつき、を目的として「不法にかつ法律上の権限をなくして」以下の行為を行うこと。
(1)その者または妻子に暴力を加え、脅迫し、またはその財産に損害を与え、脅迫し、またはその財産に損害を与えること。
(2)至る所しつようにその者を尾行すること。
(3)その者の所有しもしくは使用する器具・衣類その他の財産を隠匿し、または奪取し、またはその使用を妨げること。
(4)その者が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはそれへの通路を監視または包囲すること。
(5)二人または二人以上の者とともに街路もしくは道路において不穏な状態でその者を尾行すること。
以上の行為をなす者は略式手続により二十ポンド以下の罰金または禁錮。
(上記の規定は個人の行為に関するもので、団結してこれを行えばコンスピラシーとして普通法により起訴される。)
第七条の但書「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさないとしたのである。
1875年法は妨害(molestation or obstruction)という抽象的規定をとらなかったことで、労働組合に一見有利とみられたが、容認しうるピケットは情報の授受と規定したことで平和的説得を違法とする解釈が可能だった。
◎1896年リヨンズ対ウィルキンス訴訟「仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とした。
◎1901年タフヴェイル判決
刑事免責によりストライキを合法化したとされる1875年共謀罪・財産保護法の下においても説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、「スト破り」代替労働者の全国規模での導入も承認され、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能となり、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。
×1906年労働争議法
第二条
(1)ひとりないしそれ以上の人が、自己のため、または労働組合、または個々の雇用者か企業に代わって、労働争議を企画しまたは促進する事を目的とする場合行為をし、人が居住しているか、労働しているか、営業しているか、あるいは偶然いあわせた、家屋ないし場所にいくこと、あるいはその近隣にいくことは、もしそこにいくのが単に情報を平和的に獲得ないし伝達する目的でなされるか、あるいは、ある人に労働するか労働を棄てるかを平和的に説得する目的でなされるのであれば、合法的である。
1875年共謀罪財産保護法第七条は、"attending at or near"から同条の最後まで削除する。
(削除したのは七条の次の但書「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさない」)
◎1927年労働争議労働組合法
家屋、工場等に対する「見張り」はその住人を「威迫」しその出入を妨げ又は「平和の破壊」に導くとみなされる人数、態様によって行われる場合之を不法とする外更に前記場所の出入口を監視又は包囲することを不法とした。かくして、同法の下では1875年法の「強制する意思」「不正且つ適法の権利なきことを」条件とした一切のピケット権を消滅さらたが、1942年労働党アトリー内閣の労働争議労働組合法により廃止された。
△1980雇用法 (冒頭に記したとおり)
[詳論]
◎1 18世紀後半の産業別団結禁止法-仕事からの離脱・放棄の勧誘、脅迫、教唆、説得は違法などと規定
18世紀には40にも達する産業別の団結禁止法があった。1726年法では団結自体を犯罪としているものの、団結に基づく暴力・破壊活動を禁止するにとどまっていた。
しかし18世紀後半になると1773年法では雇用から離脱するよう勧誘・脅迫することを禁止し、1777年法では違法集会への招集、出席の禁止、仕事・労務から離脱するために説得・教唆・脅迫を禁止。組合基金の要求、支払いを禁止している。1794年ではどのような手段であれ雇用されもしくは雇用されるべき職人がその労務を放棄することを直接・間接、勧誘・説得し、影響を与えもしくはそう試みること、雇主が適当と考える者の雇用を禁止・妨害し、その者と共に働くことを拒否すること、を禁止する。としている。
非組合員という言葉はないが、実質的に仕事からの離脱・放棄の勧誘、脅迫、説得まで含めて明文で違法としており、非組合員も含めて労働者の雇用を妨害し、ともに働くことを拒否することを違法としている、二次的争議行為も違法であることを明らかにしているのである。(もっとも団結禁止という点では主従法が効果があったとの説もある)
1794年法第一、二、四、五条
この王国における紙製造職人によって賃金の引き上げ、通常の労働時間もしくは労働量の短縮・削減、雇主の欲する者の雇用の妨害のために、またはいかなる方法にしろ、紙製造の産業、事業を経営もしくはその管理を行う者に影響を与えるためにこれまでに締結された契約、捺印証書契約、協定は、文書によると否とは問わず違法・無効とする。(第一条後段)
不法なる集会・団結を(に)支持・関係すること、契約・協定等を(に)作成、加入、同意、関係することの禁止。処罰は二ヶ月を超えない期間懲治監で重労働(第二条)。
賃金を引き上げ、労働の時間もしくは期間を変更し、その他この法律に反する目的のため団結を結成すること。金銭の供与その他の手段により雇用されていない職人もしくは雇用されることを欲している他の者が雇用されることを妨げるために、直接・間接、勧誘・脅迫しもしくはそう努めること、どのような手段であれ雇用されもしくは雇用されるべき職人がその労務を放棄することを直接・間接、勧誘・説得し、影響を与えもしくはそう試みること、雇主が適当と考える者の雇用を禁止・妨害し、その者と共に働くことを拒否すること、を禁止する。(第四条。処罰は第二条と同じ)
本法により違法と宣言された集会・団結に出席し、または出席するよう召集・訪問すること、この目的のために金銭を集め、要求・依頼・受領すること、職人その他の者に団結へ(に)の加入・関与、もしくは労務離脱・仕事放棄を説得、教唆、誘惑、脅迫すること、違法な団結等を支持・援助するために義捐金または基金を設け、加入すること、を禁止する。(第五条。処罰は1721年法と同じ) 【*8】
◎2 1800年団結禁止法-全面的禁止
小ピット内閣で1799-1800年の一般的団結禁止法は個別契約でない雇用契約は不法とするもので徹底している。1800年法は次のとおり。
「金銭の供与、説得・強制・その他の手段で故意に、かつ悪意をもって失業者が雇用されることを妨害すること。賃金を引き上げ、またはこの法律の規定に反する目的で、故意に、悪意をもって、雇用されている者に、その労働をやめるか、放棄するように説き伏せること。雇用者が適当と考える労働者を雇用することを妨害すること」【*12】は違法であり、上述の違反のいずれかを犯し三ヶ月以内に有罪の宣告を受けた者は、その管轄区域内で、三ヶ月を越えない期間監禁される。あるいは、同じ管轄区域内の感化院に入れられ二ヶ月をこえない期間、重労働を課せられる【*12】。としていることからスト・ピケッティングは当然違法であった。
×3 1824年法-団結禁止を撤廃 但し暴力・脅迫等を犯罪としたが実効性なく見直し
団結禁止法は意外にもロンドンのテーラー、フランシス・プレイス、急進主義的国会議員ジョセフ・ヒュームの個人的信念と努力により1824年法によりあっさり廃止された。彼らは、労働組合は団結に対する弾圧の反動として生まれたものであるから、労働組合運動は団結の自由を認めればまもなく消滅するだろうと主張した【*38 8頁】それは賃金基金説による誤った認識だったし、ストライキ勧誘を合法化した悪法である。1824年法は次のように規定する。
以下の目的のためにする労働者その他の者の団結は、そのことを理由にコンスピラシーとして、起訴、告発されず、コモン・ローもしくは制定法上の他のいかなる刑事訴追、処罰をも受けない。
(1)賃上げまたは賃金率の決定(2)労働時間の減少または変更(3)労働量の減少(4)他人を誘引してその者の雇用時間、もしくは雇用期間の終了前に労務を去らしめ、または、仕事の完了前にそれを中止せしめること(5)雇用されざる際に、仕事または雇用につくことを拒絶すること(6)営業をなす方式または管理に規制を加えること。〔使用者の団結も同様に免責〕(ハ)ただし、以上の諸目的を追求する諸行為を、暴力を用い、または脅迫により、故意もしくは悪意になし、また誘致し、教唆し、幇助する者は〔個人としてなす場合にも、団結してなす場合にも〕2月以内の禁錮(あるいは重労働)に処せられる【*19】。
◎4 1825年法 賃金・労働時間の変更について団結を容認するが、脅迫・威嚇・妨害を含む広範な行為を犯罪とし解釈は判例法に委ねる
1824年法はストライキが多発、暴力、抑圧を伴ったことから弊害が大きく直ちに見直された。1825年の特別調査委員会の報告によるとダブリンでは2名が殺された。スターリングシャーのある鉱夫は殴られてほとんど殺されかかった。アイルランドで70~80人が負傷し、そのうち30~40人が頭蓋骨を打ち砕かれた。硫酸をあびせることは、スコットランドでは少なくとも1820年頃からはじまり、多くの人が火傷をうけて、生涯の盲となった。またスコットランドのある鉱夫組合では組合に五ポンド払うまでは、鉱夫として働くことを許されないなかった。海員組合の一つも、乗組員がすべて組合員でないと航海しないことを宣言したと言う【*26】。特別委員会は結論として1824年法は労働者が雇用主を支配統制する機会を与え、また、不正、かつ、無礼な強制を行使する力を彼らに与えたとし、団結に対して一層の干渉が必要であると結論づけた【*18】。
調査委員会の立法勧告は、コモン・ローの「復活」によって、一応団結は違法とされるが、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去されるというものである。但し団結の性格は「賃金」「労働時間」に関する団結であっても、その団結内において個人の自由が貫徹されなければならない。即ち「共に協同し、協力する自由は、賃金や労働時間に関して保障されるべきであると勧告するにあたって、個人的な判断の自由な行使に当然払われる顧慮が不可欠である」と同時に、「団体を離れたいと思う人は完全に安全にそうする事が可能でなければならない」つまり個人の自由な判断における合意(契約)であっても、その合意の拘束は以上の範囲にとどまる。団結契約は、個人の自由によって様々な側面から制約される【*21】とした。
1825年法では上記の立法勧告に基づき暴行・脅迫・威嚇・妨害を含む広範な行為を犯罪と規定した。1924年法でもスト破りを阻止するために暴力や威嚇をしてはいけないという規定されたが、妨害という言葉を加えたこと。この妨害にはには物理的な妨害(オブストラクション)のほかに、「しつこく話しかける」(モレスティング)というのが含まれるとしたことが【*17】、ピケッティングの規制に重要な意味があった。
1825年法第三条は、個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。(「」内は二四年法にはなく本法で附加された規定)
(1)身体・財産に対し暴力を用い、または脅迫し、または「他人を妨害することにより」、以下の行為をなすこと
(a)職人・製造業主・労働者もしくは事業に雇用される他の者を強要して、その職・雇用もしくは仕事を去らしめ、または完成前にその仕事を中止せしめ、または「これらのことを強要しようと努めること」
(b)「職人・製造業主・労働者もしくは雇用されていない他の者が、雇用され、または他人から仕事もしくは雇用を受容することを妨げ、または妨げようとすること」
(2)
(a)他人を強要しまたは誘引して、クラブ・団体に所属させ、共同の基金に醵金させ、罰金もしくは違約金を支払わせる目的をもって、または、(b)特定のクラブ・団体に所属しないこと。賃上げ、賃下げ、労働時間の減少・変更のため、もしくは営業の方式・事業の管理に規制を加えるためになされた規約・指令・決定・規則に従わず、または従うことを拒否したことの故をもって、その者の身体・財産に暴力を用い、脅迫し、または「妨害する」こと。
(3)他人の身体・財産に対し暴力を用い、脅迫し、または他人を「妨害して」、製造業主もしくは事業を営む者を強要し、もってその業務を規制し、管理し、指揮し、もしくは行う方式に変更を加えしめ、または「その者の徒弟の人数、その職人・労働者の人数・種類を制限する」。
以上の行為をなした者、及びこれを教唆し、幇助する者は、略式手続きにより、三月以下の禁錮に処す【*10 117頁】
この1825年法は団結を容認しても、それは個人の権利の総和としての団結であって、非組合員に対する強制を排除した立法である。この点につい石田真は次のように説明している。・「二四年法を廃棄した二五年法は、賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」を認めた点において二四年法に一致する。しかし、まず目的そのものについて、二四年法がストライキの勧誘や使用者の営業をなす方式または管理に規制を加える事を認めていたのに対し、「使用者の必要な権限に反して労働者が事業や製造業の管理に統制をふるう事」を許すべきではないとし、目的の遂行に関しても、「他方に損害を与えてはならない」と限定し、賃金・労働時間に関する「集会」・「談合」においても「個人行動の安全な自由から生ずる競争の保護」という事によって、徒弟規制、非組合員に対する強制を排除し、団結内における個々の労働者の自由を保障しようとしたのである」(*21)
◎5 アール卿-他人の権利を侵害するコンスピラシー(conspiracy to injure of another)」理論 使用者への害意(労働力処分の)目的の平和的説得も違法とする
既に記したように1825年法第3条は個々の労働者によってなされる暴力・脅迫ならびに妨害(molestation or obstruction)を厳重に禁止する。1925年法についてピケッティングの規制に関する裁判所の判断は一様ではない。妨害(molestation or obstruction)をどう定義するかによって違いが出てくるからである。molestation 及び obstructionはピケッティングと重要な関係をもったち、例えばピケッティングによって労働者が公道上または職場の内外で自由に通行を妨げる場合がobstructionを構成するものとされた。 molestation onについてアール卿は「顕著な程度にわたるいやがらせ」と定義し、かかる「いやがらせ」は、精神、名声、挙動の自由のおのおのに及びうるとした。
ここでは良心的な例としてアール卿とブラムウェル判事を取りあげる。というのは、アルバート・ヴェン・ダイシーが『法律と世論』で「1825年以後の50年間、イギリス法を執行したもっともよい、もっとも賢明な」「いかなる裁判官もアール、ブラムウェルほど尊敬を受ける価値があり、もしくは尊敬を受けた裁判官はない」【*42 210頁】と記されている名裁判官であるためである。
アール卿の「他人の権利を侵害するコンスピラシ-」を刑事共謀とする見解は良識的な判断として評価する。
プロレイバーの片岡曻が次のように説明する。
「他人の権利を害するか否かは、その外形的行為ではなく、行為者が害意をもってなすか否か、相手方の取引行為や労働力処分を妨害するのためにのみ行動しているかによって決せられる、との見解をとっていたこと、及び、彼の見解のうち、他人の自由意思に強制を加えてその取引を侵害するための団結は普通法上犯罪であるとする点については判例の体制の支持を得た‥‥この立場に見立って彼は、労働者が団結し他の労働者その労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしても、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪であるとしたのである。そして、説得が賃上げを使用者に強制する目的のもとになされる場合でさえ、普通法上犯罪であり、同時に1825年法第3条の妨害に該当するものとされた。(R.v.Rowlands(1851)5Cox,436:R.v.Duffield(1851)5cox,404)。元来彼の見解は、ストライキでさえが害意をもってなされる場合は使用者の取引の自由を害するからもとより違法であるが、これに対する唯一の例外が1825年法によって許容される賃上げ・労働時間変更のためのストライキであり、この賃上げを目的とするストライキでさえ、右に述べたように説得その他の誘引を伴う場合は普通法上及び及び1825年法上さもに犯罪を構成することとなるのであって、労働者にとって許されることは単に一定条件のもとで労働しない旨の合意をなす事にならざるをえない。【*6 197-198頁】
これは、コンスピラシーの先例からして、まっとうな見解のように思える。
1825年法第3条の制定法解釈についても、R.v.Hewitt and R.v.Duffirld(1851)においてアール卿は第3条における犯罪の本質は他人の意思に強制を加える意図にあるのであって、かかる意図は暴力・脅迫等を含む行為によって示される。従って、当該行為が本来の暴力・脅迫等の犯罪を構成するためには、当該行為をなす当事者がそれによって相手方の意思を強制し得ると信ずるに足る程度のものであればよいという。【*6 194頁】
アール卿は労働組合の民事上の地位について次のように述べた。(Memorandum,p72)
「各人は、労働するかどうかについて、及び労働するとすればその条件について選択する権利を有するが、選択権は、一人の人間が単独で行使し、表示することもできれば、多数人が談合の後共同して(Jointly)行使し、彼等が選択したところを一致して表示することもできる。かつそれに基き、要求すべき条件を獲得する目的で適法に行為することも可能である。しかし、団結によって承認された条件によらなければ労働もしくは雇用しないことを相互に拘束する、法的効果をもった義務を設定することはできない。各当事者は、それが全くなされなかったと同様に、自己の労働に対して与えられることを欲する自身の条件を要求する自由をもつ。人は、自己の意思に従ってその労働もしくは資本を処分する自由を暫時といえども譲渡することは許されないし、かかる自由を一般的に譲渡し自己を奴隷たらしめることもまた許されない。従って、人はかかる自由を組合の執行部に委譲し得ないといわなければならない。」 【*6 135頁】
私は、この論点に関してアール卿の見解にほぼ支持したい。人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定する個人の自由は決定的に重要な価値であって、他者より害意をもって強要されるべきものではない。第三者の共謀によってはめられることのない社会、それが真の自由社会だからである。
◎6 ブラムウェル判事-ピースフルピケッティングをが脅迫に当たるとして容認しない
私は次のブラムウェル主義を団体主義に反対する意味で高く評価したい。「自己自身と自己の財産、才能ならびに産業をいかに用いるか、
をいうべき人の精神及び意思」の自由は「身体の自由と同じく法律の保護の問題である」 【*42 210頁】
1867年R.v.Druitt事件は仕立工組合の組合員であるドルイット等はストライキを決議し、非組合員をストライキに参加せしめるためピケッティングを行った。ドルイット、アダムソン、ローレンスの三人は闘争委員となり、他のものは彼に従って行動した。ピケ参加者は使用者の店の前に立ち、そこに出入りする他の仕立工に手にふり、足を動かしつつ、「卑怯者」「糞野郎」「畜生」などと連呼した。しかし闘争委員はピケッティングの現場には立ち会わず他の仕事に没頭していたが、検察はピケッティング参加者と指令者双方に処罰を要求した。
ブラムウェル判事は次のように述べた。
「イギリス法上もっとも神聖な権利は人身の自由である。所有権にせよ資本の権利にせよ、人身の自由ほど神聖でもなく、またそれほど注意深く防衛されてもいない。普通法や人身保護令及びその他の補充法規によって、すべての人は人身の自由を保障され、正当な理由なしに投獄されず、権限ある裁判官によってのみ裁判を受ける権利を有する。しかし、かかる自由は身体の自由のみに関するものではなく、精神及び意思の自由でもあり、それによって人は何をなすべきかや自己の才能や勤勉の用い方を決定するうえに、身体の自由と同じく法の保護を与えられている。しかしある一団の人間が合意して他人を強制し、精神と意思の自由を奪おうとする時は、被害者の精神及び意思の自由を奪うことを目的とする刑事共謀を構成する。他人を不快ならしめもしくは混乱させる行動により、二人以上の者が右の自由を奪うために協力することを同意したとすれば、彼らが起訴さるべき犯罪を犯したものであることは、明白かつ疑うべからざる法であると予は断言する」「ピケッティングが何らリーズナブルな恐愕を起さず、相手方を強制したりいやがらせしたりしない方法でなされるならば、犯罪とはならない。他人を説得し、強制の要素を伴うことなしに自己と同一の行動をとらせることは何ら法の違反ではない。しかしながら、被告等の行為がかかる範囲をこえないにせよ、その言語や身ぶりによって通常人の動作に監視をあびせ、被害者が自分は見張られており、殴られるかもしれないと思うような歴然たる効果を心に与えるような場合は犯罪である。」
かような説示に対して陪審は単にドルイット等三人の闘争委員会のみを有罪とし、他の者は無罪との評決を行った【*6 199頁以下】
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/right-to-work-8.html
×7 1859年の労働者妨害法Molestaion of Workmen Act平和的説得に寄るピケットの合法化
(イ)他人と合意して賃金または労働時間を合意したこと、(ロ)平和的リーズナブルな方法でかつthreats(脅迫)またはintimidation(威嚇)を用いる事なく、合意された賃金率または労働時間を獲得するために他人を説得して仕事を中断せしめること、のいずれかの理由のみによって1825年法にいう妨害とみなされてはならず、コンスピラシーを理由とするいかなる訴追も受けないと規定し(*10 196頁)、文面上、ピースフルピケッティングを容認するものとしたもので、組織労働者に有利な立法でマルクスが高く評価したことで知られている。
▲8 1871年刑事修正法 事実上平和的説得によるピケットを違法とする
世界で初めて労働組合を準法人格として法認した1871年労働組合法の成立の最初の重要な一里塚は「労働組合に関する王立委員会」(The Royal Commission on Trade Unions 1867-69)であり、この委員会が設置されるきっかけとなったのは1866年の10月シェフィールド事件であったこれは刃物研磨業filetradeでは労使の対立で、賃金紛争は新しい機械の導入とそれに伴う事故の可能性、労働災害への保証をめぐる問題も絡んだストライキに発展し、シェフィールド労働組合協議会は事の重大性を認めて,全面的な支援を行ったが,雇用主側の強硬な姿勢の前に敗北した。組合員による非組合員への憎しみと嫌がらせは度々報じられてはいたが,このような時に,以前から嫌がらせを受けていた非組合員の家が火薬によって爆破されるという事件が起こった。たちまち轟々たる非難の声が巻きおこり,全国の新聞はこうした事件がシェフィールドに限った事ではなく全国的に発生しているとして,労働組合活動への刑罰法を要求した。労働組合運動が社会に害を及ぼす共謀罪として糾弾されたのであった。【*31】
労働組合は世論の非難をかわすため、これはシェフィールドの刃物業の組合の特別な性格によるものだと弁解したが、【*29】到底納得のいくものではない。。最初に調査を要求したのは、国会議員ロ-バックによって指導されたシェフィ-ルドの使用者達であって、労働組合に対する厳しい取締りをのぞんでのことであった。 ところが逆説的に「労働組合に関する王立委員会」は条件つきながら団結に対して営業制限の法理から免責させることだった。
労働組合王立委員会」多数派報告書の結論は、「契約違反を含む行為をなす団結」「特定の人とともに働くことを拒否する団結」でなければ取引を制限するコンスピラシーを免責する。つまり集団的取引を合法とする方針としたのである。この点について石田真は1825年法が原則的に団結権を否定し、賃金・労働時間に関する団結が例外的に認められていたにすぎないが、団結権を承認したものとして評価する。但し、団結の法理論構成は「資本と労働の処分の自由」を根拠に「現実に会合に出席している、もしくは個人として談合している当事者のみを拘束する」ものとしており、それは「完全に自由意思による」団結とされ非組合員の雇用排除を認めない【*29 45頁】。強制を伴う団結は法認の範疇にない。これによって他人の取引の自由の侵害する在り方を違法とする方針であったと考えられる。 つまり他者を強制する団結を法認する趣旨ではなかった。
結果的には労働組合法と刑事修正法の分割立法となったが労働組合法は第3部で組合の行動を拘束する刑事条項を含む刑事修正法と一体のものとして構想された。雇用主あるいは労働者がその目的を達成するために妨害したりmolest,阻止したりobstruct,威嚇したりthreaten,脅迫したりintimidateすれば,厳重な処罰が下されることになっていた。団結禁止法の用語がよみがえったばかりでなく,1859年労働者妨害法により容認された平和的ピケッティングでさえ処罰され得るものとなっていた。【*31】つまりアメとムチが一体となって用意されていたのである。これをカール・マルクスは「議会的手品」と云って批判した。【*17 143頁】
刑事修正法
「同法は、「暴力・脅迫・妨害に関する刑法を修正する」目的のため制定され、1825年労働組合法、1859年労働者妨害法を廃止するとともに、新たな制定法の犯罪を次のように規定する。
(1)他人の身体または財産に対して身体または財産に暴力を用いること。
(2)訴えに基き治安判事が治安維持を命ずる理由ありとするが如き態様にて脅迫するthreaten or intimidate)こと。
(3)他人を妨害する(molest or obstract)こと、但し本法上「妨害」とは以下の行為を言う。
(a)しつように至る所他人を尾行すること。
(b)他人の所有しもしくは使用する器具・衣類・その他の財産を隠匿し、またはこれを奪取し、もしくはその使用を妨げること。
(c)その人が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはかかる家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)、もしくは二人またはそれ以上の人間と友に街路もしくは道路において不穏な状態で他人を尾行すること。
但し右(1)(2)(3)の各行為は以下の目的をもってなされる場合に限られる。すなわち
(a)使用者が強制して労働者を解雇させもしくは雇用を中止させること、または労働者をして仕事を離れしめもしくは完了前に仕事を中断せしめること。
(b)使用者を強制して雇用もしくは仕事を提供せしめず、または労働者を強制してそれを受けせしめないこと。
(c)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結に加入させ、加入せしめないこと。
(d)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結によって課される罰金・違約金を払わせしめること。
(e)使用者を強制して事業をなす方式またはその雇用する労働者の人数・種類を変更せしめること。
右(a)ないし(e)の目的をもって(1)ないし(3)の行為をなした者は、三月以下の禁錮に処せられる。但し(1)ないし(3)の行為を(a)ないし(e)にいう強制の目的をもってなさない限り、その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由により処罰を受けない」
刑事修正法は他人を妨害する(molest or obstract)を犯罪として復活させ、妨害の意味にについて 家屋その他の場への通路を監視(watch)または包囲(beset)の具体的定義が与えられてないので裁判所の解釈となるが結果的にピースフルピケッティング規制した。片岡曻は殆どすべて禁止されるようになったと述べている。具体的には、1871年刑事修正法が通過すると、その威力は立ちどころに現れ、ピケットが悪口を用いたことを理由として無数の告訴が行われ、労働者を勧誘してストライキ中の工場での就業に応じさせまいとする組合員の行動は、すべて禁錮に処せられる結果となり、七人の婦人が一人のスト破りに軽蔑の意をこめて「バァ」と言っただけで投獄されるようになったとされる。【*6 230頁】。
さらに1872年R v.Bunn事件はベクトンガス工場事件のように営業制限意外で共謀法理を構成された。この事件はのガス工場の火夫が労働組合を結成、賃上げ・労働時間短縮を要求したが、他のガス工場に波及し労働時間の短縮に成功した。しかし使用者は一指導者を解雇してこれに報復したため、労働者側は復職を要求してゼネストに発展、数十名が主従法違反で投獄されたが、さらに使用者側が1871年刑事修正法に基づいて指導者6名が禁錮刑に処せられたもので、
ブレット判事は「不当な妨害improper molestation」を根拠に刑事修正法の但書における免責(下記)
(a)使用者を強制して労働者を解雇させもしくは雇用を中止させること、または労働者をして仕事を離れしめもしくは完了前に仕事を中断せしめること。
(b)使用者を強制して雇用もしくは仕事を提供せしめず、または労働者を強制してそれを受けせしめないこと。
(c)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結に加入させ、加入せしめないこと。
(d)使用者または労働者を強制して、一時的もしくは永続的な団体または団結によって課される罰金・違約金を払わせしめること。
(e)使用者を強制して事業をなす方式またはその雇用する労働者の人数・種類を変更せしめること。
右(a)ないし(e)の目的をもって(1)ないし(3)の行為をなした者は、三月以下の禁錮に処せられる。
但し(1)ないし(3)の行為を(a)ないし(e)にいう強制の目的をもってなさない限り、その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由によりそれをなし共謀したことに対しいかなる処罰も受けない。
を否定した。「不当な意図をもってなされる行為つまり、不当ないやがらせや使用者の業務行為の妨害であって、通常の神経の持主である使用者ならば思いとどまらせるほどのものと陪審が判断に足る行為」は「不当な妨害」でありコンスピラシーを構成するとした。ブレット判事によれば不当な脅迫-例えば一斉に契約違反をなす旨の脅迫-によって使用者の意思に反して業務を行わせしめるよう強制することは刑事共謀を構成するとした。【*6 220頁】
以上のように労働組合は法認されたと言ってもそれは争議権・ピケット権を付与する趣旨ではなかったのである。
▲9 1875年共謀罪・財産保護法(Conspiracy and protection of property Act)
-争議行為の刑事免責を規定したが、情報事実上平和的説得によるピケッティングは保護されず、説得は裁判所により違法とされた
刑事修正法と主従法は、労働者の票を獲得することに汲々としていたベンジャミン・ディズレーリ 内閣の保守党政権で廃止され、雇傭契約破棄を犯罪から解放して、民事訴訟に限定し、争議権を「特別な」権利として容認する世界で初の立法がされた。1875年共謀罪・財産保護法(Conspiracy and protection of property Act)である。
同法第3条は「2人あるいはそれ以上の人々が雇主たちと労働者たちとの間の労働争議を企図し促進しようとして行い、または行おうとして結んだ協定ないし団結は、もしそうした行為が1人でなされたとき犯罪として罪せられるのでなければ、コンスピラシーとして起訴しえない」と明定することよりコンスピラシーの法理を排除した。また、「暴力(Violens)」「脅迫(threats or intimidation)」「妨害(molestation or obstruction))といった抽象的な諸規定をあらためて、 5つの具体的な行為類型として記述するかたちで、実質的に平和的ピケッティングの除去しようとした。 【*7 142頁以下】よって非暴力的ストライキの刑事免責を保障したものとされているが、それでも裁判所はピースフルピケッティングを違法とした。それは、第7条の但し書きにピケッティングを「単に情報を授受する目的」と規定したことから可能だった。ここにも手品が隠されていたのである。
共謀罪・財産保護法第7条はthreats,molestation , obstructionの三つの使用を止めた。そして、暴力・脅迫(intimidation)・しつように不穏な尾行・器具・衣類の隠匿・監視包囲を禁止する規定のみをおいた。すなわち
何人も他人を強制して、その者が行為をなす権利を有することにつきこれを行わしめないこと。またはその者がある行為をなさない権利を有するにつきこれを行わしめることにつき、を目的として「不法にかつ法律上の権限をなくして」以下の行為を行うこと。
(1)その者または妻子に暴力を加え、脅迫し、またはその財産に損害を与え、脅迫し、またはその財産に損害を与えること。
(2)至る所しつようにその者を尾行すること。
(3)その者の所有しもしくは使用する器具・衣類その他の財産を隠匿し、または奪取し、またはその使用を妨げること。
(4)その者が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはそれへの通路を監視または包囲すること。
(5)二人または二人以上の者とともに街路もしくは道路において不穏な状態でその者を尾行すること。
以上の行為をなす者は略式手続により二十ポンド以下の罰金または禁錮。
(上記の規定は個人の行為に関するもので、団結してこれを行えばコンスピラシーとして普通法により起訴される。)
平和的ピケッティングを合法化というのは第七条の次の但書であった。「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさないとしたのである。【*6 227頁以下】。
1875年法は妨害(molestation or obstruction)という抽象的規定をとらなかったことで、労働組合に一見有利とみられたが、容認しうるピケットは情報の授受と規定したことで平和的説得を違法とする解釈が可能だったのである。
1876年のR.V.Bauld判決は、1875年共謀罪・財産保護法が情報の授受以外に何事も規定しておらず、平和的に他人を説得してストライキに加入せしめるためのピケッティングは犯罪と判示した。【*6 229頁】
また1896年のリヨンズ対ウィルキンス訴訟Lyons V.Wilkins Caseは「仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とされたのである。【*36 5頁】この判例によると人を「スト破り」blacklegと 呼ぶことは脅迫行為と考えられている。第七条にあるように、他人に合法的なことをするよう、あるいはしないよう強制する目的で、監視・包囲することは違法行為とされた【*36 129頁】
リヨンズ対ウィルキンス訴訟Lyons V.Wilkins Caseの威力は大きかったと考えられる。。スト破りが容易になった。「人々を説得する目的でなされたピケッティング」を違法としたのである。
◎10 1901年 タフヴェイル判決
1901年7月22日の著名な貴族院判決である。常任上訴貴族全員の賛成により控訴院判決を覆し、第一審ファーウェル裁判官の判決を復活させたものである。
労働組合は法人ではないと認定されながらも、組合役員の行動によって生じたとされる非合法なピケッティング等による損害に対して法人能力があるものとして起訴されるとした。また判決は、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。さらに、登録組合だけでなく非登録組合に対しても、損害の有責性について起訴できるとした。【*36 186】
私が思うに本判決の意味は、刑事免責によりストライキを合法化したとされる1875年共謀罪・財産保護法の下においても説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、「スト破り」代替労働者の全国規模での導入も承認され、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能となり、実質的にストライキはリスクが大きく労働組合が勝利することは困難になったことにある。タフヴェイル事件の最初の判決が、ストライキが終結する直前の8月30日のものである。これはストライキ指導者の合同鉄道従業員組合総書記のベルと同組合西部イングランドのオルグ書記ジェームス・ホ-ムズに対していかなる形態のビケッティングであれ制止するとの差止命令を下したものである。
貴族院判決が支持した第一審ファ-ウェル裁判官は次のように述べた。
「リヨンズ対ウィルキンス訴訟が控訴院で確定しており‥‥他人に合法的なことをするよう、あるいはしないよう強制する目的で、その人の家を監視・包囲することは違法である。労働組合は1875年以前は非合法であったが、それ以降は一定の目的と一定の資格があれば合法とされてきた‥‥雇用主は彼らの労働者との間で雇用主が良しとする条件でを結ぶ自由があり、労働者は雇用主とのあいだで労働者が良しとする条件を結ぶ自由がある。ただしリヨンズ対ウィルキンス訴訟の例にみるように、双方とも暴力を行使したり、あるいは労働者を労働させたりさせなかったりする目的で暴力を行使したり非合法に監視したり包囲する目的はない。‥‥ベルはカーディフに行き、8月23日午前2時半、多数の労働者とともにプラットフォームにいるのが目撃されている。ベルは労働者とともに、タフ・ヴェイル鉄道に雇用されるためにきた人々の乗っている車輌に近づいた。これらの人々に告げられたことは、帰路の乗車賃は支給される。もし彼らが留まるならば、ストライカーたちの糧道を絶つことになる。ということであった。‥‥ベル氏が主張するのは‥‥彼の私的目的でグレイトウエスタン駅にそこにいたのであり、そこにいる権利はある、ということである。私は、ベル氏がグレイト・ウエスタン社の施設内にいる絶対的権利をもつとはあえて考えない。グレイト・ウエスタンは疑いもなくこの駅の所有者であり、乗車するも目的で公衆がそこにくることを認めているのであるが、しかし、私の判断するところでは、他の鉄道会社に働きにくる他の人々に干渉したり彼らを阻止するための手段を講じたりするという目的をもってくるベル氏や彼の仲間の人々に対し、認可をあたえる義務はないことは明白である。」
さらに裁判官は「スト破り回状」に言及する。8月23日付でだされた前掲の回状は「総書記リチャード・ベル」の名前で、「運転手、火夫、車掌、制動手、および信号手は、スト中である。諸君はスト破りとして知られるようになりたいのか?」という内容のものであった。裁判官は、その回状を「最も不適切な選択」であるとし、「良しとする条件で、良しとする雇用者のもとで働くという、この邦の法律によって実行が認められていること」に対する「明白な脅威distinct thrert」であると指摘した。これはリヨンズ対ウィルキンス訴訟の場合よりも「より悪質な例」であり、ベルは個人的には暴力はふるわなかったとしても、雇用権の侵害に対する暴力に対する責任があるとしている。もう一人の被告であるホームズについては、スト破り就労阻止の現場にいなかったが、ピケッティングに指示を与え、労働者に労働契約破棄を奨めた事実を認定し有罪としている。【*36 128~132頁】
この判断は1896年のリヨンズ対ウィルキンス訴訟の先例に拠っているが、1875年共謀罪・財産保護法第七条の解釈としても妥当なものであると考える。
×11 1906年労働争議法Trade Disputes Act
労働組合の立法闘争に迎合した自由党のバナマン内閣により成立した悪法である。正式には労働組合及び労働争議を規制するための法律」と云うが、実質的には労働争議における不法行為責任を除去とた。
具体的には、労働争議に関し民事共謀理論の適用を排除し、労働者の雇用契約違反の誘導に対する不法行為責任の除去、組合員・組合役員の不法行為に対する組合基金の免責を定め、平和的ピケッティングを合法化、同情ストの合法化を容認した制定法で(*6 247頁)、1875年共謀罪財産保護法により定められ刑事免責に加えて、労働組合に刑事・民事完全免責という法外の地位をあたえることにより、人類史上最悪最凶の立法と評価する。
※1875年共謀罪財産保護法の修正
第一条 次の項が1875年共謀罪財産保護法第三条第1項に付加さるべし
「二人もしくはそれ以上の者による合意または団結の遂行上行われた行為は、労働争議の企図もしくは促進のために行われた場合には、その行為がかかる合意または団結なくして行われた場合に不法行為として訴ええられなければ、訴えうることをえず」(*37 204頁)
※平和的ピケッティングの合法化
第二条
(1)ひとりないしそれ以上の人が、自己のため、または労働組合、または個々の雇用者か企業に代わって、労働争議を企画しまたは促進する事を目的とする場合行為をし、人が居住しているか、労働しているか、営業しているか、あるいは偶然いあわせた、家屋ないし場所にいくこと、あるいはその近隣にいくことは、もしそこにいくのが単に情報を平和的に獲得ないし伝達する目的でなされるか、あるいは、ある人に労働するか労働を棄てるかを平和的に説得する目的でなされるのであれば、合法的である(*36 225頁)
(2) 前項により1875年共謀罪財産保護法第七条は、"attending at or near"から同条の最後まで削除する。
(削除したのは七条の次の但書「単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさない」)
片岡曻1952年の著書は第二条について次のように解説する。「平和的ピケッティングが適法とされるが、本条が平和的ピケッティングの民事上の地位に与える効果は比較的少ないとされる。本条により公道の土地に対する不法侵害(Trespass)及び不法妨害(nuisance)が正当化されるにすぎず‥‥しかし、本条の真の意義は‥‥本条の規定なくしてはそれが合法化さり得なかった点にあるといわなければならない。本条が民事上の不法妨害に対し与える効果としては、ピケッティングが平和的に情報を授受し、説得する目的をもってなされる限り、それが不法妨害を構成する場合でも適法とされるのであり、『この程度においてのみ同法は私有財産制度に影響を与えた』こととなる。しかし本条によってはピケッティングによる不法妨害の正当化される範囲を明確に示すことはできない。平和的ピケッティングの遂行によってリーズナブルな行為であるか否かの観点から判断するしかないが、この点ついて判例は大体において、労働争議の場合或程度の秩序を乱る行為の伴うことは、当然であり、一般に具体的事情を考慮して、非難されている個々の行為を或る程度まで寛大に扱うべきとの態度をとっているといわれる。従ってピケット権の濫用によって生ずる不法妨害や公道における一般人の通行の妨害、その他の差の他の公的不法妨害、または脅迫、治安紊乱、地方公共団体の条例違反等に対する責任は本条によっても免責されない」(*6 254頁)
※他人の業務その他の妨害に対する責任の免除
第三条
労働争議を企画しまたは促進するための行為は、当該雇用契約を破棄するよう他人を勧誘する、または、他の人の営業や雇用に抵触する、または、資本や労働を自由に処置する他人の権利に抵触する、ということのみを理由に起訴されることはない(*36 226頁)
コモンローでは、正当な理由なくして「不法かつ悪意に」他人をして第三者に対し不法行為をなさしめ、それによって第三者に損害を与える場合は不法行為となり、従って悪意に契約を違反せしめた場合も不法行為となるが、本条は契約違反の誘導に対する争議行為の免責を規定したものである。(*6 250頁)。ただし本条の趣旨は、契約違反の誘導が名誉毀損・脅迫・強制等それ自体不法な手段によって行われる場合は免責されない。(*6 252頁)
◎12 1927年労働争議労働組合法
1926年ゼネストは,政府と坑夫連盟の協議は5月3日決裂し、TUC総評議会指導下で大規模な同情ストが5月4日から9日間にわたって展開されたものである。政府の強硬姿勢の前に具体的回答を得ずにTUC総評議会は5月12日ゼネストを中止した.労働損失日数は1億6200万日に達した最大規模のストライキであるが、これによって1906年労働争議法の弊害が明らかになり、体制があり、1927年の保守党ボードウィン内閣による労働争議労働組合法により同情ストを違法化し、平和的ピケッティングにも重要な制限を加えた。
即ち、家屋、工場等に対する「見張り」はその住人を「威迫」しその出入を妨げ又は「平和の破壊」に導くとみなされる人数、態様によって行われる場合之を不法とする外更に前記場所の出入口を監視又は包囲することを不法とした。かくして、同法の下では1875年法の「強制する意思」「不正且つ適法の権利なきことを」条件とした一切のピケット権すら消滅した。【*56】
しかし、×13 1942年アトリー労働党内閣の労働争議労働組合法により廃止され元のとおりとなった。
△14 1980年雇用法(冒頭に記したとおり)
(引用文献)
*6片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
*7中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年
*8松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
*12武内 達子「団結禁止法撤廃について」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 3) [1968.12.00]
*17浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年
*18武内 達子「団結に関する〔英国〕1825年法制定の経過」『愛知県立大学外国語学部紀要. 地域研究・関連諸科学編』(通号 4) [1969.12.]
*19中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点--方法史的批判-4-」『経済学論集』 東京大学経済学会40(4) [1975.01]
*21石田眞「イギリス団結権史に関する一考察(上) : 労働組合の法認と「営業制限の法理」『早稲田法学会誌』26 1976[ネット公開論文]http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6333
*26佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961年
*31美馬孝人「イギリス・ヴィクトリア期における労働組合の受容について」『季刊北海学園大学経済論集』54(2)2006年[ネット公開論文]http://ci.nii.ac.jp/naid/110006406088/
*36松林高夫『イギリスの鉄道争議と裁判-タフ・ヴェイル判決の労働史』ミネルヴァ書房2005
*37林和彦 「タフ・ヴェイル判決と立法闘争」『早稲田大学大学院法研論集』7号1
*38小宮文人『イギリス労働法』信山社2001年
*42 A.V.ダイシー 清水金二郎訳『法律と世論』法律文化社1972年
*55小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11
*56秋田成就「イギリスにおける争議権」『季刊労働法』5(1)1955
*57(有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971)
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