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2010/09/20

反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(3)

前回 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6d81.html

2 ナショナル・リポーティング・センターの役割

 3月13日にロンドン警視庁のナショナル・リポーティング・センター(NRC)の 機能が再開された。*1NRCは全国の二次的ピケッティング、大量動員ピケッティング(1980年雇用法で違法)を監視する。内務大臣には1964年警察法によって各管区警察の相互援助を行う権限が与えられ、各管区の警察はその10%の警察官をNRCを通じて相互援助することが義務づけられており、*2管区間の協力活動を調整し、フライング・ピケットに対抗する警官隊の派遣・移動を指示する指令本部がNRCである。内務省と密接な連絡をとりながら独自の判断で警官隊を派遣する組織である。
 警察は1981年 に起きた都市暴動を教訓に、必要な準備と訓練が行われていただけでなく、すでに1983年11月のメッセンジャー争議において、出社を望む従業員を数の力で阻止するようなことはさせないという、断固とした態度を示し、ピケ隊が目的地につく前に押し戻し混乱を防いだ実績もあり、*3炭坑ストを迎え撃つ態勢は整っていた。

3 ノッティンガムシャーにおける攻防戦

 反ストライキ派の中心がノッティンガムシャーである。マクレガー石炭公社総裁自身「ストライキ全体の鍵を握るのはノッティンガムシャーとそこの3万1千人の炭坑夫である」 *4と述べたように、ノッティンガムシャーの25の炭抗の石炭産出量は全国の4分の1にあたり、この地域で就業を望む労働者の威嚇を目指す大規模ピケ隊に対し、警察隊を介入ささせ、ここの就労を確保する必要があった。
 事実上の全国ストに突入した3月12日に早くも、既に9日からストに突入しているヨークシャーから、ノッティンガムシャーの反ストライキ派労働者を威嚇し就労を妨害するためのフライングピケット300人が送り込まれ、3月中旬から下旬はノッティンガムシャーにおいてピケット隊と警察隊の衝突が繰り返された。
 3月14日にピケ隊と警察の最初の衝突がノッティンガムシャーのオラートン炭坑で起こった。200名の炭坑夫のうち10名が逮捕され、3人の警官隊が負傷を負った。*5
 ノッティンガムシャーとダービーシャーでストライキ賛否投票がなされる予定となっていた。 *6規約の55%以上に達することは困難であり、否決されれば、NUM主流派にとって不利になるため、ピケッティングは投票の妨害も目的となっていた。投票に向かう労働者がピケ隊によって阻止される恐れがあり、サッチャー首相は働く意思のある労働者を助けること、暴力による脅迫を阻止することを強く訴えた。*7
 3月15日はピケ隊223人を逮捕。ノッティンガムシャーのオラートン炭坑でピケ隊の26歳の労働者が死亡した。死因ははっきりしないが、ピケ隊と警察の衝突のなかで発生した死亡事故だったとの説*8 のほか、就労派を5000人のストライキ派がの取り囲み押し合いになっている時に死亡との説*9がある。まさに死闘である。
 サッチャー側近のレオン・ブリタン内務大臣はピケ隊の人数が限度を超えた場合に押し戻し解散させる権限を含めて必要な権限があること。政府は暴徒に屈する意思はなく、働く権利は守られなれればならないことを国民に訴えたが、*10内務大臣が警察に指示する権限は制約があるため、マイケル・ヘイヴァーズ法務総裁より1980年雇用法行為規範(施行規則)に基づき大量動員ピケを規制し、どのような抗口でも6人を越えてはならないと指示が出された。 *11また、警察の実力行使の権限には判例法(コモン・ロー)に基づき乱闘が十分予想される場合は現場に向かうピケ隊を阻止する権限も含まれることも示された。 *12
 3月16日にノッティンガムシャーの組合員はスト賛否投票を決行した(投票の時だけピケを解除したという説もある) *13反対票が73%であった。17日には中部、北西部、北東部の炭鉱地帯でも投票が行われ、スト反対が圧倒的多数をしめ、投票者総数七万人のうち五万人がスト反対で操業を求めた。 *14
 このことは労-労対立の構図がいっそうクリアになったことを意味する、ノッティンガムシャーなどイングランドミッドランドの炭鉱地帯、ランカシャーでは民主的な手続きを経てストを否決しているにもかかわらず、スト投票も行わずストに突入し、反対派の地域に押しかけ暴力・威嚇・脅迫によって就業を阻もうとするNUM主流派という構図である。
 3月18日に警官隊の大量動員が開始され、3000人の警官隊が、ヨークシャーからのフライングピケットを防ぐためにノッティンガムシャーに派遣された。またケント州の炭坑夫が16台の車でノッティンガムシャーに向かう途中、ダートフォードトンネルで警察にブロックされた。 *1519日までに8000人の警官がノッティンガムシャーの就労保護の警備を行った。ピケ隊1に対し警官3の割合であるので警官隊がピケを抑えるのは時間の問題となった。 *16 
 この時期の労-労抗争について山崎勇治のインタビュー記事によると、4000~5000人のピケ隊が事務所を取り囲み占領したが、1万2000人のスト反対派組合員がピケをはね除けて入坑したという。 *17装備で実力が上回っている警官隊の投入は効果があった。ピケも強化されたが、高速道路等の検問も行われて、ノッティンガムシャーの炭田地帯州内に進入してくるピケ隊を乗せた車輌をブロックし、抵抗いる組合員を逮捕した。
 3月22日にはノッティンガムシャーなどミッドランド(イングランド中央部)の42の炭坑で生産が維持された。 *18
 3月23日警察はノッティンガム全州を包囲し、フライングピケットの同州の出入りは不可能となる。 *19 なおノッティンガムシャーは大阪府より少し大きい面積である。外部から侵入するピケ隊から就労派組合員を守るための警備であった。
 全国197の炭坑のうち3月末の時点で大半の炭坑はスカーギル率いるNUM主流派が掌握していたが、警官隊の大規模介入もあって、ノッティンガムシャーなど重要な炭田地帯の操業を維持することができた。これはスカーギルにとって誤算だったといわれている。

4 ノッティンガムシャーに車で移動中のピケ隊の通行阻止、抵抗した組合員を逮捕する警察権限について
 
 
  英米法学者の戒能通厚は道路遮断、検問によって現場に向かうピケ隊を乗せた車を阻止する警察の権限を批判している *20。ウィキペディアによると戒能通厚は元民主主義科学者協会法律部会理事長ということだが、私はそのように労働組合に好意的な立場には反対なので一言批判しておきたい。
   1984年11月にNUM弁護団は、ピケラインから1.5マイル以上も離れた制止地点で「平和の破壊」breach of the peaceが切迫した状況にあるという理由で、車の進行を阻止し、抵抗した組合員を逮捕した事件で、ノッティンガムシャー警察長官を違法な警備活動として訴えた。Moss V. Mclachlan[1985]IRLR76争点は「切迫したimmitent平和の破壊」が存在したか否かであったが、判決は「暴行が発生する実質的危険」があり、当該場所に「一団の者たちが出現していたというだけで、警官の採った阻止行動は十分に正当化されると判示し、NUM側の「警官には他の場所での経験、またはテレビや新聞で見聞きしたことを考慮する権限はない」という主張を退けた。 *21
    実際には20マイル離れたところでピケ隊を乗せたトラックを阻止した例があり、戒能通厚は平和の破壊がさし迫っているとはいえない状況での道路遮断と非難しているが、私は裁判所の判断で良いと思う。
  ピケラインが暴力的な状況でピケ隊の方に死者も出ていること。山崎勇治氏が当時のノッティンガムシャー組合員ロイ・リンク氏のインタビューを行っているがそれによると、「働きたかった人々に対する暴力が非常にあった。家は攻撃され、家族も攻撃され、人々は入院を余儀なくされた。子供は殴られ、家族も攻撃され、妻は攻撃された。」としている。凄惨なリンチがあった。リンク氏自身、岩が投げ込まれて事務所の机を直撃し壁に穴をあけた。岩に当たっていたら即死だったろうと言っている。 *22
  スト突入まもない時期なので、フライングピケットも「スト破り」憎しで感情も高ぶっているだろうし、殺気だった状況において、彼らが現地に向えば、乱闘が起こす実質的に危険があったとする裁判所の判断で正しいと考える。
  歴史的にみれば労-労抗争で悲惨な出来事は枚挙にいとまない。1825年の国会の特別調査委員会によると、1824年 団結禁止法撤廃のおかげで「多数のストライキがおこり、そしてそれらのストライキには暴力と抑圧が伴った」調査によるとダブリンでは2名が殺された。スターリングシャーのある鉱夫は殴られてほとんど殺されかかった。アイルランドで70~80人が負傷し、そのうち30~40人が頭蓋骨を打ち砕かれた。硫酸をあびせることは、スコットランドでは少なくとも1820年頃からはじまり、多くの人が火傷をうけて、生涯の盲となった。またスコットランドのある炭坑夫組合では組合に五ポンド払うまでは、炭坑夫として働くことを許されないなかった。海員組合の一つも、乗組員がすべて組合員でないと航海しないことを宣言したという *23   ことが報告されている。
   1866年のシェフィールド事件は組合を脱退した労働者が、ストライキされている使用者のところで働いたために、眠っている部屋を火薬で爆破された事件で、警察は1100ポンドの懸賞金をかけて情報を求めたが、この事件は研磨工組合の書記ウィリアム・ブロードヘッドが計画し、実行犯は、組合の基金から200ポンドを支払ったことが明らかになった。   *24。この事件をきっかけとして、世論は労働組合を激しく非難した。
   歴史は繰り返しており、今回ももし、このようなフライングピケットに対する警備がなされないなら、ピケラインの暴力化と迫害でもっと悲惨なことになっていたと考えられるのである。  従って、道路遮断、ピケ隊移動の検問を批判する戒能通厚の見解はスト指令に従わない者は威嚇され脅迫されるのは当然だという労働組合主義思想を前提とするものではないかと私は疑問に思ったのである。
     
   
  私のピケットに対する基本的な考え方は19世紀の尊敬すべきアール卿やプラムウェル判事といった良識的な裁判官の見解の認識と同じであり、つまり労働組合主義は個人の自由に反し、ピケッティング(監視)は恐喝の一形式という認識である。 *25 よって、平和的説得、ピースフルピケッティングであってもそれ自体脅迫であり、あるいは他者の権利を侵害する共謀(コンスピラシー)として違法とすべきであると考える。ピースフルピケッティングであっても本来は共謀法理により犯罪とすべきなのである。
   アール卿は「労働者が団結し他の労働者をその労務から去らしめる場合は、たとえ平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしても、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪である」 *26  と述べている。つまりピケッティングの外形的行為いかんにかかわらず相手方の取引行為や労働力処分を妨害するという害意に基づく共謀でなされている以上犯罪とされるべきなのである。共謀法理が適用されないのは政治家が労働組合に迎合した制定法によるものであって、私は判例法が正しいという考え方である。
  従って私は、1980年雇用法(Employment Act 1980)を優れた立法政策と評価するものの6人以下でのピースフルピケッティングを是認していること自体、最善のものとは考えてない。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/right-to-work-l.html
  しかし、にもかかわらずEmployment Act 1980の意義を賞賛するのは次の理由である。同法はピケット自身の就労場所またはその付近にピケッティングの対象を制限し、その行為規範(施行規則Code of Practice)において、ピケッティングの区域は、ピケット自身の通常使用出入り口付近に限定し、それ以外の出入り口でのピケッティングや事業所施設の無許可立入は禁止され、民事責任を負うと定め、さらに脅迫的侮辱的言動、暴力的行動、脅迫行為、交通妨害、凶器所持を伴うピケッティングは、刑事上の犯罪とされ、警察官はピケットの人数を制限できるとした。 *27またピケットの人数については6人以下と明記し、制限されるものとしたが、決定的には、交通妨害を犯罪としたことである。我が国の労働組合法では暴力の行使を違法としているが、脅迫・妨害については言及がない。そこに大きな欠陥があるが、イギリスの1980年法の行為準則は、脅迫と妨害を違法とし、大量動員ピケッティング警察で排除できる内容である点で、これで満足はしないが、就労したい労働者にと最低限の権利性が示されたこということである。
  我が国のプロレイバー学者には、スクラムを組んで立ちふさがることを容認する学説もあるわけだか、それに比較すれば交通妨害を犯罪とし、行為規範(施行規則Code of Practice)において他人の干渉されることなく、合理的日常の事業を行う権利の保護。全ての者にピケットラインを越える権利を有すると記されていることで、個人の就労の権利を擁護する方針が明確に示したからである。 *28
   実際、法の趣旨に沿ってサッチャー首相は1984年5月30日にバンバリ-において次のような演説を行った。
    「‥‥自分の意思に従わない相手を、暴力と脅迫で強要する一派がいますが、彼らは二つの理由で失敗するでしょう。第一には、優秀な警察が控えているからです。警察はよく訓練され、勇敢かつ公平に任務を遂行しています。第二は国民の圧倒的多数は、立派な人格を備え法律を遵守する、尊敬すべき人々であるからです。こうした人々は、法律の順守を望み、威嚇には屈しません。ピケラインを突破して戦場に赴く人々の勇気には、心からの賛辞を贈ります。千‥‥法による支配は暴力による支配に、必ず打ち勝ちます」 *29
   サッチャー政権は組合民主主義を推進する立場であるが、ここでは組合民主主義に反するスト指令も当然非難されるべきことだが、端的にスト破りを賞賛したことで価値のある発言である。つまり。労働組合主義者からは「スト破り」と悪罵が投げつけられる、就労派組合員であるが、サッチャー首相は最大級の賛辞を贈ったのである。
   このサッチャー演説はコレクティビズムの終焉と、個人の自由と権利が尊重される時代への転換を意味したことで、私はベルリンの壁崩壊以上の意義をもつ演説として高く評価する。
    要するにパラダイム転換である。サッチャーは規範提示者とになった。スト指令に従わない者は、裏切り者として、暴力や脅迫、迫害におよぶのは当然という、それは労働組合主義の価値観にすぎないのであって、市民法的には、他人に干渉されることなく合理的日常の事業を行う権利があり、当然就労の権利がある、それな正常なあり方であり、その権利を擁護したのがサッチャーの労働法改革であった。
  我が国においても、プロレイバー労働法学者には労働者は労働者階級という集合的人格に吸収されるのであって、個人の自己決定の自由は否定されるべきものだ。スト指令に従うのが労働者階級の倫理であると高説を述べる人がいる。要するに労働者個人の労働力処分の自由を完全に否定して組合の指示に拘束されなければならないという思想、つまりコレクティビズムであるが、それは19世紀~20世紀に流行した一つの特定の思想に価値相対化されるべきであって、この思想は個人の選択の自由、財産権、個人主義と相容れない。またアダム・スミスが、国富論において『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』という契約自由の思想と明確に対立するものである。
   私が思うに、利他主義としての集団主義や同胞の結びつきや連帯を、利己主義より美しいという考えからコレクティビズムを正当化するのは過ちである。宗教的、倫理学的な隣人愛とは、私とは全く面識も利害関係もない無関係の他者にする無償の愛、つまりカリタスであって、仲間内での結びつきのことではない。
     サッチャー主義はコレクティビズムを葬り去る、労働法改革(実はメージャー政権でもっと徹底された) を行ったこととしいうことが大きな業績なのである。

*1 早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』お茶の水書房2010年 91頁
*2松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991
*3山崎勇治「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月)
http://www.kitakyu-u.ac.jp/gkj/2007_sr42_2-4.html*4小川晃一『サッチャー主義』木鐸社2005年 118頁
*5 松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991
*6山崎勇治 前掲論文

*7 前掲論文
*8 早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』お茶の水書房2010年 91頁
*9山崎勇治『石炭で栄え滅んだ大英帝国-産業革命からサッチャー改革まで-』ミネルヴァ書房2008年 
*10 山崎勇治「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月)
*11元山 健「サッチャー主義--社会民主主義的コーポラティズムの終焉--覚え書き」『奈良教育大学紀要. 人文・社会科学』34(1) 1985.11

*12山崎勇治 前掲論文
*13山崎勇治『石炭で栄え滅んだ大英帝国-産業革命からサッチャー改革まで-』ミネルヴァ書房2008年 241頁
*14山崎勇治「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月)
*15松村高夫 前掲論文
*16松村高夫 前掲論文
*17 山崎 勇治『石炭で栄え滅んだ大英帝国-産業革命からサッチャー改革まで-』ミネルヴァ書房2008年 243頁

*18早川征一郎 前掲書 92頁
*19松村高夫 前掲論文
*20戒能通厚 『土地法のパラドックス-イギリス法研究、歴史と展開』日本評論社2010年「現代イギリス社会と法--炭鉱ストライキを中心として395~396頁
*21古川陽二「イギリス炭鉱ストの一断面(外国労働法研究)」『日本労働法学会誌』(通号 69) 1987.05
*22山崎勇治 前掲書  239頁、241頁。
*23佐藤昭夫『ピケット権の研究』勁草書房1961 135頁
*24浜林正夫『イギリス労働運動史』学習の友社2009年 137頁
*25A.V.ダイシー 清水金二郎訳『法律と世論』法律文化社1972年」 210頁

*26片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 198頁 

*27家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」『名古屋大學法政論集』. v.168, 1997,  141頁   http://hdl.handle.net/2237/5752
 
*28小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11

*29山崎勇治 「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月)73~74頁

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