反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(5)
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7 Battle of Orgreave
ストライキは泥沼化し、多くの炭坑夫が当初のような熱意を失い、発電所の持久力はたいしたことはないと言うスカーギルの予想に疑問を抱くようになった。そこでNUMの指導者はピケ手当を増額するとともに非炭鉱労働者までかき集めて、目標を定め、大量のピケ隊をそこに集中してあっといわせる作戦を展開することととなった。〔註1〕
1984年5月29日南ヨークシャー、シェフィールド郊外にあるオーグリーヴ・コークス工場の貯蔵所から、スカンソープの鉄鋼工場へのロ-リーによるコークス輸送を阻止するピケ隊7000人が集結し、National Reporting Centreにより全国10のカウンティから集められた警官隊8000人と激突、煉瓦や石、投げ矢をはじめ、ありとあらゆる物が警官に向かって投げられ、逮捕者82名、負傷者69名(うち警官41名)。5月30日にも衝突は続いてスカーギル委員長を含む35名が逮捕された。力の激突では装備され訓練されていた警官隊が優位となり、ピケ隊を排除した。〔註2〕
当時の映像
Orgreave-29th May 1984
http://www.youtube.com/watch?v=ZsRmDLD089M
Barton's Britain: Orgreave
http://www.youtube.com/watch?v=AvoDGnSHizs
ECE-5: The Battle of Orgreave: On Re-enactment and Protest
http://www.youtube.com/watch?v=3gRgaXib0Sc:
Miners and police clash at Orgreave
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/may/29/newsid_2494000/2494793.stm
5月30日サッチャー首相はバンバリーで演説を行った。「昨夜の事件は皆さんもテレビでご覧になったでしょう。いま行われているのは、法の支配に代えて、暴徒による支配を持ち込む行為です。これは絶対に成功させてはなりません。自分の意思に従わない相手を、暴力と脅迫で強要する一派がいますが、彼らは二つの理由で失敗するでしょう。第一には、優秀な警察が控えているからです。警察はよく訓練され、勇敢かつ公平に任務を遂行しています。第二は国民の圧倒的多数は、立派な人格を備え法律を遵守する、尊敬すべき人々であるからです。こうした人々は、法律の順守を望み、威嚇には屈しません。ピケラインを突破して戦場に赴く人々の勇気には、心からの賛辞を贈ります。‥‥法による支配は暴力による支配に、必ず打ち勝ちます」これは、ピケを破って就労する労働者に賛辞を贈ったことで、名演説だと思う。〔註3〕
6月8日8000名の炭坑夫がロンドンでデモ中、警官隊と衝突100名を逮捕。
6月15日西ヨークシャーのフェリーブリッジ発電所で、ピケ隊の一人がローリーの車輌に巻き込まれて死亡。
6月15-16日炭鉱街モールトビーでの2晩の衝突により45名逮捕。うち炭坑夫20名
6月18日再び、7000~8000人のピケ隊がオーグリーヴにはられて、警官隊と衝突、投石と3台の車が放火され、逮捕者93名、負傷者80名(うち警官28名)。スカーギルも負傷し一晩入院した。警察指揮官が「ひとりの死者も出なかったは奇跡である」と語った。〔註4〕
5月末から6月のオーグリーヴ攻防戦がピケ隊と警官隊の激突のヤマ場になった。新聞・テレビは3月から連日のようにストの行方を報道していた。警官はよく訓練され勇敢だった。スカーギルのフライングピケットを繰り出す戦術も今回は成功しなかった。
The Battle of Orgreave, June 18 1984 http://www.historicalfilmservices.com/orgreave_account.htm
[PDF] A PHOTO-ESSAY BY JOHN HARRIS臨場感のある写真
http://www.coldtype.net/Assets.07/Essays/0507.MinersFinal.pdf
The iconic Orgreave photograph
http://news.bbc.co.uk/local/sheffield/hi/people_and_places/history/newsid_8217000/8217946.stm
〔註1〕山崎勇治「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月) http://www.kitakyu-u.ac.jp/gkj/2007_sr42_2-4.html
〔註2〕松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991 山崎勇治 前掲論文 早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』お茶の水書房2010年 93~94頁
〔註3〕山崎勇治 前掲論文
〔註4〕松村高夫 前掲論文
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