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2010/09/26

反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(4)

前回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-0f35.html

5 鉄鋼労組同情スト拒否、発電所組合同情ストせず

 『ジ・エコノミスト』1984年12月8日号は、もし電力労働者と輸送労働者が固く団結してNUMを支援していれば勝っていただろうと言う〔註1〕。1972年1974年の炭坑ストは関連産業労組の同情ストによって、石炭供給を止め、深刻な電力供給危機をもたらし、大幅な賃上げを勝ち取ったのであり、74年はヒース保守党政権を打倒とした。しかし1984-85ストでは同情ストが広がらなかった。その要因のひとつは1980年雇用法や1982年雇用法で二次的争議行為を免責から排除したことである。従って同情ストはリスクのある行為となっていたことである。
 同情ストは1926年ゼネストの翌年のボールドウィン保守党政権の労働争議労働組合法で違法とされたが、1946年アトリー労働党政権で廃止された。1971年ヒース保守党政権は1971年労使関係法において二次的争議行為を不公正労働行為と規定したがね実効性に乏しく1974年ウィルソン労働党政権によって廃止された。
 しかしサッチャー保守党政権において、1980雇用法によって合法的ピケッティングの権利は労働者自身または組合員の就労の場所またはその近くで行われる場合に限定され、二次的ピケッティングを禁止し、争議当事者たる使用者と取引関係にある使用者に向けられる二次的争議行為に対する不法の免責を排除した。1982年雇用法においては免責の対象となる「労働争議」を「労働者とその使用者」等と規定して、「企業内争議」に限定して免責の範囲の規定したほか、1974年の労働組合労働関係法14条を廃止して1980年法により違法とされた二次的争議行為や二次的ピケッティングは、労働組合により承認されたと認定されれば労働組合は免責を失い、自己の名において差止を課せられ、組合基金から損害賠償を求償されることを明確にした。
 1984年3月29日運輸関係の海員、港湾、トラック、鉄道など6つの労働組合は、炭坑ストを支持し石炭・コークスの輸送をボイコットすることとした。しかしランクアンドファイル、つまり一般組合員の反応は執行部と異なり、必ずしも全面的支持というわけではなかった。〔註2〕とくにトラック運転手組合は、港湾労働者その他による威嚇、妨害を断固としてはねつけた。〔註3〕鉄鋼労組は1980年13週間のストで敗北し、鉄鋼公社は5万人の人員削減が実施され組織は弱体化していたこともあり、コークスが供給されなければ操業不能となり職場を失う危険のある同情ストを拒否、製鉄所に輸送される石炭運搬列車を阻止しようとしたNUMのピケットを妨害し対立姿勢を明確にした。〔註4〕
 鍵を握っていたのが発電所の労働者である。政府は石炭の備蓄を強化していただけでなく、石油への転換も進めていた。原子力発電も14%をしめており、炭坑ストで電力危機に陥った1974年とは状況は異なっていた。
 電力公社は1984年3月末にオランダ、ロッテルダムの重油買いつけで5千万ポンドを使って事態に備えていていることを発表している。
 発電所の労働者に炭坑ストを支援する意思はなく、組合指導者も同情ストに賛成しなかった。
 このように、鉄道や港湾労働者に炭坑スト連帯の動きがあったが、同情ストは拡大しなかった。NUMは9月にナショナルセンターTUCの全面的支持決議支援を取りつけることに成功しているが、その実効性は従来と異なり余りなかったとされている。その理由はTUCや大労組幹部が指示してもランク・アンド・ファイルにはそれだけの指示がとおらなくなった労働運動の現実があった〔註5〕。このことは、もはやイギリスの労働者階級が階級闘争で一枚岩になるような社会ではなくなったし、保守党政権が、組合の集団的権利よりもランク・アンド・ファイルの個別的権利と組合民主主義を強調した労働政策の成果ともいえるだろう。

6 マスメディア報道は政府・石炭公社に好意的

 3月末までにノッティンガムシャーへのフライングピケットは警察の介入に抑えられつつあり、ピケッティングの重点は石炭生産のできる限りの阻止とともに発電所や鉄鋼工場への石炭輸送の阻止に移っていった。サッチャー首相は4月9日議会において、仕事に就くことを希望する炭坑夫を守ることにおいて、警官隊は多大の成果を上げたと述ベた。保守党と大多数のマスコミは、警察介入よりピケッティングバイオレンスを非難した。〔註6〕ピケットラインの暴力行為は報道価値があったし、過去の事例、1974年炭坑スト、1977年グランウィック写真処理工事用ストのピケットから投げられた瓶で警官が負傷した事件、1980年鉄鋼ストに置けるピケットと非組合員の対立なども報道された。マスメディアの多数が政府・石炭公社寄りの報道だったことが1984-85ストの特徴といわれている。〔註7〕また、スカーギル委員長が、炭坑ストが階級闘争であり、資本主義国家を打倒するため法律を超えた行動も容認されると発言したことは、一部の炭坑夫を鼓舞しても、世論は支持していなかった。NUMに同情的なメディアとしては『ガーディアン』が挙げられるが、労働組合寄りの『ガーディアン』ですら、スト突入の3月12日に、勝てるストライキと思えないとして全国投票なしのスト突入に批判的だったのである。〔註8〕

 4月17日セント・ジェームズ広場にあるリビア大使館から発泡がありデモ行進の警備にあたっていた婦人警官が殺された。NUM幹部はストライキの資金援助のためカダフィ大佐と会見までしていたのだ。5月23日石炭公社とNUMの幹部はスト突入以来初めての会合をもったが、石炭公社の説明に対し、スカーギルは埋蔵石炭の枯渇という理由以外の閉山は討議する必要はない。採算性の観点など論外だとまくしたて、閉山計画の全面的撤回以外話し合いには応じないとして決裂した。〔註9〕

〔註1〕中村靖志『現代のイギリス経済』九州大学出版会1999 208頁
〔註2〕田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房2007年198頁
〔註3〕山崎勇治「サッチャー元首相の『回顧録』に見る炭鉱ストライキ(1984年-85年)」『商経論集』北九州市立大学第42巻2・3・4合併号(2007年3月) http://www.kitakyu-u.ac.jp/gkj/2007_sr42_2-4.htm
〔註4〕田口典男 前掲書 199頁
〔註5〕元山 健「サッチャー主義--社会民主主義的コーポラティズムの終焉--覚え書き」『奈良教育大学紀要. 人文・社会科学』34(1) 1985.11
〔註6〕早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』お茶の水書房2010年 93頁
〔註7〕田口典男 前掲書 213頁
〔註8〕早川征一郎 前掲書 90頁
〔註9〕山崎勇治 前掲論文
   

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