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2010/10/11

小林よしのり批判と 中野高行「天智朝の帝国性」の感想

 小林よしのりが天皇号や日本国号が女帝の時代に成立したと言うことを『サピオ』連載の天皇論追撃篇でさかんに吹聴している。しかし、天皇号が推古朝から慣用されていたと言う説を全面的に否定するものではないが、女帝を画期とみなすのはどうか。君主号や国号の成立期の先行学説は諸説あって、確定的なことはなかなかいえないはずである。それと、古代において女帝の統治時代が長く、その治績を強調しているが、だからといって我が国固有の特徴とみなすわけにはいかないし、ましてや女系を容認する論拠にはならない。
 なぜなら中国においても、女帝は武則天の一例だけだとしても、女性が統治権力のトップとなる太后臨朝(漢代)あるいは垂簾聴政(宋代)という統治形態がある。例えば後漢であるが、最高統治者が太后であった時期が長い。女性を最高統治者とするのは日本古代に固有の特徴では決してなく東アジア王権に共通していると言ってもよいのである。後漢の皇帝の多くは短命で、和帝以降は幼帝が続きました。太后臨朝による外戚政治の時代が長かったのです。むろんシナも男系主義であるが、女性の統治を排除していなかったという点で我が国と異なることはない。
 もっとも中国における平時における皇后の政治的権能は、内治つまり後宮の統率に限定され、それほど大きくはない。しかし、帝嗣未定で皇帝が崩じた場合、帝嗣決定の決裁権は皇帝の嫡妻たる皇后にある。それが伝統になっているわけで、非常時に権力の空白を補う意味で絶大な政治的権能を有するのである。なお、先帝皇后は皇帝の生母ではなくてもよい。生母ではなく嫡妻たる皇后が皇帝の公式の母となる制度である。(註)

後漢の太后臨朝の例

四代和帝 10歳で即位 竇太后が臨朝
五代殤帝 生後まもなく即位 鄧太后が臨朝
六代安帝 13歳で即位 鄧太后が臨朝
九代冲帝 2歳で即位 梁太后が臨朝
十代質帝 梁太后が臨朝
十一代桓帝 15歳で即位 梁太后が臨朝
十二代霊帝 12歳で即位 竇太后が臨朝
十三代廃帝 17歳で即位 何太后が臨朝

http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chu901.html

 太后臨朝は実質最高権力者が女性となる統治形態なのである。鄧太后が名君とされるが、後漢の太后臨朝はあまりにも長すぎて外戚と宦官との権力闘争を収拾できず王権を衰退させた。ただ宋代の垂簾聴政もそうだが、王権というのはしばしば女性が権力の重心となることによって安定装置としているのである。
 日本の場合は、中国のように同姓不娶でなく、皇族内婚で皇后も皇族である。したがって太后称制だけではなく即位が可能だった。その違いがあるだけで、従って日本の古代の女帝も、皇帝の権能を代行する太后臨朝のアナロジーで説明できるのである。四例が先帝皇后かそれに類似するケースであり、元正女帝の場合は、聖武天皇の生母藤原宮子が臣下の出身で夫人位であり、皇后にのぼせられなかったし、しかも重い気鬱症で能力を欠いていたことから、非婚伯母である元正が母后に擬されての即位という見方ができます。平安時代の藤原摂関家の政治も中国の太后臨朝のシステムの応用であったと考えます。

 さて、中野高行「天智朝の帝国性」『日本史研究』2010年8月号(通巻747号)を読んだが、天智朝天皇号成立説をとっているようだ。この人は1960年生、埼玉県東松山の東京農大第三高校の教師だが、『日本古代の外交制度史』という著書も出している。
 天皇号成立期については東野治之の天武朝説がある。これを補強する文字資料として、平成10年に飛鳥池遺跡で出土した「天皇」を記した木簡があり、天武天皇六年のものと推定されている。第二に天武天皇四年の675年に唐の高宗が「天皇」号を称したことから、これを日本の君主号としたことから少なくとも675年以降の成立という説である。
 しかし中野氏によると、天皇号は中華思想を倭国の支配層が咀嚼・受容されるなかで、小帝国の最高権力者の称号・地位として案出されたもので、天智朝において「百済王権」を配下に従えたことから、倭王を中国皇帝に擬した「天皇」号は天智こそふさわしいと述べ、河内春人(「天智「称制」考」あたらしい古代史の会編『王権と信仰の古代史』吉川弘文館平成17年)の天皇号天智朝成立の仮説を引用している。
 河内春人説というのはこうである。〔〕は私の意見。中大兄皇太子が斉明崩後、即位もせずに「称制」し称制七年目に即位したと『日本書紀』は記しているが、①当時は皇太子という地位が成立してなかった〔つまりそれ以前は君主は郡臣に推戴され即位するものであり、君主に継承者を決定する大権を明確にしたのは天智天皇の不改常典以降ということか〕②『日本書紀』では称制が素服と関連しているように記されているが服喪期間が長すぎる。③中大兄を後見する人物が存在しない。④天智称制元年の豊璋の百済王冊立は倭王として行ったという疑問を呈したうえで、河内春人は斉明崩御直後の天智称制元年に中大兄が「治天下王」として即位し、称制七年(668年)にあらためてて「治天下天皇」として二度目の即位を行ったとの仮説を提示した。
 この仮説は説得力があると中野氏は述べている〔私はコメントできないが、なぜ称制が長かったのかという解釈としてはおもしろいと思う〕。
 そのうえで、中野氏は我が国は天智朝において帝国としての実質を備え、小帝国の創設者は天智だったとし、その画期性は重大だとする見解である。
 次に日本国号であるが、「事実上の異姓簒奪・易姓革命なら日本国号を捨て去るのは当然という私の主張を「電波」とみなす見解への反論(1)」というエントリーでも書いたことだが本居宣長の孝徳朝成立説は今日の学問的水準では否定されている。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_6489.html日本国号の成立時期は斉明朝~天武・持統朝、大宝律令成立期の範囲で諸説がある。天武朝成立説(東野治之、吉田孝)も有力とされるが、天智朝成立説もある。根拠としては、『三国史記』新羅本紀第六文武王一〇年一二月条(670年)「十二月、(中略)倭国更号日本自言近日所出以為名」という新羅に対し倭国が日本と号したと言う記事である。確定的なことはいえないとしても、天智朝成立説も有力とはいえる。
 ではなぜ、正史において天皇号案出やその始用、日本国号の諸事績が欠落しているのか、その意味について中野氏は正史編纂にかかわった天武系皇親や群臣にとって天智天皇の事績としてしまうとことを受け入れられなかったため、意図的に削除させた可能性を指摘している。

  要するに天智天皇を偉大な君主とすることは、壬申の乱の意義を否定することになりかねないので、好ましくなかったという事情である。
 もちろん、この人の見解も一つの考え方にすぎないし、私は元明・元正朝の富国貨殖政策が我が国の経済繁栄の基礎として女帝の治績も評価するが、小林よしのりのように、女帝が歴史の画期という見方は少し偏っていると思う。
 天皇号や、日本国号についても、天智朝、あるいは天武朝を成立期とする説も有力なのであるから、もう少しバランスをとった見方を示すべきだろう。

(註)我が国では伝統的に天皇生母が国母とされ、生母の地位が高い。生母が上流貴族でない場合でも女院宣下により厚遇され尊重されてきた。嫡妻と妾の身分格差を明確にする伝統的な中国のシステムとはかなり違うシステムだったが、明治以降中国と同じシステムになった。つまり大正天皇の公式の母は昭憲皇太后であって生母ではない。幕末期の徳川将軍家が類似したシステムで、前将軍の嫡妻である天璋院が大奥を統率するのであって、将軍生母の実成院にはなんの権限もないのと同じ。なお、清朝末期の先帝皇后は東太后であり、席次上位はあくまでも東太后、西太后の垂簾聴政は中国の伝統に反したものである。

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コメント

今週3人の相手したらハブリマックスなんだけをwww
イケるな!!俺ならイケる!!週4でも全然余裕だっしゃーーー!!!!

いつも興味深くよませてもらっています。

小林氏の主張はアレはアレで良いと思います。
現代で女系を容認する根拠としては少々弱いとは思いますが、古代から女性(側の親族。婿入り婚等による)が強かったのは事実ですから。

藤原氏の場合、私は中国の太后臨朝ではなく婿入り婚形態からくるものと考えています。(私見ですが)

後漢の場合は皇帝が若死にし過ぎたので仕方がない面も多いと思います。その点では日本の女帝と似た点もあると思います。
宋代の場合、科挙と宦官が政治に及ぼした影響を考えると日本のものとは違い参考にはならないと思います。

小林氏の主張には同意出来ない面も多々ありますが、議論がそれだけ盛んになるのは良いコトだと思います。

それだけでは「天皇」という文字が選ばれる理由は薄いと思う。

天智天皇が668年の即位時に採用した称号は
「皇帝」だったのではないか。
近江令の記述としては「皇帝」を主に、副として神道祭祀には「天子」、仏教護持者としては「天王」という条文もあったろうと思う。

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