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2010/10/10

セクシャルハラスメント防止委員会へのアンケートの自由意見

プロジェクト16
 (テーマ セクシャルハラスメント規制の基準の厳格化(女性に有利にしない)または廃止)

私の職場(東京都水道局)には管理職等と労働組合の代表をメンバーとするセクハラ防止委員会というのがあって活動を行っているが、匿名の密告を奨励するアンケートを行っている。アンケートの内容は詳細に報告され、自由意見を書く欄がありそれについても詳細に他の人の意見は全文が公開されているにもかかわらず、私が昨年の12月に自由意見を書いたにもかかわらず、報告書に載せられなかったことに怒り心頭なのである。
 10月にそれを再びやるが、今度は前回のようなことがないよう、事前にこういう意見を出すけれども報告書に載せるように申し出ることとする。管理職が非常に敵対的なのでカットされると思うが、カットした理由を追及する。先手を打っていきたいと考えます。カットして公表されないことを想定してブログで公表するものである。

自由意見(原案)

 匿名による密告の奨励しているアンケートなど、ここで行われているセクシャルハラスメント防止ポリシーに反対の意見を述べ、男性が不当に糾弾されたりリンチされることがないようセクハラ判定基準の厳密化を提案したいと思います。
 さて、次世代育成支援対策による育児休業は事実上受益者に「労務コスト転嫁特権」を付与するものであり、労務コストを転嫁される受益者たる女性職員の他人を事実上、家来か使用人の扱いにするものである。なぜならば、出産・育児は私事にすぎず、他人の私事のために労働量が増えるためである。これは他人がさぼっているからカバーすることと同じであり、後ろ向きの裏方的な仕事になる。業績目標達成や積極的なチャレンジとは違うからである。尻ぬぐいのような後ろ向きの仕事をこなしても一言もねぎらいの言葉もないし、コストが転嫁されて当然だという風潮に怒り心頭なのである。のみならず、次世代育成支援が女性の雇用抑制というかたちでコストが転嫁されており女性の雇用機会均等という趣旨でもきわめて有害な政策である。東京都女子職員などの育児休業受益者は全女性の敵なのである。憤怒怨念、女性に対する敵意は募る一方である。
 一方、セクハラ防止政策は労務コストを他人に転嫁するものでない。企業にとって労務コストは育児休業ほど大きくないかもしれない。しかし現状をみると業績があり優秀な男性がセクハラと糾弾されて社会的地位を脅かされる多くの事例は社会にとって損失である。セクハラの政策は事実上女性に気にくわない男性に対するリンチ特権を付与している。なぜならば厚生労働省ガイドラインに環境型セクハラの判定基準が「敵対的(虐待的)職場環境を形成している」という要件を欠いているため、緩く女性に有利なものだからである。東京都の場合はさらにゆるく女性に不快に感じれば何でもセクハラにしてしまうようなものだからである。実際、女性職員は自己の主観的判断が基準だということを言っており、事実上の「リンチ特権」と認識されている。しかもセクハラ防止委員会の事務局は「合理的通常人」テストでなく「合理的女性」テストとでセクハラを判定すべきだとかいった意見を開陳している。とにかく女性に有利にしよう躍起になっているわけだ。
 昨年のアンケートの私の自由意見は報告書に載せないでこの女の意見を配信しているのは、不公平である。管理職は意見の集約に不公平がないよう監視すべきであり、こういう一方的な意見だけが重んじられる理由を説明しろ。
 総じていえば、セクハラ防止は女性に対する過剰なパターリズム、心理的保護となっている。そもそもロマンティンクパターリズムを排撃することが性差別撤廃の趣旨であったはずである。したがってセクハラ規制は全面的に見直すべきであり、事実上男性へのリンチをあおっている当該委員会は、男性にとって敵対的職場環境を形成する要因となっているので直ちに解散させるべきである。

 特に疑問に思うのは被害者にとって歓迎されないという主観性が強調されすぎていることである。主観的にいやがらせとして認識していることをセクハラ要件としているのは、客観的にいやがらせとみなされることでは十分ではないということにすぎない。つまり、公然周知とならないかぎり、自己の昇進・昇給等の目的で女性の側から上司の性的欲求に応えることはセクハラにあたらないという意味と理解すべきだ。というより枕営業は女性が栄達するために必要な武器であり、アメリカなどではたぶんそうして女性はのしあがる。その女性の特権を取りあげることを目的とはしていないということだ。また上司の役得それ自体を否定するものではないという意味である。

 もっともセクハラは対価型(代償型)と環境型に類別して説明されるが、セクハラ防止委員会では性的欲求に応えることを雇用継続や昇進の要件とするような対価型は全く問題にされてない。それは現場の職長に大きな雇用判断の権限を与えているアメリカの事情と異なるかもしれないが、管理職はセクハラ加害者たりえないとの方針から除外されていて、それ自体も問題ではあるが、もっぱら攻撃、取り締まりの対象は性的欲求に応えても女性にとって利益にならない一般男性職員に向けられているためであろうと考えられるので、問題を環境型に絞りたい。
 アメリカ合衆国の公民権法第七編の環境型セクシャルハラスメントの判断義準を示す判例は1993年連邦最高裁ハリス対フォークリフト判決(オコーナー法廷意見)Harris v. Forklift Systems,Inc.,511U.S. 17,21(Forklift SystemsIncの社長が女性従業員に「馬鹿な尻女」と言ったとか、モーテルに行くことを勧めたとか、女性従業員に対してコインを放り投げて拾わせたり、ズボンの前面ポケットの中にあるコインを取らせるようなお遊びをやったりして、その女性従業員が辞めた事件)である。
『差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』When the workplace is permeated with discriminatory intimidation, ridicule, and insult that is sufficiently severe or pervasive to alter the conditions of the victim’s employment and create an abusive working environment, Title VII is violated.”
 『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間(道理をわきまえた通常人)ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』“Conduct that is not severe or pervasive enough to create an objectively hostile or abusive work environmentan environment that a reasonable person would find hostile or abusiveis beyond Title VII’s purview.”
「私たちは、環境が「敵対的である」か「虐待的であるか」が単にすべての事情を見ることによって決定できると言うことができる。これらは差別している行為の頻度を含むかもしれない。厳しさ。それは、物理的に険悪であるか、屈辱的であるか、単なる不快な発声か。そして、それは無分別に従業員の勤務成績を妨げるのであるかどうか。原告が、環境が虐待的であることが実際にわかったかどうか決定すると従業員の心理学的な幸福への効果はもちろん関連している。しかし、いかなる他の関連要素のようにも、精神的危害は考慮に入れられるかもしれないが、どんなただ一つの要素も必要ではない。」

 さらに1998年連邦最高裁 Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75)は被害者が同性である場合にセクハラが認められるかが争われた容認した事件だが、スカリア法廷意見は次のように環境型セクハラの基準について述べた。
『Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。』『我々が‥‥強調したように、この規定は、同性のあるいは異性との日常的なふれあいのなかの真正ではあるが害の無い相違には及ばない。職場での性を理由とするセクハラの禁止は‥‥ただ、被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせを禁じているだけである』『通常の職場における社交(男同士の馬鹿騒ぎや異性間でのいちゃつきであっても)を『職場の環境』に関する差別であると誤解しないことを保証する』『我々はさらに『全ての状況を考慮して』、原告の立場に置かれた合理的な人間という観点で、セクハラの客観的なひどさを判断すべきだということを強調してきた』『職場における行為の現実的影響は、しばしば、使用された言葉の詳細あるいは行われた肉体的行為の単なる再現によっては十分に把握されることのない周囲の環境、予期、人間関係の配置に依存している。良識や社会的背景に対する適切な感受性によって、裁判官や陪審は、単なるからかいや同性間での馬鹿騒ぎと、合理的な人間が原告の立場に立ったときに過度に敵対的で虐待的であると認識する行為とを見分けることが可能になるのである。』。http://www.law.tohoku.ac.jp/~serizawa/2000/semi1/translation.htmlTitle7などとして、単なるからかいや馬鹿騒ぎがセクハラにはあたらないと述べた。
 従って米国では単に下品な言葉、からかいや当てこすりはセクハラとはしてない。また1回性のものはセクハラとは認定していない。下級審判例では(余裕がないので出所を明らかにしないが)例えば後ろから抱きついて胸をもんでもセクハラではない。女性器のスラング日本語に訳すと「おまんこ」に相当する言葉を吐いた例でも、セクハラとは認定されてない。「黄色いドレスに黄色い靴、パンティも黄色かな」という有名な言動も1回性のものである以上セクハラではない。ただ、男性器から精液を発射したところをみせたケースでは1回性のものでもセクハラと認定された。しかし1回性のものはそれだけである。

 ところが、東京都水道局のセクハラ防止は、単に下品な言葉、からかいや、あてこすり、職場環境と直接関係ない酒席での言動や1回性のものでもセクハラと言いつのっている。過剰な心理的保護であり、ロマンチックパターリズムの行き過ぎである。さらに東京都水道局ではジェンダーハラスメントの概念も導入して、セクシャルハラスメントを越えた規制をやっている。それでいて労働組合が、団体行動をとらない職員に対するの脅迫や威嚇は容認されており全く片手落ちである。

 つまり我が国では、厚生労働省のガイドラインがhostile or abusive敵対的・虐待的という言葉を欠落させて、セクハラ概念を広めたために、女性に非常に有利なものとして展開しているのが最大の問題だと思う。
 私はこれらの合衆国最高判例ですら不満なのである。つまりこの判断基準では陪審や裁判官の主観で左右される余地が多分にあると言う点で厳密さにかけるということである。
 それ以前の下級審判例の基準のほうがわかりやすかったかもしれない。例えば「当該性的行動が、他人の業務を著しく阻害し、または恐怖intimidating、敵対的hostile、あるいは不快Offensiveな職場環境を形成するほど厳しくSevere、あるいは蔓延しているか否か合理的人間がどう感じるかを基準に決する」
 E.E.O.C.v.Hachiende Hotel,881F.2d 1504 (9th CIR.1989)中野通明「米国における雇用差別と最近の状況(上)」『国際商事法務』20巻6号1992
では、「他人の業務を著しく阻害し」という基準がありわかりやすい。
 また1992年のハリス判決でオコーナー判事は下級審判例  Rabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)の精神的危害を与えたことを要件とする。つまり神経症となるような医学的に客観的に判定可能なダメージを与えたか否か基準として厳密な判例を採用しなかった。この点で女性に有利な判決だった。
  Rabidue v.Osceola Refining Co.は優れた判例で、これが最高裁に採用されればセクハラ訴訟が減って良かったと私は思うが、遺憾である。しかし、一方で女性に有利な「合理的女性」テストを採用した下級審判例も拒否し、下級審で大勢であった「合理的通常人」テストを採用した。この点では、ハリス判決は中間的判断をとったともいえる。

 私はもっとも厳密な第6巡回区のRabidue v.Osceola Refining Co判決が最善だったと思うが、我が国でもせめて、アメリカ並みに「雇用条件を変化させ敵対的・虐待的職場環境を形成」したことをセクハラとする基準は不可欠である、少なくともハリス判決の水準に判定基準を厳密化が必要との立場であり、なんだもかんでもセクハラにして男性を糾弾するような対応をとる。セクハラ政策には強く反対していくものである。

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