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2010/10/24

反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(7)

10 ストライキの崩壊

 1984年12月29日それまで石炭備蓄の見込みについて発表を控えていたピーター・ウォーカーエネルギー大臣が「貯炭量は、これからさらに1年間ストが続いても電力制限をする必要が全くないほど十二分ある」と言明した(*1)ことにより、石炭需要が増大する厳寒期までストを継続すれば停電が続出し勝利できるというNAMの目論見は崩れてしまった。早くも1985年1月1日には、南ウェールズの指導者による、スカーギル批判が表面化した。このままではひどい敗北になるという見方だった。南ウェールズNUMは団結の強い左派の牙城であり、スト遂行派圧倒的優勢の地域からの批判は執行部にとって衝撃だった。(*2)
 全国石炭公社はなお、手紙と新聞広告によるスト参加者に対する職場復帰の呼びかけを行ったが、1985年1月半ばには就労者は7万5千に達し、下記のように職場復帰者数は増大していった。
 
  12月29日~1月4日   705人
  1月5日~1月11日   2269人
  1月12日~1月18日  2870人
  1月19日~1月25日  3386人  (*3)
 
 交渉を再開するための予備交渉を再開すると1月21日報じられた。しかし歩み寄りはなかった。1月24日イアン・マクレガー全国石炭公社総裁はスト脱落者の増大を背景として譲歩抜きの終結の道を選択し「石炭公社が非経済的な炭坑と判断した炭坑の閉鎖を認めると組合が文書で明らかにしない限り、いかなる交渉のテーブルにもつかない」という声明を出した。(*4)
 2月1日サッチャー首相は全国石炭公社の経営権を確保しなければならないこと。。非経済炭坑の閉鎖の必要性について組合が文書で同意しなければならないとの石炭公社の要求を強く支持した。(*3)
 2月26日全国石炭公社は2月25日1日としては最大の3600人が職場復帰し就労者は9万1千人になったこと、27日には就労者は50%を越えたと発表した。
 全国ストの賛否投票なくストに突入したが、50%の職場復帰で事実上、これが組合員の賛否を示したこととなり、大勢が決したのである。(*4)
 1985年3月3日NUM全国特別代議員大会がロンドンで開催され、無協定のまま、ストライキを中止し、組織的に職場復帰しようという動議がサウスウェールズNUMから提出され、98対91で可決。3月5日にデモ行進の形で組織的に職場復帰した。(*5)、1984年3月12日から全国ストライキに突入したので、358日(それ以前のヨークシャーにおける部分ストも含めると362日)の長期ストだったが、スト終結にあたって、何の協定も合意もなく組合の敗北である。
 ストが長期に及んだのはサッチャーがストの長期化により労働組合を混乱と分裂に導き、弱体化させる目的があったためだともいわれるが、このストにより政府は1兆2000億円の損失となった。(*6)
 
11.ストライキ敗北の意義

 ただし、全国石炭公社は法的には可能であるのに、民事損害賠償訴訟を提起していない。提訴したのは、就労派の組合員や、ピケッティングで不利益を被った他の業者であった。そこまで追い詰めると、関連産業の同情ストが広がる危険性があったためだと考えられる。それでも1兆2000億円を損しても、NUMを決定的な敗北に追い込んだということで、それ以上の価値のあることだったと私は思う。 
 サッチャー政権は、それまでは譲歩せずにはイギリスでは政治が行われないといわれた労働組合、なかでも最強といわれる全国炭鉱労組NUMと対決して勝利した。労働組合とは正面から戦って政治はできないという「戦後コンセンサス」を破壊したことの意味が大きい。(*7)
 それより重大なことは、田口典男のいうように「団体主義的労使関係からな個別主義的労使関係」へのパラダイム転換の契機となったことである。(*8)
 サッチャー政権の労働政策は、従来の労働政策と異なり、スト規制、ピケット規制、組合登録などの労働組合に対する外部的規制にとどまらず、組合民主主義の推進ののために組合投票の公費支出、組合執行部の選挙などに関する内部的規制によって、労働組合を事実上弱体化させる立法を行った。
 つまり労働組合の団体の力を削いで、組合員個人もしくは非組合員を含む労働者個人の権利を尊重、保護、明文化する立法政策を行った。労働団体による統制より個人の権利、選択の自由を重視する価値観である。
 マスメデイアは就労労働者が何人、スト脱落者が何人ということを、連日のように報道しただけでなく、ピケットラインの暴力行為や、警察の介入に焦点をあてて報道したが、総じて炭鉱ストライキに批判的だった。既に述べたように比較的労働組合に好意的な『ガ-ディアン』ですら、スト賛否投票なく全国ストに突入したことを批判した。
 わが国では、プロレーバーはピケットラインの暴力ないし物理的妨害はストライキ維持のため必要なものとする見解が強くあるが、イギリス人は炭鉱ストの暴力的なピケットラインの報道をみて、スト支持の国民もストライキに批判的な意見を変えていったという。(*9)
 またサッチャー首相は節目、節目で、「ピケラインを突破して戦場に赴く人々の勇気には、心からの賛辞を贈ります。」というようにスト破りの就労派組合員の賛辞を述べ、暴力や脅迫にもめげずにがんばるその家族を励ました。
 労働組合主義からすればスト破りは卑怯者ということになるが、そういう価値観を否定して、就労する個人の権利の尊重を前面に出し、国民もそれを支持したし、労組が暴力と脅迫で組合員を支配することは許さないということを示したことに決定的な意義、パラダイム転換があると私は考える。
 労働立法を知らない人でも、フライングピケット戦術が違法であり、それが悪質なもので、二次ピケや大量動員ピケも違法で警察の介入を招くことは報道により多くの国民が知ったはずだ。そしてそれを政権交代により再び合法化することの愚を学習したと思う。当時の労働党党首キノックですらピケットラインの暴力に批判的になった。
 結果的にこののちブレアの登場で労働党は政策変更し、組合承認制度の廃止など保守党の政策の一部を変更したものの、サッチャー政権の労働立法の根幹部分は改変されなかった。フライングピケや不満の冬でロンドンの町がゴミだけになるのはこりごりということで学習した成果だと私は思う。
 

*1 風間 竜「358日間のイギリス炭鉱ストライキについて 」『経済系』(通号 144) 1985.07
*2早川征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984~85年)』お茶の水書房2010年 126頁以下
*3早川征一郎 前掲書133頁
*4山崎勇治『石炭で栄え滅んだ大英帝国-産業革命からサッチャー改革まで-』ミネルヴァ書房2008年  190頁
*3早川征一郎 前掲書 128頁
*4早川征一郎 前掲書 132~133頁
*5早川征一郎 前掲書 135頁
*6風間 竜 前掲論文
*7梅川・阪野・力久編著『イギリス現代政治史』小堀眞裕 第7章「戦後コンセンサスの破壊 サッチャー政権 一九七九~九年-」ミネルヴァ書房2010年
*8 田口典男『イギリス労使関係のパラダイム転換と労働政策』ミネルヴァ書房2007年 第3章
*9 田口典男 前掲書 第7章213頁

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