反コレクティビズムの勝利-イギリス1984-85年炭鉱スト、1986年ワッピング争議における労働組合敗北の歴史的意義について(10)完
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ワッピング争議におけるストライキの態様は後述する二次的争議行為を除くと、主としてワッピングの新社屋の入構阻止のためのピケッティングと、連日行われた50~200人のデモ、水曜と土曜にワッピング周辺で行われた行進や大集会である。水曜・土曜はスト支援者も含めて700~7000人が参加し、同様の行進と集会が、旧社屋のあるグレイズイン通りとブーブリー通りでも行われた。またピケッティングは新聞のトラックによる配送業務を行っていたTNT運送会社の新聞集配所でも行われた。
しかし、サン及びタイムズ新聞社が用意周到なスト対策の準備を行っていたこともあり、新聞を休刊に追い込むことはできなかった。警察の介入も早く1月24日のスト開始以前にはすでに関連地域一帯の道路封鎖が許可され、23日にはタイムズ社周囲は車が移動させられ、警官がとり囲んでいた。マスピケッティングやデモの逮捕者はのべ1370名に及んだ。1986年末までに警察の費用は530万ポンドがスト取締に使われ、15万労働日というロンドン警察の3分の2の警察力を投入したのである。炭鉱ストでは警官は通常の制服だったが、完全武装の機動隊やガス弾を発射する騎馬隊が投入された。組合員18万の1984-85年の炭鉱ストが21万3千労働日の警察力投入であったから、組合員6千人の一企業のためになされた警察力の投入としては大きい。厳格なクローズドショップで、労働市場と作業工程を支配していてた印刷工組合を粉砕するサッチャー政権の意気込みのほどがうかがえられる。
また新聞社がサッチャー政権の労働法改正で免責から除かれた違法争議行為については 素速く提訴し、差止請求を行い、損害賠償をも求めたのもそのストライキの特徴である。
裁判所も迅速に対応し、差止命令-差止命令拒否-法廷侮辱罪による罰金刑、資産差し押さえというという一連の司法介入により労働組合の戦術は身動きがとれなくなった。
最終的に半熟練印刷工組合は、大量動員ピケの差止命令に従い、ピケ6人以下に限定する指令を出したが、解雇された組合員はピケをやめようとせず、コントロールを失った。それにもかかわらず、配送のトラックドライバーはピケを振り切ったし、代替労働者はピケ隊の暴言や小競り合いを振り切って就労したので、新聞を休刊に追い込むことなどできず、労働組合は差止命令拒否により成立する法廷侮辱罪による罰金刑の累積と、違法行為をやめない解雇された組合員のコントロール不能で窮地に陥った。ストは1年近く続いたが、損害賠償請求を取り下げるという妥協を引き出しただけで収拾されることとなった。炭鉱ストに続いて労働組合の完全敗北である。【*1】
このストはコレクティブレッセフェールの終焉を意味する。労働争議に法的に干渉しない、国家は干渉しないという体制ではなくなったのである。マードックは不法行為に対し可能な提訴はたいてい行ったし、争議を収拾するために警察介入、司法介入は当然だという新しい時代の経営者の立場を明確にした。
ワッピング争議組合敗北の最大の意義は、代替労働者が暴言や小競り合いを振り切り就労し、配送のトラックドライバーがピケを振り切り輸送し新聞の生産と販売を維持したことにある。炭鉱ストは組合の中の反ストライキ派によるスト破りだったが、ワッピング争議でではサウサンプトンで募集した新入社員(非組合員)だったし、配送のドライバーも新規契約の運送会社で組合とのしがらみが少なかったとはいえ、自己の就労する権利を行使したことに、国民からの「スト破り」との非難などなかったのである。労働組合主義や階級的団結という立場からすれば、彼らは裏切り者で卑怯者との悪罵が浴びせられるところだが、そういう価値観はこの争議で否定されたといってよい。むしろ全英平均の二倍の給与を取り、タクシー通勤、ホテル住まいの印刷工組合員こそ国民の反感を買っていたのであった。解雇されても同情しないのである。
組合のとった二次的争議行為と違法ピケッティング戦術は殆ど差止請求が認められた。それはいずれもサッチャー政権での労働立法により可能となったものと考える。
1980年雇用法ではピースフルな合法的ピケッティングの権利(1974年法15条)は労働者自身または組合員の就労の場所またはその近くで行われる場合に限定されるものとした。組合員の就労場所以外の事業所や他社で出向いて行われるピケは違法となる。また行為準則(code of practice)でピケ人数を六人以下に限定している。
また争議当事者たる使用者と取引関係にある使用者に向けられる二次的争議行為に対する不法行為の免責を排除した。(二次的ボイコットともいう)
またウィルソン政権の1974年法では労働争議を「使用者と労働者」もしくは「労働者と労働者」との間の紛争と定義され、「労々争議」、縄張り争議、組合員資格に関する争議も含まれていたが、サッチャー政権の1982年法では「労働者と労働者」の文言を削除し「使用者と労働者」を修正し「労働者とその使用者」とした。これにより「労々争議」は免責から外され、「企業内争議」に限定して免責の範囲とした。
○卸売業で働く組合員へ新聞販売ボイコット指令
半熟練印刷工組合は、印刷工だけでなく出版関連の多くの職種を含んでいた。これは二次的争議行為であるため、差止命令が出され、命令に従わなかった法廷侮辱罪で2万5千ポンドの罰金が課された。
○タイムズ別刷の印刷ボイコット指令
タイムズ紙には教育新聞版があって、ノーサンプトンマーキュリーで印刷されていたが、二次的争議が当たるため差止命令が出された。従わなかった熟練印刷工組合には法廷侮辱罪により2万5千ポンドの罰金刑が課された。
○トラック配送会社事業所のピケッティング
サン及びタイムズ新聞社は、新聞のトラックによる配送業務をTNT運送会社と契約していたが、同社の全国各地の事業所でデモやピケッティングは二次的争議行為であり違法ピケであるので差止命令が出された。財産差し押さえで身動きがとれなくなった半熟練労働組合は、差止命令に従うこととなり、TNT社の事業所でピケッティングをしないこと。いかなる方法であれ、TNT社の被用者、事業所、妨害を行わない指令を組合員に出した。
○通信労働者組合のビンゴカード配達ボイコット
郵便労働者がワッピング争議支援のため、ザ・サン紙のビンゴカードの配達をボイコットしたが、二次的争議行為であるため差止命令が出された。
○運輸一般労組のピケラインを越えない指令
運輸一般労組は、TNT社に雇用されている組合員に対し、ワッピングとグラスゴーでピケラインを越えないように指令したが、これも二次的争議行為であるため差止命令が出された。実際にはほとんどのトラックドライバーは組合の指令に従わず仕事を行った。
○熟練印刷工組合と半熟練組合によるワッピングでのピケッティング
労働組合はワッピングの新社屋で印刷された新聞を配送するトラックをはじめ新社屋に出入りする者の入構を大量動員ピケッテイングで封じ込めようとした。これについては新聞社だけでなく配送会社、関連会社より違法ピケッテッングによる不法妨害などの差止を求めて提訴し認められた。また損害賠償請求も併せて行われた。
召喚令状はTNT社の被用者(トラックドライバー)及びその他の労働者で原告と雇用契約を結んでいる者に対する「雇用契約を破棄せよ」との「脅し」の中止を求め、原告の事業所に物品を供給するのを妨げるために、被告の組合員を「扇動」したり、「脅し」たり「励まし」たり「援助」したり、経済的支援を行うことを一切禁じ、ピケッティングを行う場合にはピケット自身の職場で6人以下の要員で行うことを命じた。
高等法院の7月31日の差止を認める判決は、「ワッピングにおけるピケッティングと毎日行われるデモはハイウェイの不法妨害であり、被告は公的ニューサンスの責任を問われるべきである。またワッピングでの週2回の行進と大衆集会はコントロールを失った時は不法妨害に当たり、労働者のバス輸送や追加警備の費用のために損害を被った原告は、この責任を被告に問うことができる。また原告の従業員の中にはピケッティングやデモにより深刻な脅迫を受けて離職したものであり、これらの行為は脅迫の不法行為を含んでいる」と判示、「ワッピングでピケッティングに参加しているものは、平和的に情報を得よう、あるいは交換しようとするためにのりみそこにいるのではなく、また、労働の提供をしないようにと説得するためにのみそこにいるともみとめられない。ワッピングでは暴力を伴うピケッティングがおこなわれている」という原告の主張が認められ、ピケッティングに伴う「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)の存在が認定された。
裁判官は大量動員ピケッティングに差止め命令を出した。「デモを含みピケットは6人以下とする。ワッピングへの道路上でのピケッティング及びデモの組織の禁止、グレイズイン通りとブーブリー通りの旧社屋前でのピケットも六人以下に限る」としたが、行進と集会については平和的である限りピケッティングとみなさないとした。【*1】
○大量動員ピケッティング差止命令はどう評価されるべきか
イギリスにおけるピケッティング規制の範囲であるが、小宮文人はメージャー政権の1992年法(1980以降の雇用法を進展させたもので)のピケッティングについて次のような説明をしている。
そもそもピケッティングは、コモンロー上、不法行為を構成する。その理由はピケッティングを成功させるためには契約破棄の誘致又は違法手段による営業妨害が必要だからであると述べ、また不法妨害(ニューサンス)、脅迫、不法侵害(トレスパス)に該当する場合がある。
1992年法220条は次の場合に、ピケッティングを不法行為責任から免責する。つまり、そもそも不法行為だが、次の範囲で制定法で免責という意味での適法性である。1986年の段階でも基本的には同じことである。
免責される範囲は、「労働争議(219条で規定する範囲に限定)の企図または推進のため、その者の職場またはその付近、その者が失業しており、かつその最後雇用が争議行為に関連して終了せしめられ、または、その終了が争議行為の原因の1つとなった場合には、その元の職場またはその付近、その者がある一定の場所で労働しないか、または、その者が通常労働している場所がピケッティングの参加が不可能な場合には、その者がそこを起点として労働している、あるいは、その者の労働を管理しているなんらかの使用者の不動産において、または、その者が労働組合の幹部である場合は、その者が付き添いかつ代表している組合員の職場または元の職場その付近で、平和に情報を得または伝えあるいは平和的に他人に労働するようまたは労働しないよう説得するだけの目的で参集すること。」【*2】
より具体的には行為準則で示され、一般に1つの出入り口に6人以上のピケットを置くべきではないとしている。行為準則はそれ自体法的拘束力はないとされる。
しかし訴訟上考慮されるのであり、炭鉱ストの Thomasv.N.U.M(S.Wales Area)[1985]ICR886(Ch.D1)で行為準則で定められている人数より多いピケットを組織することを差止めた。(ワッピング争議もそれと同じである。)
違法ピケッティングからの使用者の救済として、使用者は違法なピケッティングが、その不動産の外側で行われたと確信する場合、その行為が1992年法219条および220条の範囲外の場合には、高等法院に差止を求めるか、選択的または一緒に、損害賠償訴訟を行うことができ、さらに、公道を妨害し、人身または財産の危険を生じせしめるときには、警察に訴えることができる。ピケッティングは場合によっては刑事責任を生じさせる。(241条)
1980年の行為準則が翻訳されているので一部を引用すると次の通りである。
「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようににおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。
何者かに脅威を与えもしくは威嚇し、または何者かが職場に入ることを妨げるピケッティングは刑事罰の対象になる。規則に従わないピケッティングによって、その利益が損なわれる使用者または労働者は、民事上の法的救済を受けることができる。彼はこの行為に責任を有する者を相手どって損害賠償を求めることができるし、裁判所に違法はピケッティングの差止命令を求めることもできる。」【*3】
またワッピング争議の2年後、サッチャー政権の労働改革の総仕上げとなったた1988年雇用法は、労働組合の団体的権利に対して、組合員個人の権利(自由)を擁護するかたちで裁判所、労働審判所あるいは労働組合関係に関して一定の公的事務を行う認証官等が労働組合の内部事項に国家が介入を行いうる途を大幅に開放しただけでなく、労働組合員により不当に懲戒されない権利が規定された。これは批判者が「スト破りの権利章典scab,s charter」と呼んだものだが労働改革の一つの到達点を示すものである。
1988年雇用法はストライキを実施しようとする組合が1984年労組法および88年雇用法のの規定している厳しい投票実施要件を適正にクリヤーして多数の賛成を取得し、ストライキに入ろうとするとき、そのストライキに参加することを拒否する組合員がいても、彼らを統制違反として制裁の対象としてはいけないとした。この立法の思想は、そもそもストライキは組合員にとっては収入が減少し、成りゆき次第では職業を失いかねない危険なものである。したがって、それに参加するか、しないかの決定権は労働組合によりも組合員にあると考えるべきである。つまり労働組合の団結する権利よりも個人の自由な決定権が優越的価値をもつものだというものだ。
イギリスの労働組合は、統制違反の著しい組合員に対してしばしば反則金(1000ポンドぐらい)を課したり組合員の地位に伴う一定の権利や利益の享受を一時的に剥奪し、著しい統制違反に対しては除名処分も行う。もちろん、スト指令が制定法上、労組規約上、あるいはコモンロー上違法とされる場合にはそのストライキに参加したことを理由に制裁できないことは1971年労使関係法以来確率されていた法理であるが、1988年雇用法はストライキがあらゆる点で適法であっても、それへの参加、不参加は個人の自由な決定に委ねられるべきだとしたことである。
しかもそれだけにはとどまらなかった。①ストライキ指令のみだけでなく、②ストライキの支援、支持行動の指示に従わないこと、③ストライキに反対の表明をしたこと、④ストライキに対する不支持を表明すること、⑤労組役員が労組規約にら違反していると主張し続けること、⑥労働協約に違反したストライキであると主張すること、⑦執行部が法定の投票要件に従ってないと主張することなど19種類の行為を揚げて制裁理由としてはいけないこととした。つまり、指令に反しストライキを途中でやめてスト脱落者を励まし支援しても制裁の対象とならないというものである。【*4】
なお、1988年雇用法は事前に投票が必要なストライキを「労務の集団的停止」と定義し、任意の職務、時間外労働の禁止もストライキ投票に付さなければならないとしているが、ピケット権というものは「ストライキ」の定義から外れるものとみてよい。制定法がストライキに参加しない権利を擁護しているのであり、この脈絡においても、ピケッティングの態様にはおのづと限界があるとみなしてよい。
以上の保守党政権の制定法による規制は、ブレア政権でも変更されなかった。国民も労働組合の統制より個人の権利自由を支持しているので、政権交代でも替えられなかったとみることができる。
こうしたイギリスのピケッティング対応をどう評価すべきかだが、私は満足できない。その理由は行為準則が「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。」としているが、これは、ダイシーやポロック卿などが悪法と非難し、民事免責と争議権を確立したとされる1906年労働争議法の第二条「単に情報を平和的に獲得ないし伝達する目的でなされるか、あるいは、ある人に労働するか労働を棄てるかを平和的に説得する目的でなされるのであれば、合法的である」【*5 225頁】としているのと同じであることである。
労働組合の刑事免責を確立したとされる1875年共謀罪・財産保護法第7条ではその者が居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合せた家屋その他の場所またはそれへの通路を監視または包囲することを禁止したが、但し書きで。
単に情報を授受する目的で他人の居住し、労働し、事業を行いもしくは偶然居合わせた家屋その他の場所またはそれらの通路に待機する(ateend)」ことは「監視・包囲」とみなさない【*6 227頁以下】として、一応ピ-スフルピケッティングを容認したかみえる規定を置いたが、実は平和的説得によるピケッティングを規制しうるものだったのである。
容認したのは単に情報の授受であるから、ストライキをやっていることを伝達できるが、労務提供をやめるよう説得はできないのである。
1876年のR.V.Bauld判決は、1875年共謀罪・財産保護法が情報の授受以外に何事も規定しておらず、平和的に他人を説得してストライキに加入せしめるためのピケッティングは犯罪と判示した。【*6 229頁】
1896年のリヨンズ対ウィルキンス訴訟Lyons V.Wilkins Caseは仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とされたのである。【*5 5頁】この判例によると人を「スト破り」blacklegと 呼ぶことは脅迫行為と考えられている。第七条にあるように、他人に合法的なことをするよう、あるいはしないよう強制する目的で、監視・包囲することは違法行為とされた【*5 129頁】
平和的説得まで容認している点で、保守党政権の労働改革は本当の意味で1906年法体制を否定してはいない。1906年以前のあり方と比べれば、労働組合に有利な性格を有しているといえるだろう。
アメリカでも1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229 が「ピケ・ラインをはること自体脅迫であり違法である」としている。1921年のアメリカン・スチール・ファンダリーズ対三都市労働評議会判決AMERICAN STEEL FOUNDRIES v. TRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCIL, 257 U.S. 184 (1921)「グループでやるピケットの人数が脅迫を構成する。ピケットという言葉そのものが戦争的目的を含んでいて平穏の説得とは両立しがたいのである。」とし、ピケットは工場、事業場の出入口ごと一人に限定されるべく、その一人も悪口、脅迫にわたってはならず、嫌がる者に追随してはならない。また工場などの近くでぶらぶら歩きをしてはならないという判例法が成立した【*7】
1932年ノリス・ラガーディア法以前のアメリカ・スチール・ファンダリーズ判決つまり1921年のタフト長官(元大統領)による判例がピケットは辛うじて出入り口に1人なら認めるが悪口も許さないものであったから、これとの比較でも6人まで認めるイギリスの行為準則はそれでも労働組合に有利なものといえるのである。
というわけで、私は平和的説得も反対なのであって、決して最善の法改正ではないことを断ったうえで、にも関わらず、先進的立法として評価して良いと思うのは、ワッピング争議でも「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)があればそれは合法的なものではない歯止めが示された。1980年雇用法行為準則にも
「暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようににおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。」として、1988年雇用法ではたとえ合法的ストであっても、ビケラインを越える組合員個人の権利を明定したのであるから、他人の権利侵害は否定し、消極的団結(団結否認)権を認めていることは評価してよいのである。
これが考えられる妥協の最低ラインだろう。つまりイギリスの場合はあくまでも個人の権利の総和としての団結であって、労働組合に組合員や他の労働者の自己決定を否定し、団体行動を強制する全体主義的な威力をもたせないあり方にしている点で健全なあり方と考えるのである。
翻ってわが国のピケッティングをめぐる状況は、労働省がピケ通達(〈労働関係における不法な実力の行使の防止について〉1954年11月6日)を出して、平和的説得の範囲を越えるピケは違法であると警告していたが、プロレーバー労働法学者が猛反発して平和的説得論は労働者側を敗北させる理論として、実力阻止を認める、説得のため実力阻止を認める、説得の限界を超えたスクラムなどの防衛を認める、階級的団結として強制力を認める等々の非情に悪質な学説が流布された結果、非情に労働組合に有利な解釈が説かれることが多い。
戦後労働法学批判が十分なされていないことに強い懸念がある。明らかにわが国の労働法制は、。消極的団結権を明定している英米よりもずっと労働組合に有利で左翼的な体制なのである。ここに問題がある。
しかし憲法28条は労働組合に他人の権利を侵害し強制力をもつ権利を与えているという解釈は疑問であり、私は、英米法の理論を調べた感想からすれば団結というものも個人の権利の総和以上の団体の強制力としてとらえることには反対であり、そのような観点から「ピケット権」のあり方も根本的に見直すべきである考える。民主党菅直人政権が公務員に争議権を含めた、労働基本権付与を政治日程にのせた以上、ピケットの態様は大問題であり、労働協約改定期に公務員が長期ストを構えた場合の危機管理も必要であるから、この点を煮詰めて具体的な提案を行いたい。
【*1】家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.168, 1997, p.105-150 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/dspace/handle/2237/5752家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(2)完 : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.169, 1997, p.153-195 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/dspace/handle/2237/5761
【*2】小宮文人『現代イギリス雇用法-その歴史的展開と政策的特徴』信山社出版2006年
【*3】小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11
【*4】渡辺章「イギリスの労働法制とその変遷(講苑)」『中央労働時報』804号 1990
【*5】松林高夫『イギリスの鉄道争議と裁判-タフ・ヴェイル判決の労働史』ミネルヴァ書房2005
【*6】片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
【*7】有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971
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