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2011/04/30

下書き-Lochner era(広義)の主要判例(1)

順不同でピックアップし、あとで連結してまとめる

◎良い判決
×悪い判決

◎合衆国対バトラー判決United States v. Butler, 297 U.S. 1 (1936) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=297&invol=1(争点-課税権条項 要旨-人為的な農産物価格つり上げを目的とする生産制限プログラムに従う農民への補償金の財源を、農産物加工業者の課税でまかなう1933年農業調整法(AAA法)は、修正10条に反し違憲無効である。国内の農業の生産調整は州に留保された権限で、連邦政府による規制の対象領域を超えており州権の侵害である。)

1.農業加工税による価格支持政策

1929年に勃発した世界恐慌のアメリカ農業への打撃は甚大だった。アメリカ農業は植民地時代以来、代表的な輸出産業であり1929年においても輸出依存率は綿花47%、小麦17%、豚13%、全農産物平均で17%であったが、欧州諸国による極端な農産物輸入制限措置などにより、アメリカの農作物輸出市場は決定的に失われ、1929-32年に輸出額は小麦26.6%、綿花44.8%、とうもろこし9.1%、食肉24.1%に激減、過剰生産の結果、農産物価格は暴落し1929-31年に農産物卸売物価は45.9%の水準へ、内訳では小麦36.7%、とうもろこし39.8%、綿花38.8%、豚37.7%に激落した[*1]。1929-1932年純農業所得は64%低下する壊滅的打撃をこうむった[*2]。それと同時に大量の農場抵当流れ、農家破産が生じ、1930-32年に農村部銀行の3448行が倒産した[*1]。
 1933年大統領に就任したFDRは、農業救済を失業救済、労働組合保護などともに最緊急課題として特別立法を議会に要請し、同年5月に政府主導によりニューディール政策の根幹となる 農業調整法Agricultural Adjustment Act が制定された。
 同法の基本的なねらいは、連邦補助金の支払いにより農産物の減反・減産による供給削減を促すことにより、人為的に価格をつり上げ、農村の窮状を救済し、農民による工業製品の購買力を向上させることにより不況を克服しようというものである。
         
 政策目標として、農業黄金時代の戦前(1909~14年)水準まで農産物価格をつり上げる(但しタバコのみ1919~29年水準とする)「パリティ価格」水準を設定し、目標を達成させる機関として農業調整局が創設された。
 対象農産物は、基本的農産物として小麦・綿花・とうもろこし・豚・米・タバコ・ミルク及び乳製品の7種を指定していたが、35年までに16種に拡大された。
 農業調整局の地方委員会は、これら農産物の生産者との間に減反もしくは減産の協定を精力的に結び、その生産統制に対して補助金の支払いをなした。なお協定は農民との任意協定で強制的なものではない。
 例えば綿花は1933年に豊作が予想されたうえ、通常の3倍の800万梱の在庫を抱え、このままでは価格暴落が必至だったため、各農民に作付面積の25~50%の綿花を廃棄するように求めた結果、103万2千人との協定がなされ、削減された耕作地は35.1%に及んだ。収穫直前の綿花をすき倒したのである。豚は600万頭の子豚と20万頭の雌豚が屠殺され、一部は失業者救済のために使われたが、九割を廃棄処分とするなど過激な供給制限が行われた[*3]。 
 農業調整法は連邦補助金の支払いの財源として、農務長官には加工税を賦課する権限を与えた。
加工税は、生産統制が適用される当該農産物の国内における第一次加工に課せられる一種の売上税で、またこの税は競合商品にシフトすることを抑えるための補償税によって補完され、加工生産物の輸入にも課せられる[*2]。同一加工税-補償金方式という[*1]
加工税は、農務長官の定める公正な交換価格(パリティ価格)と現行市場価格との差額相当分を賦課される[*1」。従って農産物の価格が上昇すれば、加工税の負担は軽くなり、価格が安いと加工税が重くなるように変動する。
この政策は「奨励金(補助金)をインセンティブとする生産制限」であり[*4]。補助金の財源を一般歳入とせず目的税でまかなうのが特徴である。
  つまり変動する売上げ税である「加工税」(価格上昇分も同じことだが)の担税者は農産物加工業者であるが、結局は消費者にコストが転嫁される。農産物生産者を救済するための生産者-消費者の間における事実上の所得移転であり、同法の価格支持政策とは所得再分配とみることができる。

                               
2. ホーザック・ミルズ事件判決

 農業調整法は小麦生産者では6対1、とうもろこし・豚生産者では8対1、タバコ・、綿花生産者では9対1の割合で支持されていた[*5]。一方、加工業者や卸売業者は反対し、全米で1700件の訴訟が提起された[*6]。このうち、ホーザック・ミルズ会社の管財人による加工税を徴収しようとする方針について合憲性を問う訴訟が最高裁に係属しUnited States v. Butler、1935年12月から審理を開始、農業調整法に反対するペッパー弁護士は、同法の承認は自由の終了に等しいという激しい調子の意見を述べた。
「おそれながら申し上げますが、はっきりいえば、私は私が今日ここに私の愛するアメリかの大義を訴えるために立っているものと信じております。私は全知全能の神に、私の時代において『自由な者の土地』に替わる『統制された者』の土地をお受けにならないことを祈ります。」[*7]
 1936年1月6日に早々と判決が下されたが、連邦最高裁は6対3の票決で、農業調整法(AAA)を違憲と判示した。
 ロバーツ判事が法廷意見を記し、ヒューズ主席判事、ヴァン・デヴァンター、マックレイノルズ、サザーランド、バトラー各判事が同調、ストーン判事が反対意見を記し、ブランダイス、カードーゾ各判事が加わった。 
                                                                  
ロバーツ判事による法廷意見は、以下の理由で農業調整法を無効と判断した。連邦政府は合衆国憲法1条8節1項の課税権条項に基づいて一般的福祉のために租税を賦課・徴収することを認められているが、租税とは政府の経済的生存を支える資料であり、農業調整法の加工税はそれにあたらない。農業調整法の加工税は租税ではなく農業生産を規制する一般的仕組みの一部であるが、その規制は修正10条により州の権限として留保されてている。連邦は憲法で明示された以外の権能をもち得ず、農業生産の規制は連邦の権限として挙示されていないためそれは禁止されている。連邦が禁止されている目的を付与されている権限の行使と偽って達成しようとすることは州のポリスパワーの簒奪である。[*8]
 
  争点となった合衆国憲法1条8節1項の課税条項とは「連邦議会は次の権限を有する。合衆国の国債を支払い、共同の防衛及び一般の福祉に備えるために、租税、関税、付加金、消費税を賦課徴収すること。ただし、すべての関税、付加金、消費税は、合衆国全土で同一でなければならない。」である。また修正10条は「本憲法によって連邦政府に委譲されず、また州に対して禁止されなかった権限は、それぞれの州又は人民に留保される」と定めている。
  政府側の主張は課税条項の「一般の福祉」規定は国家の福祉に関するすべてのことを含むように広く解釈されるべきで、連邦政府の権限は州に留保された権限に付加されていると論じた。
  これに対し、ロバーツ法廷意見は農業調整法が許されれば、「一般の福祉」規定は各州に留保されている権限を徹底的に破壊する道具になり、各州の主権は抹殺される。連邦政府は各州に対して無制限の警察権を行使する中央と警告を発したのである。[*9]後に最高裁判事となるジャクソン訴務長官は「行政府にとって決定的な失望」であると述べた[*10]。
  私が思うに、最高裁は南北戦争以後州権を重んじる、判断を下しており、ハマー対ダーゲンハート判決Hammer v. Dagenhart, 247 U.S. 251 (1918)などの先例からみて違憲判決は妥当な判断である。
 
  ストーン判事の反対意見は、国家目的と一致する条件下に連邦から与えられている補助金は明らかに連邦支出権限に含まれると述べた[*11]。さらに司法の自制理論を展開する。「裁判所の制定法を違憲と宣言する権能は、二つの判断形成上の指導原則に服するのであって、司法部はゆめゆめそのことの自覚を失うべきではない。一つは、裁判所は唯、制定法を制定する権能を問題とするのであって、その賢愚を問題にすべきではないことである。二つは、政府の執行部門・立法部門の権能の違憲的行使は、司法的抑制に服するのに対して、われわれ自身の権力行使に対する唯一の抑制は、われわけ自身の自己抑制意識以外にはないということである。愚かな法を法規集から除去するについては、訴えは裁判所に対してではなくて、投票所および民主制の政治過程に対して向けられるべきものである」[*12]
  ストーン判事は母校がクーリッジ大統領と同じアマースト・カレッジであったため、最高裁に任命された。共和党員であるがニューディ-ルに好意的だったため後に首席判事となる。しかし、上記の見解は、有名な1938年キャロリーン・プロタクツ判決の脚注4、キャロリーンドクトリンにおける宗教上人種的少数者の市民的自由を制約する立法に就いては司法積極主義を躊躇しないとする見解と、若干違和感を感じるものである。

  [*1]小松聰「ニューディール農業政策の成立  農業調整政策(一)」『筑波大学経済学論集』22号 1989年9月http://hdl.handle.net/2241/90879
[*2]小松 幸雄  柏 博「ニューディールの農業政策」『同志社大學經濟學論叢』15(2) 1965年8月(ネット公開 )
[*3]河内信幸『ニューディール体制論-大恐慌下のアメリカ社会』学術出版会2005年 207頁以下
[*4]村上和光「ニューディール政策の展開と景気変動過程(上)」『社会環境研究』10 2005年3月http://hdl.handle.net/2297/17183
[*5]楠井俊朗『アメリカ資本主義とニューディール』日本経済新聞社 108頁
[*6]河内信幸 前掲書  382頁
[*7]ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』八千代出版1994 126頁
[*8]河内信幸 前掲書 377頁
[*9]前掲書 382頁
[*10]ラッセル・ギャロウェイ前掲書 125頁
[*11]河内信幸 前掲書 382頁
[*12]酒井文夫『国家と法の比較研究-違憲審査制と基本的人権の考察』聖学院大学出版会1994 141頁 

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