団体交渉コレクティビズムから個別雇傭契約自由放任主義へパラダイム変換(下書き10)
前回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-c017.html
合衆国-非組合企業隆盛の理由(10)
1.アメリカの経営者の反労働組合主義と憲法革命以前の保守的な司法
承前
● Lochner era(ロックナー時代)の経験(2)
(4)労働時間規制を合憲としたバンティング判決とミュラー判決をどう評価すべきか
1890年から1937年まで主としてデュープロセス条項によって55の連邦法と228の州法が違憲とされている【*1】とはいえ、ロックナー時代を過大評価をしてはいない。アメリカ社会の左傾化の防波堤となったのは、実体的デュープロセスだけではなく、むしろレイバー・インジャンクションの裁判所の支持が大きいと私は考える。また裁判所は20世紀の革新主義的政策のすべてに立ち向かったわけではないし、革新主義的政策の侵入を許しているからだ。例えばバンティング判決やミュラー判決が挙げられる。
ロックナー判決は1917年のバンティング対オレゴン判決BUNTING v. STATE OF OREGON , 243 U.S. 426 (1917) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=243&invol=426で黙示的判例変更がなされた。これはオレゴン州で工場労働で一般的に一日10時間労働を定め、所定時間外の割増し賃金を定める州法について、ロックナー判決に言及せず、合憲判断とした判決だった(法廷意見は何とロックナー判決で多数意見に与したマッケナ判事。これにホームズ、クラーク、デイ、ピットニー各判事が同調、反対-E.ホワイト主席判事、ヴァン・デヴァンター、マクレイノルズ各判事。なおブランダイス判事はこの訴訟に係わっていたことから審理不参加)。
アメリカ合衆国における平均労働時間は1865年に11時間、1884年に11時間半だった【*2】ことから、10時間が長時間労働とは思えない。工場労働に限定されているとはいえ、契約の自由をないがしろにしていることでワースト判決である。つまり、ロックナーは明示的に判例変更されなかったものの、労働時間規制が違憲とされたのは12年間と短かったのである。この時期の最高裁の陣容をみると、一貫した保守派はヴァン・デヴァンターとマクレイノルズだけであり、保守派が薄い時期の判決でもあった。労働判例ではタフト任命のピットニー判事が就任期間が短かったもののキーパーソンであったことがわかる。
オレゴン州における洗濯業における女性について1日10時間以上の労働時間を規制する州法を合憲とした1908年のミュラー対オレゴン判決MULLER V. OREGON, 208 U. S. 412 (1908) http://www.larrydewitt.net/SSinGAPE/muller.htmはロックナー判決の枠組みを変更するものではないが、現代においてはワースト判決と評価してよい。1954年公民権法タイトル7により雇用上の性差別される事例だろう。女性を従属的な性とみて、庇護され保護されるべきというロマンチックパターナリズムそのものであり、現代の性差別撤廃の趣旨では排撃されるべき立法である。ただし当時は、女性は合衆国憲法修正14条「いかなる州も、人から法のデュー・プロセスによらずして生命、自由もしくは財産を剥奪してはならない。またいかなる州も、その管轄権の中で何人にも法の平等な保護を否定してはならない。」の「人」に女性は含まれないものとされていた。「人」に女性を含むとされたのは1971年のリード対リード判決以降なのである。要するに女性は契約の自由をみ享受する権利の主体とはされなかったから合憲判断なのである。なお合衆国において女性に選挙権が付与されたのは1920年の修正第19条からである。
法廷意見は極保守派でロックナー判決でも多数意見に与したブリューア判事が執筆し、多くのことを語っているが、要点は女性は「契約の自由」を享受する市民とはみなされなかったことにある。「女性は常に男性に男性に従属してきたことは歴史が明らかにしている‥‥未成年者と同様‥‥女性は、裁判所において、権利が保護されるよう特別な配慮が必要な存在と見倣されたきた‥‥女性には、それらの権利を完全に主張することを妨げる気質と生活習慣が存在している‥‥政治上、人身上、契約上の権利の制限がすべて取り除かれても、女性の性質からして女性は男性に従属し保護を求めるだろう‥‥これらの事によって男性から区別されるため、女性は女性だけのクラスに位置付けられるのが相当であり、女性保護を目的とした法律は、例え男性には支持され得ないものでも、支持される」と女性についてステレオタイプに理由付け結論している。
私は「人」に女性を含む必要はないという趣旨で1971年のリード判決に反対であり、ブリューア判事にに敬意を表し原則論としてはミュラー判決を支持してもよい。しかし、女性の保護者である男性の判断を尊重していないという点で問題のある判決だといえる。裏返して言うと、契約の自由を侵害する規制立法が容認されている現代は、男性が女・子ども並みに扱われているということを物語るものである。
【*1】中谷実『アメリカにおける司法積極主義と消極主義』法律文化社1987 27頁註1
【*2】前掲書 16頁 註2
【*3】「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の成立(2)完 : 最高裁判所のジェンダー分析に向けて」名古屋大學法政論集. v.167, 1997http://hdl.handle.net/2237/5741
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