公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

無料ブログはココログ

ニュース(豪州・韓国等)

意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

Reference Sites

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月の12件の記事

2011/05/28

節電迷惑

 夜、半蔵門線住吉駅までタクシーに乗ったところ、急停車し行きすぎるところだった。地下鉄駅入り口の標識が消えているためで、運転手が節電迷惑だなあとポツリ。
 駅の入り口ぐらい電気付けろよといいたくなる。江東区は道路が碁盤の目で町並みも似ているため、電車マーク標識に電気つけてないと通り過ぎることがありうるということだ。
 だいたい東電管内の原発が全部止まった2003年は電力危機といわれながら十分足りたし、街も明るかった。私のつとめていた東京都水道局千代田営業所は摂氏23.5度の低さ強風なので寒気がするほど。低すぎるとクレームをつけたことが発端で、私は昇給停止処分にされたことは再三書いたとおりで、節電呼びかけは無視されていたにもかかわらず問題なかったのである。
 原発の依存度が高いのは関西電力であり、東電はもともと原発が止まっても足りるだけの供給能力があるというのは報道されているとおりである。
  

2011/05/25

ケイト妃 オバマ夫妻と会う スタイル抜群だと思う

オバマのイギリス訪問という軽い記事を見る。デイリーメールの写真を見ると主役はケイト妃だな。http://www.dailymail.co.uk/news/article-1390291/Obama-London-visit-President-hails-partnership-Britain-beginning-day-state-visit.html
 

2011/05/24

財産権保護とアメリカ的制憲主義その1

 国家公務員に団体協約締結権付与6月3日閣議決定はまったく不愉快であるが、このような1960年代型の時代錯誤な政策が推進された事態を招いたことに未来の国民に申し訳なく思う。しかし冬の時代に力を蓄え、Right to Work (反団結)の立場で巻き返しの努力をしていきたい。こんな悠長なことで巻き返しできるのかと疑問をもたれるかもしれないが、ようやくやる気で出てきたのでやる。心臓病だなんだかんだと言っているのはそのいいわけだった。オーストラリアやニュージーランド、米国とイギリスとひとおり研究してから実践に入るという将棋でいえばまだ櫓を囲ってる状態で、戦争は準備が整ってから一気にやるつもり。

 広義のロックナー時代の判例理論をまとめて提示する趣旨だが、アメリカ的制憲主義と財産権は関連したテーマである。

 ブラックストンの『英法釈義』(1765~69)によれば「財産権ほど、かくも広く人類の想像力を喚起し、その心を魅了するものはない。それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものてある」「第三の絶対的な権利、これはイングランドの人間なら誰もが生まれながらにして持っているものだが、この権利とは財産についての権利であり、それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである。そして、その制約を受けたり減らされたりすることは、唯一国の法律によるのでなければ、一切なしえないのである」と述べている【*1】。
 極保守派ブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)は1891年のイェール大学の有名な講演で次のように述べた【*2】。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」

 偉大な少数意見裁判官と称されるハーラン判事(先代John Marshall Harlan任1877~1911)は「財産の正当な保護は、共和諸制度の死活的原理と見倣されてきた」Chicago, B. & Q. R. Co. v. Chicago, 166 U.S. 226 (1897)http://supreme.justia.com/us/166/226/case.htmlhttp://supreme.justia.com/us/166/226/case.html1887と述べたが、山口房司は財産権保護はアメリカ的制憲主義に全的に一致すると断言しているとおりである【*3】。違憲立法審査を確立したマーシャル主席判事がやった事は、全国的市場の創出と、財産所有者の権利保護であった。 

 そもそも独立戦争のスローガンはコーク卿が述べた憲法原理、マグナカルタまたはコモンローに基づく「イギリス人の権利」に反する議会制定法は、そのことによって無効であるという、憲法原理を利用したものだった。に反するから植民地人を拘束しないと主張したのである。
 第一に、歳入確保には(貴族)代表団の同意を必要とするものである。「代表なくして課税なし」というスローガンになった。つまりアメリカ植民地はイギリス本国議会に代表を送っていないから、また代表を送ることは事実上不可能であるから本国議会は植民地に課税する権限を持たないと主張し、印紙税法などの本国議会の制定法は植民地の同意なくして課税するものでありイギリス憲法に反するから植民地人を拘束しないと主張した【*4】。
 第二に1215年マグナカルタ39条「自由人は全て同僚の合法的判断及びこの国による法以外には、逮捕、投獄、財産の不法没収がなされることはない」であり、これが修正5条のデュープロセス原理の前身である。
 この文言はほとんどそのままの姿で各植民地に移植された。例えばマサチューセッツは「法と自由」にいわく「いかなる人の財物も不動産も-徳目またはこの国の法に明記された衡平法によらない限り奪われることしはない」。【*3】。
 1787年のフィラデルフィア制憲会議代表団には個々の利害対立はあるものの「疑いのない同意」があった。通商と商業は社会的善であり、州の警察権能(ポリスパワー)を抑制する制度や、商業は公権力を排除し、私的な取り決めで下支えされるとき最も良く育成されるという「強い信念」だった。サウスカロライナのJ・ラトレッジは、フィラデルフィア会議に次のような助言を寄せた。「財産こそが社会構成の主たる目的である」ハミルトンは「政府構成の最大目的の一つは個人の保護と財産の保全である」と繰り返し述べた。憲法制定の翌年J・アダムス曰く「財産は保有されなければならない。でなければ自由は存在しない」と【*5】。

【*1】リチャード・A.エプステイン 松浦 好治訳『公用収用の理論―公法私法二分論の克服と統合』 37頁
【*2】ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』 八千代出版1994年 89頁

【*3】山口房司「アメリカにおける自由と生得の財産権との結合 : 植民地時代から連合規約にかけて」『山口大學文學會誌 』59号2009 http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yunoca/handle/B060059000008
【*4】西村裕三「アメリカの司法審査制に関する一考察-その歴史的発展過程と機能的分析-1-」『広島法学』3巻1号1979
【*5】山口房司「Imperium in Imperio: アメリカ連邦主義の進化と財産権の保護  合衆国憲法批准から好感情の時代にかけて」 『史学』 78巻4号 2009-12 機関リポジトリ-オープンアクセス

2011/05/22

怒り心頭 冷房25度設定

●蛍光灯の間引きは事実上節電の偽装、職員休憩所涼み部屋の冷房は人がいなくても止めないので節電にはなっていない

 こういう些末なことは書きたくないが、インチキをやるのが許せない性分なので書きますが、先週,所長がサービス推進部で夏を乗り切ってくれといわれたとか言いながら、天井の蛍光灯を間引こうとして、営業所窓口レジ付近の蛍光灯を抜き取るジェスチャーをしてたから、そんなとこ抜くなら、所長席の前のスペース抜けばと言ってやったんだ。所長席付近は間引いてなくて、自分の席だけ明るくしてるから。すでに3月の電力不足のときにいくらか間引きはされていて、窓口で料金払うところを暗くしてるのはえらい迷惑なので、そこは抜くなって言ったわけ。廊下が真っ暗だから女性客がトイレどこかわからないと苦情があったことも伝えた。節電のご時世だから暗くてもしかたないと言う。実は女子トイレが、水道局はだいたいそういう仕様になってるが、トイレにはいるところをみられるのがいやだという女子職員の要望で、少し引っ込んで隠れたところトイレがあって、小さなスポットライトが一つついていて、多分LEDでなく蛍光灯だと思うが、それさえついてれば、赤っぽい光でなんとなく女子トイレの位置がわかるのにそれさえつけない。一方、喫煙部屋とか蛍光灯が4本もあるのに全然抜いてないし客から見えないところは抜かない手抜きをやっている。私もタバコを吸っていたことがあるので暗いところで吸うタバコはまずいことは知ってますが。節電しているみせかけとしては来客からよく見える位置の電灯を消しておきたいということのようだ。
 要するに廊下を真っ暗にするのはいかにも節電しているように見せかける偽善なわけである。
 というのはこうです。先週(13日が金曜日の週)も少し暑い日があったが、私が最終退庁になったので、電気の消灯の点検したところ休憩室の空調が付けっぱなしで、20日も東京は27度まで上がったということだが、誰もいないのに8時半までつけっぱなしで、休憩室なんて一度も使ってない私が消した。要するに職員の涼み部屋があってエアコンを日中がんがんきかしている。もちろん28度に設定しているわけでないから、ルール違反なわけでずが、トイレの位置がわからない年配客の迷惑をかえりみることなく、たった1個の小さなライトをつけるのをけちっておいて、LEDなら電気も少量なのに、職員の休憩室のエアコンは既得権になってしまっているために管理職の管理権が及ばず、がんがんつけても止めることはできない。節電といっても庁舎内管理の責任者である管理職は施設管理権を完全に掌握できてないわけだ。組合のアジ演説を解散命令できず、20日にも9時前に事務室内のビラ配りを所長のいる前でやっていたが、一昨年の総選挙の時は、組合掲示板に菅直人や保坂のぶとのポスターが選挙期間中にもはられていたのに注意もできない管理職だから、既得権となっている涼み部屋のエアコンなんて止められないわけで、電灯を間引く節電は単なる見せかけの偽善なのは明白である。
 先週所長に蛍光灯を抜くことより、九都県政令指定都市申し合わせのとおり冷房を28度を徹底すれば、15%削減は楽勝じゃないかと言ってやったわけでずが、28度を徹底するとは言わないでむにゃむにゃ、去年みたいに暑くならない事を祈ると訳のわからない事を言う。営業所の入り口に南関東九都県政令都市では28度設定にしてますと貼ってあるのに、28度にするといわないのはインチキのように思う。夏期電力需要の4割は冷房である(業務用4/5、家庭用1/5)http://www.priee.org/modules/pico2/index.php?content_id=2。したがって、廊下の小さなライトひとつを消すことより、冷房の設定温度を上げる事を徹底したほう節電になることはわかりきったことである。

●これまでも環境計画28度設定とされていたが、実際28度に設定されたことは一度もない。
2003年は電力危機でも23.5度だった。

 インチキというのはこういうことです。平成15年、2003年4月15日に東電管内の原発が全て止まる(定期点検を含む)電力危機があって、東京電力が冷房は28度設定にせよとコマーシャルを盛んにやっていた年があった。実際にはピーク時にも足りており、電力危機はそれほどのことではなかったわけだが(2003年の7、8月の最大電力は8月4日の週の5650万kWであるが、この時の原発なしの供給力は5684万kWで、追加供給力(310万kW)も必要なかったのであるhttp://www.priee.org/modules/pico2/index.php?content_id=2)。実際水道局にも関東電気保安協会の節電ポスターで28度と言うことが書かれていたし、実際民間ではやっていた。西友の時計売り場で29度だったことを確認している。民間では本当に28度設定をやっていたのである。
 当時私の所属である東京都水道局千代田営業所は私の机の上で23.5度(銀座の伊東屋で買った私物の2800円の温湿度計で計測)で、ファンコイル最強風のうえ、扇風機も回してある。室内は25度設定でも、窓際にファンコイルの個別空調が回っていて最強冷房にしているから23度になるんです。外気が36~37度ぐらいの日も少なくなかったように記憶しているから、15度近い差があって寒気をもよおす、23度っていうのはかなり低い温度である。私がファンコイルの強風を弱風にすると、全水道東水労で分会役員をしていた私よりかなり若い男が強風に戻す。私が寒気がするというと、風邪なら移すな休めこの野郎とののしり、扇風機を私に向けて、「他人の不幸は蜜の味」などと公言し、扇風機を凶器にしていたから、扇風機をどかすと、管理職が人が涼むための扇風機をかってにどかした私が傍若無人でけしからんと、私を徹底的に悪者扱いにしたわけである。最終的に不良職員で昇給停止にさせられて強制転勤させられたわけですよ。私をののしった男はその数年後に主任に昇進してます。当時経済産業省をはじめ東京電力が28度設定とすべきと言っていたのに23.5度を我慢しなければいけないのかと言っても東京都の管理職は絶対にききませんから。組合役員の希望する23.5度で最強冷房という労働条件で働かなくてはいけないということです。西友は29度だよと言っても、よそだから、小島よしおのようにそんなの関係ねー。あなたには温度を選ぶ決定権もないし、なにがよい職場環境かを判断することも認めませんということです。集団的労働関係に拘束されるという趣旨ですね。

 要するに東京都水道局の場合は、昔のクラフトユニオンの内部請負のような間接管理、職員を上司が直接管理しないで、一般職員は組合の下での間接管理、つまりショップスチュワードの統率のもとに従って、組合の指図する時ジョブコントロール、非能率的な業務遂行方法、仕事の制限、争議行為に従っているべきものであって、苦情はあれば組合役員をとおさないで個別に申し立てることは許さないし、組合役員を飛び越えて管理職にものを言うこと自体けしからんことであり。そういう社風だから、どんな理不尽なことでも管理職は対応しないし、個別職員ははめられるだけの石ころのようなものということになっている。
 非組合企業なら、オープンドアーポリシーというのがあって、上司を飛び越えて社長であれ、直接提案したり苦情もいえることになっているが、そういうことは絶対させないといのが、社風だから、個別に管理することは許さない。組合分会役員が冷房23度最強風の方針なら、その労働条件に拘束されるという趣旨である。
 暑がりの職員と折り合いをつけない私こそわがままであり非行でありけしからんということにされた。23.5度でファンコイルからも強風がきていて、それだけでも冷やし過ぎなのにそのうえに扇風機である。管理職は特に扇風機をどかした私の行為が自力救済行為で重大秩序違反で、さらに大声でののしりあったことも(その男は私に対して馬鹿と罵倒したがそれは問題にされることもない)、私を特別指導職員とし、昇給停止処分、強制配転とする理由にされている。しかし寒気がするという人がいるのにわざと扇風機を回す。風をいやがっている人に故意に扇風機をあてる行為は悪意によるものであり、敵意と危害から守るために凶器をどかす必要があるという主張は絶対に管理職は認めない。
 
 
 私はその翌年に43歳だったけど11月4日の晩から翌朝にかけて心筋梗塞と狭心症で冠動脈3本バイパス手術を受けた。一本は肩から血管取って、もう一つは胃の血管ということだが、麻酔をかけてからオペが終わるまで8~9時間かかったというから小さな手術ではないです。平成16年2004年新潟県中越地震が10月23日にあって、現地には行かないが被災地救援後方支援の仕事ができたこともあり忙しくなったから、私はかなり悪い状況ならない限り医者には行かない主義だったが、それでも以前から町の医者に大きな病院で診察を受け、カテーテル検査を受けるよう紹介状を渡されていたいたのになかなかいけなかった。誠実労働義務が全てだから仕事優先は当然としても、しかし、10月になると夜中の2時か3時に発作が起きてニトログリセリン呑んでも痛みがなかなか引かなくなった。発作が起きるのは就寝中の未明、休日や比較的リラックスしている時だった。休日洗濯物を持ってコインランドリーに行くときに、50メートル歩くと胸がいたくなって休む。何回も立ち止まって休まないと歩けない状態だった。当時は本庁に荷物運び屋で出張することはあっても外回りの仕事はなかったので仕事している時は気の張りがあるので、重いものを持ったときや、荷物を動かす時以外は痛みを顔に出さず仕事はほとんど問題なくできていたわけだが、深夜・未明の発作の激痛に耐えられなくなってきたので、11月2日火曜に休暇とって病院に行ったわけです。症状が深刻なので即刻入院せよということだった。泊まり支度してなかったからその日は帰って、たしか3日の祝日に入院して4日木曜の午前に検査してその晩に緊急手術を行った。つまり救急車で運ばれる患者と同じ扱いだった。本当はまだ仕事が忙しかったから、11月の下旬ぐらいに手術したいと言ったんだけれども、医者は1週間も待てませんね。先延ばしするほど取り返しのつかないリスクが大きくなると断言。日程を調整するから即刻検査するようにと。白い巨塔のイメージから医者は金儲けの権化かと思っていたが 意外に親身になってくれたので、それに従った。つまり忠実労働義務によって心筋梗塞になるまで働いていた私がなぜ非行なのか。公務員は民間より休暇制度の特典が多いので病気休暇とかとっている人が多いが私はそういうずるいことはしたくないので忠実労働義務主義なので一度もない。有給休暇もほとんどとらない。
 病気休暇でさんざん休んだうえに、年次有給休暇や夏休みを全てとって、ほとんど休みっぱなしーの人でも、部長がむかし机を並べた仲ということからか、本庁栄転で良いポストについたりするんですが、私は、希望も出してたない畑の違う職場に懲罰的にまわされてうえ、心筋梗塞ですから。
 内科医はこう言いました。かなり前から悪かったんじゃないですかって。心臓がキュンと痛むようになったのは平成16年2004年の4月1日から比較的最近のことと答えましたが、そんなことはないはずだとはっきりいいましたから、これだけ症状が深刻だということは数年前から症状があったはずだと断言しました。そういえばだいぶ前に帰宅途中の路上で胸が痛んでうずくまったこともあったことを思い出した。そのときは心臓病という自覚は全くなかったが、実はタバコをやめたのが2002年で、タバコをやってたときからかなり運動神経が鈍っていことは事実である。仕事はともかく外出自体がおっくうになってましたから。虚血性心疾患の原因も煙草だと思う。月にタバコ代だけで4万円以上使っていたから。中学校の保健体育で煙草はコーヒーや紅茶と同じ嗜好品として説明され、渡部恒三厚生大臣が煙草は健康の秘訣http://www.youtube.com/watch?v=uxEHCZIP69Y&feature=relatedと推奨してたので、中毒になるという認識がなかった。煙草を吸い始めたきっかけが、落とし物の財布を届けて、お礼としてマイルドセブンを1カートンもらったことでした。好きで吸っていたわけではない。
 地の性格がかなり内向的なのでニコチンが合わない体質なのに、ただ薬物依存から抜け出せないで苦しみながら吸っていただけ。性格的に深く根元まで一気に吸い込むたちなので血管を痛めやすい吸い方だった。禁煙は20年間に何十回とやったが禁断症状がひどく、水道局の職場だけでなく、政府の政策など怒りやいらいらすることがとぎれなくあるので抗不安剤としてタバコが吸いたくなりなかなかやめられなかった。ところが2002年に当時は医者の処方が必要だったがニコチンパッチで禁断症状がなく比較的楽にやめることができた。ただ、もともと血管が弱っていたうえに、たばこをやめると脂肪がつくだけでなく、食べ物が急にうまくなるため、コレステロールが増加し外回りの仕事がなくなって運動不足になり動脈硬化はかえって進んだ可能性がある。手術で何が苦しかったかというと術後まる1日、肺から逆流してきたタールがたんのようにからんで、げぼげぼ吐きっぱなしで、ほとんど眠れなかったことである。
ということは、私自身が自覚していなくても2003年の夏に料金未納の催促と給水停止の外回りの仕事して外気が35度から36度で汗だくで回って、事務所に帰ると、23.5度度最強風にさらされて悪意をもって冷やされた事が動脈硬化を進めた可能性は高いとみてよい。組合分会役員と管理職結託による悪意は、かなりこたえたとみてよいだろう。
今は業務委託だが、当時は水道の開栓も直営で、未納を払えば、開栓に行った。早く開栓しないとお客が怒るから、信号無視でもすっ飛ばして一日に何度も外気との12~15度温度差を行ったり来たりしていたのである。実際、町の眼科医で眼底検査をしたら42歳なのに血管の年齢は老人だとはっきりいわれた。だから、冷房が強風で23.5度のうえ、故意に風をあてられたりしたことが、心臓病もちにはこたえるものだったということは常識的に理解できることではないでしょうか。そんなに冷房が寒いなら厚着しろといっても外回りの仕事なのでいちいち着替えしていられない。

 もちろん、狭心症になったのはてめえのかってだろ。それは全くそのとおりですよ。しかし、仮に健康体だとしても、原発が止まって経済産業省が冷房を28度とすべきとし、民間でも省エネに協力している。その省エネの方針に協力する立場をとっているが東京都なのに、公式的には冷房はき28度設定となっているにもかかわらず、23.5度で強風、体感は21度ですから。いくらなんでも冷やしすぎだし、都の方針との違いを糺すことしは当然ありえることではないでしょうか。

 それを言っても東京都の管理職は理解不能なんですね。実態(23.5度)と建前(28度)が違うのは役所なら常識でそんなこともわからないのかというニュアンスの上から目線なんですね。黒いものも白いものと言うことこそ役人のテクニックで、それが認めない人間の方が悪いという発想。省エネのコンプライアンスは偽装でいいんだよこの野郎というニュアンスを看取した。
 仮にそれが正しいとしたとしましょう。しかし私が問題としたのはそれだけではない。故意に扇風機を回して人のいやがることをやる。「他人の不幸は密の味」と公言しせせら笑う私に対する悪意ですよ。ふつうは私が先輩だし、涼しすぎると言ったら若輩のほうから折りあうものじゃないですか。ところが、東京都の管理職は他人を困らせようとする悪意のある方に加担する。悪意のある人が尊重され、優遇されなければならないという考え方で、暑がりの人に汗をかかない快適にすごしていただく良好な職場環境を維持するのが管理職のおつとめだみたいな神経を逆なですることを言いつのり、その上司の方針に従わないのは不服従だとされるから。私が怒って当然でしょう。

 仮に電力危機が嘘っぱちで、28度が杓子定規というなら、23.5度は寒気がするので、せめて25度とか24度にはできないかと言ってもだめ。実際24度なら寒気を感じるほどでは、私は勿論満足しないが、多少改善はされるといっても管理職はいっさいきかない。職場環境は労働組合と管理職の協議で決めることで、個別の職員はいっさい口を出すことがはばかられることで集団的労働関係に拘束されるだけの石ころでなければならないということである。労働条件を決めるのは労働組合で、個人が勝手に23.5度を上げろだの、既得権潰そうとすることは許さないという考え方になっている、勿論組合は公正代表として行動する必要はなく、個々の職員は収奪の対象という社風というか、制度でもあるわけですが、したがって、組合役員のメンツをつぶすことは絶対ありえないということである。
 これは明らかに敵対的虐待的職場環境であると思うが、問題はそれだけではない、えんえんと続くわけですが、扇風機を凶器にした職員は、待機の日以外毎日、冬も春も夏も秋も、現場出張(仕事は徴収整理-未納の督促等)のない日も、勤務時間中の16時25分頃から少なくとも20分長いときは25分ほど風呂場に入った。シャワーを浴びてドライヤーをかけてきて、さっぱりして帰宅準備をするわけでずが、昭和54年頃に勤務時間中の風呂が問題になって、職場規律のために内規をつくってある。これは事務職員と現場で修繕などすね技能系の職員と内規が違うんだけれども、内規では事務職員は風呂は勤務時間中禁止。ただし、よごれた時に上司の許可を得ればシャワーは利用できるとはされている。
 勤務時間中に勝手に離席して風呂場に入る。20~25分間職務専念義務違反をほとんど毎日繰り返していた。水道局の各事業所に風呂場があるのは宿直者や夜間工事、今は人員が少なくなっていますが、直営で修繕もやっていたので現場に出る技能系職員の利用を想定したものではないかと思う。基本的には夜間作業のない事務系職員は宿直以外風呂に入ることは想定しているものではないはずだ。実際、江東営業所でも、徴収整理担当で外回りの仕事をやっていたが、勤務時間外にたとえば18時半とかシャワーに入る人はいたが、勤務時間内に風呂場に入るという人はいなかった。私はどんなに暑い日でも宿直時以外に風呂場を利用したことは一度もない。千代田営業所でも徴収整理(料金滞納の督促等)で外回りしている職員が私を含めて4人いて、勤務時間中に風呂場に入るのは他の係を含めてその男だけでした。よその係で外回りのないデスクワークだけの仕事をやっている全水道東水労の中央支所長が、5時15分の定時退庁時間以降に風呂にはいって家、外回りの仕事がないのに、組合幹部は職場で風呂にはいってさっぱりとして帰る特典が事実上あった。しかし、支部長のケースは勤務時間中には入っていない。
 なぜかというと、昭和50年代に、風呂が問題になって、内規をつくっていて、原則として勤務時間中の風呂は、技能系職員も事務系も禁止。但し現場工事で酷い汚れがあったときに、現場作業員に限り、上司の許可により、たしか16時30分以降だったと思いますが容認しているだけです
 ただ、内規に抜け道があって、風呂とは浴槽の湯につかることであってシャワーは別扱いになっていて、事務系職員でも汚れたときに上司の許可によりシャワーを勤務時間中浴びてよいことになっている。
 しかしその男は、シャワーであっても上司の許可をえず勝手に入っている。また汗をかかない冬でも、外回りをしない日でも入っているので、「汚れ」を前提としたものでないから、内規違反は明白であるし、髪をかわかすドライヤーにも時間をかけているし、ドライヤー時間も当然正当な職場脱ではないと考えられる。その男がシャワー中にも担当者指名ということでお客様からせ電話がかかってくる。しかし、シャワーに入っているので、とはいえないから、現場出張中とごますわけですが、電話の取り次ぎもしてあげているわけです。
 所長はなんと言ったかというと、風呂に関する内規は、あくまで湯舟につかるケースの内規で、シャワーは別なんだ。シャワーはお客に不快感を与えず身だしなみを整えるため必要なものであり事前許可がなくても、所長が汚れを確認しなくても、外回りの仕事を担当しているのだがら汚れるという前提で仕事をしているから、無許可勤務時間中職場離脱は全く問題なしとして、明白な職務専念義務違反を正当化したうえ、(これはほとんど組合の解釈の受け売り)、逆に私に攻撃をかけてきて、おまえは汗臭くお客に不快感を与えているから、身だしなみを整えるためシャワーに入れと、逆に職務専念義務違反の非行をあおる発言を行った。
 その男は17時15分の退庁前の16時50分から55分頃シャワーをドライヤーをすませているんですよ。お客に対する見出しなみなんて全然関係ない。アフター5のためのシャワーとドライヤーですから。
 鉱工業、鉄工所とか建設現場作業員なら職場で風呂に入ることはありうるだろう。関取も取り組みが終わると、国技館内の風呂に入って汗を流してから浴衣に着替え、部屋に帰るである。
 しかし、我々は相撲取りではない。事務系の場合、外回りの仕事の場合でも、オフィスで勤務時間中に浴室に入りシャワーを浴びて、ドライヤーをかけて帰宅するという慣行は一般社会にないと思う。水道局は各事業所に風呂が備え付けになってるとしても、社長室や宿直室は別として普通のオフィスビルで給湯設備はついていても、浴室やシャワー付きのところがそうあるとは思えないし、第一、社員が勝手に勤務時間中シャワーなんか使いだしたら、水道代のコストでビルの大家に迷惑がかかるし、コスト面からもあり得ない。
 普通、風呂やシャワーは家に帰って入るものでしょ。それが常識でしょ。だいたい水道局は節水に協力をとか、渇水時の朝シャン自粛とかを呼びかけておきながら、身内の組合員には、勤務時間中にシャワーに入れと奨励するなんていうのは無茶苦茶な話である。
 千代田営業所長ははっきり言いましたから。「職場環境改善も重要だからねえ」と勤務時間中のシャワーを奨励するという内規違反、職務専念義務違反が職場環境改善なんだとさ。社会通念に反していると言うと、よその会社は関係ないと言う。
 だったら今度、その男が浴室に入っている時、16時30分から16時55分頃、お客から電話がきたら、今、所長公認のシャワータイムなのでこちらから折り返し電話しますと返答しますよ。シャワーを奨励するからにはそれでいいでしょと。多分お客が怒って収拾がつかなくなるが、所長に電話をかわってもらうから、客に対して、勤務時間中のシャワーを自信をもって容認する理由を答えてくださいといったら、それはだめだと。
 要するに、風呂とかシャワーとか労働条件は組合と管理職で決めるもので、昭和54年の内規についても、それを生かすかどうか、個別の判断で柔軟におこなうことにより、事実上、なんでもありですよと趣旨だと思う。
 結局、私を「馬鹿」とののしった男のわがままがすべて通っている。冷房23.5度で最強風、しかも勤務時間中にシャワーを浴び、ドライヤーをかけさっぱりして自宅に帰るといという職員が全面的に正しくて、その後別の営業所に転勤した後に主任に昇進しています。
 一方、23.5度は冷やしすぎ、勤務時間のシャワーは規律違反と指弾した私は、その男よりも仕事の分量も1.5~2倍ぐらいこなしているにもかかわらず、大声を出したとか、研修中所長に質問をしただけてで所長の業務を妨害したとかかってな理由で勤務評定D、特別指導職員(勤務不良職員)にラベリングされ、昇給停止処分、希望していない職場に強制配転されたわけです。
 昇給停止と強制配転だから、千代田営業所長の判断をもとに中央支所長と本局の職員部が承認してやっていることですが、事実上、水道局は組織をあげて、内規を無視した勤務時間中のシャワーと冷房23.5度を容認したということです。

 ながながと書きましたが、東京都水道局ではかなり以前から環境計画をとくに平成17年以降は本格的にやっているわけです。ホームページを見ていただければわりますがhttp://www.waterworks.metro.tokyo.jp/press/h21/press100331.html、「地球温暖化防止に重点を置き、二酸化炭素排出量の削減に局を挙げて取り組みます」と書かれてます。
 私は係長級相当の業務で環境計画担当者をやってましたから。係長級の人が育児休暇になったんで、やれる人がいないんで、不良職員とされたのに代役で係長級の仕事もぺいぺいのひらなのにこなしているわけですよ。報告書も出したし、環境監査の対応もメインでやったし、外部専門家の研修も受けてるし、ガソリンの消費量の細かい資料づくりから、アイドリングストップ徹底だの、紙使用削減だの、ゴミの分別の徹底だの何でもやってきてますよ。グリーン購入とか印刷の仕様書の書き方とか環境対応のことは並の職員よりよく知っている方だと思う。
 しかし電気は、冷房28度は実質徹底してない。本庁は勤務したことがないから知りませんが、私が経験している範囲の出先では28度で徹底するということはやってない。暖房も内閣府の通知では19度、九都県政令都市は20度設定となっているが、24度が実態でした。25度になることもあった。ところが3月15日に、まったくルーズだった暖房が、突然20度設定にきりかえた。23区は足立区等しか計画停電やらなかったが、住民の目が厳しくなったんで突然、本来徹底されているべき20度設定を突然やりだしたわけです。
 ようするに地震がなければ暑苦しい暖房のままだったでしょう。要するに二酸化炭素排出量の削減に局を挙げて取り組みますと言うのは冷房・暖房に関しては虚偽でした。
 このことは本局調査課もよくわかっていて、昨年からかな。管理職に28度設定しているという報告書を書かせているようです。ただ一筆とって本局が責任のがれするためのもので、抜き打ち監査をしない限り28度は徹底しないと思います。
 本局は管理職と仲間意識でつるんでいるから、抜き打ち監査で困らせるようなことはしない。くまなく見れば、冒頭に書いたような涼み部屋の違反行為やとかも指弾できるはずだがやらない。
 
●5月20日の冷房切り替えで25度設定を担当者に注意した

 20日に私の職場では設備担当者がきて、空調を冷房にきりかえてましたが、25度になっていたので、怒り心頭、担当者に、28度でなければいけないんじゃないのと言ってやったら、試運転だからとごまかされた。25度のままだったら、張本のように喝を入れるところだった。そのあと28度にしていた。
 2003年以外にも、空調の設定で環境計画に反していることを指弾してしばしばしもめている。全てが叩かれているのだが、組合が仕切るといったって、集団的労働関係の拘束力で不利益をうけていることに我慢ならない状況である。狭心症の人に最強冷房を強風をあててせせら笑って楽しむというそれが良好な職場環境というのは本末転倒である。したがって張本のように喝を入れていきたいと考えている。

2011/05/15

入手資料整理57

*9423山口房司「Imperium in Imperio: アメリカ連邦主義の進化と財産権の保護  合衆国憲法批准から好感情の時代にかけて」 『史学』 78巻4号 2009-12 機関リポジトリ-オープンアクセス

9424西村裕三「アメリカの司法審査制に関する一考察-その歴史的発展過程と機能的分析-1--2-」『広島法学』3巻1号、3巻3号 1979

9425松井茂紀「非刑事手続領域における手続的デュープロセス理論の展開-1--2--3--4--5(完)-」『法学論叢』106巻4号、106巻6号、107巻1号、107巻4号、107巻6号 1980

9426米沢広一「経済規制領域における司法審査--アメリカ法を素材として-1--2-」『神戸学院法学』13巻4号、14巻1号 1983

9427田中英夫「私有財産権の保障規定としてのDue Process Clauseの成立-1--2--3--4--5-」『國家學會雑誌』69巻1.2号 1955、70巻3.4号 1956、70巻11・12号 1957 、71巻6号 1957、72巻3号 1958、72巻8号 1958、72巻7号1958

9428高原賢治「アメリカにおける「警察権能」の理論の展開-公共の福祉についての一考察-1--2-」 『國家學會雑誌』74巻9・10号 1961、74巻1.2号 1962

9429山口房司「アンテ・ベラム期における財産権概念の変容--既得権・契約条項・通商条項と警察権能」『アメリカス研究』14号 2009

9430山口房司「金箔時代と大企業の台頭-修正第14条の原意図と企業によるその悪用」『アメリカス研究』15号 2010

9431浦部法穂「アメリカの独占資本と最高裁-1-2-」『國家學會雑誌』84巻11・.12号、85巻1.2号 1972

9432浦部法穂「独占規制の歴史的検討-アメリカを中心として 」『法律時報』44巻2号1972

9433堤口康博「「実体的デュー・プロセス」法理の現代的展開 」『早稻田政治經濟學雑誌』300号 1989

1-55山口房司『多分節国家アメリカの法と社会』ミネルヴァ書房1999

1-56マイケル・J・サンデル/小林正弥監訳『民主政の不満-公共哲学を求める務アメリカ(下)公民性の政治経済』勁草書房2011

1-57C・A・ビアード/斉藤・有賀訳『アメリカ政党史』東京大学出版会UP選書1968

1-58片岡曻『團結と勞働契約の研究』有斐閣1959

1-59片岡曻『現代労働法の理論』日本評論社1967

1-60アメリカ経済研究会編『ニューディールの経済政策』慶応通信1965

1-61岡田泰男『西洋経済史』八千代出版1995

2011/05/12

バーンスタイン教授がロックナー判決復興のために活躍してます

 ジョージメイソン大学のバーンスタインのこのコラムhttp://volokh.com/2010/03/17/lochner-v-new-york-as-a-test-case/によると1902年にロックナーはシュミッターと言う従業員を週60時間就労させたとして告発したされたということです。
 しかし、シュミッターはケーキ作りを覚えるために自発的に遅くまで仕事をしていた。ロックナーとシャミッターはニューヨークに旅行に行っているように友好的な関係でした。また1941年にシュミッターが死ぬまで雇用されていた。従ってシュミッターが労働組合の代理人である可能性は低く、シュミッターの苦情はでっちあげであったというような事が書かれてます。 ロックナーの告発には陰謀があったように思えます。バーンスタインはロックナー判決研究の新しい論文を書いたようです。http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=1815221 4月29日のコラムにケイトー研究所でロックナーイベントの告知がありますhttp://volokh.com/2011/04/29/rehabilitating-lochner-event-at-the-cato-institute-monday-at-4-pm/ほとんどロックナー判決マンセー状態です。
 バーンスタインの業績はhttp://mason.gmu.edu/~dbernste/

2011/05/11

Lochner’s Bakeryの写真があった

 ニューヨーク州法に違反して、ビスケット・パン・ケーキの製造・製菓施設において60時間以上就労させたため起訴され有罪とされたロックナーは、1905年連邦最高裁により同州法が合衆国憲法修正14条に反し使用者と労働者が契約を結び労働内容を定めるの自由の侵害とされ違憲無効とされたため勝訴した。Josh Blackman's Blog.に有名なロックナー事件のベーカリーの広告の写真が掲載されている。http://joshblackman.com/blog/?p=3988
 ニューヨーク州のほぼ中央にあるユーティカにあった。広告にはニューヨークで最も信頼される最も古いパン屋の一つですと書かれている。このように小さなパン屋さんを虐めたのがニューヨーク州法でした。違憲判決は妥当だと思います。
 ロックナーとその家族の写真がこれです。http://www.pbs.org/wnet/supremecourt/capitalism/landmark_lochner.html
 ロックナーのパン屋ではないと思いますが、当時のパン焼き作業場の写真がこれ。http://www.answers.com/topic/freedom-of-contract

2011/05/09

下書き-Lochner era(広義)の主要判例(2)

経済的自由の復権とコレクティビズムの駆逐とテーマが大きいので、ロックナー判決の背景と理論は明らかに研究不足である。つまり先行研究の一部しか読んでないが、追ってバージョンアップしていくことする。筆者は英語が読めないので判例の要旨は我が国の複数以上の先行研究から引用し一部言い換えている。ケンズとバーンスタインを引用しているが機械翻訳によるものなので正確なものではない。

順不同でピックアップし、あとで連結してまとめる
◎良い判決
×悪い判決

◎ロックナー対ニューヨーク判決 Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905)-第一回
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=198&invol=45

 1897年ニューヨーク州労働法は、パン、ビスケット、ケーキ等の製造作業場の清潔さおよび健康的な作業環境を維持するため、排水設備等を規制すると同時に、415章8条110項において被用者の労働時間を週60時間、一日10時間に規制した。ニューヨーク州ユチカでパン製造所を営んでいた上告人ロックナーは違法に1週間60時間を超えて就労させたため、郡裁判所において軽罪で有罪となり、州地裁、州最高裁もこれを維持したが、連邦最高裁は5対4の僅差で原判決を破棄した。
 ペッカム判事が法廷意見を記し、フラー主席判事、ブリューア、ブラウン、マッケナ各判事が同調した。ハーラン判事が反対意見を記し、E.ホワイト、デイ各判事が加わった。ホームズ判事が単独で反対意見を記した。

ペッカム判事による法廷意見の要旨

 自己のビジネスに関して契約を結ぶ一般的権利は、合衆国憲法修正第14条によって保護される個々人に保護されている自由の一部であり (アルゲイヤー対ルイジアナ判決ALLGEYER v. STATE OF LOUISIANA, 165 U.S. 578 (1897)   http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=165&invol=578【*1】)、同条項の下では、いかなる州も法のデュープロセスなしに何人すらも生命・自由または財産を奪うことはできない。
 労働力を売り、又は買う権利は、その権利を排除する事情がない限り、修正第14条により保護されている自由の一部である。
 しかし一方で、州の主権の下で、ポリス・パワーと呼ばれる〔人や物を規制する〕ある種の権限が認められている。ただ、その正確な説明は法廷によって試みられていない。
 これらの権限は、大雑把に言えば、公共の安全、健康、道徳および一般的福祉にかかわっている。
 財産および自由は、ポリス・パワーを行使する州の権限によって課せられる合理的な規制に服するものと考えられており、このような条件下においては修正14条違反にはならない。Mugler v. Kansas, 123 U.S. 623 (1887)http://supreme.justia.com/us/123/623/case.html In re Kemmler, 136 U.S. 436 (1890) Crowley v. Christensen, 137 U.S. 86 (1890)等
それゆえ、州には個々人がある種の契約を阻止する権限があり、それに関しては連邦憲法は何らの保護を提供しない。
州は正当なポリスパワーの行使によって、第14修正に違反することなく個人の契約の自由を規制する権限を有する。
‥‥当裁判所は、境界例と思われる多くのケース州でポリス・パワーの行使を支持してきた。‥‥例えばホールデン対ハーディHOLDEN v. HARDY, 169 U.S. 366 (1898) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=169&invol=366  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0169_0366_ZS.htmlでは、鉱山労働及び鉱山精錬労働を緊急の場合を除き1日8時間以内に制限するユタ州法は、労働者を鉱山事業者の就業規則による肉体的酷使から守るために合理的で適切な介入であると支持された。あるいはAtkin v. Kansas, 191 U.S. 207 (1903)、 Knoxville Iron Co. v. Harbison, 183 U.S. 13 (1901)、 Jacobson v. Massachusetts, 197 U.S. 11 (1905)
http://supreme.justia.com/us/197/11/case.html  は種痘を強制するマサチューセッツ州法を、公衆衛生に関するポリスパワーの行使として支持された。あるいはPetit v. Minnesota, 177 U.S. 164 (1900)。
 とはいえ、もちろん州による有効なポリスパワーの行使には限界があり、この一般的命題に争いはない。そうでなければ修正第14条は有効性を持たないからである。
 ‥‥この種の立法にかかわりがあり、連邦憲法の保護が求められるすべての問題に次のような問題が生ずる。
すなわち、これは州のポリス・パワーとして、合理的で適切な行使であるか、それとも個人の自由ないし自己及び家族を養うために適切ないし必要と思われる労働に関して契約する自由への不合理で不必要かつ恣意的な介入であるかである。
もちろん、労働に関して契約する自由はそれにかかわる両当事者が含まれる。
一方に労働を売る権利があるのと同じく、他方には買う権利もある。
  問題は当の州法がポリスパワーの範囲内か否かであるが、これは裁判所が判断しなければならない。
 本件州法は純粋な労働法として(as a labor law, pure and simple)、有効であるかの問題は簡単に片付けうる(may be dismissed in a few words)。
 製パン業において、就労時間を決定することによって人の自由または自由に契約する権利に介入する合理的な理由は何ら存在しない。
 製パン業労働者が一つの階級として他の産業の労働者より知性及び能力の点で劣っているという主張はないし、それぞれの独立のした判断と行動に介入し、州が保護しなければ、自らの権利を主張し、自分の面倒をみることができないという主張はない。彼らはいかなる意味においても州の被保護者ではないのである。
。‥‥純粋に労働法の見地から眺めると、本件のような法律は、公共の安全や道徳にも、公共の福祉にも何らかかわりなく、公共の利益はそのような制定法において何ら影響を受けないと考えられる。
‥‥清潔で衛生的なパンの製造は、パン焼き人が1日10時間、又は州60時間以内労働を制限することには依存していない。就労時間の制限はその理由でポリス・パワーの範囲内ではない。
‥‥契約の自由に介入する法律が支持されるには、それが公衆の健康と少しばかり関連があるとの主張では不十分であり、当該法律は立法目的に対する手段として、より直接的な関連を持たなければならない。かつた、目的そのものが適正で正当appropriate and legitimateでなければならない。
 本件は州裁判所においても多様な意見が出ている。‥‥控訴裁判所において、7人の裁判官のうちの3人も、法規を支持している判断に異議を唱えた。1人は、当該規則は常識として製パン・製菓工場で働くことが健康を害する職業であると言うことができなければ支持されないと述べた。またある裁判官は製パン業、製菓業は呼吸器の病気になる傾向があるとしたが、3人は、その見解に異議を唱え、製パン業が労働者の健康を害する職業であるとは考えられてこなかったと述べた。
‥‥一般常識として製パン業は健康に悪いとは考えられていない。統計を見ても製パン業はある職業より健康的でないが、別の職業より健康的であるといえる。
 もしある職業が絶対に健康に良いものでない限り、立法府の監督と支配に服すのであれば、ポリスパワーの対象にならない職業はなくなってしまう。
 立法府が雇用契約の自由に介入する契約の自由に介入する根拠としては、その職業が少しばかり健康に悪いかもしれないという事実では不十分である。
 いかなる分野にせよ労働は健康に悪い芽を伴うことは残念ながら事実である。しかし、全て我々は立法府の慈愛によって悪い芽から救ってもらうべきであろうか?。
‥‥毎日、太陽が輝くことがない建物で働くことを余儀なくされることも健康に良くないといえる。‥‥それでは全ての職業が立法府のポリス・パワーから逃れられなくなってしまう。労働時間の制限は、労働者自らとその家族の生計を支える能力を損なうかもしれない。労働者の健康とその関連を言及するだけで、全ての雇用における労働時間規制法は有効になってしまう。‥‥この論法が正しいなら、合衆国憲法の保護する人身の自由及び契約の自由は幻想となり、ポリスパワーを口実に、契約の自由だけでなく、人の行為そのものが立法府の支配を受けることになる。従業員の時間だけでなく、雇い主も管理され、医者、弁護士、科学者、すべての専門職の男性ならびにアスリートと芸術家は頭脳と肉体を疲労させることを禁じることもできることになってしまう。【*2】
 成熟し知性のある人間が知性のある人間が生計を得るために労働しうる時間を制限する〔本件州法は〕個人の権利に対する余計な干渉であり、もし労働時間が制限されなければ公衆もしくは労働者の健康に重大な危険が及ぶという、それ自身合理的な何らかの適正な理由がない限り〔違憲である〕【*3】。
 したがって、本件のような法律は、ポリスパワーの正当な行使であるとして公共の健康ないし労働者の健康にかかわるものとして議会を通過したけれども、そのような権限の範囲内のものではなく無効である。本件法律は、言葉の正しい意味で保健立法ではなく、使用者と労働者の双方が最上と考える就労に関して契約する個人の権利への違法な介入である。
 本件起訴の根拠となり、上告人ロックナーが有罪とされた制定法の条項に定められた労働時間の制限は、真に保健立法としての同条項にとして同条項に関して正当化されるような労働者の健康に関し直接的で実質的な効果を有するものでないことは明らかである。その真の目的は使用者と労働者との間で就労時間を労働者の健康にとって何ら現実的で実質的に有害でない私的ビジネスにおいてただ単に制限することであったように思われる。このような状況下において相互にその雇用関係において契約する使用者と労働者の自由は、連邦憲法の侵害したり禁止したり介入することはできない【*4】。

●ハーラン判事(E・ホワイト、デイ各判事が加わる)の反対意見の要旨

 修正第14条はポリス・パワーに干渉することを目的としていないと言い、本件州法は「労働時間を制限することにより、パン職人の健康を保護する」ためであると謳われている以上裁判所は文字通り受け取るべきであって「賢明な立法であるか否か‥関知するところではない」と述べ、当該立法の真の目的が何であるかは問題ではない問題でないとする。結局裁判所が審査すべきなのは「州により案出された手段が、合法的に追求されうる目的に‥‥現実的かつ実質的な関連を有している否か」と判断基準を示したうえで、研究書や報告書を検討し【*5】(例えば小麦粉塵を一定に吸入することは、肺・気管支の炎症を引き起こす。時間の長さはリウマチ、痛みと腫れた足の要因となる。パン屋の平均寿命は平均以下で、彼らのほとんどが40と50歳の間で死亡する。仕事のより短い時間は、快適さとより純粋な家庭生活のより高い水準を許すことによって、賃金・労働者階級の産業の効率的にして、健康、寿命など改善する等を挙げ、健康を保護する等)、結局両者の関連性の有無については議論の余地があると認めたうえで、合憲性推定の原則に従って合憲を結論とする。
 
ホームズ判事単独の反対意見

「この事件はこの国の大部分が好まない経済理論に基づいて決定されている。修正第14条は、ハーバード・スペンサーの「社会静学」を規定していない‥‥憲法は、温情主義であれ、レッセフェールであれ、特定の経済理論を表現しようと意図しているのではない‥‥」【*6】と憲法に根拠をおかないレッセフェール理論に基づき法廷意見が法律を審査したなどと言って非難し、「合理的で公正な人間」が、当該立法が合法的な立法目的と無関係ではないと考える可能性がわずかでも見てとれる限り当該立法は違憲とされない。という審査基準として提示した【*7】。

●アンチカノンとされたロックナー判決は再評価がトレンド

ロックナー判決は今日の司法部は否定しているが、実体的デュープロセスを根拠として、財産権や契約の自由を規制する州や連邦の社会経済立法を違憲とする先例となった著名な判決である。私は、自己の雇傭契約に関する自己決定、労働力を売買(処分)する個人の自由を憲法が保障する基本的権利として、就労時間規制立法を無効としたロックナー判決を、個人主義的自由、経済的自由にとって重要な20世紀の名判決の一つとしてその意義を高く評価するものであり、この判決の背景と理論は相当に奥行きの深いものであるが、分析のうえ現代の諸問題に生かしたいと考える。

ロックナー判決は1917年に黙示的判例変更【*8】、1923年に先例として復活し【*9】、1937年ウェストコーストホテル対パリッシュ判決West Coast Hotel Co. v. Parrish, 300 U.S. 379 (1937) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=300&invol=379というワースト判決において明示的に覆された。
ヒューズ主席判事の法廷意見は、憲法は「自由」というだけで、「契約の自由」とは言っておらず、ただ法の適正な手続きを経ずに「自由」を禁止すると言っているだけである、立法目的と関連で合理的であり、共同体の利益のために立法された規制はデュー・プロセスと認められるなどと言ってデュープロセス条項の解釈を全面的に変更した。
これを憲法革命というが、さらに1938年合衆国対キャロリーンプロダクツ判決United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938)  http://supreme.justia.com/us/304/144/case.htmlにおいてストーン判事は有名な脚注4において「通常の商業上の行為を規制する立法は、知られているか又は一般的に想像される諸事実に照らしてみて、その立法が、立法者の知識と経験内にある何らかの合理的な基礎に基づいているという推定を覆すほどの特徴を持っていないかぎり、違憲と宣言されるべきではない」【*10】として経済政策に関する司法の干渉の消極的態度を明確にした。
さらに、Ferguson v. Skrupa, 372 U.S. 726 (1963)  http://supreme.justia.com/us/372/726/case.htmlにおいて連邦最高裁は、経済的自由をめぐる実体的デュープロセス法理に決定的な終止符を打った。 ブラック判事の法廷意見は「当法廷は「超立法府」として立法の賢明さを評価することを拒否する。そして裁判所が〔経済規制立法を〕賢明でないとか、先見の明がないとか、特定の学派と合致しないとかの理由に打倒するためにデュープロセス条項を用いた時代に戻ることは断固する」【*11】と述べた。したがって、憲法革命以来今日まで経済規制立法は合憲判断とされて、判例理論上は今日ロックナーは否認されている。
憲法学でもセイヤー以来の司法自制主義者によって、ロックナーは悪い判決と決めつける傾向が従来、非常に強かった。従って、ロックナー判決が、重要であるが規範的に承認されないテクスト(アンチ・カノン)として扱われてきた経緯がある。社会改革運動の推進者に反動的な判決と喧伝され、ニューディール期の改革者にとって批判の対象とされた。そればかりか、1937年までの期間をLochnerの時代と呼び批判することはニューディール期以降の正統派の見解とまでなった【*12】。憲法革命は、ニューディール以降の「福祉国家体制」を擁護するためというアメリカ憲法学の思惑の下に研究され、ニューディール立法に違憲判決を下す保守的な連邦最高裁、という構図で論じられていた。つまり1930年代に、契約の自由の判例を維持しようとした4判事(ヴァン・デ・ヴァンター、マックレイノルズ、サザーランド、バトラー)は四騎士、頑固な4人組と呼ばれたが、ヨハネの黙示録の四騎士に由来するもので、悪者扱いにされていた。
  ロックナーに否定的なのはニューディール主義者だけでなく、現代の保守派とされる最高裁判事にもほぼ共通していえることで、例えば前の首席判事レーンクィストの著書を読んでも、ロックナー判決以下の判例を悪事と論じている、実体的デュープロセス法理を否認するスカリアなども当然理論的に否定される。原意主義のエール大学のボークなども同じことである。
   ロックナー判決の評判の悪さはホームズ判事反対意見の「憲法は特定の経済理論を意図していない」と言うアフォリズムが過大に評価されていたこととも関連しているだろう。
  しかし1980年保守派の論客サンディエゴ大学教授シーガンが『経済的自由と合衆国憲法』により経済的自由と財産権の本来的地位を論じ、ロックナー判決は憲法の正当な解釈で復活すべきだと主張された。同教授の業績が大きいが、その影響により近年ロックナー判決擁護者・好意的な学者は増えている。ジョージメイソン大学の デビッドEバーンスタイン教授のVolokh Conspiracy blog記事http://volokh.com/posts/1144178362.shtml#searchsiteでも明らかなことで、同教授もロックナー判決はアンチカノンでなくなりつつあると言っている。つまり古典的自由主義・リバータリアン以外は復活すべきとまでは言わないとしても、アンチカノンとしての評判に貶めることにはならなくなっている。ロックナー判決再評価の傾向はリベラル、中間的な憲法学者の動向でもあるということだ。ロックナー判決は自らのビジネス、雇用契約の自己統治を、政府、第三者からの干渉から守った判決であり、格別反動的な性格を持つものでもないという認識が広がりつつある。トレンドは、ロックナー判決再評価なのである。私は、ロックナー判決のみならずLochner eraの経済的自由を擁護する判決全般を再評価していきたいと考える。

●当時のパン屋について-事件の背景 

 ケンズ【*13】によると正確な訳出はできないが次のようなことが書かれている。
 大きなパン屋と労働組合の陰謀説がある。クラッカー製造は機械化されて、1890年代までせにクラッカーートラストに支配されるようになった。しかしパンは1899年に動力機械化され製造していたのは10%にすぎず、都市部においては数えきれないほどの小さなパン屋が製造していた。大抵従業員は4人足らずで(バーンスタイン【*14】によると大きなパン屋は組織化される傾向にあったが、小さなパン屋は組合に組織化されていなかった)、ニューヨークでは共同住宅の地下の土間に重いオーブンが置かれて作業していた。労働者は小麦粉塵、ガス煙霧、湿気と温水・冷水の両極端にさらされた。1894年エドワード・マーシャルというジャーナリストは地下室パン屋の汚さを観察し(バーンスタインによればマーシャルはスキャンダル暴露ジャーナリストで、吐き気を催すほど不潔だと言った)、産業を整理して、労働の状況を改善するために、改革運動を開始した。労働改善と言う名の零細企業潰しでもあったのだ。
 州法は、イギリスの立法例を模倣して、パン製造における土間を禁止し、床面をセメント、タイル、または亜麻仁油で塗られた木材とし、壁を漆喰で塗り、下水道を開き、作業室での寝泊まりを禁じ、洗面所とトイレを別室に置くことを義務づけた。これらの作業環境規制は論争にならず、問題となったのは、労働時間規制であった。
 労働組合は時短を求めたが、組合の組織されている大きなパン屋だけ時短がなされ、小さなパン屋の時間規制がされないと競争で不利になることから、州議会に1日10時間の規制立法化の圧力をかけたのだ。
 当時、パン焼き労働者は週ごとに雇用されるか大抵は日雇いであり、典型的な合意は1日2ドルである。時間給ではないので何時間働いても基本的には同じ賃金だったと考えられている。したがって繁忙期には週100時間働いた。労働者は食事代を支払い、パン生地を転がした同じテーブルの上で寝泊まりをしていた。
 なるほど、当時の労働環境は今日のベーカリーと比較すれば汚かったかもしれない。しかし、日雇いが多かったことは労働市場の流動性を想定できる。しかも従業員4人ほどの小さなパン屋で、家内使用人のようなもので労働時間規制の意味はなかったと考えられる。
 また、パン屋開業の主たる出費はオーブン購入だけだった。地下室の家賃は安く、労働者には雇用主から逃れて、独立開業の希望ももてたのだ。
 バーンスタインによれば、1909年全国的にパン屋の9%が一日10時間以上労働していたという。
 私が思うに、州法が作業室での寝泊まりを禁じたのは、労働時間を縮減する効果があったかもしれない。作業環境の改善だけでも相当な出費なのに、労働時間も規制するのは事実上の零細企業潰しである。
 したがって、ロックナー判決が資本家の味方をとしたとか、スペンサーの社会進化論、適者生存の教条主義に立つものであるなどというのは誤解である。

 
【*1】「契約の自由」という実体的デュープロセスを根拠に州法を無効にした最初の判例が アルゲイヤー対ルイジアナ判決ALLGEYER v. STATE OF LOUISIANA, 165 U.S. 578 (1897)   http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=165&invol=578であった。ルイジアナ州法は、州法に従って州内で事業を許可されていない海上保険会社との保険契約を禁じていた。ぺッカム判事による法廷意見は、州はその管轄内での州政策に反する契約や業務を禁止できても管轄外で締結・実施されるような本件のような契約を禁止できないとした。
  その際「修正第14条にいう自由とはただ‥‥単なる身体の物理的拘束から自由であることを意味するだけでなく、市民が彼のすべての能力の享受において自由である権利をも含むのである。すなわち、彼の才能をすべての合法的方法によって自由に使用すること、彼の欲する所に居住し、勤労すること、合法的である限りどんな職業によってでも彼の生計を立てうること、およびどんな生活でもできまたどんな職業にでも従事することができ、そのために適当、必要かつ不可欠なすべての契約をなすこと、を含むのである」と述べている。石田尚『実体的適法手続』信山社出版1988 14頁
【*2】別冊ジュリスト№139『英米判例百選』第3版1996 Lochner v. New York 72~73頁 早川義則「実体的デュープロセス(1)」桃山法学4号 2004
両方から引用し、一部言い換え、挿入。
【*3】常本照樹「経済・社会立法」と司法審査(1) -アメリカにおける「合理性の基準」に関する一考察-」『北大法学論集』35巻1.2号1984http://hdl.handle.net/2115/16451
【*4】早川義則「実体的デュープロセス(1)」桃山法学4号 2004 一部言い換え
【*5】常本照樹 前掲論文
【*6】中谷実『アメリカにおける司法積極主義と消極主義』法律文化社1987 35頁
【*7】常本照樹 前掲論文
【*8】1917年のバンティング対オレゴン判決BUNTING v. STATE OF OREGON , 243 U.S. 426 (1917) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=243&invol=426において、工場労働において原則として一日10時間を上限する労働時間を定め、13時間までは例外的に割増し賃金の支払いにより働かせてもよいとするオレゴン州法についてロックナー判決に言及することなく合憲判断(6対3法廷意見はマッケナ判事/反対-E.ホワイト主席判事、ヴァンデヴァンター、マクレイノルズ)を下したことにより黙示的に判例変更された。同年のWilson v. New, 243 U.S. 332 (1917) v.New  http://supreme.justia.com/us/243/332/case.html州際通商にに携わる鉄道労働者の労働時間と賃金を規制する連邦法について修正第5条に反しないとの合憲判断(5対4法廷意見はE・ホワイト/反対-デイ、ピットニー、ヴァンデヴァンター、マクレイノルズ)が下されている。
【*9】1923年に裁判官の構成が変化して、保守派優位の陣容となったことにより契約の自由を強く打ち出した判決が下された。女子及び未成年労働者の最低賃金法(連邦法)を修正5条のデュープロセス条項に反し違憲とした1923年Adkins v. Children's Hospital 261 U.S. 525 アドキンズ対児童病院判決http://straylight.law.cornell.edu/supct/search/display.html?terms=adkins&url=/supct/html/historics/USSC_CR_0261_0525_ZO.htmが、サザーランド判事による法廷意見はロックナー判決に依拠して「自分の事柄について契約をする権利が、この条項(デュープロセス条項)によって保護される自由の一部であるということは、当裁判所の判決で確定され、もはや問題がない。一般的に言って、このような契約をなすにあたって、当事者は互いに私的な交渉の結果として得られる最良の条件を得る権利を有するのである‥‥勿論、完全な契約の自由というものは存在しない。それはざざまな制限に服するものである。しかし、それにもかかわらず、契約の自由は一般原則であり、制限は例外である。そして、契約の自由を奪うためになされる立法権の行使は、例外的な事情が存在する場合に限って正当化される」そして本件は例外的事情がないとして違憲判決を出した。中谷実「経済政策と最高裁-日米の比較-」滋賀大学教育学部紀要. 人文科学・社会科学 27, 128-117, 197 http://hdl.handle.net/10441/4295
【*10】中谷実「経済政策と最高裁-日米の比較-」滋賀大学教育学部紀要. 人文科学・社会科学 27, 128-117, 197 http://hdl.handle.net/10441/4295
【*11】常本照樹 前掲論文
【*12】木南敦の見解参照http://kaken.law.kyoto-u.ac.jp/gakuso/j/activity/record_workshop.html
【*13】Paul Kens LOCHNER V. NEW YORK TRADITION OR CHANGE IN CONSTITUTIONAL LAW?(ネットで公開されている) 
【*14】David E. Bernstein LOCHNER V. NEW YORK:A CENTENNIAL RETROSPECTIVE(ネットで公

2011/05/08

へぇーと思った

 今ユーチューブでよく見られているのがこれ。Kスタ宮城の楽天-西武の始球式で乙武洋匡の始球式。車いすで押されなくてもひとりで移動でき、結構動きが早いのに驚いた。口が滑ると人権救済機関に捕まると困るので、これ以上感想書かないこととする。http://www.youtube.com/watch?v=trOeB0oX8_w&feature=aso_sports

入手資料整理56

*9409アーロ・ ベンジアミン[著]古賀昭典(訳)  「タフト・ハートレー法改正をめぐって 」『九州工業大学研究報告. 人文・社会科学』8号 1960  http://hdl.handle.net/10228/3306 
*9410本田尊正「アメリカ協約理論における最近の展開」『一橋論叢』46(6) 1962http://hdl.handle.net/10086/3362
*9411藤田正一「我が国の公益企業の範囲と料金設定」多賀出版1994
出版
*9412今井直重「アメリカ合衆国における連邦権と州権との関係 ―具体的事例を中心として― 」『奈良学芸大学紀要』 Vol.5 no.3 1956 http://hdl.handle.net/10105/4977 
*9413 常本照樹「司法審査とリーガル・プロセス -アメリカでの司法の機能に関する理論的発展-」『北大法学論集』31巻2号1980http://hdl.handle.net/2115/16318
4騎士の思想について言及している。歴代最高裁裁判官のなかで、自由放任主義の哲学が特に濃厚に認められるのがサザーランド判事で、4騎士の代表格ともいえる。代表的な判例が1923年のアドキンズ対児童病院判決だか、重要なことを2つ言っている。「契約の自由ことが原則であってその制約は例外」「全体としての社会の善には各構成員の自由を保障することが最も良く寄予する」

*9414 中谷実「経済政策と最高裁-日米の比較-」滋賀大学教育学部紀要. 人文科学・社会科学 27, 128-117, 197 http://hdl.handle.net/10441/4295
重要判決の要点がまとめられている。

*9415中島醸「アメリカ全国労働関係法とニューディール・リベラル派 : 立法過程における対抗関係」『一橋社会科学』3号2007 http://hdl.handle.net/10086/14018 
*9416尾上一雄「ハーバート・フーヴァのニュー・ディール批判 : 「フーヴァー大統領の不況対策」の「結論」に代えて」『成城大學經濟研究 』93号1986 
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000245580
*9417中曽久雄「実体的デュー・プロセスの新たな展開と権限アプローチ」『阪南論集』46巻1号2010 http://www.ronsyu.hannan-u.ac.jp/hannan/saishin;JSESSIONID=da3098921228695203328?f_edited=2
2003年ローレンス判決論評
*9418上田宏和「アメリカ憲法における「自己決定権」」『創価大学文系大学院紀要』2010http://daigakuin.soka.ac.jp/bulletin-law.htm ローレンス判決論評
*9419 根本猛 「実体的適正手続の新たな射程 ― いわゆるソドミー法をめぐって ―」静岡大学法政研究9巻4号2005http://hdl.handle.net/10297/1290 ローレンス判決論評
*9420森下史郎「アメリカにおける経済規制立法に対する違憲審査基準」http://hdl.handle.net/2065/6410 
*9421常本照樹「経済・社会立法」と司法審査(1) -アメリカにおける「合理性の基準」に関する一考察-」『北大法学論集』35巻1.2号1984http://hdl.handle.net/2115/16451 ロックナー判決の論評「経済・社会立法」と司法審査(2) -アメリカにおける「合理性の基準」に関する一考察-」『北大法学論集』35巻5号1985http://hdl.handle.net/2115/16460 「経済・社会立法」と司法審査(3) -アメリカにおける「合理性の基準」に関する一考察-」『北大法学論集』43巻5号1993http://hdl.handle.net/2115/15493 「経済・社会立法」と司法審査(4・完) -アメリカにおける「合理性の基準」に関する一考察-」『北大法学論集』 43巻6号1993 http://hdl.handle.net/2115/15505
*9422荒木誠之「八時間労働制の原則について」『早稲田法学』31巻3号1956 http://hdl.handle.net/2065/1712

2011/05/04

憲法学者の迷惑条例逮捕に同情する

 広島県警広島東署は5月3日、名古屋市内の私立大学経済学部准教授飯島滋明容疑者(41)=同市名東区=を県迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕とのニュースがあります。http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011050400025本人は容疑を否認しており、運が悪かったのではないかと大変同情します。私も20代の若い頃、秋葉原で店頭で宣伝のためボディコンシャスな宇宙服を着ていた若い女のお尻と指がふれたため、その女が「万世橋署に突き出すぞ」と大声を出されたことがありますが、店長が飛んできて、つまらないことで騒ぐなと一喝してくれたおかげ様で助かった経験がある。私は運が良かったと思います。それ以来、触るんだっらイメクラとかお金を払って触るようにした。
 飯島滋明氏は憲法学者で論文情報を検索したところ、内容は読んでませんが以下のような業績があり、このように有能で社会に貢献している知識人をつまらないことで挫折させるようなことはないようにしてもらいたいと思います。

 「若手研究者が読み解く平和憲法(1)国際貢献 自衛隊派兵と国際貢献論について」『法と民主主義』453号 2010年

 「改正臓器移植法と憲法」『名古屋学院大学論集, 社会科学篇 』 『名古屋学院大学論集, 社会科学篇 47(2), 2010 

 「日本にいる外国人の子どもと教育を受ける権利(憲法26条)」『名古屋学院大学論集, 社会科学篇 』  46(4),  2010 

 「海賊対処と日本国憲法」『名古屋学院大学論集, 社会科学篇 』46(2), 2009 

これ以外の業績
学術論文:その他 外国人の参政権 単著 2003年12月 早稲田大学大学院法研論集108 (1)586-(25)562  
要旨:外国人には参政権が認められないというのは「国民主権」からすれば当然との立場が裁判所や多くの憲法学者の立場であった。しかし、イギリスやフランスの例を見ても、60年以上国土にすむことを余儀なくされた外国人に選挙権を認めないというのは異例である。とくに、歴史的事情から日本にすむことを余儀なくされた在日韓国人・朝鮮人等については参政権が認められるべきであろう 。http://www.maruron-ac.net/ngu-u/public/V02010_choord.php?PARAM=94641

というのもある。

 

 

2011/05/03

入手資料整理55

9408小早川義則「実体的デュープロセス(1)」桃山法学4号 2004

1-45森島覚『大洋州の経済と労働』成文堂2011年
1-46ウィリアム・ルクテンバーグ著/古川・矢島訳『アメリカ一九一四-三二-繁栄と凋落の検証-』音羽書房鶴見書店2004年
1-47フランク・ナイト著/高哲男・黒木亮 シリーズ・現代思想と自由主義論⑥『競争の倫理-フランク・ナイト論文選-』ミネルヴァ書房2009年
1-48司法研修所編千葉勝美・孝橋宏・豊澤佳弘『欧米諸国の憲法裁判制度について』法曹会(書籍番号02-07)平成2年(1990)
1-49鈴木康彦『評釈アメリカ合衆国憲法』国際書院2000年
1-50本間長世『共和国アメリカの誕生-ワシントンと建国の理念』NTT出版2006年
1-51本間長世『アメリカ大統領の挑戦-「自由の帝国」の光と影-」NTT出版2008年
1-52ディヴィッド・M・ゴードン/佐藤良一-『分断されるアメリカ-「ダウンサイジング」の神話』シャプリンガー・フェアラーク東京1998年
1-53大越康夫『アメリカ連邦最高裁判所』東信堂2002年
1-54マイケル・J・サンデル著/金原恭子・小林正弥監訳『民主政の不満-公共哲学を求めるアメリカ(上)手続き的共和国の憲法』勁草書房2010年

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

最近のトラックバック

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31