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2011/06/19

下書き-Lochner era(広義)の主要判例(5)

第1回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/lochner-era-194.html
第2回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/lochner-era2-89.html
第3回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/lochner-era-48d.html
第4回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/lochner-era-35e.html

1923年アドキンズ対児童病院判決Adkins v. Children's Hospital261 U.S. 525-その

(1)クーリッジの時代

 1923年8月ハーディング急死により副大統領のクーリッジが大統領に就いた。アメリカ経済は急速に回復し、クーリッジの時代(任1923~29)を通じ著しい経済成長をとげた。第一次大戦後、まだ数百万の人々が貧しい生活のままであったけれど、かつてない程度の高い生活水準を達成した。国民所得も1900年一人当たり480ドルから、1929年には681ドルに上昇した【*1】。
 繁栄の20年代を象徴する名判決が最低賃金制は雇用主と契約する個人の自由を侵害すると裁断した1923年アドキンズ対児童病院判決であると私は思う。この判決はクーリッジの考えとも一致したようである。クーリッジは1924年のスピーチで「あらゆる自由は個人的なものである」と述べた【*2】。
 数年前に留学生のサイトで読んだのだが、リバタリアン系の政治評論誌Reasonに、古典的自由主義の論客として知られるリチャード・エプステイン現ニューヨーク大学教授のインタビューを紹介している、---「好きな大統領」として、「言うまでも無くクーリッジ。彼は間違いも犯したが、小さな政府主義者だった」---と答えている。連邦予算の削減と減税を実施した。お節介なことはしない主義、「必要以上の税を集めるのは合法的強盗である」と言った大統領であった。
 我が国では指導力を発揮して大きな仕事をする大統領を評価する傾向が多分にあるが、それは間違いである。大統領の権限は憲法で制限されており、その枠を超える働きは憲法体制に反するのであって、三権分立の趣旨をよく理解していたタフトのような地味な大統領が本来は望ましい。ハーディングやクーリッジがそうだった。
 クーリッジは何もしない大統領とも言われるが、拒否権発動で存在感を示した。1927年のマクナリー・ホーゲン法案の拒否権発動などである。繁栄の20年代にもかかわらず苦しくなったのは農家だった。第一世界大戦までが、アメリカ農業の黄金時代だったが、20年以降農産物価格が暴落した。ハーディング政権下で仲買問屋や屠場の価格を公的にコントロールする法律や、農務長官に穀物取引の指揮権付与、農業協同組合の反トラスト法免除などの法律が制定されてたが、それでも満足できず、政府の介入という考えに取りつかれたジョージ・ピークの指導のもと、農産物価格をつり上げるため、余剰農産物を海外にてダンピングしようとするマクナリー・ホーゲン法案が1927年、28年議会を通過したが、大統領は政府の介入による価格つり上げニ反対し、拒否権を発動した。このことは、サザーランド判事が主軸となって判決した一連の価格統制立法違憲判決タイソンブラザー商会対バントン判決Tyson & Bro. v. Banton, 273 U.S. 418 (1927)やリブニク対マックブライド判決Ribnik v. McBride, 277 U.S. 350 (1928)  と軌を一にする思想と評価できるだろう。
 
【*1】ウィリアム・ルクテンバーグ/古川・矢島訳『アメリカ一九一四-三二-繁栄と凋落の検証-』音羽書房鶴見書店2004年 219頁
【*2】アミティ・シュレーズ/田村勝省訳『アメリカ大恐慌―「忘れられた人々」の物語(上)』NTT出版2008年 33頁
【*3】ルクテンバーグ前掲書126頁

(2)アドキンズ判決の論理構成が複雑な理由

 1923年◎アドキンズ対児童病院判決Adkins v. Children's Hospital261 U.S. 525 http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0261_0525_ZO.htmlは、女性及び未成年者に対する最低賃金を定めた連邦法(コロンビア特別区に適用される)について、成人女性に適用され限り、修正5条のデュープロセス条項により保護される契約の自由を侵害するものとし票決5対3違憲と判決したものである。(サザーランド判事が法廷意見を記し、マッケナ、ヴァン・デヴァンター、マックレイノルズ、バトラー各判事が賛同した。タフト主席判事が反対意見を記し、サンフォード判事が加わった。ホームズ判事は単独で反対意見を記した。ブランダイス判事は判決に加わらなかった。)
「契約の自由は一般原則であって、制限は例外である」と明快に個人の契約の自由を憲法で保障することを、これまで以上に強調した重要な判例(但し1937年ウェストコーストホテル対パリッシュ判決で明示的に判例変更)であり、私は(法廷意見の傍論の一部を除いて)賛同するが、論理構成が複雑なのは次の2つの事情があるためである。

A バンティング判決で労働時間規制を合憲としたマッケナ判事が法廷意見に加わった

 サザーランド法廷意見は自分に関する事柄について契約する権利が憲法で保障されることについては、Allgeyer v. Louisiana, Coppage v. Kansas, Adair v. United States, Lochner v. New Yorkなどの先例を挙げて再確認している。
 ところが、1917年の×バンティング対オレゴン判決BUNTING v. STATE OF OREGON , 243 U.S. 426 (1917) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=243&invol=426では、オレゴン州で工場労働で一般的に一日10時間労働を定め、所定時間外の割増し賃金を定める州法をロックナー判決に言及せず、合憲判決を下しており、ロックナー判決は明示的ではないが黙示的に判例変更されていた。
 この点について法廷意見は、労働時間規制を違憲とするロックナー判決を先例として確認し、労働時間規制については、1908年ミュラー対オレゴン判決にある女性の労働時間規制の場合にのみ合法とするのが判例法であると述べている。
 ところが、サザーランド法廷意見は、労働時間制限立法より最低賃金立法が契約の自由の核心にかかわる事柄だと言う。労働時間規制は契約の附属条項に関するもので、賃金についての契約こそが契約の自由の核心であるというのだ。
 私がサザーランド法廷意見に異論があるのは主としてこの部分である。ロックナー判決では、ベーカリーのパン製造労働者は一日の労働時間をきめないで日当が二ドルという、世間の相場というか慣行であったのに、1日10時間以上、週60時間以上働かせると雇用主が処罰されるという州法を違憲としたのである。
 時間給でなく日当二ドルでパン製造職人は一日に必要な仕事をこなすという雇傭契約と、州政府や労働組合という第三者が契約内容に干渉し、時間規制がなされるのとでは、雇傭のありかたはかなり違うのである。政府であれ組合であれ、第三者の干渉を認めるか否かは、私的自治、あるいは意思自治の原則という近代市民法秩序の核心にかかわる問題であり、バンティング事件がそうであるように、労働時間規制立法は、所定外時間労働の割増賃金の要求とリンクしていることが多く、日当か時間給か、月給か年俸かというのは働き方だけでなく、雇用主と被用者の人間関係もかかわる事柄で、バイトのように、時間がくればはいさよならと仕事をするのと、家内使用人のように、時間にかかわらずいっさいがっさいの仕事を献身的にこなすのとでは違いが出てくることはいうまでもない。
 よって、労働時間規制立法と賃金統制立法を区別する必要は特段なく、同じく契約の自由の核心にかかわるものとして司法審査の対象とすべきと私は考えるからである。つまり私は4騎士のなかでも自由放任経済哲学が明確で、ニューディールに最も強く抵抗したとされるサザーランド判事は尊敬するが、少し不満も持っているとていうことである。
 なぜ、このようにわかりにくい立論になってしまったかというと、マッケナ判事という揺れる裁判官の存在がある。マッケナはマッキンリー任命の最古参の裁判官であり、1923年当時の現役裁判官では1905年ロックナー判決に加わった唯一の裁判官だった。マッケナは穏健な保守派とみなされ、違憲判決の決定的な5票目を投じているのである。ところがウィルソンの革新主義の時代になると、マッケナはリベラル派に与して1917年バンティング判決では労働時間規制立法を合憲とした判決文の起草者となる。ところが晩年は再び保守的となり、この判決でも事実上キャスティング・ボートを握って4騎士に与したのである。
 私が思うに、マッケナが決定票を握っていた以上、労働時間規制立法を合憲としたメンツを潰すことができないので、こういう書き方にならざるを得なかったのではないか。あるいは、サザーランドが、ユタ州選出の上院議員だった時代の政治活動で、労働災害補償立法に積極的だった。あるい労働時間規制立法にかかわったという情報もネットでみることができるので、彼自身の首尾務一貫性から、こういう書き方になったのかもしれない。

B 先例ミュラー対オレゴン判決の判例変更としての側面

 1908年ミュラー対オレゴン判決Muller v.Oregon,208 US.412は、両性の本質的な相違と男女の役割の差異という19世紀的な定型概念に基づいて、女性のみの労働時間規制立法(オレゴン州での機械作業所・工場・洗濯業において女性は1日10時間を超えて雇傭されてはならないとする州法)の合憲性を支持した。具体的な理由として、身体の構造、それぞれが果たすべき役割、長時間働く能力、子孫への影響、きちんと権利を主張するのに必要な自己への信頼、生存競争の力において、男女は異なっているから、女性保護立法は、同様の立法が男性には不必要であり支持できないときでも支持されると述べた【*1】。
 この判決は極保守派のブリューワ判事が法廷意見を記し、労働時間規制が男性に適用される限り契約の自由の侵害として司法審査の対象となるという立場でロックナー判決は維持されている。
 今日、公民権法タイトル7によって雇用における性差別は、かなり厳格に違法とされる。ブリューワ法廷意見にある「たとえ母たる役割がなくとも、長時間の立仕事は身体に有害であるとの多くの医学的証言がある」【*2】という見解は、女性を庇護されるべき性、弱い性とみなすステロタイプに思える。現代の医学的水準では、女性より男性が病気になる傾向、男性の方がストレスに弱いことなどが指摘されており、容認しがたい見解である。
 1923年アドキンズ判決は、ミュラー判決を覆して、女性も男性と同様、憲法によって保護される「契約の自由」を享受するとされた。女性の権利にとって画期的な判決となった。
 この背景としては、1920年投票権の性差別の禁止(女性参政権)を定めた憲法修正19条が批准された事情がある。サザ-ランドは上院議員時代から修正19条の推進論者であった。
 しかしながら私は、男女の権利の差異を前提とするブラッドリー判事やブリューワ判事の示した、男女役割分担の定型概念を基本には支持する立場であり、投票権での差別を禁止したに過ぎない憲法19条から直接判例変更を引き出せるものではないと考えるので、この判例変更は唐突のように思える。
 というのは、本件は連邦法の事件で修正5条が争点だが、修正14条における「人」に「女性」も含まれることを初めて明らかにしたのは、1971年の遺言の検認の手続きにおける性別を違憲とした。リード対リード判決Reed v.Reed,404 US.71であり、連邦最高裁が州法にる性差別を違憲と判示するようになったのは70年代以降の展開であるからだ。そのような意味でも進歩的な判決なのである。
 私は、リード判決を支持しない女性差別主義であると、再三述べてきたにもかかわず、アドキンズ対児童病院判決に賛同する理由は、仮に、憲法修正19条を背景として女性の権利を確立のは行きすぎがあるとしても、ロックナーを先例として再確認した意義、「契約の自由が原則であってその制約は例外」と述べた意義が余りに大きくて、そのためには女性の権利に加担するマイナスを相殺してあまりある価値を認めるためである。

 
【*1】根本猛「性差別とライフスタイルの自由」『法経論集』75/76 1996http://hdl.handle.net/10297/4908
【*2】Muller v.Oregon 別冊ジユリスト139号『英米判例百選』第3版76頁

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