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2011/10/15

18世紀フランスの開明的立法テュルゴー勅令とル・シャプリエ法

 今のフランスは労働組合の組織率は低いが労働協約の拡張適用により、協約適用労働者のり範囲が広い国であり、そのような意味で労働組合の影響力の大きい国として問題である。 
  従って、フランスのワインこそ飲んでいるが今のフランスの体制は嫌いである。しかし世界の学問的中心できらぼしのように多くの聖人を輩出した12~13世紀のフランスは好きだし、これから述べるルイ16世の治世、財務総監テュルゴーの政策は現代でいえば徹底的な規制撤廃であり、アダム・スミスにも影響を与えたということで、評価されてしかるべき人物であると考える。
 イギリスでは、17世紀からコモンローの営業制限の法理により、独占商人の国王の勅許が違法評価され、同業組合の入職規制等も営業制限として好ましくないものとしてと評価され、営業の自由が立憲体制の根幹的な価値として浸透して近代資本主義が進展したのである。労働者の団結や集団的圧力のもとの取引それ自体が営業を制限するコンスピラシー(共謀罪)として、また18世紀においては主従法や産業別団結禁止法といった制定法でも規制され、名宰相小ピットが推進した1799-1800年全般的団結禁止禁止法が制定されたのである。
 つまり早い時期に初期独占が崩壊し、ギルドによる入職規制、営業制限、地域独占の弊害が除去された競争社会となっていたイギリスにおいて、産業革命が起きたのである。ウェーバーテーゼを否定しないが独占の排除、営業の自由を臣民の自由とした立憲体制の確立が私は大きいと思う。これに対し、排他的独占組織のギルドの弊害が遅くまで残ったドイツが後進資本主義国となったし、自由より束縛になじんでいたドイツ人は全体主義の体制を選び、敗戦し、イギリスでは法的にありえない労働協約の法的拘束力が浸透したのである。私がドイツを嫌っているのはそういう理由である。
 フランスはどうかというと、ドイツよりは開明的だった面がある。アンシャンレジーム末期においては、地域独占の同業組合と仲間職人制度は営業(および勤労)の自由のための弊害と認識されていた。それは、隣国イギリスの産業の進展からみても当然意識されていたことと考える。
 革命後の1791年のル・シャプリエ法により、フランスでは労働者の団結を、「自由と人権宣言に対する襲撃と非難し禁止した。つまり労働組合は近代市民社会の個人的自由主義と人権の敵と認識されていたのであり、理念的には正しいのである。
 そうすると、保守主義者がよく引用するエドマンド・バークのフランス革命批判をあなたは否定するのですかということになるが、そこは折り合いをつけることができる。
 つまり、ル・シャプリエ法はフランス革命の成果といえるが、同業組合禁止それ自体はアンシャンレジーム末期から継続した政策だったのである。革命前の1976年2月のテュルゴ勅令(営業及び手工業の宣誓組合および同業体の廃止に関する勅令)により重大な改革がなされていた。ただ財務総監のテュルゴーは有能だったが、改革が急進的であらゆる階級を敵に回し、決定的には王妃マリー・アントワネットの不興をかったことで、クビになったためhttp://cruel.org/econthought/profiles/turgot.html、革命後にかれの目指す政策が本当に実現したということだ。
 そのテュルゴ勅令前文では勤労権Right to Work を高らかに宣言している。
「神は人間に欲求を与え、人間によって労働による収入を必然とすることによって、労働する権利を、すべての人間の所有権とした。そして、この所有権は、すべての所有権のなかで第一の、そしてもっとも神聖で、もっとも不滅のものである」
 」「悪の根源は‥‥集合し、一つの団体としけ結合する権能それ自体にある」とも述べた。 つまり勤労権とは、同業組合や職人や労働者の団結による、入職規制、営業の制限を受けることなく自由にな職業につき働くことが出来る権利を指す。本質的には反労働組合的性格のものである。それは今日アメリカの労働権法Right to Work lawとは労働者は採用された後に組合への加入を強制されず、組合への加入・非加入を労働者は自ら選択することが出来、組合費を払うことなく雇用される権利を指すのと同じ脈絡であるということができる。
 合衆国最高裁BUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY CO., 111 U.S. 746 (1884) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=111&invol=746における次のフィールド判事の補足意見は重要である。フィールド判事は闘争的で教条的とも評されるが傑出した名裁判官であり、明晰な文章と不屈の意志で正しいと考える法原則をたゆまず宣言した。
「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」
 つまり契約の自由は独立宣言に示される不可譲の権利(自然権)個人の幸福追求の権利の一つだと言っている。自らの労働のうちに有する財産という考え方はジョン・ロックも言ってることだが、財産という概念に自身が所有する身体を使って雇用される能力も含む概念になっていることに注意したい。つまり他者に掣肘されることなく労働力を処分し雇用契約する自由が勤労権の意味するところといえよえ。アダム・スミスのこの文章は同職組合の入職規制批判なので、テュルゴーの影響は明白だ、その思想は、アメリカの契約の自由の思想にも流れ込んでいたのだ。

 参考 ブログ満州っ子平和をうたうhttp://38300902.at.webry.info/201103/article_27.html
* 引用 中村紘一 「ル・シャプリエ法研究試論」『早稲田法学会誌 』20巻き1号http://hdl.handle.net/2065/6281

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