入手資料整理62
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『労働法律旬報』
1751号(2001年9月上旬号)
野田進「台湾における集団的労働紛争の制度改革」
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根本到「新たな公務労使関係制度の課題ー労働基本権の回復か労使自治の制度化か」
1753号(2001年10月上旬号)
島田陽一「公務労働法制を考える」
1754号(2001年10月下旬号)
永野秀雄「一九六四年公民権法第七編にもとづく大規模クラスアクションの限界ーウォルマート社事件連邦最高裁判決」
1755号(2001年10月上旬号)
特集公務労使関係制度改革
根本到「「国家公務員の労働関係に関する法律案」で提示された制度の内容と課題」
渡邊賢「国家公務員制度改革と統治の仕組み」
国家公務員制度改革基本報等に基づく改革の「全体像」について(2011.4.5)
国家公務員制度改革関連4法案の概要(2011.6.3閣議決定)
国家公務員の労働関係制度に関する法律案(2011.6.3内閣官房)
公務員庁設置法案(2011.6.3内閣官房)
地方公務員の労使関係制度に係る基本的考え方(2011.6.2総務省)
『月刊高校教育』44巻8号 2011.7
内田良「学校安全の死角16 続・柔道事故と武道必修化2 障害事例261件の分析」
『月刊高校教育44巻13号』2011.12
星野豊「勤務時間内の組合活動に対する給与返還請求」
『日本歴史』751号 2011年12月号
田村航「禁闕の変における日野有光ー後光厳院流と崇光院流の確執」
r.有光が後南朝に加担した理由を室町幕府に怨恨をいだいていたとする通説を批判し、別の理由(後光厳院流と崇光院流の確執)を提示する。
つまり日野家は後円融天皇以来、歴代天皇の乳父を輩出し称光の外戚の地位にあり、有光女も称光の寵愛を受けていた。明白に後光厳院流(柳原流)側の廷臣であった。
後花園は自然血統では崇光院流(伏見宮)だが、後小松の猶子として皇位継承者とされ、系譜としては柳原流を継承したのである。しかも、後小松は遺詔により、実父伏見宮貞成親王の太上天皇尊号宣下に反対した。このことにより後小松近臣と、伏見宮に接近した一条兼良らと確執があったことが知られている。ところが後小松に近い満済が没してから、力関係が変化して、将軍義教の許可により貞成親王が上皇になぞらえることが公にみとめられ、決定的には嘉吉二年に和気郷成猶子伊予局を生母として後土御門が誕生し、外戚は日野家から和気家に交代したうえ、生後まもない皇子(後土御門)は伏見宮に引き取られたことにより、後土御門は崇光院流の天皇と位置づけられることになり、自らのよりどころである柳原流の存続が困難となった状況で、崇光院流への切り替えに反発し、後南朝に接近したというものである。
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