「平清盛」初回の感想
昭和47年の「新平家物語」放映時は裏のTX「日曜ワイド笑」という寄席番組を見ていたので全く記憶がない。しかし今回は見てみたいと思う。
法皇(伊東四朗)のそのシーンはリアルだったので少し驚いた。この分だと藤原得子(松雪泰子)と鳥羽上皇(三上博史)の醜態も濃厚に描くのかもしれない。藤原頼長(山本耕史)の男色はやるのだろうか。
鳥羽が君主らしくなくメソメソ泣いていたがありえないと思う。そもそも藤原璋子は藤原忠通に嫁ぐ予定だったのだが、忠実は二代続いて『古女いただき』では摂関家の面目が保てないため拒否したのである。
(つまり忠実の正妻源師子は白河上皇の寵愛を受け、覚法法親王の母でもある。古女を頂戴したため院に下手に出て物がいえなくなってしまったのである。堀河朝関白師通期まで政務決裁は天皇と関白で行われており、受領功過定もこの時期まで行われていた。上皇に裁可を求める事案は関白が取捨選択したから上皇は限定的に国政に関与するだけだった。本格的な院政になったのは忠実が院に遠慮があり実力不足だったためなどといわれている。)
『殿暦』によると、忠実は后位にのぼせられた女性にもかかわらず、藤原璋子をさして口汚くののしっているだけでなく、鳥羽天皇への入内も異常なことだと書いている。こんな女性が摂関家の正妻になったら大変だとの認識があったと思われる。
そうすると璋子と法皇がしめしあわせたのも想定内のことであり、うろたえるほどのことではない。
崇徳-白河胤説の角田文衛によると、鳥羽上皇と待賢門院(藤原璋子)は藤原得子が上皇の宮に入侍するまでは良好な関係だった。それは両院行幸が少なくないことからうかがえられる。崇徳とは「異父」キョウダイとなる雅仁親王(後白河)や統子内親王(上西門院)は待賢門院の手許で育てられている。
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