平清盛第11回の感想
近衛への譲位の宣命が読み上げられるシーンがあったが、このシーンは『愚管抄』にあるように『こはいかに』と遺恨をあらわにするシーンを予想していたが違っていた。
近衛生母の藤原得子(中納言藤原長実女)が国母であるのに、なぜ皇太后でなく皇后に冊立されたかについては説明が必要のように思える。
本来は帝母が皇太后であるからだ。
近衛は崇徳の中宮藤原聖子(関白忠通女)の猶子とされていたのであり、公式の母は養母藤原聖子であるから近衛即位に伴い、中宮より皇太后に転上された。皇后位は鳥羽上皇の妻后藤原泰子であったが、后位を退き女院宣下(高陽院)されて、皇后が空位になっていたため、近衛生母の藤原得子が中級貴族としては異例のことだが即位と同時に皇后に立てられたということである。
太上天皇の妻后が皇后のままだった前例として円融妻后藤原遵子(関白頼忠女)のケースがあり、直近の例では鳥羽上皇の妻后として藤原泰子(関白忠実女)が皇后に立てられている。従って上皇の妻后が皇后でよいのである。
なお、鳥羽天皇は一帝三妻后である。中宮藤原璋子(大納言藤原公実女のち待賢門院)、皇后藤原泰子(のち高陽院)、皇后藤原得子(のち美福門院)である。このため近衛即位時には、二方は女院であるが三妻后が並び立ったのである。
藤原泰子の立后は父忠実の懇願により摂関家のメンツを保つための政治的なもので、上皇の宮に参入したのが、39歳と高齢であった。
鳥羽生母は藤原苡子(大納言藤原実季女)で産後間もなく薨ぜられた。生母は閑院流藤原氏であるから、摂政忠実は外戚ではない。以降これが慣例となって、摂関家は外戚であるなしにかかわらず、摂関を世襲することとなった。しかし摂関家は、実の娘か養女を必ず入内させて后位に立てるのが慣例であり、鳥羽上皇にとっても摂関家から后を立てることは権力基盤を固めるうえで有益であったので、このような立后がなされたと考えられる。
なお、鳥羽准母白河皇女令子内親王は、院政期に鎌倉時代にかけて11例ある、非婚内親王の皇后の初例である。鳥羽は5歳で即位し生母が生後間もなく薨ぜられたため、幼帝の行幸を扶持し、同輿する准母が必要だったのである。なお、令子内親王は鳥羽譲位後、太皇太后に転上されているが、系譜上は崇徳の祖母に相当する(実は姉だと思うが)から順当である。
天皇准母が皇后に立てられたのだから、天皇生母が皇后であってもよいのである。
本来皇后は天子の嫡妻であるが、我が国では二方、三方並びたったり、非婚内親王も皇后に立てられていることから、王朝時代の皇后は中国の王朝と比較して嫡妻としての性格より、政治的班位としての性格が強いともいわれる。
中国と同じく嫡妻としての性格が明確になったのは明治以降のことである。
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