平清盛第16回4/22放映分の感想
忠通義絶事件と家成邸追補事件が描かれていたが史実と異なるのでコメントする。
久安6年(1150)9月26日の忠通義絶事件
大殿藤原忠実は忠通に摂政を頼長に譲るよう説得していたが、忠通の最終回答は、法皇が摂政を召し上げるなら仕方ないが、自ら頼長に譲ることはないというものだった。激怒した忠実は頼長を伴って宇治より上洛し、摂関家の本邸である東三条殿に押入り、高陽院泰子を招き、源為義らの武士に警固させたうえで、忠通義絶の措置をとった。頼長を氏長者とし、蔵にあった氏の長者の地位を象徴する朱器台盤や渡庄券文を頼長に与えたという事件。
史実では、その時忠通は新造の法性寺殿にいて、何の動きも示さなかった。ドラマのように忠通がいたところを襲撃させたわけではない。東三条殿は摂関家の家嫡が管領する邸宅だが、父権の行使としての押収であるから、ドラマが言うような「盗賊」行為を行ったというのは言い過ぎである。
頼長の「内覧」職は忠実の要請に法皇が応えたものだが、事実上、関白と同じである。一方、法皇は忠通の摂政辞任の申し出に対し、関白に切り替えた。関白が二人いるような事態となってしまったのである。
仁平元年(1151)久安7年9月8日藤原家成邸追補事件
藤原家成は鳥羽院政初期から有力な院近臣であり「天下事一向帰家成」といわれるほどの権勢だった。事件の発端はその年の7月に頼長の雑色(頼長の男色相手だったとみられている)が家成の下部に凌辱されたため、その報復として頼長は腹臣の随身秦公春(頼長の男色相手)に、その下部の追補を命じ、家成邸に乱入し狼藉を働いたというものであって、ドラマにあるように源為義に襲撃させたというものではない。
この事件を機に法皇は頼長を「ウトミ思召す」ようになったとされる。よりリアルなドラマを描くなら、ここでどろどろとした男色関係を描くべきだった。
参照 橋本義彦『藤原頼長』吉川弘文館1964
松原輝美「詩人の妄執-佐藤義清遁世考(下)」『高松短期大学紀要』22号19 92
PDFhttp://www.takamatsu-u.ac.jp/library/06_gakunaisyupan/kiyo/no22/22_II_51-77_matsubara.pdf
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とうとう、平氏にとって大きな転換点となる場面がやってきます。今回はそのことが最初から最後まで気になって色々なシーンが出てきましたが、あまり頭に入ってこなかったように思えます。その重要なシーンはやはり最後にやってくるのですが、まずは心を落ち着けるためにそれまでのシーンを思い出してみようと思います。 といっても、平氏そのものの話以外に登場するのは、大きく2つだけ。それが源氏の状況と王家の状況です。まず源氏の状況としては、為義と義朝の関係が段々悪くなっていきます。源氏が藤原摂関家に仕える段階で義朝にとって... [続きを読む]
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