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2012/05/20

「平清盛」第20話5/20放映分感想

保元元年七月二日の法皇崩御により一気に緊張が高まるはずが、緊迫感に乏しいドラマの展開にがっかりした。七月一一日未明の開戦までの間に何があったのか、
 元木泰雄『河内源氏』中公新書、河内祥輔『保元の乱・平治の乱』吉川弘文館によると七月五日に清盛次男の検非違使平基盛が後白河の動員に応じており、この時点で平氏一門の動向は明らかになっている。六日には頼長家人の源親治が予防拘禁され、七日には忠実・頼長が諸国から武士を動員するのを停止するよう命じられ、摂関家の本邸である東三条殿を没官、義朝によって接収され、頼長は謀反人となったが、ドラマではスルーだった。
 九日深夜、崇徳上皇が突如、鳥羽田中殿から白河の皇后統子内親王御所に渡御され人々を驚かせた。(統子内親王は同母妹であり、待賢門院より法金剛院領をた相続し管領していた。皇后というのは非婚内親王の皇后で後白河の准母もしくは管領としている所領を天皇もしくはその子孫に伝えるための立后と考えられる)、その後、白河北殿に入った。
 驚いた朝廷方は、慌てて武士を召集する。源義朝・義康・平清盛・源頼政といった有力武士のほか、検非違使、諸国国衙から地方の武士が動員されていたのに対し、崇徳上皇の白河殿に参入したのは崇徳側近の平正弘とその子息たち、頼長に近侍して宇治から同道した平忠正、多田源氏の頼憲、河内源氏の為義と頼賢、為朝、為仲以下の子息たちであり、主力は摂関家の家人だった。
 兵力でいえば国家的動員に対し摂関家家人の私的動員であり朝廷方のほうが圧倒していた。
 平忠正は宇治に居館が有り、早くから忠実・頼長に近侍していた。したがってドラマのような突然離反したわけでないし、勝ち目のない方になんで走るのか視聴者も納得しないだろう。
 『愚管抄』などが伝える源為義の作戦会議における献策はドラマでやるのだろうか。
待ちいくさは敗北する。急ぎ宇治に移るか、近江や関東への退却策、もしくは先制攻撃しか勝ち目はないというものである。このエピソードの真偽はわからない。軍事的にはこれが正しかった。防御線のある宇治に移って、興福寺の僧や吉野などからの援軍と合流したほうが勝ち目があった。
 上皇の権威を示すために白河殿から動きたくなかったが、メンツにこだわったのが失敗だったと考える。 
 

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» 平清盛 第20回「前夜の決断」 [あしたまにあーな]
視聴率に悩むといわれる本作品も、前回までのようなドロドロした王家の争いから一転して戦を通じてその主導権を明らかにしようという非常にわかりやすい展開に移行していることから、見やすくなったのではないでしょうか。細かい部分を指摘し始めるときりがないので、割り切って楽しむほうがいいのかもしれません。 後に保元の乱と呼ばれる戦に向けて、今回は人々がどのように考え、振る舞ったかを描いています。話がものすごく大きいので、もしかしたら2回に分けてもよかったのではと思うくらい濃い内容となりました。完全に失脚状態にあっ... [続きを読む]

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