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2012/07/14

コンスピラシーは悪だと教えない文化が問題だ

 基本的に関心はないけど、大津市立中学での「いじめ」事件http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120714-00000032-mai-sociで同級生3人が刑事告訴される報道されてるが(本日の産経記事)、少なくともこの事件というか「いじめ」といわれるものの大半は、1人対数人であり、ある人を害するか道徳的に反することを複数人がしめしあわせてたくらむものである。つまりコンスピラシーというのが本質であると思う。

 中学生の社会といっても、ある意味で大人の社会の縮図という側面があるとおもう。そもそも労働組合それ自体が使用者と労働者個人が自由な取引を行うことを制限するコンスピラシー、ピケッティング等の団体行動は他者の権利を侵害するコンスピラシーなのであり、コモンローでは共謀罪とされていた。
 ところ不法行為免責されたため、共謀が悪であるが是認される世界となったのが20世紀である。
 したがって複数人がしめしあせて他者の権利を侵害する目的で人をはめることが悪とはいいづらい社会になった。それが根本的な問題なのであって、人をはめて、財産権や労働の自由を侵害するのが団結権・団体行動権の行使だというのがプロレイバー労働法学である。そういう悪質な思想が一定の支持を得ている社会である以上、学校で「いじめ」があっても当然であり、他者の権利を侵害する目的の結合も結社の自由であるとされ、共謀罪というものが否定されている以上「いじめ」はなくならない。
 争いごとが一体一の場合は、いじめられたほうが弱いというだけで、同情することもないだろうが、敵対者が第三者と結託してしめしあわせた場合は、困難をはねのけることが難しい状況になりやすい。敵対者を攻撃する目的で第三者と共謀することを悪だと教えていないことが問題なのである。
 前近代社会の「村八分」や「打ち壊し」もコンスピラシーである。「村八分」されるほうが悪く、「打ち壊し」される商人の方が悪いとされるのである。この趣旨では大勢に逆らっているのでいじめられる方が悪いのである。近代社会である以上そういう文化は否定されなければならない。
 もっとも社会生活では当然争いごとがある。それを否定する必要はなく、中学生でも同じことだが、第三者からの害意から個人は自由であるのが本当の自由社会であり、そのために「共謀罪」が必要だ。

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