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2012年12月の19件の記事

2012/12/24

メモ-デジタル化資料

 これはたんに自分が忘れたときにみるメモ

 国会図書館は昔は10時半以降になると雑誌は2冊しか一度に閲覧できず、コピーも1日5ジョブとか制限もあり能率的でなかったが、今は昔のように混雑することはなさそうだし資料もさほど待たされずに出てくるし、西岡武夫氏が文部大臣だったころかと記憶しているが、そのころからサービスが格段によくなっている。ただひとつ、紙が劣化している古い資料を請求すると別室閲覧室行きを命じられ、監禁されているような気分になるので使いにくかった。マイクロフィッシュにいたっては面倒に思えた。しかしこの問題は資料のデジタル化で解消したのではないかと思う。
 紙が劣化した資料は館内のパソコンの画面で本を読むわけだが、コピーのとりかたの手順がちょっと複雑なので、おっさんなので、しょっちゅう行くわけでないから毎回忘れてしまい、いちいち利用技術の支援員にきくことになってしまうのでメモをしておいた。なお、デジタル資料のコピー料金は来年から値下げするという。

下記は支援員が指図した手順をメモがきしてたもので、必ずしも正確でないかもしれない。

1 まずコピーをとりたい部分のコマの範囲を手書きでメモする。そしてそれが著作権法で許容される範囲の頁数かも確認する。

2印刷をクリック

3コマを入力する。8-16,36,56-59みたいなかんじ
一度に20コマまで。

4詳細設定をクリック

5トリミングをする

6設定

7全てのコマに反映をクリック

8印刷保存をクリック

9印刷のアイコンをクリック

10プロパティをクリック

11白黒かカラーを選択

12詳細設定をクリック

13A4が初期設定されており、A4で問題ないからOKをクリック

14プレビュー作成 サムネイル表示が全部出るまで待つ
トリミングに問題がないかを確認

14金額が出る

15複写申込実行

16氏名を入力

17資料のタイトルをコピーペーストする。

18複写申込実行

受取場所は本館と新館両方にあるが、新館が混んでいるときは本館に行く。

登録カードを渡すと、番号札を渡される

番号札が呼ばれるまで待つ。

呼ばれたら、代金を払い、コピー製品と登録カードを受け取る

2012/12/23

不快な東京新聞社説

 先日、女性宮家創設を検討するパブリックコメントについて約26万7千件の多くを反対意見が占め、安倍自民党総裁は反対の立場で、政府が年明けの通常国会で目指していた皇室典範改正案の提出は見送られると報道された。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS18025_Y2A211C1PP8000/
 私のパブリックコメントは締め切り日の12月10日に出した。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-fbcb.html もちろん反対であるが、要旨は、我が国の家族慣行(「家」制度)では、婿養子は、家長予定者、家督相続者として迎えられるのであって、婿を迎える長女というのは主婦であって当主になるわけではない。このことは人類学者も明らかにしていることである。「女性宮家」というのは配偶者となる男性が当主にならないという点で我が国の慣行からみて異常なものであり、もちろん前例もない。男子の沽券にかかわる問題で、このようないびつな制度をつくるべきではないというものである。
 それはともかく、キオスクで左派色が強いと評判の東京新聞を買い電車の中で、本日の社説「天皇誕生日に考える 女性宮家が遠くなる」を読んだ。要するに社説は安倍新政権がこの問題を白紙に戻すというのはよろしくないということを言っているのだが、歴史認識において首をかしげざるをえなかった。
 この部分である。
「初代の神武天皇から百二十五代の今上天皇までの歴史には八人十代の女性天皇が含まれます。そして、天皇は国民の安寧や国の発展さらには世界の平和を祈る存在です。そこに男女の別はなく、皇位もまた千数百年一系の天子によって引き継がれてきた歴史事実こそが尊く、男系か女系かではないと思われるのです。」
 言い換えると、天皇は国民の安寧を祈ってくださる有り難い存在だが、そこに男女の区別はなかったと言っている。
 
 神事を執り行うことが天皇の存在意義であるという見解を否定しない。しかし、男女の区別はないはずだというのは間違っている。
 昨年刊行された藤田寛(日本近世史-東大名誉教授)の『天皇の歴史6 江戸時代の天皇』講談社の196頁以下によると「大事な神事が、女性天皇であるがゆえに安定的に、あるいは十分な形でおこないかたちで行いえないという問題がある。その理由は女性であるがゆえの「穢れ」である」と言う。
 明正女帝は数え七歳で即位され14年間の在位中に、四方拝や、小朝拝を行うことはなかったという。元旦の早朝からはじまる四方拝は重要な神事であり、欠けることなく江戸時代まで続いていたにもかかわらずである。
 後桜町女帝は大嘗祭こそ挙行されたが、数え二十三歳で即位され8年間の在位中、その場を設けるものの四方拝に出御されることはなく、御所内で行われていた新嘗祭に一度も出御されることはなかったという。
 結論として、「江戸時代にたしかに女性天皇が二人存在したが、その本質は「つなぎ」役であり、政務は摂政が代行し、神事もきわめて不十分にしか行うことができなかった。いわば「半天皇」でしかなかった」と述べる。
 宮中祭祀や儀礼を重視すればするほど、女性天皇は困難な問題があるといえるのではないか。そういうと奈良時代の女帝は神事を執り行ったのではないかとの反論もあろうが、幼くして特殊な事情で即位された明正はともかく、成人になって即位され、譲位後、上皇として政治力も有していた後桜町ですら、在位中、四方拝も新嘗祭も一貫して出御されていないという史実は前例としてみると重いと思う。無視できないのである。少なくとも東京新聞の言うように男女に区別がないとはいえない。

2012/12/20

入手資料整理90

1-114滝沢正『フランス法』三省堂1997
1-115石田光男・寺井基博『労働時間の決定』ミネルヴァ書房2012
1-116大和田敢太『フランス労働法の研究』文理閣1995
1-117山崎文夫『フランス労働法論』総合労働研究所1997
1-118林文夫編『経済停滞の原因と制度』勁草書房2007
1-119山口俊夫『概説フランス法下』東京大学出版会2004年
契約法と意思自治の原理、自由と人権、労働の自由にも言及、高い本だが買っただけの価値あった。
この本でも1950年2月11日法までフランスではストライキは債務不履行の法理により自発的行為による労働契約の終了を意味したと書かれている。(365頁)イギリスのコモンローは今日でも契約の終了であって、自己解雇によるギャンブルであるのが本来のストライキである。

本日スト中止 中央委員報告

 本日はストが予定されていたので襲撃に対応できるよう鞄を持たず手ぶらで通勤、ストは本日の零時過ぎに中止、三六協定も締結されたということで8時32分より55分まで23分間の中央委員による交渉の経過、妥結にいたった報告があった。原稿を読んでいて、早朝ビラ配り一斉行動や、14日の昼休み集会についても触れていたからよそでも同じことをやっているのだと思う。営業所に関連のあるところ、現業新規採用などについて説明していた。退職派遣については、当局の回答を朗読していた。譲歩を引き出したので妥結にいたったという趣旨のことをいっていた。12日も17分演説しているので本日の23分をあわせて40分だから賃金カットになりますがと所長に確認したところそれは規程どおりとの返答だった。
 なお、朝のショートミーティングという本来業務は係長が頭上報告とだぶらないよう、それが終わった後にやった。明らかに業務より組合が優先されているわけである。
 同じことが繰り返されている。これ以上放置しないように全力を傾注したい。

2012/12/19

この忙しい12月の超勤拒否闘争迷惑

 明日2時間ストライキが予定されているので、18日から20日まで三六協定破棄闘争というのを組合がやってる。毎年恒例でこの忙しい時期にぶつけるのだが、今年は4日間だが、夜間作業など影響がある。有給休暇消化モードの人もいるので人も少ないし、時間は限られるで、仕事の質が落ちやすくいちばん警戒を要する。至急かたずける必要のある仕事が5~6件持ち越しになってしまっている。
 しかし、よその職場ではもっと気楽なところもあって、近くで電車で話している客といったら、つるし上げを食うから有給休暇消化しないととはばかなことをいっている客がいた。相手の女がもう年末休暇モードですねだと。こんなに労働意欲がないんじや日本はだめになる。
 リフレとか金融政策にたよったデフレ脱却とかいっている安倍の経済政策必ずしも支持してない。支持してないが、よそよりましだから投票しただけ。私は古典的自由主義回帰指向だから法定有給休暇撤廃とか、労働基準法のオーバーホールこそ必要。

2012/12/18

下書き 企業内組合活動と施設管理権(学説と判例法理、とりわけ企業施設内組合活動の一般法理を打ち立てた昭和54年国労札幌地本ビラ貼り事件(最高裁第三小法廷)判決の意義について)(1

 
 
 目次(省略)
 
 
 Ⅰ 問題提起
 
 
 1 「正当な行為」とみなされない組合活動の放置(施設管理権の侵害ないし職務専念義務違反等企業秩序を乱す行為)
 
 ○○においては、普通の企業であるならば企業秩序を乱す行為として就業規則で禁止し、警告書を交付したり中止命令を発するのが当然のような、目的・態様の庁舎構内の広範な組合活動が黙認されたり、現認しても意味のある、警告、中止命令を行わないため、繰り返しおこなわれている実態がある。(詳細-別紙参考資料)。
 ここでは主として庁舎構内における組合活動において施設管理権および職務専念義務違反に関する問題と取り上げる。演説、集会、ビラ貼り、組合旗掲揚、ビラ配り、ワッペン等の着用などの事案である。
 
 周知のとおり、労組法7条1号は、労働組合に加入したことや正当な行為を行ったことを理由とする不利益取扱いを不当労働行為として禁止し、不当労働行為に対しては、労組法27条が労働委員会による行政救済システムを用意しており、労働委員会の救済命令に不服な場合は行政訴訟(取消訴訟)を提起できることとなっている。
 問題は何が「正当な行為」で何がそうでないか、どのようなケースで、警告や中止命令やどの程度の懲戒処分が可能であるかということであるが、それは、各事案ごとに救済命令取消訴訟等の判例を分析し判断していくほかない。
 そこで私は、下記の事案についてそれぞれ判例を検討したところ、多くのケースが「正当な行為」と評価されることはないものであり、企業秩序定立維持権(註記)にもとづき、就業規則等により無許可のものについては、警告、中止命令を発出し、懲戒処分も程度にもよるがほとんど可能な事案であるという結論に達した。
 たとえば、「昼休み事務室内職場集会」(註記)についていえばこうである。昼休みとはいえ営業時間で、一部の職員が休憩時間をずらして窓口や電話の対応をしている職務専念義務のある勤務時間中なのである。(註記)そこから8~10メートル離れた地点とはいえ、決議文朗読、決意表明演説、シュプレヒコール、拍手がなされるわけであるが(註記)、明らかにこれらの騒音は昼休み当番として勤務時間中の職員の職務への集中を散漫にさせるものであるといえる。職務専念義務は地方公務員法で明文で定められているほか、
 

 つづく
 
 これまではお遊び、いよいよこれから本格的な論文になる。
 今回は出だしのところだが、こんな調子で、くどい書き方をせずあっさり入っていって、註記で詳細を記すこととする。
 

小宮山洋子前厚労相落選はよくやった

  
 菅直人前元首相の落選を見たかったので比例で復活して残念という人は少なくないと思うが、精彩のない当選会見をみると、求心力はないようなみえた。それより夫婦別姓推進等フェミニズムの中心的な政治家といえる小宮山洋子前厚生労働大臣が復活できなくてよかったと思う。NHK解説委員時代から嫌いな人。
 頑張れ日本行動委員会で、小宮山前厚労相の落選運動として東京6区で全世帯にビラ配りしたということであるhttp://www.youtube.com/watch?v=SK9Cpe9fnI4&feature=youtube_gdata。それはけっこう効いてるんじゃないか。すごい成果だ。草の根でよくやったと思う。
 今回の選挙で自民や維新から出馬した保守系の候補で落ちたのは維新の林潤氏ぐらいらしいが、ほとんど受かったという。そうすると国会議員の質はよくなっていると思う。
 選挙直前の夕刊フジでアナウンス効果により民主党が盛り返し3桁という報道があったが、予想以上に議席が減った。民主党の重要閣僚経験者は軒並み落選しているが、労組が支持母体の川端達夫や平野博文あたりも落選したのは痛快でもある。

2012/12/16

総選挙8時発表各局出口調査

ザッピングしてメモしたところでは次のとおり(誤記があるかもしれない)

NHK 自民275~310 民主55~77 維新 40~61 公明27~35
TBS 自民295 民主66 維新 46 公明31 みんな19
CX 自民299 民主62 維新46 公明31 みんな17 
テレ朝 自民296 民主65 維新46 公明32 みんな17
テレ東 自民297 民主63 維新48 公明32 みんな16
日テレ 自民293 民主59

私の投票行動

都知事-トクマ(幸福実現党)
小選挙区-自民党候補
比例-自民党

2012/12/15

ミシガン州が24番目の労働権州Right to Work States になる 反労働組合陣営の大勝利だ

 久々に明るいニュースです。12月11日ミシガン州のスナイダー知事(共和党)は、right-to-work law(労働権法)に署名し、全米で24番目の労働権州となりました。http://articles.chicagotribune.com/2012-12-11/news/chi-right-to-work-michigan-20121211_1_public-and-private-sector-unions-union-contracts-governor-signs-bills ミシガンは強制的組合費支払いから労働者を解放しました。
 今年2月にインディアナ州が労働権法を制定しましたが、それに続いてのものです。(労働権州の地図を見てくださいhttp://www.nrtw.org/rtws.htm)従来南部が中心だったRight to Work States ですが、ラストベルトの重工業州が相次いで制定したことの意味は大きい。しかもミシガンはGM、フォード、クライスラーの本拠地がある自動車産業の中心で、アメリカで5番目に労働組合組織率の高い州(17.5%)であるから、ある意味驚きでした。よくやったと思います。実際猛烈な反対運動がありシカゴトリビューンによればランシング議事堂周辺で12000の抗議活動があったとのことです。(PBSニュースアワーの報道http://www.youtube.com/watch?v=yRhwIECzcws) 
 
 労働権法、right-to-work lawとは組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を否定するものである。端的にいえばユニオンショップとエージェンシーショップの禁止である。
 被用者は組合に加入せず組合費を払わず雇傭される権利を明確にするものである。
 アメリカの全国労使関係法では排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において3割以上の署名を得て組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得できるシステムである。
 つまり、アメリカのシステムは交渉代表選挙によって、労働組合による集団取引を選ぶか、一対一の個別契約かを労働者自身が選ぶということである。2011年の民間部門の組合組織率が6.9%であるのも、交渉代表選挙にいたっても否決されることが多いということである。
 また交渉代表選挙で勝っても、労働協約締結は強制されないから、労働協約が成立しないこともある。しかし協約が締結され組合保障条項が適用されれば、組合員でなくても強制的に組合費は支払わされることになる。これをエージェンシーショップという。
 労働権法はこれを否定するので、今後、協約適用労働者から組合費を強制徴収できなくなるので、組織労働者にとって打撃になるということである。
 なお、ミシガン州の労働権法は民間だけでなく公共部門にも適用されるので、教員など公務員り労働組合にとっても打撃になります。
 労働権州になるメリットとして企業誘致に有利なことがあげられる。南部はほとんどが労働権州だが、労働組合が組織化されにくいという利点が企業の投資を促す要因になってました。サンベルトの経済成長の背景といえます。
 ミシガン州の自由主義シンクタンク Mackinac Center for Public Policy のウイリアム.T.ウイルソン博士の論文 「The Effect of Right-to-Work Laws on Economic Development」 http://www.mackinac.org/article.aspx?ID=4293は経済発展のために労働権州が有利であるといってます。
   一般論でいえば組合のない職場が作業環境がフレキシブルで、単位労働コストは低い。高い生産性とビジネスの成長を促します。組合のない職場の方がトップダウンでなく従業員参加を促す経営になるので働きがいがあり、雇い主と労働者双方のニーズに敏感な作業環境を支持します。労働権法は組合の組織化を抑制する効果は当然認めらます。
  もっとも名目所得は非労働権州が10%高いのです。しかし可処分所得で労働権州が0.2%有利です。つまり物価が安いと言うことです。
  「 311の米国都市エリアを調べて、ジェームス・ベネット(1994)は、非労働権州に生活する家族が、より高い平均した名目所得を持っていますが、労働権法州の普通のアーバンファミリーには1年あたりの税引後の購買力における以上が同じ家族が非労働権州に持っているだろうより2,852ドルあるのがわかります。」とウィルソン博士の論文にあります。
  Mackinac Centerという自由市場指向のシンクタンクは以前よりこの法律を制定する運動をやっていました。
  しかし、よく考えると、1920年代のデトロイトは組合の組織化を阻止していたオープンショップの健全な都市でした。GMが組織化されたのは1937年であり、大恐慌と失業者の増大による社会不安と、産業別組合の台頭によるものです。もともとミシガンは保守的な土地柄であったとも考えられます。スナイダー知事は有能であることがわかりました。自動車産業が再生したとはいえ、3社寡占時代のようにパターンバーゲニングで高い所得保障、年金などでの厚遇は望めないのであるから順当な結果ともいえます。
                                 

2012/12/14

本日昼休み組合決起集会

 昨日午後、所長と分会書記長が20分ほど顔をつきあわせて、話し込んでいた。きょうのことでも打ち合わせていたのだろうか。12時30分に赤腕章をした分会書記長が決議文案を配りだした。回状で休憩室となっていたが事務室中央でやることがわかった。所長が自席で食事をとっていたから中止命令が相当である旨意見した。きょうここでやるという話は事前にないという。しかし、書記長は所長に通告して演説を32分ころから開始、これまでの水源管理事務所などの三割動員などの闘争経過をのべ、17日の三割動員、20日の2時間ストライキを構え、主たる闘争課題である、監理団体業務委託の見直しや、直営職場を残す課題を説明、現在現業が必要であるとの言辞を当局から引き出した云々とこれまでの経過での成果を説明、40分から分会長に演説者がうつり、今回の国政選挙は公務員の賃下げが争点となっており、投票は慎重な判断をなどとわけのわからないことを言っていた。政党名や候補者名やその他の選挙の争点にふれておらず抑制されたトーンだった。その後用意されていた闘争課題について決議文の朗読があった。朗読なのであるていど張り上げた声であった。8~9人が自席できいていて拍手があった。下水道局組織改正による18名定員減は容認しないともいっていた。47分より49分まで書記長にもどり監理団体による東南アジアの水道事業を非難、監理団体が天下り先になっているなどとも言っていた。組合員代表による決意表明やシュプレヒコールはなく、淡々と終了し、拍手があった。なお、その間に窓口では支払のための来客あり昼休み当番が対応していたほう、電話もかかっている。なお、所長ははじめの5~6分は見ている。その後部屋から出ていったが、組合としめしあわせて職場離脱し現認しないというわるさはなかったように思う。
 昨年のように、決意表明やシュプレヒコールがなくあっさりとしていたのは一昨年の板橋、昨年の足立に続く営業所のあらたな業務委託が提案されておらず、営業所の職員にとっては無関心な闘争課題が多いこと。下水道の定員削減提案はわれわれの業務とは無関係であることもあると思う。
 シュプレヒコールがあろうとなかろうと、企業秩序を乱すものとして、中止命令を求めるための施設管理権の発動に関する包括的な提案を行う。集会だけでなく、超勤拒否闘争、業務指揮権侵害、ピケット、ワッペン、ビラ配り、掲示物いろんな問題があるので手間取り、のびのびになっているが、これ以上我慢ならないので早急にまとめる。明日、明後日の休みと次の三連休、今年は紅白もみないで年末年始休暇の全日を集中してこのために時間を使うから、正月あけには骨格を完成させるようにする。
 こちらの戦略は論理性で圧倒すること。新知事に提案しても恥ずかしくないものをつくる。

2012/12/13

森本アナの停職三ヶ月厳しすぎると思う

 田園都市線で二十代の女性の胸を触って逮捕されたが、相手の女性が処罰を求めず不起訴処分となっていた森本アナウンサーにNHKは停職3ヶ月の懲戒を発表したという。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121213/ent12121317380011-n1.htm

 厳しい処分だと思う。飲酒すると記憶がとんだり抑制がきかなくなる人がいる。その類の事故であって、しらふで胸を揉んだわけではない。しかも相手の女性が処罰を求めなかったのだからもっと軽い処分でもよかった思う。
 というのは、我が社との比較である。飲酒の事件で我が社では今年2月28日に埼玉県警東松山署は28日、暴行の現行犯で、東京都水道局課長補佐(51)を逮捕したという事件があった。産経は「逮捕容疑は28日午前1時5分ごろ、同市の東武東上線東松山駅で、自分のクレジットカードが券売機で使えずに憤慨、事情を説明した駅の男性助役(48)の顔を殴って逃走した疑い。同署によると、高橋容疑者は当時、酒を飲んでおり、容疑を否認している。助役が約500メートル追跡し110番で駆け付けた署員が逮捕した。」と報道している。

 相手の駅員が告訴をしていないため懲戒処分とされてないと仄聞しているが、可罰的違法性がないとしても現行犯で逮捕されてるのに、相手が告訴しないからといって、何の懲戒もないというのは、一体どういう基準でそうなるのか。私は、平成13年に業務に集中させない、職務専念を妨害する職場集会をやっていた組合役員をちょっと押しただけで、肋骨を骨折させたなどとされ、組合役員を平手打ちしたことなどで停職一ヶ月を受けたことがあるが、別の事案で私がちょっと胸をついてだけなのに、倒れもしないし、ぴんぴんして休んでもいない人が肋骨骨折などいう無茶苦茶なものであった。そもそもなにがなんでも組合の争議に協力し騒々しい事務室内勤務時間内職場集会を保護しようとする管理職の姿勢が悪かったからそういうことになったのに、労-労抗争で組合側に加担しているのである。駅員を殴った課長補佐は懲戒されず、俺は組合による業務妨害の自力救済行為で懲戒処分にされたので全く割にあわないと思っている。不公平だ。
 

本日上司に組合集会等の便宜供与問題等で意見述べる

 実は先週、組合の回状が回っているのをみたが、14日昼休み集会が行われる予定が組まれている。場所は、休憩室ということだ。三月闘争まで四回、事務所内で行っていたのでそれをやる可能性がないわけでないが私が見たのは休憩室だった。
 事務室内の集会は、昼休みとはいえ営業時間なのでレジと電話当番があり、集会の騒音で業務に中中がで散漫になるなど企業秩序に反するものである。
 昼休み集会は組合と管理職がしめしあわせ、ふだんは所内で食事をとっているの管理職が席を外したりするのである。管理職はみないふりをして責任のがれをするのが恒例なのだ。本日また朝ビラ行動(日本エヌシーアール事件型の狭い入り口で挟むような形での半強制的ビラ配り)があったので、所長にあすの昼休み集会等について組合から情報があるかきいたところ、ないという。私の意見は事務室内であろうと会議室その他であろうと、12月20日にストライキを構え、地公労法11条に反する闘争をやろうとしている以上、施設の便宜供与は違法行為を助長するものだから不許可とすべきだと。郵便局がそういう対応をとっていたことを述べたが、結局のところ管理職も官僚主義だから、郵便局のように上から中止命令などの指示がないと何もやらないのである。局全体の問題として対処していくしかない。
 また、組合掲示板に全水道の機関紙2012年12月4日号が貼り付けてあって、選挙期間中なので個人名・政党名は伏せるが、「○○(党首)○○(政党名)・右翼的第三極に日本をまかせられない」という見出しの一面の記事と反対側の「○○(政党名)・○○(政党名)・リベラル候補の全員必勝を!」という見出しがあり、各単組の推薦候補の政党名。候補者名一覧表が貼りだされていた。関東地本東京単組は東京6人、神奈川埼玉を加え9人の候補、川崎単組は4人、横浜単組は14人の候補を推薦していた。候補の文字は小さいが、見出しは目だち、サブリミナル効果がありそうだ。とくに、今回はじめて総選挙やるような大学出たての新人もいるので影響はあるし不快であると意見を述べたし所長の意見も求めた。郵便局などでは闘争宣言とか不適切なものは認めない方針があるのである。これも、掲示板の法的位置づけの不明な点、なにが適切で認められる掲示物か否かの基準もなく、政治活動を禁止する就業規則もない以上、今回は黙認で強い抗議はしなかった。しかし、次の選挙のときまではこの問題を整理しておきたいと思う。

2012/12/12

本日1時間ストライキ延期 中央委員会頭上報告

 本日全水道東水労が1時間のストライキを予定していたが、20日に延期され、20日の1時間ストライキに1時間加算して2時間ストライキをかまえる。という。超過勤務拒否闘争は継続。
 三六協定破棄闘争時は恒例となっているが、組合が8時半より前の仕事の準備を拒否するため、管理職に門や玄関を開けたりレジの準備をさせるのである。これは労働協約で、組合側が一方的に保安要員以外の三六協定が随意破棄できるようになっているためで、労働協約で争議行為を容認しているも同然なのだ。三六協定とは労働基準法で定められた基本的な労使協定で、この協定がないと時間外労働と休日労働を命じることができない。我が国の労働法制に特有のものであり、国鉄時代、国労や動労は春闘や合理化反対闘争のときには一定期間わざと、三六協定を締結せず、長時間勤務や休日出勤を駅長・区長・助役の管理職にしわ寄せさせていた。三六協定の現場締結により現場の分会長が強くなり職場の秩序が乱れる原因となったが合法的な闘争として行っていた。これはたぶん国労か全逓が考え出した戦術で、それに類似したことやっているわけである。
 組合が管理職に仕事を命令するので、業務指揮権侵害類似行為といえる。しかし、労働基準法という悪法のためにそれが合法だといいつのるわけである。非常に悪い制度なので法改正が必要だし、そもそも、そういう組合の争議戦術を認めるような労働協約を締結すべきではない。
 きょう観察していて気づいたことがある。中央委員が二階から荷物をもっておりてきた。たぶん二階に水道工事の夜間作業やその監督のための仮眠室の畳部屋があるので、そこで寝ていたのかもしれない。
 これは別の職場のことだが酔っ払って家に帰らず、ホテル代わりに庁舎を利用する職員に対しては次は懲戒にするぞみたいな、厳しいことも言っていたところがある。それは当然のこととしても、組合のスト待機なるものも目的外利用であることは酔っ払いの泊まりと同じでことである。そもそも地公労法11条違反行為のために使わせてよいはずがない。一般の職員は三六協定破棄で帰宅させられるのに、組合は庁舎を自由に利用できるというのはおかしい。
 ところで今年、交通局の職員が水道局経理部営繕課在職当時の汚職で逮捕、起訴されたことから、汚職防止対策の一環として、係で朝、形式張らないショートミーティングをやることとなり、今月から実施している。係内の意思疎通を図る趣旨のようだが、実際にきょう誰が休むとか、係長の会議の報告といったことを短時間でやっている。形式張らない朝礼のようなものだが、それをはじめたところ、8時36分頃から中央委員の交渉経過報告と、組合の声明朗読2時間ストライキに向けての演説があったが、ショートミーティングをやっていた係長は組合の演説優先とばかりに途中でやめてしまった。業務も中断させる組合の演説ということである。
 退庁時に近い時間に電話をとったところ、監理団体の窓口にこれこれの用で来庁するというお客様から電話があり、何時までやってますかときかれ、タクシーで行くというのでその場所からは車なら車なら10分もかからないと即座に判断、営業時間内に来れると判断してOKした。実際に営業時間内にお客様は来られた。物理的にまにあう時間なのに来ないでくれとはいいにくい。まさか営業所は闘争をやっていて超過勤務闘争で超勤となるような窓口対応は許されないことになっていて来ないででくれとはいえないから。それを言ったら怒ってけんかになりかねないから穏便にすました。別の人なら違う対応になってたかもしれないが、遵法闘争よりお客様優先の対応にした。職員部長は1秒でもはみだしちゃだめだめだというかもしれないが。一般の人は水道局の労働協約にいつでも組合の都合でいつでも超勤拒否闘争という争議行為ができる制度があるなんて知らない人が多いから話しても納得してもらえないと判断してこういう対応になった。

 職場によっては組合役員が殺気だって超勤拒否闘争だから早くかえれと脅してくるわけである。そういうことを年中行事のように行われている職場はほんとうによろしくないと思います。
 危機管理上も問題なんで、保安要員として浄水場とか緊急隊とかは超勤拒否闘争してないからいよいという問題ではない。重大事故とか大震災みたいなときに超勤拒否闘争していたら、組合役員との協議が優先されて、即時に保安要員を別として人員を呼び出せないわけです。

2012/12/10

本日は所長要請行動

 東京都水道局では局内闘争が行われている。11月28日CT検査のため病院へ、担当の看護婦が美人でないのでがっかり。結果は大事なしとのこと。ただメインの冠動脈にステントを入れた出口のところがくびれて細くなっているようにみえるので、心臓に負荷をかけて心電図をとるトレッドミル検査を年明けにやって経過をみることとなった。その翌日、11月29日朝一斉ビラ配り行動があった。右に二人、左に二人に挟まれるかたちのもの。これは日本エヌシーアール事件と類似したビラ配りの態様なので黙認はできない。ビラの内容は12月10日大森の下水道局森ヶ崎水再生センター、水道局水源管理事務所3時30分から三割動員決起集会、と12月12日1時間ストライキの告知であった。
 本日、その三割動員があったが実際にはそれほど職場を離脱しているわけではない。また本日は、昼休みに役員を中心に4名が、所長席に押しかけるかたちでの12時40分から20分間、所長要請行動があった。私は昼休み当番でレジ担当だったが、要請文の朗読もさほど騒音にならず、怒鳴り込むシーンもなかった。
 今後の闘争日程は超過勤務拒否闘争が11日と12日、18~20日の五日間予定されており、17日に三割動員都庁第2庁舎前午後3時30分から、20日も1時間ストライキが予定されている。主たる闘争課題は監理団体委託問題のようだ。

女性宮家についてのパプリック・コメント

締め切り日になったがメールで内閣官房皇室典範改正準備室に送った。内容は以下のとおり。

「皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理に対する意見」

1.Ⅰ-A案女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持し、配偶者や子に皇族の身分を付与する-反対2.Ⅰ-B案女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持し、配偶者や子に皇族の身分を付与しない-反対 
3.国家公務員案-賛成 
4.民間人となっても尊称保持案-反対
5.旧皇族男子の養子・復帰案-賛成 

(理由)

  1と2は内親王が婚入配偶者を得たうえ宮家当主となる制度だが、三点の理由で反対する。
第1に皇室において前例がない。
第2に男子が跡継ぎ、家長予定者にならない入婿というのは日本の一般的な家族慣行の規範にも著しく反する点で家族倫理を否定するものとして放置できない。
第3に内親王は伝統的にいえば、継嗣令王娶親王条において、皇族以外(臣家)と婚姻できないのが規範で、女皇親(内親王以下四世女王まで)は臣下に降嫁するを得ずとされ、内親王は令制において天皇、親王、二世~四世王のみ結婚相手として適法である。この皇親女子の内婚規定は延暦十二年詔において二世女王が藤原氏ないし大臣家への降嫁を認め緩められたが、内親王は従前と同じである。よって、村上皇女内親王三方の藤原師輔の降嫁以降、内親王の臣家の降嫁がみられるが、違法であるが、勅許により例外的に許されたものと認識すべきである。つまり、歴史的にいえば、内親王という身位を保持するには皇族に婚嫁するか、生涯非婚であるのいずれかであることが大原則なのであるから、その意味で皇室典範12条は、伝統規範に沿ったもので、これを改正することは容認しがたい。
4に反対する理由は、なるほど江戸時代において宮家や摂関家などに婚嫁した皇女は、内親王宣下のうえ結婚した。しかしそれは、家政組織を附置するためか婚家においても皇女としての体面を失わないためのものだろう。静寛院宮親子内親王にしても婚嫁した以上徳川家に従っており、皇族としての活動を行うものではない。黒田清子さんが神宮の臨時祭主に就任されたというが、現代においては尊称がなくてもこうした役目を果たすことは可能である。諸機関の名誉総裁等も尊称がなくても可能ではないのか。
それでも政府が内親王殿下に公務を負っていたただきたいというなら、対案として、結婚されないことを選択した場合に、生涯非婚であることを前提にして、「女院」宣下相当の手続きのうえ、独身でも内親王家の家政機関を設け相応の歳費を支給して、公務を分担していただく。院政期から鎌倉時代まで非婚内親王が天皇准母としての皇后や女院として皇族の活動を行ったのは伝統的なものであるから、それが妥当であると考える。

 理由第2の補足 (日本の一般的な家族慣行の規範にも著しく反する)
 皇室・皇族と民間の家・同族の成員交替過程はルールが違うので同列には論じられない。しかし皇室は家族のモデルとして多くの国民が受けとめていることが多い。それ故国民的規範から逸脱するようなモデルの宮家創設には反対だ。我が国の民間の家族慣行では「家」の跡継ぎは、男子がいない場合婿養子、娘もいなを・い場合養子が選択される。人類学者の清水昭俊国立民族学博物館名誉教授は日本の家・同族を準父系と定義する。中国や韓国の伝統的な宗族・門中では婿養子は宗法に反するのでありえない。父と同じ父系出自の宗族・門中の男子を養子するのである。ただし中国は厳密には準父系で、入贅により娘の男子を系譜の継承者とする実態もある。戦前の北支慣行調査でも知られていることである。しかしそれは日本の婿養子と違って、その男性は宗法に反する非正規の家族成員として軽蔑の対象となるのである。
 現在の皇室典範では、民間出身の后妃も含め皇族の範疇としているが、令制の皇親の範疇(親王号や王号を称することのできる皇族の範疇といってよい)が人類学でいう単系父系出自の親族であり、よって皇室・皇族においては、民間の異姓の婿養子のような家の跡取りはルール違反である。しかし、にもかかわらず民間の家族慣行として一致している点がある。若夫婦はつねに男性が当主の跡つぎになり、父(義父)の地位を継承するということである。皇親内婚で入婿的な皇位継承がいくつかある。嫡流の皇女と傍系の皇族が結婚したケース、光格后欣子内親王(後桃山皇女)が嫡流の皇女だが、即位せずに中宮となる。父の地位をつぐのは常に男子なのだ。
 民間でも同じことで、男子がない場合娘が婿を迎えるが、実子の娘が当主になるわけでなくあくまでも主婦である。婿養子は家長予定者、家督相続者として迎えられるのだ(清水昭俊「<家>と親族 : 家成員交替過程(続) : 出雲の<家>制度・その二」『民族学研究』 38巻1号1973)。この家族慣行により男性の尊厳は維持されるし、婿養子による家職・家業の継承もうまくいっている。しかし「女性宮家」に招婿(入贅)する男性は義父の地位を相続できないだけでなく、一代限りとなれば、父の地位も子に継承できない、中国の入贅のような男子の尊厳を維持できない非常にいびつな制度で社会規範を混乱させる。

理由1の補足 (前例なし)
 所功氏などが前例としている文久二年に非婚の敏宮淑子内親王(仁明皇女)が桂宮の当主となったケースは、住まいを転々としていた敏宮が、火事により一時、長期にわたって空主となってた桂宮邸に避難され、屋敷が老朽化していたため、妹の和宮親子内親王が姉のために幕府に御殿の新造を願出た。公武合体政策により幕府は和宮の願いを拒否できず、その後桂宮家に仕えていた諸大夫たちが敏宮の桂宮家相続を願出、幕府が了承したという経緯によるものだ。敏宮に与えられていた三百石の化粧料に加えて、道具料五百石が進献されており(服部早苗編『歴史のなかの皇女たち』小学館2002)桂宮家相続は内親王を厚遇するとともに、朝廷側が幕府から御殿改築の費用を調達させる口実にしたものと考えられる。内親王は閑院宮愛仁親王と婚約したが親王が早世されたため独身だった。江戸時代の内親王は宮家や摂関家に婚嫁するか、出家して比丘尼御所となるかが大半である。非婚内親王では後光明皇女孝子内親王が女院宣下により厚遇されているが、そのケースに類似したものと認識してよい。淑子内親王は宮家の当主となった後も婚姻しておらず、女性当主といっても、今日の高円宮妃が当主であるケースと同様独身であるから、(Ⅰ-A)案の前例とはいえない。

 最後に旧皇族男子の養子・復帰案-賛成の理由を簡単に述べる。先頃陛下が宮内庁書陵部を訪れ、崇光天皇の書などをご覧になったという「皇室アルバム」を視聴したがうれしく思った。旧宮家は伏見宮系であるが、その由緒というものは後崇光院伏見宮貞成親王の『椿葉記』に書かれているように、伏見宮家の祖とされる栄仁親王の父、崇光上皇が持明院統の正嫡とされ、文庫のほか長講堂領、法金剛院領、熱田社領などの主要所領を相続しており皇位継承の正統性を有する。その由緒や歴史的経過については書陵部の研究者を使ってアピールすべきではないか。最近の研究でも栄仁親王は土岐頼康の支援を得て、一時は皇位継承の最有力者だったことも判明しているし、その由緒のすごさというものを国民にアピールしたうえで復籍が望ましい。『椿葉記』でも書かれているように、皇室と伏見宮家は魚と水のように親しくあるべきだということである。

2012/12/09

入手資料整理89

9827清水昭俊「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.11(1985)(一部のみ)

理論の推移を整理していて切れのよい論文といわれる。
中根千枝批判
「「単系」の事例と対称的な位置にあるのが日本の伝統的家である。そこでは長男子による父系的相続継承の不可能な場合の二次的規則として、娘がいるならば彼女を介した準父系的な連続が義務づけられている。この所謂「婿養子」による相続継承の故に、日本の家-及び家を構成する同族-は父系集団ではないとされた[中根千枝『家族の構造-社会人類学的分析』120-130 1970(以下略)]この日本の事例の男女を入れ換えた事例に相当するのが海岸アミの家である。かつては妻方居住(婿取り)が原則であり、この居住方式によって家を連続すべき女がいない場合の二次的規則として、夫方居住(嫁取り婚が行われた。ロマ〔家〕の世代的連続は「母系的」にみえるが、居住を規定要因とするゆえにむしろ「非単系」であるとされる[末成道男『台湾アミ族の社会組織と変化』284-302]
 しかしながら、単系(父系ないし母系)による成員編成を第一次とし、副次的に単系以外の関係による成員編成を指定する規則複畳は、「単系」「非単系」の性格づけの差異にかかわらず、実質的に同一である。分析の対象を集団の成員権を規定する規則に単一化していえば‥‥‥厳密に単系と言いうるのは韓国の門中のみであって、他の諸事例は、一時的規則は単系、副次的規則をも含めていえば準父系(ないし準母系)といわなれればならない。‥‥厳密にいえば、門中以外の事例は事実上出自集団ではない。複畳的規則は、準単系親についで非親族おも成員としての編入を可能としているからだ。」
 中根千枝は、社会人類学の出自理論を用いて日本の家及び同族の性格を規定した最初の研究者だが、婿養子や養子が成員権を得ること。家の自律性が高く、それゆえ家の選んだ非親族の後継者のほうが、他家に属する父系親よりも優先することなどから、日本の家は(父系)出自集団ではないと定義した。しかし清水昭俊は厳密な意味で父系出自集団といえるのは韓国の門中だけであると断言したうえで、ここでは引用しなかったがエバンス・プリチャードやフォードの学説を引いて、単系が原則の社会でも副次的に単系以外の関係による成員編成を指定する規則のある社会がほとんどなのであり、むしろ韓国の門中のように原理原則どおりの構造は特異なのだという。逆に言うと典型的な母系社会(家母長的な)とみなされる台湾のアミ族においても、婿取りが原則だが、それができない場合の嫁取りがあるのだ。純粋な母系社会なのではないとの見解である。したがって、中根千枝のエティックな定義はかなり問題があるということを言っている。

「キージングは異なる機能の間での異なる出自形式の複畳を指摘し、所謂「単系社会」と「複系社会との」との全体的パターンにおける事実上の類似を示したのである‥‥集団成員権の規定を見てみよう。韓国の「門中」の成員権を規定する。規則は厳格に父系出自のみに従っていて、むしろ特異である。しかしながら、それに劣らぬ強固な父系イデオロギーで知られる中国社会では、父系系統の断絶を、娘の息子による継承によって回避することができた。娘のいない場合には、非親族の養取が最終的方策となる。[ Arthur P. Wolf,A.P & Huang, Chieh-Shan 1980 Marriage and Adoption in China,1845-1945 Stanfod:stanford Univ.Prees.]でも同様である。この規則の複畳パターンは古代インド・ギリシャでも全く同様である[クーランジュ 田辺訳『古代都市』白水社1961、121。」

 宗族制度の父系原理 (「同姓不婚」「異姓不養」)において、娘は婚出するのが原則である。後継となる男子がいない場合でも、宗族の内でから養子を迎えるのであって、娘は婚出する。日本の家のような婿養子というのはありえないのだ。ところが実際には異姓の入贅による女を介しての、祖父より孫の継承がけっこうあることが、戦前戦中の北支慣行調査でわかっている
血縁原理は徹底しておらず、擬制があるということである。
 しかしそれは日本の入婿と原理的に異なる。日本の入婿は、家長予定者、家督継承者とてし妻の父の跡継ぎとしてて迎えられるので、実子の地位と変わらない。しかし中国の入贅は婚入するといっても宗法に反するので不正規な家族員とされるのである。世間で軽蔑される存在である。
 清水昭俊は、厳密な意味で父系出自集団といえるのは韓国の門中だけだると言う。別の人だが同じ門中から養子が迎えられない場合は、祖先祭祀は継承されないので位牌は山に埋めるというのを韓国研究の論文で読んだ記憶がある。

1-114クーランンジュ 田辺訳『古代都市』白水社1961(原著1924)
 清水昭俊が上記論文で参照指示している122頁に書かれているのは、インドとギリシアは父系出自原則の社会でありながらが、アテナイの立法では、娘が相続人になれないために「もし、父が一人娘しかもたない場合には、彼は他家の息子を養子としてめとることができた。また娘と結婚する相続人を遺言で指定することもゆるされていた。」
「さらに別のにげみちを見いださせた。この点についてインドの法律とアテナイの法律は不思議に共通したところがある。『マヌ法典』に次のような一節がある。-「息子をもたざる父はその娘の産んだ男子をもらって息子となすことをえる。その男子は祖父のために葬儀をおこなうべし」。‥‥この習慣はアテナイでも同様で、父はこの特別の条件をつけて娘を嫁入りさせ、その産んだ男子に家系をつがせることができた。‥‥インドの法律では、この息子は実の子のように祖父の遺産をついだが、アテナイでも同様だった。父がかような方法で、一人娘を結婚させたときには、相続人は娘でも婿でもなく「娘の子」だった。」

9828清水昭俊「研究展望「日本の家」『民族学研究』50巻1号 1985 「日本の親族」に関する研究のレビューだが、著者の見解も述べている。

9829清水昭俊「<家>の内的構造と村落共同体 : 出雲の<家>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970

9830清水昭俊「<家>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<家>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972

9831清水昭俊「<家>と親族 : 家成員交替過程(続) : 出雲の<家>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973

9832村武精一「研究展望 系と双系」上野和男「「日本の家」へのコメント」『民族学研究』50巻21号 1985

2012/12/07

入手資料整理88

1-111
清水昭俊『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987
厳密な定義で定評のある人類学者 国立民族学博物館総合研究大学院大学名誉教授 専門はオセアニア地域の民族誌だが、日本の家の分析が優れていると思う。
蒲生-中根論争に関連して中根批判 154頁以下
 「中根が出自集団の基準としたものは、出自の理論的モデルである。‥‥しかしながら現実の社会過程が観念の再現とは限らない。‥‥父系集団とは父系モデルに近似した事例の称にすぎない‥‥日本の家の連続者として規範が指定するのは第一に長男子、第二に娘、第三に養子である。第一の規則は父系的継承、第二の規則は双系的継承、第三の規則は事実上非出自的継承を構成する。中根は家は「血縁集団」ではないとするのは第三の規則まで視野に含めるからであって-勿論それは適切な扱いである-仮に視野を第一の規則に絞るならば家は父系的に連続するといえる。このような優先順位を伴った規則の複畳と称したい。そしてこの観点からいわゆる父系集団の事例を検討するならば、その多くが父系親以外の者を帰属させる副次的規則を伴っていることが分かろう。アフリカの父系集団にしばしば「娘の子供達」と言われる準父系親(婚入した男の父系子孫)などが含まれている。双系親・姻族・養子の帰属を許している場合も多い。韓国の門中など、この点で徹底して父系的規則のみによって構成される事例はむしろ例外的との観すらある。規則の複畳という規範の構成を考慮に入れるならば、日本の家・同族といわゆる父系出自集団との差異がいわれるほど大きいわけではない。‥‥政治的関係が父系系譜に沿って編成される体系の中には、その父系系譜自体が政治の実勢に合わせて操作されることがある。‥‥ヤップの事例はその一例であって‥‥日本の家・同族といわゆる父系出自集団の事例とは互いに異質なのではない。規則の複畳および出自の文化的構成の二点を考慮するならば、両者が互いに連続的であることが分かろう」
230頁以下で日本の出自形式(準父系)について説明している・
「(中国、朝鮮・韓国の)宗族・門中が父系出自で構成されているのに対し、日本の家・同族の構成は、せいぜい父系近似であって、忠実に父系的ではない。しかしながらこの差異もまた、質的な懸差ではなく,連続的差異とみなしうる‥‥
 日本の出自形式について、蒲生(正男)は同族は「practicalなlevelで言うなら‥‥cognatic lineage‥‥idealなlevelで言うならpatri-lineage」と言っている。また末成(道男)は同族における系譜パターンを「結果的選系」と表現している。これに対し筆者は次のように考える。家の継承の典型的な規則は、第一に長男子による継承を、それが不可能の場合には長女子による継承を、そしてこれらがいずれも不可能な場合の最後の方策として養子による継承を規定している。この規則の所産として、家と祖先と子孫とを結ぶ系譜には、男の連続の間に散発的に女が加わり、さらに少ない頻度で養子が介在することとなる。この系譜パターンは、双系出自の諸形式でもっとも父系に近い「準父系」(quasi-agnatic)などと表示されるものに相当する。‥‥
 エミックな[註-当事者が抱いている解釈 一部の差異をあえて無視して 分析単位を同定しようとする視点をイーミックと呼ぶhttp://www.int-arch.net/emic-etic.html]イデオロギーとしては父系出自を強調する事例においても、しばしば準父系への傾斜が観察される。父系的理念は結婚後の夫方=父方居住を規定するが、それに反する妻方居住をまったく排除する父系社会はむしろ稀である[註-この見解は妻問い婚があるからとか、妻方居住があるから父系を原則とする社会ではないという発想が人類学的にはナンセンスであることを示唆している]。つまり理念上は父系出自を掲げる集団も、生活集団としては事実上準父系的に構成されている場合が多い。そしてこの事実上の構成を規則にとり込んでいる事例も少なくない。つまり集団を継続すべき父系親(agnatic)がない場合の、女性成員の息子という双系親(cognate)の登用を規則が規定し、あるいは許容する場合がある。古典的な事例はagnatic・cognateの語の起源地である古代ローマおよびギリシアであり、実をいえば中国もまたそうである。‥‥
 ‥‥系譜の準父系化の頻度において日本の家・同族はポリネシア的複系に近似する。しかし所属集団を選択する余地の制限において、日本の事例は父系出自集団に近い。出自形式において日本の家・同族は、中国の宗族のような父系(厳密には準父系)出自集団と、ポリネシア的複系集団の間に位置するといえよう。
‥‥日本の事例においては、父系出自に沿った系譜の継続が困難なのである。それは系譜の連続者を求める範囲が狭いことと関連する。‥‥系譜の連続は個々の夫婦ごとに行われ、しかも各夫婦の子供の中にのみ求められる。系譜の連続を傍系親にまで拡大して求めることがない。それは同世代成員の区分・分断と読みかえることができる」

  「規則の複畳」というのがこの人らしい分析で、日本の家継承のルールは、優先順位で父系それがだめなら双系それがだめなら非出自となるというのはフィールドワークをやっているからこそよく説明できるのだと思う。
 
 中国、朝鮮・韓国の宗族・門中は異姓養子を排除するルールなので、直系継承できない場合は、傍系親が養子となるが、日本の家は同族の傍系親よりも非同族・非血縁の婿養子や養子を選択するのはなぜかというと、日本は、高麗のように元を宗主国としていないため、宗法による親族集団の再編はなされなかったし、朝鮮のように儒学者による廃仏運動もなく、朱子家礼による祖先祭祀はほとんど受容されなかったこと。徳川幕府は朱子学を官学としたが、寺請制度による宗教政策をとったためである。

また日本においては家の継承は家職の継承であるから、傍系親より経営能力のある他人の婿養子ないし非血縁養子を継承者にしたほうが得策だからとも考えられる。先進地域では村落共同体は同族との結びつきよりも地縁(たとえば宮座)の結びつきのほうが重要であり、本家と分家も横並びか競争関係で仲が悪いことが多い。
 非血縁継承のはじまりは院政期に特定の家に(例えば局務家の中原氏とか)に固定された官職請負体制の実務官人に由来すると考えるが、大阪の商家に女系継承が多いとされるのは、家職の経営能力のある継承者を求めるためだと考えられる。
 この違いはけっこう大きいと思うが、それでも日本の家・同族はポリネシアよりは父系に傾斜している出自形式なのであって、我が国の家・同族は、中国の宗族とポリネシア的複系の中間の位置づけで「準父系」と定義する清水氏の学説は大筋で妥当なものだと思う。
 引用したのうにローマやギリシアも「準父系」の位置づけなのであって、むしろ純粋な父系のほうが稀なのである。その意味で純粋類型とみなされる韓国の門中はすごいとも思う。

1-112
清水昭俊「序章 周辺民族と世界の構造」清水昭俊編『周辺民族の現在』世界思想社1998年
1-113
金山直樹『法典という近代 装置としての法』頚草書房2011年
フランス法の概説書以外でナポレオン法典(民法典)の父、ポティエの業績に言及した書物は少ない。日本の「民法典の父」梅謙次郎の評価も読むべき価値があった。

2012/12/04

入手資料整理87

1-107
牧野巽『近世中国宗族研究』日光書院1949年
1-108
『牧野巽著作集第一巻中国家族研究(上)』御茶の水書房1979年
1-109
『牧野巽著作集第六巻中国社会史の諸問題』御茶の水書房1985年
196頁 女家に婿入りする者の名称「贅婿」の「贅」の字には「余計なもの」「むだなもの」というほかに「質」に取られるという意味がある。
1-110
『牧野巽著作集第七巻家族論・書評他』御茶の水書房1985年
家族社会学の術語について 94頁以下
「たとえば直系・傍系などという言葉があるんですが、中国でいえば次三男を傍系などというのはまったく変なことだと思います。親子の血がつながっていれば、次三男は立派な直系親だと思うのです。日本でよく言う直系家族、長男が本家に残って、次三男が分家する形態ねあれも中国風にいえば非常に変ですね。次三男は立派な直系親だなんだから‥‥中国の系譜は横系譜とでもいうんでしょうか。現在同族をなしている人が、どういう共通の祖先で結ばれててるのかを見るのであって、横に並んでピラミッド型をなす‥‥ですから系譜関係とかいって長男の系統だけを意味するのは中国風に言えばナンセンス」
88頁「日本と違うのは日本のように長男の力が強くなかった。財産でいえば均分です。」「家の精神は長男系統を通して流れるのではなく‥‥むしろ男子が多くていくつもの分流することこそ一族の繁栄を表すわけです‥‥中国では一家よりもむしろ一族の繁栄、一族の連続を望んだ」
日本の家は家職を継承するが中国はそうでない。室町時代以来の日本の限嗣相続制はむしろ英国のありかたに近いかもしれない。

2012/12/03

下書き 団結・ストライキ・労働協約・ピケッティングの法的問題(1)

(1)団結禁止と労働組合非合法の論理

(要約)
 団結はフランスにおいて革命以後90年以上「営業=取引の自由」とそのコロラリーとしての「労働の自由」(個人の自由な労働力処分)を侵害r.するもののとして、また雇傭は使用者と被用者が1対1で取引し契約(役務賃貸借契約)すると定めらた市民法秩序に反するものとして違法、犯罪とされた。
 イギリスでは14世紀より団結に共謀罪が適用され、18世紀は主従法、産業別団結禁止法及びコモンローにより違法であった。19世紀初期は一般的団結禁止法により違法とされ、1825年法により賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去(限定的団結放任)されるが、労働者個人を規約によって拘束し統制する労働組合はなお非合法であり、ストライキ、クローズドショップ、徒弟規制等の目的を有する団結はコモンローにより「営業=取引制限の法理」(doctrine of restraint of trade)により「取引を制限するコンスピラシー」などと違法と評価され、そのような体制が約50年続いた。

 ア 営業の自由と団結禁止

 市民革命期以後の近代市民社会とは自由・自律・自己責任・自由競争を原則とする社会であり、教科書的にいえば「所有権絶対の原則」「私的自治の原則」「過失責任の原則」が近代市民法秩序であることについて大筋で異論はないと思う。
 しかし私は、近代市民社会(近代資本主義社会)の理念型Idealtypusをひとことでいえば「団結禁止体制」といってさしつかえないと思う。つまり近代市民社会と前近代とを分かつ指標とは「営業の自由」の確立である。
 それは団結禁止と密接不可分な関係にあった。団結による営業=取引・制限の除去による個人の意思による自由な労働力処分(自己統治)こそ「営業=取引の自由」の精髄であり、近代市民社会の活力の源泉であった。実際イギリスであれ、フランスであれ、ドイツであれ、その歴史的経緯、法理論に差異があるものの、近代市民社会への移行期から長期にわたって団結は違法と評価され、処罰されるものであった。

 そもそも「営業の自由」とはなにか。イギリスにおいてはコモンローの「営業制限の法理」をいう。それは16世紀末の「反独占運動」を起点とし、17世紀に華々しく展開される国制論争をへて、コーク卿などコモンローヤーの活躍により「営業の自由」が臣民の自由とされ、特権商人等の商業・貿易独占独占は名誉革命期には廃止され、同職組合による入職規制や地域営業独占も漸進的に崩壊していった。
 営業制限について全般に考察したMitchell v Reynolds (1711)においてパーカー判事は営業の自由一般が保障されるのではなく、営業および誠実な勤勉さの奨励というコモンロー裁判所の具体的政策判断によるとされている。
 19世紀中葉の代表的な法曹であるアール卿の定義はこうである。
 「各個人及び社会公共一般は、取引の過程が不当な妨害unrasonabie obstructionから解放されていることを要求する権利をもつ」という一般原則に基づき、各人は、自己の労働及び資本を自分の欲するところに従って処分するうえで完全な権利を有し、法はこれを保護するのであって、第三者は、この権利が他人の同様の権利の行使と両立し得る如く完全に行使されるのを、いかなる形にせよ妨害することを禁止される。
 (「労働組合に関する王立委員会」(The Royal Commission on Trade Unions 1867-69)の委員長であったアール卿の多数報告書の基礎となった覚書の見解。片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1956年 130頁)
 しかし、この定義は明晰だが何が不当な妨害か解釈の余地のあるものであった。ベンサム主義個人主義者アール卿は巧妙に集団取引を容認しつつ、ピケッティングについて、団結して他の労働者をその労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしも、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪であるとし(片岡前掲書198頁)、「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)でない限りにおいての団結を放任する理論となっている。これは共済団体としての労働組合合法化の道を開いたともいえるのであって、アール卿の理論は結局「営業の自由」=「団結禁止」ではなく「営業の自由」=「争議行為禁止」理論になってしまっている。
 別の裁判官の見解についても言及しておこう。

(中略)[ここに、ヒルトン判決とホーンビィ対クローズ判決、マンスフィールド卿の見解を載せる予定]

 [仮]
 以上のようにイギリスでは、営業の自由とは本質的には別の論理である共謀罪として団結が処断さることがあり、営業の自由と共謀罪が結びついて「取引を制限するコンスビラシー」として処断されることもあり、制定法である主従法の労務放棄処罰条項で処断されることもあった。労働組合それ自体が刑事共謀とする判断をとる裁判官が全員一致ではなく、数は決して多くないとしても存在していた。結局イギリスでは1871年法で営業制限という理由で起訴できないとし、1875年共謀罪・財産保護法で、刑事共謀として起訴できないというかたちで労働組合の実質的合法化がなされるのであるが、それは違法と司法判断がされる可能性があるが起訴できないというかたちでの合法化である。[ここに主従法の廃止のことも挿入]

 この点、「営業の自由」=「団結禁止」とストレートに結びつくフランスの展開が理論的にはわかりやすいかもしれない。
 1776年チュルゴ勅令を先駆として、決定的には1791年ル・シャプリエ法によって労使双方の(同職組合と職人等)団結を禁止した。労働者や使用者は集団を形成することなく自由で独立した個人として一対一で取引し契約するという個人主義を法律上明確にしたものである。。
 その基盤となったのは、第1に富の源泉は金銀財宝の集積ではなく、土地と労働によって産み出されるとする重農主義経済思想である。
 とりわけ1751年に通商監督官だったヴァンサン・ド・グルネー(Vincent de Gournay「レッセフェール」を最初に用いた)が、同業組合の廃止、産業規制の撤廃、商品流通の自由と取引の自由を猛烈に宣伝したことである。欧州大陸では同職組合の強制の及ばない農村部で問屋制手工業が勃興する一方、同職組合が、都市の地域市場を独占し競争を排除していることが、経済停滞の要因になっていた。かれは同職組合の入職規制が実質崩壊していたデフォー時代の産業革命前夜ともいえるイギリスの繁栄を見てフランスのためには国内での自由主義的経済改革が必要として、この経済思想を広めたのである。
 同職組合を廃止し団結を禁止した1776年勅令の起草者である財務総監ジャック・チュルゴ(Anne-Robert-Jacques Turgot)はグルネーの弟子であった。その立法趣旨は「神は人に欲求を与え、人にとって労働による収入を必然のものとすることによって、労働する権利をすべての人の所有とした。そして、この所有は、すべての所有のなかで第一の、そしてもっとも神聖でもっとも不滅のものである」その帰結としていっさいの結社・集会が「親方、仲間職人、労働者および徒弟」のすべての間で禁止されるとした。しかしかれの一連の政策が旧体制の既得権を奪ったため反発を招き、陰謀により失脚する。勅令は修正されて同職組合は復活するのだが、かれの政策は革命期の1791年ル・シャプリエ法により完全に実現することとなる。(稲本洋之助「フランス革命と「営業の自由」」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 1 (資本主義と営業の自由) 』東京大学出版会1972所収参照)

 第2に民法学のポチエ(Joseph Robert Pothier)の業績である。1764年の著作『賃貸契約概論』は、「労働」を個人が自由に取引の対象とできる「物」として労働を「契約」という観点から分析し、「労働」を役務の賃貸借契約の対象と位置づけたことである。その業績は、1804年のナポレオン法典(民法典)で実定法化されたのであるが、コモンロー(英国法)の契約法やアメリカ法にも影響を与えた。
 近代的法典の基礎となったナポレオン法典(民法典)が成功したのはポチエの誠実さと明晰性に負うところが大きい。1780条で「役務の提供は、時間または一定の事業のためにしか義務づけられない。期間の定めなくなされる役務の賃貸借は、契約当事者の一方の意思により何時でも終了されうる」1781条で「給金の額、過年度の賃金の支払いおよび本年度に支払われた前払い金については使用者の申立が信用される」と規定するのみであり、報酬、労働条件等契約の内容については当事者の自由意志による合意に全面的に委ねられるもののされた。労働関係は契約関係とされ、意思自治、契約自由の原則の下に置かれた。(水町勇一郎『労働社会の変容と再生  フランス労働法制の歴史と理論』有斐閣2001年参照)
 解雇自由は今日のアメリカのコモンローと同じことである。なお、イギリスにおいては1886年に主従法が廃止されてはじめて、雇傭はマスター・サーバント関係でなく近代的な対等な雇傭契約を意味する使用者-被用者概念にとってかわられたのであって、この点ナポレオン法典がより先進的であったといえる。
 つまり、18世紀のイギリスの主従法等には労務放棄処罰条項があった。農業奉公人を除き契約期間満了前に仕事から去った者や繊維、鉄、皮革産業では仕事の完成を故意に八日間怠り拒否したときに1~3ヶ月懲治監に収容されるといった規定があった(松林和夫前掲論文)。しかし近代的なナポレオン法典では、契約期間の定めのない場合、使用者の解雇自由に対等に被用者も勝手に仕事をやめてよいのである
 重要なことは労働者主体の革命とされる二月革命後の1848年憲法においても団結権は見送られ、結社の自由は明文をもって否定され、団結禁止体制はむしろ強化されたということである。
 1849年の刑法改正がそれであった。刑法414条-六日乃至三ヶ月の禁錮乃至三〇〇〇フランの罰金に処せられるもの一、労働者を働かせる者の間の、賃金の値下げを強制しようとする団結。その試みあるいは実行の開始ある場合を含む。
 二、仕事を同時に休止せしめ、作業場における仕事を禁止し、一定の時刻前または後に工場に立入ることを妨害し、且つ、一般的に労働を中止し、妨害するための労働者側の全ゆる団結。その試みあるいは実行の開始ある場合を含む。前二号に該当する場合、首謀者あるいは煽動者は、二年乃至五年の禁鋼に処せられる。(菊谷達彌「フランス労働争議権の史的発展と理論形成(一)」鹿児島大学法学論集 Vol.26 no.1 1990 〔※ネット公開〕
 この法改正を提案した報告者がヴァチメニル(vatimesnil)であるが、労働の価格は商品のそれと同様に自由な競争のもとにおかれなければならないという思想をもとに、団結が労働の自由、労働力取引の自由競争を侵害するものとして禁止されなければならないという理論的な言及を行っていることが注目される。
「勤労と営業の規則的かつ正常な状態においては、労働を含むすべての価格は二つの要素によって決定される。二つの要素の第一は、供給と需要の均衡であり、第二は、一方では供給する者の間での他方は需要する者のあいだでの競争である。価格を決定するこれらの要素が障害なく機能するとき、勤労、営業、労働は自由であり、かつ、諸価格は、公正かつ真実に決定される。反対の場合には、勤労、営業、労働の自由は歪曲され、諸価格は人為的なものとなってしまう。つまりコアリシォン(団結)は、明白な効果として、競争と、需要供給の均衡による諸効果を破壊し、あるいは歪曲する。したがってそれは勤労、営業および労働の自由に背馳し、その結果、第一三条でこの自由を保障した憲法に反する‥‥‥雇主および労働者が、彼ら固有の利益において振舞い、約定し、他のものとの違法な協定を結ばないかぎり、賃金の条件を取り扱う自由は完全である。なぜなら、その自由は、他のいかなる合法的権利も侵害しないからである。しかしながら、圧力を加えるためのコアリシォン(団結)がつくられるならば、それは‥‥‥競争の自由、したがって労働の憲法上の自由は、このコアリシォン(団結)によって窒息させられるのである。」(田端博邦「フランスにおける「労働の自由」と団結」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 2 (行政・労働と営業の自由)』東京大学出版会1972所収)

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