下書き 団結・ストライキ・労働協約・ピケッティングの法的問題(1)
(1)団結禁止と労働組合非合法の論理
(要約)
団結はフランスにおいて革命以後90年以上「営業=取引の自由」とそのコロラリーとしての「労働の自由」(個人の自由な労働力処分)を侵害r.するもののとして、また雇傭は使用者と被用者が1対1で取引し契約(役務賃貸借契約)すると定めらた市民法秩序に反するものとして違法、犯罪とされた。
イギリスでは14世紀より団結に共謀罪が適用され、18世紀は主従法、産業別団結禁止法及びコモンローにより違法であった。19世紀初期は一般的団結禁止法により違法とされ、1825年法により賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去(限定的団結放任)されるが、労働者個人を規約によって拘束し統制する労働組合はなお非合法であり、ストライキ、クローズドショップ、徒弟規制等の目的を有する団結はコモンローにより「営業=取引制限の法理」(doctrine of restraint of trade)により「取引を制限するコンスピラシー」などと違法と評価され、そのような体制が約50年続いた。
ア 営業の自由と団結禁止
市民革命期以後の近代市民社会とは自由・自律・自己責任・自由競争を原則とする社会であり、教科書的にいえば「所有権絶対の原則」「私的自治の原則」「過失責任の原則」が近代市民法秩序であることについて大筋で異論はないと思う。
しかし私は、近代市民社会(近代資本主義社会)の理念型Idealtypusをひとことでいえば「団結禁止体制」といってさしつかえないと思う。つまり近代市民社会と前近代とを分かつ指標とは「営業の自由」の確立である。
それは団結禁止と密接不可分な関係にあった。団結による営業=取引・制限の除去による個人の意思による自由な労働力処分(自己統治)こそ「営業=取引の自由」の精髄であり、近代市民社会の活力の源泉であった。実際イギリスであれ、フランスであれ、ドイツであれ、その歴史的経緯、法理論に差異があるものの、近代市民社会への移行期から長期にわたって団結は違法と評価され、処罰されるものであった。
そもそも「営業の自由」とはなにか。イギリスにおいてはコモンローの「営業制限の法理」をいう。それは16世紀末の「反独占運動」を起点とし、17世紀に華々しく展開される国制論争をへて、コーク卿などコモンローヤーの活躍により「営業の自由」が臣民の自由とされ、特権商人等の商業・貿易独占独占は名誉革命期には廃止され、同職組合による入職規制や地域営業独占も漸進的に崩壊していった。
営業制限について全般に考察したMitchell v Reynolds (1711)においてパーカー判事は営業の自由一般が保障されるのではなく、営業および誠実な勤勉さの奨励というコモンロー裁判所の具体的政策判断によるとされている。
19世紀中葉の代表的な法曹であるアール卿の定義はこうである。
「各個人及び社会公共一般は、取引の過程が不当な妨害unrasonabie obstructionから解放されていることを要求する権利をもつ」という一般原則に基づき、各人は、自己の労働及び資本を自分の欲するところに従って処分するうえで完全な権利を有し、法はこれを保護するのであって、第三者は、この権利が他人の同様の権利の行使と両立し得る如く完全に行使されるのを、いかなる形にせよ妨害することを禁止される。
(「労働組合に関する王立委員会」(The Royal Commission on Trade Unions 1867-69)の委員長であったアール卿の多数報告書の基礎となった覚書の見解。片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1956年 130頁)
しかし、この定義は明晰だが何が不当な妨害か解釈の余地のあるものであった。ベンサム主義個人主義者アール卿は巧妙に集団取引を容認しつつ、ピケッティングについて、団結して他の労働者をその労務から去らしめる場合は、たといそれが平和的説得もしくは金銭の供与によってなされたとしても、そして何ら契約違反を生じせしめないとしも、使用者に対する害意をもってなされる限り犯罪であるとし(片岡前掲書198頁)、「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)でない限りにおいての団結を放任する理論となっている。これは共済団体としての労働組合合法化の道を開いたともいえるのであって、アール卿の理論は結局「営業の自由」=「団結禁止」ではなく「営業の自由」=「争議行為禁止」理論になってしまっている。
別の裁判官の見解についても言及しておこう。
(中略)[ここに、ヒルトン判決とホーンビィ対クローズ判決、マンスフィールド卿の見解を載せる予定]
[仮]
以上のようにイギリスでは、営業の自由とは本質的には別の論理である共謀罪として団結が処断さることがあり、営業の自由と共謀罪が結びついて「取引を制限するコンスビラシー」として処断されることもあり、制定法である主従法の労務放棄処罰条項で処断されることもあった。労働組合それ自体が刑事共謀とする判断をとる裁判官が全員一致ではなく、数は決して多くないとしても存在していた。結局イギリスでは1871年法で営業制限という理由で起訴できないとし、1875年共謀罪・財産保護法で、刑事共謀として起訴できないというかたちで労働組合の実質的合法化がなされるのであるが、それは違法と司法判断がされる可能性があるが起訴できないというかたちでの合法化である。[ここに主従法の廃止のことも挿入]
この点、「営業の自由」=「団結禁止」とストレートに結びつくフランスの展開が理論的にはわかりやすいかもしれない。
1776年チュルゴ勅令を先駆として、決定的には1791年ル・シャプリエ法によって労使双方の(同職組合と職人等)団結を禁止した。労働者や使用者は集団を形成することなく自由で独立した個人として一対一で取引し契約するという個人主義を法律上明確にしたものである。。
その基盤となったのは、第1に富の源泉は金銀財宝の集積ではなく、土地と労働によって産み出されるとする重農主義経済思想である。
とりわけ1751年に通商監督官だったヴァンサン・ド・グルネー(Vincent de Gournay「レッセフェール」を最初に用いた)が、同業組合の廃止、産業規制の撤廃、商品流通の自由と取引の自由を猛烈に宣伝したことである。欧州大陸では同職組合の強制の及ばない農村部で問屋制手工業が勃興する一方、同職組合が、都市の地域市場を独占し競争を排除していることが、経済停滞の要因になっていた。かれは同職組合の入職規制が実質崩壊していたデフォー時代の産業革命前夜ともいえるイギリスの繁栄を見てフランスのためには国内での自由主義的経済改革が必要として、この経済思想を広めたのである。
同職組合を廃止し団結を禁止した1776年勅令の起草者である財務総監ジャック・チュルゴ(Anne-Robert-Jacques Turgot)はグルネーの弟子であった。その立法趣旨は「神は人に欲求を与え、人にとって労働による収入を必然のものとすることによって、労働する権利をすべての人の所有とした。そして、この所有は、すべての所有のなかで第一の、そしてもっとも神聖でもっとも不滅のものである」その帰結としていっさいの結社・集会が「親方、仲間職人、労働者および徒弟」のすべての間で禁止されるとした。しかしかれの一連の政策が旧体制の既得権を奪ったため反発を招き、陰謀により失脚する。勅令は修正されて同職組合は復活するのだが、かれの政策は革命期の1791年ル・シャプリエ法により完全に実現することとなる。(稲本洋之助「フランス革命と「営業の自由」」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 1 (資本主義と営業の自由) 』東京大学出版会1972所収参照)
第2に民法学のポチエ(Joseph Robert Pothier)の業績である。1764年の著作『賃貸契約概論』は、「労働」を個人が自由に取引の対象とできる「物」として労働を「契約」という観点から分析し、「労働」を役務の賃貸借契約の対象と位置づけたことである。その業績は、1804年のナポレオン法典(民法典)で実定法化されたのであるが、コモンロー(英国法)の契約法やアメリカ法にも影響を与えた。
近代的法典の基礎となったナポレオン法典(民法典)が成功したのはポチエの誠実さと明晰性に負うところが大きい。1780条で「役務の提供は、時間または一定の事業のためにしか義務づけられない。期間の定めなくなされる役務の賃貸借は、契約当事者の一方の意思により何時でも終了されうる」1781条で「給金の額、過年度の賃金の支払いおよび本年度に支払われた前払い金については使用者の申立が信用される」と規定するのみであり、報酬、労働条件等契約の内容については当事者の自由意志による合意に全面的に委ねられるもののされた。労働関係は契約関係とされ、意思自治、契約自由の原則の下に置かれた。(水町勇一郎『労働社会の変容と再生 フランス労働法制の歴史と理論』有斐閣2001年参照)
解雇自由は今日のアメリカのコモンローと同じことである。なお、イギリスにおいては1886年に主従法が廃止されてはじめて、雇傭はマスター・サーバント関係でなく近代的な対等な雇傭契約を意味する使用者-被用者概念にとってかわられたのであって、この点ナポレオン法典がより先進的であったといえる。
つまり、18世紀のイギリスの主従法等には労務放棄処罰条項があった。農業奉公人を除き契約期間満了前に仕事から去った者や繊維、鉄、皮革産業では仕事の完成を故意に八日間怠り拒否したときに1~3ヶ月懲治監に収容されるといった規定があった(松林和夫前掲論文)。しかし近代的なナポレオン法典では、契約期間の定めのない場合、使用者の解雇自由に対等に被用者も勝手に仕事をやめてよいのである
重要なことは労働者主体の革命とされる二月革命後の1848年憲法においても団結権は見送られ、結社の自由は明文をもって否定され、団結禁止体制はむしろ強化されたということである。
1849年の刑法改正がそれであった。刑法414条-六日乃至三ヶ月の禁錮乃至三〇〇〇フランの罰金に処せられるもの一、労働者を働かせる者の間の、賃金の値下げを強制しようとする団結。その試みあるいは実行の開始ある場合を含む。
二、仕事を同時に休止せしめ、作業場における仕事を禁止し、一定の時刻前または後に工場に立入ることを妨害し、且つ、一般的に労働を中止し、妨害するための労働者側の全ゆる団結。その試みあるいは実行の開始ある場合を含む。前二号に該当する場合、首謀者あるいは煽動者は、二年乃至五年の禁鋼に処せられる。(菊谷達彌「フランス労働争議権の史的発展と理論形成(一)」鹿児島大学法学論集 Vol.26 no.1 1990 〔※ネット公開〕
この法改正を提案した報告者がヴァチメニル(vatimesnil)であるが、労働の価格は商品のそれと同様に自由な競争のもとにおかれなければならないという思想をもとに、団結が労働の自由、労働力取引の自由競争を侵害するものとして禁止されなければならないという理論的な言及を行っていることが注目される。
「勤労と営業の規則的かつ正常な状態においては、労働を含むすべての価格は二つの要素によって決定される。二つの要素の第一は、供給と需要の均衡であり、第二は、一方では供給する者の間での他方は需要する者のあいだでの競争である。価格を決定するこれらの要素が障害なく機能するとき、勤労、営業、労働は自由であり、かつ、諸価格は、公正かつ真実に決定される。反対の場合には、勤労、営業、労働の自由は歪曲され、諸価格は人為的なものとなってしまう。つまりコアリシォン(団結)は、明白な効果として、競争と、需要供給の均衡による諸効果を破壊し、あるいは歪曲する。したがってそれは勤労、営業および労働の自由に背馳し、その結果、第一三条でこの自由を保障した憲法に反する‥‥‥雇主および労働者が、彼ら固有の利益において振舞い、約定し、他のものとの違法な協定を結ばないかぎり、賃金の条件を取り扱う自由は完全である。なぜなら、その自由は、他のいかなる合法的権利も侵害しないからである。しかしながら、圧力を加えるためのコアリシォン(団結)がつくられるならば、それは‥‥‥競争の自由、したがって労働の憲法上の自由は、このコアリシォン(団結)によって窒息させられるのである。」(田端博邦「フランスにおける「労働の自由」と団結」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 2 (行政・労働と営業の自由)』東京大学出版会1972所収)
文
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