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2013/01/02

入手資料整理91

1-120田辺公二『同盟罷業権について』司法研修所(司法研究報告書第7輯4号)1960
薄っぺらいのに1万5千円は高かったが英米法の理論がよく整理されている業績という評判で岡山の古本屋から購入。地方公務員も国家公務員並みに賃下げしてもらうと麻生財務大臣が言っているのでビールを飲むのやめて節約するつもりだが、価値のある本は買う。

9833荘子邦雄「ピケットと威力妨害罪の成否」『日本労働協会雑誌』 7(2) 1965

この論文についてのコメント

(荘子邦雄-刑法学者・東北大学名誉教授-の威力業務妨害罪=1864年フランス修正刑法労働の自由妨害罪継受説の意義について)

1.昭和29年労働次官通達をどう評価すべきか

 ピケッティングに関する議論が活発だったのは、労働次官通達「労働関係における不法な実力の行使の防止について」(労働省発41号・昭和29・11『ジュリスト』71号収録)の前後、昭和20年代後半から30年代前半であった。
 労働次官通達は、組合の統制力理論を援用し、組合員にのみ組合の統制力が及ぶが「労働組合の団結は、組合員の自発的意思に基礎をおく」ので「団結を離脱しようとする者を(そのことの善悪ははともあれ)暴行、脅迫等によってその意に反してこれを阻止することはできない」。組合の統制力の範囲外にある非組合員には、理解と協力を要請するにとどまる。つまりいずれの場合も「説得又は団結力の誇示の範囲を越えた」ピケットは正当でない。という団結力の誇示を含む平和的説得論を展開した。(香川孝三 「文献研究・日本の労働法学(8)ピケッティング」」『 季刊労働法 』 (通号 89) [1973.09.00]  )
 これはプロレイバー労働法学の実力行使を正当化する学説を否認するためのものである。

(1)ピースフルでない団結力の誇示=マスピケッティング容認の野蛮性

ア ピースフルピケッティングも本来は不法

 本論に入る前に私自身の本心を述べよう。プロレイバーとは逆の意味で判例や労働次官通達について懐疑的である。
 「平和的説得」論というのがくせものなのである。
 そもそも英米法圏では、労務放棄行為を指示する「説得」それ自体が、契約違反誘致の法理により不法行為の損害賠償の責任を負い、又は差止命令を発せられるものとされていた。(英国1896年リヨンズ対ウィルキンス判決は「仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とした。英国1901年タフヴェイル判決は 刑事免責によりストライキを合法化したとされる1875年共謀罪・財産保護法の下においても7条但し書きの解釈により、説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、全国から募集した新規雇用代替労働者の「スト破り」の導入も従来どおり承認されたうえ、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能となり、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。)本来的には「説得」それ自体も違法である。
 英国では1871年に営業(取引)制限の法理による起訴をできないものとして労働組合を世界で初めて事実上合法化し、1875年刑事共謀罪からも免責したが、1906年の労働争議法による民事免責・不法行為免責が定められるまで説得を伴うピースフルピケッティングは違法だったのだ。
 契約違反誘致の法理以外でも19世紀のアール卿のように他人の権利を侵害するコンスピラシー(共謀法理)としてピースフルピケッティングを違法とする理論もある。
 ピケッティングの本質が恐喝による集団意思による個人意思の制圧にあり、他人の権利への干渉にほかならないから、ピケッティングは必然的に脅迫となる性質のものであるから裁判所が厳しい目を向けるのは当然のことだった。
 そもそも「ピケット」という言葉そのものが「戦争用語から借りて来られたものであり、労働組合が苦情を抱いている相手方に対する敵対的態度を強度に示すもの」である。したがって「平和的ピケットなるものは存在しないし、又存在し得ない。丁度高雅な卑俗とか、平和的暴動とか、合法的私刑とがあり得ないのと同様である」Atchison.T.and S.F.Ry.Co,V.Gee,139 Fecl;582,584(Cir.CT.Iowa,1905.)「ピケ・ラインをはることは必然的に身体に対する侵害を含み、それが適法な争議の目的のため行われても違法である」(マサチューセッツ州最高裁)(古西 信夫「英米のピケッティング」『立正法学』 7(1~4) [1974.03.00] )といった見解が20世紀初期まで一般的な見解だった。
 私は個人主義的自由主義の立場から共謀法理、取引制限の法理、契約違反誘致の法理、労働の自由の理念、そのすべてを支持するから、1906年以前のあり方が最も望ましいと考えるので、「平和的説得」論も本心は反対であることを予め述べておく。

イ 英米では大量動員ピケッティングは違法

 さらに重要な問題は、我が国においては「平和的説得」が弾力的に幅広く解釈され、これは当時の判例にもみられたことであり、労働次官通達もそうであるが「団結力の誇示=集団的示威」事実上のマスピケッティングを是認していることである。
 つまり労働次官通達は「我が国においては、事業場の出入り口付近に多数の者が集合していること自体はピケットは違法にはならない」とするのである。
 しかし、英米で大量動員ピケは威嚇的効果を与えるため不法であるとされたり、制定法の行為準則により、人数が限定され認められていない。
 マスピケッティング自体がピースフルでないからである。ピースフルでない行為をみとめているのは重大な問題であり、威嚇的効果を高めるマスピケを是認しているということは非常に労働組合に有利なあり方といえるのである。
 スクラムについても、説得のために立ち止まらせる行為であり「平和的説得」の手段とみなすような学説すらあるのであり、本来ピースフルでないものまで「平和的説得」範疇に含める操作がなされる傾向が強い。

 欧米では工場入口に密集し気勢を上げるマスピケッティング(大量動員ピケ)には強い警戒感がもたれるのが普通である・ 
 一般論としていえば、コモンローの民事共謀法理には「集団化による違法」原理がある。「結合は、その害を与える力がより大きな故に不法とされる」の法理ともいう。単独になされれば適法な行為が、多数によってなされるときとき特別の免責事由の存在が実証されない限り原則として違法とされる法理である。(田辺公二『同盟罷業権について』78頁)
 民事共謀三部作として知られるA.C.I,Quinn v.Leathem(1901)[クイン対リーザム事件判決]は二次的ボイコットの事件であるが、「一人が単独ですれば何ら違法でない取引停止の行為も多数でおこなえば違法となりうる」ということをはっきり宣言した。リンドレー卿は言う「一ではそのおそれがないのに、数は困惑を生じさせ、強制を及ぼす」プランプトン卿は言う「薬の一粒、火薬の一粒は無害であっても、多量の服薬や一ポンドの火薬し致死量となり、恐るべき破壊力を持つ」。
 次のような理由づけ(法諺)もある「団体的行動は必然的に暴力的(強要的)である」「団体的行動は、それ自体ニューサンスをを構成する」「団体的行動は悪意の存否を証明する」。(田辺公二前掲書80頁)これらの法諺は当然ピケッティングにもあてはまるはずである。
 
 実際、英米においては争議権が認容される前の時代はもちろん、現代においても、大量動員ピケッティングは違法と評価され差止命令が発出されのである。

(争議権が確立されていない時期)

 英国で労働組合が合法化された後の1875年共謀罪財産保護法第7条においては、二人または二人以上の者とともに街路もしくは道路において不穏な状態でその者を尾行することを違法としており、単に情報を授受する目的以外の監視、包囲を違法としているから、大量動員ピケが違法であることは明らかである。なおヨーロッパのピケッティングは人を取り囲むやり方である。包囲は違法と明確に述べている。

 米国のコモンローではあらゆるピケッティングが、目的・態様のいかんを問わず不法行為として違法視されていた。ピケッティングをを抑止する重要な手段となったのがレイバー・インジャンクションである。裁判所による差止命令であり財産権の侵害が前提となる。財産とは実体のある物だけではなく、営業行為、事業運営それ自体が財産権とされたため、事業の持続的運営への干渉も不法侵入とされたのである。差止命令は陪審員の審議もなく容易であり、従わなければ法廷侮辱罪となる。1980年から1930年の間に全米では少なく見積もっても4300の差止め命令が発出された。1920年代には全ストライキの25%に対して命令が出された。(竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢・山田編『権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年)
 アメリカの裁判所は労働組合に敵対的であったために、ウィルソン大統領時代の1914年クレイトン法では第20条で「裁判所は雇用者の財産あるいは財産権に弁償不可能な損害が及ぶことを防止する以外は、雇用者と被傭者の間の争議について、この条文に列挙された平和的・合法的な行動に対してインジャンクションを発することはできない」と規定し、平和的組合活動を容認する目的の立法政策もとられた。しかし、それを裁判所が実質無効化したのである。1921年の連邦最高裁アメリカン・スチール・ファンダリーズ対三都市労働評議会判決AMERICAN STEEL FOUNDRIES v. TRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCIL, 257 U.S. 184 (1921)  では、何が「平和的」「合法的」かは裁判所が判断する事柄として、出入口に2人以上のピケを違法とし、1人だけでも悪口・脅迫・つきまといは違法とする厳しい判決を下しいる。ウィリアム.H.タフト主席判事による法廷意見は「グループでやるピケットの人数が脅迫を構成する。ピケットという言葉そのものが戦争的目的を含んでいて平穏の説得とは両立しがたいのである。」と述べた。(有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971)
 タフトは大統領として所得税課税を認める憲法16条を通過させるなど革新主義的な側面もある政治家であるが、最高裁長官としては労働組合の争議行為に対して一貫して厳しい司法判断を下している。1921年ツルアックス対コリガン事件TRUAX V. CORRIGAN, 257 U. S. 312 (1921) http://supreme.justia.com/us/257/312/case.htmlは、1913年アリゾナ州法は、労働者が雇用者に対して平和的に争議を構える場合、雇用者が差止命令を要求してもれそれを認めないとした反インジャンクション法を違憲としたのである。事案は従業員組合が、レストラン前でピケットを張るほか、レストランの利用を避けるように周辺住民に訴えかけるボイコット戦術をとった行為だった。タフト主席判事による法廷意見は「原告の営業は財産権であり、被用者、所有主、顧客が彼の営業所に自由に接近するのはこの権利に付随する権利である。この権利のいずれか一方、或いは両方に、共謀によって故意の損害を与えれば、それは不法行為である。‥‥このような違法行為を合法とする法律は営業所の所有者から正当な手続を経ずして財産を奪うものであり、修正十四条によれば、これを有効な法律とすることができない」(中島陽子3837)とした。
 米国で平穏な組意活動を合法化したのは大恐慌以降のことである1932年ノリス・ラガーディア法以降のりことである。しかしコモンローは勢力をふるっていたためピケッティングの制限立法がなされた。その一つがアラバマ州法であるが、1940年連邦最高裁ソーンヒル対アラバマ判決が、ピケッティングを無差別の禁止する州法が言論の自由を侵害するとして違憲判決を下し、ピケも言論の自由として憲法上の保護を受けることとなった。しかしそれは平穏な態様についてであり、ピースフルでない手段のピケを保護するものではない。

(現代においても大量動員ピケッティングは違法)

 以上は争議権が認容される以前の裁判所の判断である。しかし現代においても、下記のとおり大量動員ピケッティングは英米いずれも違法(不法)と評価され、差止命令が発出されるのである。

 英国では、サッチャー政権の1980年雇用法において、ピケッティングの不法行為免責の範囲を限定した。大量動員ピケッティング、その職場でない者の参加等を禁止しており、行為準則において出入口6人以下としたうえ「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようににおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。」と定めた。(小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11)と規定し、非組合員であれ、組合員であれピケラインを越える自由を明文化している。違法ピケットは差止請求と損害賠償請求ができ、大量動員ピケや「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)の存在が有る場合に警察介入、差止命令の対象となることは1984年の炭鉱スト以来確立していることである。その後も大きなストライキが何回かあったが、違法ピケッティングに警察介入を可能としたので、70年代の不満の冬のような社会を混乱させる事態にはいたらずにすんでいる。
 20世紀最長の石炭公社の合理化計画に反対するイギリス炭坑ストUK miners' strike (1984.3.12–1985.3.5)における全国炭坑夫労組National Union of Mineworkersの敗北は英国における労働組合退潮の潮目となる大きな事件だった。組合は何の成果も得ることなく、ストを収拾せざるをえなくなった。大規模な警察介入があり、スト約1年間の逮捕者は、イングランド・ウェールズで9808人、うち起訴された者7917人、スコットランドでは起訴1483人だった。(松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991 )。死者は3名であり、ピケ隊が2人、1人はタクシーで通勤するスト反対派組合員の就労阻止のため岩が落とされて犠牲になっている。違法ピケ隊と警官隊の攻防の山場は、1984年5月29日と6月18日、ヨークシャーのオーグリーブ・コークス工場におけるコークス輸送阻止闘争だった。6月18日には6000~7000人のピケ隊と警察隊が激しく衝突、投石、3台の車に放火がなされ、逮捕者93人、負傷者80人(うち警官28人)を出したが、警察指揮官が「ひとりの死者も出なかったは奇跡である」と語った。
 大規模な警察介入は、1974年のヒース政権を打倒した炭鉱スト組合側勝利で大きな武器となっフライングピケット(よその職場の者を召集する大量動員ピケ)と二次的争議行為(同情スト)を違法としたことによるところが大きい。大量動員ピケは政府を打倒するほどの威力があったである。スト突入から9ヶ月近く経過した時点でスト参加者12万3000人に対して、就労組合員が6万3000人いた。このうち5万人近くは当初からストに反対の組合員である。(内藤則邦「イギリスの炭鉱ストライキ」『日本労働協会雑誌 』27(2) 1985.02)組合の長期ストの狙いは冬場になれば発電所の貯炭が不足し、1974年のように停電が頻発して、石炭公社は譲歩せざるをえなくなるというシナリオだったが、ヒース政権の失敗の教訓からサッチャー政権は十分な貯炭により周到な準備があったうえ、違法ピケッティングへの警察介入により、優良炭鉱のノッティンガムシャーなどスト反対派組合員の操業を確保したことが電力危機に至らずにすむ最大の決め手となり、結果サッチャー政権の勝利となった。。
 この教訓からすれば治安対策上、大量動員ピケの抑止立法のない我が国は異常である。危機管理もできない国家というに等しい。
 さらに、1988年雇用法において1984年労組法および88年雇用法の規定している厳しいスト賛成投票実施要件を適正にクリヤーして多数の賛成を取得し、ストに入ろうとするとき、そのストに参加することを拒否する組合員がいても、彼らを統制違反として制裁の対象としてはいけないとした。この立法の思想は、それに参加するか、しないかの決定権は労働組合によりも組合員にあると考えるべきである。つまり労働組合の団結する権利よりも個人の自由な決定権が優越的価値をもつものだというもので、団結とは個人の権利の総和であるとの考え方による。(渡辺章「イギリスの労働法制とその変遷(講苑)」『中央労働時報』804号 1990 )
 米国では1947年タフト・ハートレー法が「団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表者を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」を定めた1935年ワグナー法を修正し、「それらの行動のいずれかを、またはいずれも行わない権利を有する」(7条) と定め、消極的団結権、団体行動を行わない権利を労働者に付与し、強要すれば不当労働行為とした。したがって組合の統制によって就労阻止はできない。ストの参加不参加は集団意思より個人の意思が決定するものとされているのは、英国の1988年法と同じことである。
 橋本武人(9836)によれば、米国において「集団的ピケは、それが威嚇的効果を与えるという理由で不法である。‥‥群集が大きな集団を作り、又は歩道や職場の入口がピケ隊員によって取り囲まれ、或いは歩道に立ち塞がって妨害がなされる場合はもはや平和的とは言い得ない。又、組合員やゆその同調者が職場の前にブラつく事も平和的でない。‥‥一組の監視隊がそれがたとえ二名だけの場合においても黙示的な力、脅迫または威嚇が用いられたとい立証があれば禁止命令が発せられた実例がある‥‥多数の組合員がつめた間隔に並んで使用者の店舗の入口を往ったり来たりする場合や、又その入口近くまで入店を妨害する様な場合にはそのピケは平和的ではない。‥‥裁判所はピケが多数のピケ隊によってなされている時は、その数に干渉し、制限することができるとされている。ピケが張られた職場がただ一つしか出入口を持たない場合にはピケ隊員の数を四名迄に制限する禁止命令が違法な命令でないとする判例がある」と述べている。
 近年の大きなストライキの事例として2011年8月に2週間のストライキがに通信大手のベライゾン固定電話部の全米通信労働組合(CWA)と国際電気工友愛組合(IBEW)計4万5千人によってなされたが、『ボストングローブ』によるとマサチューセッツの裁判所は物理的な妨害、脅迫、強制、暴力または暴力の脅威を禁止したが、会社側の求めたトラックとの一定の距離は認められなかった。会社側は非組合管理職が嫌がらせと脅迫と危険にさらされていると主張していた。
 ニューヨーク、デラウェア州、ニュージャージー州とペンシルベニア州の裁判所でIBEWとCWAに対して差止命令を発出している。これらの州はマサチューセッツより厳しく、ビケ隊の人数を制限し、組合員が働いている従業員の職務を妨害するための脅迫や嫌がらせを禁止している。
 
 以上みてきたように、平穏なピケッティングが合法化された後、マスピケッティングは英国では放任されていた時代もあるが、1980年より違法であり、米国は当初より裁判所が不法と判断している。また英米とも組合の統制いかんにかかわらず組合がストに参加しない権利法律で明文化している。したがって、我が国の1954年の労働次官通達というものは、平和的説得論とされるが弾力的に幅広く解釈しており、現代の労使関係を比較法的にみて、マスピケッティングの是認と、組合員について組合の決議と統制を重くみている点で、それでもかなり労働組合に有利な内容であって批判的にみておく必要があるというのが私の本心である。 
 集団示威の是認は、日本国憲法28条が団体行動権を明文で規定していることと関連しているだろう。しかし、先進国の水準では大量動員ピケ容認は法治国家としては適切なものではない野蛮なことがらだ。
 日本国憲法は市民法秩序に反する規定を置いている致命的な欠陥があるものと認識しなければならない。
 少なくとも、労働次官通達は現代的水準に改定が必要であり、マスピケッティングの規制と組合員であっても決議に従わずストに参加しない権利は労働の自由の復権という観点から盛り込む必要があると考える。しかしそのために、「労働の自由」を主張するためは実定法上の根拠が必要に思えた。本論文でフランス法を継受した刑法に根拠を求めることができることがわかった。

(2)終局的な就労阻止を認めない点において、プロレイバー学説を排除した点は意義を認める

 にもかかわらず、労働次官通達は、ストを破る労働者に対して実力行使を正当化するプロレイバー学説を排除した点と、非組合員には組合の統制が及ばないとした点でも一定の意義を認めることができる。

 我が国の戦後プロレイバー労働法学は、階級的ミリバントな労働組合運動を支援し、労働基本権を確立するというイデオロギー的立場をとり、社会的基本権により市民法原理による法秩序は質的に転換されたと説き、労働基本権は他者の財産権や所有権を制約し、組織強制により労働の自由の侵害を正当化する権利として把握され、集団意思による個人の自由を制圧することが憲法上の権利だという世界的にも類例がないような悪質な学説を流布させた。これは法解釈というよりかれらのの政策の表明にほかならない。労働法学者の大多数が濃淡の差はあるもののこのような立場に立っており、労働法学者の多くを信用できないのはそのためである。
 したがって、かれらは労働の自由の侵害ともいえる。ピケッティングの実力行使も当然のように正当化するのである。
 
 前掲香川論文が、主なプロレイバー学者の見解を要約しているので、一部を引用する。

対象の区別なく実力阻止や説得の限界を超えるスクラムを正当とするプロレイバー

沼田稲次郎『団結権擁護論』昭和27年「争議権の本質とピケッティングの法理」有泉・沼田・峯村編『労働争議』昭和29年

「‥‥労働者の生存を守る争議においてはストライキを守ることは労働者全体の利益になるから、第二組合や外部労働者によるストライキは階級的裏切りであり、争議中の組合脱退者は組合脱退の自由り濫用を行使し、他の労働者の争議権、団結権を侵害しており、スクラムによる就労阻止は正当である。この考えをさにに発展させると、ピケライン尊重が労働者階級の支配的な規範意識から「在る規範」となり、ピケの対象による区別なくスト破り労働者に対する実力行使は正当になる。

要するに階級的裏切りであるスト破り労働者への実力阻止は正当でありやっつけろというものである。労働者は労働組合により階級的連帯規範なるものを強要されなければならないと全体主義的な思想といえる。

熊倉武「ピケッティングをめぐる刑法犯罪」『季刊労働法』36号 1960

「‥‥組織階級的連帯を裏切る者に対する実力行使による就労阻止をみとめる。‥‥刑事責任に対して『ピケは原則として正当な行為』であり、『ブルジョア市民法原理のうえにたって、抽象的・一般的個人法益の平均的保護を機能とする刑法の犯罪的思考を容れる余地はない』として、労働法規範の優位性を強調」

野村平爾「ピケッティングの正当性の限界」『早稲田法学』31巻3.4号1956

「ピケッティングは『スト破りからストライキの効果を守るために行われる』その『ピケッティングの正当性は、労働組合という階級的な労働者の団結体が持つところの、労働者に対する強制力として是認される」‥‥スト破り労働者に対しては「説得の限界をこえていても。防衛的な意味を持つをもつスクラム」は正当」‥‥ピケの対象による区分は「スト破りであればいいのであって、それがストライキを行っている組合に所属する組合員であろうと、ストライキ中に脱退した脱退組合員であろうと、未組織労働者であろうと区別はない」

 このように、プロレーバーは労働組合の集団意思によって個人の意思は制圧されなければならないと説き、労働組合に強制力を付与し、実力による就労阻止を是認するのである。労働者に人格自由を認めない。労働者は階級的連帯規範(ストライキ防衛)に拘束されなければならず、脱落者に対しては実力による自力救済を容認する。個人主義的契約概念と意思自治を原理とする近代市民法秩序に挑戦するものであり正反対の悪質な思想と評価できるだろう。
 むしろ集団意思によって自力救済による他者の権利侵害を正当化するのは「打ちこわし」「村八分」といった前近代の風習に接近しているといえるだろう。

 大多数の労働法学者は、プロレイバーであり、実力行使を好んでおり、労働事務次官通達を批判するのである。プロレイバーの実力行使容認論を批判し労働事務次官通達を支持する学者は少数にとどまる。

2.威力業務妨害罪は市民法上の「労働の自由」を保護しており争議行為の限界を定めているという荘子説

 ピケッティングにおいて実力行使を容認する悪質なプロレイバー学説が多数説である戦後労働法学の異常な状況において荘子邦雄説は刑法学者であるが「労働の自由」の観点から争議行為には限界があること明確に論じた点で高く評価したい。

 いわく「刑法二三四条の威力業務妨害罪の規定は、市民法の上から争議行為の限界をさだめた規定であり‥‥特に労働の自由を保護するためにつくられた規定である。この規定のみなもとは労働争議の禁圧の規定たる一八六四年のフランス刑法、さらには、ル・シャブリエ法までもさかのぼる。‥‥威力業務妨害罪の規定が存在している限り市民法上の労働の自由は保護されている。‥‥‥刑罰によって威力業務妨害罪の規定をの存在を前提に考えるときには、ピケット権にもとづいて「終局的に」就労を阻止することはみとめられていないと考えなければならない。昭和三十一年十二月十一日の最高裁判決がピケット権の限度を平和的説得にとどめたことは、刑法第二三四条の存在をとく考慮しはたものといえよう‥‥」と述べる。

 さらに、労働法と市民法の対比についても、刑罰による保護という法構造を無視して市民法上の権利の後退を認められない述べ、ピケット権に弾力的な解釈を要求できないと断じ、名指しこそないももの、市民法上の権利を無視して、団結権・団体行動権を優越させるプロレイバー労働法学を批判する内容になっている。

 ポイントは刑法第234条威力業務妨害罪が、はじめから争議行為を予定して定められたものだという法制定の経緯である。なぜならば威力業務妨害罪の現行規定は旧刑法(明治13年太政官布告36号)第267条~第271条とくに第270条、第271条を整理統合したものであるが、それは第二帝政後期の1864年修正フランス刑法第414条~416条の「労働争議禁圧の規定」を参照して制定されたものだからであると著者は言っている。
 その規定は1810年刑法(ナポレオン法典)に遡ることができる。それは労使団結を禁止した1791年のル・シャブリエ法の「労働の自由」の理念に基づいたものであったと著者は言う。。
 著者は威力業務妨害罪は本質的には自由意思による個人契約の妨げとなるものはしりぞけられなければならないというフランス革命直後の支配的価値観であるル・シャブリエ法の理念に基づくものとして次のように言う
「労働の自由の理念は労使双方にとって尊重されなければならない。団結することによって団体意思のもとには個人意思を圧迫することは許されないというのである。労働者の団結ないし団体行動は使用者の自由をうばうばかりでなしに、労働者を団体意思に服さしめることによって労働者の自由をうばうと考えた。相手の自由意思を制圧して就労を阻止する威力業務妨害が処罰の対象となったことは当然である」

 なお、フランスにおいて労働組合が承認され、個人主義的自由主義が明らかに変質するに至ったのは、第三共和政の1884年であり、ル・シャブリエ法と刑法416条の労働の自由妨害罪が廃止され組織強制機能も承認された。刑法291条以下の結社自由禁止規定は1901年ので廃止されなかったが、労働組合が適用除外とされたのである。
 したがって、我が刑法は、ル・シャブリエ法が生きており、労働組合が非合法だった時代のフランス法を母法としているから、著者の上記の見解は大筋で間違ってはいない。

 著者は継受という言葉こそ使ってないが、我が刑法の威力業務妨害罪は、労使の団結を禁止したル・シャブリエ法が生きていた労働組合非合法時代のフランス法(ナポレオン法典に遡る市民法刑法)を継受したものであり、自由主義的個人主義に基づく労働の自由のためのものであるということである。端的にいえばこれは労働争議における就労妨害を処罰することが主目的の一つの法なのである。

 ただし、1864法の説明にこの論文は若干難があるように思え、この点検証が必要に思えた。。この論文では詳しくふれてないが、私なりに敷衍すると旧刑法が直接モデルとした、1964年修正刑法は労働組合に非合法であるが個人の自由の算術的総和としてのストライキを容認するものであったという意味で、完全な団結禁止体制とはいえない。とはいえ合法化されたストライキは、組合が指導するものではなく、自己解雇の集団による同時行使の範疇にすぎないから、争議行為に限界があるのは明らかであるから、この時代の法を継受した我が刑法が「争議恋の限界を定めたもの」とするのは妥当なものであり、この点については問題ないと考える。い。
 つまり期間の定めなくなされる役務の賃貸借は、契約当事者の一方の意思により何時でも終了されうるというフランス民法の趣旨からすれば、使用者が解雇自由であるのと対等に、被用者が一方的にやめるのも基本的には自由といえる。
 もちろんストライキは自己解雇を意味するから(1950年までフランスではストは契約終了を意味した)、ストライキに勝利して再雇用されるか否かは賭けになる。一方的に期間の定めのない契約を終了させるという個人の行為の総和として、意に沿わない労働を離れる個人の行為の同時的行使と観念される限りにおいての集団的労務提供拒否は、労働の自由に反しないものとして容認されたということである。
 言い換えれば、組合の組織するストライキは承認されず、集団意思を他者に強要する積極的な争議権は認められていない。。
 山口俊夫『概説フランス法下』359頁によれば1864年法は「団結罪」を廃止したが、「労働の自由妨害罪」を設けたと説明している。とくにスト労働者による非参加者労働者への強迫、暴力行為、強制などの働きかけを抑止するものである。
 
 要するに我が国の旧刑法第270条、第271条はフランス刑法の「労働の自由妨害罪」を母法としているということである。著者が言うように「市民法のうえから争議行為の限界を定めた規定」であるという性格を明確に有しているといえる。

 わが刑法が革命期及び19世紀フランスの「労働の自由」理念を継受していることは明白であり、われわれは刑法にもとづいて他者により就労を妨げられない「労働の自由」の権利を主張することが可能だというのは重要な発見であった。
 1884年フランス刑法416条労働の自由妨害罪は廃止され、労働組合が合法化する。そのとき議会審議で激しい議論があり、416条維持派の中心人物がマルセル・バルトであった。かれは、「ある者の労働を妨害すること、それは濫用、しかも許しがたい濫用である」と述べた。にもかかわらずフランスは「労働の自由」という市民革命期の重要な成果の旗を降ろしてしまった。
 しかし、それによって「労働の自由」が死んだのではなかったのである。我が刑法はフランス刑法労働の自由妨害罪を継受し、現代も生きている。我々は最後まで「労働の自由」を擁護したマルセル・バルトと同じ主張ができるのであるから、その志を継ぐべきであろう。

 もっとも現行の威力業務妨害罪は「威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による」という概括的規定になっているが、それは旧刑法の趣旨を薄くするものでは全くない。明治40年の刑法改正政府提案書によると、改正の理由は適用範囲の拡大と、条文の統合にあった。「人ノ信用ヲ毀損」したり「業務ヲ妨害」したりする「一切ノ場合二応スル」ことがができるように概括的規定としたのである。改正理由書によれば適用範囲が拡大することこそあれ、縮小したものではないと著者は明快に述べている。
 さらに著者は重要なことを言っている。「人の業務を妨害」の「人」には使用者と労働者の区別はないということである。
 それは刑法199条「人ヲ殺シタル者ハ死刑又は無期若シクハ三年以上ノ懲役」の「人」に使用者と労働者の区別はないことと同じである。
 著者によれば「規定のうえからは、労働者と使用者との間に差別的な取扱いをするをする根拠をみとめることはできない」「刑法二三四条が労働者と使用者の区別なしに労働の自由をおかした者を処罰する規定をもうけた」というのである。したがって、これは労働者の就労の自由つまり「スト破り」も使用者の操業の自由、営業の自由をも保護するものなのだと理解するほかない。自由と平等を理念とするフランス法の継受であるからそれは当然のことである。。

 ところで、日本国憲法は、そのような市民法原理にもとづく個別的な「労働の自由」を保障するといえるのだろうか。一般には、一応憲法29条の財産権、もしくは憲法27条の勤労権によって保障されているものと解されてもいる。
 しかし一方で憲法28条の団結権ないし団体行動権は逆に個別的労働の自由の否定を本質的に含むものとして把握され、統制的独占的な集団的労働力取引及び停止の権利とされる(1-120田辺公二 123頁)。日本国憲法は明らかに矛盾を内包している。えるのである。
 
 しかしながら、少なくともピケッティングに関していえば市民法秩序と労働基本権を対比するとき、著者がいうように、やはり全体の法秩序は市民法上の権利に優越的な地位をもたせているとみるべきだろう。
 財産権・所有権・取引の自由は労働基本権によって制約されるものとしてその侵害を是認し、労働者は階級的連帯規範のもとに就労の自由を否定する。階級的団結体の集団意思が個人意思を制圧すると主張するプロレイバーの考え方は到底受容できるものではなくしイデオロギー上の敵といわなければならない。
 具体的に判例の検討は別途行うものとする。

参考
 
○旧刑法(明治13年太政官布告36号)第二編第八章 商業及ヒ農工ノ業ヲ妨害スル罪

270条農工ノ雇人其雇賃ヲ増サシメ又ハ農工業ノ景況ヲ変セシムル為メ雇主及ヒ他ノ雇人ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ一月以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ三円以上三十円以下ノ罰金ヲ附加ス
271条 雇主其雇賃ヲ減シ又ハ農工業ノ景況ヲ変スル為メ雇人及ヒ他ノ雇主ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ亦前条ニ同シ

1864年修正フランス刑法(我が国の威力業務妨害罪の母法)

414条 暴行、脅迫、偽計ヲ以テ強テ工丁ノ雇賃ヲ昻低セント為スタメ又ハ、製造、工作ヲ自由二行フ妨ヲ為スタメ一時二製造、工作ヲ停止セシメ或ハ停止セシメント試ミ為シ又ハ其停止ヲ久シカラシメント試ミ為シタル者ハ六日ヨリ多カラサル時間禁錮ノ刑二処セラレ且十六「フランク」ヨリ多カラサル罰金ノ言渡ヲ受ケ又ハ其二箇ノミノ言渡ヲ受ク可シ

415条 預メ協議シタル謀計二因リ前条二記シタル罪ヲ犯セシ時ハ裁判所ノ言渡ヲ以テ其犯人二二年ヨリ少カラス五年ヨリ多カラサル時間政府ノ監察ヲ受ケシムルコトヲ得可シ

416条 工丁、雇主、起作人、預メ協議シタル謀計二因リ罰金又ハ禁制ヲ言渡シ製造工作ヲ自由二行フノ妨害ヲ為シタル時ハ六日ヨリ少カラス三月ヨリ多カラサル時間禁錮ノ刑二処セラレ且十六「フランク」ヨリ多カラサル罰金ノ言渡ヲ受ケ又ハ此二箇ノ刑中ノ一箇ノミニ処セラル可シ

フランスの「労働の自由」の代表的論者
○ヴァチメニル(1848刑法修正の報告者)、

「勤労と営業の規則的かつ正常な状態においては、労働を含むすべての価格は二つの要素によって決定される。二つの要素の第一は、供給と需要の均衡であり、第二は、一方では供給する者の間での他方は需要する者のあいだでの競争である。価格を決定するこれらの要素が障害なく機能するとき、勤労、営業、労働は自由であり、かつ、諸価格は、公正かつ真実に決定される。反対の場合には、勤労、営業、労働の自由は歪曲され、諸価格は人為的なものとなってしまう。つまりコアリシォンは、明白な効果として、競争と、需要供給の均衡による諸効果を破壊し、あるいは歪曲する。したがってそれは勤労、営業および労働の自由に背馳し、その結果、第一三条でこの自由を保障した憲法に反する‥‥‥雇主および労働者が、彼ら固有の利益において振舞い、約定し、他のものとの違法な協定を結ばないかぎり、賃金の条件を取り扱う自由は完全である。なぜなら、その自由は、他のいかなる合法的権利も侵害しないからである。しかしながら、圧力を加えるためのコアリシォンがつくられるならば、それは‥‥‥競争の自由、したがって労働の憲法上の自由は、このコアリシォンによって窒息させられるのである。」(田端博邦「フランスにおける「労働の自由」と団結」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 2 (行政・労働と営業の自由)』東京大学出版会1972所収)

○マルセル・バルト(1884年刑法416条廃止に際し、反対の中心人物)

「所有は、所有者が思うままに、その個人的財産を利用し、かつ処分しうる権利である。労働は所有であり、神聖な所有である。そして所有の属する者は、その意のままに処分する権利を有する。私が『労働の自由』と理解するのは、以上のとおりである。」
「労働者が、自ら受諾した賃金および条件により、気にいった仕事場で労働するのを妨害する者は、この神聖な所有を妨害することとなる。」
「労働はもっとも根源的な所有であり、もっとも個人的な所有であり、もっとも保護に値する所有である。」
「ある労働者が、意にそわぬ労働を離れることが権利であると同時に、他の労働者がその労働を受け入れ、履行する権利を承認しなければならない。‥‥労働をしないこと、それは権利であるが、ある者の労働を妨害すること、それは濫用(権利の)、しかも許しがたい濫用である」(島田陽一9834)

9834 島田陽一「フランス一八八年法における労働組合承認の法理」『季刊労働法』127号1983

9835野村平爾・吾妻光俊・磯田進「座談会ピケッティングの限界-労働次官通達をめぐって-」附録資料「労働次官通達」『ジュリスト』71号1954

9836橋本武人「アメリカにおけるピケッティングの法的性格」『労働週報』665号 1953

9837中島陽子「アメリカにおけるピケッティング法理(一)」『法学新報』67巻3号 1960

9838中島陽子「アメリカにおけるピケッティング法理(二)」『法学新報』67巻4号 1960

9839中島陽子「反差止命令法以後のレーバー・インジャンクション」『法学新報』68巻1号 1961

9840長淵満男「管理職による争議中の操業と抗議行動の正当性 毎日放送事件」『季刊労働法』101号 1976

9841本多淳亮「争議中の操業権と車輛確保戦術-山陽電気軌道事件」『季刊労働法』111号 1979 

9842山本吉人「労働時間問題について」『労働判例』674号 1995

9843全国税東京足立分会事件 最高裁二小昭59.1.27判決 『労働判例』425号 1984

9844国労岡山操車場事件 広島高裁岡山支部平3.8.29判決 『労働判例』603号 1992

9845国鉄千葉動労(違法争議損害賠償)事件 東京高裁平13.9.11判決 『労働判例』817号 2002

9846三鷹事件上告審判決 最高裁大法廷宣告昭30.6.22 『判例時報』52号

9847全商工職場大会事件 東京地裁昭61.3.25 『判例時報』1189号

9848全気象東北支部仙台分会職場大会事件 最高裁三小昭60.9.25判決 『判例時報』1457号

9849岩教祖同盟罷業事件上告審判決 最高裁一小平元.12.18判決 『判例時報』1332号

9850全運輸職場近畿陸運支部 最高裁二小昭60.11.8 『判例時報』1178号

9851目黒電報電話局事件 最高裁三小昭52.12.13 『労働判例』287号 1978

9852国労(緊急命令申立)事件 東京高裁平3.6.6決定 『労働判例』594 1992
(組合バッジ着用)

9853プリマ事件 東京地裁昭51.2.21判決 『労働判例』254号 1976
(社長声明表示が不当労働行為とされた例)

9854日立製作所武蔵工場事件 最高裁一小平3.11・28判決 『労働判例』594号 1992
(三六協定) 

9855国鉄清算事業団(東京北等鉄道管理局) 東京地裁平3.7.3判決 『労働判例』594 1922

9856人事院(全日本国鉄医療労組)事件 東京地裁平11.4.15判決 『労働判例』761 1999

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