公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

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意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

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2013年1月の15件の記事

2013/01/31

二月は下水道闘争をやるらしい

  掲示板の東水労ニュースをみると、2月15日29分職場大会、2月14日~15日三六協定破棄闘争(下水道局のみ)と書かれていた。下水道組織見直しに伴う執行体制、レイアウトが継続協議なので、闘争を構えるといことらしい。
 本日は午後、春闘方針に関する東水労ニュースが配られていた。(所長在席)、自分が別室にいたときのようで、現場はみてない。おととい「解放新聞」という機関紙を分会役員で回覧しているみた。掲示板には、2月5日全水道会館で夜間に開催される東水労狭山事件学習会の広告があった。狭山事件再審闘争勝負の年と書かれていた。
 自分はきのう午後半休をとって、「トレッドミルによる負荷心肺機能検査」を受けてきた。運動着に運動靴を履いて歩行マシンに乗って、心拍数を上げ約10分間心電図をとるというもの。結果は負荷がかかると乱れはあるが大事なしとのことだった。これは2回目だが、今回はさほど息があがらずにすんだ。

2013/01/28

本日登庁時

 本日登庁した際ゴミ置き場をみておいた。ゴミ袋のひとつが寿司かオードブルのデリバリーサービスのいれものみたいだった。もうひとつのゴミ袋しは半透明だったが、サッポロ生黒ラベルのほかいろんな銘柄の500ミリリットル缶が15~20個ぐらい。
 25日は自分が直帰の出張だったので、その時間帯は不在だったが、組合の旗開きを就業時間終了後、休憩室で予定していたからその時のものだろう。
 私が、問題視してるのは正常な業務運営を阻害する、違法行為を助長する、もしくは一般的にいすって正当な行為とみなされない企業施設内の組合活動である。大阪市のように一切の組合活動の便宜供与を否定するほど徹底したものではない。であるから旗開きは否定するものでないが、一応何事でも記録しておくのである。
 本日は、毎年やっている情報セキュリティ等の悉皆研修だが、これは○か×か一方的な内容で、最後には確認のためチェックリストに○をつけてチェックするというものだった。研修の狙いは万一事故がおきたとき、毎年趣旨は徹底していたが、事故が起きてしまったのは下っ端が研修でいわれたとおりやってないということにするためだろう。

2013/01/27

入手資料整理98

(争議行為及びピケッティング等の基本的な刑事判例その3)

9931都教祖勤評反対闘争事件 最大判昭44.4.2最高裁判所刑事判例集23巻5号 判例時報519号(LEX/DBプリントアウト)

要旨 昭和41年全逓中郵事件判決に続いて、地方公務員の争議行為につき刑事罰から解放する画期的なワースト判決。東京都教職員組合が、文部省の企図した勤務評定の実施に反対するため、1日の一斉休暇闘争を行うにあたり、被告人らが組合の幹部としてした闘争指令の配布、趣旨伝達等、争議行為に通常随伴する行為については、地方公務員法61条所定の刑事罰をもってのぞむことは許されないとした。(破棄自判 多数意見9・反対意見5)到底納得できるものではなく私は5判事の反対意見に賛同する。
 ただし多数意見は民事上の責任を負わせることを否定するものではない。「地方公務員のする争議行為については、それが違法な行為である場合に、公務員としての義務違反を理由として、当該職員を懲戒処分の対象者とし、またはその職員に民事上の責任を負わせることは、もとよりありうべきところであるが、争議行為をしたことそのことを理由として刑事制裁を科することは、同法の認めないところといわなければならない。」ということである。この判決は昭和51.5.21岩教組事件判決で判例変更された。

 主な争点は地方公務員法第三十七条 (職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。 2  職員で前項の規定に違反する行為をしたものは、その行為の開始とともに、地方公共団体に対し、法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に基いて保有する任命上又は雇用上の権利をもつて対抗することができなくなるものとする。)、 第六十一条 (左の各号の一に該当する者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。 )四号(何人たるを問わず、第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者 )の合憲性である。

多数意見

「 弁護人佐伯静治外二七名の上告趣意について。
 論旨は、憲法違反、条約違反、判例違反、判断遺脱その他きわめて多岐にわたるが、要するに、地方公務員法(以下地公法という。)三七条の定める争議行為の禁止が憲法二八条に違反し、かつ、ILO八七号条約および国際慣習法規にも違反し、ひいては憲法九八条二項にも違反する旨の主張と、地公法六一条四号の定める争議行為のあおり行為等に対する刑事罰が憲法二八条、一八条、三一条に違反し、かつ、ILO八七号条約および国際慣習法規にも違反し、ひいては憲法九八条二項にも違反する旨の主張とを骨子とし、あわせて、地公法六一条四号の定める「あおり」の要件についての解釈適用の誤り、原判決の刑訴法四〇〇条但書違反および原判決の判断遺脱を主張するものである。当裁判所は、結論として、原判決を破棄し、被告人全員を無罪とすべきものとするが、その理由は、つぎのとおりである。

一、公務員の労働基本権について、当裁判所は、さきに、昭和四一年一〇月二六日の判決(いわゆる全逓中郵事件判決)において、つぎのとおり判示した。
 「憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。
 このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・団体交渉権・争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。
 右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう動労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。」
 右判決に示された基本的立場は、本件の判断にあたつても、当然の前提として、維持すべきものと考える。
 右のような見地に立つて考えれば、「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことが許されないことは当然であるが、公務員の労働基本権については、公務員の職務の性質・内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を受けることのあるべきことも、また、否定することができない。ところで、公務員の職務の性質・内容は、きわめて多種多様であり、公務員の職務に固有の、公共性のきわめて強いものから、私企業のそれとほとんど変わるところがない、公共性の比較的弱いものに至るまで、きわめて多岐にわたつている。したがつて、ごく一般的な比較論として、公務員の職務が、私企業や公共企業体の職員の職務に比較して、より公共性が強いということができるとしても、公務員の職務の性質・内容を具体的に検討しその間に存する差異を顧みることなく、いちがいに、その公共性を理由として、これを一律に規制しようとする態度には、問題がないわけではない。ただ、公務員の職務には、多かれ少なかれ、直接または間接に、公共性が認められるとすれば、その見地から、公務員の労働基本権についても、その職務の公共性に対応する何らかの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、公務員の労働基本権に具体的にどのような制約が許されるかについては、公務員にも労働基本権を保障している叙上の憲法の根本趣旨に照らし、慎重に決定する必要があるのであつて、その際考慮すべき要素は、前示全逓中郵事件判決において説示したとおりである(最高刑集二〇巻八号九〇七頁から九〇八頁まで)。地公法三七条および六一条四号が違憲であるかどうかの問題は、右の基準に照らし、ことに、労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならず、とくに、勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは、必要やむをえない場合に限られるべきであるとする点に十分な考慮を払いながら判断されなければならないのである。
 (イ) ところで、地公法三七条、六一条四号の各規定が所論のように憲法に違反するものであるかどうかについてみると、地公法三七条一項には、「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能力を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又は遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、同法六一条四号には、「何人たるを問わず、第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が、文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れないであろう。
 しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神にそくし、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちに違憲と断定する見解は採ることができない。すなわち、地公法は地方公務員の争議行為を一般的に禁止し、かつ、あおり行為等を一律的に処罰すべきものと定めているのであるが、これらの規定についても、その元来の狙いを洞察し労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈するときは、これらの規定の表現にかかわらず、禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。
 かように、一見、一切の争議行為を禁止し、一切のあおり行為等を処罰の対象としているように見える地公法の前示各規定も、右のような合理的な解釈によつて、規制の限界が認められるのであるから、その規定の表現のみをみて、直ちにこれを違憲無効の規定であるとする所論主張は採用することができない。
 (ロ) また、論旨は、前示地公法の各規定がILO八七号条約、ILO一〇五号条約、教員の地位に関する勧告、国際慣習法に違反し、したがつてまた、憲法九八条二項に違反するものと主張するが、ILO八七号条約は、争議権の保障を目的とするものではなく、ILO一〇五号条約および教員の地位に関する勧告は、未だ国内法規としての効力を有するものではなく、また、公務員の争議行為禁止措置を否定する国際慣習法が現存するものとは認められないから、所論は、すべて採用することができない。

二、つぎに、地方公務員の争議行為についてみるに、地公法三七条一項は、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止しているから、これに違反してした争議行為は、右条項の法文にそくして解釈するかぎり、違法といわざるをえないであろう。しかし、右条項の元来の趣旨は、地方公務員の職務の公共性にかんがみ、地方公務員の争議行為が公共性の強い公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害し、国民生活にも重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむをえない措置として、地方公務員の争議行為を禁止したものにほかならない。
ところが、地方公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、さきに説示したとおり、公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいて国民生活全体の利益を害するとはいえないのみならず、ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない。地方公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較較量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。そして、その結果は、地方公務員の行為が地公法三七条一項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い場合も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には、右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。
 また、地方公務員の行為が地公法三七条一項の禁止する争議行為に該当する違法な行為と解される場合であつても、それが直ちに刑事罰をもつてのぞむ違法性につながるものでないことは、同法六一条四号が地方公務員の争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、もつぱら争議行為のあおり行為等、特定の行為のみを処罰の対象としていることからいつて、きわめて明瞭である。かえつて、同法三七条二項は、職員で同条一項に違反する行為をしたものは、地方公共団体に対して保有する任命上または雇用上の権利をもつて対抗することができないという不利益を課しているにすぎないことを注意すべきである。したがつて、地方公務員のする争議行為については、それが違法な行為である場合に、公務員としての義務違反を理由として、当該職員を懲戒処分の対象者とし、またはその職員に民事上の責任を負わせることは、もとよりありうべきところであるが、争議行為をしたことそのことを理由として刑事制裁を科することは、同法の認めないところといわなければならない。
 ところで、地公法六一条四号は、争議行為をした地方公務員自体を処罰の対象とすることなく、違法な争議行為のあおり行為等をした者にかぎつて、これを処罰することにしているのであるが、このような処罰規定の定め方も、立法政策としての当否は別として、一般的許されないとは決していえない。ただ、それは、争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような違法な争議行為等のあおり行為等であつてはじめて、刑事罰をもつてのぞむ違法性を認めようとする趣旨と解すべきであつて、前叙のように、あおり行為等の対象となるべき違法な争議行為が存しない以上、地公法六一条四号が適用される余地はないと解すべきである。
(もつとも、あおり行為等は、争議行為の前段階における行為であるから、違法な争議行為を想定して、あおり行為等をした場合には、仮りに予定の違法な争議行為が実行されなかつたからといつて、あおり行為等の刑責は免れえないものといわなければならない。)
 つぎに、あおり行為等の意義および要件については、意見の分かれるところであるが、一般に「あおり」の意義については、違法行為を実行させる目的で、文書、図画、言動により、他人に対し、その実行を決意させ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうと解してよいであろう(昭和三三年(あ)第一四一三号、同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)。しかし、地公法でいう争議行為等のあおり行為等がすべて一律に処罰の対象とされうべきものであるかどうかについては、慎重な考慮を要する。問題は、結局、公務員についても、その労働基本権を尊重し保障しようとする憲法上の要請と、公務員については、その職務の公共性にかんがみ、争議行為を禁止すべきものとする要請との二つの相矛盾する要請を、現行法の解釈のうえで、どのように調整すべきかの点にあり、労働基本権尊重の憲法の精神からいつて、争議行為禁止違反に対する制裁、とくに刑事罰をもつてする制裁は、極力限定されるべきであつて、この趣旨は、法律の解釈適用にあたつても、十分尊重されなければならない。
 そして、地公法自体は、地方公務員の争議行為そのものは禁止しながら、右禁止に違反して争議行為をした者を処罰の対象とすることなく、争議行為のあおり行為等にかぎつて、これを処罰すべきものとしているのであるが、これらの規定の中にも、すでに前叙の調整的な考え方が現われているということができる。しかし、さらに進んで考えると、争議行為そのものに種々の態様があり、その違法性が認められる場合にも、その強弱に程度の差があるように、あおり行為等にもさまざまの態様があり、その違法性が認められる場合にも、その違法性の程度には強弱さまざまのものがありうる。それにもかかわらず、これらのニユアンスを一切否定して一律にあおり行為等を刑事罰をもつてのぞむ違法性があるものと断定することは許されないというべきである。ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている地公法六一条四号の趣旨からいつても、争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。それは、争議行為禁止に違反する意味において違法な行為であるということができるとしても、争議行為の一環としての行為にほかならず、これらのあおり行為等をすべて安易に処罰すべきものとすれば、争議行為者不処罰の建前をとる前示地公法の原則に矛盾することにならざるをえないからである。したがつて、職員団体の構成員たる職員のした行為が、たとえ、あおり行為的な要素をあわせもつとしても、それは、原則として、刑事罰をもつてのぞむ違法性を有するものとはいえないというべきである。

三、これを本件についてみるに、原審の確定したところによれば、文部省が企図した公立学校教職員に対する勤務評定の実施に反対する日教組の方針に則り、都教組も、その定例委員会において、休暇闘争を含む実力行使をもつてこれに対応する方針をきめたが、都教育長は、昭和三三年四月一九日に、同月二三日の都教育委員会に勤務評定規則案を上程する旨の告示をすると言明し、爾後の話合いを拒否するに至つたので、都教組は、同月二一日に、「組合員は勤務評定を実施させない措置を地公法四条に基いて人事委員会に要求せよ。右手続は昭和三三年四月二三日午前八時から開催する全員集会で取りまとめて提出せよ。(右手続に必要な休暇請求は同日までに行う)」との指令を発し、右指令に基づいて、同月二三日一日の一せい休暇闘争を行なつたというのであり、原判決は、右は同盟罷業にあたるものとし、被告人らがしたその指令配布、趣旨伝達等の行為について、被告人らは地公法六一条四号の争議行為の遂行をあおつたものとして、同条の刑責を免れないとしているのである。
 しかし、本件をさきに詳細に説示した当裁判所の考え方に従つて判断すると、本件の一せい休暇闘争は、同盟罷業または怠業にあたり、その職務の停廃が次代の国民の教育上に障害をもたらすものとして、その違法性を否定することができないとしても、被告人らは、いずれも都教組の執行委員長その他幹部たる組合員の地位において右指令の配布または趣旨伝達等の行為をしたというのであつて、これらの行為は、本件争議行為の一環として行なわれたものであるから、前示の組合員のする争議行為に通常随伴する行為にあたるものと解すべきであり、被告人らに対し、懲戒処分をし、または民事上の責任を追及するのはともかくとして、さきに説示した労働基本権尊重の憲法の精神に照らし、さらに、争議行為自体を処罰の対象としていない地公法六一条四号の趣旨に徴し、これら被告人のした行為は、刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くものといわざるをえない。したがつて、被告人らは、あおり行為等についての刑責を免れないとした原判決の右判断は、法令の解釈適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわざるをえない。(以下略)」

 
反対意見(奥野健一、草鹿浅之介、石田和外、下村三郎、松本正雄各裁判官)

「 国家公務員は、国民の信託により、全体の奉仕者として国政に干与するものであつて、その使用者である国民大衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなすことは、国民の信託に叛き、国政の活動を停廃せしめ、国民生活に重大な障害をもたらし、公共の福祉に反するものであるから、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)九八条五項は、違法な行為として、これを禁止しているのである。また、地方公務員法三七条一項は、同様の趣旨において地方公務員の争議行為を違法な行為として禁止しているのである。これら公務員の争議行為の禁止は、公共の福祉の要請に基づくものであつて、憲法二八条に違反するものということはできない。
 法は、右の如く公務員の争議行為を違法な行為として禁止しながらも、それに違反して争議行為自体に参加した個々の公務員に対しては、刑罰を科することなく、公務員として保有する任命上又は雇用上の権利を奪う制裁を科し得るに止めている。
 しかし、法は、公務員の争議行為が国民又は地方住民に対し、重大な損害を与えるものであることに鑑み、かかる違法な争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、いわゆる煽動者等に対しては刑事制裁を科し、もつて違法な争議行為の禁遏の実を挙げようとしているのである。すなわち、違法な争議行為に原動力を与える者は、単なる争議に参加した者に比して、反社会性の強いものとして、特別の可罰性を認めるべきであるとの観点から、争議に対し指導的役割をなす煽動者等のみを処罰することにより、違法な争議行為の防止と刑政の目的を達し得るものと考えたのである。かくの如く、集団行動による違法行為について、その原動力となつた煽動行為等の違法性を特に重視することは十分合理性のあることであり、内乱罪、騒擾罪などの処罰方式の例にも見られるところであり、決して不合理な立法ではなく、固より、立法政策の範囲内に属するものであつて、違憲とはいい難い。
 そして、法が違法な争議行為に対する誘発、指導、助成の原動力となるものとして処罰せんとする「あおり」についていえば、「あおり」の概念は、「違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決、刑集六巻二号一〇七頁参照)」をいうものと解するのが相当であり、その構成要件の内容が漠然としているものではない。そして法は、「あおり」行為について何らの限定を設けていないのであるから、いやしくも前記「あおり」の行為に該当するものである限り、これを可罰性のある違法な行為とする趣旨であつて、これらの行為をその違法性の強弱によつて区別し、特に違法性の強いものに対してのみ刑事制裁を科するものであると解する余地は、法文上考えられないところである。
 「あおり」の対象となつた争議行為自体の態様により、その違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限つて、「あおり」を処罰する趣旨であると解することも到底是認できない。けだし、法は、争議行為自体を処罰しないとしながら、敢てこれをあおつた者を処罰すると規定しているのであるから、違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のある争議行為をあおつた場合に限り、あおり行為を処罰する趣旨と解することは、ことさらに明文に反する解釈であるからである。 それ故、「あおりの」罪が成立するためには、その「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性の有無を論ずる余地はなく、したがつて、その争議行為が例えば政治的目的のために行なわれたものであるか否かという如きことは、同罪の成否になんら影響を及ぼすものではないというべきである。しかも、もともと法律上争議権を否定された公務員が、「正当な争議行為」をすることができないのは当然であるから、国家公務員法附則一六条、地方公勝員法五八条の規定をまつまでもなく、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労働組合法一条二項の規定が公務員の争議行為に適用の余地のないことは明白であつて、この点からいつても、「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性の有無を論ずることは理由がないといわなければならない。
 また、争議には、企画、共謀、指令、伝達等は、通常、一般的に随伴し、争議と不可分の関係にあるものであつて、組合構成員は当然これに干与するのであるから、これを処罰することは、争議行為を処罰することになるから、組合構成員の「あおり」行為は除外すべきであるとの解釈論も是認することはできない。けだし、国家公務員法九八条五項後段、一一〇条一項一七号、地方公務員法三七条一項後段、六一条四号は、「何人も」および「何人たるを問わず」あおり行為をした者を処罰する旨を明定しており、あおつた者が組合構成員であると、組合構成員以外の第三者であると、また組合構成員がそれ以外の第三者と共謀した場合であるとを問わず、また争議に当然随伴し、これと不可分の関係において為した者であると否とを問わず、等しく処罰する趣旨であることが明白であるからである。
 これを要するに、「あおり」の概念を、強度の違法性を帯びるものに限定したり、「あおり」行為者のうち、組合構成員と組合外部の者とを区別し、外部の者の行為若しくはこれと共謀した者の行為のみを処罰の対象となると解したり、または「あおり」の対象となつた争議行為が違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限り、その「あおり」行為が可罰性を帯びるのであるというが如き限定解釈は、法の明文に反する一種の立法であり、法解釈の域を逸脱したものといわざるを得ない。
 従つて、以上に述べたところと解釈の結論を同じくする原判断は相当であり‥‥本件上告は棄却すべきものである。」

9932全司法仙台事件 最大判昭44.4.2 最高裁判所刑事判例集23巻5号685頁、判例時報550号(LEX/DBプリントアウト)

 都教祖事件と同日の大法廷判決。主な争点は国家公務員法(昭和40改正前のもの)98条5項(職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。)、110条1項17号(「何人たるを問わず第九十八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は、三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処すべき旨を規定)の合憲性である。
 本件は結論として職場大会に参加するよう慫慂・使唆した行為を有罪としたものの、判決理由において公務員の労働基本権保障を重視し、刑事処罰は限定的なものでなればならないことを示しており、全逓中郵事件判決、都教祖事件事件に続く一連のワースト判決の一つである。
 事案は全国税労組中央執行委員長で税務署職員であった○○が、全司法労組仙台支部が新安保条約に反対するため、勤務時間にくいこむ職場集会を開催するにあたり、裁判所職員でなく、かつまた裁判所職員の団体に関係ない○○(全国税労組委員、税務職員)、裁判所職員であり、同支部執行委員長の職にあった○○らと共謀のうえ、同支部分会役員に対し、その職場大会の参加協力を要求し、または裁判所職員に対しその職場大会に参加するよう慫慂・使唆した。原判決は限定解釈しつつこの点について有罪とした。(中村秀次「刑法総論に関する裁判例資料」『熊本ロージャーナル』4号2010〔※ネット公開〕)
 最高裁は上告棄却(多数意見13(趣旨反対結論は同意5)、反対意見1)。多数意見は国家公務員法110条1項17条により刑罰に処すことは限定的なものでなければ合憲でないとし、刑罰に処せる争議行為とは「暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。」と限定した。にもかかわらず、本件は政治目的の争議であったことから違法性が強いとされ、第三者と共謀したことが争議行為に通常随伴する行為と認めることはできないゆえに、原判決の有罪を是認したというものである。有罪は妥当としても到底納得できる判決理由ではなく、私は5判事の結果的同意意見に賛同する。
 この判例は昭和48.4.25全農林警職法事件判決により判例変更されている。

多数意見-要所のみ

「‥‥これらの規定が、文字どおりに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れない。、しかし、‥‥限定的に解釈する限り、前示国公法九八条五項はもとより、同法一一〇条一項一七号も、憲法二八条に違反するものということができず、また、憲法の前文、一一条、九七条、一八条に違反するものともいえない‥‥‥‥あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。‥‥‥‥そこで、本件職場大会についてみるに、当時、新安保条約に対する反対運動が憲法擁護のための国民運動として広く‥‥行なわれたものである‥‥としても‥‥‥このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく、かつ、それが短時間のものであり、また、かりに暴力等を伴わないものとしても、裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。‥‥‥被告人らのうち、裁判所職員でなく、かつまた、裁判所職員の団体に関係もない第三者である被告人○○、○○、○○の行なつた行為は、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認めることができない‥‥‥」

多数意見(一部略)

 弁護人大川修造ほか六名の上告趣意第一点について。
 所論は、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法という。)九八条五項、一一条一項一七号は、憲法二八条、一一条、九七条、一八条に違反するものであり、これを適用した原判決も違憲であるという。
 よつて案ずるに、国公法九八条五項は、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、同法一一〇条一項一七号は、「何人たるを問わず第九十八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は、三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が、文字どおりに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れない。しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちにこれを違憲と断定する見解は採ることができない。
 右のように限定的に解釈するかぎり、前示国公法九八条五項はもとより、同法一一〇条一項一七号も、憲法二八条に違反するものということができず、また、憲法の前文、一一条、九七条、一八条に違反するものともいえないことは、当裁判所大法廷の判例(とくに昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決参照)の趣旨に照らし、明らかであるから、これらの規定自体を違憲とする所論は、その理由がなく、したがつて、原判決が右国公法一一〇条一項一七号を適用したことを非難する論旨も、採用することができない。
 同第二点について。
 所論は、明白かつ現実の危険がないのに、あおり行為等を処罰することとしている国公法一一〇条一項一七号の規定は憲法二一条に違反するという。
 しかし、右罰則が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二六年(あ)第三八七五号、同三〇年一一月三〇日大法廷判決、刑集九巻一二号二五四五頁)とするところであるのみならず、前に説示したとおり、右罰則はこれを限定的に解釈して適用するかぎりにおいて、右規定が憲法二一条に違反するものないことは、さらに明らかである。所論は、独自の見解のもとに違憲を主張するものであつて、採用しがたい。
 同第三点について。
 国公法一一〇条一項一七号は、公務員の争議行為そのものを処罰の対象としているものでないのみならず、右規定にいうあおり行為等を後に説示するような意味に解するかぎり、右規定が憲法一八条に違反するものといえないことは、所論第一点について説示したとおりであつて、所論は採用のかぎりでない。
 同第四点について。
 所論は、国公法一一〇条一項一七号は、その規定する構成要件の内容が漠然としており、かつ、労働運動の実体を無視し、争議行為の前段階的行為であるあおり行為等のみを処罰の対象としたことは極度に不合理であるから、憲法三一条に違反し、これを適用した原判決も違憲であるという。
 しかし、国公法一一〇条一項一七号にいう「共謀」とは、二人以上の者が、同法九八条五項に定める違法行為を行なうため、共同意思のもとに、一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をすること(昭和二九年(あ)第一〇五六号、同三三年五月二八日大法廷判決、刑集一二巻八号一七一八頁参照)、「そそのかし」とは、同法九八条五項に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすること(昭和二七年(あ)第五七七九号、同二九年四月二七日第三小法廷判決、刑集八巻四号五五五頁参照)、「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号、同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)を、それぞれ、指すものと解するのが相当である。してみれば、国公法一一〇条一項一七号に規定する犯罪構成要件が、所論のように、内容が漠然としているものとはいいがたく、所論違憲の主張は、理由がない。
 また、違法な争議行為につき、その前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、政策的に妥当といえるかどうかは別論として、必ずしも不合理とはいいがたく、この点に関する非難も、採用することができない。
 同第五点について。
 所論は、原判決の国公法一一〇条一項一七号の「あおり」の解釈適用の誤りをいう。
 よつて案ずるに、原判決が国公法一一条一項一七号につき原判示のとおりの限定的解釈をしたうえ、本件事案にこれを適用していることは所論のとおりであるが、当裁判所は、次のような理由により、右規定を本件事案に適用した原判決の結論は、これを支持すべきものと考える。
 すなわち、あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。というのは、職員の行なう争議行為そのものが処罰の対象とされていないのに、あおり行為等が安易に処罰の対象とされるときは、結局、争議行為参加者の多くが処罰の対象とされることになつて、国公法の建前とする争議行為者不処罰の原則と矛盾することになるからである。
 そこで、まず、原判決の認定した本件事実関係をみるに、被告人ら(○○を除く)は、仙台高等裁判所、同地方裁判所、同簡易裁判所の職員に対し、仙台高等裁判所玄関前において、昭和三五年六月四日午前八時三〇分から九時三〇分まで一時間、勤務時間内に喰い込んで開催される、新安保条約に反対するための職場大会に参加するよう、第一審判決の判示第一(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)または第二に掲げる行為をしたというのである。右の認定によれば、本件職場大会が前示裁判所職員の団体である全司法労組仙台支部の職場大会の実体をもつものであつて、裁判所職員による右職場離脱は、短時間とはいえ、裁判所職員による争議行為に当たるというのである。
 ところで、裁判所職員の争議行為の制限について考えてみるに、すべて司法権は裁判所に属するものとされ、裁判所は、この国家に固有の権能に基づき、国民の権利と自由を擁護するとともに、国家社会の秩序を維持することをその使命とするものであることにかんがみると、このような裁判所の行なう裁判事務に従事する職員の職務は、一般的に、公共性の強いものであり、その職務の停廃は、その使命の達成を妨げ、ひいては、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものといわなければならない。
 そこで、本件職場大会についてみるに、当時、新安保条約に対する反対運動が憲法擁護のための国民運動として広く行なわれ、労働組合その他諸種の団体によつてもその運動が活溌に行なわれており、本件職場大会も右運動の一環として行なわれたものであること所論のとおりであるとしても、裁判所の職員団体の本来の目的にかんがみれば、使用者たる国に対する経済的地位の維持・改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく、かつ、それが短時間のものであり、また、かりに暴力等を伴わないものとしても、裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。
 そして、原判決の確定するところによれば、本件当時、(イ)被告人○○は、全国税労働組合中央執行委員の職にあつて、国公共闘会議からオルグとして仙台市に派遣されていたもの、被告人○○は、農林省宮城作物報告事務所石巻出張所に勤務し、全農林労働組合宮城県本部副執行委員長の職にあつたもの、被告人○○は、仙台北税務署に勤務し、全国税労働組合東北地方連合会執行委員、宮城県国公地公共闘会議副議長の職にあつたもの、被告人○○は、仙台地方裁判所に裁判所書記官補として勤務し、全司法労組仙台支部執行委員長の職にあつたものであり、(ロ)第一審判決の判示第一に掲げる行為(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)は、被告人K、Dその他の者が共謀して行なつたもの、判示第二に掲ける行為は、被告人○○、○○、○○、○○その他の者が共謀して行なつたものであるというのである。
 そこで、被告人らの右行為が、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認められるかどうかについて考えてみるに、被告人らのうち、裁判所職員でなく、かつまた、裁判所職員の団体に関係もない第三者である被告人○○、○○、○○の行なつた行為は、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認めることができないことは明らかである。また、被告人○○は裁判所職員であり、その団体である全司法労組仙台支部執行委員長の職にあつたものであるから、そのあおり行為等がその態様において異常なものでないかぎり、争議行為に通常随伴するものと認めることができるが、本件の場合、被告人○○は、第三者である前示被告人らと共謀して前示(ロ)の行為を行なつたものであるというのであるから、右事実関係のもとにおいては、被告人○○の行為も争議行為に通常随伴する行為と認めることはできないものといわなければならない。
 してみれば、原審が被告人らの前示行為につき国公法一一〇条一項一七号を適用したことは、その理由において当裁判所の見解と異なるところがあるが、結局、正当であるに帰し、以上と異なる見解のもとに原判決に法令違反の違法があるとする所論は、採用することができない。
 同第六点について。
 所論は、原判決は、国公法一一条一項一七号にいう「あおり」の解釈につき、所論引用の当裁判所の判例(昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁)と相反する判断をしているという。
 しかし、右判例は、原判決の宣告後になされたものであるから、これをもつて刑訴法四〇五条二号の判例と解することはできず、所論は、適法な上告理由に当たらない。
 同第七点について。
 所論は、違憲(三一条)をいうが、国公法一一〇条一項一七号は、同号の規定する「あおり」等の行為を独立の可罰的行為(犯罪類型)として処罰の対象としているのであるから、いわゆる共謀共同正犯の理論の適用については、他の独立犯罪の場合と異なるところはないと解すべきであり、このように解しても憲法三一条に違反するものではなく、したがつて、これと同趣旨に出た原判断は正当であり、所論違憲の主張は理由がない。(中略)

 検察官の上告趣意について。
 所論は、国公法一一〇条一項一七号の解釈に関する原判決の判断は、所論昭和四〇年一一月一六日東京高等裁判所判決(下級裁判所刑事裁判例集七巻一一号一九五五頁)と相反するという。
 原判決は、同号は、同号に掲げる行為をすべて可罰性のあるものと評価しているのではなく、その行為の性質、手段、態様等からして争議行為の実行に影響を及ぼすべき高度の蓋然性をもつ程度に強度の違法性を帯びるもので、これらに刑罰を科することが公益上当然であるとされるものにかぎつて、処罰の対象としていると解すべきである旨判示しているところ、右東京高等裁判所の判決は、同号は、行為者ないし行為の態様等により強度の違法性を帯びた「あおり」行為等のみを処罰する趣旨のものと解すべきではないとの見解をとつており、原判決に先だつて言い渡されたものであるから、原判決は、右高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、刑訴法四〇五条三号後段に規定すろ最高裁判所の判例がない場合に、控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたことになるものといわなければならない。
 そして、国公法一一〇条一項一七号の解釈に関する当裁判所の見解は、前示のとおりであつて、右高等裁判所の判例および原判決のこの点に関する見解は、そのいずれをも維持することはできないけれども、前示のとおり、原判決が被告人らの第一審判決の判示第一の行為(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)および第二の行為につき同号を適用処断したことは、結局、正当であるのみならず、被告人らの第一審判決判示第一後段の行為(いわゆる間接あおり)は、原審の確定した事実関係のもとにおいては、いまだその対象たる裁判所職員に対し、本件争議行為の実行を決意させ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与える程度のものとは認めがたく、同号のあおり行為には該当しないものと認めるのが相当であり、したがつて、右事実は犯罪の証明がなく無罪とすべきものであるとした原判決は、その結論において正当であるから、原判決には判例違反があるが、この判例違反の事由は、刑訴法四一〇条一項但書にいう判決に影響を及ぼさないことが明らかな場合に当たり、原判決を破棄する事由とはならない。

 

同意意見(多数意見の趣旨に反対するが結論に同意するもの。奥野健一、草鹿浅之介、石田和外、下村三郎、松本正雄各裁判官)

「 一、国家公務員は、国民の信託により、全体の奉仕者として国政に干与するものであつて、その使用者である国民大衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなすことは、国民の信託に叛き、国政の活動を停廃せしめ、国民生活に重大な障害をもたらし、公共の福祉に反するものであるから、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)九八条五項は、違法な行為として、これを禁止しているのである。また、地方公務員法三七条一項は、同様の趣旨において地方公務員の争議行為を違法な行為として禁止しているのである。これら公務員の争議行為の禁止は、公共の福祉の要請に基づくものであつて、憲法二八条に違反するものということはできない。
 法は、右の如く公務員の争議行為を違法な行為として禁止しながらも、それに違反して争議行為自体に参加した個々の公務員に対しては、刑罰を科することなく、公務員として保有する任命上文は雇用上の権利を奪う制裁を科し得るに止めている。しかし、法は、公務員の争議行為は国民又は地方住民に対し、重大な損害を与えるものであることに鑑み、かかる違法な争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、いわゆる煽動者等に対しては刑事制裁を科し、もつて違法な争議行為の禁遏の実を挙げようとしているのである。すなわち、違法な争議行為に原動力を与える者は、単なる争議に参加した者に比して、反社会性の強いものとして、特別の可罰性を認めるべきであるとの観点から、争議に対し指導的役割をなす煽動者等のみを処罰することにより、違法な争議行為の防止と刑政の目的を達し得るものと考えたのである。かくの如く、集団行動による違法行為について、その原動力となつた煽動行為等の違法性を特に重視することは十分合理性のあることであり、内乱罪、騒擾罪などの処罰方式の例にも見られるところであり、決して不合理な立法ではな
く、固より、立法政策の範囲内に属するものであつて、違憲とはいい難い。
 そして、法が違法な争議行為に対する誘発、指導、助成の原動力となるものとして処罰せんとする「あおり」についていえば、「あおり」の概念は、「違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)」をいうものと解するのが相当であり、その構成要件の内容が漠然としているものではない。そして法は、「あおり」行為について何らの限定を設けていないのであるから、いやしくも前記「あおり」の行為に該当するものである限り、これを可罰性のある違法な行為とする趣旨であつて、これらの行為をその違法性の強弱によつて区別し、特に違法性の強いものに対してのみ刑事制裁を科するものであると解する余地は、法文上考えられないところである。
 「あおり」の対象となつた争議行為自体の態様により、その違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限つて、「あおり」を処罰する趣旨であると解することも到底是認できない。けだし、法は、争議行為自体を処罰しないとしながら、敢てこれをあおつた者を処罰すると規定しているのであるから、違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のある争議行為をあおつた場合に限り、あおり行為を処罰する趣旨と解することは、ことさらに明文に反する解釈であるからである。 それ故、「あおり」の罪が成立するためには、その「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性の有無を論ずる余地はなく、したがつて、その争議行為が例えば政治的目的のために行なわれたものであるか否かという如きことは、同罪の成否になんら影響を及ぼすものではないというべきである。しかも、もともと法律上争議権を否定された公務員が、「正当な争議行為」をすることができないのは当然であるから、国家公務員法附則一六条、地方公務員法五八条の規定をまつまでもなく、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労働組合法一条二項の規定が公務員の争議行為に適用の余地のないことは明白であつて、この点からいつても、「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性の有無を論ずることは理由がないといわなければならない。
 また、争議には、企画、共謀、指令、伝達等は、通常、一般的に随伴し、争議と不可分の関係にあるものであつて、組合構成員は当然これに干与するのであるから、これを処罰することは、争議行為を処罰することになるから、組合構成員の「あおり」行為は除外すべきであるとの解釈論も是認することはできない。けだし、国家公務員法九八条五項後段、一一〇条一項一七号、、地方公務員法三七条一項後段、六一条四号は、「何人も」および「何人たるを問わず」あおり行為をした者を処罰する旨を明定しており、あおつた者が組合構成員であると、組合構成員以外の第三者であると、また組合構成員がそれ以外の第三者と共謀した場合であるとを問わず、また争議に当然随伴し、これと不可分の関係において為した者であると否とを問わず、等しく処罰する趣旨であることが明白であるからである。
 これを要するに、「あおり」の概念を、強度の違法性を帯びるものに限定したり、「あおり」行為者のうち、組合構成員と組合外部の者とを区別し、外部の者の行為若しくはこれと共謀した者の行為のみが処罰の対象となると解したり、または「あおり」の対象となつた争議行為が違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限り、その「あおり」行為が可罰性を帯びるのであるというが如き限定解釈は、法の明文に反する一種の立法であり、法解釈の域を逸脱したものといわざるを得ない。
 二、以上の見解に立つて本件を見るに、被告人ら(○○を除く。)の本件行為(第一審判決判示第一後段のいわゆる「間接あおり」の部分を除く。)が国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為に当たることは明らかであつて、被告人らの右行為につき同号を適用処断した原判決は、結論において正当である。

 裁判官色川幸太郎の反対意見等略

9933札幌市労連事件(札幌市電ピケット事件) 最三小決昭45.6.23 最高裁判所刑事判例集24巻(LEX/DBプリントアウト)

 ワースト判決である。

 事案は、昭和37年6月15日札幌市労連による交通部門の市電と市バス乗務拒否を主眼とする争議行為において、地公労法適用の札幌市職員である被告人3人が他の40名の組合員とともに札幌市交通局中央車庫門扉付近において、当局の業務命令によって乗車した罷業脱落組合員の運転する市電の前に立ちふさがり、当局側ともみ合い、約30分電車の運行を阻止したことが、威力業務妨害罪により起訴されたもので、一審札幌地裁昭41.5.2判決『別冊労働法律旬報』607・8号は、正当な争議行為だとして無罪判決を下した。検察官が控訴し札幌高裁昭42.4.27で棄却されたので、判例違反・法律違反等を理由として最高裁で争われたものだが、最高裁第三小法廷の決定は多数意見3、反対意見2の僅差で、本件ピケは正当な行為として上告を棄却した。
 昭和45年まで、最高裁が物理力を行使したピケットを正当としたのは、三友炭鉱事件 最三小判昭31.12.11刑集10巻12号1605頁だけであった。それに続く二つめの判例が本件であり、ピケット権の確立を前進させた意義があるものとしてプロレイバーは本判決を評価している。(例えば佐藤 昭夫「札幌市労連最高裁決定とピケット権の展開」『労働法律旬報』 (通号 756) [1970.10.25])
 三友炭鉱事件と同じく、本件も罷業脱落組合員が運転する車両の運行を阻止した事件であるが、三友炭鉱事件は「既に多数婦人組合員がガソリン車前方路上に立ち塞がり、座り込みまたは横臥(おうが)してその進行を阻止していたところに参加して『ここを通るなら自分たちを轢き殺して通れ』と怒号して車の運転を妨害した行為はいまだ違法に刑法234条にいう『威力を用い人の業務を妨害したる者』というに足りない」としたもので被告人は後から参加したとの事情もあって無罪となったもので特殊な事例である。
 本件最高裁決定は、「このような行為は、それが争議行為として行なわれた場合においても、一般には許容されるべきものとは認められない。」としつつも、本件争議のいきさつ、札幌市当局が団体交渉を拒否、引き延ばしを図るなど態度が誠意を欠いていたこと、被告人らの本件行為が同盟罷業から脱落した同じ組合員の市電運転行為に対し、組合の団結がみだされ同盟罷業がその実効性を失うのを防ぐ目的であることなど、被告人らが本件行為に出たいきさつおよび目的が人をなつとくさせるに足りるものであり、当局側ともみあったその時間も約三〇分であつて必ずしも不当に長時間にわたるものとはいえないうえに、その間直接暴力に訴えるというようなことはなく、しかも、実質的に私企業とあまり変わりのない札幌市電の乗客のいない車庫内のできごとであつたこと等の諸般の事情のもとでは、これを正当行為として罪とならないとした原判断は相当であると判示したのであるが、諸般の事情を組合に有利に考慮している点の問題点については、松本正雄裁判官の反対意見が逐一指摘しているおりであり、とうてい納得できるものでんく大筋で同裁判官の反対意見に賛同できるが、反対意見の趣旨と重複するが2点だけ私の見解を述べておく。

 まず罷業脱落組合員が市電の運転を始めた行為を重視し、これを被告人らにとつて有利な事情の一つとして考慮してことは問題である。そもそも地公労法11条1項により争議行為は違法なのであり、電車部長等の業務命令にしたがって、市電を運転した脱落組合員は法令を遵守し正当な業務を行っているのであり、電車運行の物理的阻止は、不法に使用者側の意思を抑圧するものとして許されるべきものではないだろう。
 公労法適用の職場におけるは組合員が争議行為に加わらず就業することの権利性についは、後に、国労広島地本事件最高裁三小昭50・11・28判決『労働判例』NO.420が「禁止違反の争議行為の実行に対して刑罰や解雇等の不利益な法的効果が結びつけられている場合に、その不利益を受忍すべきことを強いるのが不当であることはいうまでもなく、また、右のような不利益を受ける可能性がない場合でも、法律は公共の利益のために争議行為を禁止しているのであるから、組合員が一市民として法律の尊重遵守の立場をとることは是認されるべきであり、多数決によって違法行為の実行を強制されるいわれはない」と判示し、動労鳥栖駅事件福岡高裁昭49・5・14判決『判例タイムズ』NO.311が「組合としては、組合員に対して、公労法上違法とされ、しかも解雇等という民事責任を負わされるような同盟罷業に参加を強制することはできない筋合であって、組合がたとえ同盟罷業を決議しても、それは公労法上違反であり、民間企業の組合の場合のように法的拘束力をもつものではなく、組合員としては、組合の決議、指令にかかわらず同盟罷業に参加することなく就業する自由を有するのであって、これに参加を促す勧誘説得を受忍すべき義務はないのである。従って、組合の決議や本部指令に従わないで就業しようとする組合員に対し、同盟罷業に参加するよう平和的に勧誘しまたは説得することは、公労法上の評価はとも角刑法上の観点からは、ピケッティングとして相当な範囲内のものということができるが、その程度を越え実力又はこれに準ずる方法で説得拒否の自由を与えず組合委員の就業を阻止することは、他にこれを相当ならしめる特段の事由がない限り、相当な限度を越えるものとして許されないといわなければならない。」としているのであるから、罷業脱落者が運転しているから、実力行使を伴うピケを正当化するという論理は、明らかに労働組合の統制を、公務より優先させる判断として非難されるべきものである。
 次に、私はもちろん昭和41年全逓中郵判決に批判的な見方であるが、中郵事件は基本的に労働供給義務の不履行(単純不作為)としての同盟罷業事件であり、「労務者がたんに労務を供給せず(罷業)もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」としたものだ。仮にその見解を認めるとしても単純不作為でなく、積極的に業務を妨害する態様については別の判断があってしかるべきである。本件のように市電運行という業務遂行を実力行使により妨害することまで刑事罰から解放するというのは行き過ぎだろう。
 最高裁は、この後、昭和48.4.25国鉄久留米駅事件大法廷判決で、久留米事件方式という判断方式を打ち出し、犯罪構成要件ないし構成要件該当性における違法性推定機能を重視する流れに変わっており、ピケッティングについて厳しい判断がとられるようになっている。したがって札幌市労連事件は、あくまでも全逓中郵判決、都教組事件判決、全司法仙台判決という流れで司法が労働組合に有利に展開していた一時期の判例としてとらえておく必要がある。

(本件ピケッティングの概要)

 札幌市労連は昭和35年10頃から給与、手当、有給休暇等勤務条件の改善を求めたが、当局が団体交渉の拒否や引延しを図り、地労委の調停や市議会総務委員会の勧告があったにもかかわらず、ストをやるというならばやれという、誠意のない回答であっため、昭和37年6月15日午前6時頃、市電、市バスの乗務拒否を主眼とする、同盟罷業に踏み切った。
 電車は全部車庫に戻され、降車した乗務員によって、中央車庫から営業路線に通ずる門扉が閉鎖され、門扉の内側に組合員が15・6名たむろして、出勤してくる職員に闘争指令を伝達し乗車拒否を呼びかけ、営業部長その他の役職者の入門を拒否した。
 札幌市交通局は、運転手から昇進して運行等に関する事務を行っている係員24名(3・4名を除いて組合員)に電車部業務課長の指示でそれぞれ運転手、車掌に命じ電車を運行させることとし、12車両を車庫から発進さる一方、午前10時頃整備課約45名を指揮して門扉を開放させ、先頭の電車は門扉の4メートル手前まで達したが、15・6人の組合員が全面に立ちふさがり、電車を出さないよう叫んだ。課長の指示に従わない整備課組合員約20名はピケ隊に合流し、5~10分もみ合いとなったが、ピケ隊は引き抜きをこらえ小康状態となったので、組合側は労働歌を高唱しスクラムを組み気勢をあげていたところ、当局側が25・6名によりピケ隊の排除を開始し、約10分もみあいとなった。警官が違法なピケを解くよう警告し、警官が60名に増えたこともあり、ピケ隊は殆ど抵抗することなく退去したというものである。
 この事件の特徴は、組合員の団結は固くなく業務命令に従った組合員と、ピケ隊に連帯した組合員とがもみ合いをしているのである。

多数意見

「検察官米田之雄の上告趣意第二点のうち、判例違反をいう点は、昭和三一年一二月一一日第三小法廷判決(刑集一〇巻一二号一六〇五頁)は、暴行、脅迫または威力をもつてする就業中止要求が具体的事情のいかんを問わず常に違法であるとしているわけではないから、前提を欠き、昭和二五年一一月一五日大法廷判決(刑集四巻一一号二二五七頁)は、いわゆる生産管理に関するものであり、昭和二七年一〇月二二日大法廷判決(民集六巻九号八五七頁)は、組合員以外の部長等がしていた作業を妨害した事案についてのものであり、昭和三三年五月二八日大法廷判決(刑集一二巻八号一六九四頁)は、会社側が新たに従業員として採用した者、労働組合から脱退して従業員会に加入した者および組合員以外の職員で続行していた出炭業務を妨害した事案についてのものであり、同年二一月二五日第一小法廷判決(刑集一二巻一六号三六二七頁)は、組合員以外の庶務課長などの送電継続行為を妨害した事案についてのものであり、昭和三二年二月二六日広島高等裁判所岡山支部判決は、組合員以外の従業員の電車運転業務を妨害した事案についてのものであり、また、昭和三九年二月一五日札幌高等裁判所判決は、国鉄業務の正常な運営を妨げ、これに打撃を加えるなどの目的で、機関車の出区を妨害し、臨時貨物列車の発車を遅延させることを策した事案についてのものであつて、いずれも、組合員たる被告人らが単に同盟して罷業し、争議脱落組合員の就業を阻止して、組合の団結がみだされ同盟罷業がその実効性を失うのを防ごうとしたに過ぎない本件には適切でなく、上告適法の理由にあたらない。
 同第二点のその余の論旨および同第三点は、単なる法令違反の主張であつて、上告適法の理由にあたらない。なお、原判決の認定したところによると、被告人らは、他の約四〇名とともに、札幌市交通局中央車庫門扉付近において、市電の前に立ちふさがり、その進行を阻止して業務の妨害をしたというのであつて、このような行為は、それが争議行為として行なわれた場合においても、一般には許容されるべきものとは認められない。しかし、同じ原判決によると、右行為は、被告人らの所属する札幌市役所関係労働組合連合会が、昭和三五年一〇月ごろから、札幌市職員の給与、手当、有給休暇その他の勤労条件の改善等、職員の正当な経済的地位の向上を目ざした団体交渉の要求を続け、かつ、この要求について早期解決を図るべき旨の北海道地方労働委員会の調停や札幌市議会総務委員会の勧告があつたのにかかわらず、札幌市当局が不当に団体交渉の拒否や引延しをはかつたため、一年有余の長期間をむだに過させられたのみならず、かえつて、当局の者から、ストをやるというのであればやれ、などと誠意のない返答をされるに至つたので、やむなく昭和三七年六月一五日午前六時ごろ、団体交渉における労使の実質的対等を確保するため、交通部門における市電・市バスの乗務員の乗車拒否を主眼とする同盟罷業に踏み切つたものであるところ、その同盟罷業中の同日午前一〇時ごろ、突然、同じ組合員である○○らが、同盟罷業から脱落し、当局側の業務命令に従つて市電の運転を始めるため、車庫内に格納されていた市電を運転して車庫外に出ようとしたので、被告人らが他の約四〇名の組合員らとともに、組合の団結がみだされ同盟罷業がその実効性を失うのを防ぐ目的で、とつさに市電の前に立ちふさがり、口ぐちに、組合の指令に従つて市電を出さないように叫んで翻意を促し、これを腕力で排除しようとした当局側の者ともみ合つたというのであつて、このような行為に出たいきさつおよび目的が人をなつとくさせるに足りるものであり、その時間も、もみ合つた時間を含めて約三〇分であつたというのであつて、必ずしも不当に長時間にわたるものとはいえないうえに、その間直接暴力に訴えるというようなことはなく、しかも、実質的に私企業とあまり変わりのない札幌市電の乗客のいない車庫内でのできごとであつたというのであるから、このような事情のもとでは、これを正当な行為として罪とならないとした原判断は、相当として維持することができる。‥‥」

 下村三郎裁判官の反対意見

 「‥‥地方公営企業労働関係法一一条一項は、争議行為を禁止しているのであるから、これに違反してなされた争議行為は、すべて違法であつて、正当な争議行為というものはありえない。したがつて、このような争議行為には、労働組合法一条二項の準用ないし適用はないものと解すべきである。その理由の詳細は、昭和三九年(あ)第二九六号昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)における裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外三裁判官の反対意見と同趣旨であるから、ここにこれを引用する。
 そして、右見解によれば、原判決が、地方公営企業労働関係法一一条一項に違反してなされた本件争議行為を威力業務妨害罪の構成要件にあたるものとしたうえ、労働組合法一条二項を準用して、被告人らの本件所為を正当な行為として罪とならないとしたのは、法令の解釈を誤り、ひいて判決に影響を及ぼすべき重大な事実を誤認したものというべく、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるから、刑訴法四一一条一、三号により原判決を破棄し、事件を原裁判所に差し戻すべきものである。」

 松本正雄裁判官の反対意見

「一、原判決およびこれを是認する多数意見は、本件争議行為にも労働組合法(以下「労組法」という。)一条二項の適用があることを前提として、その正当性の判断をなし、被告人らの本件行為は威力業務妨害罪の構成要件には該当するけれども、諸般の事情からみて、正当な行為であるとして犯罪の成立を否定した。
 しかし、わたくしは、本件争議行為には労組法一条二項の適用はないと考える。すなわち、公共企業体に対する争議行為に関する昭和三九年(あ)第二九六号昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁、いわゆる中郵事件判決)における反対意見を正しいと考えるものである。また、仮に、右判決の多数意見のごとく、本件争議行為にも労組法一条二項の適用があるとしても、被告人らの本件行為は、正当性の範囲を逸脱した違法のものであり、正当行為とは評価できないと考える。以下に、右の二点について、その理由を述べる。

二、労組法一条二項の適用がないことについて。

 1 地方公営企業労働関係法一一条一項はその前段中において、「職員及び組合は、地方公営企業に対して同盟罷業、怠業その他の業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。」と規定している。そして右の規定は、前記大法廷の判例に照らし合憲であることに異論がないであろう。もし、右の規定が違憲であるとするならば問題は別であるが、合憲の規定であると当裁判所が認めるからには、地方公営企業に対する争議行為等が禁止せられていることは明白であり、これに違反してなされた争議行為等は違法であるといわざるをえない。なお、右に違法というのは、単に法令の規定に違反するというだけのことではない。同条項が、右のように地方公営企業に勤務する職員およびその組合に争議行為等を禁止しているのは、軌道事業、水道事業、工業用水道事業等の地方公営企業が、私企業に比して公共性が強く、その運営のいかんが住民の日常生活と福祉に及ぼす影響がきわめて大きいからにほかならない。したがつて、右に違法というのは、違法性があることすなわち正当でないことをも意味し、労組法一条二項の適用を排除する趣旨と解すべきものである。この意味で、右の争議行為禁止違反が、単なる民事的違法に過ぎないという解釈にはとうていくみすることができない。
 しかも、労組法一条二項において、刑法三五条の適用があるとされているのは、「労働組合の団体交渉その他の行為」であつて、労働者の地位向上、団結権の擁護等の目的を達成するためにした「正当なもの」についてであるが、地方公営企業においては、争議行為は前述のごとく禁止せられているのであるから右の「その他の行為」のうちには争議行為は含まれないと解釈すべきであり、また、争議行為は解雇原因ともなりうる違法な行為であるから、「正当なもの」ともいえないわけである。したがつて、前述のごとき禁止違反の争議行為には、この意味からも労組法一条二項の適用がないものと解すべきである。
 ところで、本件被告人らは、前記地方公営企業労働関係法一一条一項前段に違反して、札幌市の電車運行業務を阻害する争議行為をしたというのであるから、この争議行為は違法であり、労組法一条二項の適用はなく、争議行為についての正当性の限界いかんを論ずる余地はない。

 2 その他の理由については、前記中郵事件判決における奥野健一、草鹿浅之介、石田和外裁判官等の反対意見とほぼ同趣旨である。

三、本件行為は正当と評価できないことについて。
 1 原判決は、被告人らの本件行為が威力業務妨害罪の構成要件に一応該当するものと認めながら、本件ピケ行為の目的、態様(手段、方法)に照らし、被告人らの本件行為は憲法の保障する労働基本権の行使として、正当な争議行為と認められるから、実質的違法性を欠き、罪とならないとしている。原判決を支持する多数意見も「このような行為は、それが争議行為として行なわれた場合においても、一般には許容されるべきものとは認められない。」としつつも、本件争議のいきさつ、札幌市当局の態度が誠意を欠いていたこと、被告人らの本件行為が同盟罷業から脱落した同じ組合員である○○市電運転行為に対し、組合の団結がみだされ同盟罷業がその実効性を失うのを防ぐ目的であることなど、被告人らが本件行為に出たいきさつおよび目的が人をなつとくさせるに足りるものであり、その時間も約三〇分であつて必ずしも不当に長時間にわたるものとはいえないうえに、その間直接暴力に訴えるというようなことはなく、しかも、実質的に私企業とあまり変わりのない札幌市電の乗客のいない車庫内のできごとであつたこと等の諸般の事情のもとでは、これを正当行為として罪とならないとした原判断は相当であると判示している。
 しかし、第一審判決および原判決の認定するところによると、市労連組合員らは、○○が札幌市電の電車部長○○、警備課長○○らの命令に基づいて二二二号電車を出庫させようとした際に、その電車の前にピケツテイングを張つてその運行を阻止したものであり、その際における被告人○○の約三〇分にわたつての右電車の前に立ちふさがつた行為、被告人Eの右電車の前に立ちふさがつた行為、および被告人○○のこれに協力した行為は、いずれも他の約四〇名の組合員と共謀し、威力を用いて札幌市の電車運行業務を妨害したものであるというのであつて、右両判決とも、これらの行為が刑法二三四条の威力業務妨害罪の構成要件には該当すると判断しているのである。このような被告人らの行為は、中郵事件判決にみられるような「単純な不作為」の争議行為とは趣を異にし、積極的実力または威力の行使による業務妨害行為であつて、多数意見が述べるような被告人らに有利な事情を考慮しても、これが正当行為であるとはとうていいえないものと考える。上告趣意が引用する当裁判所昭和二五年一一月一五日大法廷判決以来の累次の判例は、いずれも同盟罷業の本質について、それが使用者に対する集団的労務供給義務の不履行にあることを明らかにしたものであり、また、使用者側の義務遂行に対しては、暴力、脅迫をもつてこれを阻害するような行為はもちろん、不法に使用者側の自由意思を抑圧するような行為も許されないとしており、この趣旨は前後一貫しているものということができる。
 多数意見がこれらの判例を本件事案に適切ではないとして簡単にいつしゅうし去ることには賛成できない。わたくしは、原判決が正当行為の範囲を不法に拡大して解釈したのを多数意見が誤つて是認したものではないかと憂える。
 2 多数意見は、同じ組合員である○○が同盟罷業から脱落し、市電の運転を始めた行為を重視し、これを被告人らにとつて有利な事情の一つとして考慮しているようであるが、この見解に対してもわたくしは同調することができない。すなわち、本件争議行為は、地方公営企業労働関係法上の地方公営企業に対するものであるから、職員の争議行為は禁止せられた違法な行為であつて、これに違反した職員は解雇せられることがある(同法一二条)のである。したがつて、争議から脱落し、業務に従事しようとする組合員個人の自由意思は特に尊重せられてしかるべきである。自らの意思で争議行為に参加しない組合員個人の意思および行動の自由までを実力をもつて拘束し、その就業を全く不可能にすることは、組合といえども許されるべきではない。この点において私企業における争議行為からの脱落と地方公営企業における本件争議行為からの脱落とを同一に論ずることは誤りであると考える。同調できない理由である。
 3 原判決は、本件ピケツテイング(以下「ピケ」という。)について、同盟罷業を実効あらしめるためには、「争議脱落者に翻意を求めるための説得活動は、他の者を対象とする場合に比しある程度強力にこれを行ない得るものと解すべく、場合によつては、暴力の行使に亘らず、説得手段として社会通念上相当と考えられる範囲内において説得の機会を得るために相手方を物理的に阻止することも許されるものといわなければならない。」と判示して、結局、被告人らの本件威力の行使を認容している。
 右の判示に対して、多数意見は、ピケについて特に一般的な見解を示したものではないと思われるが、「被告人らは他の約四〇名とともに、札幌市交通局中央車庫門扉付近において、市電の前に立ちふさがり、その進行を阻止して業務の妨害をしたというのであつて、このような行為は、それが争議行為として行なわれた場合においても、一般には許容されるべきものとは認められない。」と判示しつつも、本件においては、前述の諸般の情況を考慮してこれを正当行為として罪にならないとした原判決を維持している。右の判示によつてピケに対する多数意見の一端をうかがうことができる。
 わたくしはピケの正当性は、口頭または文書による、いわゆる平和的説得の程度にのみ限られるべきだとは必ずしも思わないが、本件のごとく有形力を行使し、脱落者の就労を事実上不可能にすることまでも(たとい、それが説得の手段であるとしても)許されるべきであるとは考えない。ピケに際しての暴行、脅迫、暴力的色彩の濃い行動等が正当な争議行為から排斥せられるべきであることはもちろんであるが、刑法上の威力、すなわち、人の意思を制圧するに足りる勢力の行使の程度に及んだ場合においても、これを認容すべきではなく、正当行為として評価することは許されないものと考える。暴行、脅迫、これに類似する行為、威力の行使、原判決が認めるがごとき相手方に対する集団による物理的阻止等は、いかなる場合においても許されず、かくのごときは健全な労働運動の発展の障害にこそなれ、正しい方向とはいえない。
四、わたくしの見解は右に述べたとおりであるから、原判決は法令の解釈を誤り、ひいて判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をしたものというべく、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よつて刑訴法四一一条一、三号により原判決を破棄し、事件を原裁判所に差し戻すべきである」

2013/01/25

本日の人権問題研修の問題点

 本日、5年おきに3年がかりで全職員に受講を義務づけている課題別研修「人権問題Ⅰ」に(約3時間)受講するため東京都水道局研修・開発センターに行ってきた。ここに行くのは環境計画担当者の研修に次いで二度目である。講師は研修所の課長で、全局各部署から約50名が集められれ、9班に分かれてグループ討議をやった。
 結論を先にいえば、やはり不快な内容で、一方的でかたよったイデオロギーにもとづいている。というのも、研修のメインとなっており、グループ討議の題材となるビデオが社団法人部落解放・人権研究所の「私自身を見てください ―固定観念・ステレオタイプ」2001年VHSカラー27分という人権啓発・推進法対応のビデオだが、制作者は人種差別撤廃条約政府報告のカウンターリポートを出しているNGOである。人種差別撤廃NGOネットワークの参加者でもある。
 このビデオは前半をみる限りでは、部落解放・人権研究所のものとはわかりにくいが、最後の結論部分で、矢継ぎ早にこのNGOの主張らしきものが強調されて終わるので最後になってわかってくるという構成になっている。
 ふつう研修用ビデオでは配役の氏名は出なくても、タイトルや制作者のクレジットタイトルは出ると思う。ところが不思議なことにこのビデオはオープニングにタイトルがなく、エンディングも資料提供者として朝日新聞その他の字幕が出るもののスタッフロールも制作者も出てこない。研修用に意図的にクレジットタイトルをカットしているのかもしれないが、だから、私は講師に質問した。どこでつくったビデオですかと。それで初めて上記のものとわかったのである。
 要するに集団カテゴリーの分類による固定観念でものをみてはいけないのだということを教えるのだが、一般論としてはそれはよいとしても、不動産開発の会社の会議風景があって、独居高齢者と外国人には周囲が安心できないから賃貸しないという方針が語られる。これも集団カテゴリーによる固定観念として否定的に説明されるわけだが、後半のビデオは、集団カテゴリーの固定観念が憎悪を生み、明治初期西日本各地において勃発した解放令反対一揆、関東大震災の朝鮮人虐殺になったと説明、最後の方でこのNGOが推進してきたであろう政策が大写しになって印象づけると言う内容になっている。人種差別撤廃条約、川崎市の住宅基本条例(第14 条 何人も、正当な理由なく、高齢者、障害者、外国人等(以下「高齢者等」という。)、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律である。最後の部分はNGOの活動の成果の宣伝となっているように思えた。
 集団カテゴリーのステレオタイプの意識改革という一般論はよいとして、具体的な政策としてそうしたものが妥当かは別の問題で、それぞれ看過できない問題がある。人種差別撤廃委員会は、二〇〇一年と二〇一〇年の日本政府報告書審査の結果として、日本政府に対して、(一)人種差別禁止法を制定すること、(二)人種差別撤廃条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、ヘイト・クライムに法的対処を行うように勧告したが、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」問題である。ヘイトクライム法は、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」は表現の自由を侵害するものとして憲法学者の多くが否定的である。人種差別撤廃NGOネットワークはヘイトクライム法を推進しようとしているところである。http://maeda-akira.blogspot.jp/2011/07/blog-post_19.html
 私はヘイトクライム法や人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」には表現権重視の見地から強く反対である。集団カテゴリーの差別表現を禁止すると聖書も仏教の経典もマヌ法典もありとあらゆる著作を焚書し、宗教も否定しないと解決しない。率直で素直な気持ちすら表現できなくなる。したがって人種差別撤廃NGOネットワークはイデオロギー上敵対者である。
 川崎市の住宅基本条例については、当然、市民社会の根幹である、私的自治、契約自由を侵害するものとして看過できない問題であり、最後の質疑のところで、講師に意見を交換しておいた。住宅供給は市場経済原理にまかせればよく、民間賃貸住宅の入居者の契約といった問題に行政が介入するのは反対と言う趣旨を言ったら、ある男が質疑の時間なのに意見を言っているという私の発言をやめさせる発言がなされた。平成14年情報セキュリティ研修で、組合の営業部会がパソコン1人一台に反対し、ロータスノーツの操作研修をさせないようにした。給水部系列ではやっていたのに、操作方法も教えてもらってないのに、セキュリティだけやるのは片落ちと思うが講師の見解を糺したところ、研修業務の妨害行為と組合らしき人物に指摘され、それ以外の不当な理由もつけられて私は昇給停止、強制配転処分になったことがある。恨んでいるが、50人近くきているから、狭山事件集会に動員し、朝鮮高校無償化推進集会に動員し、オスプレイ反対集会に動員する全労協系(社民党系)の全水道東水労組合役員も何人かはいるだろうが、組合の勤務時間中の頭上報告でさんざん、業務への集中を妨害しているのをたなにあげて、研修でちょっと質問し、独自の意見を述べただけで研修妨害だといいだしかねない。ここでけんかするのも得策でないのでその場は引き下がったが、いずれにせよ、特定のNGOの主張を鵜呑みにて、洗脳させるようなビデオ教育は問題があると考える。
 こういう悉皆研修というのはたぶん職員部が組合協議で組合承認のうえ行われているものと推測する。ぶっちゃけた話をすると、講師はあらゆる形態の差別をなくすとか言っていたが、最大の差別は争議行為の刑事免責ではないか。プロレイバー法学者は、争議行為は刑事免責なので、可罰的違法性のない暴力・脅迫の範囲をできるだけ広く解釈する。拉致、逮捕、監禁、ストライキ防衛のたるなら実力行使の多くも刑事免責といってきたのではないか。争議行為以外でそういうことをやれば許されないのに、争議行為は許されるというのは法の下の平等に根本的に反しているのはこれのである。あらゆる形態の差別をなくすには、まず組合の特権をなくさなければなせないというのが私の考えである。
  国連の人権規約なんていかがわしいもので批判的に検討していくべきなのに、それを強調するような研修はろくなものでないと考えている。
  
 
一応記録しておくと
 研修の内容は五年前と同じ繰り返しだった。配布資料も同じで、ただ前回は研修所で行わず、グループ討議とビデオの結論部分を省略したものを、職場内で、職場の管理職にて行われたという違いだけである。(配られたのはパワーポイントの印刷と、東京都総務局で発行している「みんなの人権」「明るい社会をめぞして同和問題の理解のために」、ビデオ討議用印刷物)

 内容は最初の1時間が講師がパワーポイントで、子供の人権、高齢者の人権、障害者の人権について説明されメインの同和問題に入っていった。ポイントは、部落解放運動の歴史、最近の差別事象として、電子版地名総鑑の発見、平成18年、不動産会社による地域調査、平成18年などの説明と、都の施設内で差別落書きをみかけたら、上司に報告のうえ、写真をとり、器物損壊として警察に届出、局人権窓口に連絡のうえ、消去するという一連の流れを説明したところだろう。要するに悉皆研修というのは万一事故がおきたときに、局幹部が責任のがれするための官僚主義的な研修だから面白くない。定期的に研修をやっており趣旨は徹底している。それでも問題が起きたなら、下っ端の責任になすりつけるためのものだと思う。このほか女性の人権としてセクハラについて例によって緩い定義の説明がありねジェンダーハラスメントと混同した解説を行っていた。セクハラの政策については問題があるがここでは省略する。
 
 残りの2時間がまず、ビデオの前半を見て、討議をおこなう。討議の主な内容は、ビデオの中でステレオタイプが表現されていたものを拾い上げ、自らの固定観念や、きめつけられたことなどを列挙して、発表し、講師がコメントするというもの。
 私は、都庁では田舎者(地方出身者)が威張っている、私は杉並生まれ、世田谷育ちの東京人だが小さくなっている。地方出身者はハングリーで出世欲が旺盛、目下の者に威張りくさるというイメージがある。実際のところはわからないので固定観念かもしれないというようなことを、グループ討議で発言したが、発表者は私の言ったことを一件も発表してくれなかった。討議と講師の講評のあと、ビデオの結論部分、解放令反対一揆や朝鮮人虐殺の要員は、集団カテゴリーによる固定観念が増幅し憎悪に転じた悪しきものと言う説明である。その解決方法として人種差別撤廃条約、川崎市住宅基本条例、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律であると勝手な結論である。

2013/01/24

人権問題研修を前にして

 最高裁が憲法の私人間効力を正面から取り組んだのが三菱樹脂事件最高裁判決(最大判昭和48・12・12民集27巻11号1536頁)てある。
 「、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法一九条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲法一四条、労働基準法三条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許されないとしている。
 (一) しかしながら、憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。
このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、浸されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。
 (二) もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。 (三) ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
 右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労
働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。」

 本件は被上告人が、東北大学に在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位にあり、昭和三五年前・後期および同三六年前期において右自治会委員長らが採用した運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を推進し、昭和三五年五月から同三七年九月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これらの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはなく、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をしたことにより、試用期間満了直前に本採用を拒否したことが憲法19条、14条に反する雇用関係上の差別として訴えた事件だが、採用拒否は憲法違反でないという結論である。ただしこの間接的効力説(赤字部分)毛をとっているとも評価されている。
 学生運動をやった人は採用しなくてもよいのである。民間の私人間のアパート賃貸借も同じことだと思う。いやな人と契約する必要はない。それが近代社会の私的自治だ。
 買いたくないものを買えというのは不愉快だ。ホテトルだって、戸をたたいたねえちゃんが気に入らなければキャンセルできるシステムじゃないのか。
 であるから私は民間の私人間で特定の契約を拒否できないようなシステムをつくることは反対だと言っている。

2013/01/23

不快な人権研修

 近々、悉皆研修なるものがあるので、玉川田園調布の研修センターに行くことになっているが、ろくなもんじゃないし、不快なものだろう。5年に一回やっているものだが、前回は管理職が講師で川崎市の、民間賃貸住宅の入居に関して、外国人等誰に対しても入居差別を禁止する条項を盛り込んだ川崎市住宅基本条例が先進的な試みとしてほめちぎり、大家が外国人との契約を拒否するのは差別として非難されるべきものとか馬鹿げたことを言っていたが、憲法の平等原則の私人間効力については議論のある問題で、市民社会の大原則は、私的自治、契約自由だから、好きな人と契約すればよいのであって、いやな人と契約を強制されるいわれはない。川崎市の左翼的政策は疑問のあるところである。
 外国人を拒否できないというのは契約自由に反するし、今度もそういう研修と称する洗脳教育をやるんだろうなと思っている。多文化共生の名のもとに契約の自由を侵害することは絶対反対だと反発することになるだろう。
 また私はポリティカル・コレクトネスによる差別的表現・集団誹謗的表現規制には明確に反対なのでこれも反発することになるわけで、ストレスになる

2013/01/20

入手資料整理97

(争議行為及びピケッティング等の基本的な刑事判例その2)

9927嘉穂砿業事件 最一小判昭35.5.26最高裁判所刑事判例集14巻7号868頁 
(LEX/DBプリントアウト)

要旨-本件は炭鉱において鉱員の組合と、職員の組合が分かれていて、鉱員の労働組合のみがストライキを実行中、争議行為に加わっていない職員が就業のために出勤するに際し、日本炭鉱労働組合福岡支部厚生部長であった被告人が、傘下の嘉穂砿業労働組合員数百人と共に集合し、ピケ隊をしこれに加わってスクラムを組み、そのスクラムを押し破りピケを強行突破しようとする職員組合員甲等に体当たりするなどして十数回にわたり押し返したというもの。最高裁は「被告人の行使した威力は、当時争議行為に加わつていなかつた職員等の出勤に対して行使されたというのであり、かかる行為が威力業務妨害罪を構成するものであることは当裁判所累次の判例の趣旨に徴し疑いを容れないところである。昭和二七年(あ)四七九八号、同三三年五月二八日大法廷判決[羽幌炭坑鉄道事件]、集一二巻八号一六九四頁。昭和三一年(あ)三〇六号、同三三年六月二〇日第二小法廷判決[進駐軍横浜事件]、集一二巻一〇号二二五〇頁参照」と判示した。

この事件はストを実行していない別の組合員に対する就労妨害を威力業務妨害罪としたものである。非組合員であれ、別の組合員であれ争議行為に加わっていない職員が就業のために出勤することに対する本件のような威力行使は免責されないとした意義のある判決で、「非組合員の権利」の参照指示判例とする。

 
 
9928国鉄檜山丸事件 最二小判昭38.3.15最高裁判所刑事判例集17巻2号23頁
(LEX/DBプリントアウト)

 国鉄職員であり労働組合員である被告人が青函連絡船における職場集会の指令点検、指導等のために、当局の制止を振り切り檜山丸に乗り移ったことが刑法130条艦船侵入罪に問われたもので、最高裁判決は「検察官の上告趣意について。所論は、原判決が公共企業体等労働関係法(以下単に公労法という。)一七条に違反してなされた公共企業体等の職員の争議行為に対し労働組合法一条二項の適用がある旨判示したのは、論旨引用の各判例に違反し、かつ、法律の解釈を誤つたもので、ひいて量刑に甚しく不当な結果を招来しているので、破棄されるべきであるというのである。
 よつて、検討すると、公労法一七条一項によれば、公共企業体等の職員は、同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができないと規定されている。そして、国家の経済と国民の福祉に対する公共企業体等の企業の重要性にかんがみ、その職員が一般の勤労者と違つて右のような争議行為禁止の制限を受けても、これが憲法二八条に違反するものでないことは、すでに当裁判所の判例の趣旨とするところである(昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決、刑集九巻八号一一八九頁参照)。かように公共企業体等の職員は、争議行為を禁止され争議権自体を否定されている以上、その争議行為について正当性の限界如何を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法一条二項の適用はないものと解するのが相当である。
 それゆえ、原判決が公労法一七条に違反してなされた争議行為に対し労働組合法一条二項の適用がある旨判示したのは、論旨引用の福岡高等裁判所宮崎支部昭和三五年一月一二日判決および広島高等裁判所昭和三六年一一月六日判決と相反する判断をし(なお、論旨引用の福岡高等裁判所昭和三五年三月二日判決は公労法一七条違反の争議行為と労働組合法一条二項との関係につき、判断を示しているものとは認められないから、本件に適切でない。)法律の解釈を誤つたものであることは、所論のとおりである。しかし、原判決は、結局において、被告人らの判示所為は正当性の限界を超えるものとして刑法一三〇条の罪の成立を認めており、原判決の維持した第一審判決の量刑も不当に軽いとは認められないから、右の違法は判決に影響を及ぼさないことが明らかであつて、原判決を破棄する理由とならない。」として上告を棄却したが、組合員が当局の制止を振り切り職場集会の指令点検、指導のため乗船したことについて、艦船侵入罪の成立を認めている。

9929全逓東京中郵事件 最大判昭41.10.26最高裁判所刑事判例集20巻8号901頁
(最高裁判所判例検索システムよりプリントアウト)

要旨 昭和33年の春闘の際、全逓労組執行委員8名が東京中央郵便局の職員を勤務時間に食い込む職場集会に参加するよう要請・説得し、 38名の従業員に対して職場を離脱させた行為が、郵便法79条1項の郵便物不取り扱い罪の教唆罪に当たるとして起訴された事件で、一審は、犯罪の構成要件には一応該当するが、「一般の私企業の勤労者が行うの正当なものとされるような行為は、 それが形式的は他の刑罰法規に触れる場合においてもなお労組法第1条2項、刑法第35条の適用があり違法性を阻却する」として無罪、二審は労組法第1条2項の適用はないとして破棄、被告人が憲法違反として上告したもので、最高裁は、公労法17条1項は憲法に違反しないが、公労法17条1項に違反した争議行為にも労組法1条2項の適用があるとして破棄差し戻しの判決を下した。(多数意見8、反対意見4)
 公務員の労働基本権制限規定を限定解釈して刑事制裁から解放したワースト判決。昭和52年5月4日の全逓名古屋中郵事件最高裁判決により判例変更されている。

要所「公労法一七条一項の定める争議行為の禁止の違反に対する制裁をみるに、公労法一八条は、同一七条に違反する行為をした職員は解雇されると規定し、同三条は、公共企業体等の職員に関する労働関係について、労組法の多くの規定を適用することとしながら、労働組合または組合員の損害賠償責任に関する労組法八条の規定をとくに除外するとしている。争議行為禁止違反が違法であるというのは、これらの民事責任を免れないとの意味においてである。そうして、このような意味で争議行為を禁止することについてさえも、その代償として、右の職員については、公共企業体等との紛争に関して、公共企業体等労働委員会によるあつせん、調停および仲裁の制度を設け、ことに、公益委員をもつて構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしている。そうしてみれば、公労法一七条一項に違反した者に対して、右のような民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、憲法二八条、一八条に違反するものでないこと疑いをいれない。
 つぎに、公労法一七条一項に違反して争議行為をした者に対する刑事制裁について見るに、さきに法制の沿革について述べたとおり、争議行為禁止の違反に対する制裁はしだいに緩和される方向をとり、現行の公労法は特別の罰則を設けていない。このことは、公労法そのものとしては、争議行為禁止の違反について、刑事制裁はこれを科さない趣旨であると解するのが相当である。公労法三条で、刑事免責に関する労組法一条二項の適用を排除することなく、これを争議行為にも適用することとしているのは、この趣旨を裏づけるものということができる。そのことは、憲法二八条の保障する労働基本権尊重の根本精神にのつとり、争議行為の禁止違反に対する効果または制裁は必要最小限度にとどめるべきであるとの見地から、違法な争議行為に関しては、民事責任を負わせるだけで足り、刑事制裁をもつて臨むべきではないとの基本的態度を示したものと解することができる。」
 ただしこの判決は「労務者がたんに労務を供給せず(罷業)もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」としているだけである。

多数意見
 「‥‥上告趣意は、憲法違反、判例違反等、論旨多岐にわたるが、要するに、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)一七条一項は憲法二八条に違反する旨の主張と公労法一七条一項に違反する争議行為には労働組合法(以下労組法と略称する。)一条二項の規定の適用があると解すべきである旨の主張とを骨子とするものである。これらの点について、当裁判所は、つぎのとおり判断する。
一 憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。
 このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・団体交渉権・争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。
 右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員やを方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法一五条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。
 労働基本権のうちで、団体行動の一つである争議をする権利についていえば、勤労者がする争議行為は、正当な限界をこえないかぎり、憲法の保障する権利の行使にほかならないから、正当な事由に基づくものとして、債務不履行による解雇、損害賠償等の問題を生ずる余地がなく、また、違法性を欠くものとして、不法行為責任を生ずることもない。労組法七条で、労働者が労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて、使用者がこれを解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすることを禁止し、また、同八条で、同盟罷業その他の争議行為であつて正当なものによつて損害をうけたことの故をもつて、使用者が労働組合またはその組合員に対して、損害賠償を請求することができない旨を規定しているのは、右に述べた当然のことを明示的にしたものと解される。このような見地からすれば、同盟罷業その他の争議行為であつて労組法の目的を達成するためにした正当なものが刑事制裁の対象とならないことは、当然のことである。労組法一条二項で、刑法三五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて労組法一条一項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるとしているのは、この当然のことを注意的に規定したものと解すべきである。また、同条二項但書で、いかなる場合にも、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならないと規定しているが、これは争議行為の正当性の一つの限界を示し、この限界をこえる行為は、もはや刑事免責を受けないことを明らかにしたものというべきである。
二 右に述べたように、勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法二八条の保障するところであるが、これらの権利であつて、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具休的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。
 (1) 労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべきであるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない。
 (2) 労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。
 (3) 労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。けだし、現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。それは債務が雇傭契約ないし労働契約上のものである場合でも異なるところがなく、労務者がたんに労務を供給せず(罷業)もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。
 (4) 職務または業務の性質上からして、労働基本権を制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が講ぜられなければならない。
 以上に述べたところは、労働基本権の制限を目的とする法律を制定する際に留意されなければならないばかりでなく、すでに制定されている法律を解釈適用するに際しても、十分に考慮されなければならない。
三 そこで、労働基本権制限の具体的態様についてみるに、法律によつて定めるところがまちまちであり、かつ、幾度かの改廃を経て現在に至つている。すなわち昭和二三年七月三一日政今第二〇一号が制定施行されるまでは、国家公務員や地方公務員も、一定の職員を除いて、一般の勤労者と同様に、団結雇・団体交渉権・争議権等について制限されることなく、争議行為も許されていた。政令第二〇一号の制定施行によつて、公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、何人も同盟罷業、怠業はもちろん、国または地方公共団体の業務の運営・能率を阻害する一切の争議行為を禁止され、これに違反した者は、刑罰を科せられることになつた。しかし、昭和二三年一二月三日改正施行された国家公務員法では、一切の争議行為が禁止されたことは右の政令と同様であるが、たんに争議行為に参加したにすぎない者は処罰されることがなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけが処罰されることになつた(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号、なお、地方公務員法三七条一項、六一条四号参照)。ところが、昭和二三年一二月二〇日に公布され、翌二四年六月一日から施行された公共企業体労働関係法では、国鉄・専売公社はいわゆる公共企業体と呼ばれ、その職員は、一切の争議行為を禁止されたけれども、その違反に対しては、刑事制裁に関する規定を欠き、同法に違反する行為をしたことそのことを理由として同法によつて刑事責任を問われることはなくなつた。昭和二七年七月三一日の同法の改正では、被告人ら郵政職員を含むいわゆる五現業の職員の争議行為等について、国家公務員法の規定の適用が排除され、新らしい公共企業体等労働関係法の関係規定が適用されることになつた。したがつて、郵政職員の争議行為は、公労法一七条一項によつて禁止されていることが明らかであるが、その違反に対しては、これを共謀、教唆、煽動、企図したものであるといなとを問わず、禁止の違反そのものを理由として同法によつて刑事責任を問われることはなくなつた。
 以上の関係法令の制定改廃の経過に徴すると、公労法適用の職員については、公共企業体の職員であると、いわゆる五現業の職員であるとを問わず、憲法の保障する労働基本権を尊重し、これに対する制限は必要やむを得ない最小限度にとどめるべきであるとの見地から、争議行為禁止違反に対する制裁をしだいに緩和し、刑事制裁は、正当性の限界をこえないかぎり、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。
四 右のような経過をたどつてきた現行の公労法の規定について検討するに、その一七条一項は、いわゆる五現業および三公社の業務に従事する職員およびその組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができないこと、また、右職員ならびに組合の組合員および役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおつてはならないことを規定している。この規定は、職員等の行為がたんなる債務不履行またはそれをそそのかす等の行為であつても、それが業務の正常な運営を阻害するものであるかぎり、これを違法とするものであつて、その意味で憲法二八条の保障する争議権を制限するものであることは明らかである。
 上告趣意は、公労法一七条一項の規定が憲法二八条および一八条に違反して無効であるという。しかし、右の規定が憲法の右の法条に違反するものでないことは、すでに当裁判所の判例とするところであり(前者については、昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決、刑集九巻八号一一八九頁、後者については、昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日大法廷判決、刑集七巻四号七七五頁)、公労法一七条一項の規定が違憲でないとする結論そのものについては、今日でも変更の必要を認めない。その理由をすこし詳しく述べると、つぎのとおりである。
 憲法二八条の保障する労働基本権は、さきに述べたように、何らの制約も許されない絶対的なものではなく、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然に内包しているものと解すべきである。いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いをいれない。他の業務はさておき、本件の郵便業務についていえば、その業務が独占的なものであり、かつ、国民生活全体との関連性がきわめて強いから、業務の停廃は国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるなど、社会公共に及ぼす影響がきわめて大きいことは多言を要しない。それ故に、その業務に従事する郵政職員に対してその争議行為を禁止する規定を設け、その禁止に違反した者に対して不利益を課することにしても、その不利益が前に述べた基準に照らして必要な限度をこえない合理的なものであるかぎり、これを違憲無効ということはできない。
 この観点から公労法一七条一項の定める争議行為の禁止の違反に対する制裁をみるに、公労法一八条は、同一七条に違反する行為をした職員は解雇されると規定し、同三条は、公共企業体等の職員に関する労働関係について、労組法の多くの規定を適用することとしながら、労働組合または組合員の損害賠償責任に関する労組法八条の規定をとくに除外するとしている。争議行為禁止違反が違法であるというのは、これらの民事責任を免れないとの意味においてである。そうして、このような意味で争議行為を禁止することについてさえも、その代償として、右の職員については、公共企業体等との紛争に関して、公共企業体等労働委員会によるあつせん、調停および仲裁の制度を設け、ことに、公益委員をもつて構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしている。そうしてみれば、公労法一七条一項に違反した者に対して、右のような民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、憲法二八条、一八条に違反するものでないこと疑いをいれない。
五 つぎに、公労法一七条一項に違反して争議行為をした者に対する刑事制裁について見るに、さきに法制の沿革について述べたとおり、争議行為禁止の違反に対する制裁はしだいに緩和される方向をとり、現行の公労法は特別の罰則を設けていない。このことは、公労法そのものとしては、争議行為禁止の違反について、刑事制裁はこれを科さない趣旨であると解するのが相当である。公労法三条で、刑事免責に関する労組法一条二項の適用を排除することなく、これを争議行為にも適用することとしているのは、この趣旨を裏づけるものということができる。そのことは、憲法二八条の保障する労働基本権尊重の根本精神にのつとり、争議行為の禁止違反に対する効果または制裁は必要最小限度にとどめるべきであるとの見地から、違法な争議行為に関しては、民事責任を負わせるだけで足り、刑事制裁をもつて臨むべきではないとの基本的態度を示したものと解することができる。
 この点で参考になるのは、国家公務員法および地方公務員法の適用を受ける非現業の公務員の争議行為に対する刑事制裁との比較である。この制裁としては、争議行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけを罰することとしている(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号、地方公務員法三七条一項、六一条四号)。その趣旨は、一方で、これらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権を保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なつた者に対しては、民事制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎつて、さらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。右の公務員と公労法の適用を受ける公共企業体等の現業職員とを比較すれば、右の公務員の職務の方が公共性の強いことは疑いをいれない。その公務員の争議行為に対してさえも、刑事法上の制裁は積極的に争議行為を指導した者だけに科せられ、単純に争議行為を行なつた者には科せられない。そうしてみれば、公共企業体等の現業職員の争議行為には、それより軽い制裁を科するか、制裁を科さないのが当然である。ところで、公労法は刑事制裁に関して、なにも規定していないから、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。
 このように見てくると、公労法三条が労組法一条二項の適用があるものとしているのは、争議行為が労組法一条一項の目的を達成するためのものであり、かつ、たんなる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないと解するのが相当である。それと同時に、争議行為が刑事制裁の対象とならないのは、右の限度においてであつて、もし争議行為が労組法一条一項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合であるとか、暴力を伴う場合であるとか、社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。これと異なり、公共企業体等の職員のする争議行為について労組法一条二項の適用を否定し、争議行為について正当性の限界のいかんを論ずる余地がないとした当裁判所の判例(昭和三七年(あ)第一八〇三号同三八年三月一五日第二小法廷判決、刑集一七巻二号二三頁)は、これを変更すべきものと認める。
六 ところで、郵便法の関係について見るに、その七九条一項は、郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせずまたはこれを遅延させたときは、一年以下の懲役または二万円以下の罰金に処すると規定している。このことは、債務不履行不可罰の原則に対する例外を規定したものとして注目に値することであるが、郵便業務の強い公共性にかんがみれば、右の程度の罰則をもつて臨むことには、合理的な理由があるもので、必要の限度をこえたものということはできない(郵便物運送委託法二一条参照)。この罰則は、もつぱら争議行為を対象としたものでないことは明白であるが、その反面で、郵政職員が争議行為として右のような行為をした場合にその適用を排除すべき理由も見出しがたいので、争議行為にも適用があるものと解するほかはない。ただ、争議行為が労組法一条一項の目的のためであり、暴力の行使その他の不当性を伴わないときは、前に述べたように、正当な争議行為として刑事制裁を科せられないものであり、労組法一条二項が明らかにしているとおり、郵便法の罰則は適用されないこととなる。これを逆にいえば、争議行為が労組法一条一項の目的に副わず、または暴力の行使その他の不当性を伴う場合には、右の罰則が適用される。また、その違法な争議を教唆した者は、刑法の定めるところにより、共犯の責を免れない。
七 具体的に本件についてみるに、第一審判決は、公訴事実に基づいて、Aら三八名の行為を郵便法七九条一項前段違反の構成要件に該当すると認定した。原判決は、前述の第二小法廷の判決に従つて、公共企業体等の職員は、公労法一七条一項によつて争議行為を禁止され、争議権自体を否定されているのであるから、もし右のような事実関係があるとすれば、その争議行為について正当性の限界いかんを論ずる余地はなく、労組法一条二項の適用はないとしている。
 しかし、本件被告人らは、本件の行為を争議行為としてしたものであることは、第一審判決の認定しているとおりであるから、Aらの行為については、さきに述べた憲法二八条および公労法一七条一項の合理的解釈に従い、労組法一条二項を適用して、はたして同条項にいう正当なものであるかいなかを具体的事実関係に照らして認定判断し、郵便法七九条一項の罪責の有無を判断しなければならないところである。したがつて、原判決の右判断は、法令の解釈適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものといわなければならない。
 以上の判断に照らせば、公労法一七条一項および原判決が憲法一一条、一四条、一八条、二五条、二八条、三一条、九八条に違反する旨の各論旨は理由なきに帰する。よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決を破棄し、さらに審理を尽させるために、本件を東京高等裁判所に差し戻す‥‥」

奥野健一・草鹿浅之介・石田心外裁判官の反対意見 要旨は公労法一七条二項に違反されてなされた争議行為には労組法一条二項の適用はないとするものである。
「‥‥苛もある法律によつて一切の争議行為が禁止せられ、違法なものとされている以上、他の法域において、それが適法であるということは許されない。けだし行為の違法性はすべての法域を通じて一義的に決せらるべきものであり、公労法上違法とされた行為が刑事法上違法性を欠くというがごときは理論上あり得ないからである。‥‥労組法一条二項の刑事上の免責規定は、争議行為についてみると、本来適法に争議権を認められている労働組合の争議行為において、その行為が労組法一条一項の目的を達成するためにした正当なものである場合に限つて、たとえ、その行為が犯罪構成要件に該当していても、その違法性が阻却さるべきことを規定したものであつて、当初より争議権を有しない者の違法、不当な争議行為については、その適用の余地はないものというべく、また当初より正当性のない争議行為につき、その正当性の限界如何を論ずる余地もないからである。すなわち、労組法一条二項の「……団体交渉その他の行為」という「その他の行為」のうちには、公共企業体等の職員については、そもそも争議権がないのであるから、争議行為は除外されているものと解すべきであることは、公労法一七条と対比して明白であるからである(若し公共企業体等の職員の争議にも、労組法一条二項の適用があるとすれば、結局一般私企業に従事する労働者の争
議と大差のない刑事法的保護を受けることになり、公労法が、同法一七条により争議を一切禁止した代償保障として公共企業体等の職員のためにあつせん、調停及び仲裁の制度を、特に設けた立法趣旨に反することになる。)。」

 
9930安西郵便局事件 最三小判昭42.2.7 最高裁判所刑事判例集21巻1号19頁
(最高裁判所例検索システムよりプリントアウト)

本件は、特定郵便局事務室において、当日の窓口現金事務終了後、現金収納の銀行便に間に合うように集計整理に同局局長が携わっていた際、労働組合員4名が「点検」と称する組合活動(労働組合が労働条件に関して法規・協約の違反がないか、取扱い上不備がないか、不当労働行為がないかを点検する活動)の実施のため、局長が立入繰り返し拒否しているにも拘わらずこれを押しのけ立ち入ったことが住居侵入罪(刑法130条)に問われたもので、一審は入室拒否が不当として無罪、二審を破棄、住居侵入罪が成立するとした。最高裁は、特定郵便局長のが立入をしばらく拒否したことは理由があり、住居侵入罪を構成するとしてこの点につき棄却したが、量刑が不当に重いとして、原判決を破棄した。

判決
「‥‥上告趣意(略)第二、三、七点(略)について。 所論のうち、事実誤認ひいては憲法違反を主張する点については、これを要約すれば、点検活動は、組合活動の一環として憲法によつて是認されるべきものであるところ、被告人らの本件A郵便局事務室への立入は、点検活動を目的とする正当な行為であつて、いわば憲法にもとづく権利の行使である。したがつて、A郵便局長は、被告人らに対しその立入を拒否し得ないものであり、被告人らの右立入行為は、住居侵入罪に当らないとの主張を骨子とするものである。そこで、当裁判所は、まず、この点について判断をする。
(1)憲法二八条は、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。本条の労働基本権保障の狙いは、憲法二七条の定めるところにより勤労の権利および勤労条件を保障することと相俟つて、経済上劣位に立つ勤労者をして使用者との間に実質的な自由と平等とを確保することにあることは、昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決の明らかにするところである。そして右判決の趣旨に照らせば、所論の点検活動は、労働条件に関する事項について法規や協約の違反その他取扱上不備の点がないかどうか、不当労働行為がないかどうかについて調査点検し、当該職場管理者との交渉を通じて、その是正改良を求めることを目的とするというのであるから、そのかぎりでは、憲法二八条の労働基本権の範囲を逸脱するものとはいえない。しかし、この目的のもとに実施される活動のすべてが、ただちに同条の労働基本権の行使の名のもとに合法化されるわけではない。
(2)本件立入行為の目的について審究すると、当裁判所は、第一裁判所および原裁判所において取り調べた証拠を仔細に検討し、とくに、第一審判決理由冒頭の「被告人らの地位及び事件発生に至るまでのいきさつ」の項にそう事実および第一審判決が確定し原判決が支持した本件暴力行為の事実等に照らし、被告人らが、A郵便局に赴き、同局事務室に立ち入つた動機・目的は、一審判決の認めるように、所論全逓本部の闘争指令にもとづく点検活動を実施するというにあつたことを認めるにやぶさかではないが(もつとも、当日の点検実施が組合機関の正式な決定によるものであつたか否かについては、記録上疑いが存する。)、それと同時に、Bほか三名の同郵便局員らが全逓を脱退したことに対して、同郵便局長Cを主目標とし、あわせて右局員らに報復的な威迫を加え、いやがらせをすることにあつたことをも認めざるを得ないのであり、むしろ当面の目的は、後者に重きを置いていたものであることが窺われる。この点について、右の目的のうちの一方のみをその専らの目的ないしは主要な目的であるとする見方には、にわかに左袒することができない。
(3)つぎに、住居侵入罪の成否について判断をする。おもうに、点検活動を目的とするからといつて、どのような事情のもとでも、常に立入行為が許されるわけではないとともに、また、管理者が拒否するからといつて、一切の立入行為が許されないものとなるわけでもない。点検活動を目的とする者が郵便局長の拒否にもかかわらず局舎事務室へ立ち入つた行為が、住居侵入罪を構成するか否かの判断をするためには、立ち入る側とそれを拒否する側との双方について、それぞれの具体的動機とその行為の熊様とを相関的に考量する必要がある。
 そこで、前記証拠にもとづき、被告人らの立入行為の態様とA郵便局長Cの拒否の行為の動機・態様とについて審究すると、まず、C局長は、かねてより同人が特定郵便局従業員の全逓脱退と全国特定郵便局従業員組合加入の運動を強力に支援していたため、全逓静岡地区本部側から指弾の的とされていたばかりでなく、自局の労務管理の面にも点検の対象としてとり上げられる点があることを熟知しており、とくに、被告人らを含む同地区本部役員らの前日来の動向によつて、右役員らがこれらの問題を追求するために当日来局することを不快の念をもつて予期していたものであることが推認される。はたして被告人らは、点検と前記威迫、いやがらせ等とを目的として同郵便局に赴き、ただちに同局舎公衆溜りを経て、事務室への入口となつている公衆電話室を通り抜け、右事務室へ足を踏み入れたのであつて、これを見た同局長は自席から離れ、同室内の入口近くで両手を拡げ、立ち塞がるようにして被告人らの立入を阻止したところ、被告人らはその手を払いのけ、その胸を衝いて同人を押しのけながら入室したというのである。同局長は、第一次的には、郵便局長として、郵便業務の正常な運行を確保する責務を有するものであるが、このように組合の役員が面会・交渉を求めて来たと認められる場合には、労務管理者として、その交渉内容の重要さの度合を考慮し、かつ、それが実際に業務の停廃を来たさないかどうかを勘案して、事実上可能な限度でその交渉に応ずべきものといわなければならない(なお、被告人らは組合機関として同郵便局に対して点検活動をする適格があつたか否かについては、当時郵政省と全逓本部とが所論のように交渉
状態になく、また、被告人らは協約上A郵便局に対応する組合の機関に当らないので、ただちに、これを肯定することに疑問の余地があるが、勤労者の団結権・団体交渉権等を保障する憲法二八条の精神と当時の職場の実情とにかんがみると、被告人らの組合機関たる地位とA郵便局との間に組織や地区について本件程度の近い関連があれば、A郵便局長は不適格を理由として交渉を拒否し得ないと解すべきである。)。このような観点から、C局長が被告人らの入室を拒否したことの当否について判断をする。まず、その手がかりとして、同局長がどのような拒絶の仕方をしたかを、第一審判決および原判決挙示の証拠にもとづいて確めるならば、立入を阻止した際に同局長がなした発言は、第一審公判調書中証人C、同Dの各供述記載によれば「入つては困る、出て行つてくれ」「仕事中ですから外で話をしよう」、被告人E、同Fの同公判調書中の各供述記載によれば「今お金を数えているので入つて貰つては困りますから」「一寸待つてくれ」「仕事の途中だから待つてくれ」というのであり、被告人Gの同供述記載も右各供述の内容を裏づけている。このときは、たまたま土曜日の現金取扱事務が締め切られた直後にあたり、同局長は、その机上で自ら現金の集計整理を行なつており、しかも現金収納のため銀行員が来局するのを数分後に控え急を要する客観的な事情にあつたのであり、右の発言は、ともかく現金の集計整理が完了するまで、しばらくの間事務室の外で待つていてくれという趣旨であつたと解するのが相当である(なお、同局長は、七人もの来局を受けたのであつて、この際、言を構えて、被告人らの立入を数分間延引させたところで、
とうてい点検を回避することは望み得なかつたことがあわせ考えられるべきである。)。
そうだとすれば、同事務室の置かれた具体的状況のもとで、立入を受忍することによつて予測される業務上の支障と、点検がせいぜい一〇分か二〇分おくれることに
 よつて組合側に及ぶ不利益とを勘案すると、同局長が被告人らに対しその立入をしばらく拒否したことには理由がないとはいえない。したがつて、同局長の手を払いのけ、その胸を衝いて同室に立入を強行した被告人らの行為は正当な行為とは称しがたく、住居侵入罪を構成するものと判断した原判決の結論は、これを是認せざるを得ない。原判決が、入室拒否の正当性の理由づけをするために挙げた数個の事由のうち、被告人らの立入行為の目的の認定等について当裁判所と事実認定を異にする部分のあることは前叙のとおりであるが、右は、住居侵入罪そのものの成否の結論に影響を及ぼすものではない(なお、本件立入行為の目的の認定に関して憲法二八条違反をいう所論の実質は、結局、事実誤認の主張に帰するものである。)。
 つぎに所論のうち、判例違反を主張する点は、引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余の点は、単なる訴訟法違反を前提とする違憲の主張を出でないものてあつて、いずれも適法な上告理由に当らない。
 被告人らの上告趣意第三点、‥‥上告趣意第三、四、五、六点(略)、‥‥上告趣意第一点について。
 所論は、昭和四〇年法律第六八号による改正前の公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)四条三項は違憲法規であり、郵政省が右条項を根拠として昭和三三年七月以来全逓に対し団体交渉を拒否していたことは違憲行為であつて、本件点検活動は、この違憲行為に対する対抗手段としてなされたものであるから正当な組合活動である。したがつて、原判決が、順次、右条項が違憲であるかどうか、いわゆる団交拒否が違憲であるかどうか、点検活動が憲法二八条の保障する正当な組合活動であるかどうかについて判断をしないで、被告人らを有罪と断定したのは、憲法二八条、三七条違反、判例違反、審理不尽であるとの主張を骨子とするものである。
 しかしながら、所論の点検活動は、労働条件に関する事項や不当労働行為の存否を調査点検し、これらの点について是正改良を求めるというその目的からみて、憲法二八条の労働基本権保障の精神にかんがみ正当な組合活動として是認されるべきものであること、かように点検活動が、本来正当な組合活動であつても、なお、本件A郵便局事務至への立入行為が住居侵入罪に当るものであることは、前叙のとおりである。そして、また、右立入後の事務室内における被告人らの行為は、それが憲法二八条にいう団体行動として行なわれたものであるとしても、暴力の行使を伴うゆえにとうてい正当なものといえないことは、すでに当裁判所昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日大法廷判決(刑集三巻六号七七二頁)の判例とするところである(昭和三一年(あ)第一六四九号同三四年四月二八日第三小法廷判決、刑集一三巻四号四六六頁参照)。したがつて、被告人らの右行為は、その行為の態様に応じ暴力行為等処罰ニ関スル法律一条一項の罪に当るものであることは明らかであつて、これと同趣旨の原判断は相当である。
 してみれば、被告人らの本件行為は、前記公労法四条三項、ひいてはいわゆる団交拒否が違憲かどうか、点検活動が憲法二八条のもとに是認されるべき行為であるか否かについての判断の結果の如何にかかわることなく、すでに有罪と断定し得たことが明らかであつて、原判決がこれらについて判断をしなかつたことになんら審理不尽の違法はないのみならず、所論違憲の主張はその前提を欠き、また、判例違反の主張は、所論引用の各判例は事案を異にし本件に適切でなく、所論は、いずれも適法な上告理由に当らない。
 (中略)
  ところで、職権をもつて、第一審裁判所および原裁判所において取り調べた証拠ならびに訴訟記録全体を通じ、被告人らの刑の量定につき調査するに、前叙のとおり、C局長の側に点検の対象としてとり上げられる点があつたこと、それがために同局長が被告人らの来局に不快の念をいだき、本件立入をきらつたことなどが推認され、これが立入拒否の一因となつたのみならず、その際の同局長の挙動にもあらわれ、ひいては被告人らの本件行動にも反映したものであることが窺われるほか、本件犯行につきその動機・目的および行為の態様その他諸般の情状を綜合して考察すると、本件がいわゆる組合活動に附随して生起した多くの刑事被告事件の中にあつて、とくに被告人らに対し重い罪責を問わなければならないほど重大かつ悪質な事案であるとは、とうてい認めがたいのであつて、被告人らに対しては、その刑の執行を猶予するのが相当である。原判決の刑の量定は重きにすぎ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認めざるを得ない。
 よつて、刑訴法四一一条二号により原判決を破棄し、同法四一三条但書によりさらに判決をすることとし、原判決の認定した住居侵入の事実および第一審判決が認定し原判決が是認した暴行および脅迫の事実に法律を適用すると、住居侵入の点は、刑法一三〇条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、暴行および脅迫の点は、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条一項、刑法二〇八条、二二二条一項、罰金等臨時措置法三条一項二号にそれぞれ該当するところ、右は手段結果の関係にあるから刑法五四条一項後段、一〇条により重い暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の刑に従つて処断すべく、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人らを各懲役三月に処し、刑法二五条一項を適用して被告人らに対しいずれもこの裁判確定の日から二年間その刑の執行を猶予‥‥」

2013/01/14

入手資料整理96

(争議権・ピケッティングに関連して基本的な判例その一)

9918滝野川事件 最高裁大法廷昭和24年5月18日(Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集3巻6号772頁
はじめて労働法と刑法の関連を示した判決
「勤労者の労働条件を適正に維持しこれを改善することは、勤労者自身に対して一層健康で文化的な生活への途を開くばかりでなく、その勤労意欲を高め、一国産業の興隆に寄与する所以である。然るに勤労者がその労働条件を適正に維持改善しようとしても、個別的にその使用者である企業者に対立していたのでは、一般に企業者の有する経済的実力に圧倒せられ、対等の立場においてその利益を主張しこれを貫徹することは困難なのである。されば勤労者は公共の福祉に反しない限度において、多数団結して労働組合等を結成し、その団結の威力を利用し必要な団体行動をなすことによつて適正な労働条件の維持改善を計らなければならない必要があるのである。憲法第二八条はこの趣旨において、企業者対勤労者すなわち使用者対被用者というような関係に立つものの間において、経済上の弱者である勤労者のために団結権乃至団体行動権を保障したものに外ならない。それ故、この団体権に関する憲法の保障を勤労者以外の団体又は個人の単なる集合に過ぎないものに対してまで拡張せんとする論旨の見解にはにわかに賛同することはできないのである。もとより一般民衆が法規その他公秩良俗に反しない限度において、所謂大衆運動なるものを行い得べきことは、何人も異論のないところであろうけれど、その大衆運動なるの一事から苟くもその運動に関する行為である限り常にこれを正当行為なりとして刑法第三五条に従い刑罰法令の適用を排除すべきであると結論することはできない。所論の労働組合法第一条第二項においても労働組合の団体交渉その他の行為について無条件に刑法第三五条の適用があることを規定しているのではないのであつて、唯、労働組合法制定の目的達成のために、すなわち、団結権の保障及び団体交渉権の保護助成によつて労働者の地位の向上を図り経済の興隆に寄与せんがために、為した正当な行為についてのみこれが適用を認めているに過ぎないのである。従つて勤労者の団体交渉においても、刑法所定の暴行罪又は脅迫罪に該当する行為が行われた場合、常に必ず同法第三五条の適用があり、かゝる行為のすべてが正当化せられるものと解することはできないのである。」

9919山田鋼業事件 最高裁大法廷昭和25年11月15日 (Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集4巻11号2257頁 判例タイムズ9号53頁
事案は罷業中に組合の占有下で生産管理にはいり、経営担当者の指揮命令を排除しハンマー、鏨、モンキーレンチを製作販売して、組合員の賃金に充当し、鉄板約29屯を搬出したことが窃盗罪に問われたもの。
 要旨は、団結権・団体行動権は、国民の平等権・自由権・財産権に絶対的に優位するものとは認められない。争議権の正当性の限界は、法律制度の精神を全般的に考察し決せられるべきもので、原判決の判示する程度に、使用者側の自由意思を抑圧し、財産に対する支配を阻止することは、許さるべきでない。当然に勞働者が企業の使用収益権を有するのでもなく、経営権に対する権限を有するのでもない。従つて労働者側が企業者側の私有財産の基幹を搖がすような争議手段は許されないというもの 。生産管理をはじめて違法とした。市民法秩序が根幹であることを示した点で意義がある判決に思える。
「論旨は、憲法が労働者の争議権を認めたことを論拠として、従来の市民法的個人法的観点を揚棄すべきことを説き、かような立場から勞働者が争議によつて使用者たる資本家の意思を抑圧してその要求を貫徹することは不当でもなく違法でもないと主張する。しかし憲法は勤労者に対して団結権、団体交渉権その他の団体行動権を保障すると共に、すべての国民に対して平等権、自由権、財産権等の基本的人権を保障しているのであつて、是等諸々の基本的人権が労働者の争議権の無制限な行使の前に悉く排除されることを認めているのでもなく、後者が前者に対して絶対的優位を有することを認めているのでもない、寧ろこれ等諸々の一般的基本的人権と労働者の権利との調和をこそ期待しているのであつて、この調和を破らないことが、即ち争議権の正当性の限界である。その調和点を何処に求めるべきかは、法律制度の精神を全般的に考察して決すべきである。固より使用者側の自由権や財産権と雖も絶対無制限ではなく、労働者の団体行動権等のためある程度の制限を受けるのは当然であるが、原判決の判示する程度に、使用者側の自由意思を抑圧し、財産に対する支配を阻止することは、許さるべきでないと認められる。それは労働者側の争議権を偏重して使用者側の権利を不当に侵害し、法が求める調和を破るものだからである。論旨は理由がない。
 同第三点について。
 論旨は生産管理が同盟罷業と性質を異にするものでないということを理由として、生産管理も同盟罷業と同様に違法性を阻却される争議行為であると主張する。しかしわが国現行の法律秩序は私有財産制度を基幹として成り立つており、企業の利益と損失とは資本家に帰する。従つて企業の経営、生産行程の指揮命令は、資本家又はその代理人たる経営担当者の権限に属する。勞働者が所論のように企業者と並んで企業の担当者であるとしても、その故に当然に勞働者が企業の使用収益権を有するのでもなく、経営権に対する権限を有するのでもない。従つて労働者側が企業者側の私有財産の基幹を搖がすような争議手段は許されない。なるほど同盟罷業も財産権の侵害を生ずるけれども、それは勞働力の給付が債務不履行となるに過ぎない。然るに本件のようないわゆる生産管理に於ては、企業経営の権能を権利者の意思を排除して非権利者が行うのである。それ故に同盟罷業も生産管理も財産権の侵害である点において同様であるからとて、その相違点を無視するわけにはゆかない。前者において違法性が阻却されるからとて、後者においてもそうだという理由はない。
よつて論旨は採用することができない。(中略)
 同第五点について。
 論旨は、原判決が、本件鉄板は会社の占有を完全に離脱したものではないので被告人等が擅にこれを工場外に搬出した行為は会社の所持を奪つたものであり、窃盗の罪責を免れない、と判示したことを非難し、生産管理の下においては占有の所持は勞働者側にあり、会社は観念上間接占有を有するに過ぎないから、所持の奪取即ち窃盗はあり得ない。被告人等には占有奪取の意思もなく、不正領得の意思もなかつた。と主張する。しかし労働者側がいわゆる生産管理開始のとき工場、設備、資材等をその占有下においたのは違法の占有であり、判示鉄板についてもそのとき会社側の占有に対して占有の侵奪があつたというべきであるが、原判決はこれを工場外に搬出したとき不法領得の実現行為があつたものと認定したのである。これを証拠に照らし合わせて考えてみても、被告人等が争議期間中の労働者の賃金支払等に充てるために売却する目的を以て、会社側の許可なくしてこれを工場外に運び出し、自己の事実上の支配内に収めた行為は、正に不法領得の意思を以て会社の所持を奪つたものというべきであつて、原判決がこれを窃盗罪にあたるものとしたのは当然である。」
*コメント 労働法学者から次のような批判がある。「この判決から推論されるものは「暴力の行使」の違法性判断基準は「私有財産制度の基幹」ということになる。しかし、この「私有財産制度の基幹」を基準として考えるということは、「暴力の行使」を市民法的な視点のもとで考えるものであり、とうてい容認しえない」9919-1高橋保「争議行為と暴力の行使(故久禮田益喜教授追悼号)On the Strike and the Exercise of Violation」『創価法学 』務5(1/2) 1975〔ネット公開のため紙出力せず〕

9920理研工業小千谷工場事件 最高裁大法廷昭和26・7・18 (Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集5巻8号1491頁 判例タイムズ13号75頁
事案は会社業務の妨害の現行犯として検挙に向かった警官などに対してスクラムを組んで公務の執行を妨害したとして起訴されたものだが、東京高裁は無罪とし、最高裁も支持したもの。
「本件公訴事実中公務執行妨害の点につき原判決が無罪とした部分に対する非難であるが
 (一) この点に関し、原判決が無罪理由として判示するところを仔細に検討するに、原判決は先ず、証拠に基ずき、昭和二三年五月二三日の検挙は、警察官等の工場正門到着と殆んど同時に開始され、その以前には、被告人等において積極的な抵抗を試みていないし又その時間的余裕もなかつたと認定しているのであつて、この点所論の如くスクラムによつて振切るとか体力を以てはね返す等積極的な抵抗のあつた事実を認定していないのである。原判決のかかる認定は、その証拠説明に徴し十分首肯し得るところであつてその間所論の如き採証の法則に違背したと認むべきものはない。
 この点に関する論旨は、結局原審の適法な証拠の取捨判断ないし事実認定をいわれなく非難するに過ぎない。
 (二)次にスクラムを組み労働歌を高唱して気勢を挙げた被告人等の行為自体が所論の如く有形力の行使即ち暴行となるか否かの点について原判決は、前記の如き認定事実を基礎として、結局積極的抵抗を欠くものとして証明不十分と結論しているのである。即ち原判決は、被告人等がスクラムを組み労働歌を高唱して気勢を挙げた事実を認定してはいるが、それだけで警察官等に対して暴行脅迫が行われたものとは認定していないのである。故にこの点に関する論旨も結局原判決の事実誤認を前提とする議論であつて採用するを得ない。
 (三) 論旨は更に進んで、以上の如き被告人等の行為が暴力でないとすれば威力であるから、公務執行妨害罪が成立しないとしても、業務妨害罪が成立すると主張するのであるが、業務妨害罪にいわゆる業務の中には、公務員の職務は含まれないものと解するを相当とするから、公務員の公務の執行に対し、かりに、暴行又は脅迫に達しない程度の威力を用いたからといつて、業務妨害罪が成立すると解することはできない。故にこの点に関する論旨も理由がない。」

9920-1朝日新聞西部本社事件 最高裁大法廷昭27.10.22(最高裁判例検索システムプリントアウト) 最高裁判所民事判例集6巻9号857頁
 民事事件であるが、事案は部長級の非組合員が印刷局活版部の罷業対策として四版の大組みにとりかかろうとしたところ、活版部員約30名がスクラムを組んで3名の部長を取り囲んで作業をたまたげたので、版組作業を断念して引き揚げたが、一部長が無理矢理引っ張れ出されて左手小
指に治療日数五日を要する傷害を被った。これがため当日発行の新聞は平常通り輸送されたのは僅かに五万九千部列車に積遅れたためトラックで輸送されたもの九万八千部で他の四七万部は全部一日遅れとなったというもの。
「当時上告人等組合員側のした行為は単なる職場占拠に止まらず、被上告人会社側の非組合員職員によつてなさんとした業務の遂行を暴行脅迫をもつて妨害したものであつて、違法な争議行為であることは寔に明瞭といわねばならない。けだし、同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するが如き行為は、叙上同盟罷業の本質とその手段方法を逸脱したものであつて到底これを目して正当な争議行為と解することはできないのである。そしてこの事は法令等に特別の規定が存しない限り労働事情の如何によつて右解釈を左右されるものとは考えられない。若しそれ所論の如く使用者側による所謂切り崩し又はスト破り行為等の行われる恐れありというだけでは、未だもつて上告人等労働者側の前示行為を正当化せんとする根拠とはなし難いものと解せられるのである。又被上告人会社側の僅少な職員による作業も、たとえこれをもつては当時予定作業(四版大組作業)の全部を完遂することはできなかつたとしても、その作業の遂行をなさんとしたものであることは右原判決の認定事実によつて認めることができるところであり、次に原判決の新聞紙の持つ重大使命云々並びに損害に関する各判示は、前者は新聞紙の重大使命に鑑み当時一刻も猶予し難い事態であつたため非組合員職員による作業を遂行せんとしたのを違法な行為によつて之を妨害したものであるとの意味の判示であつて、新聞従業員に正当なる労働争議乃至争議行為権のあることを否定した趣旨でないことは明瞭である。又後者は本件違法な争議行為による損害をも含めた意味の判示であつて、正当な同盟罷業によつて生ずる本然の損害を示した意味の判示でないことも亦明瞭であるのである。」

  9921三友炭鉱事件 最三小昭31.12.11(Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集10巻12号1605頁 判例時報96号1頁いわゆるピケッティングが威力業務妨害罪に当たらず無罪とした判例。
要旨 炭坑労働組合が同盟罷業中一部組合員が罷業から脱退して会社の石炭運搬業務に従事した炭車を連結したガソリン車の運転を開始した際、組合婦人部長たる被告人が、右一部組合員の就業は裏切り行為であり、これにより罷業が目的を達成し得なくなると考え、既に多数婦人組合員がガソリン車前方路上に立ち塞がり、座り込みまたは横臥(おうが)してその進行を阻止していたところに参加して「ここを通るなら自分たちを轢き殺して通れ」と怒号して車の運転を妨害した行為はいまだ違法に刑法234条にいう「威力を用い人の業務を妨害したる者」というに足りない。
要所は「組合が争議権を行使して罷業を実施し、所属組合員の一部が罷業から脱退して生産業務に従事した場合においては、組合(従って組合役員ならびにその意思に従った組合員) は、かかる就業者に対し口頭又は文書による平和的説得の方法で就業中止を要求し得ることはいうまでもないが、これらの者に対して暴行、脅迫もしくは威力をもって就業を中止させることは、一般的には違法である。…… しかし、このような就業を中止させる行為が違法と認められるかどうかは正当な同盟罷業その他の争議行為が実施されるに際しては特に諸般の情況を考慮して慎重に判断されなければならないことはいうまでもない」
*私の見解-本件は組合から脱退しない経営側と縁故のある罷業に反対する組合員の業務を罷業派組合員が妨害した事件だが、組合の統制を重視し組合員の消極的団結権(就労の自由)に否定的な判断であるが、英米など比較法的にみて現代的水準からみると疑問に思える判例である。つまり英米では組合員であろうとストに加わらない権利を制定法で明文化しており、個人の権利としては対等なのである。経営者との縁故ゆえに裏切り者とされ就労の権利を否定されるべきではない。 労働基本権思想レジームからの脱却が求められる。

9922ホテル・ラクヨー事件 最一小昭和32.4.25(Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集11巻4号1431頁 判例時報122号18頁
「原審の是認した第一審判決の認定した事実によれば、被告人らは判示会社と争議中組合員数十名ともにスクラムを組んでO外四名をとりかこみ、労働歌を高唱し、ワッショ、ワッショと掛声をかけて気勢をあげながら、約二〇分間に亘り、押す、体当りをするなどの行動を続け、以て多数と共同して右五名に対し暴行を加えたというのであって、かかる被告人の所為が刑法二〇八条の暴行に当ることは明らかである。そして、所論労働組合法一条二項は、勤労者の団体交渉における所為について無条件に刑法三五条の適用があることを規定したものではなく、右所為が刑法所定の暴行罪又は脅迫罪等の犯罪にあたる場合においてもこれを正当化するものと解することを得ず、かかる所為は憲法二入条の保障する勤労者の団体行動権の行使にあたるものといえないことは当裁判所の判例とするところである(昭和二四年五月一八日大法廷判決)。」

9923羽幌炭鉱鉄道事件 最高裁大法廷昭和33.5.28 (Lexisプリントアウト)最高裁判所刑事判例集12巻8号1694頁
事案は罷業決行派が脱退者などの採炭業務を制止し、出炭業務を不能にするため軌道上でスクラムを組んだり坐り込むなどして電車の運行を阻止したものであり、昭和31年三友炭鉱事件判決(無罪)と類似しているが、本件は有罪とされた。三友炭鉱事件では被告人じしんの違法性が軽微と判断されたが、本件では「長時間にわたり、一〇〇余名の者と共に電車軌道上およびその附近に座り込み又は立塞り或はスクラムを組み且つ労働歌を高唱する等の挙に出で、同会社電車運転手R等の運転する電車の運行を阻止し威力を用いて同会社出炭業務を妨害した」ことは「諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる」としたのである。、

「… 同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するがごとき行為はもちろん、不法に、使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすること
は許されないものといわなければならない(昭和二四年(オ)一〇五号同二七年一〇月二二日大法廷判決、民集六巻九号八五七頁)。されば労働争議に際し使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するたに執られた労働者側の威力行使の手段が、諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない。本件について原審が確定した事実によれば、北海道苫前郡a町a炭鉱鉄道株式会社b鉱業所の従業員約七八〇名をもつて組織する労働組合は、右会社に対し労働協約の改訂、割増賞与金の要求、福利厚生施設の改善等を要求して昭和二五年五月頃から争議に入り、数次交渉を重ねるうち、右組合員中争議から脱退するものが出てこれら脱退は従業員会を組織し、その数は漸次増加して約三三〇人に達したが、一方会社では従来から会社の業務に従事していた組夫約五〇名を従業員に採用し、これらの者と職員ならびに従業員会の者で採炭を続行していたので、罷業決行派はこれを制止しようとし互に反目して抗争を続けて来たものであるが、被告人B、同A等は、罷業決行派の者と共に同会社の出炭業務を不能ならしめようとし、判示第一の一ないし三記載の三日長時間にわたり、一〇〇余名の者と共に電車軌道上およびその附近に座り込み又は立塞り或はスクラムを組み且つ労働歌を高唱する等の挙に出で、同会社電車運転手R等の運転する電車の運行を阻止し威力を用いて同会社出炭業務を妨害したというのである。
 以上諸般の事情を総合すれば、本件行為は正当なものとは認められず、不法に威力を用いて会社の業務を妨害したものというのほかないのであるから、原判決が右行為に刑法二三四条、二三三条を適用処断した第一審判決を肯認したのは正当であつて、原判決には所論のような違憲違法はない。‥‥」

 9924進駐軍横浜事件 最二小昭33.6.20最高裁判所刑事判例集12巻10号2250頁(Lexisプリントアウト)
 「‥‥憲法二八条は勤労者の団結権、団体交渉権その他の団体行動権を保障しているが、この保障も勤労者の争議権の無制限な行使を許容し、それが国民の平等権、自由権等の基本的人権に優立することを是認するものではなく、従つて勤労者が労働争議において不法に使用者側の自由意思を抑圧するような行為をすることは許されないこと及び同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものであるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として目らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するがごとき行為は、右同盟罷業の本質とその手段方法を逸脱したものであつて、正当な争議行為と解することのできないことは、すでに当裁判所の判例が示しているところである(昭和二三年(れ)一〇四九号同二五年一一月一五日大法廷判決、刑集四巻一一号二二五七頁、昭和二四年(オ)一〇五号同二七年一〇月二二日大法廷判決、民集六巻九号八五七頁)。原判決の確定した事実によれば、被告人三名は駐留軍横浜陸上輸送部隊に勤務する日本人労務者により組織された同部隊労働組合の組合員であつたが、同組合は昭和二八年七月二八日から七二時間ストライキに入つたところ、同月二九日午前六時四〇分頃判示場所の右部隊バス通用門からストライキに参加しなかつた同部隊勤務の日本人運転手B外六名が駐留軍軍人、軍属等を輸送するためa駅に赴くべく各一台のバスを運転し一列縦隊で順次出門しようとするや、被告人三名は右通用門前においてピケラインを張つていた組合員約三〇名位と共謀の上、その出門を阻止しようとして右門前において、一、被告人Cはバスを一台も出すなと呼びながら組合員数名とともに右Bの運転するバス前面の道路上に寝転んで、その進行を停止せしめ、二、被告人Dは所携の赤旗竹竿を右B運転のバス運転台窓からバスのハンドルめがけて突き込み、三、被告人Eは組合員数名とともに右B運転のバス内に乗り込み、車外の組合員等と呼応して同人を運転台窓から多衆の威力を示し且つ数名共同してバスの外に押し出して転落せしめる暴行を加えて、Bをしてバスの運転を不能ならしめると同時に、同人に続いてバスを運転して出門しようとしたF外四名の出門をも不能ならしめ多衆の威力を示して右B外五名の運転業務を妨害したというのであつて、かかる被告人らの所為が、争議権の行使として許された範囲内の行動ということができないことは前記判例の趣旨に徴し明らかであるばかりでなく、不法に威力を用いて使用者側の業務を妨害したものというのほかないのであるから、原判決には所論のような違憲、違法はないと云わなければならない。(なお昭和二七年(あ)四七九八号同三三年五月二八日大法廷判決参照)‥‥」

 9925東北電力大谷発電所(いわゆる電源スト)事件 最一小昭33.12.15最高裁判所刑事判例集12巻16号3555頁 判例タイムズ86巻96頁 (Lexisプリントアウト)
 ピケットの「平和的説得」の限度を真正面から判示した重要判例とされている。というのは、本件が「会社側から臨時に雇われたが説得に応ぜず強引にピケラインを突破しようとする」状況での違法性判断だからである。あくまでも会社の指示どおり業務を遂行しようとする臨時雇用者と、ストライキ決行の労働組合員との衝突という事案であるからである。
 原審の東京高裁昭31.7.19判決は第一審の有罪判決を破棄して威力業務妨害にならないと判示した。
 
最高裁が破棄した東京高裁昭31.7.19判決)
「電源ストの当否について審究するに、右挙示の各証拠及び記録編綴の「電源職場労務提供拒否スト実<要旨第一>施要領」と題する書面(略)を総合すると、本件電源ストは発電所の水車室、機械室、配電盤室その他堰堤取水口等の電源職場において従業員が一旦、発電施設の運行を停止せしめた上その職場を離脱し一定時間労務の提供を拒否することにより一定の減電量の実現を目的とする争議方法として案出されたものであつて、これにより会社の発電量の低下を来たし、その業務の正常な運営を阻害するものであるが、本来、争議行為において使用者の業務の正常な運営を阻害なる結果を伴うことに、その性質上巳むを得ないところであるから(労働関係調整法第七条)、C1がその争議方法として上記のような電源ストを決定し、その実施によつて会社の正常な業務の運営が阻害せられ水利の妨害を受けることがあつても、このことのみを以て不当な争議方法であるとはいえない。ただ、この争議方法によるときは、電源職場従業員が会社側より発電施設の操作を停止することなく、現状のまま引き継ぐよう要求されても、これに従うことなく敢て発電施設の運行を停止せしめ、一時会社の施設の管理を行う状態を伴う点において、不法性を帯びるやの疑を生ずるけれども、C1がかかる電源ストの方法を採用なるに至つた理由を考按するに、原審証人A1、当審証人B1、同B5等の各供述を総合すると、電気事業は最も重要な基礎産業としての公益事業であるから、全国ないし一地方のC1従業員が一斉に労務不提供入れば、社会的経済的に頗る深刻な影響をもたらすことが予想されるので、当時C1としてはかかる大規模なストの実施を良識的に避けて、電気の供給に実質的な障害を生ぜしめないよう減電量を定め被告の少ない一定時間、一部発電所に限つて行う電源ストの方法を採つたものであること、かように電源ストは一部発電所を対象として限られた時間だけ行う争議方法であるから、単に職場を放棄するのみでは会社側非組合員の手により操業を継続させることが容易であり、従来のC1争議の経験に徴しても、会社側は当然そのような対抗策に出ることが予想せられ、かくては短時間小部分の電源職場を単純に離脱するのみでは、その実効を挙げ得ないため一時発電機の運転を停止して減電量十五パーセント程度(保安電力及び一般需要家に支障を生ぜしめないよう考慮し電源ストとしては最低線と認められる限度)を実現確保する必要があるとして会社の上記要求に従うことなく、敢て発電施設の操作を停止なる方法を採るに至つたものであることが認められるのである。して見れば、叙上の限度において会社側の前記要求に応ぜず、発電停止の準備操作の間一時、会社の当該施設を会社側の意思に反して管理する状態に立ち至ることも、電源職場の特質上洵に已むを得ないところといわなければならない。然らばC1の採用した本件電源ストの方法は、正当な争議手段と認めることができるのである。
 (三) 次に前項(二)掲記の諸証拠によると、C1中央本部は電源スト実施にあたり会社側が対抗策として臨時人夫その他の代替要員を現場に派遣し、右発電停止の準備操作を防ぎ会社の操作を継続せしめようとした場合には、右ストの実効を期するため発電停止のための操作を実施する間ピケットラインを以て非組合員の現場(当該所要部分の施設)への立入を阻止すると共に飜意するよう説得し、C1組織の威力を示して争議組合員に協力させるよう努力し、更に説得困難のときはスクラムを組んでも阻止し、指定の減電量を実現すべく、ただ飽くまでも暴力には訴えず、これを阻止することができないで職場放棄定刻迄に操作が完了しないときはそのまま退去する旨の方針を昭和二十七年七月中に決定し、右方針はその当時各地方本部に指示されえのであるが、本件電源ストの実施に先立ち、東北地方本部は右方針と同趣旨の記載ある前顕「電源職場労務提供拒否スト実施要領」と題なる文書を作成し、同年八月二十八日頃管下各県支部責任者会議において右実施要領を解説してその趣旨を徹底せしめ、C1C2支部は同年九月十七日頃被告人G1を含む同支部常任執行委員から管下各分会責任者に右実施要領を詳しく説明し、C3分会は同月十九日頃同分会常任執行委員会を開催して前示実施要領を確認し、同分会執行委員を管下各地区班の職場大会に派遣してこれが周知徹底を計り、更に同月二十三日頃被告人G1以外の被告人等五名を含む組合員等出席のうえ合同地区班会議を開催し、前記実施要領の周知徹底に努めたことが認められる。
 右によつて見るときは、本件電源ストにおけるピケッテイングも一般のそれと同じく「平和的説得ないし団結力の示威」を本来の建前とし、ただ説得困難の場合に限りスクラムによつて会社側臨時人夫等非組合員の現場立入を阻止なることを認めでいるのてあるが、本件電源ストの性質が上記のようなものである以上、その目的を貫徹するため、発電機の運転を停止する準備操作をするに際し、会社側から臨時に雇われた人夫が容易に説得に応ぜず、強引にピケラインを突破しようとする場合には、右準備操作を妨害されないための手段としてその操作実施の時間に限りスクラムによるピケッティングの方法をとることは已むを得ないところとして許容されなければならない。従つて本件電源ストの実施にあたりC1が右のようなピケッティングを指令し、被告人等が該指令に従つて時間、場所及び方法において右実施に必要な最少限度の行動をしたとしても、これを目して正当な争議行為の範囲を超えたものということはできない。(略) 本件の事実関係を次の如く判定なるのが相当であると認める」。
   (中略)
「被告人G2が前掲「電源職場労務提供拒否スト実施要領」に従い、E1発電所操作規程に定められた全停断水の準備操作として、同発電所取水口の水路排水門(略)を手動式ハンドルによつて開扉しようとするや、F2がこれを阻止しようとして接近して来た。被告人G1がF2に「帰つて呉れ」と言つたが殆んど耳もかさなかつたので、被告人G2を除く被告人等五名が、水路排水門の門扉上の前記ハンドルを背にして、F2に向つて左側から被告人G1、同G3、同G5、同G6、同G4の順で右ハンドルに至る進路いつぱいに横に並んでスクラムを組み、F2の進入を阻止する態勢(原判示の「立塞り」)を執つた。そして被告人G1から更にF2に「止めて帰つて呉れ」と言つたが聴き容れず、飽くまでスクラムを突破しようとしてスクラムを組む被告人等の股間や腕の間際を狙つて潜り抜けようとしたが割り込めないと見るや、附近から長さ六尺余、幅四寸位、厚さ一寸余の角材を携えて来て、これを水路排水門の三角点に架け渡して橋代用とし、これを渡つて右排水門のハンドルに近付こうとしたが、スクラム左端(被告人G1)にこれを阻止された。するとF2はその反対側に駈け寄りスクラムの間隙を狙つて潜り抜けようとし、これを被告人等が阻止なると、また他の間隙を狙うという風に、同じ動作を幾度か繰り返すうち、スクラム右端の被告人G4がその右側間際を通り抜けようとするF2の着衣(作業衣)の袖を一回だけ片手で掴み、またF2が自ら同被告人の足に当り、その脇に捨ててあつた木葉溜りに滑つて転ぶ等のことがあつたが、間もなくF2は橋代用の角材を渡つて前記排水門扉のハンドルに取り付き、既に被告人G2の右操作により約十糎ほど開いていた同門扉を閉めようとしたので、被告人G1はこれを阻止するため右ハンドルに上半身で乗り掛ると共に、被告人G2に対して本流排砂門(略)を開扉するよう指示したが、その直後、来合せた前記F3より「やめろ」と言われたので、同排水門の開扉操作半ばにして右排水門を退去し、一方被告人G1より右指示を受けた被告人G2は原判示第二の如く前記排砂門の北端の門扉を附近にある操作小屋の電鍵を操作して約十五糎ほど開き、E1発電所の発電に使用するために堰き止められているH1川の流水の一部を、間もなく同所に駈け付けた右F2によつて閉鎖されるまでの数分間、H1川本流に放流したものである。」という事実を認定しておきながら「労働組合法第一条第二項但書にいわゆる「暴力の行使」と目せらるべきやの点であるが、前記認定のように相手方が正当なものと認められる程度のスクラムを強引に突破しようとなる瞬間において、相手方の着衣の袖をただ一回だけ掴む程度のことは、右スクラムの状況及び一般社会通念に照らし不法性がないものと解するのが相当である。然らば被告人G4に右程度の所作があつたからといつて、直ちにこれを暴力の行使と断ずることは当を得ない。従つて被告人等の右行為が正当なる争議行為の範囲を逸脱するものとして、被告人等に右会社及び右F2に対する各業務妨害の罪責を負わしめることはできない。次に被告人G2の前記水路排水門及び本流排砂門の一部開扉によつて、E1発電所の用水がH1川本流へ若干放流され、その結果幾分なりとも会社の水利を妨害すべき状態を発生せしめたとしても、前記(一)及び(二)の理由により右各水門の開扉は、被告人G2が前記の分会闘争指令に基き同発電所の全停断水のため、成規の方法による準備操作として行つた正当なる争議行為と認められる以上、労働組合法弟一条第二項本文、刑法第三十五条により罪とならないものといわなければならない。
 要するに、本件公訴に係る業務妨害の事実はその訴因たる暴力の行使が認められないので、結局、犯罪の証明なきに帰し、また水利妨害の事実は法律上罪とならないに拘らず、原審が何れもこれを有罪と認定したのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認ないし法令の解釈適用の誤を冐したものであるから、論旨は理由がある。‥‥」

 
 (上記を覆した最高裁判決)
 威力業務妨害に当たらないとする高裁判決に対して、最高裁はスト破りの代替雇用者であっても、容易に説得に応じないからといってピケットにより阻止することは違法であるとした。
 
「昭和三三年五月二八日の大法廷判決は、前示の引用した判文に引き続き「されば、労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段が、諸般の事情から見て正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない。」と判示している。しかるに、原判決は、判示(三)において、
「次に前項(二)掲記の諸証拠によると、G中央本部は、電源スト実施にあたり会社側が対抗策として臨時人夫その他の代替要員を現場に派遣し、右発電停止の準備操作を防ぎ会社の操業を継続せしめようとした場合には、右ストの実効を期するため発電停止のための操作を実施する間ピケツトラインを以て非組合員の現場(当該所要部分の施設)への立入を阻止すると共に翻意するよう説得し、G組織の威力を示して争議組合員に協力させるよう努力し、更に説得困難のときは、スクラムを組んでも阻止し、指定の減電量を実現すべく、ただ飽くまでも暴力には訴えず、これを阻止することができないで職場放棄定刻迄に操作が完了しないときは、そのまま退去する旨の方針を昭和二七年七月中に決定し、右方針はその当時各地方本部に指示されたのである……ことが認められる。右によつて見るときは、本件電源ストにおけるピケツテイングも一般のそれと同じく「平和的説程ないし団結の示威」を本来の建前とし、ただ説得困難の場合に限りスクラムによつて会社側臨時人夫等非組合員の現場立入を阻止することを認めているのであるが、本件電源ストの性質が上記のようなものである以上その目的を貫徹するため、発電機の運転を停止する準備操作をするに際し、会社側から臨時に雇われた人夫が容易に説得に応ぜず強引にピケラインを突破しようとする場合には、右準備操作を妨害されないための手段としてその操作実施の時間に限りスクラムによるピケツテイングの方法をとることは已むを得ないところとして許容されなければならない旨」判示しているのである。しかし、原判決の右前段の認定によれば、本件電源ストにおけるピケツテイングは、
説得前すでに非組合員の現場への立入を阻止する目的を以てなされるものであること明白であつて、説得行為のごときはその実、名のみに過ぎないものであることを看取するに難くはないのである。にもかかわらず原判決は、前記判示後段のごとく「平和的説得ないし団結の示威」を本来の建前とし、ただ説得困難の場合に限りスクラムによつて会社側臨時人夫等非組合員の現場立入を阻止することを認めているのであると判示しているのは、判決理由に喰い違いがあるか又は重大な事実誤認であるといわなければならない。しかも、原判決の認定した事実関係(論旨第二点(ニ)(ロ)の摘録事実参照)の下においても、前記判例にいわゆる諸般の事情から見て正当な範囲を逸脱し刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない場合に該るものということができる。されば、原判決は、この点でも破棄を免れない。」

9926四国電力財田発電所事件 最一小昭33.12.25 最高裁判所刑事判例集12巻16号3627号(最高裁判例検索システムプリントアウト)

 事案は電源ストでスクラムを組んで会社側の業務を妨害したにもかかわらず威力業務妨害罪が成立せず無罪と判示した高松高裁昭32.11.25判決をら破棄差戻しの判決を下したものである。「原判決が、その判示三において、労動争議の本質、争議行為が正当であるか否かの基準等につき所論摘示のごとく判示したこと、並びに、その判示四において、本件各証拠を綜合して認められる事実として、昭和二十七年十一月七日午前十時より同十二時まで判示a変電所における停電ストライキの争議行為に対し、B会社側がこれに対抗して停電を拒否して送電を継続するため、同会社b支店の庶務課長C、同労務係長Dは臨時工員E、同Fと共に同日午前九時半頃同a変電所に行き、Cは会社側からの同変電所の器物に触れてはならない旨その他の記載をした業務命令書を読み上げた上、これを同所の掲示板に貼つた後C及びDは同日午前一〇時少し前判示配電盤前に立ち居たるに対し、同日午前十時過被告人は同配電盤のオイルスイツチを切るため同盤に近づき同人等に対し「切りますよ」と言うと、同人等は切つてはいかんと言いCは右手で同スイツチのハンドルを握り左手で被告人の腰の辺を押し、被告人は一旦退いたが、また配電盤に近づきC、Dの隙を見て、同人等が握つていた同ハンドルの先を掴んで引きしやくつて同スイツチを切つたこと、そこで
Cは、前示技術屋のEを呼び、Eは早速同スイツチを入れたところ、被告人は、同午前十時十五分頃再び右配電盤前に行き、被告人が近づいて来たのを知つて同配電盤の椅子に腰掛けていたC、Dが右スイツチのハンドルを守るため立ち上るや、被告人は、その椅子に掛けた上、C、Dが技術屋でないためスイツチ開閉装置であることを知らなかつた同配電盤の前面下方にあつたリレーのプランジヤーを右両名の足下から手を延ばして押し上げてスイツチを切つて屋外に出たこと、これに応じて被告人から指揮を受けていたいずれもB株式会社b支店勤務員でA労働組合員であつたG、H、I、J、Kの五名は、右配電盤の前に行きCが前示Eを呼んで同スイツチを入れさせようとするのを防ぐため約五分間スクラムを組んだこと、および、被告人は、同日午前十時半頃屋外の南方の柱上開閉器の紐を引いてスイツチを切り、他の者が北方の柱上開閉器のスイツチを切り同日午前十一時五十分頃までに及んだ旨の事実を認定したこと、および、原判決が、その判示五において、被告人の本件右各行為は、正当な争議行為であると判断したことは、いずれも、所論のとおりで
ある。
 そして、所論第一点、二、(3)掲記のL本社の仮処分事件についての昭和二七年一〇月二二日最高裁判所大法廷判決(民事判例集六巻九号八五七頁以下)竝びに、昭和二三年(れ)一〇四九号同二五年一一月一五日大法廷判決(刑事判例集四巻一一号二二五七頁以下)が、「同盟罷業は、必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は、労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行、脅迫をもつてこれを妨害するがごとき行為はもちろん、不法に、使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすることは、許されないものといわなければならない旨」を判示していることが明らかである。そして、その趣旨は、その後昭和二七年(あ)四七九八号昭和三三年五月二八日大法廷判決(刑事判例集一二巻八号一六九四頁)においても判示するところである。ことに、後の判決は、右判示に引き続いて、「されば、労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段が、諸般の事情から見て正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には、刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない。」と判示しているのである。 従つて、原判決の判示は、労働争議の本質、争議行為が正当であるか否かの基準等についてなした前記判例の趣旨に違反するものであり、原判決の認定した前記の事実関係によれば、被告人の所為は、労働争議における労働者側の争議手段として正当な範囲を逸脱することも明白であるといわなければならない。にもかかわらず、原判決が被告人の本件行為は、正当な争議行為であると判断したことは、違法であつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する‥‥

2013/01/13

入手整理資料95

 9880田熊文雄「18世紀末~019世紀30年代のツンフト論争文献について--近代ドイツ都市市民の社会的思想的特質をめぐって(1)(2)(3)」『岡山大学文学部紀要』 (20)1993 (21)1994(22)1994
 9881北川善英「1884年法と「組合の自由」-フランス人権史の一考察」『横浜国立大学人文紀要. 第一類, 哲学・社会科学』 27 1981
 9882北川善英「労働基本権の「自由権的側面」の意味-フランス一八八四年法の「組合の自由」を素材として『法律時報』68巻12号
 9883全農林警職法事件東京高裁昭43.9.30判決『別冊労働法律旬報』694 1969
 9884JR東日本(神奈川・国労バッジ)事件東京高裁平11.2.24判決『労働判例』763
 9885北海道教委(ストライキ)事件札幌地裁平11.2.26判決『労働判例』762
 9886新潟県教育委員会(新潟高教祖)事件新潟地裁平8.3.319判決『労働判例』695
 9887全農林懲戒処分事件東京地裁平2.4.19判決『判例時報』1349
 9888北川善英「2月革命と「労働権(Le Droit au travail)(1) : フランス人権史の一考察」La Revolution de Fevrier (1848) et "Le Droit au travail" (1) : une reflexion sur l'evolution des droits de l'homme en France『名古屋大學法政論集』 81 1979「二月革命と「労働権(Le droit au travail)」(2)完 : フランス人権史の一考察」『名古屋大學法政論集』 82 1979
 9889花見忠「アメリカ官公労働者の労働基本権-連邦」『日本労働法学会誌』 (27) 1966
 9890松田保彦「アメリカ官公労働者の労働基本権-州及び市町村」『日本労働法学会誌』 (27) 1966
 9891浅井清信「官公労働関係規制立法の回顧と展望」『日本労働法学会誌』 (27) 1966
 9892浅井清信「ドライヤー報告と公共労働立法」『立命館法學 』(61) 1965
 9893川井英良・香城敏麿「ドライヤー報告の検討」『法曹時報』17(12) 1966
 9894阿久沢亀夫「判例解説労働者の使用者への協力義務の限界と譴責処分・苦情処理手続-富士重工業事件(最三小判昭52.12.13)『労働判例』287
 9895山口浩一郎「判例解説電電公社職員の反戦プレート着用と懲戒処分-目黒電報電話局事件(最三小昭52.12.13)『労働判例』287
 9896菊池勇夫「公共部門の労働法問題 : 『ドライヤー報告』と公務員制度審議会の関係」Labour Law Problems in the Public Sector : "Dreyer Report" and the Advisory Council on the Public Service Personnel System in Japan『法政研究』 35(5) 1969〔*ネット公開〕
 9897「地方公務員法三七条、六一条四号の合憲性および同条により禁止される争議行為の範囲(福岡高判昭四二・一二・一八判例時報五〇五・二二 福岡高判昭四二・一二・一八判例時報五〇五・二六) : いわゆる福教組・佐教組事件の各控訴審判決」On Constitutionality of the Sec. 37, 61 (4) of the Local Government Officer Act and Scope of the Strike prohibited by the Sections 『法政研究』 35(5) 1969〔*ネット公開〕限定解釈無罪という昭和40年代前半の労働組合に有利な判例。学説・判例の参照指示多い。著者は刑法学者。
 9898深山喜一郎「官公労働者の争議権 : 最高裁・全逓中郵事件判決とその影響」The Right to Strike in the Public Sectors : The Theory and Its Development of the Decision of Supreme Court『法政研究』 35(6) 1969〔*ネット公開〕
 9899籾井 常喜「協約改悪の焦点とその問題点--合理化下における協約闘争の課題-3の中-」『労働法律旬報 』(596) 1966
 9900花見忠「ドライヤー報告と官公労働者の争議権」『世界の労働』 19(6) 1969
 9901慶谷淑夫「公務員の争議権をめぐる問題点-東京高裁の判決を契機として」『法律のひろば』 19(2) 1966
 9902藤木英雄「「あおり」についての解釈」『法律のひろば』 19(2) 1966
 9903香城敏麿「公共部門のストライキ権に関するドライヤー報告の検討」『法律のひろば』 19(2) 1966
 9904教職員の争議等にからむ刑事事件一覧表『法律のひろば』 19(2) 1966
 9905松田保彦「ドライヤー報告書における地方公務員」『世界の労働』 19(6) 1969
 9906上平毅「職員団体・労働組合に係る職務専念義務の免除等に関する調査結果」『地方公務員月報』512 2006-03
 9907ダイヤログ「『ながら条例』続編~書面手続きは大事~」『地方公務員月報』512 2006-03
 9908ダイヤログ「『ながら条例』と地方公共団体の信頼」『地方公務員月報』509 2005-12
 9909学校経営法令研究会「学校改善 学校経営と法令(学校経営編)交渉準備に対する「ながら条例」の適用」学校改善 学校経営と法令(学校経営編)交渉準備に対する「ながら条例」の適用 『週刊教育資料』765号2002.7.15
 9910教育法規あらかると「"ながら条例"の見直し」時事通信『内外教育』5330号2002-09-27
学校経営法令研究会
 9911「はんれい最前線 「ながら条例」に「ノーワーク・ノーペイ」の風当たり : 組合活動等を理由とする職務専念義務の免除は、法に定められた場合以外は違法 : 裁判所[大阪地裁平成22.10.16判決] 」『判例地方自治』348号 2011-12
 9912「職務専念義務を免除した期間について給与等を支給した不法行為に基づく損害賠償訴訟等(住民訴訟)が一部認容された例」 大阪地裁平成22年10月6日判決『判例地方自治』344号
 9913田熊文雄「18世紀の営業特権と営業自由--D.ヴィロ-ヴァイトの研究をめぐって」『岡山大学文学部紀要』(14)1990 
 9914田熊文雄「19世紀前半期プロイセンの営業自由とその諸制限--J.G.ホフマンの<Gewerbe>権限論をめぐって」『岡山大学文学部紀要』(15)1991
 9915田熊文雄「初期ホフマンのツンフト・営業自由論--19世紀初頭プロイセンにおける経済的自由主義をめぐって」『岡山大学文学部紀要』(40)2003
 9916田熊文雄「営業自由」導入後のプロイセンの都市営業制度論(1810-1823)『岡山大学文学部紀要』(17)1995
 9917出口裕子「中世末/近世の宮廷所在都市デュッセルドルフ」『早稲田大学教育学部学術研究. 地理学・歴史学・社会科学編』52 2004
 

2013/01/10

本日の勤務時間中ビラ

 きょう配られていたのは、1/25分会大会12時半、その日の晩の旗開きの通知と、評定開示請求せよというものだった。八日の午前配られてたビラは、11日の晩の新年会会費千円でこちらは、店でやるらしい。新年会を二回もやるんだな。
 本日の産経新聞で12月にミシガン州が全米24番めになったニュースを一ヶ月遅れで伝えている。米国で組合加入の強制禁じる「労働権」導入州相次ぐ、狙いは企業誘致
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130109/amr13010921020009-n1.htm この記事は若干説明不足なところもあるがよくまとまっているので、スクラップしておいた。当ブログでは12/15に書いてます。「ミシガン州が24番目の労働権州Right to Work States になる 反労働組合陣営の大勝利だ」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/right-to-work-s.htmlで取り上げているとおりだ。
 

2013/01/08

入手資料整理94

9877 小笠原浩一「19世紀イギリスにおける労使関係の「組織化」」『土地制度史学』127 1990
9878廣田明「フランス革命以後おける中間集団の再建」『土地制度史学』127 1990
9879荘子邦雄「団体交渉応諾義務と逮捕・監禁事件-大阪高裁昭和五八年五月一〇日を機縁として」『判例時報』1101号148頁
小野田レミコン神戸工場事件 公訴事実要旨 昭和48年11月20日午後3時40分頃「小野レミコン代表取締役Sの『前後左右からその両手足つまんで持ち上げ、同人の身体の自由を拘束して逮捕し、同所から同工場小野レミコン事務所まで二〇メートル連行したうえ、同所で右組合員とともに、同人を取り囲み、同人の着用しているネクタイを引っ張って首を締め、あるいは、同人の頭部、前額部を小突くなどの暴行を加え、『組合つぶしについて釈明しろ』『そろばんの上に座らせるぞ』などこもごも怒号し、さらに三人を同所応接室内に連れ込み、被告人三名において、『社長出荷減らしをしないと約束しろ。』『他へ流ししている注文を○○○に戻せ』と執拗に申し向けるなどし、もって同人を威圧し続け、よって、同日午後七時ころまでの間、約三時間二〇分にわたり、多衆の包囲と威圧により同人の脱出を不能ならしめてその自由を拘束し、同人を不法に監禁した」
 神戸地裁、大阪高裁ともに無罪であり、著者も無罪と言っている。
 神戸地裁(原審)は「連行するについて行使した有形力も‥‥比較的弱い程度のものであり、連行した距離も一二メートルにすぎない」し「この機会を逃せば団体交渉を求めることが著しく困難になるという緊急事態のもので偶発的に発生したやむを得ないものと認められる‥‥労働組合の活動として相当性の範囲を逸脱したものではない」とし大阪高裁は「逮捕罪の構成要件に該当しないことが明白」とする。
 労働法の世界ではこの程度の軽微な有形力の行使は罪にならないようだ。労働基本権とは、逮捕監禁あたりまえの世界。刑事免責だから。公務員に労働基本権付与とは官公労にこのようにして暴れることを認めることになるのである。教職員組合も暴れることになるだろう
 安倍政権は前政権で公務員に争議権付与が持論の渡辺喜美氏を行革担当大臣に起用したこで警戒している。保守派といってもむかしの倉石忠雄元労相みたいに労働組合の言い分をよくきく政治家もいたわけだし。維新のブレーンになっている脱藩官僚も争議権付与したいらしいが、日教組批判をして争議権は付与というのはおかしい。

9880荘子邦雄「公務員の争議行為と違法性-都教組事件および仙台高裁ピケ事件に関する最高裁判決をめぐって-」『判例時報』560
 著者はプロレイバー労働法ほどイデオロギー的でないが多数意見に賛同としているので本件に関する限りプロレイバーとみなす。

 

2013/01/06

入手整理資料93

9870 横浜第二港湾司令部事件 東京高裁昭33・3・31判決『別冊労働法律旬報』№204 1955
(要旨-労働組合は、その所属構成員に対してのみ労働力のコントロールを加えうるものであって、構成員以外にまで強制しえず、組合員の争議権と、非組合員の就業権は対等の立場に立ち、互いに並立する関係にある。ピケットは争議権に基づく争議手段の一つであって、組合の構成員以外の非組合員に対する関係においては本来その就業拒否する根拠はないものであり特にスト破りの雇い入れでなく、真に生活のために就労しようとする非組合員に対しては平和的説得をこえて就労を拒否する事は許されない。両者決裂の後で組合員による「平和的説得」の余地のない状態に立ち至ったむと察せられる状況下で非組合員が混乱に乗じて入場しようとしたからといって、まだピケラインに対する現在の危難があったということはできない)この判例は「非組合員の就業権」に関する参照指示とする。
9871 仁丹体温計山形工場事件 山形地裁昭22・10・23判決『刑事裁判資料』№10
(要旨-非組合に対する業務妨害、本件も非組合員の就業権と組合員の争議権が対等とするものである。「‥‥約三十三名の組合員と諸種の事情から組合への加入を潔しとしない約二十三名の非組合員との二派に分れ、後者は獨自の立場から操業を繼續していたのであり、其の間に所謂爭議破りと見るべきものの生ずる餘地はない、かような情況において非組合員に對する説得が效を奏しないからといって本件のように外部から多数の應援の求め組合員と合して百名を越える多数の威壓を以て非組合員の就業を阻止するが如き手段に出るのは社會通年上到底勞働組合の業務とは認められない。即ち判示業務妨害は爭議行為の適當な限界を逸脱したもので爭議権の濫用に外ならない‥‥」この判例は「非組合員の就業権」に関する参照指示とする。
9872 黒川第二発電所事件 松山地裁昭32・3・2判決
1-121 荘子邦雄『労働刑法』総論 新版1975
第二章に団結・争議に関する刑事立法史の概略あり。英仏米独とわが国である。古い本が多いが参照文献も網羅しているので便利。比較的安い本。

(明文によるピケットの禁止立法である、旧刑法270条と治安警察法17条の意義)

 わが国の最初の争議行為抑圧の立法は明治13年(1880)の旧刑法(太政官布告36号)である。
 270条「農工ノ雇人其雇賃ヲ増サシメ又ハ農工業ノ景況ヲ変セシムル為メ雇主及ヒ他ノ雇人ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ一月以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ三円以上三十円以下ノ罰金ヲ附加ス」
 271条「雇主其雇賃ヲ減シ又ハ農工業ノ景況ヲ変スル為メ雇人及ヒ他ノ雇主ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ亦前条ニ同シ」
 270条は明らかにピケッティングに対処できる条文であり「他ノ雇人ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害」することに処罰を定めているものであるが、1864年フランス刑法を継受したものである。但し著者は言及してないが当時の事情を敷衍と説明を加えると、1864年フランスでは刑法改正により官公吏を除いて罷業を合法化したのである。しかし職業組合の結成は非合法であり、罷業権といってもそれは、解雇を意味する役務賃貸借契約の一方的破棄という自己解雇の集団的同時行使であって、組合が違法である以上争議を指導することも違法である。要するにナポレオン法典(民法)において期間の定めのない役務賃貸借契約は、雇主であれ労働者であれ一方的に契約を解除できる。使用者にとっては解雇自由であることと対等に、労働者が一方的にやめるのも原則的には自由であるがゆえに、個人の権利行使の算術的総和が合法的ストライキとされただけである。雇主にはスト労働者を再雇用しない権利がある一方、1864年刑法はスト労働者による非参加者労働者への強迫、暴力行為、強制などの働きかけを抑止する「労働の自由妨害罪」を設けた。労使とも団結を禁止する1791年ル・シャプリエ法の「労働の自由」の理念に大きな変化はない、個人主義的自由主義、「労働の自由」を保護する市民刑法としての性格を有している。
 そのフランスの「労働の自由妨害罪」を継受したのがわが国の旧刑法で、現行刑法234条の概括的規定(それは条文を統合し適用を拡大させるための趣旨であるから、旧刑法を包含していると解釈される)に改められて今日に至っている。
 旧刑法270~271条は著者も言うように、政府が自覚的に労働運動に対処するために設けられたとは思えない。たんにフランス法を範として継受したものだろう。しかし現実に明治26年大阪天満紡績争議は旧刑法により処罰されたように、争議抑圧の刑事的機能に担った。
 片山潜は、明治30年夏の労働組合期成会の成立を以って近代労働運動の開始としているが、政府が自覚的に労働運動に対処するために設けた最初の刑事的規制は、明治33年(1900)第二次山県有朋内閣時に制定された治安警察法である。山中篤太郎によれば「日清戦後の労働者運動の進展に対する支配階級の反組合意思の表現」とされる。しかし団結そのものを否認するものではなく、労働者の組織活動・団体活動を否認するものである。アメリカ合衆国においても1932年のノリス・ラガーディア法により平穏な組合活動について、レイバーインジャンクションを禁止するまで団結を禁止していないが、団体行動による財産権の侵害、取引の制限、他者の就労権の侵害を違法的に評価していたあり方と類型的には類似しているといえる。
 私は治安警察法17条等を抑圧立法として否定的に評価せず、むしろ市民法秩序維持のための立法と肯定的に評価する。
 治安警察法17条
 左ノ各号ノ目的ヲ以テ他人ニ対シテ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀(ひき)シ又ハ第二号ノ目的ヲ以テ他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコトヲ得ス
一 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ協同ノ行動ヲ為スヘキ団結ニ加入セシメ又ハ其ノ加入ヲ妨クルコト
二 同盟解雇若ハ同盟罷業ヲ遂行スルカ為使用者ヲシテ労務者ヲ解雇セシメ若ハ労務ニ従事スルノ申込ヲ拒絶セシメ又ハ労務者ヲシテ労務ヲ停廃セシメ若ハ労務者トシテ雇傭スルノ申込ヲ拒絶セシムルコト
三 労務ノ条件又ハ報酬ニ関シ相手方ノ承諾ヲ強ユルコト
 耕作ノ目的ニ出ツル土地賃貸借ノ条件ニ関シ承諾ヲ強ユルカ為相手方ニ対シ暴行、脅迫シ若ハ公然誹毀スルコトヲ得ス

 違反した場合は、同法30条により、一月以上六月以下の重禁錮、それに三円以上三十円以下の罰金を付加すると定めた。
 これも明らかにピースフルピケッティングを否認するものである。公然誹毀とは悪口、悪罵を浴びせることであろうし、誘惑とはコモンローでいう契約違反誘引、スト参加を慫慂し説得することをさすとみてよいからである。
 個人が自らの意思により労働力を取引(契約)し、就業することを妨げることは違法とする「経済的自由」「労働の自由」という個人主義的な近代市民法原理に立っている立法である。比較法的にいえば、労働組合を合法化しつつもピースフルピケッティングを実質違法とした、英国の1871年刑事修正法、1875年共謀罪・財産保護法に類比できるが、労働組合の組織的活動が規制されている点、我が国の治安警察法の方が厳しいといえるかもしれない。
 著者はこのほか明治四一年内務省令一六号警察官処罰令一条四号でとくに「故ナク面会ヲ強請シ又は強談威迫ノ行為ヲ為シタル者」を規定し、団交拒否の道を開き、二条三一号が「濫二他人ノ身辺に立塞リ又ハ追随シタル者」の規定は平和的ピケを処罰できるものとしている。このほか各府県警察犯処罰令で労働運動を規制する規定があった。
 治安警察法17条による1914~1926年(13年間)の検挙総数 154件 1162人とされるが。大正デモクラシーの中で問題となり、大正15年(1926)政府としても廃止せざるを得なくなり労働争議調停法を制定した。しかし治安警察法17条の廃止は労働組合、労働運動に対する治安対策の「放棄」ではなく、労働運動の取締りを主たる目的としながらも、形の上では暴力団対策を装い、一般的な取締りを目的とする新たな治安立法が同年制定された。暴力行為等処罰ニ関スル法律(暴処法)であるが、1条1項は、「団体若ハ多衆ノ威力ヲ示シ、団体若ハ多衆ヲ仮装シテ威力ヲ示シ、又ハ兇器ヲ示シ又ハ数人共同シテ、刑法第208条第1項、第222条又ハ第261条ノ罪ヲ犯シタル者」という規定になっている。「暴行行為(1条1項)の刑罰は、「3年以下ノ懲役又ハ500円以下ノ罰金」となっている。
 私は、治安警察法17条・30条の廃止は良くなかったと思う。暴処法は、暴力団対策がメインであるから近代市民法での契約自由・取引自由・労働の自由を保護するという観点が欠落してしまったからである。 
 ところで、著者は、第三章「労働法規範と市民刑法規範とを綜合した全法秩序の見地に立脚して適法か違法かという判断を行わなければならない」128頁というから中道穏健な立場なようだが「社会通念」などの抽象的基準でなく、具体的に違法性を判断する国鉄春闘黒磯事件 宇都宮地判昭41・7・7刑事裁判資料№177のような判例を評価している。結論は「有形力を用い、或いは用いることを告げてその就労行為を強制的に遮断し、もしくは放棄させるは許されない」とするものである。
 
「わが憲法第二八条に定められた勤労者の団体行動権の本質については多くの議論があるがむ、この権利は労働者の集団が個々の労働者と使用者との間の労働力取引を独占的に統制し、使用者またはその団体と対立する独占的な取引単位として共同の取引停止等の集団行動を行う権利と解するのが相当である。‥‥そしてこの団体行動権はもっぱら労働取引の相手方である使用者に対して双方独占取引を展開し、特に罷業によってこれを労働市場から締め出すという特殊な独占活動の権利を含む点で一般の結社権や財産権と本質的に異なる反面、団体行動権の中核はあくまでかような使用者との団体取引停止の権利であって使用者の有形的財産権を侵害しえる権利のごときを当然に包含するものではない。したがってピケッティングの手段についていえば罷業は一般の経済的独占の行為の場合と同様、取引単位の自由な意思による結合を基礎として成り立っている独占活動であり、その意味で経済活動一般の鉄則である意思の自由の原則に服するが故にピケッティングもまたいわゆる平和的説得の限界を出で得ないこととなる。すなわち団結の利益を説き、或いは団結の威力を誇示することによって個々の労働者の内心の動機に対して心理的圧力を及ぼし、罷業への参加もしくは協力を決意させることは正当であるが、有形力を用い、或いは用いるべきことを告げてその就労行為を強制的に遮断し、もしくは放棄させることは許されない。いわんや自己の所属する組合と別個な組合の構成員に対してはもちろん右の説得も許されず、その就労行為を阻止するが如きは論外の不法行為である。‥‥他組合はもとより自己組合むの構成員の就労阻止についてはもっぱら平和的説得に力を致すべく、有形力の行使は裁判所として如何にしてもこれを許容することはできない。‥‥」
 私は市民法原理絶対優位の観点であるから、この判例についても全面的には支持しないがね少なくとも次の点で評価したい。
 プロレイバー労働法学者は団結体の集団意思が、個人の意思を制圧して当然との論理展開をとるが、「経済活動一般の鉄則である意思の自由の原則」という市民法原理の否認は認めないという点で常識に反していないということである。
 
9873西村信雄他『労働基準法論』法律文化社1959 第二章労働契約論150頁本多淳亮執筆部分、就労を希望するがピケを破ってない労働者の賃金請求権の問題
9874全税関懲戒処分事件・神戸地裁昭44.9.24判決『別冊労働法律旬報』№718 1969
 争議行為を理由とする懲戒免職処分を違法としたものだが、最高裁で覆った。全逓東京中郵判決と全農林警職法判決の中間の時期の公務員の争議行為について甘い判決の典型。
 
9875 宮本安美「フランス職業組合に関する一八八四年法の制定過程-下院本会議までを中心として」『法学研究 』37(8), 71-95, 1964

9876毛利健三 書評岡田与好『経済的自由主義-資本主義と自由』『土地制度史学』№121
 

2013/01/03

元フジテレビ女子アナが人身事故のニュースで思いだしたこと

 楽しんごみたいに「チノパン可愛そう」とは書きません。別にファンでもないし、出演者に対して生意気発言で有名なアナだった。正月番組が印象に残っている。お節料理マナー講座の企画があり、最初に箸をつけるのは何が良いかというクイズで、チノパンは「伊勢海老」と答えた。女王様のつもりかと思ったよ。真ん中の一番目立つものから食べるのがマナーなんだとさ。正解は忘れたが、周囲のものからつつましく箸をつけるとのことだったように思う。

入手資料整理92

9857小山敬晴「フランスにおける代表的労働組合概念の変容(1)」『早稲田大学大学院法研論集」
 フランス独特の拡張適用制度の解説。フランスでは1968年まで企業内の組合活動が認められていなかった。

9858深山喜一郎「東京中郵判決から名古屋中郵判決まで-最高裁における官公労働者の労働」『法律時報』49巻9号 1977

9859小林直樹「労働基本権制約の憲法判断-全農林=および全逓名古屋中郵判決-」『法律時報』49巻9号 1977

9860静岡市教組事件 東京高裁昭52・3・15判決『判例時報』851

9861全農林人勧完全実施闘争懲戒処分取消訴訟 東京地裁平元・10・31判決『判例時報』1331号

9862東京中央郵便局職場離脱事件 最高裁大法廷昭41・10・26判決『判例時報』460号

9863片岡曻「争議中の操業について」『ジュリスト』208 1960
スト中の争議権と非組合員の就業権は対等とする判例がある。横浜駐留軍要員労組事件、東京高裁30・3・31別冊旬報204。仁丹体温計山形工場事件山形地裁22・10・23刑資料(刑事裁判資料のことか)10
著者し対等視を批判、参照支持しているのが松岡『条解労基法上』336頁、西村他『労働基準法論』150頁、新聞印刷事件、大阪地裁33・6・15決、労働関係民事裁判例集九3、日本油脂王子工場事件東京地裁24・10・26決 同六

9864塙浩著作集20『ヨーロッパ私法』信山社出版2004

9865福岡県職労(43・44・46年闘争事件)〈付原審〉福岡高裁平3・9・18『労働判例』601号1992 人事院勧告が完全実施されなかったからといって、争議行為を理由とする懲戒処分が憲法違反にはならないとした判例だが、昭和43年、44年、46年の1時間の時限ストにつき、争議の指導・決定・参加等を理由になされた停職、減給、戒告323名の大量処分を有効とした判決である。昭和46年の7月15日の1時間ストについては、3600名の単純参加組合員のうち20名が戒告処分とされているが、それは恣意的選定ではなく腕章や鉢巻をして外来者に争議行為の情宣を内容とするビラを配布していたことから合理的理由があるとして、この戒告処分も有効としているのである。
昭和46年7月15日1時間ストライキの福岡県庁の対応をみると7月13日総務部長名により本庁各課長・各出先機関の長あてに、ストライキに参加することは違法行為であるので、所属職員にかかることがないように、十分指導するよう通達するとともに、所属長から各所属職員に対し、7月15日は午前8時30分までに出勤して職務に従事することを命ずる職務命令を発するよう指示した。
 私の職場ではストが予定されていても8時30分まで出勤するよう職務命令を出されないだけでなく、職員の皆様へという掲示と庁内放送で形式的な示達があるが違法行為だからやろろとは言わないので、福岡県のほうがましな対応といえるだろう。
 
 この事件ではストライキの参加への呼びかけの演説者やピケを張った者は懲戒処分の対象になっている。
 私の職場では、ストライキを決行した場合、懲戒処分となるのは本部中闘と、二年前の12月のスト決行で初めて支部長が訓告処分となっただけであるが、福岡県のように、ストライキの呼びかけの演説者やピケを張ったことで懲戒処分とする例はない。そもそも庁舎構内で・行われる決起集会ですら監視をしていないうえに、ストライキを慫慂するための集会に便宜供与しているわけである。したがって誰が演説して誰が音頭をとったとか記録もしない、はじめから懲戒の対象としない仮にそれを見ても見ないふりをする暗黙の了解がある。この点は本件のように徹底したほうが良いと考える。
 
9866 林 寿二「フランス民法上の組合の結合構造について」『国学院法学』14巻4号1977

9867 全農林(82秋季年末闘争)事件 東京地裁平元・10・31判決 『労働判例』550 1990

9868 小川賢一「労働組合のビラ貼り活動と建造物侵入罪の成否-全逓釜石支部(大槌郵便局)事件(最小二昭58・4・8労判406-24)労判426 1984

9869 神戸税関事件・四国財務局事件 最高裁三小 昭52・12・20判決 労判288 1978
 国家公務員の懲戒処分に関し、懲戒権の根拠、裁量権の範囲について詳しい判断がなされているがゆえに比較的重要な判例。

 公務員の懲戒処分は,労使関係の見地においてでなく、公務員関係の秩序を維持するための制裁とされ、民間企業の企業内秩序維持のための制裁とは,異質のものとして、対内的対外的あらゆる面で「社会観念上」公務員としてふさわしくないすべての行為が懲戒処分の対象とされると『労働判例』は解説している。
 神戸税関事件は全税関が昭和36年10月に、神戸税関本庁舎玄関前で、政暴法反対、賃上げ等を目的として三〇分余りの時間内職場集会を開催したこと、また人員増加要求活動として、折からの繁忙期に超過勤務を拒否して職場大会を開催したこと等の行為が国家公務員法争議行為禁止規定、人事院規則に違反するなどとして指導的役割を果たした組合員らが懲戒免職処分に付されたもので一審(神戸地判昭44・9・24労旬別冊718)二審(大阪高判昭47・2・16労旬806)とも原告の行為は違法行為であるとした者の、懲戒権濫用により無効としていたが、最高裁は「裁判所が右の処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って‥‥軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用したと認める場合に限り違法であると判断すべき」とし結論として本県懲戒免職が社会観念上著しく妥当を欠くものでないとして適法とした。
 税関当局の対応
昭和三六年一〇月四日、神戸税関当局は、組合が発行した同日付のビラに「明日(一〇月五日)八時三〇分から九時一〇分まで早朝屋外職場大会が開かれる。」旨の記載があったので‥‥職場大会があることを知った。‥‥そこで、同日午後五時二二分、総務課長補佐M及び総務係長Hが、組合書記局におもむき,組合支部長である被上告人Kに対し、口頭で「明日九時一〇分まで職大をやるそうですが、九時五分から執務時間ですから執務時間にくい込まないようにして下さい」との税関長の警告を伝達した。ところが、翌五日午前八時四〇分頃本庁舎前で開かれた職場集会は、右の警告を無視して午前九時五分後まで続行される模様であったので、当局は午後九時五分、同集会に参加中の約二〇〇名の職員に対して次のような方法で執務命令を発した。すなわち,本庁舎総務課文書係事務室および別館図書室のいずれも道路に面した窓から、「職場集会に参加中の職員に通知します。勤務時間内の職場集会は業務に支障を来たし、かつ、国家公務員法違反になりますから、直ちに職場において執務して下さい。昭和三六年一〇月五日午前九時五分神戸税関長○○○」と記載した懸垂幕を掲出すると同時に、右各窓ぎわに設置した携帯マイクを使用して、文書係事務室からH総務係長が午前九時一〇分頃まで繰り返し、また図書室から人事係長Fが数回にわたり、それぞれの右懸垂幕の記載事項を放送した。

懲戒処分の根拠について
1 一〇月五日の勤務時間内職場集会および庁内デモ
(1)「『勤務時間内の集会は業務に支障を来たし、かつ、国公法違反になるから直ちに職場で執務して下さい』旨の税関長命令を無視して、被上告人らは、勤務時間内くい込みの集会をつづけた」事実は、国公法九八条一項の「職員は職務を遂行するについて、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない義務に違反するものである。

(2)勤務時間内くい込みの職場集会を企画し、これを指導した事実は、被上告人らも自ら勤務を欠いた点において、国公法一〇一条一項の「職員は勤務時間のすべてをその職責遂行のために用い、政府がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない」義務に違反するとともに、勤務時間中、争議行為を共謀し、あおりそそのかした点すなわち、勤務時間中、組合活動を行った点において、国公法一〇一条一項の「職員は職務上の注意力をすべて職責遂行のために用い、政府がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない」義務に反し、さらに、争議行為の遂行を共謀し、あおりそそのかした結果、職員をして勤務を欠くに至らしめた点において、人事院規則一四-一第三項後段の「職員は手段のいかんを問わず、これらの行為(組合活動)によって、勤務時間中における他の職員の勤務を妨げてはならない」義務に反するものである。
(3)庁内デモを企画し、これに参加した事実は、被上告人らをも勤務を欠き、勤務時間内に組合活動を行い、さらに勤務時間中のデモ参加が職員および税関長等の管理職員の勤務を妨げた点において、前記(2)同様、国公法一〇一条一項、人事院規則一四-一第三項後段に違反するものである。
(4)そしてこれらの行為は‥‥国公法八二条一号に該当するととともに、これらの行為が国公法違反の行為であるという点、殊に庁内デモは労働組合法の下でも正当性を欠く争議行為であるという点から、国公法八二条三項の「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行があった場合」に該当するものである。
3 一一月一日の為替課における超勤拒否の勧しょう
 為替課の職員に超勤拒否を勧しょうしたこと(争議行為のそそのかし、あおりに該当し、組合活動である。)により職員が勤務を欠き、あるいは仕事がおくれるにいたったことは人事院規則一四-一第三項後段の「職員は手段のいかんをとわず、これらの行為(組合活動)によって、勤務時間中における他の職員の勤務をさまたげてはならない」義務に反し、国公法八二条一、三号に該当するものである。
4 一一月二日の為替課における課長指示不服従、怠業の勧しょう(以下略)
5 一一月二日の鑑査部第一部門における行為
 M鑑査部長をとりかこみ、同部長を怒号したり、つきまとったりしたこと(組合活動に該当する。)によって、室内は騒然となり職員の仕事はとまってしまった点において、人事院規則一四-一第三項後段の「組合活動によって、勤務中における他の職員の勤務をさまたげてはならない」義務に反し国公法八二条一、三号に該当するものである。

6 一二月二日の行為
 超勤命令の集団撤回提出の勧しょう(以下略)

 四国財務局事件は、全財務労組四国地本の組合役員らが、当局側の勤務評定実施に反対し、組合員たる第一次評定者(係長)の勤務状況報告書を組合側に預けるよう説得して収集したり、当局側の制止に反して業務を妨害した行為等が国公法一〇一条一項、人事院規則一四-一第三項、国公法九八条五項等にあたるとして同法八二条一号、二号により懲戒免職処分に付されたもので、一審(高松地判昭41・6・24訴務月報一二-一〇)は右処分を適法としたが、二審(高松高判昭46・12・13労旬806)は懲戒権濫用により取消した。最高裁は神戸税関事件り判旨を引用したうえ、結論的に本件処分は懲戒権濫用にあたらないとしている。

 私の職場では非行というと、汚職、飲酒運転、無免許運転、セクハラなどを指し、正当でない組合活動は全く問題にならないのは明らかに片手落ちである。汚職非行防止研修など行っているがそれは、汚職、セクハラ、個人情報保護に反する行為、飲酒事故の防止のためのものである。しかし、争議行為も国公法で違法としている以上、また労働組合法でも正当とされない組合活動を行ったことも非行なのであるということを上記の判例は示している

2013/01/02

入手資料整理91

1-120田辺公二『同盟罷業権について』司法研修所(司法研究報告書第7輯4号)1960
薄っぺらいのに1万5千円は高かったが英米法の理論がよく整理されている業績という評判で岡山の古本屋から購入。地方公務員も国家公務員並みに賃下げしてもらうと麻生財務大臣が言っているのでビールを飲むのやめて節約するつもりだが、価値のある本は買う。

9833荘子邦雄「ピケットと威力妨害罪の成否」『日本労働協会雑誌』 7(2) 1965

この論文についてのコメント

(荘子邦雄-刑法学者・東北大学名誉教授-の威力業務妨害罪=1864年フランス修正刑法労働の自由妨害罪継受説の意義について)

1.昭和29年労働次官通達をどう評価すべきか

 ピケッティングに関する議論が活発だったのは、労働次官通達「労働関係における不法な実力の行使の防止について」(労働省発41号・昭和29・11『ジュリスト』71号収録)の前後、昭和20年代後半から30年代前半であった。
 労働次官通達は、組合の統制力理論を援用し、組合員にのみ組合の統制力が及ぶが「労働組合の団結は、組合員の自発的意思に基礎をおく」ので「団結を離脱しようとする者を(そのことの善悪ははともあれ)暴行、脅迫等によってその意に反してこれを阻止することはできない」。組合の統制力の範囲外にある非組合員には、理解と協力を要請するにとどまる。つまりいずれの場合も「説得又は団結力の誇示の範囲を越えた」ピケットは正当でない。という団結力の誇示を含む平和的説得論を展開した。(香川孝三 「文献研究・日本の労働法学(8)ピケッティング」」『 季刊労働法 』 (通号 89) [1973.09.00]  )
 これはプロレイバー労働法学の実力行使を正当化する学説を否認するためのものである。

(1)ピースフルでない団結力の誇示=マスピケッティング容認の野蛮性

ア ピースフルピケッティングも本来は不法

 本論に入る前に私自身の本心を述べよう。プロレイバーとは逆の意味で判例や労働次官通達について懐疑的である。
 「平和的説得」論というのがくせものなのである。
 そもそも英米法圏では、労務放棄行為を指示する「説得」それ自体が、契約違反誘致の法理により不法行為の損害賠償の責任を負い、又は差止命令を発せられるものとされていた。(英国1896年リヨンズ対ウィルキンス判決は「仕事をしないように人々を説得する目的でなされたピケッティングは、単に情報の取得または交換と見なされないものと考えられるべきで、1875年法に反し違法である」とした。英国1901年タフヴェイル判決は 刑事免責によりストライキを合法化したとされる1875年共謀罪・財産保護法の下においても7条但し書きの解釈により、説得をともなうピケッティングが契約違反誘致として不法行為とされ、全国から募集した新規雇用代替労働者の「スト破り」の導入も従来どおり承認されたうえ、さらに組合基金よりストライキがもたらした損害賠償請求が可能となり、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。)本来的には「説得」それ自体も違法である。
 英国では1871年に営業(取引)制限の法理による起訴をできないものとして労働組合を世界で初めて事実上合法化し、1875年刑事共謀罪からも免責したが、1906年の労働争議法による民事免責・不法行為免責が定められるまで説得を伴うピースフルピケッティングは違法だったのだ。
 契約違反誘致の法理以外でも19世紀のアール卿のように他人の権利を侵害するコンスピラシー(共謀法理)としてピースフルピケッティングを違法とする理論もある。
 ピケッティングの本質が恐喝による集団意思による個人意思の制圧にあり、他人の権利への干渉にほかならないから、ピケッティングは必然的に脅迫となる性質のものであるから裁判所が厳しい目を向けるのは当然のことだった。
 そもそも「ピケット」という言葉そのものが「戦争用語から借りて来られたものであり、労働組合が苦情を抱いている相手方に対する敵対的態度を強度に示すもの」である。したがって「平和的ピケットなるものは存在しないし、又存在し得ない。丁度高雅な卑俗とか、平和的暴動とか、合法的私刑とがあり得ないのと同様である」Atchison.T.and S.F.Ry.Co,V.Gee,139 Fecl;582,584(Cir.CT.Iowa,1905.)「ピケ・ラインをはることは必然的に身体に対する侵害を含み、それが適法な争議の目的のため行われても違法である」(マサチューセッツ州最高裁)(古西 信夫「英米のピケッティング」『立正法学』 7(1~4) [1974.03.00] )といった見解が20世紀初期まで一般的な見解だった。
 私は個人主義的自由主義の立場から共謀法理、取引制限の法理、契約違反誘致の法理、労働の自由の理念、そのすべてを支持するから、1906年以前のあり方が最も望ましいと考えるので、「平和的説得」論も本心は反対であることを予め述べておく。

イ 英米では大量動員ピケッティングは違法

 さらに重要な問題は、我が国においては「平和的説得」が弾力的に幅広く解釈され、これは当時の判例にもみられたことであり、労働次官通達もそうであるが「団結力の誇示=集団的示威」事実上のマスピケッティングを是認していることである。
 つまり労働次官通達は「我が国においては、事業場の出入り口付近に多数の者が集合していること自体はピケットは違法にはならない」とするのである。
 しかし、英米で大量動員ピケは威嚇的効果を与えるため不法であるとされたり、制定法の行為準則により、人数が限定され認められていない。
 マスピケッティング自体がピースフルでないからである。ピースフルでない行為をみとめているのは重大な問題であり、威嚇的効果を高めるマスピケを是認しているということは非常に労働組合に有利なあり方といえるのである。
 スクラムについても、説得のために立ち止まらせる行為であり「平和的説得」の手段とみなすような学説すらあるのであり、本来ピースフルでないものまで「平和的説得」範疇に含める操作がなされる傾向が強い。

 欧米では工場入口に密集し気勢を上げるマスピケッティング(大量動員ピケ)には強い警戒感がもたれるのが普通である・ 
 一般論としていえば、コモンローの民事共謀法理には「集団化による違法」原理がある。「結合は、その害を与える力がより大きな故に不法とされる」の法理ともいう。単独になされれば適法な行為が、多数によってなされるときとき特別の免責事由の存在が実証されない限り原則として違法とされる法理である。(田辺公二『同盟罷業権について』78頁)
 民事共謀三部作として知られるA.C.I,Quinn v.Leathem(1901)[クイン対リーザム事件判決]は二次的ボイコットの事件であるが、「一人が単独ですれば何ら違法でない取引停止の行為も多数でおこなえば違法となりうる」ということをはっきり宣言した。リンドレー卿は言う「一ではそのおそれがないのに、数は困惑を生じさせ、強制を及ぼす」プランプトン卿は言う「薬の一粒、火薬の一粒は無害であっても、多量の服薬や一ポンドの火薬し致死量となり、恐るべき破壊力を持つ」。
 次のような理由づけ(法諺)もある「団体的行動は必然的に暴力的(強要的)である」「団体的行動は、それ自体ニューサンスをを構成する」「団体的行動は悪意の存否を証明する」。(田辺公二前掲書80頁)これらの法諺は当然ピケッティングにもあてはまるはずである。
 
 実際、英米においては争議権が認容される前の時代はもちろん、現代においても、大量動員ピケッティングは違法と評価され差止命令が発出されのである。

(争議権が確立されていない時期)

 英国で労働組合が合法化された後の1875年共謀罪財産保護法第7条においては、二人または二人以上の者とともに街路もしくは道路において不穏な状態でその者を尾行することを違法としており、単に情報を授受する目的以外の監視、包囲を違法としているから、大量動員ピケが違法であることは明らかである。なおヨーロッパのピケッティングは人を取り囲むやり方である。包囲は違法と明確に述べている。

 米国のコモンローではあらゆるピケッティングが、目的・態様のいかんを問わず不法行為として違法視されていた。ピケッティングをを抑止する重要な手段となったのがレイバー・インジャンクションである。裁判所による差止命令であり財産権の侵害が前提となる。財産とは実体のある物だけではなく、営業行為、事業運営それ自体が財産権とされたため、事業の持続的運営への干渉も不法侵入とされたのである。差止命令は陪審員の審議もなく容易であり、従わなければ法廷侮辱罪となる。1980年から1930年の間に全米では少なく見積もっても4300の差止め命令が発出された。1920年代には全ストライキの25%に対して命令が出された。(竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢・山田編『権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年)
 アメリカの裁判所は労働組合に敵対的であったために、ウィルソン大統領時代の1914年クレイトン法では第20条で「裁判所は雇用者の財産あるいは財産権に弁償不可能な損害が及ぶことを防止する以外は、雇用者と被傭者の間の争議について、この条文に列挙された平和的・合法的な行動に対してインジャンクションを発することはできない」と規定し、平和的組合活動を容認する目的の立法政策もとられた。しかし、それを裁判所が実質無効化したのである。1921年の連邦最高裁アメリカン・スチール・ファンダリーズ対三都市労働評議会判決AMERICAN STEEL FOUNDRIES v. TRI-CITY CENTRAL TRADES COUNCIL, 257 U.S. 184 (1921)  では、何が「平和的」「合法的」かは裁判所が判断する事柄として、出入口に2人以上のピケを違法とし、1人だけでも悪口・脅迫・つきまといは違法とする厳しい判決を下しいる。ウィリアム.H.タフト主席判事による法廷意見は「グループでやるピケットの人数が脅迫を構成する。ピケットという言葉そのものが戦争的目的を含んでいて平穏の説得とは両立しがたいのである。」と述べた。(有泉亨「物語労働法第11話レイバー・インジャンクション(2)『法学セミナー』188号 1971)
 タフトは大統領として所得税課税を認める憲法16条を通過させるなど革新主義的な側面もある政治家であるが、最高裁長官としては労働組合の争議行為に対して一貫して厳しい司法判断を下している。1921年ツルアックス対コリガン事件TRUAX V. CORRIGAN, 257 U. S. 312 (1921) http://supreme.justia.com/us/257/312/case.htmlは、1913年アリゾナ州法は、労働者が雇用者に対して平和的に争議を構える場合、雇用者が差止命令を要求してもれそれを認めないとした反インジャンクション法を違憲としたのである。事案は従業員組合が、レストラン前でピケットを張るほか、レストランの利用を避けるように周辺住民に訴えかけるボイコット戦術をとった行為だった。タフト主席判事による法廷意見は「原告の営業は財産権であり、被用者、所有主、顧客が彼の営業所に自由に接近するのはこの権利に付随する権利である。この権利のいずれか一方、或いは両方に、共謀によって故意の損害を与えれば、それは不法行為である。‥‥このような違法行為を合法とする法律は営業所の所有者から正当な手続を経ずして財産を奪うものであり、修正十四条によれば、これを有効な法律とすることができない」(中島陽子3837)とした。
 米国で平穏な組意活動を合法化したのは大恐慌以降のことである1932年ノリス・ラガーディア法以降のりことである。しかしコモンローは勢力をふるっていたためピケッティングの制限立法がなされた。その一つがアラバマ州法であるが、1940年連邦最高裁ソーンヒル対アラバマ判決が、ピケッティングを無差別の禁止する州法が言論の自由を侵害するとして違憲判決を下し、ピケも言論の自由として憲法上の保護を受けることとなった。しかしそれは平穏な態様についてであり、ピースフルでない手段のピケを保護するものではない。

(現代においても大量動員ピケッティングは違法)

 以上は争議権が認容される以前の裁判所の判断である。しかし現代においても、下記のとおり大量動員ピケッティングは英米いずれも違法(不法)と評価され、差止命令が発出されるのである。

 英国では、サッチャー政権の1980年雇用法において、ピケッティングの不法行為免責の範囲を限定した。大量動員ピケッティング、その職場でない者の参加等を禁止しており、行為準則において出入口6人以下としたうえ「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようににおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。」と定めた。(小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11)と規定し、非組合員であれ、組合員であれピケラインを越える自由を明文化している。違法ピケットは差止請求と損害賠償請求ができ、大量動員ピケや「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)の存在が有る場合に警察介入、差止命令の対象となることは1984年の炭鉱スト以来確立していることである。その後も大きなストライキが何回かあったが、違法ピケッティングに警察介入を可能としたので、70年代の不満の冬のような社会を混乱させる事態にはいたらずにすんでいる。
 20世紀最長の石炭公社の合理化計画に反対するイギリス炭坑ストUK miners' strike (1984.3.12–1985.3.5)における全国炭坑夫労組National Union of Mineworkersの敗北は英国における労働組合退潮の潮目となる大きな事件だった。組合は何の成果も得ることなく、ストを収拾せざるをえなくなった。大規模な警察介入があり、スト約1年間の逮捕者は、イングランド・ウェールズで9808人、うち起訴された者7917人、スコットランドでは起訴1483人だった。(松村高夫「イギリス炭坑ストにみる警備・弾圧態勢(1984-85年)」『大原社会問題研究所雑誌』通号390 1991 )。死者は3名であり、ピケ隊が2人、1人はタクシーで通勤するスト反対派組合員の就労阻止のため岩が落とされて犠牲になっている。違法ピケ隊と警官隊の攻防の山場は、1984年5月29日と6月18日、ヨークシャーのオーグリーブ・コークス工場におけるコークス輸送阻止闘争だった。6月18日には6000~7000人のピケ隊と警察隊が激しく衝突、投石、3台の車に放火がなされ、逮捕者93人、負傷者80人(うち警官28人)を出したが、警察指揮官が「ひとりの死者も出なかったは奇跡である」と語った。
 大規模な警察介入は、1974年のヒース政権を打倒した炭鉱スト組合側勝利で大きな武器となっフライングピケット(よその職場の者を召集する大量動員ピケ)と二次的争議行為(同情スト)を違法としたことによるところが大きい。大量動員ピケは政府を打倒するほどの威力があったである。スト突入から9ヶ月近く経過した時点でスト参加者12万3000人に対して、就労組合員が6万3000人いた。このうち5万人近くは当初からストに反対の組合員である。(内藤則邦「イギリスの炭鉱ストライキ」『日本労働協会雑誌 』27(2) 1985.02)組合の長期ストの狙いは冬場になれば発電所の貯炭が不足し、1974年のように停電が頻発して、石炭公社は譲歩せざるをえなくなるというシナリオだったが、ヒース政権の失敗の教訓からサッチャー政権は十分な貯炭により周到な準備があったうえ、違法ピケッティングへの警察介入により、優良炭鉱のノッティンガムシャーなどスト反対派組合員の操業を確保したことが電力危機に至らずにすむ最大の決め手となり、結果サッチャー政権の勝利となった。。
 この教訓からすれば治安対策上、大量動員ピケの抑止立法のない我が国は異常である。危機管理もできない国家というに等しい。
 さらに、1988年雇用法において1984年労組法および88年雇用法の規定している厳しいスト賛成投票実施要件を適正にクリヤーして多数の賛成を取得し、ストに入ろうとするとき、そのストに参加することを拒否する組合員がいても、彼らを統制違反として制裁の対象としてはいけないとした。この立法の思想は、それに参加するか、しないかの決定権は労働組合によりも組合員にあると考えるべきである。つまり労働組合の団結する権利よりも個人の自由な決定権が優越的価値をもつものだというもので、団結とは個人の権利の総和であるとの考え方による。(渡辺章「イギリスの労働法制とその変遷(講苑)」『中央労働時報』804号 1990 )
 米国では1947年タフト・ハートレー法が「団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表者を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」を定めた1935年ワグナー法を修正し、「それらの行動のいずれかを、またはいずれも行わない権利を有する」(7条) と定め、消極的団結権、団体行動を行わない権利を労働者に付与し、強要すれば不当労働行為とした。したがって組合の統制によって就労阻止はできない。ストの参加不参加は集団意思より個人の意思が決定するものとされているのは、英国の1988年法と同じことである。
 橋本武人(9836)によれば、米国において「集団的ピケは、それが威嚇的効果を与えるという理由で不法である。‥‥群集が大きな集団を作り、又は歩道や職場の入口がピケ隊員によって取り囲まれ、或いは歩道に立ち塞がって妨害がなされる場合はもはや平和的とは言い得ない。又、組合員やゆその同調者が職場の前にブラつく事も平和的でない。‥‥一組の監視隊がそれがたとえ二名だけの場合においても黙示的な力、脅迫または威嚇が用いられたとい立証があれば禁止命令が発せられた実例がある‥‥多数の組合員がつめた間隔に並んで使用者の店舗の入口を往ったり来たりする場合や、又その入口近くまで入店を妨害する様な場合にはそのピケは平和的ではない。‥‥裁判所はピケが多数のピケ隊によってなされている時は、その数に干渉し、制限することができるとされている。ピケが張られた職場がただ一つしか出入口を持たない場合にはピケ隊員の数を四名迄に制限する禁止命令が違法な命令でないとする判例がある」と述べている。
 近年の大きなストライキの事例として2011年8月に2週間のストライキがに通信大手のベライゾン固定電話部の全米通信労働組合(CWA)と国際電気工友愛組合(IBEW)計4万5千人によってなされたが、『ボストングローブ』によるとマサチューセッツの裁判所は物理的な妨害、脅迫、強制、暴力または暴力の脅威を禁止したが、会社側の求めたトラックとの一定の距離は認められなかった。会社側は非組合管理職が嫌がらせと脅迫と危険にさらされていると主張していた。
 ニューヨーク、デラウェア州、ニュージャージー州とペンシルベニア州の裁判所でIBEWとCWAに対して差止命令を発出している。これらの州はマサチューセッツより厳しく、ビケ隊の人数を制限し、組合員が働いている従業員の職務を妨害するための脅迫や嫌がらせを禁止している。
 
 以上みてきたように、平穏なピケッティングが合法化された後、マスピケッティングは英国では放任されていた時代もあるが、1980年より違法であり、米国は当初より裁判所が不法と判断している。また英米とも組合の統制いかんにかかわらず組合がストに参加しない権利法律で明文化している。したがって、我が国の1954年の労働次官通達というものは、平和的説得論とされるが弾力的に幅広く解釈しており、現代の労使関係を比較法的にみて、マスピケッティングの是認と、組合員について組合の決議と統制を重くみている点で、それでもかなり労働組合に有利な内容であって批判的にみておく必要があるというのが私の本心である。 
 集団示威の是認は、日本国憲法28条が団体行動権を明文で規定していることと関連しているだろう。しかし、先進国の水準では大量動員ピケ容認は法治国家としては適切なものではない野蛮なことがらだ。
 日本国憲法は市民法秩序に反する規定を置いている致命的な欠陥があるものと認識しなければならない。
 少なくとも、労働次官通達は現代的水準に改定が必要であり、マスピケッティングの規制と組合員であっても決議に従わずストに参加しない権利は労働の自由の復権という観点から盛り込む必要があると考える。しかしそのために、「労働の自由」を主張するためは実定法上の根拠が必要に思えた。本論文でフランス法を継受した刑法に根拠を求めることができることがわかった。

(2)終局的な就労阻止を認めない点において、プロレイバー学説を排除した点は意義を認める

 にもかかわらず、労働次官通達は、ストを破る労働者に対して実力行使を正当化するプロレイバー学説を排除した点と、非組合員には組合の統制が及ばないとした点でも一定の意義を認めることができる。

 我が国の戦後プロレイバー労働法学は、階級的ミリバントな労働組合運動を支援し、労働基本権を確立するというイデオロギー的立場をとり、社会的基本権により市民法原理による法秩序は質的に転換されたと説き、労働基本権は他者の財産権や所有権を制約し、組織強制により労働の自由の侵害を正当化する権利として把握され、集団意思による個人の自由を制圧することが憲法上の権利だという世界的にも類例がないような悪質な学説を流布させた。これは法解釈というよりかれらのの政策の表明にほかならない。労働法学者の大多数が濃淡の差はあるもののこのような立場に立っており、労働法学者の多くを信用できないのはそのためである。
 したがって、かれらは労働の自由の侵害ともいえる。ピケッティングの実力行使も当然のように正当化するのである。
 
 前掲香川論文が、主なプロレイバー学者の見解を要約しているので、一部を引用する。

対象の区別なく実力阻止や説得の限界を超えるスクラムを正当とするプロレイバー

沼田稲次郎『団結権擁護論』昭和27年「争議権の本質とピケッティングの法理」有泉・沼田・峯村編『労働争議』昭和29年

「‥‥労働者の生存を守る争議においてはストライキを守ることは労働者全体の利益になるから、第二組合や外部労働者によるストライキは階級的裏切りであり、争議中の組合脱退者は組合脱退の自由り濫用を行使し、他の労働者の争議権、団結権を侵害しており、スクラムによる就労阻止は正当である。この考えをさにに発展させると、ピケライン尊重が労働者階級の支配的な規範意識から「在る規範」となり、ピケの対象による区別なくスト破り労働者に対する実力行使は正当になる。

要するに階級的裏切りであるスト破り労働者への実力阻止は正当でありやっつけろというものである。労働者は労働組合により階級的連帯規範なるものを強要されなければならないと全体主義的な思想といえる。

熊倉武「ピケッティングをめぐる刑法犯罪」『季刊労働法』36号 1960

「‥‥組織階級的連帯を裏切る者に対する実力行使による就労阻止をみとめる。‥‥刑事責任に対して『ピケは原則として正当な行為』であり、『ブルジョア市民法原理のうえにたって、抽象的・一般的個人法益の平均的保護を機能とする刑法の犯罪的思考を容れる余地はない』として、労働法規範の優位性を強調」

野村平爾「ピケッティングの正当性の限界」『早稲田法学』31巻3.4号1956

「ピケッティングは『スト破りからストライキの効果を守るために行われる』その『ピケッティングの正当性は、労働組合という階級的な労働者の団結体が持つところの、労働者に対する強制力として是認される」‥‥スト破り労働者に対しては「説得の限界をこえていても。防衛的な意味を持つをもつスクラム」は正当」‥‥ピケの対象による区分は「スト破りであればいいのであって、それがストライキを行っている組合に所属する組合員であろうと、ストライキ中に脱退した脱退組合員であろうと、未組織労働者であろうと区別はない」

 このように、プロレーバーは労働組合の集団意思によって個人の意思は制圧されなければならないと説き、労働組合に強制力を付与し、実力による就労阻止を是認するのである。労働者に人格自由を認めない。労働者は階級的連帯規範(ストライキ防衛)に拘束されなければならず、脱落者に対しては実力による自力救済を容認する。個人主義的契約概念と意思自治を原理とする近代市民法秩序に挑戦するものであり正反対の悪質な思想と評価できるだろう。
 むしろ集団意思によって自力救済による他者の権利侵害を正当化するのは「打ちこわし」「村八分」といった前近代の風習に接近しているといえるだろう。

 大多数の労働法学者は、プロレイバーであり、実力行使を好んでおり、労働事務次官通達を批判するのである。プロレイバーの実力行使容認論を批判し労働事務次官通達を支持する学者は少数にとどまる。

2.威力業務妨害罪は市民法上の「労働の自由」を保護しており争議行為の限界を定めているという荘子説

 ピケッティングにおいて実力行使を容認する悪質なプロレイバー学説が多数説である戦後労働法学の異常な状況において荘子邦雄説は刑法学者であるが「労働の自由」の観点から争議行為には限界があること明確に論じた点で高く評価したい。

 いわく「刑法二三四条の威力業務妨害罪の規定は、市民法の上から争議行為の限界をさだめた規定であり‥‥特に労働の自由を保護するためにつくられた規定である。この規定のみなもとは労働争議の禁圧の規定たる一八六四年のフランス刑法、さらには、ル・シャブリエ法までもさかのぼる。‥‥威力業務妨害罪の規定が存在している限り市民法上の労働の自由は保護されている。‥‥‥刑罰によって威力業務妨害罪の規定をの存在を前提に考えるときには、ピケット権にもとづいて「終局的に」就労を阻止することはみとめられていないと考えなければならない。昭和三十一年十二月十一日の最高裁判決がピケット権の限度を平和的説得にとどめたことは、刑法第二三四条の存在をとく考慮しはたものといえよう‥‥」と述べる。

 さらに、労働法と市民法の対比についても、刑罰による保護という法構造を無視して市民法上の権利の後退を認められない述べ、ピケット権に弾力的な解釈を要求できないと断じ、名指しこそないももの、市民法上の権利を無視して、団結権・団体行動権を優越させるプロレイバー労働法学を批判する内容になっている。

 ポイントは刑法第234条威力業務妨害罪が、はじめから争議行為を予定して定められたものだという法制定の経緯である。なぜならば威力業務妨害罪の現行規定は旧刑法(明治13年太政官布告36号)第267条~第271条とくに第270条、第271条を整理統合したものであるが、それは第二帝政後期の1864年修正フランス刑法第414条~416条の「労働争議禁圧の規定」を参照して制定されたものだからであると著者は言っている。
 その規定は1810年刑法(ナポレオン法典)に遡ることができる。それは労使団結を禁止した1791年のル・シャブリエ法の「労働の自由」の理念に基づいたものであったと著者は言う。。
 著者は威力業務妨害罪は本質的には自由意思による個人契約の妨げとなるものはしりぞけられなければならないというフランス革命直後の支配的価値観であるル・シャブリエ法の理念に基づくものとして次のように言う
「労働の自由の理念は労使双方にとって尊重されなければならない。団結することによって団体意思のもとには個人意思を圧迫することは許されないというのである。労働者の団結ないし団体行動は使用者の自由をうばうばかりでなしに、労働者を団体意思に服さしめることによって労働者の自由をうばうと考えた。相手の自由意思を制圧して就労を阻止する威力業務妨害が処罰の対象となったことは当然である」

 なお、フランスにおいて労働組合が承認され、個人主義的自由主義が明らかに変質するに至ったのは、第三共和政の1884年であり、ル・シャブリエ法と刑法416条の労働の自由妨害罪が廃止され組織強制機能も承認された。刑法291条以下の結社自由禁止規定は1901年ので廃止されなかったが、労働組合が適用除外とされたのである。
 したがって、我が刑法は、ル・シャブリエ法が生きており、労働組合が非合法だった時代のフランス法を母法としているから、著者の上記の見解は大筋で間違ってはいない。

 著者は継受という言葉こそ使ってないが、我が刑法の威力業務妨害罪は、労使の団結を禁止したル・シャブリエ法が生きていた労働組合非合法時代のフランス法(ナポレオン法典に遡る市民法刑法)を継受したものであり、自由主義的個人主義に基づく労働の自由のためのものであるということである。端的にいえばこれは労働争議における就労妨害を処罰することが主目的の一つの法なのである。

 ただし、1864法の説明にこの論文は若干難があるように思え、この点検証が必要に思えた。。この論文では詳しくふれてないが、私なりに敷衍すると旧刑法が直接モデルとした、1964年修正刑法は労働組合に非合法であるが個人の自由の算術的総和としてのストライキを容認するものであったという意味で、完全な団結禁止体制とはいえない。とはいえ合法化されたストライキは、組合が指導するものではなく、自己解雇の集団による同時行使の範疇にすぎないから、争議行為に限界があるのは明らかであるから、この時代の法を継受した我が刑法が「争議恋の限界を定めたもの」とするのは妥当なものであり、この点については問題ないと考える。い。
 つまり期間の定めなくなされる役務の賃貸借は、契約当事者の一方の意思により何時でも終了されうるというフランス民法の趣旨からすれば、使用者が解雇自由であるのと対等に、被用者が一方的にやめるのも基本的には自由といえる。
 もちろんストライキは自己解雇を意味するから(1950年までフランスではストは契約終了を意味した)、ストライキに勝利して再雇用されるか否かは賭けになる。一方的に期間の定めのない契約を終了させるという個人の行為の総和として、意に沿わない労働を離れる個人の行為の同時的行使と観念される限りにおいての集団的労務提供拒否は、労働の自由に反しないものとして容認されたということである。
 言い換えれば、組合の組織するストライキは承認されず、集団意思を他者に強要する積極的な争議権は認められていない。。
 山口俊夫『概説フランス法下』359頁によれば1864年法は「団結罪」を廃止したが、「労働の自由妨害罪」を設けたと説明している。とくにスト労働者による非参加者労働者への強迫、暴力行為、強制などの働きかけを抑止するものである。
 
 要するに我が国の旧刑法第270条、第271条はフランス刑法の「労働の自由妨害罪」を母法としているということである。著者が言うように「市民法のうえから争議行為の限界を定めた規定」であるという性格を明確に有しているといえる。

 わが刑法が革命期及び19世紀フランスの「労働の自由」理念を継受していることは明白であり、われわれは刑法にもとづいて他者により就労を妨げられない「労働の自由」の権利を主張することが可能だというのは重要な発見であった。
 1884年フランス刑法416条労働の自由妨害罪は廃止され、労働組合が合法化する。そのとき議会審議で激しい議論があり、416条維持派の中心人物がマルセル・バルトであった。かれは、「ある者の労働を妨害すること、それは濫用、しかも許しがたい濫用である」と述べた。にもかかわらずフランスは「労働の自由」という市民革命期の重要な成果の旗を降ろしてしまった。
 しかし、それによって「労働の自由」が死んだのではなかったのである。我が刑法はフランス刑法労働の自由妨害罪を継受し、現代も生きている。我々は最後まで「労働の自由」を擁護したマルセル・バルトと同じ主張ができるのであるから、その志を継ぐべきであろう。

 もっとも現行の威力業務妨害罪は「威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による」という概括的規定になっているが、それは旧刑法の趣旨を薄くするものでは全くない。明治40年の刑法改正政府提案書によると、改正の理由は適用範囲の拡大と、条文の統合にあった。「人ノ信用ヲ毀損」したり「業務ヲ妨害」したりする「一切ノ場合二応スル」ことがができるように概括的規定としたのである。改正理由書によれば適用範囲が拡大することこそあれ、縮小したものではないと著者は明快に述べている。
 さらに著者は重要なことを言っている。「人の業務を妨害」の「人」には使用者と労働者の区別はないということである。
 それは刑法199条「人ヲ殺シタル者ハ死刑又は無期若シクハ三年以上ノ懲役」の「人」に使用者と労働者の区別はないことと同じである。
 著者によれば「規定のうえからは、労働者と使用者との間に差別的な取扱いをするをする根拠をみとめることはできない」「刑法二三四条が労働者と使用者の区別なしに労働の自由をおかした者を処罰する規定をもうけた」というのである。したがって、これは労働者の就労の自由つまり「スト破り」も使用者の操業の自由、営業の自由をも保護するものなのだと理解するほかない。自由と平等を理念とするフランス法の継受であるからそれは当然のことである。。

 ところで、日本国憲法は、そのような市民法原理にもとづく個別的な「労働の自由」を保障するといえるのだろうか。一般には、一応憲法29条の財産権、もしくは憲法27条の勤労権によって保障されているものと解されてもいる。
 しかし一方で憲法28条の団結権ないし団体行動権は逆に個別的労働の自由の否定を本質的に含むものとして把握され、統制的独占的な集団的労働力取引及び停止の権利とされる(1-120田辺公二 123頁)。日本国憲法は明らかに矛盾を内包している。えるのである。
 
 しかしながら、少なくともピケッティングに関していえば市民法秩序と労働基本権を対比するとき、著者がいうように、やはり全体の法秩序は市民法上の権利に優越的な地位をもたせているとみるべきだろう。
 財産権・所有権・取引の自由は労働基本権によって制約されるものとしてその侵害を是認し、労働者は階級的連帯規範のもとに就労の自由を否定する。階級的団結体の集団意思が個人意思を制圧すると主張するプロレイバーの考え方は到底受容できるものではなくしイデオロギー上の敵といわなければならない。
 具体的に判例の検討は別途行うものとする。

参考
 
○旧刑法(明治13年太政官布告36号)第二編第八章 商業及ヒ農工ノ業ヲ妨害スル罪

270条農工ノ雇人其雇賃ヲ増サシメ又ハ農工業ノ景況ヲ変セシムル為メ雇主及ヒ他ノ雇人ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ一月以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ三円以上三十円以下ノ罰金ヲ附加ス
271条 雇主其雇賃ヲ減シ又ハ農工業ノ景況ヲ変スル為メ雇人及ヒ他ノ雇主ニ対シ偽計威力ヲ以テ妨害ヲ為シタル者ハ亦前条ニ同シ

1864年修正フランス刑法(我が国の威力業務妨害罪の母法)

414条 暴行、脅迫、偽計ヲ以テ強テ工丁ノ雇賃ヲ昻低セント為スタメ又ハ、製造、工作ヲ自由二行フ妨ヲ為スタメ一時二製造、工作ヲ停止セシメ或ハ停止セシメント試ミ為シ又ハ其停止ヲ久シカラシメント試ミ為シタル者ハ六日ヨリ多カラサル時間禁錮ノ刑二処セラレ且十六「フランク」ヨリ多カラサル罰金ノ言渡ヲ受ケ又ハ其二箇ノミノ言渡ヲ受ク可シ

415条 預メ協議シタル謀計二因リ前条二記シタル罪ヲ犯セシ時ハ裁判所ノ言渡ヲ以テ其犯人二二年ヨリ少カラス五年ヨリ多カラサル時間政府ノ監察ヲ受ケシムルコトヲ得可シ

416条 工丁、雇主、起作人、預メ協議シタル謀計二因リ罰金又ハ禁制ヲ言渡シ製造工作ヲ自由二行フノ妨害ヲ為シタル時ハ六日ヨリ少カラス三月ヨリ多カラサル時間禁錮ノ刑二処セラレ且十六「フランク」ヨリ多カラサル罰金ノ言渡ヲ受ケ又ハ此二箇ノ刑中ノ一箇ノミニ処セラル可シ

フランスの「労働の自由」の代表的論者
○ヴァチメニル(1848刑法修正の報告者)、

「勤労と営業の規則的かつ正常な状態においては、労働を含むすべての価格は二つの要素によって決定される。二つの要素の第一は、供給と需要の均衡であり、第二は、一方では供給する者の間での他方は需要する者のあいだでの競争である。価格を決定するこれらの要素が障害なく機能するとき、勤労、営業、労働は自由であり、かつ、諸価格は、公正かつ真実に決定される。反対の場合には、勤労、営業、労働の自由は歪曲され、諸価格は人為的なものとなってしまう。つまりコアリシォンは、明白な効果として、競争と、需要供給の均衡による諸効果を破壊し、あるいは歪曲する。したがってそれは勤労、営業および労働の自由に背馳し、その結果、第一三条でこの自由を保障した憲法に反する‥‥‥雇主および労働者が、彼ら固有の利益において振舞い、約定し、他のものとの違法な協定を結ばないかぎり、賃金の条件を取り扱う自由は完全である。なぜなら、その自由は、他のいかなる合法的権利も侵害しないからである。しかしながら、圧力を加えるためのコアリシォンがつくられるならば、それは‥‥‥競争の自由、したがって労働の憲法上の自由は、このコアリシォンによって窒息させられるのである。」(田端博邦「フランスにおける「労働の自由」と団結」高柳信一, 藤田勇 編『資本主義法の形成と展開. 2 (行政・労働と営業の自由)』東京大学出版会1972所収)

○マルセル・バルト(1884年刑法416条廃止に際し、反対の中心人物)

「所有は、所有者が思うままに、その個人的財産を利用し、かつ処分しうる権利である。労働は所有であり、神聖な所有である。そして所有の属する者は、その意のままに処分する権利を有する。私が『労働の自由』と理解するのは、以上のとおりである。」
「労働者が、自ら受諾した賃金および条件により、気にいった仕事場で労働するのを妨害する者は、この神聖な所有を妨害することとなる。」
「労働はもっとも根源的な所有であり、もっとも個人的な所有であり、もっとも保護に値する所有である。」
「ある労働者が、意にそわぬ労働を離れることが権利であると同時に、他の労働者がその労働を受け入れ、履行する権利を承認しなければならない。‥‥労働をしないこと、それは権利であるが、ある者の労働を妨害すること、それは濫用(権利の)、しかも許しがたい濫用である」(島田陽一9834)

9834 島田陽一「フランス一八八年法における労働組合承認の法理」『季刊労働法』127号1983

9835野村平爾・吾妻光俊・磯田進「座談会ピケッティングの限界-労働次官通達をめぐって-」附録資料「労働次官通達」『ジュリスト』71号1954

9836橋本武人「アメリカにおけるピケッティングの法的性格」『労働週報』665号 1953

9837中島陽子「アメリカにおけるピケッティング法理(一)」『法学新報』67巻3号 1960

9838中島陽子「アメリカにおけるピケッティング法理(二)」『法学新報』67巻4号 1960

9839中島陽子「反差止命令法以後のレーバー・インジャンクション」『法学新報』68巻1号 1961

9840長淵満男「管理職による争議中の操業と抗議行動の正当性 毎日放送事件」『季刊労働法』101号 1976

9841本多淳亮「争議中の操業権と車輛確保戦術-山陽電気軌道事件」『季刊労働法』111号 1979 

9842山本吉人「労働時間問題について」『労働判例』674号 1995

9843全国税東京足立分会事件 最高裁二小昭59.1.27判決 『労働判例』425号 1984

9844国労岡山操車場事件 広島高裁岡山支部平3.8.29判決 『労働判例』603号 1992

9845国鉄千葉動労(違法争議損害賠償)事件 東京高裁平13.9.11判決 『労働判例』817号 2002

9846三鷹事件上告審判決 最高裁大法廷宣告昭30.6.22 『判例時報』52号

9847全商工職場大会事件 東京地裁昭61.3.25 『判例時報』1189号

9848全気象東北支部仙台分会職場大会事件 最高裁三小昭60.9.25判決 『判例時報』1457号

9849岩教祖同盟罷業事件上告審判決 最高裁一小平元.12.18判決 『判例時報』1332号

9850全運輸職場近畿陸運支部 最高裁二小昭60.11.8 『判例時報』1178号

9851目黒電報電話局事件 最高裁三小昭52.12.13 『労働判例』287号 1978

9852国労(緊急命令申立)事件 東京高裁平3.6.6決定 『労働判例』594 1992
(組合バッジ着用)

9853プリマ事件 東京地裁昭51.2.21判決 『労働判例』254号 1976
(社長声明表示が不当労働行為とされた例)

9854日立製作所武蔵工場事件 最高裁一小平3.11・28判決 『労働判例』594号 1992
(三六協定) 

9855国鉄清算事業団(東京北等鉄道管理局) 東京地裁平3.7.3判決 『労働判例』594 1922

9856人事院(全日本国鉄医療労組)事件 東京地裁平11.4.15判決 『労働判例』761 1999

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