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2013年4月の4件の記事

2013/04/21

争議権は人権であるという異常な思想(3)下書き

1 労働基本権は近代市民法秩序、近代的所有権を否認する(続)

   プロレイバー労働基本権思想を端的にいうならば、労働団体に他者の財産権・所有権・経営権・個人の労働力処分(雇用契約)の自由といった市民法上の基本的権利に干渉し、制限的条件を課し、侵害する権利を付与しようとするものである。労働団体は最大限の威圧・示威行動を他者に向けて行使できるだけでなく、事実上恐喝・脅迫・暴行・逮捕・監禁、物理的閉鎖等の実力行使や強制も権利とする傾向の思想である。
 暴力を事実上容認し市民刑法規範を敵視し否認するところに特徴のある思想といえる。
 

(1)プロレーバーは組合の行為であれば市民刑法規範では暴力犯罪とされる実力行使であっても免責されると言う。人殺し・傷害も処罰されないという学者もいた。

  昭和20年労働組合法一条二項は「刑法35条〔法令又は正当な業務による行為は、罰しない〕の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であって、前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」とする刑事免責を規定する。
 この規定は労働組合の「正当な行為」であれば、たとえ殺人・傷害であれ罰せられることがないと解釈される余地のあるものであった。戦場での殺人が刑法35条が適用され殺人罪にならないのと同様に争議行為も正当業務で殺人罪にならないという理屈である。   そこで昭和24年労働組合法改正で「但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない」という但書が付加された。
 その事情について吾妻光俊は次のように語っている。「労組法一条二項が、暴力行使はこの限りにあらずなんて、わざわざいったのか‥‥事実、争議行為なら人を殺してもいい、けがをしてもいい、そういうことをいう学者もいたし、弁護士さんもいたんです。あれは、昭和二十二・三年です‥‥ある弁護士さんがいったことには、人殺しでも傷害でも暴行でも強迫でも、労働組合が勝つための手段は全部一条二項だと。正当業務だと。こういうんですから、すごいことをいう人があるもんだと思って私は口をつぐみました。‥‥ともかく、終戦後そういう考え方はあった‥‥争議というレッテルさえはれば、本来なら許されないはずのものが許されるという気分はあった」*1  実名こそ明らかしてないが、殺人も正当業務という学者・弁護士がいたとのこと。暴力に好意的なことから労働法学者の主張はうさんくさいという心証が強いのだ。
 問題は但書の「暴力の行使」とは何を指すかである。
 行政当局の見解は、昭和24・4・13法務庁検務局長発検事総長、検事長、検事正宛通牒が「一、労働組合法第一条第二項は、いかなる暴力犯罪(例えば,殺人、傷害、暴行、略取、強盗等)をも処罰から免かれしめるように解釈することはできない。二、暴力犯罪に限らず、すべて他人またはその家族の身体、自由または財物に対して、直接に有形の侵害を加える行為(例えば放火,逮捕、監禁、監禁、交通に危険を及ぼすような鉄道施設・標識の損壊、建造物損壊、器物損壊等)または行為の性質上当然の結果としてかかる侵害を生じせしめる行為(略)現行刑罰法規に該当する限りこれを処罰から免かれしめるように解釈することはできない。」*2とする。
 ビケッティングについては昭和29・11・6労働省発第41号、労働事務次官発都道府県知事宛「労働関係における不法な実力の行使の防止について」において、「工場事業場に正当に出入しようとする者に対しては、暴行、脅迫にわたることはもとより、一般に、バリケード、厳重なスクラムや坐り込み等により、物理的に出入口を閉鎖したり、説得又は団結力の誇示の範囲を越えた多衆の威嚇や甚だしい嫌がらせ等によってこれを阻止する如きピケットは正当ではない」「ストライキが制度として認められているのは、労務の提供の拒否としてであって、これに随伴する行為は一般的に、特に禁止されてもいないが、別段制度として是認されているものではない」「通路の物理的閉鎖は暴力の行使と同様に評価すべきであって到底これを正当というわけにはいかない」。また「労働組合の統制力は、原則として、当該労働組合の組合員以外に及ばないものであるから、組合員以外の従業員に対しては、当該行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、その正当な就労を妨げることはできない」とする。厚労省法令等データサービス参照PDF  http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/2082V291106041.pdf
 世界の現代における労使関係法の水準からみると、昭和29年11月労働次官通達は、英米で違法としているマスピケッティング(大量動員ピケ)に許容的なこと、他の事業所の組合員のピケ参加を違法とする英法との比較、英米では組合員であってもスト決議にストに参加しない権利を定めていることなどと比較して、それでもかなり労働組合に有利な性格を有しており、疑問がある。しかし労働次官通達は、ストを破る労働者に対して実力行使を正当化するプロレイバー学説を排除した点と、非組合員には組合の統制が及ばないとした点で一定の意義を認めることができる。この行政解釈を真っ向から否定し実力行使を容認しようとするのがプロレイバー労働法学である。
 なるほど末広巌太郎によれば但書の趣旨について「立法者のいい分は旧法と実質的にはたいして変わらないというのである。ただ一部もしくはもしくは弁護士などのあいだで労働組合の正当な行為を非常にひろく解釈して組合の行為であればなにをしても罰せられぬという主張をしたものがあったので、この意見をおさえるために、注意規定として但書を伏した」*3とされるのである。
 従って、そもそも注意規定にすぎないから、空文に等しいのであって、解釈学的に論じることが間違いと行政解釈を批判するのである。
 例えば窪田隼人(立命館大・京都学園大)によれば「労働組合の正当な行為の価値判断にたって、この価値基準からはずれる『暴力の行使』は、正当なものとはみなされない、という注意規定にすぎず、組合の正当行為を制限し例外を設ける意味で、暴力の行使は正当行為とはされないという但書ではない」とする。それゆえ「暴力犯罪といわれるものでも、刑法三五条と関係では正当な実力の行使として考えられる余地があるとみるのが、同条の趣旨でなければならない」とする。*4
 労働組合は暴力犯罪とされることを行っても正当な実力の行使として免責されうるという主張である。
 つまり労働組合の団体行動を「『力の行使』ないし『実力の行使』を正当なものと不当なものとにわけ、正当ならざる実力の行使は刑法三五条の適用があるというのが労組法一条二項本文の趣旨である」として「市民刑法では暴力の行使であっても、労働法規範上の正当化理由がはたらくかぎり刑法上の違法性を有しない」とするのである。
 とはいえ窪田隼人は殺人や放火は団体行動で容認はしない。ただしそれは市民法規範に基づいて「刑法上殺人罪や放火罪に該当するから許されないのではなく」「労働法の世界でも容認しがたいから正当化保障の枠外に置かれる。」と述べ、労使関係に市民刑法規範を通用させてはならないことを重ねて強調するのである。

 
  (2)強制力は暴力でないから容認されるという野村平爾の詭弁

 次に第一世代のプロレーバー労働法学者野村平爾(早大)であるが、この人は労働次官通達を批判して、「ピケッティングの正当性は、労働組合という階級的な労働者の団結体が持つところの、労働者に対する強制力として是認される」‥‥スト破り労働者に対しては「説得の限界をこえていても、防衛的な意味を持つをもつスクラム」は正当‥‥ピケの対象による区分は「スト破りであればいいのであって、それがストライキを行っている組合に所属する組合員であろうと、ストライキ中に脱退した脱退組合員であろうと、未組織労働者であろうと区別はない」と言う。*5
 このように、プロレーバーは労働組合の集団意思によって個人の意思は制圧されなければならないと説き、労働組合に強制力を付与し、労働の自由を否定し、就労阻止の実力行使を是認するのである。
 野村平爾は強制力としてのスクラム容認論を展開しているが、強制力は暴力でないので労組法第一条二項但書に反しないという理屈だが詭弁のように思える。
  「団体の持つ強制力が、いわゆるリンチに達することは国家の刑罰権と衝突する意味で承認されなくても、団体がその利益をまもるために防衛的な強制力を用いるのは禁ぜらるべきではない。労働運動史の上にあらわれた、なぐったり傷つけたりすることは、とうてい承認できないが、スクラムによって利益の侵害者に対し、これを阻止し、出来れば味方の陣営に加えようとするのは、正にこのような状態なのである。労組法第一条二項但書‥‥の意味も、このような状態に適合するものとして考うべきではないだろうか。強制力=暴力ということではない」*6
 殴ったり傷つけたりするリンチはそのままでは支持できないが、防衛的な強制力は認められて当然という言い回しは、限りなくリンチ容認論に接近している。
 野村平爾は就労権とピケット権の対立という構造すら認めないのだ。「個別労働者の労働市場における競争が労働者の地位を引き下げていること、労働者の生存の利益を担保するものは団結の力だという自覚が、団結の強制を必然ならしめる」*7
 労働者階級の利益のためには労働者間の競争を否定し団結に加わらなければならない。沼田稲次郎は、組合が労働力統制を排他的独占して使用者と対等というが、組合員でもない者も従わない者は強制されなければならないというのは傲慢なものである。競争は否定されなければならないという。自由で開かれた市場にアクセスする権利と競争環境なくして自由主義経済は成り立たない。そうすると談合による営業制限に加わらない企業はやっつけてよい、カルテルから脱落する企業はやっつけてよいと言っているのと同じ。前近代のツンフト強制による営業独占と同じ発想である。近代市民的自由の核心的価値(取引の自由)の否認だといわなければならない。
 いずれにせよ、スクラム適法と言う野村平爾はミリバントな組合に武器を与えるための学説である。大きな害毒といえるだろう。昭和30年代から40年代にはプロレイバー労働法学に影響を受けた、実力行使を容認する下級審判例も少なくないからである。裁判所がプロレイバー法学の影響から脱する傾向が明確になったのは石田和外コート末期の昭和48年久留米駅事件判決以降である。

(3)先進国の雇傭法では労働組合に暴力犯罪なみの強制力を付与する国などないはず

 今日、まともな国家ではプロレーバー労働法学者の学説のようにピケッティングに労働組合に暴力犯罪なみ強制力を付与するという法制をとる国家はたぶんない。
 ここでは、イギリスのみ言及しておこう
 英国におけるピケッティング規制の範囲であるが、小宮文人はメージャー政権の1992年法(1980以降の雇用法を進展させたもので)のピケッティングについて次のような説明をしている。
 そもそもピケッティングは、コモンロー上、不法行為を構成する。その理由はピケッティングを成功させるためには契約破棄の誘致又は違法手段による営業妨害が必要だからであると述べ、また不法妨害(ニューサンス)、脅迫、不法侵害(トレスパス)に該当する場合がある。
 1992年法220条は次の場合に、ピケッティングを不法行為責任から免責する。つまり、そもそも不法行為だが、次の範囲で制定法で免責という意味での適法性である。
 免責される範囲は、「労働争議(219条で規定する範囲に限定)の企図または推進のため、その者の職場またはその付近、その者が失業しており、かつその最後雇用が争議行為に関連して終了せしめられ、または、その終了が争議行為の原因の1つとなった場合には、その元の職場またはその付近、その者がある一定の場所で労働しないか、または、その者が通常労働している場所がピケッティングの参加が不可能な場合には、その者がそこを起点として労働している、あるいは、その者の労働を管理しているなんらかの使用者の不動産において、または、その者が労働組合の幹部である場合は、その者が付き添いかつ代表してる組合員の職場または元の職場その付近で、平和に情報を得または伝えあるいは平和的に他人に労働するようまたは労働しないよう説得するだけの目的で参集すること。」*8
 つまり、その事業所に通常働いている労働者、解雇された労働者の元職場がビケッティングに参加してもよいが、他の事業所からのフライングピケットは違法なのである。また大量動員ピケも違法であり、より具体的には行為準則で示され、一般に1つの出入り口に6人以上のピケットを置くべきではないとしている。行為準則はそれ自体法的拘束力はないとされる。
 しかし訴訟上考慮されるのであり、1984~85年の炭坑ストライキの Thomasv.N.U.M(S.Wales Area)[1985]ICR886(Ch.D1)で行為準則で定められている人数より多いピケットを組織することを差止めた。*9 違法ピケッティングからの使用者の救済として、使用者は違法なピケッティングが、その不動産の外側で行われたと確信する場合、その行為が1992年法219条および220条の範囲外の場合には、高等法院に差止を求めるか、選択的または一緒に、損害賠償訴訟を行うことができ、さらに、公道を妨害し、人身または財産の危険を生じせしめるときには、警察に訴えることができる。ピケッティングは場合によっては刑事責任を生じさせる。(241条) 
 
 サッチャー政権1980年雇用法行為準則が翻訳されているので一部を引用すると次の通りである。
 「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようにおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。
 何者かに脅威を与えもしくは威嚇し、または何者かが職場に入ることを妨げるピケッティングは刑事罰の対象になる。規則に従わないピケッティングによって、その利益が損なわれる使用者または労働者は、民事上の法的救済を受けることができる。彼はこの行為に責任を有する者を相手どって損害賠償を求めることができるし、裁判所に違法はピケッティングの差止命令を求めることもできる。」*10
 就労者の権利を明確にしており、就労者の意思に反する妨害は刑事罰の対象になることを明確にしているのである。
  サッチヤー政権時、1984~85年の炭坑ストライキと並んで、大規模な警察介入のあったワッピング争議(熟練印刷工組合と半熟練組合等のスト)、これはに大衆紙のサン及びニュースオブザワールド(日曜紙)及び高級紙のタイムズ及びサンデータイムズ(日曜紙)を発行するニューズ・インターナショナルが、フリート街から、ロンドン東部ドックランド再開発地区のワッピングの新社屋移転(現在は又別の場所に移転している)に伴う、ストに参加した6000人の印刷工らが即時解雇されたうえ、新規に雇傭した代替労働同社によって業務が行われたという争議だが、労働組合はワッピングの新社屋で印刷された新聞を配送するトラックをはじめ新社屋に出入りする者の入構を大量動員ピケッテイングで封じ込めようとした。新社屋のほか配送業務を委託されたTNT社の新聞配送所でピケが行われただけでなく、、連日50~200人のデモ、水曜と土曜にワッピング周辺で行進や大集会にが行われた。
 これについては新聞社だけでなく配送会社、関連会社より違法ピケッテッングによる不法妨害などの差止を求めて提訴し認められた。また損害賠償請求も併せて行われた。
  召喚令状は配送のTNT社の被用者(トラックドライバー)及びその他の労働者で原告と雇用契約を結んでいる者に対する「雇用契約を破棄せよ」との「脅し」の中止を求め、原告の事業所に物品を供給するのを妨げるために、被告の組合員を「扇動」したり、「脅し」たり「励まし」たり「援助」したり、経済的支援を行うことを一切禁じ、ピケッティングを行う場合にはピケッター自身の職場で6人以下の要員で行うことを命じた。
  高等法院の7月31日の差止を認める判決は、「ワッピングにおけるピケッティングと毎日行われるデモはハイウェイの不法妨害であり、被告は公的ニューサンスの責任を問われるべきである。またワッピングでの週2回の行進と大衆集会はコントロールを失った時は不法妨害に当たり、労働者のバス輸送や追加警備の費用のために損害を被った原告は、この責任を被告に問うことができる。また原告の従業員の中にはピケッティングやデモにより深刻な脅迫を受けて離職したものであり、これらの行為は脅迫の不法行為を含んでいる」と判示、「ワッピングでピケッティングに参加しているものは、平和的に情報を得よう、あるいは交換しようとするためにのみそこにいるのではなく、また、労働の提供をしないようにと説得するためにのみそこにいるともみとめられない。ワッピングでは暴力を伴うピケッティングがおこなわれている」という原告の主張が認められ、ピケッティングに伴う「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)の存在が認定された。
 裁判官は大量動員ピケッティングに差止め命令を出した。「デモを含みピケットは6人以下とする。ワッピングへの道路上でのピケッティング及びデモの組織の禁止、フリートン街グレイズイン通りとブーブリー通りの旧社屋前でのピケットも六人以下に限る」としたが、行進と集会については平和的である限りピケッティングとみなさないとした。*11
 このようにイギリスではサッチャー政権時には大量動員ピケは差止命令が発出されていて、ピケは代替労働者によって破られ、新聞を休刊させることもできなかった。 マスピケッティングやデモの逮捕者はのべ1370名に及んだ。1986年末までに警察の費用は530万ポンドがスト取締に使われ、15万労働日というロンドン警察の3分の2の警察力を投入したのである。印刷工組合は敗北し世論の同情もなく労働組合退潮の潮目となる事件であったといえる。

 またワッピング争議の2年後、サッチャー政権の労働改革の総仕上げとなった1988年雇用法は、労働組合の団体的権利に対して、組合員個人の権利(自由)を擁護するかたちで裁判所、労働審判所あるいは労働組合関係に関して一定の公的事務を行う認証官等が労働組合の内部事項に国家が介入を行いうる途を大幅に開放しただけでなく、労働組合員により不当に懲戒されない権利が規定された。これは批判者が「スト破りの権利章典scab,s charter」と呼んだものだが労働改革の一つの到達点を示すものである。
 1988年雇用法はストライキを実施しようとする組合が1984年労組法および88年雇用法の規定している厳しい投票実施要件を適正にクリヤーして多数の賛成を取得し、ストライキに入ろうとするとき、そのストライキに参加することを拒否する組合員がいても、彼らを統制違反として制裁の対象としてはいけないとした。この立法の思想は、そもそもストライキは組合員にとっては収入が減少し、成りゆき次第では職業を失いかねない危険なものである。したがって、それに参加するか、しないかの決定権は労働組合によりも組合員にあると考えるべきである。つまり労働組合の団結する権利よりも個人の自由な決定権が優越的価値をもつものだというものだ。
 イギリスの労働組合は、統制違反の著しい組合員に対してしばしば反則金(1000ポンドぐらい)を課したり組合員の地位に伴う一定の権利や利益の享受を一時的に剥奪し、著しい統制違反に対しては除名処分も行う。もちろん、スト指令が制定法上、労組規約上、あるいはコモンロー上違法とされる場合にはそのストライキに参加したことを理由に制裁できないことは1971年労使関係法以来確率されていた法理であるが、1988年雇用法はストライキがあらゆる点で適法であっても、それへの参加、不参加は個人の自由な決定に委ねられるべきだとしたことである。
 しかもそれだけにはとどまらなかった。①ストライキ指令のみだけでなく、②ストライキの支援、支持行動の指示に従わないこと、③ストライキに反対の表明をしたこと、④ストライキに対する不支持を表明すること、⑤労組役員が労組規約にら違反していると主張し続けること、⑥労働協約に違反したストライキであると主張すること、⑦執行部が法定の投票要件に従ってないと主張することなど19種類の行為を揚げて制裁理由としてはいけないこととした。つまり、指令に反しストライキを途中でやめてスト脱落者を励まし支援しても制裁の対象とならないというものである。*12
 我が国では団体の統制権の侵害として反発を受けそうな政策だか、これが先進国の労使関係法の水準である。先頃葬儀がなされたサッチャーの業績である。
 なお、1988年雇用法は事前に投票が必要なストライキを「労務の集団的停止」と定義し、任意の職務、時間外労働の禁止もストライキ投票に付さなければならないとしているが、ピケット権というものは「ストライキ」の定義から外れるものとみてよい。制定法がストライキに参加しない権利を擁護しているのであり、この脈絡においても、ピケッティングの態様にはおのづと限界があるとみてよい。

 先進国の水準では、このように、就労に関する個人の自己決定、労働力処分(取引)の自由を、争議行為から保護するものになっている。それに比べると我が国は、昭和29年の労働次官通達でマスピケを是認しているそのことをもってしても野蛮であり、労働法学者は暴力犯罪となりうる行為も免責されうる、労働組合は強制力があるなどという野蛮な理論をふりかざす有害な思想をまき散らしてきた。それが法学だと称しているがそんなのがまともな法学であるはずはない。

*1吾妻光俊〔講苑〕中郵事件の最高裁判決について」『中央労働時報』66巻12号(447号
*2窪田隼人「労組法一条二項但書の『暴力の行使」について」『団結活動の法理-野村平爾教授還暦記念論文集』日本評論社1962年
*3末広厳太郎『労働組合法の解説』20頁
*4窪田隼人前掲論文
*5野村平爾「ピケッティングの正当性の限界」『早稲田法学』31巻3.4号1956『日本労働法の形成過程と理論』岩波書店1957年所収
*6野村平爾『日本労働法の形成過程と理論』岩波書店1957年155頁
*7前掲書156頁
*8小宮文人『現代イギリス雇用法-その歴史的展開と政策的特徴』信山社出版2006年
*9古川 陽二「イギリス炭鉱ストの一断面(外国労働法研究)」『日本労働法学会誌』(通号 69) 1987.05
*10小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11
*11ワッピング争議に関して家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.168, 1997 「ワッピング争議と法的諸問題の検討(2)完 : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.169, 1997,〔※ネット公開〕 
*12渡辺章「イギリスの労働法制とその変遷(講苑)」『中央労働時報』804号 1990

 

2013/04/07

争議権は人権であるという異常な思想(2)下書き

 私は、労働基本権思想そのものが悪質なものであり、我が国の労働法制それ自体をオーバーホールすべきであるという考えである。産業競争力会議やTPP参加が契機となって労働規制改革に動き出す予兆もあるが、たんに時代の要請というだけでなく明確に労働基本権思想を否定していく方向性での新自由主義的抜本改革が望まれる。
 そのためには戦闘的階級的労働組合運動を支援し労働基本権を確立するという反市民法政策体系である戦後プロレイバー労働法学を清算し駆逐していく作業が必要であると考えるのである。
 おおまかにいって、プロレイバー労働基本権思想を葬り去るべき必要性は次の点である 

            
 1 労働基本権は近代市民法秩序、近代的所有権を否認する
            
 労働法学者吾妻光俊によれば「近代法典の人格概念も、また、契約の思想も、共に近代的所有権の観念、即ち、いかなる団体的拘束にも服しない自由*1・絶対な物的支配という観念を予定し、むしろこれに地盤を与えるという歴史的意義をもつ‥‥従って労働法の観念は、まさにこの所有権の思想に、最も鋭く対立する‥‥いわゆる労働基本権こそは所有権に対抗するものとしてあらわれた、労働法上独自の権利形態である。‥‥集団的権利であって、個人的権利ではなく、またそれらは自己完成的な権利としてではなく、複合的な形態である点に於いて、所有権をはじめとする近代法の権利形態と対立する。‥‥労働法と近代法の対立は、結局所有権と労働基本権の対立に帰し、この対立の中に形成される社会関係こそは、真に近代的な社会関係にほかならなない」*2と述べる。(なお、ここでいう所有権とは物的支配の範疇だけを指すのではない。「所有権の社会的機能-それはむしろ所有者の契約による他人との結合関係のなかにあらわれる-としてとらえられる」*3)
 このように労働法学者は近代市民法秩序が近代なのではなく、それと対立する労働基本権(社会的基本権)があって真の近代だと主張している。
 なるほど教会法と世俗法のように対立する法思想の併存はしばしばありうることだ。しかしそれは双方の裁判管轄権を分けあうか、世俗法が教会の裁治権を事実上簒奪することで対立が解消されたのである。
 私は、労働法学者とは違って、近代法典と労働基本権の対立関係を内包する社会が良いとは全然思ってない。本来共存する余地のない矛盾なのだ。なぜならば吾妻自身も言うように「所有権は、近代法典の中核をなす概念であり‥‥所有権それ自体の制約という現象は-一般に軽々しく指摘されるほどに-見られるものではない」*4したがって近代的所有権概念、取引の自由という近代市民法秩序の核心的価値を攻撃をし制約しようとするプロレイバーの労働基本権思想とは水と油なのだ。
 私は次のような私有財産権擁護のチャンピオン的見解を支持する。
 ブラックストン『英法釈義』「財産権‥‥それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものである。‥‥第三の絶対的な権利‥‥それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである」*5
 ブリューワ判事イェール大学講演「財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄である‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」*6
 要するに、われわれの市民法上の権利の核心的価値たる所有権は絶対だという思想である。

 対して労働法学者片岡曻・大沼邦宏はこう言う。「労働組合は‥‥‥労働力の取引過程の取引過程に介入し‥‥企業の内部にまで踏み込んで集団的な規制力を及ぼそうとする‥‥それは不可避的に使用者の取引を制約することになるし‥‥市民法上の権利や自由を侵害せざるをえないのであってそれゆえ現実に久しく違法評価を受けてきたのである‥‥にもかかわらず、むしろ、それを歴史的かつ社会的所与としつつ、生存権の理念に基づいて団結権に高度の法価値を認め、積極的な法的保護を与えることを意味している。要するに団結権(広義)は、その性格上、団結活動と対立する使用者の権利の自由の譲歩なくしてありえないものである」と説き「かくして、団結権(広義)は『市民法上の諸権利に対抗しそれを制約するあらたな権利として登場してきたものであり、それを基本権として憲法上保障することじたい、全法体系を貫く価値観の転換をともなわずにはいない‥‥』(籾井常喜『組合活動の法理』からの引用)ということができよう」*7と述べる。
 団結権は他者の市民法上の諸権利を制約する権利と明確に述べている。他者の権利を侵害する権利と言い換えてもよいが、それが人権などというのは論理矛盾であり、大きな間違いだといわなければならない。
 他者の権利侵害権なるものが人権であるはずがないし、それを市民法秩序と融合することは不可能である。なぜならば1793年フランス人権宣言第4条は「自由」の定義と権利の限界を次のように定義する。
「他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない」。
 近代市民法秩序では他者の権利を害しないことが個人の自由と権利の限界なのだ。プロレイバー労働法学はその限界を超えた権力(権利侵害権)を労働基本権と称して、労働組合という集団に付与し、階級闘争を支援する法学というよりも社会学ないし政策体系である。
 労働法学者松岡三郎の見解はこうだ。「労働法は、市民法の虚偽性と罪悪性から生存権と団結権を保障するという使命を帯びて誕生し、生成してきた。‥‥それは、労働者階級の要請と行動力に対応して、政治権力が‥‥体制維持のための譲歩というかたちをとって展開されてきた。」*8とする。
 市民法秩序を虚偽、罪悪と非難し、明らかな市民法敵視思想である。逆に言えば、体制維持のための譲歩によって政治的に生成されたのが労働法であるから、そこに法的正義を見いだすことはできないし、体制維持の危機のために譲歩が不要なら労働法は廃止してもおかしくない。
 われわれが、今生きている世界は所有権・財産権・営業(取引)の自由・私的自治・自己責任を重要な価値とするところの近代市民法のドミナントな社会である。プロレイバー労働法学はそれが虚偽だ罪悪だと非難してこの秩序に挑戦しようとするものである。それはわれわれの市民的自由と市民法秩序への挑戦という犯罪的法学といえるだろう。(つづく)

*1典型例がフランス1791年ル・シャプリエ法である。労使双方の(同職組合と職人等)団結を禁止した。労働者や使用者は集団を形成することなく自由で独立した個人として一対一で取引し契約するという個人主義を法律上明確にした。(恒常的な団体の結成はもちろん、集団的な協議、集団的な請願、寄り合いまで「営業の自由」「労働の自由」を犯す虞があるものとして禁止された):参考文献中村  紘一「ル・シャプリエ法研究試論」『早稲田法学会誌』 (20) 1970
*2吾妻光俊『近代社会と労働法』富士出版1949 169~172
*3契約による他者との結合関係が財産だというのは、たとえばリテーラーとベンダーの関係、ウォルマートと P&Gが戦略的互恵関係にあることは良く知られている。店舗ごとのPOSデータを電子データ互換により P&G社に提供している。そのような良好な取引関係が財産なのだ。もちろんコストパフォーマンスの高い被用者との雇用契約も財産なのである。

*4吾妻光俊前掲書170頁
*5ブラックストン(William Blackstone、1723- 1780)『英法釈義』1765年-1769年出版
「財産権ほど、かくも広く人類の想像力を喚起し、その心を魅了するものはない。それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものである」「第三の絶対的な権利、これはイングランドの人間なら誰もが生まれながらにして持っているものだが、この権利とは財産についての権利であり、それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである。そして、その制約を受けたり減らされたりすることは、唯一国の法律によるのでなければ、一切なしえないのである」リチャード・エプステイン『公用収用の理論』松浦好治監訳木鐸社2000年37頁以下

*6合衆国最高裁で極保守派といわれたブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)のは1891年のイェール大学の講演。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経
*7片岡曻・大沼邦宏『労働団体法』青林書院1991年 263頁以下
*8松岡三郎『労働法-権利の歴史と理論』弘文堂1968年489頁

2013/04/06

入手資料整理105

1-131松岡三郎『労働法 権利の歴史と理論』弘文堂1968(古書)
1-132吾妻光俊『地方公務員研修選書18労働法』学陽書房1968(古書)
1-133吾妻光俊『近代社会と労働法』富士出版1949
9994石崎政一郎「同盟罷業と労働契約-フランス労働法における問題の所在」『比較法雑誌』1巻4号1952
9995石崎政一郎「罷業における過失と労働契約の終了」『季刊労働法』7号 1953

しりとり王決定戦 意外に笑えた

山里亮太の司会、テレビ東京本日0時12分をたまたま見た。単純なゲームでくだらない企画に思えたが、岩井志麻子という小説家が、毛じらみ、クラミジア、素股、アナル、仮性包茎、蟻の門渡りといった下半身系言葉ををくりだしてきたので笑えた。ルールは辞書「大辞林」に記載されていればOKというもの。決勝戦は東進ハイスクール現代文講師「いつやるか? 今でしょ!」のCМで有名な林修と岩井志麻子となり、岩井が「裏筋」と答えたところで辞書にない俗語のためアウト。林修がしりとり王となる。他に春香クリスティーン、又吉直樹などが出演。裏のタモリ倶楽部は録画してちょっと見たが、今回の企画はいまいち面白味にかけていた。

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