入手資料整理118
地方自治法244条2項、238条の4第4項を争点とする事件
10022 大阪城音楽堂使用許可申請不受理事件 大阪地裁平4・9.16判決 判時1467号
企画集団「なんぼのもん」社は、平成元年2月24日昭和天皇大喪の礼当日に「音楽とトーク」を内容とする天皇制批判の集会を開催すべく、同年1月13日に大阪市立大阪城音楽堂の申請をしようとしたところ、申請用紙の交付を拒まれ、その後もコピーした申請書を提出しようとしたが受領を拒否され、郵送は返戻された。大阪市は大喪の礼当日は臨時休館を決定し、休日となれば労働組合の了解を得られない場合に必要な職員を確保できないことを不受理の理由としたが、原告は集会を開催できなかったことが憲法21条に反するとして慰謝料の支払いを求めたのである。
判決は、本件不受理は集会の目的を理由になされたものではないとして、原告の主張を退け、臨時休館の是非にもふれなかったが、窓口での行政指導的な不受理について看過し難い違法性がある、申請段階では臨時休館は正式決定されていなかったとして、本件不受理は相当なものではないとした。
10023 三鷹市公会堂使用承認取消事件 東京地裁平3.7.15決定 判時1403号
平成3年6月1日、同年7月23日~25日全教の定期大会開催のため、東京都の三鷹市公会堂ホール及び会議室の使用承認申請を行い承認されたが、三鷹市長は本件承認に対する右翼団体等の抗議活動が始められると全教に使用承認申請の取下げを要請し、さらに7月9日「市民の平穏な生活が妨害され、交通が阻害されるなどの公益を害し、かつ市公会堂の管理上の支障があると認められる」として使用取消処分を行ったが、申立人は効力停止を求め認容された。決定は、定期大会の日程からして開催場所を変更することは事実上不可能であり、回復しがたい損害を避けるため執行停止の緊急の必要性があるとした。また公共の福祉に対する影響については次のように言う。
「‥‥公会堂等の施設を利用して開催される集会等を阻止しようとする団体等が右施設外で行う違法又は不当な妨害活動等によって、周辺の住民の生活の平穏が害され、近隣施設の運営等に混乱、支障等を生じるおそれがあるとしても、これらの事態については、施設内の集会行為そのものに起因するものではないから、本来施設利用者がその責めを負うべき性質のものではなく、むしろ警察当局の適切な措置によってその回避が図られるべきものと考えられるところである。‥‥右翼団体等の妨害行為については、すでに警察当局の手により‥‥警備対策が検討されており、周辺の住民生活に対する被害や近隣施設の運営の混乱等を最小限に抑止するための方策を講ずる準備が進められていることが認められる。そうすると、本件取消処分の執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるということは困難である。」
その他
10024加来祥男, 「ルーヨ・ブレンターノの労働協約論」『経済論集』愛知大学 186号 2011年 ドイツ1918年の労働協約令、21年「労働協約法」草案とブレンターノ構想の対比
10025木南 敦「ロックナー判決における自律と自立(二・完)」『民商法雑誌』146-2 2012年
この時期のポリスパワーの判断について、説明している。判決文に頻繁に出てくるポリスパワーとは「警察力」のことではない。ウィキペディアは「各州の人民の信託に基づく強大な固有の権」と言っているがこの論文では端的に「州の立法権」という。契約の自由といえどもポリスパワーの正当な行使によって制限されるというのは、ベッカム法廷意見もハーラン反対意見も同じであるが、法廷意見は、ポリスパワーの正当な行使と認める必要な関係がないとして、パン・菓子製造の労働時間を1日10時間、週60時間に制限する州法を違憲としたのである。必要な関係とは立法目的(この場合は公衆の健康)と直接の関係がなければならないが、遠い間接的な関係しかないと判定して、ポリスパワーの正当な行使とは認めなかったのである。
つまり、ロックナー判決の背景には立法権の制限思想がある。立法権がなんでもありなら、立法府は暴君となる。立法権に限界があるというのは19世紀にはふつうの思想だったし、19世紀のアメリカにおけるクーリーの階級立法の否認も制限立法思想である。議会はコモンローを修正しても、覆すことはできないという思想は18世紀のイギリスにはあったし、フランス人権宣言でも法律は社会に有害な行為だけを禁止する権利を有するとして、立法権万能とは言ってない。
英米法から離れて、近代市民法の基本原則をいえば、よく引用されるナポレオン民法典起草者ポ.ルタリスの『民法典序論』によれば「一般に人間は、自分に利害関係のあるすべてについて自由に取引が出来る筈である‥‥人間界の取引関係が生じせしめる契約の数を確定し、その多様性を決定出来るような立法というものはこの世には存在しない。‥‥契約の自由は、唯正義や、善良の風俗や、公益によってのみ制限される」
「過度に統治すれば、統治としては失敗である。他人と契約する人間は、注意深く聡明である筈である。彼は自分の権利を見まもり適当な情報を集め、有益なことを見逃すはずがない。法律の役目は、われわれを他人の詐害から守ることで、われわれが自分自身の理性を使用しないで済むようにすることではない」
「人間の悪意を防止又は禁遏するために制定する法律が、ある程度の無邪気さと率直さを持たなければならぬというのが原則である。誰かが犯すかもしれない悪や行き過ぎを全部防がなければならぬという考から出発すれば万事は窮する。そうなると方式は無限に増加しなければならず、国民に対して破滅的な保護しか与えられないこととなるだろう‥‥」
生来自由なる個人が、社会生活を営むために、みずから自由に義務を負担し、この自由なる契約の働きこそが、対立利益の間に均衡を保ち、社会正義を実現するという信念に基づく意思自治論であるが、それが近代市民社会の大原則だったのである。(山口俊夫『概説フランス法』19頁』
近代社会の自己責任とは意思自治が大原則ということで別にグランドキャニオンに柵がないという例え話を用いる必要はないのだ。
この論文は、自由労働の理念にもふれている。奴隷は自己自身が主人の財産であるから、主人の庇護のもとに労働を行うのであって、自らの意思で契約することはできない。しかし自由人は契約自由であるはずである。判決はパン職人が知力と能力において他の職業についている者と変わりなく、また、自己のために権利を主張し世話をすることができると扱い、パン職人の後見がポリスパワーの講師の根拠とはならないという。
労働時間制限はパン職人の行動と判断について独立に干渉するものとみなしているのである。
この判断は正しかった。実際ロックナーは従業員をこきつかっていたわけではないのだ。
ジョージメイソン大学のバーンスタインのこのコラムhttp://volokh.com/2010/03/17/lochner-v-new-york-as-a-test-case/によるとそもそもこの事件は1902年にニューヨーク州ユーティカのパン屋ロックナーが州法に反しシュミッターと言う従業員を週60時間就労させたとして告発されたのであるが、しかし、シュミッターはケーキ作りを覚えるために自発的に遅くまで仕事をしていただけなのである。ロックナーとシャミッターはニューヨークに旅行に行っているように友好的な関係だった。また1941年にシュミッターが死ぬまで雇用されていた。従ってシュミッターが労働組合の代理人である可能性は低く、シュミッターの苦情はでっちあげであったということである。 ロックナーの告発には陰謀があったようである。
ケーキ作りの腕を上げるために試作したりして60時間以上働くのは、本来自由なことなのであり、社会的弱者ともいえない、パン・ケーキ職人(わが国ではパティシエと言って、ケーキ職人は憧れの職業ともなっている)の契約の自由に干渉するなというのがこの判決の結論であり、それは全く正しいことであった。
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